久しぶりに株以外の話をブログに投稿しようと思う。
先日Twitter、Xで「常識や道徳を身につけてても、いじめらる、女から見向きもされない、糞だ。俺はサイコパスになる」的な発言がバズっていた。それに対してわかる的な賛同のコメントが多数寄せられていた。
このブログはToushikaYによる日本個別株短期投資のブログである。
まず、人間にはランクがある。うんこ・糞の世界の住人から早く大人にならなければならないわけだが、うんこ・糞の世界の処世術を以下に示す。このブログは複雑で難しいことが理解できる人間だけが読めばよいし、この世は複雑で単純ではない。ましてや人間のランクや性質などは非常に複雑で、どれだけ精緻に区分をしたところで、例外や漏れがある。その上であえて、処世術としておさえるべきポイントをおさえるために、以下のように人間を区分する。自分がどこに当てはまるか、どうすべきか、「生きにくい」と感じてる人は参考にされたい。
核になるのは、「他人に興味関心があるか」と「他人に善行を行うかどうか」である。
「うんこの世界」と「糞の世界」、「大人の世界」と大きく分類をわけた。
まずは「うんこの世界」を見てみよう。
とくに説明はしなくても表を見ればわかるが、いじめらてる人間はまずはいじめらないことを目指すべきである。正義の概念をもって生きていても、他人に善行を行わないのであれば、いじめらる人間はいじめられる。正義の概念もないクズはもっとひどい世界でもっとひどい扱いを受ける。いじめはよく「おもいっきりやり返せばやられなくなる」と言われているが、厳密にいうとこれは間違いで「いじめをする糞をどつきまわす」という行動が「他人への善行」に当てはまるために、いじめは止むのである。つまり、いじめを目撃したら、自分がいじめられていても、それをやめさせる、という行動が必要で、それができないなら、善行をしないクズなので、運が悪いと自分がいじめられてしまうのだ。いじめられなくなっただけでは、まだうんこの世界の住人である。そこからのちに説明する本当のエリートを目指さなければならない。
これが「うんこの世界」である。
次に「糞の世界」を見てみよう。以下の通りである。
糞の世界のヒエラルキーのトップはパワハラをする人間である。いじめに加担する人間や主導する人間は糞である。いじめはするな。まずはパワハラができる人間を目指す、つまり「力」を身に着けるべきである。糞の連中も、他人に善行を施さないことがポイントだ。善行を施さず、力もない人間が、正義や倫理を語っても、それは実体を伴わない空虚な戯言である。SNSで、己は何もせず大した納税もしない癖に、社会全体に対して「弱者をいたわれ」的なことを声高に言う人間は、糞の世界の「ただの痛い奴」に属している。まぎれもない糞の世界の住人であり善人ではない。
以上が、「うんこの世界」と「糞の世界」に住む住人である。
共通するのは、他人へ「善行を行わない」ことである。
次に大人の世界を見てみよう。
この世は大人によって運営されている。大人の世界では、他人に興味関心を持ち、善行を行うことができる人たちの集まりである。多数の一般人は、集団で同じような行動をとることで、1+1が3になるような感じで、徒党を組むことで全体として「力」を持つに至っている。まともな社会生活を営み、「他人に関心を持ち」「善行を行っている」なら、力がなくても、個人として何も心配をすることはないのだ。日々、身近な人に関心を持ち、他人にも親切に接すればよい。
しかしながら、道徳心が欠如している突然変異のフリーライドも一定の割合で発生し、これが反社である。反社も善行を行うのは、求心力が求められるからである。うんこや糞に誰もついていかないのは当たり前である。反社がいい人そうに見えるのはこういうからくりである。いい人そうに見ても反社は関わってはならない。
他人への興味関心があれば他人に働きかけることになるので、この過程で「力」を持つことになる。また、善行を行っていれば、「善行人のためならず」で自分に何かしらプラスの影響がかえって来る。
最終的には「適切な正義の感覚と、倫理観、公平感を持ち、他人への善行を行うだけの力、つまり余裕を持っている」エリートになるべきである。これが真のエリートである。勉強ができる、資格や肩書があることをエリートだと勘違いしる糞は、エリートではないので、うんこや糞の世界へ帰れ。これが人間の「格」であり、人格形成の最終形態である。できれば大人になる前の二十歳までには達成されたい。エリートはすべてを手に入れる。後に色々な実利を得ていくことになるので、近視眼的に人間の格を落とすようなことはしてはならない。
