健康・貧困・格差

2023年05月01日

和僑

『和僑』榆周平(著)
 『プラチナタウン』から、8年後。北海道の緑原町に、豊かな老後がコンセプトの巨大定住型老人施設プラチナタウンができて4年。町には、活気が生まれてきた。町長山崎は、緑原に活気が出てきた。農業の衰退と、高齢化、そして独身の農民が、中年になってきている。このままだと20年後、30年後の緑原はどうなるのか?プラチナタウンの入居者は8000人、施設関連の雇用者が600人になった。
 シニアを対象とした介護市場も、2035年にはピークアウトする。プラチナタウンの増設を希望する町議がいる。しかし、20年も経てば、老人はいなくなってしまう。プラチナタウンを増築したとしても、空室になることが見えている。
では何をすべきなのか?
 緑原町出身で、アメリカでレストランチェーンをしている時田隆が孫娘のジュリーを連れて、緑原の実家を処分することで、来ていた。
 孫は、日本の食を味わうことを目的として、日本各地を回る。日本の食文化は大きな可能性がある。
そこで、和牛は、脂っこくて健康に良くないという。ハンバーグ、コロッケ、トンカツ、お好み焼き、たこ焼きなどB級グルメに感心し、アメリカに持ち込むことができないかと考え始める。
当初は、山崎の実家の日本酒をアメリカに持ち込もうとしていた。
緑原町の役場、産業振興課の課長を務めるのが、 38歳の工藤登美子。
山崎町長と時田は共同出資で、新たな事業を思い立つ。 緑原町特産の牛肉と野菜を加工して、米国に持ち込み、 B級グルメのレストランの開設を企てる。
それから、緑原の農産物を運ぼうという話から、緑原で、加工食品を運んだらどうかという話になった。山崎は、町長を続けるか、加工食品会社を作るのかを悩む。
 東北においても、再生するためには、農業が鍵を握っている。農家ではなく、農業経営ということが重要なのだ。面積を大規模化して、雇用を作り出す。そのために、どんな農業を組み立てるのか?
農業の問題は、収穫時しか収入がない。そのためには、多品種少量生産で周年収穫できる作物を作る。しかし、物流の問題が多い。花にしても、果菜にしても、水と空気を運んでいる。そのために、6次化も必要だ。若者の力で農業を強くしながら、切り開いていくことが求められる。
 地方創生を『和僑』というキイワードで取り組もうとするが、創造農村という切り口で取り組んでみたらどうだろうか。楡周平よ。徳島県神山町の神山まるごと高専を作り上げた実例も生まれている。
日本の農村は、まだまだやるべきことがある。
#楡周平 #地方創生

【メモ】
人間、歳とともに情熱は失せ、理想よりも現実を見据える、
どこか達観した気持ちになる。

記:2018/12/29


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2023年04月25日

プラチナタウン

『プラチナタウン』楡周平(著)
 団塊の世代が定年となり、老後をどうするかを真剣に向き合う作品。2008年の作品。
四井商事に働く、山崎鉄郎部長は一貫として穀物を担当してきた。それが子会社に出向するように言われる。また郷里である宮城県の緑原町の役場に勤める幼なじみのクマケン:熊澤健二が、150億の赤字を抱えているので、町長になってくれと依頼する。
 酔っぱらった時に町長になってもいいという山崎。そこから始まる町長としての格闘。
小さな街の町議のレベルの低さ。ドンの存在。クマケンの公務員的な発想と保身主義。
 山崎はそれに戦いながら老人介護の郷を作ろうと奮迅する。たまたま四井商事が老人介護と老齢化する都市を総合的にケアーするプロジェクトを立ち上げていた。
 確かに団塊の世代は田舎から都市へ。そして大家族から核家族へと生活のスタイルを変えてきた。
その中で、老後をどう迎えるのか。動ける時にはいいが 寝たきりになったらどうするのか。
 2022年、オトコは平均寿命81歳を超え、女子は87歳になったという。
60歳で定年したあと、20年も悠々自適の生活をする予定だったが、年金では生活できない時代となった。晩年をどうするのかと考えるだけでも意味がある。
 物語としては 波瀾万丈がない。
山崎がもっと窮地に追い込まれるとおもしろいのだが。
①3万坪を、ビジネスをする会社に無償で貸すということは現実に可能か?
→そのことを県が邪魔したりするとおもしろい。
②町の重要な情報がカマタケに流出するが、一体だれが流したのか?
→クマケンが流したりして?
③カマタケが、京都大出身の総合職の渡部の根性焼きにしゅんとなっちゃうってあり得ないと思うが。それで、パチンコというのも芸がないね。
まぁ。ハッピーになってよかった。
 2012年にはWOWOWの「連続ドラマW」でテレビドラマ化された。ドラマの主人公は、大泉洋が町長となった。舞台は、宮城県から北海道に移された。ふーむ。それが伏線となって、お兄ちゃんが与党市長を破っての函館市長に当選。「弟のおかげ」というお兄ちゃんが、なんとも言えず気持ちいい。
函館が、プラチナタウンとなるか?

記:2015/01/19

これは 沖縄の 嘉手納基地の跡地利用に 使えるかも。



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2022年01月19日

蟹工船

蟹工船 小林多喜二(著)

【内容】
蟹工船(かにこうせん)
カニを漁獲し、船上で缶詰に加工する工場施設を備えた漁船(工船)。
小林多喜二の小説。1.が作中の舞台となっている。本項で詳述する。
『蟹工船』(かにこうせん)は、文芸誌『戦旗』で1929年(昭和4年)に発表された小林多喜二の小説である。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されている。
1929年3月30日に完成し、『戦旗』5月号・6月号に発表。「昭和4(1929)年上半期の最高傑作」と評された。『蟹工船』の初出となった『戦旗』では検閲に配慮し、全体に伏字があった。6月号の編が新聞紙法に抵触したかどで発売頒布禁止処分。1930年7月、小林は『蟹工船』で不敬罪の追起訴となる。作中、献上品のカニ缶詰めに対する「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」という記述が対象であった。戦後1968年、ほぼ完全な内容を収めた『定本 小林多喜二全集』(新日本出版社)が刊行された。
この小説には特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的である。蟹工船「博光丸」のモデルになった船は実際に北洋工船蟹漁に従事していた博愛丸(元病院船)である。
あらすじ
「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用される、漁獲物の加工設備を備えた大型船である。搭載した小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに母船で蟹を缶詰に加工する。その母船の一隻である「博光丸」が本作の舞台である。
蟹工船は「工船」であって「航船」ではない。だから航海法 は適用されず、危険な老朽船を改造して投入された。また工場でもないので、労働法規も適用されなかった。
そのため蟹工船は法規の空白域であり、海上の閉鎖空間である船内では、東北一円の貧困層から募集した出稼ぎ労働者に対する資本側の非人道的酷使がまかり通っていた。また北洋漁業振興の国策から、政府も資本側と結託して事態を黙認する姿勢であった。
情け知らずの監督である浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らは劣悪で過酷な労働環境の中、暴力・虐待・過労や病気で次々と倒れてゆく。ある時転覆した蟹工船をロシア人が救出したことがきっかけで、労働者達は異国の人も同じ人間と感じるようになり、中国人の通訳も通じ、「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と知らされるが、船長がそれを「赤化」とみなす。学生の一人は現場の環境に比べれば、ドストエフスキーの「死の家の記録」の流刑場はましなほうという。当初は無自覚だった労働者たちはやがて権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキ闘争に踏み切る。会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、接舷してきた駆逐艦から乗り込んできた水兵にスト指導者たちは逮捕され、最初のストライキは失敗に終わった。労働者たちは作戦を練り直し、再度のストライキに踏み切る。
現実の蟹工船
実際の蟹工船。「北洋の監獄部屋」、「監獄船」、「地獄船」、「海のタコ部屋」などと呼ばれていた。
夏場の漁期になると貨物船を改造した蟹工船と漁を行う川崎船が北方海域へ出て三ヶ月から半年程度の期間活動していた。 蟹工船は漁をしていない期間は通常の貨物船として運行しており、専用の船があったわけではない。 蟹の缶詰は欧米への輸出商品として価値が高かったため、大正時代から昭和40年代まで多くの蟹工船が運航されていた。
1926年(大正15年)9月8日付け『函館新聞』の記事には「漁夫に給料を支払う際、最高二円八〇銭、最低一六銭という、ほとんど常軌を逸した支払いをし、抗議するものには大声で威嚇した」との記述がある。逆に、十分な賃金を受け取ったという証言もある。「脱獄王 白鳥由栄の証言」(斎藤充功)において、白鳥由栄(1907年生まれ)は収監以前に働いていた蟹工船について「きつい仕事だったが、給金は三月(みつき)の一航海で、ゴールデンバット一箱が七銭の時代に三五〇円からもらって、そりゃぁ、お大尽様だった」と述べている。大正15年に15歳で蟹工船に雑夫として乗った高谷幸一の回想録では陸で働く10倍にもなると述べているが、単調な1日20時間労働で眠くなるとビンタが飛ぶ過酷な環境で大半は1年で辞めるところ、高谷幸一は金のために5年も働いたと証言している[9]。漁夫雑夫でも米1日八合が支給され、食事量は陸上よりも多く、幹部は乾燥鶏卵やハムなどが食べられ、当時としては食事は良かった。
小説発表後も1930年(昭和5年)にエトロフ丸で、虐待によって死者を出した事件も起きている[10]。1930年9月19日の出漁中、漁夫に20時間労働を強制し、死者十数人を出した蟹工船エトロフ丸が函館に入港し、首謀者が検挙された。
高い給料を貰える代わりに睡眠時間は短く、狭い漁船の中で何カ月も過ごさなくてはならず(監禁に近い)、ストレスや過労により精神がおかしくなり、陸では温厚な人物ですら、鬼に変えてしまうほど精神的に追い詰められていた。
蟹工船形式の操業は戦後も続き、1970年代、200カイリ経済水域の設定による北洋漁業廃止まで行われていた。
再脚光
再脚光のきっかけは作者の没後75年にあたる2008年(平成20年)、毎日新聞東京本社版1月9日付の朝刊文化面に掲載された高橋源一郎と雨宮処凛との対談といわれる[11][12]。同年、新潮文庫『蟹工船・党生活者』が古典としては異例の40万部が上半期で増刷され例年の100倍の勢いで売れた。5月2日付の読売新聞夕刊一面に掲載[13]。読者層は幅広いが、特に若年層に人気がある[14]。毎日新聞等では、日本共産党党員が近年増加しているのは蟹工船等の影響もあるのではないかと論じられた[15]。2008年の新語・流行語大賞で流行語トップ10に「蟹工船(ブーム)」が選ばれた[16]。 2006年(平成18年)以降、イタリア語版、韓国語新訳版、台湾からの中国語新訳版、大陸での中国語旧訳再版、「マンガ蟹工船」と合本の中国語新訳版、フランス語版、スペイン語版などが各地で出版されている。
島田雅彦は「労働現場からのベタな報告でしかない」「はっきり言ってあまり面白くない」と評している。
舞台版
1930年 - 新築地劇団が上演(タイトルは「北緯五十度以北」だった)。
1968年 - 東京芸術座が初演。全国巡演へ。演出は村山知義。脚本は大垣肇。美術は松下朗。
1983年 - 東京芸術座が再演。
1987年 - 劇団はぐるま座が上演。
2009年 - 劇団俳優座が上演。脚本・演出は安川修一。
2010年 - 東京芸術座が上演。脚本は大垣肇。演出は“村山知義による”印南貞人・川池丈司
漫画版
マンガ蟹工船を閲覧する
「マンガ蟹工船」 - 白樺文学館 多喜二ライブラリー (作画: 藤生ゴオ、解説: 島村輝)
東銀座出版社版 - 2006年(平成18年)刊行。帯に井上ひさしの推薦文があった。講談社+α文庫から2008年(平成20年)に再刊。両者とも解説は島村輝。
2007年(平成19年)9月27日、白樺文学館多喜二ライブラリーにて無料公開された[18]。
イースト・プレス刊「まんがで読破」シリーズのひとつとして、2007年(平成19年)10月に発売。特に主人公のいない群像劇である原作に対し、森本という労働者が主役に据えられている。
新潮社『週刊コミックバンチ』2008年38号(8月発売)より2008年10月まで、原恵一郎・作画による連載があった。
『劇画 蟹工船 覇王の船』(作画:イエス小池) - 宝島社文庫より2008年10月に発売。
『僕らの蟹工船 小林多喜二『蟹工船』より』KADOKAWA『月刊コミックビーム』にて唐沢なをき・作画による連載があった。『蟹工船』をモチーフとしたギャグ漫画であり、原作とは大筋が似ているだけである。
『新約カニコウセン』白泉社『ヤングアニマル』2021年12号より原田重光・原作、真じろう・作画による連載があった。

映画の蟹工船の感想
【映画・レビュー】
カムチャッカ沖で蟹を獲り、
そのまま船内で缶詰に加工する蟹工船・博光丸。
そこでは出稼ぎ労働者たちが劣悪な環境の中、
支配されるものたちによって おもいのままに搾取され、
逃げ場のない絶望にさらされていた。

大正・昭和という時代
労働者が正当なニンゲンとして
扱われていない。 

蟹工船のかにの作業場から・・・始まる。画面は暗い。
日本とロシアの戦いである 蟹工船。
軍まで 警備に当たる。
沈没しようとする船から SOSがくる。
船長が救助に行くというが、船主(西島秀俊)は 操業を辞めるな。
船長に向かって『お前はクソ場の紙の値打ちしかない』という。
沈む船には十分な保険がかけてあるという。
働くものたちは 来世にしか 思いを遂げることができない。

「この世に平等なんてない。俺たちは 一生勝てない。
自分の最後は自分できめたい」

ひょんなことから偶然ロシア船に救助された新庄は、ロシアの楽しげな踊りに目を奪われる。
そこであった通訳に一人一人が考えるんだという。

再び蟹工船に舞い戻ると、
そんな中、一人の漁夫・新庄(松田龍平)が立ち上がる。
労働者 たち一人ひとりに、行動しなければ何も変わらないと力強く訴えかけるのだった。
「あきらめるには まだ早すぎる。われわれは 立ち上がらなければならない」
と松田龍平は言う。

