洞泉寺住職の日常

長野県伊那市美篶の曹洞宗 洞泉寺のブログです。

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いよいよ落ち葉が容赦なく降り注いできました。

それはまさに無尽蔵・・・
いくらでも降り注いできます。

とはいえ・・・
実際に無尽蔵であるわけはないので、なんとか頑張っています。
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でも、嫌いじゃないのですよ。
境内が清められてゆく感じが気持ちいいのです。

そして、籠に溜まってゆく落ち葉・・・
なんだか嬉しい・・・
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研修旅行で、大本山永平寺に拝登してまいりました。

その帰り道、金沢へ寄りました。
約30年前、私は一人で金沢に行ったことがありました。
当時の私は、底辺を彷徨っていました。

詳しいことは差し控えますが、精神的にはどん底でした・・・

今の私・・・
当時のようなことはありませんが、自分の中にその残滓がある・・・
そう感じていました。

バスの車窓から久しぶりの金沢の街並みを眺めながら、私は当時のことを思っていました。
そして、無意識に当時の痕跡を探し始めました。
そんな心の動きを感じながら、私は思いました。

いい機会だから、すべて手放してしまおう・・・

私は敢えて、意識的に痕跡を探し始めました。
泊まったホテルの名前を検索してみましたが、該当するところはありませんでした。
記憶違いか、今はもうないのか・・・

近江町市場に行った記憶は確かにあります。
そして、兼六園も・・・

しかし、当時の感覚が蘇ることはありませんでした。

「鈴木大拙館」に寄りました。
世界的な仏教学者であった鈴木大拙先生は金沢のお生まれです。
ここは初めて訪れました。

裏庭の池・・・
そこは「水鏡の庭」と名付けられていました。

精緻な静寂・・・
水鏡に同調してゆく心・・・

ポチャン・・・

池の奥の方で音がしました。
音の主を中心に広がってゆく波紋・・・

私が探していたものは、長年つかみ続けていた何か・・・

それは
恐れ・・・
不安・・・
  ・・・

その何かを手放してしまえば、もっと楽に生きられるのではないか・・・
もっと、自由に・・・
恐れることなく・・・

今なら手放せる・・・

それはどこにある?
探してみたが、見つからなかった。

意外だった・・・

・・・・

寺に戻って、本堂で一人坐った・・・

探していたものは見つからなかった・・・
それは、もうどこにもなかった・・・
つかんでいた手を放そうと思った・・・

しかし・・・
つかむことすら出来ていなかったのだ・・・

つかむことすら出来なかったものを、つかみ続けていると思い・・・
それを手放す方法を探してきた・・・

今なら出来る・・・
そう意気込んでいた自分がいた・・・

ところが、もうどこにもなかった・・・
どこにもないどころか、最初からつかむことすら出来ていなかった・・・

そうなのか・・・

坐る私が消えてゆく・・・

そうだったのか・・・
私たちは、つかむことすら出来ないのだ・・・

涙が頬をつたわった・・・

水鏡の庭のあの波紋は、もうどこにも無い・・・

学校の先生って大変だと・・・
本心からそう思います。

最近、時々息子(中学生)の勉強に付き合っています。
そこで感じることは、「先生は凄い!」ということです。

あの手この手で学習効果を上げようという熱意がヒシヒシと伝わってきます。
教科書や問題集だけではなく、プリントなどもあります。
そして、定期テスト対策まで丁寧に導いて下さっている感じです。

私の中学生時代とは雲泥の差のような気がします。
とはいえ、あの時代はあの時代なりに先生は頑張っていたハズ・・・

たとえば、T先生という数学の先生がおられました。
T先生は、生徒の気持ちを引き込むのが上手でした。

方程式の解き方を説明するときに黒板に、xプラスy二乗マイナス・・・と話しながら式を書いてゆくわけです。
それで、「=」のときに、独特の節をつけて「いこ~る♪」とやるのです。
毎回ここで笑いが起こるのです。

今思うと、さほど面白くないんですが、そこは中学生ですから・・・

ともあれT先生は、これで生徒の視線を集めることに成功していたのです。
しかし悲しいことに・・・
私たちの関心は「いこ~る♪」であって、肝心の方程式の解き方については興味がないという・・・

T先生のような熱心な先生もおられましたが、ほぼやる気のない(と思われる)先生も・・・

A先生の宝物は、古びた講義ノート。
授業開始の挨拶以降は、いたって無口なA先生。
私たちに背を向けて、左手に講義ノート、そして右手にチョーク。

カツカツカツ・・・
教室に響か渡るチョークの音。

ただひたすら黒板に書かれた文字を自分のノートに書き写すだけの私たち・・・
私たちはいつも思っていました。
その講義ノートのコピーくれよ・・・

Y先生は生物の先生でした。
当時はお爺ちゃんに見えましたが、もしかしたら50歳代位だったかもしれません。
この先生は、黒板を使うことはほとんどありませんでした。

ゆっくりと教室に入ってきて、椅子に座ります。
椅子の角度はちょっと斜め・・・
脚を組んで背もたれに寄りかかり・・・

しばしの沈黙のあと・・・

「この間、犬の散歩してたらねぇ・・・」

いつものように始まる世間話・・・
まるで縁側で日向ぼっこしているが如くに時間が流れてゆきました。
いつまでたっても始まらない授業。
そして・・・
キーンコーンカーンコーン・・・

