洞泉寺住職の日常

長野県伊那市美篶の曹洞宗 洞泉寺のブログです。

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申し上げたいことは、題名の通りなのである。

そもそも自分の力でなんとかしようなどと、実におこがましいのである。

人事を尽くして天命を待つ。

これも気に食わない。

天命に従うが故に人事をなす、なのである。 

だが、実はこの天命に従うのが難しかったりするのだ。
故に、人事を尽くすことが必要になる。
人事を尽くしまくってヘトヘトになった時に、人はようやくあきらめがつく。
あきらめると、結果的に余計なものがゴッソリ落ちて、そこに天命が姿を表すのだ。 

しかし、このやり方はもう古い、古すぎる。
そんなまどろっこしいことをやっている場合ではない。
無駄なことはやめようではないか。

ではどうすればいいのか。

方法は簡単である。
天命に従うと決めてしまえば良いのだ。
何が天命なのかなどと考える必要はない。
探さなくても、もう知っているのだから。

みんなが天命を生きたとき、どんな世界が創造されるのだろう?
想像してみて欲しい。
絶対いい世界だから。
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貴方はもう忘れたかしら
赤い手拭マフラーにして
二人で行った横丁の風呂屋・・・

言わずもがな、「かぐや姫」の『神田川』の歌詞である。
と言っても、若い方は知らないと思う。

もっとも、『神田川』は私の世代ではない。
なにせ昭和48年の曲である。
私はまだ小学生なので、あんな歌詞が心に響くわけもない。

ではあるが大学時代の友人は東池袋のトイレ共同の安アパートに住んでいた。
当然、風呂などあるわけもなく銭湯通いをしていた。
時代はバブルであったが、まだまだそんな『神田川』的なムードも無きにしも非ずであった。

何故今更『神田川』なのかというと、「かぐや姫」の南こうせつの実家がお寺だから・・・というわけではない。
これである↓
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かぐや姫に見えない?

見えないか・・・

裏庭に生えたタケノコである。
昨年切った竹の切り株の中に、新しいタケノコが生えてきたのである。

かぐや姫を育て始めた翁は、それから竹の中に金を見つける日が続き、夫婦は豊かになっていったという・・・

何かを期待させるではないか・・・

そんな煩悩丸出しの期待を知ってか知らずか、その後、かぐや姫は順調に成長した。
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こうなると、もうかぐや姫の可愛らしさは無い。
娘の成長は早いのである。
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そして今では、まるでロケットである。
月へ帰る気満々である。

もうこうなっては、私の煩悩が満たされることはないな。

タケノコだけに、期待させるダケで終わったとさ・・・

お後がよろしいようで・・・




 

先日の葬儀でのこと・・・

葬儀ホールの駐車場で私を出迎えてくれた葬儀社のMさん。
Mさんはとても真面目な方である。
スタッフの中では中堅どころの年齢である。

そんなMさんが、私が車から降りるや否やこう言った。

「すみません、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

少々会場入りが遅かった私は、時間も気にはなったが、神妙なMさんの表情を読み取り、足を止めた。
なんだろう?
何か困ったことでも起きたのだろうか?

Mさんは、私の晋山式の時も、そして先代の葬儀の時も担当者としてご尽力いただいた。
その誠実な人柄から、私はとても信頼している。
私で力になれることがあれば、なんなりと言ってくれ、という気持ちでいる。

「いいですよ、なんでしょう?」

「洞泉寺様のご出身は、東村山市ではありませんでしたか?」

「いえ、東村山市の隣の清瀬市です。」

思いがけない質問であった。
Mさんに私の出身地の話をしたことがあったのだろうか?
微妙に記憶違いをしていたようだが、それはどうでも良い。
相変わらず神妙なMさんの表情の方が気になるのである。

「どうかしましたか?」

私は、少々逡巡している様子のMさんの背中を押すように尋ねた。

「もしかしたら・・・」

「・・・はい?」

「志村けんの実家の場所とかご存知かと思って・・・」

「・・・・・・・いやあ、知りません・・・・・近くだとは思いますけど・・・・・」

それ?

それをそんな顔で聞く?

その顔は、「お檀家の〇〇様がお亡くなりになりまして」とか、「私今月で会社を辞める事になりまして」とかのやつだったし。
まあ、志村さんはお亡くなりになられて、決してライトな話題ではないけれども。

「いや、もしかしたらご存知なのかなあ・・・と思いまして・・・」

完全に、「案外実家はフツーだよ〜」とか、「けんさんがお金出したらしくて豪邸だよ〜」ってのを期待してたよね。

小学生かよ・・・

Mさん、そんな貴方が大好きです。
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チーズ?

