洞泉寺住職の日常

長野県伊那市美篶の曹洞宗 洞泉寺のブログです。

洞泉寺のホームページもご覧ください。
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ここまでやるかと・・・

いやぁ、驚きました。
皆さん知ってます?
最近の納豆の「たれ」・・・

いや、正確に表現すると、「納豆のたれの袋」です。

納豆のパックについている専用の「たれ」があるじゃないですか。
そう、からしと一緒についているやつです。

あのようなタイプの袋って、最近はギザギザがついてないのにどこでも切れるってやつでしたよね。
これだけでも驚愕の技術でした。

ところが、先日いただいた納豆の「たれの袋」は・・・
なんと切る必要さえなかったのです(驚)

もしかしたら、皆さんは既に体験済みかもしれませんが、ご存じない方のために説明しますと・・・

なんと、押すだけなのです・・・
そう、切らずに押すだけで「たれ」が出てくるのです。

感動・・・

信じられないレベルの革命・・・

こんなものを作っていいのか・・・

もちろんいいに決まっている・・・

すばらしい・・・

ああ、世の中どんどん良くなってる・・・

今日は彼の命日・・・

Queenは、私の大好きなバンドです。

5歳上の兄から、私は多くの音楽的影響を受けました。
Sonyのステレオを買ってらった兄は、せっせとLPレコードを買ってきては聴いていました。
私は、兄が買ってくる音源に夢中になりました。

ビートルズ・・・
今思うと、兄もリアルタイムではなかったのですが、何枚もアルバムを買って聞いていました。
その影響で、今でも私はビートルズを聴くと胸が熱くなります。

兄が聴いていたバンドのひとつにQueenがあります。
Queenの『QueenⅡ』というアルバムのポスターが部屋に張ってありました。

美しかった・・・
唯一無二のフレディのボーカル・・・

ここ数日、Queenのことが気になりYouTubeで聴いていました。
今日が命日だったことは、さっき知りました。
1991年、彼は亡くなりました。

今、アルバム『QueenⅡ』の曲を聴きながらこの文章を書いています。
美しい・・・
凄いな・・・

特に「サイドブラック」の面がいい・・・
圧倒的に美しい・・・
そうか、この面はすべてフレディの作曲なのか・・・

あの時が蘇ってくる・・・
レコードクリーナーの匂い・・・
部屋の絨毯の手触り・・・

フレディの映画を今やっているそうだ・・・
見に行きたいな・・・


H31 新年祈祷 開催案内
上記の如く、毎年恒例の『洞泉寺新年祈祷法要』を行います。

人の願いというものは、本来叶うべきものです。

しかし、叶わないこともある・・・
それどころか、叶わないほうが良い場合もある・・・

人の不幸を願うなんて言うのは問題外。
それは「呪い」ですから。

しかし、自分でも意識しないうちに他人を「呪詛」している場合もあるのです。
これが恐ろしい。

たとえば「嫉妬」・・・

自分にはできないことを、誰かが簡単にやってしまう。
うらやましい・・・
失敗すればいいのに・・・

これはもう立派な「呪詛」です。

あの人はいつもうまくいく。
私はいつもダメ・・・
ああ、もうやだ・・・

これも立派な「呪詛」です。
しかも、「呪詛」の相手は自分自身です。

どうすればいい?

自分もあの人みたいなことをやってみたい!
もし、そう思うなら・・・

やっちゃえば?

自分がダメな人間だなんて、誰が決めたの?

でも自信がない・・・

そんなあなた。
そう、あなたです!

『洞泉寺新年祈祷法要』にお出でなさい。

遠くにお住いのあなた。
そう、あなたです!

当日お参りできなくても大丈夫です。
祈りに距離は関係ありませんから。
お申し込みはメールでもOKです。

『洞泉寺新年祈祷法要』はいわばオーダーメードの御祈祷です。

あなたの本当の願いはなんですか?

いよいよ落ち葉が容赦なく降り注いできました。

それはまさに無尽蔵・・・
いくらでも降り注いできます。

とはいえ・・・
実際に無尽蔵であるわけはないので、なんとか頑張っています。
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でも、嫌いじゃないのですよ。
境内が清められてゆく感じが気持ちいいのです。

そして、籠に溜まってゆく落ち葉・・・
なんだか嬉しい・・・
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研修旅行で、大本山永平寺に拝登してまいりました。

その帰り道、金沢へ寄りました。
約30年前、私は一人で金沢に行ったことがありました。
当時の私は、底辺を彷徨っていました。

詳しいことは差し控えますが、精神的にはどん底でした・・・

今の私・・・
当時のようなことはありませんが、自分の中にその残滓がある・・・
そう感じていました。

バスの車窓から久しぶりの金沢の街並みを眺めながら、私は当時のことを思っていました。
そして、無意識に当時の痕跡を探し始めました。
そんな心の動きを感じながら、私は思いました。

いい機会だから、すべて手放してしまおう・・・

私は敢えて、意識的に痕跡を探し始めました。
泊まったホテルの名前を検索してみましたが、該当するところはありませんでした。
記憶違いか、今はもうないのか・・・

近江町市場に行った記憶は確かにあります。
そして、兼六園も・・・

しかし、当時の感覚が蘇ることはありませんでした。

「鈴木大拙館」に寄りました。
世界的な仏教学者であった鈴木大拙先生は金沢のお生まれです。
ここは初めて訪れました。

裏庭の池・・・
そこは「水鏡の庭」と名付けられていました。

精緻な静寂・・・
水鏡に同調してゆく心・・・

ポチャン・・・

池の奥の方で音がしました。
音の主を中心に広がってゆく波紋・・・

私が探していたものは、長年つかみ続けていた何か・・・

それは
恐れ・・・
不安・・・
  ・・・

その何かを手放してしまえば、もっと楽に生きられるのではないか・・・
もっと、自由に・・・
恐れることなく・・・

今なら手放せる・・・

それはどこにある?
探してみたが、見つからなかった。

意外だった・・・

・・・・

寺に戻って、本堂で一人坐った・・・

探していたものは見つからなかった・・・
それは、もうどこにもなかった・・・
つかんでいた手を放そうと思った・・・

しかし・・・
つかむことすら出来ていなかったのだ・・・

つかむことすら出来なかったものを、つかみ続けていると思い・・・
それを手放す方法を探してきた・・・

今なら出来る・・・
そう意気込んでいた自分がいた・・・

ところが、もうどこにもなかった・・・
どこにもないどころか、最初からつかむことすら出来ていなかった・・・

そうなのか・・・

坐る私が消えてゆく・・・

そうだったのか・・・
私たちは、つかむことすら出来ないのだ・・・

涙が頬をつたわった・・・

水鏡の庭のあの波紋は、もうどこにも無い・・・

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