それに触発されて、いったい何になりたいかを語る。
ふーむ。
今の時代に 蟹工船が マッチするとは、不思議な現象である。

貧富の格差から平等にする方法論はない。

【レビュー】
『蟹工船』小林多喜二(著)
西村賢太の『苦役列車』を読んで、なぜか、この本を読みたくなった。
昭和4(1929)年に発表された。伏せ字があり、その後発禁ともなった。献上品のカニ缶詰めに「石ころでも入れておけ! かまうもんか」という言葉が、不敬罪となり逮捕され、獄死する。
カムチャッカ沖で蟹を獲り、そのまま船内で缶詰に加工する蟹工船・博光丸。
働く人は400人を超える。そこでは出稼ぎ労働者たちが劣悪な環境の中、船主や監督たちによっておもいのままに支配され、逃げ場のない絶望にさらされていた。
「おい地獄さ行ぐんだで」と物語は始まる。
蟹工船は「工船」であって「航船」ではない。だから航海法 は適用されない。また工場でもないので、労働法規も適用されなかった。そのため蟹工船は法規の空白域でとなっているが、ロシアのまじかであり、帝国の軍隊が守っていた。カニを取ることは、日本帝国の大きな使命であり、天皇陛下のためだという。「日本男児の意地を見せよ」と過酷な労働を強いる。また、海はウサギが飛ぶほど、荒々しく、大きく揺れている。蟹工船の中のひどい環境の描写が巧みである。
食堂には、「飯のことで文句をいうものは、えらい人間にはなれぬ。不自由と苦しさに耐えよ」
監督は鮭ゴロシの棍棒を持って、大声で怒鳴り散らしている。「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け」という。監督は、そこで働いている人をニンゲンだと思っていない。漁夫や雑夫が死ぬことをなんとも思っていない。死と隣り合わせの生活。
ロシアに漂流した漁夫が、ロシア人の家庭で「貧乏な人、プロレタリア。日本は働かない人が金持ち。ロシアは働く人ばかり。ずるい人いない。人の首占める人いない。働かないで、金持ちをプロレタリアがやっつける」と言われるのだ。そのことは、真っ当だと思って、漁夫や雑夫の中にそのことが浸透する。西村賢太の『苦役列車』は、この働く人の一緒に戦うというものがなく、分断され、貧しいもの同士が足を引っ張り合う。そこには希望がなく、ヘルスに行くのが楽しみになる。時代の変化を感じる。
『蟹工船』では、「殺されたくないものは来れ」というチラシで働く人がストライキに立ち上がるが、結果としてリーダー9人が連行される。それでも、「もう一度」で物語は終わる。
格差社会が、ますます進み、下流層の人の増大、中流層の下流化。労働に対して、収入は減っている。一人一人が、政治と社会への無関心、孤立化、分断されている中で、希望とは何か。それを100年前の小林多喜二が考えていることに改めて読む意味があった。

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2020年12月25日

女性たちの貧困 

貧困 
女性たちの貧困 “新たな連鎖"の衝撃 単行本 – 2014/12/16
NHK「女性の貧困」取材班 (著)

アマゾン内容紹介
大反響を呼んだ「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」、待望の書籍化
やがて母となる若い女性が不幸な社会に、未来はない
放送後に番組サイトのページビューが通常の約75倍となる大反響を呼んだ、
NHKクローズアップ現代『あしたが見えない~深刻化する若年女性の貧困~』(2014年1月放送)、
続編のNHKスペシャル『調査報告 女性たちの貧困~“新たな連鎖"の衝撃~』(2014年4月放送)の書籍化。
働く単身女性の3人に1人が、年収114万円未満といわれる日本。
中でも深刻化しているのは、10代、20代の貧困だ。
本書では、親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ、特に若い女性に重くのしかかっているという衝撃の現実を丹念に取材。
2年以上もネットカフェで暮らす10代姉妹とその母、
奨学金返済で500万円の借金を背負った四大卒・24歳アルバイト、
家事を担い家計を支え通信制高校から進学を目指す19歳……。
厳しい生活にあえぐ若い女性たちの、決して「他人事ではない」実態とは?
膨大な取材とデータに基づいた、現代の階層化社会に警鐘を鳴らす一冊。

【レビュー】記;2017/08/03
貧困と言う問題は、今の時代におこったわけではない。
このレポートの切り口は、シャープである。
年収 200万円という 女子の貧困世帯の実態。
シングルマザー、離婚、夫の死亡、母親の病気。
様々な形で、貧困が引き起こされる。
『連鎖する貧困』という言葉が 衝撃を与える。

ネットカフェで、生活する 母親と子供二人。
不思議な 生活だ。よく考えると 18万円にもなる。
それならば、アパートを借りることもできると単純に
考えるのだが、生活を確固たるものにしようとしない。

愛媛県の大学生で、東京に出稼ぎする女子。
自分で、学費を稼ぎだすと言う意気込みはすごい。

大学を卒業したけれど、アルバイトの職しか得られない。
奨学金返済が 500万円が 重くのしかかる。
普通の生活をしたいよねと言う。

シングルマザーで、娘のために なんとかしたいと思っている。
自分の能力を引き上げようとするが、生活保護の範囲は限られている。

ドキュメントのつくり方の巧みさに、感慨深い。
繁栄して、豊かになったと言われる日本の底部に、
光をあてることで、本当に 日本は豊かになったか?
と言うことを、問いかける。

#ブックカバーチャレンジ
「女性たちの貧困 “新たな連鎖"の衝撃」NHK取材班
コロナによって、昨年と比較しても自殺者が増えているという。有名なタレントが相次いで自殺したことも影響しているかもしれない。そして、女性の自殺者の比率が高いと聞く。
岡村隆史は4月23日深夜の生放送で、「コロナが終息したら絶対面白いことあるんですよ。美人さんがお嬢やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と言った。岡村隆史はバッシングを受けたが、コロナ下で実際職を失ったのは、女性が多い。長引くコロナの感染によって岡村隆史予言は現実になっている。あしたが見えない~深刻化する若年女性の貧困という2014年の時の放送が、さらにコロナによって深刻になっている。
働く単身女性の3人に1人が、年収114万円未満といわれる日本。中でも深刻化しているのは、10代、20代の貧困だ。親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ、特に若い女性に重くのしかかっているという衝撃の現実を丹念に取材している。
年収 200万円という女子の貧困世帯の実態。シングルマザー、離婚、夫の死亡、母親の病気。
様々な形で、貧困が引き起こされる。『連鎖する貧困』という言葉が衝撃を与える。
ネットカフェで、生活する母親と子供二人。不思議な生活だ。よく考えるとネットカフェの費用だけでも、18万円にもなる。それならば、アパートを借りることもできると単純に考えるのだが、生活を確固たるものにできない現実が横たわっている。
愛媛県の大学生で、東京に出稼ぎする女子。自分で、学費を稼ぎだすと言う意気込みはすごい。
大学を卒業したけれど、アルバイトの職しか得られない。奨学金返済が 500万円が 重くのしかかる。普通の生活をしたいよねと言う。シングルマザーで、娘のためになんとかしたいと思っている。自分の能力を引き上げようとするが、生活保護の範囲は限られている。ドキュメントのつくり方の巧みさに、感慨深い。格差社会が、急速に深刻化し、貧困の連鎖が、弱いものに集中する。そして、このコロナの政府の無策に、ますます貧困が進行していく。
「秘書がやったのだから、ちょっと間違えちゃった」とノーテンキに語る前首相と「よくわからんかった」と言って不起訴処分にしてしまう検察の出来レース。自粛をしようと言って会見した首相は、3万円近くのステーキを食べる老人たちの会食。それにしても、菅義偉首相は、朝から夜まではしごして高級レストランを駆け巡る。「間違えちゃった」というのは、どこで本当に間違えちゃったのだろうか。日本は。

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2020年08月13日

健康ブームを問う(2)

健康ブームを問う 飯島裕一編 記;2016/01/04

【レビュー】
健康とは何か?
健康はなぜ必要なのか?
それを多面的に 考察する。

健康とは 目標ではなく 手段である。
健康を手段として より豊かな生活をおくることが
何よりも大切なのである。

健康は 金で買えない。自分で律することなのだ。

病気にならないためには 腹八分 という昔からの諺が
現在にも必要であり、意外と当たり前のことだ。
健康とは 食事療法と運動療法で実現できる。

オルナティブ医療。代替え医療という観点からの食。
日本語でいえば 医食同源 ということかな。

病気にならないことから、
さらに 生活の質をたかめることが 必要なんだ
Quality of Life。
生活を もっと楽しもう。

お任せ ではなく 自分で決定する 医療。
なぜか当たり前なのだが、どうも 医療は
お任せ的な発想が 根底にあるようだ。

おもしろかった。

#ブックカバーチャレンジ
「健康ブームを問う」飯島裕一編
健康とは何か?健康はなぜ必要なのか?それを多面的に考察する。
「健康のためには、死んでもいい」というような極端な糖質制限者がいたりする。
健康とは、目標ではなく手段である。健康を手段として、より豊かな生活をおくることが
何よりも大切なのである。健康は、金で買えない。自分で律することなのだ。
病気にならないためには 腹八分という昔からの諺が現在にも必要であり、意外と当たり前のことだ。お腹が空いたという脳からのメッセージは、糖質がなくなったことによる。それを糖質制限で対応しても、脳は混乱して、お腹が空いたというメッセージが取り消せない。脳の自己矛盾が、精神的な不安定を引き起こすことになる。やはり、「腹八分」という食事が必要と言える。日本人の伝統的な知恵にある。健康とは 食事療法と運動療法で実現できる。
病気にならないことから、さらに 生活の質をたかめることが 必要なんだQuality of Life。
生活を もっと楽しもう。
健康ブームに警鐘を鳴らしながら、どのように健康を自分で作って行くのか?おまかせ健康法ではなく、自分にあった自分で決めて行く健康法の確立が何よりも必要だ。なるほど。



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2020年06月26日

労働者階級(3)

2025年、「アンダークラス」1000万人超の絶望
社会保障費の増大、犯罪の増加…社会全体の不安拡大へ
柳生 譲治
2018年8月21日
かつての日本は長く「一億総中流社会」などと言われてきたが、今やその影もなくなってしまった。格差拡大が進み“階級”が固定化してきている。そして、巨大な下層階級「アンダークラス」が新たに出現してきた。アンダークラスの平均年収はわずか186万円で、男性の未婚率は66.4%。その数はおよそ930万人だが、2025年には1000万人を突破するとみられている。
格差や貧困に背を向け、放置してきた結果、日本は今や「階級社会」と呼ばれる状態に
 雇用情勢の改善により人手不足が深刻化する日本で、10年ほど前に話題となった「ワーキングプア」の問題は今や消えてしまったかのようだ。しかし、格差は「自己責任」の名目の下で放置され、日本は今や「階級社会」と呼ばれる状態になっている。

家族さえ持てない貧困
 早稲田大学教授の橋本健二さんの研究によれば、現代日本は下図に示すような5階級に分断されている。最大の問題は、貧困層を含む「アンダークラス」と呼ばれる階級が拡大の一途にあることだ。
出典:橋本健二さんの著書『新・日本の階級社会』から
階級社会1

 「アンダークラスの中心となっている非正規雇用の労働者は、正規雇用の労働者と比べると、不安定な状態に置かれており貧しい。貧困のために結婚して家族を形成することさえできない状況は、倫理的にも非常に問題です」
 アンダークラスの平均年収はわずか186万円、世帯年収でも343万円にとどまる。そして男性の実に3分の2が未婚だ。

大量の非正規労働者が登場し始めたのはバブル経済末期の1990年頃からだが、その頃、まだ20歳前後の若者だった非正規雇用第1世代が今や50代前後に。そして、大学生の就職率が6割を切っていた"就職氷河期"の大卒者(70年代生まれ)の一部が非正規雇用のまま働き続け、あと十数年すれば順次60代に。彼らの中には年金を受給できず、生活保護を受けることが確実な人たちもいる。
 「日本はかつて『一億総中流』と呼ばれていた時代が長かったが、80年代以降、富裕層の所得税の引き下げなど格差を拡大する政策が取られてきた結果、これほどまでに激しく階層分化してしまったのです」(橋本さん)。
転落すると、抜け出せない
 たとえ現在、新中間階級や正規労働者階級に属していても、病気や親の介護などで一度会社を辞めてしまうと、アンダークラスから再出発せざるを得ないケースが少なくない。そして、いったんアンダークラスに転落すると、そこから抜け出すのは容易ではない。
 「アンダークラスは現時点では、929万人。日本の人口は減少するにもかかわらず、25年には1000万人を超える。アンダークラスの多くは子供を持たず"一代限り"の人が多いはずですが、企業が非正規労働者を求めるため、中間層の子供たちが新たにアンダークラスに流れ込む可能性が高い」と橋本さんは言う。
 アンダークラスの人たちを経済的に引き上げないと、社会全体としても大きな問題がある。例えば、社会保障費の増大や、犯罪増加のリスク上昇、また財政悪化により医療給付水準が低下し、国民全体の平均寿命が短くなる可能性も。
 では、急速に進む階級社会化を改善するためにはどうすべきなのか? 橋本さんは、①最低賃金の引き上げ、②累進課税の強化、③相続税率の引き上げ、④資産税(金融資産に一定の控除枠を設けたうえで、税金をかける)の導入など、所得再配分の強化策を挙げる。最低賃金はさしあたり時給1200円程度(最終的に同1500円程度)まで引き上げることが望ましいという。「最低賃金で働いても大学初任給くらいになるなら、さほど恐れる必要はなくなる。最低賃金引き上げで生活保護を利用する人が減るのであれば、コンセンサスも作りやすい」(橋本さん)。

 貧困の連鎖を断ち切り、日本を活性化させるには、アンダークラスの生活の向上が急務である。


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労働者階級(2)

日本は5段階の階級社会に! 下層階級は900万人、衝撃の貧困率38.7%
野中幸広『新・日本の階級社会』(著:橋本 健二)
2018.03.19
自分メモ
「格差」という言葉はたとえ差(=溝)があってもチャンスとやる気があれば埋められるかもしれない……そう思わせる雰囲気も漂わせていましたが、もはやそれは幻になっています。「格差」は単に経済的な差だけではありません。全社会的な差であり、疾病率を考慮に入れれば人間的な生活、生存自体の差となっています。
「持てる者」は総じて教育機会、就業機会(地位の相続などを含めて)、健康機会等に恵まれており「ますます持てる者」という優遇(?)の連鎖の中に置かれ、「持たざる者」は真逆の劣悪の連鎖に置かれています。この圧倒的な違いを「乗り越え可能」なようにも聞こえてしまう「格差」という言葉で語っては問題点が見えにくくなってしまいます。
著者がいうように、日本の社会には明らかに「階級社会」となっています。かつて一億総中流という言葉が喧伝されました。そこには当時の世論調査のミスリードだった部分もあったようですが、それはともあれ今では見る影もありません。この本はSSM調査データの精緻な分析に基づいて今の日本でどのような階級が生まれ、固定化されているのかを解き明かしています。さらに加えて、その階級に属する人々はどのような生活意識、政治志向を持っているのかを追究したのがこの本です。
ここで「階級が生まれた」というのは、古典的な階級概念ではとらえられない、新たな階級が出現したからです。
著者によれば日本には5つの階級が存在します。
1.資本家階級(経営者・役員):254万人、就業人口の4.1%。平均世帯年収男性1070万円、女性1039万円。平均資産総額4863万円(金融資産2312万円)。
2.新中間階級(被雇用の管理職・専門職・上級事務職):1285万人。就業人口の20.6%。平均世帯年収男性804万円、女性788万円。平均資産2353万円(持ち家がない人は935万円)。
3.正規労働者階級(被雇用の単純事務職・販売職・サービス職・その他マニュアル労働者):2192万人、就業人口の35.1%。平均世帯年収男性569万円、女性687万円。平均資産総額1428万円(持ち家がない人は406万円)。貧困率2.6%。
4.旧中間階級:806万人、就業人口の12.9%。平均世帯年収587万円。平均資産総額2917万円。貧困率17.2%。
5.アンダークラス(非正規労働者):929万人、就業人口の14.9%。平均世帯年収343万円。平均資産総額1119万円(持ち家がない人は315万円)。貧困率38.7%。

