4月30日に予定されている大般若会(だいはんにゃえ)ですが、昨年に引き続き、通常開催を断念することにいたしました。
理由は言わずもがなですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためです。
よって、本年も一般参拝の自粛をお願いすることとし、総代様及び仏教婦人会の役員様に代表してご参列いただくことになりました。
しかし、黙って自粛することはしません。
むしろ、こんな時だからこそ、一歩前に踏み出す必要があるのです。
通常の大般若会(だいはんにゃえ)は、世界平和や五穀豊穣を祈るものです。
それはある種、すべてを網羅した御祈祷であるといえます。
ですが、それゆえに焦点がボケてしまうことも起こりえます。
昨年の新型コロナウイルス感染拡大という状況下で私は、果たしてそれで良いのだろうか? と悩みました。
そして新たな方向へと舵を切ることにしました。
それが、昨年の「悪病退散祈祷」です。
テーマを「悪病退散」という一点に絞って御祈祷することにしたのです。
それに伴い、御札も「悪病退散祈祷札」として、新しく作成いたしました。
そして、例年はご希望の方に限ってお分けしていた御祈祷札でしたが、御祈祷の趣旨を鑑み、すべての檀家様に総代様を通じてお配りすることにしました。
私の思いを総代様にご説明し、全面的にご協力をいただいた中で行ったはじめての試みでしたが、お陰様で、私の予想を超えたご賛同を得ることができた。
あらためて、御礼を申し上げます。
皆様のお気持ちに、心から感謝を申し上げます。
あれから1年経ちました。
亡くなられた方もいます。
入院中の方もいます。
そんな中で無責任なことは申し上げられませんが、今のところ最悪の事態は免れているようにも思います。
されども第2波、第3波、そして今度は第4波と、まだまだ先が見えない状況です。
この戦いは終わっていません。
それだけではありません。
私たちは、これから新たな問題と対峙しなくてはならないのです。
それは、「豊さの喪失」です。
コロナショックで、経済は疲弊してきています。
すでに、リストラや倒産を経験しておられる方もおられるかもしれません。
しかし、これからさらなる危機が予想されます。
人間関係も断たれつつあります。
つながりの豊さは奪われたのです。
自死が増えています。
「豊さの喪失」を感じたとき、多くの人は自己保身に走ります。
物の買い占め、略奪、その先に戦争があるのです。
私は、そんな未来は嫌です。
個人としての好き嫌いの話ではありません。
その方向に進むのなら、未来そのものが無いのです。
SDGs(持続可能な開発目標)どころの話ではなくなります。
人は、どうしたら豊かになれるのでしょうか?
騙して、あるいは暴力や権力によって、弱者から奪うことが、豊かになることの条件なのでしょうか。
悲しいことですが、そんな時代が長く続きました
そして今、臨界点に達しています。
食料は誰が作ったのでしょう。
野菜は農家が作るのでしょうか。
いいえ、人ができるのは管理であって、創造ではありません。
工業製品はどうでしょうか?
