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TOULのブログ兼活動まとめ

ポケモンGOと、自らのモットー

1ヶ月前にスマホを持ってからというもの、ポケモンGOにはまっている。
本当にこのゲームはなんて素晴らしいんだろう。
しかし最近、そんな自分自身に軽く危機感を覚えている。

やり始めの頃は、たまに思い出した時にアプリを起動して、偶然近くに野生のポケモンが出現したら捕まえる程度だった。
しかし次第に、もっとポケモンボール(ポケモンを捕まえる際に使用するボール)が欲しくなり、ポケストップを探すようになった。
仕事帰りに、国道沿のボーリング場やその付近の公民館にあるポケストップに寄り、駐車した状態でポケモンボールをゲットするのが日課に。
更に、嫁さんも一緒にポケモンGOにはまるようになり、休日に一緒に出掛ける際も自然とポケストップを中心としたドライブコースになってきた。
しかしまだその頃は、今に比べたら健全だったと言える。

最近になると、もう結構なプレイヤーレベルになっており、ジム(ポケモンをバトルさせる場所)へ足繁く寄るようになった。
ポケモンを強化・進化させるのに必要な「ほしのすな」を得るために、沢山のポケモンを捕まえ、更にその度にポケモンボールをゲットするためポケストップへ。
仕事の休憩場所も、自然とポケストップがある場所を選ぶようになり、以前は休憩中は昼寝をしていたのだが、最近はポケストップを5分毎に操作しているため、寝れなくなってしまった。
仕事を終えてからは嫁さんとラーメンを食べに行く事が多いが、その帰りに一緒にポケストップやジムに寄り、夜だというのに何十分も家に帰らずポケモンに勤しむ事も。
スマホのバッテリーもすぐに僅かになってしまう。

そして。
ある日仕事帰りに渋滞にはまった時に、ふと「ただのろのろ運転するよりも、この間ポケモンGOを起動していれば距離を稼げて、卵を効率良く孵化出来るんじゃないか」という考えが頭をよぎった。
もちろんそんな愚かな考えは即座に振り払ったが、流石に自分自身に戦慄を覚えてしまった。

僕の人生のモットーは、何事に関しても「ほどほどに」。
完全にそのモットーが脅かされている事は、由々しき事態である。
ほどほどにやるからこそ、何事も楽しく出来るのだ。
これからは、頭を冷やさなければならない。

本を読む事はそんなに大切な事なのか

何気なくYAHOOニュースを見ていたら、朝日新聞デジタルで『読書時間ゼロ、大学生の5割に。増えたのはスマホの時間』という記事があった。
この手の調査記事は、ネットを見ていると定期的に目にする。
若者が本を読まずにネットばかり見るという事に対する警鐘であろうが、その記事がネットで上がっているというのは、少し皮肉な気もする。

僕はもう若者では無いし、本は人並みに読んでいる。
しかしそれは、若者がスマホを長時間弄る行為と何ら変わりない事だと思っている。
現代の人は、本を読む事を何故か美化する傾向がある。
それが拗れて、本を読んでいる人に対して「本を読んでいる自分に対して酔っているだけではないか」みたいに言う人さえいる。
読書はそんなに特別で大げさな事ではないし、本の文字を読む事とスマホの文字を読む事と、いったい何が違うというのだろうか。

「本を読まなければ読解力が育たない」と主張する人もいるが、それは「本」という媒体による所では無く、触れる文章の中身の問題だ。
本に書いてある文章にも拙劣な物は存在するし、逆にネット上に書かれている文章にも高尚な物は存在するだろう。
本だろうがネットだろうが、どこに有益な情報や物語が隠されているかは分からない。
媒体なんて、なんだって構わないのだ。

僕が若い頃勤めていた会社の社長が、大変な読書家である事を自分で豪語するタイプの人間だった。
しかし、とても尊敬出来るような人ではなかった。
会議など事ある毎に、本で読んだという知識や教訓を披露する。
しかし、単なる受け売りを頭の中に増やせば必ず立派な人間になる、とは限らないのだ。
知識はそのまま飲み込むのではなく、充分に咀嚼しなければ、消化不良を起こす。
消化不良のまま出て来たウンコをしたり顔で見せびらかされても、こちらとしては反応に困ってしまう。
それではツイッターでリツイートして「ほんとこれ」と言っているネット民と同じではないか。
衒学の為に本を読むような人間を、信用してはいけない。

読書もネットもスマホも、生活の中の自然な行為であり、比べる物でも対立させる物でもない。
僕の場合は心の隙間を埋めるために本を読んでいるだけであり、誇れる事でもなんでもないのだ。