先日Twitter、Xで「常識や道徳を身につけてても、いじめらる、女から見向きもされない、糞だ。俺はサイコパスになる」的な発言がバズっていた。それに対してわかる的な賛同のコメントが多数寄せられていた。
このブログはToushikaYによる日本個別株短期投資のブログである。
まず、人間にはランクがある。うんこ・糞の世界の住人から早く大人にならなければならないわけだが、うんこ・糞の世界の処世術を以下に示す。このブログは複雑で難しいことが理解できる人間だけが読めばよいし、この世は複雑で単純ではない。ましてや人間のランクや性質などは非常に複雑で、どれだけ精緻に区分をしたところで、例外や漏れがある。その上であえて、処世術としておさえるべきポイントをおさえるために、以下のように人間を区分する。自分がどこに当てはまるか、どうすべきか、「生きにくい」と感じてる人は参考にされたい。
核になるのは、「他人に興味関心があるか」と「他人に善行を行うかどうか」である。
「うんこの世界」と「糞の世界」、「大人の世界」と大きく分類をわけた。
まずは「うんこの世界」を見てみよう。
とくに説明はしなくても表を見ればわかるが、いじめらてる人間はまずはいじめらないことを目指すべきである。正義の概念をもって生きていても、他人に善行を行わないのであれば、いじめらる人間はいじめられる。正義の概念もないクズはもっとひどい世界でもっとひどい扱いを受ける。いじめはよく「おもいっきりやり返せばやられなくなる」と言われているが、厳密にいうとこれは間違いで「いじめをする糞をどつきまわす」という行動が「他人への善行」に当てはまるために、いじめは止むのである。つまり、いじめを目撃したら、自分がいじめられていても、それをやめさせる、という行動が必要で、それができないなら、善行をしないクズなので、運が悪いと自分がいじめられてしまうのだ。いじめられなくなっただけでは、まだうんこの世界の住人である。そこからのちに説明する本当のエリートを目指さなければならない。
これが「うんこの世界」である。
次に「糞の世界」を見てみよう。以下の通りである。
糞の世界のヒエラルキーのトップはパワハラをする人間である。いじめに加担する人間や主導する人間は糞である。いじめはするな。まずはパワハラができる人間を目指す、つまり「力」を身に着けるべきである。糞の連中も、他人に善行を施さないことがポイントだ。善行を施さず、力もない人間が、正義や倫理を語っても、それは実体を伴わない空虚な戯言である。SNSで、己は何もせず大した納税もしない癖に、社会全体に対して「弱者をいたわれ」的なことを声高に言う人間は、糞の世界の「ただの痛い奴」に属している。まぎれもない糞の世界の住人であり善人ではない。
以上が、「うんこの世界」と「糞の世界」に住む住人である。
共通するのは、他人へ「善行を行わない」ことである。
次に大人の世界を見てみよう。
この世は大人によって運営されている。大人の世界では、他人に興味関心を持ち、善行を行うことができる人たちの集まりである。多数の一般人は、集団で同じような行動をとることで、1+1が3になるような感じで、徒党を組むことで全体として「力」を持つに至っている。まともな社会生活を営み、「他人に関心を持ち」「善行を行っている」なら、力がなくても、個人として何も心配をすることはないのだ。日々、身近な人に関心を持ち、他人にも親切に接すればよい。
しかしながら、道徳心が欠如している突然変異のフリーライドも一定の割合で発生し、これが反社である。反社も善行を行うのは、求心力が求められるからである。うんこや糞に誰もついていかないのは当たり前である。反社がいい人そうに見えるのはこういうからくりである。いい人そうに見ても反社は関わってはならない。
他人への興味関心があれば他人に働きかけることになるので、この過程で「力」を持つことになる。また、善行を行っていれば、「善行人のためならず」で自分に何かしらプラスの影響がかえって来る。
最終的には「適切な正義の感覚と、倫理観、公平感を持ち、他人への善行を行うだけの力、つまり余裕を持っている」エリートになるべきである。これが真のエリートである。勉強ができる、資格や肩書があることをエリートだと勘違いしる糞は、エリートではないので、うんこや糞の世界へ帰れ。これが人間の「格」であり、人格形成の最終形態である。できれば大人になる前の二十歳までには達成されたい。エリートはすべてを手に入れる。後に色々な実利を得ていくことになるので、近視眼的に人間の格を落とすようなことはしてはならない。