洞泉寺住職の日常

長野県伊那市美篶の曹洞宗 洞泉寺のブログです。

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これは、私のパソコンのモニターにつけているライトの手元リモートコントローラーである。
以前は、普通のデスクライトを使っていたのだが、思い切って昨年新たに購入した。

ライトとしての目に優しい機能はもとより、手元で明るさや色温度を調整できるという、素晴らしい品である。
レビュー記事も調べまくった上で、少々値段が高いというハードルを飛び越えて購入したものである。

ところがである。
何ともこの手元リモートコントローラーの操作性が良くないのである。

真ん中の部分が、スイッチであるのだが、どうも反応が悪い。
しかも、そのスイッチのところから出ている黒いベロのようなものの使い道が不明なのだ。

そのベロをクルクル回しても、何も変化しない。
明るくもならないし、色温度の変化もない。

そんな不満を感じながらも、とりあえず使っていた。

それが、今日になって、ようやくマニュアルを確認してみようという気になった。
メーカーサイトを開き、仕様書を探した。
そこに写っているイメージ写真を見て気がついたことがあった。

ベロがない・・・ 

おや?
もしや?と思って、机にある手元リモートコントローラーのベロを引っ張ってみた。 

びっくりするくらい簡単に、スルッと抜けた。
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ああ・・・

そういうことなのね。
要するにこれ、保護資材ね。
何のことはない、必要のないものをくっつけていたから上手く機能しなかったのだ。

それからというもの、手元リモートコントローラーの操作性は、抜群である。
レビューで評価されていた、その実力がよくわかるのである。
快適なこと、この上ない。

それにしても、今まで私は何をしていたのだろう。

しかし、人間って、案外そんなもんなのである。
ちょっとした気づきで、世界は一変する。
それに気が付かないために、不自由な生き方をしている。

気がついてみれば、何だよ・・・ということなのだ。

気づくのなら早いほうがいい。
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寒い・・・

だから何だということはない。
どうせ春は来るんだから、まあ良いではないか。

だって、こんなに美しい・・・
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とはいえ、やはり寒さの弊害というものもある。
昨日の朝、本堂へお参りに行ったら、マイナス5℃だった。
気持ちは完全に折れた。

正直に告白しよう・・・

今までにないくらいの高速な木魚でのお経を読み、そそくさと温かい部屋に逃げ帰った。
慈悲深い本尊様も許してくれるだろう。
だって、花だってこんな状態になってしまったのだから・・・
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堂内の生花は全滅である。
片付けようとしたが、花瓶の水がコチコチで花が抜けない。

まあ、良いではないか。
春は来るのだから・・・

生きていて辛いことがあったときには、つぶやいてみよう。

まあ、良いではないか、どうせ春は来るんだから・・・ 

当時、私は愛媛県の修行道場にいた。

5時46分52秒

私たち修行僧は朝の読経の最中であった。
被害が出るような揺れではなかったが、堂内が揺れた。

修行道場という場でもあり、誰もが平静を保ち粛々と読経は続いた。
ちょうど、お拝を繰り返すタイミングでもあったので、私たちは立ちくらみか?という思いすら抱いていた。

修行道場にはテレビがない。
新聞もない。
ただ、老師方の部屋には新聞が届けられる。

老師方を通じて、それが立ちくらみなのではなく、地震であったことを知った。
そして、その規模が甚大なることを知った。

それでも、私たちの修行生活は変わらなかった。
坐禅をし、読経をし、作務に勤しむ日常を淡々と送っていた。

三月になり、兄から父が危篤だという電話が道場にもたらされた。
急遽、私は東京の実家に戻ることになった。

ただ、新幹線は分断されたままだった。
分断区間はバスが繋いでいるらしいという情報を元に、私は電車に乗った。

事前の情報通り、途中駅よりバスに乗り換えた。
神戸の街中を走る車窓から見えたものは、瓦礫の山であった。

私は戦争を体験していない。
だが、戦場というものは正にこのような風景なのではないかと思った。

あれから28年が経った。

人は忘れる生き物である。
忘れるからこそ生きられるとも言える。

忘れられないとしたら、人の心は病むだろう。
だが、忘れたくても忘れられないものもある。

そして、忘れたくないものもある。
それがあるから生きられる、ということもある。

あれから28年。

世界は良くなっているのか。
あの時未来を失った人たちは、この世界をどう想うのか。

私たちの一歩は、その一歩を歩めなかった人達と共に歩む一歩でもあるのだ。
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R5 年賀お寺まいりについて
まあ、何かと慌ただしい今日この頃ではありますが、どうぞお寺にお越しください。

お寺なんかお参りして何かいいことあるのか?
そう思いのあなた!
悪いこと言いませんから、どうぞいらっしゃい。 

本日(1/9)に洞泉寺新年祈祷法要を行った。
昨年は自粛ムードで当日の参拝者が少なかったが、今年は多かった。

もう、自粛なんてしてられない、ということだろう。
それで良い。

洞泉寺の御祈祷の眼目は「因果を断ち切る」ことだと思う。

今の自分を作っている原因は何か?
何らかの原因があって、今の自分があるはずである。

では、その原因の原因は何か?
さらには、その原因の原因の原因は何か?

そう考えていくと、私たちは過去に縛られることになる。
今の自分の背後には膨大な原因があって、過去が変えられない以上、常にそれに縛られる。

こうなると、夢も希望も無いのである。

そんなの嫌だ。
絶対に嫌なのである。

ならばどうしたら良いか?

その因果の連鎖を断ち切ってしまえばよい。
それが、洞泉寺の御祈祷の眼目である。

断ち切って、そこから新たなスタートを切るのである。
過去なんか知ったこっちゃない。

そんなもの捨ててしまえ。
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