主だった階級の特徴を本書より引いてみました。一読して日本の社会構成、社会意識がどのようになっているかがわかります。(本の中では女性に特化して分析した章もあります)
SSM調査データを駆使して日本の実態を浮き上がらせたところは目を奪われますが、この本の素晴らしいところは、さらに踏み込んで格差是正を阻む原因を探り出し、是正への具体的な提案を出しているところです。
格差是正を阻む、格差の存在を認めない、あるいは肯定する考え方が存在します。その最たるものが「自己責任論」です。著者が「格差社会の克服を妨げる強力なイデオロギー」と呼ぶ「自己責任論」は1990年代後半の「金融ビッグバン」の頃にいわれるようになったものです。
その文脈は、金融機関に対する相次ぐ金融緩和によって、リスクの高い多種多様な金融商品が出回るようになったが、損失を出す可能性があるから、これらを買って資産運用するのは「自己責任」で、というものだった。
もともとは投資できる資産を「持つ者」への注意喚起であり、ある種、金融機関のアリバイであったといってもいいでしょう。この文脈のように「運用するだけの資産があって、その運用のしかたをみずから決定したならば、その結果を引き受けるのは当然」でしょう。しかしその後、この言葉の使われ方が大きく変わっていきます。2004年に中東地域で起きた人質事件でも「自己責任」という言葉がいわれました。後者の場合はまったく「持つ者」ではありません。この時には言葉の意味が拡大、変容され、批難めいたものになっていました。個人に責任を負わせるべきという意味合いで使われました。さらにその後のイスラム国での人質殺害事件でもこの使われ方をされました。
現在の「自己責任論」はその延長線上です。自己責任というものを問われる(押し付けられる)者への想像力は少しもありません。リスクを前にしての覚悟・決心だった自己責任は、リスクのない(少ない)者からの「上から目線的」なものいいになっていったのです。無くなったのは「社会的責任」というものでした。
今や自己責任論はその強制的なものいいもあいまって「かなりの浸透力をもっており、貧困に陥った人々自身が自己責任論に縛られ、声を発しにくい」状態を作り出しています。今の自己責任論について重要な指摘がされています。
1.自己責任を問われるのは、自分に選択する余地があり、またその選択と結果の間に明確な因果関係がある場合に限られるべき。
2.自己責任論は、貧困を生みやすい社会のしくみと、このような社会のしくみを作り出し、また放置してきた人々を免罪しようとするものである。

「本来は責任をとるべき人々を責任から解放し、これを責任のない人々に押しつける」理屈(論理)になっているのです。
また、「努力した人が報われる社会」という論理にも欺瞞が潜んでいます。耳障りのいいこの論理は、著者がいうように「努力した人」と「高所得者」を同一視しています。考えてみれば努力=成功(高所得)という単純なものであるはずがありません。努力の結果が必ずしも成功に結びつくものではありません。「成功した人が成功しなかった人以上に努力したと断言できるはずもない」のです。
「努力した人が報われるべきだ」という主張しているのはほとんどがスタートラインにいる人ではありません。成功というゴールに着いた人が振り返っていっていることが多いのです。しかも金融資産だけでなく教育資産を含めて家業として前世代からさまざまな社会的資本を相続している人も散見します。「努力が報われる」ということが「社会的公正」であるなら、努力自体の果実は社会が「公平」に努力者に報いるべきなのではないでしょうか。

ごく一般的にいえば、「努力した人が報われる」ことが必要であることはいうまでもない。だから非正規労働者としてはたらくアンダークラスの努力は、報われる必要がある。しかし「低所得者」=「努力しなかった人」という想定の下では、彼ら・彼女らが報われることはない。ここでは「努力した人が報われる社会」というスローガンが、単に格差を正当化するためのイデオロギーとなっているのである。
このような階級社会・日本でどのような政治意識・社会意識が生まれているのでしょうか。この本で「排外主義、軍備拡張に対する意識、格差に対する意識、そして支持政党」についての意識・考え方と所属階級との関係が詳述されています。ここからは「階級構造の複雑化」や「自己責任論の悪しき浸透化」によってさまざまな意識が生まれていることを浮き彫りにしています。学ばされることの多い指摘であふれています。

「格差拡大」「階級の成立」は社会の持っているダイナミズムを失わせます。格差拡大の弊害が詳説されています。じっくり考えてみる必要がある箇所です。格差正当化の言説に惑わされることなく「格差縮小」「より平等な社会」を目指さなければ社会の活力は失われていきます。この本の最終章では「格差縮小」「より平等な社会」のための提言が、「賃金格差の縮小」「所得の再分配」「所得格差を生む原因の解消」等にわたって説得力のある議論が記されています。

「格差縮小」がどのようにして可能なのか……。著者のいう「非階級社会」の実現、そのための変革の主体はどこにあるのか……それが最後の問いです。この本に一貫して貫かれている著者の誠実な分析と追究、ここからは学ぶことがたくさんあります。現代日本を考えるための基本・必読書だと思います。


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労働者階級

日本は「格差社会」である前に「階級社会」だ
「階級」を意識しない不毛な教育議論
岡本尚也 : 物理学者・社会起業家
2016/02/09
26歳でイギリスのケンブリッジ大学物理学部に留学し、博士号を取得、“Nature Materials”に論文を載せるなど物理学者としての実績を上げながら、2015年にはオックスフォードで近代日本社会の研究に取り組み、特に教育社会学を学んだ。
それらの経験を生かし、地元の鹿児島で起業家として教育系NPO法人を設立した31歳・岡本尚也氏が、新時代の「知」を語る!
最近、子供3人を灘高から東大理Ⅲに合格“させた”母親の子育て本が話題になった。私も書店で手にとってみたが、正直「ここまでできるのは凄いなー」と思う。こういう子育てハウツー本や教育方法に関する本は、これまで何度も何度も出版されてきた(百瀬昭次著『受験子育て戦略――わが子を成功型人間に育てるために』〈プレジデント社、1984年〉など)。
学歴なんて関係ない、良い大学を出ても社会で役に立つわけではないと言いながら、自分自身やその子供には可能なかぎり良い学歴を求めるおもしろい国が日本なのだ。本のとおりの子育てをしたって良い子供が育つわけではないと思いつつも、こういった本を手に取る人は多いだろう。
今回も、教育に関して考えていきたい。特に、いまの日本で「教育手法」ばかりが論じられていること、教育に関する議論に社会的な要素、環境面がほとんど出てこないことの問題点を取り上げる。

「格差社会」と「階級社会」の違い
少し話が飛んでしまうが、オックスフォード大学の社会学の試験に次のような問題が出題されたことがある。「”格差社会”と”Class Society”の違いを述べよ(日本語訳)」。英語圏で使われる言葉の意味と日本社会において使われる言葉の意味からそれぞれの社会について述べさせる問題である。皆さんにもその違いを考えてほしい(社会学に親しむ人であれば、はじめの話題とこの問題のつながりが見えるかもしれない)。
Class societyを日本語にするなら、適語は「階級(階層)社会」となるだろう。「格差」と「階級」の違いを簡単に説明すると、格差とは社会の中で所得や待遇に差が生じている「結果」に重点を置く言葉で、階級・階層とは育った環境のような「社会的背景」に重きを置いた言葉である。
この事実を知らないかぎり、日本の学校生活の中で「階層」を感じることはあまりない。制度上、とてもフェアな日本の受験で成功する者は「頭がよく、勤勉で優秀な人」と認識される。そして、その成功の理由が子供の置かれた環境などの社会的要因ではなく、教育によるものだと信じられているから、最初に触れたような本が注目され、売れるのだ。
確かに教育の影響もあるのだが、そもそも書籍で紹介されているほどの労力と時間を子供にかけることのできる家が日本にどれ程あるだろうか? 最近、子供の貧困が話題になっているが、そもそも学歴に対する意識の低い家庭では、経済的な成功に結びつきやすい学歴を求めて努力する姿勢を身につけることすら、難しいだろう(もちろん「高い学歴=よく育っている」ではないが)。
また、相対的に所得の低い「地方」の子供たちが東京の大学に行くには、学費の他に仕送りも必要だ。相対的に所得の高い大都市圏の子供たちは学費のみで済む。筆者はいま、生まれ育った鹿児島で教育に関わる活動をしているが、大きな可能性を感じる生徒に「大学はどこを目指しているの?」と聞いても、「鹿児島から出てはいけないと家族に言われる」「勉強していると、親から嫌な顔をされる」と答える生徒が進学校にさえ相当数いる。この問題については、トップ大学に合格させる方法や主体的に物事を考えさせる方法の本を手に取って読んでも解決しないだろう。高度な教育手法の下で努力することができるという環境も、決して当り前ではないのだ。
真の「エリート意識」は階級を自覚したときに芽生える
東大入学者シェアトップ20の高校は、首都圏(90%)か地方の名門私立高校である。そこにいる学生の多くが同じような階層にいることは想像に難くないだろう(もちろん、例外もあり人々に希望を与えている)。しかし、親も子供も階層の意識のない日本社会において、階層から得られた「特権・権利」に気付く機会は少なく、受験の成功者にしても自分の成功については「自分は頑張った!」という感情を持つ者が多くを占める。特権を得た意識がないからこそ、そこから生じる「義務」についても考えが及びにくいだろう。
この連載の第7回ではオックスフォードで出会ったニコラス・デュボアを紹介した。南アフリカに生まれ、人種による階級・階層を目の当たりにして育った彼は、「自分は頑張ったけど、それ以上に”幸運”だった」と語る。「僕は、南アフリカの中では本当に恵まれた環境にいた。幸運だったと思う。南アフリカでいい教育を受けた人の多くは、よりよい収入を求めて国外に出て、いつの間にか故郷を忘れ、時にはさげすむ人もいる。でも、今の僕がいるのは、間違いなく南アフリカのおかげ。これだけいい環境で教育を受けられている。語学が得意だから、いろんな国のいろんな情報を知ることができる。南アフリカには僕にしかできないことがあるはずなんだ」と言っていた。
サッカー選手のデビッド・ベッカム氏が日本に紹介されはじめたころ、しばしば「中流階級出身」という言葉が使われた。ベッカム氏は、結果を基準とする「格差社会」の中では最上位層に位置する一方、「階級社会」の議論では中流出身ということになる。しかし、サッカーを通じて社会階級を乗り越えたベッカム氏の子供は、上流階級の出身ということになるだろう。
日本の状況を述べる前に、まずはイギリス、アメリカの例を紹介しよう。筆者はケンブリッジ大学、オックスフォード大学で学んだが、両校が特殊な大学であることはそこにいる人々を見れば明らかだった。親が著名な学者だったり、政治家、医者、会社役員だったりという学生がとても多かった。そんな学生達と話をした後の帰り道では、ホームレスの人たちが日銭を求めて声をかけてくる。イギリスでは、労働者「階級」と、中流「階級」、資本家「階級」の存在を、日常からも歴史からも感じることができる。着ている服も違うし、話す言葉にも違いがある。
また、アメリカ社会においては人種によって明確に年収に差が出ている。肌の色という明確な違いにより、「階級・階層」はより強く社会の認識を生むのである。
生まれた階級による格差は、世代を越えて影響を及ぼすことが特徴である。そして、それが子供の教育に与える影響が大きいため、1960年代の公教育の量的拡大の頃からイギリス、アメリカでは盛んに議論され、対策が取られてきた。格差と犯罪発生率には相関があること、そして格差の是正に教育が果たす役割が大きいのもひとつの要因である。教育は社会的地位を高める手段として広く考えられているのだ。しかし、両国ともその対策はうまく機能していない。

日本は「階級社会」である
さて、日本社会ではどうであろうか? 結論から言うと、日本ではイギリス、アメリカと同等かそれ以上に、親の経済力・学歴、出身地(都市のほうが有利)が子供の学歴に影響を与えている(苅谷剛彦著『大衆教育社会のゆくえ』〈中公新書、1995年〉に詳しい)。確かに、大学時代を振り返っても、そうだった。そんな現実の一方で、教育に関する話題の中心は最初に述べたような「子育て論」や「教育方法」ばかりなのである。日本も、出自による格差が強く固定化した「階級・階層社会(Class Society)」化が進んでいるにもかかわらず、結果のみを見た「格差社会」という言葉ばかりが使われているのだ。
南アフリカほどではなく目にも見えにくいが、日本でもすでに世代を超える「階級・階層化」が起こっている。それでは、誰がこの問題を解決できるのか? 悪い意味で階級意識のない、日本の学歴エリートたちには“見えない”問題かもしれない。しかし、階級や階層など目を背けたくなるような問題でも、それを事実として受け止めない限り、解決は難しい。これらの問題を事実として受け止めれば、「何のために学ぶのか」の意味もきっと変わってくるだろう。
教育政策・方針の議論が難しい理由は、どの視点に立つかによって答えがさまざまな上、それぞれの立場では「正しい」ことが多い点にある。上位校では、より良い教育の議論になるし、下位層の通う学校では経済面や、不登校や非行に関する議論になりやすい。会社に置き換えてみても、大企業と中小零細企業、業界トップとそれを追う企業では議論のテーマが異なるだろう。それと同じく、学校を一くくりにすることは難しい。
大切なことは、ミクロな視点から出た解答は必ずしもマクロな視点での解答と一致しないということだ。各学校が目の前の生徒を前提に採る教育方針と国全体で行うべき適切な方針は決して同じではない。
私が専門とする物理学では、統計力学の手法によってミクロとマクロの世界を繋ぐことができるのだが、教育の分野でそれを行うのは難しい。だからこそ、感覚的な議論に陥ることなく公教育の大方針とそれを評価・測定する指標を設定し、実態をもとに政策も決定をしていく必要があるのだ(戦後の教育政策では、「教育機会の均等」という方針のもと、地域・学校ごとのカリキュラム、教員の数や免許、学校の設備などがその指標となった。その結果、地域ごとの学力差も小さくなった)。

「公」教育の役割とは?
学校の先生と話をすると、教育とは「環境」を作ってあげることだという言葉が出てくる。「環境」には、教育の機会や経済面も含まれる。目が向きがちな「教育手法」も土台となる「環境」が整っていなければ機能しづらい。個人で環境を整えることが難しい場合は、公教育にその「環境」づくりを頼るほかない。私はこの階級・階層化された社会的な環境を、革命を起こしてすぐさま改めよ!!という類の人ではないため、地元鹿児島で可能な限り「環境」を整えようと活動を行っている(具体的に何を行っているかは次回に記す)。
「公」の精神があるといわれる日本社会において、一部しか知られていない「階級・階層化」という事実を、人々が広く認識した上でどのような変化が生まれるのかを見てみたい。何かにつけて「主体的に考える」という言葉を使い、「教育手法」ばかりを主張する日本の「公」教育の役割を、もう一度考えなければならないのだ。

touxia at 10:06|PermalinkComments(0)

2018年08月02日

万歩計の推移

この間の 万歩計のデータをアップする。

201804

2018年4月;1日 10000歩 歩けば、300000歩となる。
目標は、月間 30万歩である。

201805

2018年5月

201806

2018年6月

201807

2018年7月
外が 暑すぎて、外を歩けない。
熱中症にならないために。

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2017年08月03日

チャイルドプアー(5)

チャイルドプアー
子どもの貧困対策

現状は深刻、打開へ力を注げ
日本の子どもの貧困をめぐる状況は依然深刻です。厚生労働省が6月末公表した国民生活基礎調査で子どもの貧困率(2015年)は13・9%へ低下したものの、約7人に1人の子どもが「貧困ライン」を下回ったままです。一人親世帯の貧困率は50・8%と主要国では最悪の水準です。家庭の経済的困窮が子どもの現在と未来を閉ざしている現状に対し、安倍晋三政権の対策は極めて不十分です。しかも貧困と格差をさらに広げる経済政策「アベノミクス」を推進しようとしています。抜本的な解決へ向け、政治の姿勢を変えることが必要となっています。