しかし、そんな世間話(授業)を聞かされ続けていた私たちの生物の点数はいつも高得点・・・
なぜって?
だって、試験前に出る問題全部教えてくれるんですもん・・・

キノコの大家だった化学のN先生。
この先生が凄いのは、知らないキノコを自分で食べてみるところです。
正に人体実験・・・

そして、年に数回食中毒で学校を休むという・・・
凄いんだか凄くないんだか・・・

少々思い出話が長くなりましたが・・・
今の先生って大変だなぁ、と思います。
とても私には務まりません。

やっぱり先生は凄いのです。

毎年の行事ですが、10月8日に鎮守例祭を行いました。

鎮守さまとはお寺を守護する土地神や伽藍神のことです。
お寺は仏さまをお祀りするところであるわけですが、鎮守さまのような神様もお祀りしています。
まあ、権現さまっていう形ではありますが・・・

ところで・・・
「神様や仏様をお祀りする」ということに対して、何となく否定的な感覚を持っている人がいます。
「科学的ではない」という感じがしますよね。

しかし、これはとてももったいないことです。
「科学的ではない」ということで本質を切り捨ててしまっているからです。

日本は八百万の神々の国です。
すべてのものに神が宿っていると感じてきました。
これは素晴らしいことです。

でも、それを非科学的だとして排除してしまう「科学的な人」がいます。
残念なことです。

たとえば、火事を防ぐ火伏の神様や水害を防ぐ水神様などをお祀りしているお寺や神社があります。
「科学的な人」にとって、それらは無意味な施設かもしれません。

神様や仏様を擬人化してしまうと間違ってしまいます。

火や水を自在に扱う「神様的な存在」がいて・・・
その「神様的な存在」はちょっと怖い顔をしていて、ちょっと気難しい・・・
だから、お供え物をしたり、お経を読んだり、祝詞を奏上したりしてご機嫌をとらなくてはならない・・・

こんな感じで考えると、正に非科学的となります。
しかし、本質は違います。

この「神様的な存在」を「働き」と捉えることをお勧めします。
火の神様は火の働きの象徴です。
水の神様は水の働きの象徴です。

もっと言えば、火を火たらしめている働きです。
無から水を水として生じさせている働きです。

火や水の働きが正しく働くためには、その働きを最適に発動させる必要があります。
そうすることによって、火や水は正しく使われ、結果として火災や水害などの誤りを防ぐことが可能になります。

「科学的に」燃えない素材を開発すること・・・
「科学的に」治水工法を研究すること・・・
これらは必要なことです。
そして、先人たちの工夫努力によって、私たちの生活はより安全で快適になりました。

しかし、もっと本質的なことがあります。
そこの世界は、実は非常に科学的かつ論理的な世界なのです。
「気難しい神様的な存在のご機嫌を取る」などという世界ではありません。

ただ形式的に伝統を守っているだけではいけません。
されども、伝統の中に本質があることも確かです。
これからのお寺は、そこを外すと無意味な存在になる危険があります。
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待望の水洗トイレが完成いたしました。
じゃ~ん・・・
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この度の伽藍整備計画において、庫裡のトイレは7月に解体されました。
そこは、いまどき珍しい汲み取り式でした。

しかも・・・
男性が小便器を使用している後ろを女性が通って個室へ行くという・・・
お互いにプレッシャーを感じる、そんなトイレでした。

まあ、昔はそれでも良かったんでしょうけど・・・
いまどきそんなトイレって・・・
という話です。

そんなわけで・・・
「トイレをなんとかしてほしい!!!!!」
という声は年々高まってきていたのです。
そこで、総代会ではトイレの改修計画を検討していました。

・・・
これから先は、伽藍整備計画の経過にまつわる内容になります。
これを書き始めると長くなりそうなので、またあらためて書かせていただきます。

とにもかくにも、洞泉寺にも水洗トイレができたのです。
有難い・・・
皆様ありがとうございました。

とはいえ、まあ、ひとつだけですけどね・・・
しかし・・・

0から1は大きな一歩なのです。
1から2は大したことはありません。

これは人生の法則です。

なんでも最初は大変です。
今、新たな環境で頑張っている方・・・
新たな第一歩を踏み出した方・・・
そして、こんなことでやっていけるのだろうか?と不安になっている方・・・

大丈夫です。

最初の壁はとてつもなく厚いのです。
だけど、それを破った後の2番目の壁は案外薄いのです。
3番目の壁に至ってはペラペラです(笑)

最初からこんなに大変なんだから、この先どうなってしまうのだろう・・・
多くの人はそう考えます。
でも、それは大きな誤解です。

実は、この目の前の壁を破ってしまえば、あとはどんどん楽になるだけです。
そんなもんです。

学生時代にやったドリルは、最初は基礎問題で段々難しくなっていきました。
しかし、人生は違います。

今目の前に立ちはだかる問題が、実は最難問なのです。
これを超えたら、あとは大したことない。

あれ?
トイレの話だったのに・・・

しかも、これって、10月に書く内容じゃなかったな・・・
4月に書けばよかった・・・

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