人ができるのは、加工であって、物質そのものの創造はしていないのです。
では、創造の源はどこになるのでしょう。
私たちの命の源泉は何でしょう。
「豊さ」はどこからやってくるのでしょう。
今ある物を、限られた物を奪い合っていては、未来はありません。
私たちが命の源泉とつながっているのならば、必要な「豊さ」はそこから生み出されるのです。
誰かのものを奪う必要はないのです。
新たに生み出せば良いのです。
豊さの源泉とつながり、そこから「豊さ」を招くのです。
真に豊なる者は、奪いません。
真に豊なる者は、与えることができます。
そして、豊さをともに楽しむことができます。
今年の大般若祈祷のテーマは「招豊与楽(しょうほうよらく)」とします。
この「招豊与楽(しょうほうよらく)」という言葉は、新しくつくった言葉です。
創造のスタートは「言葉」なのです。
今年も、新たにつくった御札、「招豊与楽御祈祷札」を4/30の御祈祷後、総代様を通じてすべての檀家の皆様にお配りいたします。
昨年に引き続き、今年も私の意志としての配布です。
お布施を強制するようなことはありません。
ご賛同いただける方のご協力で、この御祈祷は行われます。
真に持続可能な社会の創造を願う方のご協力をお待ちしております。
一人でも多くご賛同いただけたら有り難いと思います。


理由は言わずもがなですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のためです。
よって、本年も一般参拝の自粛をお願いすることとし、総代様及び仏教婦人会の役員様に代表してご参列いただくことになりました。
しかし、黙って自粛することはしません。
むしろ、こんな時だからこそ、一歩前に踏み出す必要があるのです。
通常の大般若会(だいはんにゃえ)は、世界平和や五穀豊穣を祈るものです。
それはある種、すべてを網羅した御祈祷であるといえます。
ですが、それゆえに焦点がボケてしまうことも起こりえます。
昨年の新型コロナウイルス感染拡大という状況下で私は、果たしてそれで良いのだろうか? と悩みました。
そして新たな方向へと舵を切ることにしました。
それが、昨年の「悪病退散祈祷」です。
テーマを「悪病退散」という一点に絞って御祈祷することにしたのです。
それに伴い、御札も「悪病退散祈祷札」として、新しく作成いたしました。
そして、例年はご希望の方に限ってお分けしていた御祈祷札でしたが、御祈祷の趣旨を鑑み、すべての檀家様に総代様を通じてお配りすることにしました。
私の思いを総代様にご説明し、全面的にご協力をいただいた中で行ったはじめての試みでしたが、お陰様で、私の予想を超えたご賛同を得ることができた。
あらためて、御礼を申し上げます。
皆様のお気持ちに、心から感謝を申し上げます。
あれから1年経ちました。
亡くなられた方もいます。
入院中の方もいます。
そんな中で無責任なことは申し上げられませんが、今のところ最悪の事態は免れているようにも思います。
されども第2波、第3波、そして今度は第4波と、まだまだ先が見えない状況です。
この戦いは終わっていません。
それだけではありません。
私たちは、これから新たな問題と対峙しなくてはならないのです。
それは、「豊さの喪失」です。
コロナショックで、経済は疲弊してきています。
すでに、リストラや倒産を経験しておられる方もおられるかもしれません。
しかし、これからさらなる危機が予想されます。
人間関係も断たれつつあります。
つながりの豊さは奪われたのです。
自死が増えています。
「豊さの喪失」を感じたとき、多くの人は自己保身に走ります。
物の買い占め、略奪、その先に戦争があるのです。
私は、そんな未来は嫌です。
個人としての好き嫌いの話ではありません。
その方向に進むのなら、未来そのものが無いのです。
SDGs(持続可能な開発目標)どころの話ではなくなります。
人は、どうしたら豊かになれるのでしょうか?
騙して、あるいは暴力や権力によって、弱者から奪うことが、豊かになることの条件なのでしょうか。
悲しいことですが、そんな時代が長く続きました
そして今、臨界点に達しています。
食料は誰が作ったのでしょう。
野菜は農家が作るのでしょうか。
いいえ、人ができるのは管理であって、創造ではありません。
工業製品はどうでしょうか?
人ができるのは、加工であって、物質そのものの創造はしていないのです。
では、創造の源はどこになるのでしょう。
私たちの命の源泉は何でしょう。
「豊さ」はどこからやってくるのでしょう。
今ある物を、限られた物を奪い合っていては、未来はありません。
私たちが命の源泉とつながっているのならば、必要な「豊さ」はそこから生み出されるのです。
誰かのものを奪う必要はないのです。
新たに生み出せば良いのです。
豊さの源泉とつながり、そこから「豊さ」を招くのです。
真に豊なる者は、奪いません。
真に豊なる者は、与えることができます。
そして、豊さをともに楽しむことができます。
今年の大般若祈祷のテーマは「招豊与楽(しょうほうよらく)」とします。
この「招豊与楽(しょうほうよらく)」という言葉は、新しくつくった言葉です。
創造のスタートは「言葉」なのです。
今年も、新たにつくった御札、「招豊与楽御祈祷札」を4/30の御祈祷後、総代様を通じてすべての檀家の皆様にお配りいたします。
昨年に引き続き、今年も私の意志としての配布です。
お布施を強制するようなことはありません。
ご賛同いただける方のご協力で、この御祈祷は行われます。
真に持続可能な社会の創造を願う方のご協力をお待ちしております。
一人でも多くご賛同いただけたら有り難いと思います。