国際的に立ち遅れのまま
厚労省が3年ぶりに公表した日本の貧困についての数値は、国民生活の厳しい現実を改めて裏付けています。貧困を示す国際的な指標である「相対的貧困率」は下がったとはいえ、17歳以下の子どもでは13・9%(前回16・3%)、全体では15・6%(前回16・1%)という結果となりました。
相対的貧困率は、世帯の可処分所得などをもとに、その国で生活できる、ぎりぎりの「貧困ライン」(今回は年間122万円)を算出し、それ未満の所得しかない人がどれくらいの割合でいるかを示す指標です。経済協力開発機構(OECD)が14年にまとめた36カ国の子どもの貧困率は13・3%でした。日本の水準はそこにもなかなか到達できません。子どもの貧困をはじめ格差と貧困を解決することが、日本の政治と社会の優先課題の一つであることは明らかです。
とりわけ母子家庭など一人親世帯の状況は過酷です。貧困率は50・8%(前回54・6%)で、なおも高水準であることは変わりません。調査では、母子世帯の82・7%が「生活が苦しい」と答えています。「貯蓄がない」と回答した母子世帯は37・6%にのぼり全世帯平均14・9%の2倍以上となっています。子どものいる世帯への経済支援をいっそう強める必要があることを浮き彫りにしています。
貧困問題はどの世代にとっても深刻ですが、発達・成長過程にある子ども時代の貧困は、健康や学力など子どもに必要な条件が経済的困窮によって奪われるという点など影響は大きく、子ども本人の人生だけでなく、社会全体にも損失をもたらします。
研究者や市民団体の粘り強い取り組みなどを通じ、子どもの貧困対策法が成立し、地方自治体などで実態調査など改善への動きが始まっているものの、安倍政権は貧困問題に真剣に向き合おうとせず、対策の立ち遅れが際立っています。世論と運動の広がりの中で、安倍政権は、一人親世帯への児童扶養手当の一部増額や、給付型奨学金の部分的導入を行いましたが、あまりにも規模が小さく、事態の本格的な打開の道筋はみえません。

社会保障切り捨てでなく
安倍政権の「アベノミクス」は、大企業には空前のもうけを保障する一方、賃上げにはつながらず、国民の暮らしは苦しいままです。生活保護、医療・介護、年金などの社会保障の予算は容赦なくカットする政策を続けています。国民が支えを求めている時に、その願いにこたえようとしない安倍政権の姿勢はあまりに異常です。税の集め方・使い方の改革、働き方の改革をはじめ暮らし優先の政治への転換が急がれます。

touxia at 04:11|PermalinkComments(0)

チャイルドプアー(4)

チャイルドプアー
子どもの貧困対策
政府の姿勢が逆立ちしている
生まれ育った環境で子どもの将来が左右されないことをめざす「子どもの貧困対策法」が施行されてから今月なかばで1年になります。子どもの約6人に1人が貧困状態にある現実の打開が急務なのに、それに見合った対策づくりは大きく遅れています。それどころか、安倍晋三政権は格差と貧困を拡大させてきた経済政策「アベノミクス」をさらに加速させようとしています。子どもが希望を持てる社会へ、政治の姿勢を大きく転換することが必要です。

「恩恵」どころか大被害
食べ盛りの子どもがおかずのない食卓でごはんをかきこむ。「お母さんだけ働かせるわけにいかない」と進学を断念する高校生―。昨年末放送されたNHK特集番組は、子どもの貧困をめぐる厳しい現実を描きました。「あしなが育英会」の奨学金を利用する高校生のアンケート調査でも「明日食べるご飯に困っている」などの叫びが寄せられています。
親の低収入や失業、離婚、死去による経済状態の悪化などがもたらす子どもの貧困をどう解決するのか。子どもの約6人に1人、貧困率16・3%と過去最悪を記録する日本社会が突きつけられている深刻な大問題です。
2013年の国会で、全会一致で成立した子どもの貧困対策法は、事態打開の第一歩となるものです。「貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境」の整備などのため、教育・生活・経済的支援などの施策づくりを国や地方自治体の責務としました。
貧困率の削減目標を盛り込まないなど不十分さはあるものの、子どもの貧困の解決を願う運動が実を結んだ法律です。しかし、具体化は足踏みしたままです。
安倍政権は昨年8月にようやく法律にもとづく「対策大綱」を閣議決定しましたが、多くが従来の施策を束ねただけで、実効性もとぼしいものです。返済の必要のない「給付型奨学金」の導入、一人親家庭への児童扶養手当の改善など国民が願う対策は盛り込まれず、関係者を失望させています。
さらに安倍政権が推進する「アベノミクス」がもたらす生活必需品の高騰などは低所得世帯を直撃し、貧困状態の子どもたちをさらに苦しめています。消費税増税も追い打ちをかけます。いくら株価が上がっても、これらの子どもの家庭に「恩恵」はありません。
社会保障の連続改悪は、子どもの貧困対策の土台を根底から破壊するものです。13年度から強行された生活保護基準引き下げは、受給世帯の子どもの生活を脅かしているだけではありません。経済的理由で就学困難な小中学生への就学援助の支給基準にも連動しているため、援助を受けられない子どもたちが各地で続出しています。

大本をただす共同広げ
貧困世帯に大きな被害を広げる「アベノミクス」と消費税増税・社会保障改悪の中止こそ必要です。安倍政権が狙う労働者派遣法大改悪などの雇用破壊は、低賃金・不安定雇用をさらにまん延させ、貧困と格差を増大させる暴走です。絶対に許されません。
子どもの貧困対策法の「大綱」見直しなど対策の充実を急ぐとともに、貧困そのものを増大させる財界優先の政治を大本から転換するための国民的な共同を強めることが重要となっています。

touxia at 03:54|PermalinkComments(0)

チャイルドプアー(3)

子どもの未来を救え
~貧困の連鎖を断ち切るために~NHK

過去最悪の16.3%。国が発表している「子どもの相対的貧困率」は年々悪化し、今、子どもの6人に1人、およそ300万人が国が基準としている“貧困ライン”(一人世帯122万円未満)以下で暮らしている。今年8月、政府は「子供の貧困対策に関する大綱」を閣議決定し、関連法の整備に乗り出すなど、国をあげた課題となっている。「子どもの貧困」の背景にあるのが「女性の貧困」。日本のひとり親世帯の8割以上が母子家庭だが、全体の半数以上が貧困ライン以下の状態にあるといわれている。そうした世帯で育った子ども、中でも女性は、成人しても貧困状態に陥ることが多く、さらなる連鎖を生む悪循環が起きているのだ。番組では、現場の克明なルポを通して、連鎖の実態や社会保障制度の課題を探る。識者との議論も交えながら、次の世代へ「貧困の連鎖」を生まない社会のあり方を考えていく。

NHKスペシャル “子どもの未来を救え”
「貧困の連鎖を断ち切るために」
         H26年12月28日放映(一部抜粋・要約)
1 導入場面(NPO法人フードバンク山梨の様子)
ここでは連日、行政や社会福祉協議会の担当者から、食糧支援の依頼が寄せられている。
連絡を受けると企業や農家などから寄贈された食品を、生活に困窮する家庭に無償で届ける活動をしています。これまでに食料支援を行った家庭は1000世帯以上です。当初、支援の対象は高齢者や単身の男性が中心となっていましたが、今は子どものいる世帯が増え、全体の半数近くを占めています。子どものいる家庭に今何が起きているのでしょう?

事例A(44歳、女性)さん:一人で4人の子どもを育てています。3年前に離婚、パートの仕事で得る月10万円の収入と児童扶養手当など8万円で生計を立てています。家賃や光熱費などの必要経費を差し引くと、食費は月に4万円ほどです。月により収入が減ることもあり、その時は食糧費が減ります。Aさん: 「ご飯ぐらいは、おなかいっぱい食べていいって、言ってやれたらいいのですが・・・。今の仕事をしていても給料は増えないし、何かいい方法はないかといつも考えています。」Aさんが、遅く帰宅するときは、子どもたちだけで食事をとっています。(お茶漬けを食べる場面が流れる。)食費が2万円ぐらいの月もあります。野菜や肉類はほとんど買えなくなり、米や麺などが中心です。

食べるものに事欠く生活は、子どもたちに影響を与えています。次男(15歳): 「もらったお年玉はみな貯めておいて、お金がない時に使います。」 母親のいないときは長男(17歳)が皆の面倒を見ます。彼は、中学のころから不登校になりました。経済的な理由から、友達と同じことが出来ず孤立しがちでした。長男: 「お金がないので、ゲーム機なども買えず、他人に比べて、自分を低く見がちになって、人と比べるとき自分の劣っているところを見ていた。」

もう一度やり直したいと思った長男は、母子世帯向けの貸付金を利用して、高校に進学しました。しかし、周囲になじめず、人と関わることに自信が持てなくなり、高校に通えなくなって中退し、家に閉じこもるようになりました。長男: 「人生を無駄な時間として過ごしているようです。夢はありません。考えても答えが出ません。なんでこんなになったのか? 母に対して申し訳ない。」
この日、Aさんが帰宅したのは夜中の11時半でした。彼女は、荷物の積み下ろしの仕事で、腰痛に苦しんでいます。しかし、体を休める余裕はありません。Aさん: 「自分が手一杯でなにもできていない。でも、働かないと収入がないので、子どもに御免なさいとしか言いようがない。ぼろぼろです。」

なぜ子どものいる家庭に、困窮が広がっているのか。NPO法人フードバンク山梨は新潟県立大学と共同で実態調査に乗り出しました。対象はフードバンクに食料支給を受けてきた子どものいる家庭270世帯です。調査を進めるうちに、特に母子家庭の児童が厳しい状態に置かれていることが分かりました。

事例B(42歳、女性)さん:シングルマザーで2人の子どもがいます。派遣社員のBさんの月給は8万円です。児童扶養手当等の7万円を合わせて生活しています。Bさん:「保育園のほうから、お母さん寒いから長ズボンをはかせてと言われましたが、服など買えない状態です。家賃も1か月払っていません。家賃や生活費に使うとお金は月末にはほとんどありません。上の子は9か月体重が増えないことがありました。」 二人の子どもは、ぜんそくが原因で体調を崩すことが少なくありません。しかし、病気の子をあずかってくれるところが見つからず、会社を休むと仕事を失うという悪循環が続いています。Bさん:「仕事について不安があり、自分で育てられるのかと考え、3人で死のうかと思います。そうすれば楽になると、何度も考えました。」
食糧支援を受けてきた子どものいる家庭270世帯での調査: 世帯主の多くが非正規雇用で平均年収187万円でした。一人当たりの1日の食費は329円、これは全国平均の半分です。2割の家庭は200円未満でした。更に、経済的な理由から子どもたちの様々な機会が奪われていることがわかりました。塾や習い事に行かせられない44%、遊びに連れて行けない44%、十分な医療を受けさせられない23%、貧困が子どもの健康や精神状態に影響を与えている59%、NPO代表の話:「心の成長、体の成長に影響を及ぼしているのが分かってきています。今の状況は大変な状況だと思います。」

2 子どもの貧困問題の専門家に聞く。
国立社会保障・人口問題研究所 部長  安部 彩さん
困窮者支援団体 理事  鈴木 晶子さん
*  今の貧困状態をどうとらえていますか。
鈴木さん:「高校生の男の子が1日に、菓子パン1個で生活しているとか、ポテトチップス1袋で生活しているのを見かけ、衣食住の困窮が広がってきていると感じます。」
安部さん:お金がなくて困っているだけでなく、生活のあらゆる側面に影響しています。

経済的困窮 から 波及する恐れのある課題
不健康、虐待、親の長時間労働、親のストレス、不健康、衣食住の不足
孤立、無力感、発達への影響
いろいろな影響が出てきて、それが内在すると、自分の肯定感が下がってしまいます。自分は価値のない人間ではないのかと考えるようになってきます。
* 子どもが当たり前のことをできなくなってきていることを認識すべきですね。

3 貧困の実情
①ひとり親世帯の相対的貧困率 54,6%(国民生活基礎調査2012)
先進20か国のデータの中で最悪である。
② 母子世帯数 124万世帯(全国母子世帯等調査2011)
この内、8割が働いていますが、困窮した暮らしから抜け出しにくい指摘がある。
女性の就業の問題 職業で女性は男性のサブであるという環境がある。この様な中で、女性一人が育てていくことは不利である。特に、働く世代の単身女性相対的貧困率33.3%(国立社会保障・人口問題研究所2012)は高い。
1人が働き、子育てをするのは困難である。しかも、子どもがいると、待遇の良い仕事につきにくい状態である。それだけでは足りないので、二重、三重と仕事をするトリプルワークまでして生活を支えています。子育て中の親御さんは不利な立場におかれているのは間違いない。女性はその内男性と結婚するだろうと、先入観念で今まで見ていて、女性の貧困について見てこなかったのも事実でしょう。
③ どうして、なかなか見えてこない、知らない人が多くいるでしょう?
当事者自身が声をあげにくい。どこに声をあげたらいいのかわからない。何をどのように助けを求めたらいいのかわからない。子どもたちには、貧しいことがいじめやからかいの対象にもなりますし、恥ずかしいことだと考える子どもも沢山いますので、お金がないとは言えません、声をあげづらくなっています。また、隣の人からも貧困が見えない状況もあります。貧困の方とそうでない方がバラバラに生活しているので、交わる機会も少ない状態です。
④  東京三鷹市 杏林大学病院の場面
心身に不調をきたし病院に運び込まれて、困窮が明らかになる人が増えています。この日運び込まれた23歳の女性、非正規雇用で働いていましたが、3か月前に仕事を失いました。今後も仕事が見つからないのではないかとの不安に駆られ、大量の風邪薬を飲み意識を失ったと言います。