スマホ

これまでガラケー使いだった僕も、1週間ほど前、遂にスマホに変えた。
何故これほどまでにスマホデビューが遅れたか。
別にガラケーに固執していたわけでも無く、流行に敢えて逆らおうとする天邪鬼な性格のわけでも無い。
ただ、2年程前までは単純に「必要無かった」だけなのだ。
しかしここ最近世の中が急速に変化し、ガラケーでは出来ない事があまりにも増えてきた。
何をするにも「フィーチャーフォン版は終了しました」。
世の中がある意味での便利さと引き換えに不便を生み出しているような印象を受ける。
こうなってしまってはもう、スマホに変えるしか無いし、変えない理由も無い。

さて、いざスマホを使ってみると、これはとてつもなく便利だ。
まさか僕がLINEやポケモンGOをやる日が来るとは、数年前までは想像もしていなかった。
そしてこの絶妙なタイミングで、テレビの『世界一受けたい授業』でスマホでの巧妙な詐欺やセキュリティーについての特集をやっていて、とても勉強になった。
僕のようなスマホ初心者は、本当に気を付けなければならない。
最近、前田敦子なりすまし詐欺で37万人が被害を被ったというニュースを見て内心「馬鹿じゃねーの」と思っていたが、いざ自分に降りかかってきた時に本当に見極めて回避する事が出来るだろうか?
もしPerfumeになりすました詐欺師からメールが来て、「かしゆかです、あ〜ちゃんです、のっちです、3人合わせて、Perfumeです!ところでTOULさんだけに相談したい事があるの…。このURLに私達の悩みが書いてあるからクリックして…」と言われたら、僕はクリックせずにいられるだろうか。
本当に恐ろしい世の中だ。
充分気を付けなければならない。

SUPERMAN

今日発売された、水曜日のカンパネラのメジャー第1弾となるフルアルバム『SUPERMAN』をダウンロードした。
結論から言うと、僕はとても良いアルバムだと思う。

半年前の、メジャー初のミニアルバムである『UMA』は、色んな意味で問題作だった。
7曲中、メンバーであるケンモチヒデフミが作成した楽曲はたった3曲。
残りの4曲は海外のミュージシャンによる作なのだが、全体的にとてもドープなサウンドで、インストとして完璧に出来上がっている物に無理矢理歌詞を乗っけたという印象を僕は受けた。
変わる事を恐れない攻撃的な姿勢は流石だが、何となくメジャー初作品としては相応しくないように思えた。

しかし今作『SUPERMAN』を聴いて、安心した。
ユニークな音使いのハウスサウンド、どこか民族音楽的な世界観、クレイジーだけどクレバーな歌詞。
そして何故かクセになってしまう、不思議な中毒性を持ったコムアイのユルいボーカル、ラップ。
ここにあるのは紛れもなく、純度100%の水カンだ。
もちろん全く変わっていないという意味ではなく、芯の部分を大事にしながら、その上に新しい要素をふんだんに盛り込んでいる。
サウンド一つ一つの複雑さは以前の作品よりも進化しており、しかしUMAのように奇をてらっているのではなく、あくまでポップでユニークで、飄々としてさりげない。

やっぱり僕は水カンが好きなんだと再認識出来た。
UMAと並べて、いつまでも聴いていたいアルバムだ。

世界の終り

村上春樹さんの7年振りの長編『騎士団長殺し』が発売されるとのニュースを見て、こないだ寝ている時にこんな夢を見た事を思い出した。

気付くとなんだかバーのような所で飲んでいる。
誰か知り合いと一緒だったと思うが、彼は見当たらない。
店は大変な盛り上がりで、会話を聞いているとどうやらハルキスト達の集まりのようだ。

その内の一人の男性が僕に話しかけて来た。
「村上春樹は最高だよね。僕らをあっちの世界に連れてってくれるよね」
「あ、僕は別にハルキストじゃないです」
「嘘だろ?ほんとは好きで好きで堪らないんだろ?」
「十数冊ぐらいしか読んでないです」
「帰れ」

また暫く一人で飲んでいると、今度は若い女性が話しかけて来た。
「春樹って最高よね。私なんかあっちの世界に行ったきり戻ってこれないわ」
「あっちの世界…」
「あなたは春樹の小説で何が一番好き?」
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」
「随分古いわね…。もっとメジャーなのあるでしょ?ノルウェーの森とか…」
「ノルウェーの森は、恋人の葬式の直後におばさんとセックスするシーンがちょっと苦手です」
「じゃあ海辺のカフカとか…」
「主人公の少年が50代のおばさんとセックスするシーンがちょっと苦手です」
「…じゃあ世界の終りの何がそんなにいいの?」
「おばさんどころか、裸になった十代の女の子が主人公に対して『ペニスを触っていい?』と聞いても『駄目』って答えるから、あれは偉いと思う」
「帰れ」

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