違います、餅です。
悪病退散祈祷でお供えしたお餅を八等分したものです。

昨日「悪病退散祈祷法要」を行いました。
すでにお知らせの通り、今回は総代会と婦人会の各三役さんに檀家様を代表してご参列いただきました。
法要後、お供え物のお餅を切り分けて、皆さんにお持ちいただきました。

「アルプスの少女ハイジに出てくるようなチーズみたい」(家内の感想)
「トムとジェリーに出てくるようなチーズみたい」(私の感想)

それはそれとして、今は間違いなく時代の変革期だと思います。
変革期に必要なのは「自由さ」です。

私たち僧侶は未だに着物を着て草履を履いています。
まさに時代に取り残された感じです。

そんな時代遅れの私は昔、衣(ころも)に下駄履きで名古屋の街を歩いたことがありました。
地上の道はまだなんとかなりましたが、地下道は歩くたびにカランコロンと音がして困りました。
下駄は現代には不向きなのです。

今は下駄や草履を作る仕事をしている方は少数でしょうが、昔は大勢おられたのです。
下駄屋さんは靴屋さんに変わりました。
しかし、すべての下駄屋さんが靴屋さんになったわけではありません。

下駄から靴へと時代が変わった時、「俺は下駄屋だ」と考え、下駄に固執していた方の多くは廃業していったのです。
それに対し「俺は履物屋だ」と考えていた方は、今度は靴を売って商売繁盛したのです。

この両者は何が違うのでしょう。

「自由さ」です。

自由度で言えば・・・

下駄屋 < 履物屋

なのです。

さらに自由度を上げた仕事の捉え方をすると・・・

下駄屋 < 履物屋 < 「快適な歩行を提供する仕事

という、新たな仕事の概念が生まれます。
「快適な歩行を提供する仕事」であれば、ウォーキングに関することも仕事になります。
もっといきます。

下駄屋 < 履物屋 < 快適に歩くことを提供する仕事 < 「人を幸せにするための仕事

こうなると、もう仕事の範囲は無限大です。
これを図に表すと、こんな感じになります。
下駄屋の図形

変革期に必要なのは「自由さ」です。

あらためて問いかけてみてはいかがでしょうか。

自分は何屋なのか?ということを。
自分は何屋でありたいのか?ということを。

も一度、上の図を見てください。
あなたは下駄屋の円の中に自分を押し込めていませんか?

恐れる必要はありません。
未来は自分で描けばいいのです。
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新型コロナウイルスの影響で毎年恒例行事である『大般若祈祷法要』が開催困難になりました。

昨年はこんな感じでした↓
平成31年大般若祈祷法要 

今年もいつも通り祈祷法要の準備をしていました。
さらに昨年好評だった落語会を今年も第2回として行う予定でした。

ところがこの騒ぎです。
新型コロナウイルス感染拡大回避のため、落語会どころか祈祷法要も例年のような形では行えない状況となりました。

ではありますが、こんな時こそ御祈祷が必要なのであって、すごすごと引き下がる訳にはいかんのです。
しかし「大般若祈祷法要」を行うには少なくとも12人の僧侶を集めなくてはいけません。
それが不可能な状況ゆえに、近隣の寺院のほとんどで「大般若祈祷法要」が中止となりました。

ならば私一人でできる御祈祷をやればいい・・・

「大般若祈祷法要」は無理でも「悪病退散御祈祷」なら私一人でも行うことができます。
有難いことに、総代会と婦人会の各三役さんが協力してくださることになりました。

例年は当日ご参列の方々にお納めいただく御祈祷料にて御祈祷を行なっておりました。
そして御祈祷札を当日お参りの方々にのみお分けしておりました。
しかし今年はそもそもお参りの方を集わない形式で行います。
そうなると御札の扱いをどうするか?ということになります。

お参りの方がおられないのだから御札も用意しないという方法もあります。
されど御札というのは、御祈祷においてはとても重要な役割があるのです。

御札が貼られたお宅には一つの結界ができます。
それぞれのお宅に貼られた結界は結ばれ、大きな結界となります。
軒数が増えれば増えるほど、大きな結界となります。 

そして皆さんと一緒に結界を張るとともに、そのネットワークから「悪しき病を退散せしめる」という意志を発信するのです。 

これが今回の「悪病退散祈祷」の趣旨です。 

御祈祷の意志を明確にするために、新しく御札を作りました。↓
悪病退散札
 これを御祈祷後にすべてのお檀家さんにお配りいたします。
この御札はリビングや玄関などの目線より上の壁等にお貼りください。

今回は希望を募ることなく、私の一方的な意志でお配りいたします。
言わば御札の押し売りです。
ですから御祈祷料は無料といたします。

ですが、この趣旨にご賛同くださる方には、金額の多少にかかわらずご協力いただけましたら望外の喜びでございます。
その場合は、「お布施」としてお寺にお持ち頂けましたら有難いです。

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