衰弱して倒れて運び込まれた20代の2児の母親もいました。1週間前から苦しかったのですが、病院に行かず働いていました。子どもを抱え苦しく厳しい生活を送っていた中で、重い肺炎を起こしていました。
患者の生活や経済面で相談に乗っているソーシャルワーカー加藤さんの話: 「貧困が周囲から見えないことで、事態が深刻化するケースが増えていると感じています。もっとこの人たちのSOSを早くキャッチできていたらこんなに何年も苦しまずに済んだだろうなと思います。」 生活が困窮していても、支援があることすら知らない女性がいることが多いと思います。
⑤  事例C(妊娠7カ月 18歳)さん: 住んでいる自治体では、妊婦健診に補助があることを知らず、費用が払えないと思い、病院に来ることを躊躇していました。両親ともに収入の不安定な仕事で、子どものころから生活が楽ではなかったというCさん。定時制高校を中退し、建設現場で働いていました。職場で出会った男性との間に子どもができました。その後男性は仕事を失いました。子どもは一人で育てなければならないと考えています。Cさんには二人の幼い子どもがいます。親には迷惑はかけられないと、高校中退後は自活してきました。「一人いなくなれば、ちょっとは助かるのかなと思って・・」家を出ました。このままでは生まれてくる子どもにも、不自由な生活をさせてしまうと感じています。「お金がないと始まらないじゃないですか。だから、どうしようの一言に尽きますね。」
この病院では、深刻な問題を抱える親子の女性たちを、行政の窓口につないでいますが、支援の限界を感じています。加藤さん: 「いくら制度があっても、たどり着けない人ってたくさんいるじゃないですか。支援にたどり着くためには、病院自体が“感度”を上げておくということはすごく大事だと思う。」
社会の中で孤立を深めていく親子や女性たち、助けを求めても公的な支援になかなかたどり着けず、困窮を深めていくケースも少なくありません。
⑥ 事例D(シングルマザー 32歳)さん:妊娠してからもホテルのアルバイトで生計を立てていたDさん、5万7千円の家賃が大きな負担だったため、公営住宅に入れないか、窓口に相談しました。応募期間ではないことを理由に断られました。年金で暮らす高齢の両親には頼れず、出産直前まで仕事を続けました。Dさん: 「お金を貯めていなかったので、出産まで24時間体制のところで働いていました。」 出産後も暮らしを切り詰め、自分の食費を子どものミルク代に回してきました。貯金が10万円ほどにまで減った今年、福祉事務所に相談しました。職員からは、ハローワークで仕事を探すよう勧められました。しかし、子どもを預けて働く仕事はありませんでした。家賃も払えないほど貯金も減ってきました。Dさん: 「ミルク代でも月1万円ぐらい、もう生活できないくらいでした。」 先月もう一度福祉事務所に窮状を訴えに行きました。生活保護を受けることになりました。子どもとどこで暮らせばいいのか、不安な日々を送っています。
⑦ 事例E(自治体の取り組み 東京足立区): 東京足立区では、全職員を対象にして研修を行っています。どの課の窓口においても、生活に困窮しているような人が来れば、福祉の担当者に報告することを義務付けました。さらに、困窮者への支援をきめ細かく行うために、NPOとの連携も始めました。
病気の母親を支えながら働いていた30代の女性がいました。体調を崩し仕事を失いました。NPOは女性が抱える問題を細かく聞き取り計画書を作成、医療機関と連携しながの就労支援などの長期的なサポートを行っていくことになりました。女性の言葉: 「どこからどうしていいかわからなかった、それが今は全部ほぐれてきて、ようやくゆとりができてきました。」
足立区の健康づくり課長の)話: 「区役所には様々な窓口がありまして、いろいろなところで区民の方の、悩み事、困り事をキャッチする最前線です。窓口で気付いたときは、チャンスとしてとらえて、次の窓口につなぐというアンテナを高めておく必要があると思います。」
困窮者支援団体 理事  鈴木 晶子さん:「あれだけ追いつめられないとSOSがこちらから見えない状態という方がかなりいます。家を追い出されて、路上生活をする前の状態の人もいます。実際のところ、経済弱者の方は情報弱者でもあるのです。困窮する家庭の中で育ってきた子どもたちは特に、さまざまな社会の仕組みについて知らないことが多いと思います。親もそれを活用していないために、困窮状態がなかなか改善しない状態です。情報をとりに行くことが難しいし、どうして調べるのかも難しいし、助けてもらえるのを知らない方が多い状態です。」
4 母子世帯への支援
助けてと言えない親子や女性たち、今ある支援は、例えば、母子世帯では、所得や子どもの数に応じて支給される児童扶養手当などの経済的支援やシングルマザー向けの就労支援などです。そして、最低限の生活を保障する生活保護があり、これが最後のセーフティネットです。子どもを貧困から救うために、制度をどのように利用すればいいのでしょうか。そして、今後どのような支援が必要なのでしょうか。
私は働いているから駄目だと思わないで、不足分を補うためにと考えて支援を受けることも大事です。その状況に応じて、支援を受けることが出来るのです。
公営住宅の斡旋、家賃の補助、食料の補助、光熱費の補助、等、いろいろなメニューを設けて、低所得者の家計を支える支援策の拡充が必要になってくると思います。
市役所では、税金、健康保険料、水道料、保育料などの滞納があった場合は、困窮のSOSだと考えて対応をしてほしい。行政が困窮のサインを一番にキャッチできる窓口であり、その後どのように支援するかが大切です。
5 「国の子どもの貧困対策に関する大綱」 H26年8月閣議決定
①  教育の支援・・・学習支援の推進
②  生活の支援・・・生活相談の機能強化や子どもの居場所づくりを進める。 
③  保護者への就労支援・・・親の自立や学び直しを図る。
④  経済的支援・・・経済的支援、一人親家庭の支援について調査研究

6 連鎖を断ち切るために母親支援の現場
①  事例F(札幌市 社会福祉法人―発達に心配のある子どもたちをあずかる): シングルマザー約60人を雇用している。ここでの支援で、生活の困窮から抜け出す人がいます。17歳と15歳の娘を育てるTさん(40歳): 9年前に離婚、専業主婦だったTさんは、仕事は見つからず、生活は一挙に苦しくなりました。1年位たって、長女を通わせていた関係で支援を受けることになりました。貯金の底をついたTさんが最初に受けたのは経済面の支援でした。幼い二人の子どもをかかえ、働きに出るのが難しかったTさん、社会福祉法人のスタッフの助けで、生活保護を受給することが出来ました。この社会福祉法人では、経済面の支援だけでなく、カウンセリングなど精神面のケア、法人での雇用・就労の支援など、生活を一貫して支えなければ、子どもを貧困から救い出せないと考えているのです。

社会福祉法人 麦の会 北川理事: 「今までは、お母さんがしっかりしていないとらえがちだったと思いますが、私達はそうではなくて、社会が支援しないのにお母さんを攻めてはいけないと思いました。」

Tさんは離婚後、多くの悩みを抱えていました。先の見えない生活への不安から、ことあるごとに子どもたちにきつく当たっていたのです。Tさん: 「もう、すぐに叩いていました。自分の思い通りにならなかったときなど・・・。」 

母親の精神的な不安定は、子どもたちの成長にも影響を及ぼしました。次女 中学3年生は4年前から不登校になりました。Tさん親子の様子を見て心配したスタッフは、グループカウンセリングへの参加を勧めました。同じ境遇の女性同士が、心を打ち明け合う中で、Tさんの心が安定すると考えたのです。会に参加したTさんは苦しい胸の内を徐々に打ち明けるようになりました。

そして、就労支援も始まっています。この社会福祉法人が運営するカフェで、接客などのトレーニングを受け、週に5日働けるようになりました。月に、12万円の収入を得るようになったことで、生活保護の収入は半分以下に減りました。経済面や精神面でのケア、就労支援、一貫したサポートを受ける中で、Tさん親子の生活は少しずつ安定してきました。Tさん: 「子どもたちも少しずつ明るくなった。私の働く姿を見て、働けるような大人になってほしい。」 4年間不登校だった次女も、2か月前から少しずつ学校へ通えるようになりました。今は、高校への進学を目指しています。次女:「お母さん、ちょっとしたことでどならなくなってきた。育ててくれて、お金も出しくれるから、感謝している。ちょっとだけ・・・」
貧困の親から子への連鎖を断ち切っていく、教育現場の模索も始まっています。
②  事例G(東京 足立区 東京都立青井高校 生徒数640人): 学校以外の人々の力を借りて子どもたちに安定した進路を選択させようという取り組みをしています。経済的に厳しい生活をしている家庭も少なくありません。中退する生徒の割合は、都立高の中でも高く毎年約30人です。進路が決まらないまま学校から離れる生徒も多いと言います。
進路指導担当教諭: 「たまたま家庭で資金的な面での準備ができない環境になった時、そこで本人の希望が途絶えてしまいます。ずっとではなく、いったん途絶えてしまうのは、何とも言えない無念で、それを非常に強く感じます。」
昨年度の高校の新卒の就職内定率は98,2%でした。しかし、高校を中退すると就職は厳しくなり、国も対策を強化すべきとしています。高校では、去年からNPOと連携し、塾に通えない子らを対象に無料の補修講座を始めました。参加しているのはおよそ30人、学習への意欲を引き出し、中退の防止だけでなく、進学にもつなげたいとしています。参加生徒A: 「ありがたいです。学校だし、勉強しようという気持ちになれるので・・・。」、参加生徒B: 「塾やどこの予備校みても、授業料の値段が高いから通えないから・・・」、さらに、進学をあきらめた生徒に就職支援を強化しています。
高校からの委託を受けて進路相談を受けるのはNPOのスタッフです。不登校や引きこもりなど、若者の自立支援の専門家です。生徒は、教師には相談しにくいことも気軽に話しに来ます。この日、専門学校に進学を希望していた3年生のYさんが相談に来ました。母親に学費の世話にはならないと、進学をあきらめ、就職するというのです。スタッフはYさんと一緒に仕事をいろいろ探しています。いろいろな課題を抱えているので、何とか希望通りしてやりたいと言っています。ホテルでベッドメイクの仕事をしている母の給料で生活している二人は。都営住宅で暮らしています。
Yさん: 「母親一人に働かせるわけにもいかないし、専門学校に行っても、お母さんからお金を取るだけじゃないですか。だから、自分で働いて家に少しでも金を入れたいのです。」 Yさんは、母親の家事を手伝いながら希望する会社の面接の勉強をしています。間もなく社会に出るYさん、周囲の人の支援を受けて勉強しています。
NHKアナ: 「困窮者支援団体 理事  鈴木 晶子さん、シングルマザーを支えることについてどう思いましたか?。」 鈴木さん: 「生活の支援から、働く場所の支援まで一貫した支援を親子ともども受けることが出来るのは非常に貴重ですし、ぜひ他の地域でも同様の世帯丸ごとのワンストップの支援をお願いしたい。」 
アナ: 「子どもたちを高校で支援する活動もありましたがどう思いますか。」 鈴木さん: 「子どもの貧困対策の中でも、学校のプラットホーム化(学校を拠点にNPOなどと連携、国の大綱でも重視されている。)、学習支援、就労支援だけで終わるのでなく、生活の支援まで含めたものが、今後学校に入ってくるときに、学校を一つの起点として家庭、親たち全体を支えられることが出来ると思います。高校までは進学率も高いので、高校は子どもの姿が見える最後のチャンスだと思います。
もう一つは、もっている情報を学校だけでなく、地域に出し、地域の手助けを借りて、様々な支援をしていくことで、卒業した後も地域とつながり、人とつながることが生まれると思います。

急がれる子どもへの支援
先進20か国の「子どものいる家庭への公的支出」、例えば、児童手当や児童扶養手当、育児休業への給付など、アメリカ20番目、日本は17番目です。支援はまだまだ不足している状態です。子どもの貧困対策は長い目で見ると投資であります。
どこの地域に住んでいても、前記したような先進地の試みの支援を受けられるようになってほしい。そのために国が財政的な責任を持って配分をお願いしたい。
国立社会保障・人口問題研究所 部長  安部 彩さん: 「まずは理解です。これまで子どもの貧困と言ったときは、ゲーム機を買うことが出来ない、塾に行くことが出来ないことでした。そのくらい我慢すればいいではないかということでした。大した問題ではないととらわれていました。そうではなく、育ち盛りの子どもが食べるものがない、お母さんがうつ状態になり、子どもと一緒に死にたいという状態になっていて、ほんとに深刻な状態が、今実際に起こっている状態です。おなかいっぱい食べれない子がいていいんですかと問いかけたい。これを解決する覚悟が必要です。」

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チャイルドプアー(2)

チャイルドプアー

ウィキペディア
チャイルド・プアとは、現代社会において増加している貧困な生活を送るということを余儀なくされている子供の形態を表す言葉。
概要
チャイルド・プアとなっているような子供というのは、貧困な生活を送るということを余儀なくされているということであり、その実態は年々深刻化してきている。中には食事すらろくに取れていないという状態の子供もおり、学校での給食というのが一日で唯一の食事であるという子供まで存在する。チャイルド・プアというのは、大人の貧困とは異なった問題を抱えており、自身が子供であるために社会に対して現状を訴える手段を持っていないことや、子供というのは狭い世界で生きているということから親がこの現状を隠すということで、この現状というのは外部から察知されにくくなるということである。このようなチャイルド・プアが増加してきているというのはその子供の親が経済的に貧困であるということからである。だがその親というのは自身が貧困であるということを認めなかったり、子供に現状を話させなかったり、地域の大人や教師というのも面倒な事柄に巻き込まれたくないがために、身近に貧困の家庭が存在していないということにしている場合が多い。このためにチャイルド・プアとなっている子供というのは、想像されているよりもはるかに数多くいるということである。

