2011年06月04日

東葛歴史オタ話の続き、忠犬小金丸と八木郷の伝説(後編)

 前回のエントリーの続き、流山市思井の熊野神社にまつわる伝説の後編です。前回は忠犬小金丸の伝説について書きましたが、今回は八木郷伝説です。

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 前回も少し書いたように、流山市は流山町と新川村、そして八木村が合併して誕生しました。その八木村も本来の八木郷そのものではなく、明治時代になって旧八木郷の村々をはじめ多数の村が合併してできた村です。

 で、本来の八木郷は、江戸時代には思井村、中村、芝崎村、古間木村、前平井村、後平井村といった村で構成されていました。これらの村々の名は、今でも流山市の大字として住所にそのまま残されています。

 さて、その八木郷の中心地が思井の熊野神社でした。この6村の総鎮守が熊野神社。そして、その6村の結束を今に伝えるのが八木郷伝説です。八木郷伝説にはいくつかのバリエーションがあるようですが、一番代表的なものを紹介すると・・・

 昔、中村の人が熊野三山に参詣した時、どうしたわけか荷物の中に御幣と椎の実一粒が飛び込んできました。不思議なことに神社に返納しても、また入り込んでくるので持ち帰って御幣を祀り、中村や思井村など八村の総鎮守とすることにしました。

 境内に植えた椎の実は、八本の幹となって大きく育ったので、この地を八木と呼ぶことにしたそうな。その後、氏子の八村のうち二村が事情があって抜けたため、八木郷は六村となりました。

 もうめちゃくちゃ強引です。八木郷の「八」に引っ掛けたいがため、当初は8村として発足しその後6村になったと説明しています。でも普通に考えると、もともと6村だったのでしょう。

  で、この熊野神社が鎮座した年代ですが、伝説上はだいたい1500年ごろとのことです。ところが、この「やぎ」の地名ははるか昔からあったのです。

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 実は少なくとも1200年頃から、この地は「やぎ」と呼ばれていました。ただし「八木」ではなく、「矢木」と漢字を当てていたようです。というのも、その頃のこの地の支配者として、矢木胤家という人物がいたからです。

 この矢木胤家は相馬一族にして、今は市川市の法華経寺が所蔵する国宝・日蓮真筆『立正安国論』を日蓮から受け取った人です。その屋敷跡と言われる遺構は、熊野神社のすぐそばで発掘されています。武家は土地にこだわり、発祥の地や土着した地を自らの名としますから、矢木胤家の支配地を漢字で書けば、やはり「矢木」だったと思います。

 妄想するに八木郷伝説とは、江戸時代に熊野詣に行った人がその時に聞いたどこかの伝説を持ち帰り、同じ「やぎ」であることをよいことに、自らの伝説として脚色して広めたものでしょう。実は、忠犬小金丸の伝説と同様、八木郷伝説に似たような話は各地にあり、流山市内では三輪野山の茂侶神社にも同様の話が伝承されているそうです。

 では、なぜ八木郷伝説と忠犬小金丸の伝説がセットで持ち込まれたのか。考えると面白いのですが、まず八木郷伝説は村同士の横連携の根拠を示す話です。そして忠犬小金丸の伝説は、忠義という縦の関係を美しさを強調する伝説です。

 そうすると、この二つの伝説を流布したのは、八木郷の各村の支配者である名主たちかもしれません。なんせ東葛地域の名主の家は元を辿れば、北条氏滅亡と共に帰農した武家。そして八木郷の名主たちは、忠犬小金丸の主である高城氏の家臣の末裔です。

 そして八木郷の名主たちには、各村の人心をまとめ村同士で結束する必要があった・・・。

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 その訳はこの川にあるのではと思います。坂川です。八木郷6村の多くは、この坂川の上流の村々です。当時、坂川は「逆川」と言い、雨が降れば簡単に増水し水が逆流してしまう川だったそうです。

 ですから、逆川の上流の村と下流の村の間では、治水や利水を巡って争いが絶えなかったことでしょう。となると、上流の村々、つまり八木郷の村々は一致団結する必要性があります。

 そんなわけで、八木郷の名主は二つの伝説を持ち込むことで、熊野神社を八木郷の団結を維持するシンボルとしたのかもしれません・・・。まあ、歴史オタクの妄想レベルの説ですが(笑)。

toukatsujin at 13:18│Comments(8)TrackBack(0) 東葛地域ネタ | 自転車とちゃいます

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この記事へのコメント

1. Posted by メタ男   2011年06月04日 17:47
 東葛人さん、今日は。
 八木にそんな由来があったとは、面白いものですね〜。
 忠犬伝説の絵本(か挿絵)ですが、どうも、椿説弓張月だったような気がします。
2. Posted by roadrunner   2011年06月04日 21:16
東葛人さん、こんばんは。
一致団結できるのも、みんな親戚なんだろうと思いました。
東葛人さんの「歴史オタ話」と地図を通じて昔の様子が時々垣間見えるようで密かに楽しませていただいています。
3. Posted by 東葛人   2011年06月05日 17:41
メタ男さん、こんばんわ
椿説弓張月って、滝沢馬琴の小説ですね。
その絵、ひょっとしたら葛飾北斎でしょうか。
そんな本を見ているメタ男さんはすごすぎです。
八木郷伝説は詳しく調べると、もっと面白いことが出てきそうな気がします。
4. Posted by 東葛人   2011年06月05日 17:49
roadrunnerさん、こんばんわ
私のオタ話を楽しんでいただき、ありがとうございます。
そう言えば以前聞いた話ですが、昔、川沿いの村の家は対岸の村の家と婚姻を結び親戚になったそうです。
豪雨の時、川の両岸はどちらかの堤防だけが切れることが多いので、両岸で親戚同士になっていれば全滅は免れる。
そんな保険を掛けていたみたいです。
5. Posted by メタ男   2011年06月06日 17:53
東葛人さん、今日は。
(以下、最小のフォントでお願いします。)
何をおっしゃいますか。すんなり、北斎と出てくる東葛人さんの方が、よっぽどすごいと思います。馬琴はともかく、北斎は今回調べて初めて気がついたようなものですから。子供向けに書き直して、原画(の複写)を載せた本だったと思います。
三十過ぎまで、太田道灌が家康の家臣だと思っていた事は内緒です。
6. Posted by 東葛人   2011年06月06日 23:44
メタ男さん、こんばんわ
最小フォントにできません(笑)
私はすごくないですよ。
そういう知識ばかりが増えて、原作を読んだことがないというお恥ずかしい状態です。
あっ、これナイショです(爆)
そう言えば私も若い頃、大田道灌は謎の人でした。
7. Posted by akinori   2011年06月24日 18:03
はじめまして。
 私、熊野神社下の住宅地の住民でして、最近市内の神社仏閣巡りを始めたばかりのものですが、この記事とても面白く読ませてもらいました。坂川がらみでは野鳥の池をつくったばかりですし、神社に関しては土地の氏神として我ら新住民との関係があってもいいのではないかなどと色々考えています。これからも色々教えて下さい。
8. Posted by 東葛人   2011年06月25日 07:29
akinoriさん、はじめまして!
拙いブログを読んで楽しんでいただき、ありがとうございます。
とても嬉しいです。
私も神社仏閣巡りが大好きです。
特に神社にまつわる伝承を調べていくと、いろんな処の話が一本の糸でつながったりしますので、歴史オタクが妄想するにはもってこいです(笑)
私は名都借の新住民ですが、この地の氏神の伝承をいろいろと知りたいと思っています。
これを機によろしくお願いします。

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