洞泉寺住職の日常

長野県伊那市美篶の曹洞宗 洞泉寺のブログです。

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昨日(1/13)、『洞泉寺新年祈祷』が行われた。
例年通り無事に・・・
いや、例年以上にお参りいただいて、賑やかであった。

人間というものは、「願う」生き物である。
そして、それは叶うべきものである。

それが生きるということだ、と思う。

素直な「願い」は叶う。

もし、叶わない「願い」があるのなら、自分の本心に聞いてみるといい。

自分は、それを本当に望んでいるのか?

たぶん、何かが違うはずだ。

たとえば・・・

Aという「願い」があるとする。
なぜ、Aを願うのか?と自分に問うてみる。

すると、そのAの奥にBという「願い」があることに気づく。
次に、なぜBを願うのか?と、さらに自分に問うてみる。

何も出てこなかったら、そのBが、本当の「願い」である。
もし、Bの奥にCという「願い」があれば、Bは本当の「願い」ではない。

私たちが叶えるべき「願い」というのは、その本当の「願い」なのである。
その手前の偽物に惑わされてはいけない。

そして、本当の「願い」は叶うようにできている。
それは、そういうシステムなのだから心配はいらない。

『洞泉寺新年祈祷』は、その偽物の「願い」ごと吹き飛ばすものなのだ。
だから、もう素直になるしかない。
もう本当の「願い」しか持てなくなる。

だから、もう大丈夫である。
おめでとうございます。
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本日、お檀家の皆様のお宅への年始回りが終わった。
郵送にて失礼したお宅もあるが、一旦ここで一区切りをさせていただきます。

今年は、ご葬儀や悪天候の影響もあって、少し時間がかかってしまった。
二日から始めたので、ちょうど一週間である。
この期間、ほとんどお寺にはいなかった。 

とはいうものの、まだ年頭行事は続く。

まずは、1/13(月・成人の日)の『洞泉寺新年祈祷』である。
そして、1/19(日)の『新年のお寺参り』と続く。

そこまでいくと、ようやく正月が終わる感じになる。

お盆とお正月と、どっちが大変なのだろうか、と考えてみた。
やっぱり、お正月の方がキツイ。

まず、期間が長い。
年末の準備から始まって、一月中旬過ぎまでずっと続く。
もっといえば、十一月には各種チラシを作り始めるので、結構な長距離走である。

いや、そう考えると、お盆も、そこそこ長いぞ。
施食会の塔婆は六月から書き始めている・・・

むむむ・・・

もうこの話はやめよう・・・
結局、ずっと忙しいことが表面化するだけだ・・・

こんな状態なのに、今年の『新年のお寺参り』では、新たに「福引」という企画をやることにしてしまった。

そんな私を、家内は「マグロ」と呼ぶ。
マグロは、生まれてから死ぬまで、寝ている間も泳ぎ続けるそうだ・・・
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2日から始まった年始のご挨拶だが、ようやく半分くらい終わったところである。
お伺いしていると、ここ数年で大きく変わったきていることに気づく。

それは、玄関に施錠しているお宅が増えたことだ。
一昔前は、ほとんどのお宅が鍵などしていなかった。

なので、いきなり玄関戸をガラッと開けて「おはよ〜ございま〜す」とか言っていた。
ところが、今は玄関ブザーを押して、しばし待つことになった。
そして、単純な玄関ブザーではなく、カメラ付きのインターホンが年々増えている。

理由は、明らかである。
物騒だからである。

そして、カメラで訪問者を確認できないようなお宅の場合、応対してくれない場合すらある。
なんでも、一人暮らしの方などの場合、遠方に住む息子さんや娘さんから、無闇に応対するなと言われているという。

先日も、とある用事で、とあるお宅に電話をしたのだが、何度かけても留守であった。
仕方がないので、家内が直接ご自宅へお伺いした。
すると、「電話には出ないようにしている」とのことだった。

なんとも、おかしことになっている。
来客も、電話も、とにかく外から来るものは危険だ、という認識なのだ。

別に、そういう方を非難しているわけではない。
そうさせてしまっている、この世界がおかしいのだ。

子どもにも、外で知らない人に話しかけられても無視するように、という教育をする世界になっているのだ。
これでは、生きることを楽しめないではないか。

世界には、楽しいことがいっぱいある
世界には、面白い人がいっぱいいる
だから、生きることは楽しい


子どもたちには、そう教えたい。

怯えながら生きるなんて、嫌なこった。

『梁塵秘抄』にもこんな言葉があるではないか。

遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ

いずれにしても、まずは我が足元からである。
社会がどうの、政治がどうのと言っていても、何にもならぬ。

まずは、己が童になることだ。
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本日(1/2)より、例年通りに檀家各家の皆様のお宅へお伺いしている。
今、一日目が終わったところである。

今日は、とても暖かった。
日中は歩いていると汗ばんだ。

明日もそこそこ暖かいようだ。
とても嬉しいのである。

気温もそうだが、大敵なのは風である。
風が吹くと、体感温度がぐっと下がってします。

その点、今日は風もなく有り難かった。
年によっては、吹雪みたいな日もある。
顔がひきつり、あいさつの言葉もうまく回らない時もある。

それにしても、何かおかしいではないか。

お寺がめっちゃ忙しいのは、年末年始とお盆である。

何故、真冬と真夏なのだ・・・
一番きつい季節に、一番忙しいというのはどういうことだろう?

お盆のお経は、汗だくである。
油断すると、フラフラする。
これから酷暑に拍車がかかるようだと、ちょっと怖いのである。

お釈迦さまは「苦行」を否定されたのに、やっていることは苦行に近い。

いやいや、新年早々、愚痴るのはよろしくない。

たとえ玄関先でのご挨拶だけでも、私にとっては貴重な時間なのだ。
というわけで、今年も時間の許す限りお邪魔いたしますので、どうぞよろしくお願い致します。

とはいうものの、葬儀の予定もありますので、例年より若干遅いペースになりそうです。
どうかご容赦ください。



 

昨年は大変お世話になりました。 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


さて、今年はどんな歳になるのでしょうか。
ネット情報などには、様々な悪い噂が流れています。
「備えあれば憂いなし」という言葉もあります。
しかし、それも過度になると、私たちの心は弱ってしまいます。


こういう時代には「意識の変更」が必要になります。


今まで私たちの意識はこうでした。

一方的に押し付けられる現実に、どう対応したら良いか?

もうこれはやめにしましょう!

これからは、これです。

もし、自分が全知全能の存在だったら、今私は何を望むのか? 

白紙に書く自分の文字が、そのまま現象化するとしてら何を書くのか? 


全ては今ここから始まるのです。
未来はこれから創るのです。

今の世の中がどうだろうと、悪い予測があろうがなかろうが、そんなことは関係ありません。


あなたが本心から望むものは何でしょう?
 

それを自分の心に問えば、楽しくなります。
今日が幸せになります。

今日が幸せならば、その幸せが明日の幸せの種になります。

すると毎日が楽しくなりますから、余計な心配はしなくなります。
 

必要なのは、明日の心配より、今日の幸せです。

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