相対的貧困率の上昇
母子家庭 124万人。

母子家庭の貧困
相対的貧困に占める子供のいる家庭の割合は40.4%(平成16年現在)となっており、その中で「有業者2名の大人2人以上と子供の世帯」は18.0%、「有業者2名の大人2人以上と子供の世帯」は14.8%、「無業者の大人2人以上と子供の世帯」は2.3%「有業者1名の大人1名と子供の世帯」は4.3%、「無業の大人1人以上と子供の世帯」は1.0%となっている。このため、貧困世帯に含まれるひとり親家庭(長子が成人している、または祖父母などと同居を除く)は全世帯中最大でも5.3%である[44]。
しかし、母子家庭[注釈 1]の一人当たりの平均所得金額は児童のいる世帯の4割程度となっていて、母子家庭の多くは貧困率が高い。
母子家庭の貧困問題を解決するのに、二つの選択肢があり、母子家庭そのものの数を減らし貧困問題を解決するのか、それとも母子家庭の所得を増やして解決するのかという選選択肢である。ブッシュ政権は前者の方向を推し進め、その代表的なシンクタンクであるヘリテージ財団のレクターという論者は、「長期に及ぶ子供の貧困問題の80%は離婚・婚外出産の問題から発生しているとし、父親不在の子供たちは情緒的・行動的問題、高校中退、ドラッグやアルコール依存症、犯罪の問題をより多く経験し、さらに大人になっても、結局のところ福祉受給者となる」と指摘した。多くの研究から、ひとり親家庭は、子供の貧困率だけでなく高校中退率や10代の出産率が高いことが示されている。
一方、マクラナハンの研究では、ひとり親家庭の高校中退率、10代出産率、ニート率が高いとしつつも、家族の所得を考慮した場合には、ひとり親であるかどうかは統計的に有意を示さなくなってしまうとした[46]。
アメリカの貧困問題研究では、ゲットーに住むアンダークラスの都市住民の貧困について、失業や犯罪、10代の妊娠、婚外子出生、女性世帯主家族、福祉依存を人種的および階級的な不平等の表れとして分析すべきものというmary Corcoranらの主張もある。10代の女性の妊娠は彼女がゲットーの貧しい女性世帯主の家族成長したことと深く関連し、黒人の場合、多くの子供が父親のいない家庭に育つが、それは黒人女性に結婚しない者が増えたことに起因し、その大きな理由は仕事のない黒人男性が増加して経済的結婚適格のある男性が減少したとのwilliam Julius Wilson の分析がある。黒人男性の失業率の高さが、貧困黒人女性の間で未婚の母が増えたことにもっとも深くかかわってると主張されている[47]。
日本においても、2003年に製造業の派遣が解禁になるなどの労働者派遣法の改定を受けて派遣労働者が増えるなど、雇用者の三割以上は非正規雇用職員となる一方、企業における内部留保(利益剰余金)が上昇し[48]かつ、企業の人件費削減分に匹敵する額が株主配当や役員報酬として増加するなど、格差社会が進行しアンダークラス層が出現しているとの指摘がある[49]。
単身女性を含めた女性の貧困化についてはNHKなどのメディアに取り上げられるようになり、女性の非正規雇用職員の貧困を「アンダークラス化する若年女性」とも表現している[50]が、母子家庭においても、離婚および未婚の母の増加[51]により、児童扶養手当の受給者は100万人を突破[52]しており、新たな貧困層が増加している可能性がある。
平成28年度「賃金構造基本統計調査」のよると、女性の賃金は過去最高となっているが、男女間賃金格差(男性=100)に対し、女性過去最小の73.0と公表されている[53]。構造的に女性賃金が低いため、母子家庭となり母が主たる稼ぎ手になった場合、多くの家庭において、生計を維持するに足るだけの収入が得られない可能性がある。
母子世帯の学歴はふたり親世帯の学歴より低く、中卒は同世代女性の約3-4倍となっており、母子世帯の貧困や諸困難の背景に低学歴という問題がある。学歴が低いほど就業率が低く、正規雇用率が低い。非婚(未婚)世帯は中卒割合が22.5%で、同世代女性の6倍強で、増加傾向にある[54]。
歴史的には、日本は明治十年代、二十年代には離婚率が3.0%を前後しており、アメリカ0.7、フランス0.25、ドイツ0.15、イギリス0.02(1900年現在)と比較しても、全国統計が得られるほどの近代国家としては例がなく、世界一の離婚王国であった。離婚に伴う子の引き取りは性別・年齢に関係なく、全員を夫側の家で養育するという例が圧倒的に多かった。子の全員を夫側が引き取るのは、妻側の経済力の弱さ、再婚への差支えなどもあろうが、最大の理由は「嫁入りした家で生まれた子」だろうと推論されている[55]。その後、昭和初期(1920〜40 年代)では最も離婚率が低下した時期となった。そして戦後の混乱期を経て一旦低下した後、都市部の離婚の増加とともに、1960 年代半ばから再び増加していく。親が子どもを引き取る割合が父を上回る時期も、同じ1960 年代半ばだった。子どもを引き取る母が増加した背景には、離婚の際、協議で親権者を決めるとした戦後の民法改正がある。民法改正後20年ほどして、婚姻中はもちろん、離婚後も母が子どもを養育するのが当たり前と見なす社会が、都市部の離婚の増加とともに形成されたうえ、男性が離婚後容易に子を手放すようになったのは、再婚、とりわけ初婚女性との再婚によって新たな子どもを持つ可能性が高いことと結びついていたとする説がある[56]。昭和25年から40年までは、「夫が全児の親権を行う場合」の方が、「妻が全児の親権を行う場合」より多かった。これが41年に逆転し、「妻が全児の親権を行う場合」の方が年々多くなっており、平成10年では「妻が全児の親権を行う場合」79.2%、「夫が全児の親権を行う場合」16.5%となっている[57]。2012年統計では妻側が83.9となっており、一貫して増加している[58]。
国際的には、共同親権などの制度があり、必ずしも母側だけがその費用も含め、養育責任を担っているわけではない。離婚後には、日本のように子供の単独親権ではなく、フランスのように離婚後の共同親権の原則を導入している国もあり、ドイツ・スイス・イギリスも原則として離婚後も両親監護または養育義務を課している。なお、韓国では選択的共同親権制度を採用している[59]。
離婚要因については、司法統計(平成26年度)第32表によると、全家庭裁判所取り扱いの婚姻関係事件中も申立動機別申し立て人別統計では、夫全562件のうち「性格が合わない」は315件(56%)で妻全1387件中634件(45.7%)で男女共に最多理由だが、そのほかに妻側では「暴力を振るう」が427件(30%)、「精神的に虐待する」が278件(20%)とDVを理由とする離婚が相当数含まれている。ただし、主な理由な3つまでの重複集計[60]全家庭裁判所のため単純合算でDV総数推計はできない。また本件は、家庭裁判所を経たもののみのため、平成26年の年間離婚総数222,107件[61]の離婚理由の内訳を示すものではない。
なお、日本が過去施してきた「子ども手当」や「少人数学級」は、海外のデータを用いた研究のなかでは、すでに費用対効果がないか、極めて低いことが明らかになっているため、単純に手当を増額する手法は「学力の上昇」には直結しない[62]。
長野県や島根県浜田市のようにひとり親世帯の移住促進策を実施する自治体もある[63][64]。


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チャイルドプアー

チャイルドプアー
チャイルド・プア~社会を蝕む子どもの貧困~ Kindle版
新井直之(NHKディレクター)

アマゾン内容紹介
NHK「特報首都圏」待望の書籍化!車上生活、母親の自殺、10代でホームレス……300万人を越す声なき子どもたちを取り巻く貧困の実態に迫る。
【内容紹介】
朝日新聞、週刊朝日、週刊現代、日刊ゲンダイ、女子SPA!、SYNODOSほか、各メディアで話題沸騰! NHK「特報首都圏」が待望の書籍化! 車上生活、母親の自殺、10代でホームレス……300万人を越す声なき子どもたちを取り巻く貧困の実態に迫る。【内容紹介】「2年間の車上生活を強いられた中学生」「父親に騙され、18歳でホームレスに」「母親の自殺後、高校中退から引きこもりに」「1日の食事は給食1食のみ」……。いま、「貧困の現場」では何が起こっているのか? 300万人を越す声なき子どもたちを取り巻く貧困の実態に番組担当ディレクターが迫る。広がり続ける“子どもの貧困”問題にいち早く切り込んだ話題作!!
内容(「BOOK」データベースより)
二〇一四年一月、子どもの貧困対策法施行!大反響を呼んだNHK「特報首都圏」単行本化!車上生活、母親の自殺、10代でホームレス…300万人を越す声なき子どもたちを取り巻く貧困の実態に迫る。

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2016年09月16日

バイアグラ

バイアグラ
シルデナフィル(Sildenafil)は、勃起不全 (ED) 、および肺動脈性肺高血圧症の治療薬である。ED先発薬としてはファイザーのバイアグラ (Viagra[1]) という名称(商標)が、肺動脈性高血圧症の治療薬としてはレバチオ(Revatio[2])という名称が用いられている他、先発薬の特許切れにより、各製薬会社から後発医薬品も存在する。投与はいずれもクエン酸塩の形態で経口にて行われる。
夢の勃起不全治療薬「バイアグラ」として、1990年代末から2000年代にかけて、世界的なセンセーションを巻き起こし、副作用による死者、違法な販売、偽物が出回るなど社会問題にもなった。日本では、2014年(平成26年)5月に、バイアグラとしての成分特許が切れたことから、それ以降は合法的な後発医薬品(ジェネリック)が発売・流通されている。ただし国内での入手には、医師の処方箋が必要な『処方箋医薬品』である。
バイアグラ01

開発史
もともとシルデナフィルは1990年代前半、狭心症の治療薬として研究・開発が始まった。第1相臨床試験において、狭心症に対する治療効果は捗々しいものではなく試験の中止を決めるが被験者が余剰の試験薬を返却するのを渋り、理由を問うた所、僅かであるが陰茎の勃起を促進する作用が認められ、これを適応症として発売されることとなった 。
1998年にアメリカ合衆国で販売を開始。発売直後からマスコミやインターネットなどで「夢の薬」「画期的新薬」と騒がれ、日本にも多くの個人輸入代行業者の手によってもたらされるようになった。
日本では、米国での市販から間もない同年6月頃より、狭心症を患ってニトログリセリンなどの硝酸塩薬を服用している者(主に高齢者)が、個人輸入で入手して性行為を行った直後に、心停止に陥り死亡する事例が数件発生した。このため、安全性を図るべく医師の診断・処方箋が必要となる医療用医薬品(現・処方箋医薬品)として正規販売する運びとなり、厚生省は併用禁忌による副作用死(薬害)抑止の観点もあり、日本国内での臨床試験を実施せず、米国の承認データを用いるスピード審査を敢行し、1999年(平成11年)1月25日に製造承認、3月23日よりファイザーから医療機関向けに販売された。
このスピード審査は、それまで治療上の緊急性が高い「抗HIV治療薬」などに対して行われていたが、安全性の確認がなされていた経口避妊薬の認可申請が、10年以上に亘り却下され続け、1999年(平成11年)6月2日に承認された事と比較し、各種団体・医療関係者から、この決定が恣意的であると疑問視する声が挙がった。
作用機序
バイアグラ(シルデナフィル)は、生体内で環状グアノシン一リン酸(cGMP)の分解を行っている5型ホスホジエステラーゼ (PDE-5) の酵素活性を阻害する。これが陰茎周辺部のNO作動性神経に作用して血管を拡張させ、血流量が増えることによって機能すると考えられている。
勃起不全の症状がある場合、この薬(錠剤)を性行為の30分くらい前に服用すると陰茎が勃起し、性行為が正常に行える。但し、性的なリビドーがない場合や陰茎に対する適切な物理的刺激がない場合には勃起は起こらない。また性的な気分を高揚させる効果はない。この薬は陰茎の勃起に効果はあるものの精液の量を増やす効果はなく、射精時にあまり精液が出ない、いわゆる「空撃ち」状態になると射精の快感は半減する。
その他の心血管系作用
シルデナフィルは陰茎に限らず脳を介した血管拡張を促進する作用がある事から、現在種々の疾患に対する適応が研究されている。その例としては、慢性心不全、肺高血圧症(特に新生児(心室中隔欠損症や動脈管開存症)[7]や開心術中・術後[8]、急性肺傷害[9]など)がある。
肺動脈性肺高血圧症治療薬のレバチオは、2008年4月より発売されている。
副作用
ただし、この作用メカニズムは心臓病の治療に用いるニトログリセリン等の硝酸塩系薬剤と同様のものであるため、副作用として血圧の急激かつ大幅な低下や、心臓への酸素供給に支障をきたす狭心などがあらわれることがある。特に同薬服用時に狭心発作に見舞われ、救急病院に搬送された際、服用者が同薬使用を告げずに硝酸塩系薬剤を投与され、症状が悪化・最悪の場合には死亡するケースも見られる。
ファイザー側はこの同薬に関する問題に対して、医師・薬剤師への禁忌情報の提供を行うと共に、錠剤パッケージ裏にニトログリセリン等硝酸塩系薬剤との併用が出来ない旨を記載している。
「滋養強壮」「精力強壮」を謳った健康食品・サプリメントの中には、シルデナフィルを含む物もあり、厚生労働省が注意喚起している[10]。
米FDAは2007年10月18日、男性性的不全治療薬の服用で突発性難聴になる恐れがあると警告し、ファイザー(バイアグラ)、イーライリリー(シアリス、一般名:タダラフィル)、バイエル(レビトラ、一般名:バルデナフィル)の3商品に対し、品質表示ラベルや取扱説明書に、リスクを詳しく記載するよう求める方針である[11]。
バイアグラに絡む社会現象
日本国内の医療機関で処方されている剤形は、25 mg 錠または50 mg 錠(一錠に 25 mg ないしは 50 mg の有効成分が含まれる)だが、ファイザーが米国等海外に於いて製造・発売している剤形には、100 mg 錠もある。しかしこの 100 mg 錠は日本国内での製造承認は出ておらず、日本の医療機関では処方されない。
日本で正規に入手するためには医師の処方箋が必要な上、健康保険による診療報酬の適用外で自由診療(保険外診療)のため、各医療機関が価格を定めることができるが、1錠およそ1,500円程度となっている。
1999年(平成11年)の発売当初は、泌尿器科(性病科)や一般内科などの医師が、医薬情報担当者から説明を受けるなど専門知識を習得した特定の診療所・病院の診療科において、患者が問診と血圧測定などの生理的検査を行い、EDと確定されれば処方される仕組みのみであった。なお、この検査において、基本的に陰茎を医師の前で露わにしたり、触診させる必要はない。その後、2000年代以降は一部の美容外科や心療内科を中心に、依頼すれば簡単な問診だけで医薬品を処方する診療所も見受けられる。
一方、用途の関係から、医療機関や処方箋を調剤薬局へ出向くのが恥ずかしい、と思いこむ者もおり、依然として個人輸入代行業者による販売が行われている。こうした業者の販売する薬物からは、偽薬あるいは海賊薬が発見される事もある。
スパム関連
勃起不全は男性にとって、同一性への脅威であると共に、専門医に対しても相談しにくい症状である。このためインターネット上の通信販売等に於いては、常に一定量の需要があり、それを相手とした市場も存在する。その一方で、迷惑メール等の宣伝行為を行う前出の個人輸入代行による業者も多く、これら業者の活動が、一般のインターネット利用者からは問題視される事態も発生している。
特に迷惑メールでは、無差別に送信される事もあり、また用途(性行為に関する不具合を改善する治療薬)に絡んで、本来これらの情報に触れるべきではないと考えられている児童等に対しても同種の広告が届く事もあるため、現代におけるネット上の社会問題となっている。[要検証 – ノート]一方、同薬の効能が世間に広く知られるにつれ、偽物の薬品を高値で売りつける業者もあるとされ、こちらも問題となっている。
また日本国内では、販売が認可されていない 100 mg 錠を扱う業者もあり、2003年10月6日には同錠を扱った仙台市の業者が逮捕される事件も発生している。また、2013年には、偽物のバイアグラを中華人民共和国在住の兄弟を通じて、密輸入しようとした男性が逮捕されている[12]。
コピー版バイアグラ
成分がバイアグラと同等とされる薬品も発売されている。インドのajanta社が製造しているカマグラ、RANBAXY社のカベルタ、Zydus Alidac社のペネグラを始め、複数のものが発売されている。一般的に医薬品に関する特許には「成分特許」と「製法特許」の2種類があるが、インドでは「製法特許」だけ認めているため、成分が全く同じ化合物であっても製法さえ異なれば合法的に薬品を製造販売することが可能である。そのためインドでは多くのコピー薬品が作られ正規の薬品よりも安価で販売されている。コピー薬の効果はほとんどバイアグラと同じであるが、価格は概ね6分の1ほどである。これらもバイアグラ同様に個人代行輸入業者が取り扱っており、個人的に使用する目的で輸入することは合法である。なお、これらのコピー薬は後発医薬品(ジェネリック医薬品)にはあたらない。成分特許を認める国においてはシルデナフィル自体の成分特許が有効であり、コピー薬を日本に輸入・販売することは「特許発明の実施」とみなされ、特許法に反する。日本国内での転売は薬事法による取締りの対象ともなる。
インド等で合法的に製造されている薬とは別に、ファイザー社のバイアグラに似せた偽造品(「Pfizer」「VGR 100」などと書かれた青色の錠剤)も出回っている。シルデナフィル含有量や製造過程での衛生管理・品質管理に問題のあるものも多い。
後発医薬品
シルデナフィルに関して、ファイザーが有する特許のうち、日本国内におけるシルデナフィルとしての物質特許は、2013年(平成25年)5月17日に満了、勃起不全治療薬バイアグラとしての用途特許は、2014年(平成26年)5月13日に満了した[3]。そのため、バイアグラの後発医薬品(ジェネリック医薬品)の発売が日本でも合法となり、2014年5月には東和薬品から日本初のジェネリックがOD錠で発売され[16]、その後10社以上から、一般成分名製剤『シルデナフィル錠25mgVI「会社名」』『シルデナフィル錠50mgVI「会社名」』の販売名で発売されている。

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2016年05月24日

健康関連十大デマ

微信、「2015年健康関連十大デマ」を発表 2015/12/31

2015年も間もなく終わろうとしている。
微信(Wechat)チームはこのほど、「モーメンツ2015年十大デマ」と「モーメンツ2015年健康関連十大デマ」を発表した。数年にわたりランクインしている「ザリガニは遺体処理に使われた」というデマは、ご多分に漏れず、今年もトップ10入りを果たした。広州日報が伝えた。

統計データによると、2015年モーメンツ・デモ告発処理総数は2100万件を上回り、月別で見ると1月のデマが最多だった。健康関連のデマは、春節(旧正月)に年間ピークに達し、夏がこれに続いた。これらのデマには軒並み、「ガンになる」「命に係わる」「死に至る」など人々をドキッとさせる言葉が含まれている。中山大学ビッグデータ伝播研究室が、テーマ・言語・情報源・立場という4つの角度から健康関連デマを分析したところ、これらのデマのうち32.2%は「食の安全」に関するもので、30.8%は「ガン」に関係していた。
【2015年十大健康関連デマ】
1. 乳幼児用乳飲料にはボツリヌス菌が含まれており、白血病の原因となる
2. ザリガニは遺体処理に使われていた
3. WiFiから放射される電磁波は健康を損なう
4. 植物性油脂で調理すると発ガンの危険性あり
5. ブタの血やアヒルの血を飲むと煙霧に含まれる有害物質を排除できる
6. ブタ肉の寄生虫は駆除しても死なない
7. 地中蓄熱式暖房の輻射熱で病気になる
8 蒸し器の水蒸気に含まれる亜硝酸塩に発ガン性
9. 塩素が含まれる水道水を用いた煮物料理に発ガン性
10. 麦苗の絞り汁にガンを治す効果

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2016年04月26日

低所得層

「低所得層」とは、どのくらいの収入の人たちのことなのか
THE PAGE 4月25日
ここ数年、ニュースなどで低所得者あるいは低所得層というキーワードに触れる機会が多くなっています。日本経済は長期的な低迷が続いており、相対的な豊かさが低下してきていますから、こうしたキーワードが目に付くのも無理はありません。しかし、低所得者とはイメージ的には分かりやすくても、実際、どの程度の収入の人のことを指すのかはっきりしていません。ここでは低所得者について少し詳しく解説したいと思います。

「低所得層」とは、どのくらいの収入の人たちのことなのか
低所得層の定義とは?
 実は低所得者に関する明確な定義というものは存在していません。マスメディアなどでは年収300万円以下を指していることが多いようですが、統一された基準ではないと考えた方がよいでしょう。

 所得水準を考える際に注意する必要があるのは、個人の年収と世帯年収の違いです。同じ年収300万円でも、夫婦が仕事を持ちそれぞれが300万円を稼いでいる場合には、世帯年収は600万円となり、平均値は超えることになります。年収500万円で専業主婦の世帯よりも所得は多くなりますから、一概にどちらが豊かとは断定できません。

低所得層の世帯収入はどのくらい?
 厚生労働省など、福祉行政を担当する官庁では、世帯収入が生活保護水準に近いところを低所得者として位置付けることが多いようです。住民税が課税されない所得水準を基準にすることもありますし、相対的貧困率を計算する際の貧困線(可処分所得の中央値の半分)を基準にすることもあります。ちなみに、住民税が課税されない所得水準は、東京で夫婦と子ども一人の場合は200万円程度、相対的貧困率を基準にする場合には122万円となります。

 ただ、この水準では、子どもがいる世帯の場合、現実に生活するのが困難になってきますから、生活保護などの支援が必要となります。実際に生活が困窮している層と、先ほどの年収300万円以下の層を同じ所得階層として位置付けてよいのかは解釈が分かれるところでしょう。厚生労働省も、調査によっては200万円以下を低所得者とするなどケースバイケースの対応をしているようです。

公的支援を受けられる水準は?
 もっとも、税金という面から見た場合、所得水準の解釈は少し変わってきます。日本の所得税は累進課税制度となっており、所得の低い人からはほとんど税金を取らず、所得の高い人からたくさん徴収する仕組みになっています(所得税として徴収される税金のうち半分は、納税者の4%にすぎない1000万円以上の高額所得者からのものです)。累進税率の上昇ペースは、600万~700万円、1000万~1500万円を境にして大きく変化します。つまり税制の面では、600万円以下は所得が少ない人、600万~1000万円を中間層、1000万円以上を高額所得者と見なしていると解釈することが可能です。

 総合的に考えると、世帯年収が300万円以下の場合には、低所得者と考えてよいかもしれません。しかし、公的な支援を受けることができる水準ということになると、200万円以下が基準と考えれば分かりやすいでしょう。

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2016年03月02日

二つの貧困

安倍さんと黒田さんに教えたい「二つの貧困」の原因と対策=三橋貴明
2016年2月28日
この世界には、二種類の「貧困」がある。ここでいう貧困とは、人々が、「モノやサービスを入手することができない」という定義になる。どちらの場合も、国民の貧困は経済の失敗である。同時に、国民を豊かにする「経世済民」を政府が実現できていないという話で、いずれにせよ政権担当者は失格という話になるのだ。(『週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~』)

国民の貧困は経済の失敗――政権担当者は失格である
生産の不足と所得の不足、「貧困」には二種類ある
人間は、最低でも衣食住を獲得することができなければ、健全に生きていくことができない。特に「食」を入手することができない場合、普通に生命を喪失する羽目になる。農産物や水なしで生きていくことは、人間には不可能なのだ。
衣食住は当然として、人間が生きていく上で必要とするモノ、サービスには限りない。すなわち「需要」だ。

我々が生活する上で、必要不可欠なモノやサービスの需要を「満たせない」状況を、貧困と呼ぶのである。そして、国民や住民が貧困に陥り、真っ当な暮らしを営めない環境が「経済の失敗」である。
ところで、経済とは、「生産者が働き、モノ、サービスを生産し、誰かが消費、投資として支出することで所得が創出される」という、所得創出プロセスそのものだ(厳密には「実体経済」だが)。

上記プロセスにおいて、生産、支出、所得の三つは必ず同じ金額になる。
また、国内で生産されたモノやサービスの合計を国内総生産(GDP)と呼ぶ。同時に、GDPは支出、所得の総計でもある。生産面、支出面、(所得の)分配面というGDPの三つの面は、全て同額だ。これが、GDP三面等価の原則である。

経済とは、
「モノやサービスの生産」
「モノやサービスの購入」
「結果としてのモノやサービスを購入するための所得」
の三つが、三位一体となって「実質的に」拡大することで成長する必要があるのだ。GDP三面等価の原則からは、誰も逃れられない。経済とは「生産」と「所得」を「支出(購入)」が結びつけることで成り立っていると書けば、分かりやすいだろうか。
上記を理解すると、いわゆる「貧困」には二種類あることが分かる。すなわち、生産の不足と、所得の不足である。

発展途上国に典型的な「飢え」の成り立ち~インフレ型貧困とは
国内の「生産」が不足し、国民が飢えに苦しむという形の貧困を、筆者は発展途上国型の貧困と呼んでいる。あるいは、インフレ型の貧困だ。
国民が飢えに苦しんでいるとはいっても、農業生産が不足しているとは限らない。農村で生産された食料が国民に届くためには、農家以外にも複数の生産者が「労働」をする必要がある。
読者はスーパーマーケットで野菜を買うとき、「農家が生産した野菜を買った」と、認識するだろう。
とはいえ、現実にはスーパーの棚に野菜が並ぶまでには、農家はもちろんのこと、野菜を仕入れた卸売業者、野菜を運んだ運送業者、野菜を消費者に売った小売業者など、複数の生産者による付加価値(モノ、サービス)の生産が行われているのだ。
すなわち、読者が野菜を買うと、農家や卸売業者、運送業者、小売業者など、複数の生産者に「所得」が生まれる。
野菜一つとっても、農地から国民の手元に至るまで、付加価値の「鎖」が連なっているわけだ。何らかの理由で、鎖の輪が一つでも欠けてしまうと、国民の元に野菜は届かない。
例えば、国内の道路インフラが未整備で、農産物を農村から都市部に運ぶ術がなかったとしよう。その場合、どれだけ膨大な農産物が農地で生産されていたとしても、国民に届けられることはない。
あるいは、交通インフラが整備されていたとしても、トラックがなく、ドライバーもいないのでは、結局、消費地に農産物を運ぶことはできない。農産物は、農村でいたずらに腐っていく事態になる。
インフレ型貧困に陥っている国は、農産物の生産が不足しているとは限らないのだ。消費者の口に農産物が入るまでには、様々な生産者の労働や投資の結果としての固定資産(道路、トラックなど)が必要になる。
発展途上国の多くは、人材としての生産者や、投資の蓄積が不十分で、付加価値の鎖が脆弱なのである。結果的に、国民が飢える。
支出の削減に走る政府が問題を深刻化させる~デフレ型貧困とは
逆に、人材が十分に存在し、交通インフラ投資等が進んだ先進国であっても陥る可能性がある貧困が、デフレ型貧困だ。デフレ型貧困に陥った国は、「生産」⇒「支出」⇒「所得」というGDP生成の三つの面全体が縮小し、国民がひたすら貧困化していく。

三つのGDPの面において、デフレ型貧困を牽引するのは「支出」の不足である。国民がモノやサービスに対する支出を減らすからこそ、生産が減り、結果的に所得が不十分になってしまう。
というよりも、GDP三面等価の原則により、支出を減らせば自動的に生産や所得も減ることになる。
支出が減ることで、「別の誰か」の所得が減ると、今度はその「別の誰か」が所得減少を理由に、次の支出を減らしてしまう。当然、さらに別の誰かの所得が減る。

支出を減らすとは、具体的には所得から貯蓄、借金返済に回すおカネを増やすという意味だ。
経済学的には借金返済も貯蓄に含まれるが、いずれにせよ、「国民が貯蓄を増やすと、その分、所得から消費や投資に回るおカネが減る」ことになる。所得とはモノやサービスに対する消費、投資からしか生まれない。
国民が所得から貯蓄に振り向けるおカネを増やす、経済学用語で言えば「貯蓄性向を高める」と、別の誰かの所得が縮小してしまう。経済がデフレーションに突入し、国民が貧困化するわけである。
デフレーションという経済現象の「問題の本質」は、物価の下落というよりは所得の縮小である。というよりも、物価下落は所得縮小の結果なのだ。

デフレ期には確かに物価が継続的に下落するのだが、それ以上のペースで所得が落ち、実質賃金が下落する。実質賃金の下落は、モノやサービスの生産の「量」が減っていることとイコールになる。つまりは、需要の不足である。
デフレの国では、農産物の生産は十分だ。国内の交通インフラも整備され、卸売業者も、運送業者も、小売業者も、国民の元に農産物を届けるための付加価値の鎖は確固として存在する。
ただ、消費者側が所得がなく、農産物を買えない。結果、インフレ型貧困と同様に、国民が飢える。
インフレ型貧困の解決のためには、国内の生産設備に対する投資、交通インフラに代表される社会基盤への投資、さらにはして人材投資等を「蓄積」するしかない。インフレ型貧困の解消には、ある程度の時間がかからざるを得ない。
それに対し、デフレ型貧困の国では、貧困問題の解決は簡単だ。国民が合理的に支出を減らし、誰かの所得を縮小させる悪循環に入っている以上、政府がモノやサービスの購入を増やせばいいのである。すなわち、政府の財政による需要創出だ。
ところが、不思議なことにデフレ型貧困に陥った国の政府は、国民に歩調を揃えるように「支出の削減」に走り、問題を深刻化させていく。国内で民間も政府もそろって支出を減らすのでは、所得縮小に歯止めがかからず、国民の貧困化も終わらない。
インフレ型だろうが、デフレ型だろうが、国民の貧困は経済の失敗である。同時に、国民を豊かにする「経世済民」を政府が実現できていないという話で、いずれにせよ政権担当者は失格という話になるのだ。

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2016年01月18日

リプロダクティブ・ライツ

日本人は性と健康をもっと真面目に考えるべき
(転載)
リプロダクティブ・ライツ、リプロダクティブ・ヘルス、という言葉がある。性と生殖に関する権利と健康という概念だ。どうも性と生殖に関する健康や権利はないがしろにされがちではあり、こと日本に置いてもだいたい笑いの種や抑圧の元となりがちである。

[すぐに必要な時がある。緊急避妊薬ノルレボを市販薬に!
避妊の失敗や望まぬ性交があっときに、72時間以内に服用すれば81%の確率で妊娠を回避できるというお薬だ。現状ではノルレボは本人が医者にいって処方してもらうほかなく、その費用も1万5000円程度から2万円前後と非常に高額である。

本来ノルレボの価格は1500円程度である。これくらいの価格ならば貧しい人たちでもなんとか手が届くであろうし、市販薬であれば身近な人が買ってきてあげることもできる。良くも悪くも女性というのは弱いもので、避妊の失敗や望まぬ性交のショックで正常な判断力を取り戻すまでに時間がかかることも少なくない。本人が病院にいかねば処方されないようでは問題がある。他国ではとっくに市販化されてるようだ。

ところがどうも日本のフェミニズム界隈はノルレボ市販化には反対なようである。
法律を作る人たちへの圧力として機能するはずの権利団体のスタンスがこれではずいぶんと絶望的だ。

上記のスイスでの事例など見ると、ノルレボの市販化がやはり奏功してるようで中絶件数が非常に低いという。10代の少女への手厚い対応も注目だ。の親に言えずに悶々としてるうちに妊娠が発覚し中絶するという事例がいかに多いかということでもあるだろう。

おもしろいのが、2002年のノルレボ市販化後、スイスの出生率が底をうち、回復し始めたことである。他にも多様な要因はあるのだろうが、リプロダクティブ・ヘルスの推進も少なからず貢献してるのではないのだろうか。

さてリプロダクティブ・ヘルスは「性と生殖に関する健康」という概念だということは冒頭にも書いた。現在のところ国際的にも問題視されてるのは女性のそれであるが、もちろん男性にもリプロダクティブ・ヘルスはある。

俺は若年性男性更年期障害、いわゆるLOH症候群になり、男性ホルモン投与治療を受けていた。生活習慣の改善とともに今では投与がなくても、起きてられないほどの肩の痛みや不安定で鬱々とした精神に悩まされることもだいぶなくなってきた。
その治療の過程でつくづく思い知らされたのは、男性の健康と性が非常に密接であるということである。男性ホルモンというのは精巣で作られる。精巣が活発に活動するというのは、ありていに言えばなんらかに欲情していなくてはならないのである。
中高年のおじさんたちが妙にエロい週刊誌やグラビアを見たり、女性が横に座る飲み屋に行ったりするのは、加齢で減ってきた男性ホルモンを分泌させるためなのであろう。

自分でできる対処法を探して「魅力的な異性を見る」とか「頻繁に性行為をする」などがあったので、ガラにもなくグラビア写真など「治療だ、治療だ」と言い聞かせつつ見てたりなどしてたのだがさしたる効果はなかった。比較的効果があったのはやはりアニメで、アニメを見る量を増やしてたら食事改善の効果もあってだいぶよくなってきた。結局個々人にとっての「魅力的な異性」でなければ意味がないということである*1

こうした経験から、「ポルノは男性のリプロダクティブ・ヘルス」であると考えるようになった。もちろんポルノアニメを見ていたわけではないのだが、多くの男性にとって効果があるであろうものはおそらくポルノであろう。ポルノに用事のないアルファ・オスならともかく、ポルノでもなければ「魅力的な異性」を見る機会すら無いという男性も少なくない。なによりそうした性嗜好は人それぞれなので偶然の出会いなどに頼っては健康を維持できないのである。

欧米や韓国などのフェミニストたちは「ポルノグラフィティ防衛論」で有名なナディーン・ストロッセンを始め、ポルノ周りにも理解のあるフェミニストが多いらしい。

だが日本ではそうしたフェミニストたちは影を潜めてるのかそもそもいないのか、あまり声が上がることはない。代わりにあがってくるのは性嫌悪や男性嫌悪としか思えない罵倒の言葉ばかりだ。海外ではネットを通してそうした罵倒活動をする「フェミニスト」をソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーと呼ぶそうだが、日本のフェミニストはそのほとんどがソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーのようである。

どうか日本でもリプロダクティブ・ヘルス・ライツが深く浸透し、誰もが性と生殖に関する健康と権利を享受できるようになってもらいたい。そしてガラパゴスではないフェミニズムが浸透してくれることを切に願うものである。

そのためにもまずはノルレボ市販化へ向けて、微力ながら声を上げていきたい。

*1:どうも最近わかってきたのだが俺の場合は絵というより「物語」に対する性嗜好があるのではないかという気がしてきた。こういう非人間に対する性嗜好を持ち合わせる人たちをクィアと呼ぶそうだ。クィア理論としては性指向と性嗜好に区別をつけないんだとか。

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2016年01月04日

健康ブームを問う

健康ブームを問う 飯島裕一編

健康とは何か?健康はなぜ大切なのか?
『健康でなければならないと言う脅迫感』
→長生きしたいと言う欲求。病気に対する不安。
→現在の医療体制に対する不安、不信、不満。

『健康は目標ではなく、生き方の中のプロセスにある。』
『健康は目標ではなく、手段です。』
『健康は、意識や生き方の問題でもある。』
『健康と不健康の境はない。』
『健康とは、人間らしく生きるために必要なのだ。』
『健康は手に入れられると言う思い上がり』

命は三つのつながりの中で守られている。
人とのつながり。人と自然とのつながり。身体と心のつながり。

インフォームドチョイス。
病気と闘おうと自己決定した時は、治療の効果が高い。

代替え医療。オルタナティブ医療。

自律神経疾患、アレルギー性疾患、リウマチなどの慢性疾患、
老人性の病気には、東洋医学の効果が期待できる。

患者の全体を見ないで、臓器だけを見る。
患者をひとりの人間としてみる。

憲法第25条
『すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。』

患者の権利
1 人格を尊重される権利
2 平等な医療を受ける権利
3 最善の医療を受ける権利
4 知る権利
5 プライバシーの権利
6 自己決定の権利

三大生活習慣 がん、心臓病、脳血管疾患。

当初 医療は 感染症や急性症に対応してきた。
感染症は 区別と差別だった。
現在は 慢性疾患が急増してきた。

温泉が身体にいい。→科学的エピデンスがない。
非加熱製剤を否定する科学的エピデンスがない。

病気が治った時に、
心理的な影響。自然治癒力が働いた可能性。

嘘のない情報の提供、エピデンスの共有化。

21世紀は 恫喝産業(宗教、教育、医療)がはやるだろう。

『疲れた身体に栄養剤、酒の前には強肝剤、お肌のためにビタミン剤』
『健康を簡単にクスリを買う。健康をお金で買う風潮。』

『酒はほどほどに、タバコはすわないで、
食べ過ぎず、塩分は控えて、運動をしなさい。』

ソリブジン薬害事件

クスリの過大な期待。
『クスリを飲んでいるから大丈夫』
『このクスリで治るのではないか?』
クスリを二倍のめば 二倍よくなると考える。

抗生物質は 細菌には有効であるが、ウイルスには効かない。
風邪などのウイルスの起因した病気に 抗生物質を使用する。

1941年 ペニシリン 臨床に応用
『魔法の弾丸』『チャーチルの肺炎を治したと言う噂がある。』
クロロマイセチン、ストレプトマイシン、カナマイシン。
→抗生物質の乱用による弊害。
→結核がなおったのは 抗生物質よりも栄養の改善。

生活改善薬→生活の質 QOL Quality of Life
養毛剤 リアップ 1999年発売 
バイアグラ 勃起不全治療 1999年発売
低用量ピル 避妊 1999年発売
張る禁煙補助薬 1999年
禁煙ガム   1994年
SSRI 1999年
睡眠導入剤  1967年

治らない病気は 山師の花園
より質の高い生活を送るための薬
病気を治すから 生活の質を高める。
メラトニン 睡眠を誘発するホルモン

1600年代 イギリス人の背の高さ 163cm

栄養はきちんとたべものから取る

医学情報は
1 読んで分かりやすい
2 医学的に正しい
3 自分の生活態度がかわる
読んだ人が 取捨選択する智慧や基準をつくれるようにする。

『食欲が、単一、あるいはごく限られた数の物質で調整されている訳ではなく、
感情、意識などの高次の中枢の影響が強く、非常に複雑な調整機構となっている。』
→仕事がうまくいくとご飯がおいしいが、うまくいかないと食欲もわかない。

食生活の大きな変貌
仕事の効率化、交通網の発達、情報通信の普及。リストラ。
朝食抜き、早食い、まとめ食い、深夜の食事。
環境ホルモンの影響。
食の異常性の拡大。食事時間の多様性。

肥満とは 脂肪が過剰に蓄積した状態。
→肥満の解消は、食事療法と運動療法。
→『まだ食べ足りない』でいい。『嗚呼、食べたな。』は危険。
→食の『質の変更』はむつかしいので、『量の変更』
→食欲調整の根本的なメカニズムが分かっていない。

寄生虫感染が減ったから、アレルギーが増えた。
→寄生虫感染は、抗体による液性免疫。抗原抗体反応。
→結核菌やウイルス感染は、リンパ球主体の細胞性免疫。

キタキツネのエキノコックス(サナダムシの仲間)感染症
人の回虫は、4千年前に中国南部で豚を飼育したことで、ブタ回虫が人に感染した。
イヌは10万年前にペットになった。イヌのジステンバーが人間のはしかになった。
ミドリガメは サルモネラ菌をもっている。
インコやオウムは、糞で増えるクラミジアによる肺炎も問題。

免疫力で発病を抑えていたが、高齢になって、免疫力が落ちてきたために
発症する。
BCG(結核の予防接種)の効果は、10年から15年。
再接種は意味がないとされている。
イソニアジト
アボパルシン →バンコマイシン。
アボパルシン耐性腸球菌、バンコマイシン耐性腸球菌は同義。

睡眠は、進化の過程で巨大化した脳を休め、オーバーヒートを防ぐとともに、
内分泌、自律神経系、などを介して、身体の修復を行なう大切なシステム。
睡眠障害;①睡眠時無呼吸症候群。男女比8対1.
高血圧症の合併率も高く、不整脈や虚血性心疾患を起こす。
②睡眠 覚醒のリズムの障害。
なかなか眠れない症状
不眠症;精神生理性不眠(神経質症性不眠)
レム睡眠の時には、必要な記憶を定着させ、不必要な記憶を取り除く。
記憶の整理をする。
プロラクチン
交通事故や産業事故が起こりやすいのは午前4時から6時まで。

睡眠相後退症候群、非二十四時間睡眠覚醒症候群。
メラトニン、ビタミンB12
トリプトファンも睡眠誘因効果がある。

日本の長寿は
『伝統的に低脂肪の食事をとり、心臓病の割合も低いため』

健康の定義は 身体、精神、社会の三つの柱がある。
痴呆は、アルツハイマー型と脳血管型にわけられる。

加齢とは、時間の流れで年をとる
加齢によって、心身の機能が低下するのが老化。
介護の必要な人は、四〇歳以上が 4%でした。
医療費 11% 入院日数 16%。

『お医者さんが人生を決めてくれるのではない。自分で選ぶのだ。』



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2015年05月15日

アップルウォッチとウォーキング

アップルウォッチは アクティブな生活に
向いていると思う。

活用は 5月1日から。
よく使い方が わからなかった。

データ
5月2日 318cal 鍛錬 13分 スタンド4 4577歩 5.25km
5月3日  48cal 鍛錬 1分 スタンド3 399歩 0.33km
5月4日 598cal 鍛錬 33分 スタンド12 15170歩 11.43km
5月5日 510cal 鍛錬 26分 スタンド13 13220歩 9.65km(4.96km)
5月6日 571cal 鍛錬 34分 スタンド14 16105歩 11.86km(5.28km)
5月7日 613cal 鍛錬 34分 スタンド11 16411歩 12.31km(5.66km)
5月8日 817cal 鍛錬 29分 スタンド15 23642歩 17.34km
5月9日 648cal 鍛錬 7分スタンド13 15983歩 12.80km
5月10日 805cal 鍛錬 18分 スタンド12 20203歩 15.32km
5月11日 7時半現在
    243cal 鍛錬 26分 スタンド2 7443歩 5.99km(5.85km)
    447cal 鍛錬 30分 スタンド13 11141歩 8.86km
5月12日 7時半現在
    262cal 鍛錬 26分 スタンド3 7925歩 5.89km(5.85km)
    743cal 鍛錬 50分 スタンド16 18016歩 13.78km
5月13日 473cal 鍛錬 29分 スタンド13 11773歩 9.15km
5月14日 7時半 
    264cal 鍛錬 42分 スタンド3 7741歩 5.85km
    894cal 鍛錬 59分スタンド17 21596歩 16.08Km

朝歩いて やっと汗がでるようになった。
体重の掛け方が 少し理解できた。
高校のとき よく走ったことを 身体が 思い出し始めている。

5月15日 アップルウォッチは 行動する人にとっては
有益である。歩く ウォーキングする と言うことだけでも、
ひとつの目標であるが 鍛錬 という課題が ひとつの目標にもなる。
30分を 目標にして すこしづつ うわまり始めた。



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2015年05月04日

ぐったり

5月3日の 朝方 
急激に 胃の痛みを覚えた。
なんという 痛みなのだろうか。
もだえ、もだえた。

正露丸を飲んで 少し落ち着いた。
でも、身体が ほとんど動かず。
ぐったりして 一日を過ごした。

昼に 身体を動かして
銀行に行き、マンゴーを買い
床屋に行き、そして 部屋にもどる。

本を読むこともできず、
ただ ひたすらねむる。

朝 起きて 体重計は 70.7kgに、
そりゃそうだ。
マンゴー 1個 食べただけだから。

体重が 72〜73kg の間にあったのが、
やっと 変化した。
どうも、ビールの飲みすぎが 影響しているのかな。

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2015年04月25日

オムロン 体重計

オムロン 体重計 カラダスキャン を購入した。
そして、測定してみた。

体重 71.1 kg
体脂肪率 28.4 → 高い
BMI 24.3 →評価 普通
内蔵脂肪率  12.0 → やや高い
   皮下脂肪率 骨格筋率
両腕   25.1 34.8
体幹 17.3 20.7
脚 25.6 45.5
全身 19.4 28.1
基礎代謝  1530Kcal → 意外と高い 体重から算出される
身体年齢  60歳 体脂肪率が高いが、基礎代謝が多いので
         実際より 若く判定された。

BMI と体脂肪率から かくれ肥満と判定された。
骨格筋は 普通が 32.9%~35.7% とされている。
体幹と全身の骨格筋が少なく、両腕は普通、
脚はやたらと 骨格筋がある。
それでも、同じ年齢と比べると少ないそうだ。

このからだスキャンの評価
『体重が減っても体脂肪率は高くなっていることがある
基礎代謝がわかると自分の摂取カロリーと消費カロリーのバランスを調整しやすい
部位ごとの骨格筋率でどこがふにゃふにゃなのかわかる』

このデータを見て どうも身体は 脂肪だらけ。
運動しない限り 変わらないようだ。
骨格筋を増やすことが 必要だ。



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2015年04月05日

毎日 少しづつ 減量

3月20日に 定点体重測定で 72.9kg だった。

今日の朝 4月5日に 71.6kg となった。
15日間で 1.5kg の減量。
丁度、1日に 100g づつ 
減量していることとなる。

ビールを飲み、おいしい物を食べながら、
どうすれば、減量ができるのか?
少しづつわかってきた。

目標は 70kg をわること。
それで、昔のズボンやシャツが 着れるのか?
というのが、テーマなのだが。

でも、ビールを飲み おいしいものを食べれば
1kgの体重変化は あたりまえだ。
そのため、朝起きた時を 定点 体重測定としている。
この時が 体重が 一番少ない時だ。
ねむる前には だいたい 1kg は 増えている。
しかし、ねむると 1.1kg が減量される。
ねむると 水分が蒸散するのだろう。

それで、1日に 100g づつ減量されていくと言う
体重の仕組みらしい。おもしろいものだ。

糖質制限をしようと思ったのが 1月13日 だった。

76〜78kgの 体重だった時から、
どうやれば 減量することが できるのかが、
やっとわかってきた。

子供の頃から お腹は ぽこりとでてきた。
胃拡張というヤツだった。
そして、三度のご飯を きちんと食べるようになって、
体重が 膨張し始めた。
高校生の頃は 60kg が越えれなかった。
ラクビーをするには 軽すぎと言われたが、どうしても、
越えれなかった。
大学を 卒業する時には 65kg 前後だったと思う。
そして、社会人になってから 70kgの大台に乗った。
それでも、80kg になることは なかった。

だから、本来的な目標は 65kg くらいかもしれない。
あと、3ヶ月くらいかかるかもしれない。 

自分の身体ケアーをするようになったのは、
紅景天を 飲むようになって ねむれるようになり、
iPhone6 に連動した オムロンの 万歩計と睡眠の深さ測定が、
おおきな 変化だったかもしれない。

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2015年03月27日

逆戻り

昨日 夕食を食べようとしたら、
どういうわけか お腹がいっぱいの感じがした

不思議だなと思ったら、
昼間に 試飲のために ジュースを飲んだのだった。
そこに 糖が入っていて、
敏感に感じたのかもしれない。

結局あまり食べることができなかった。
そして、いつものように 起きたら 
すぐに 体重計に乗ったのですが、
73kgに逆戻りしていた。

あぁ。
わずかな糖でも 影響があるね。

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2015年03月26日

アーユルヴェーダ

アーユルヴェーダ 
(転載)
生命エネルギーとは。。。
アユールヴェーダ(インド伝統医学)では、人間は3つの生命エネルギーによって生きていると考えられています。 

ヴァータ・エネルギーは「風」と「空」から構成され、神経系統に対応し、現代の言葉で言えばヴァータの機能は脳内の神経伝達物質の作用にほとんど等しいでしょう。
呼吸と排泄をつかさどり、特徴は乾燥、軽い、粗い、早い動きをします。
あらゆる体の機能を導き、体内の流れを起こす力となりますので、ドーシャの中では最も影響力があります。活動やバイタリティーとつながり、体の空の部分〔鼻腔、腹腔、肺管、内耳〕や神経系をコントロールします。脳と運動器官の活動を導き、老廃物を排出させます。過剰になると脱水、またはそれに関係した問題、老化現象、乾燥肌、その他皮膚のトラブルや傷の治りが遅くなります。不足すると、重く鈍い感覚がでて、循環が悪くなります。

ヴァータ体質の人は、体重が軽く、脆弱で、風に飛ばされそうな体格で、創造的ですが、心が変わりやすいため頼りになりません。若い時にはたいてい痩せていて、運動家タイプで独創力に富みます。
純粋なヴァータ体質では、非常に背が高いか、低いかのどちらかに偏っていて骨ばっていてエネルギッシュです。
ヴァータ体質には、髪やまつ毛が細く目が細い。肉付きは悪く、声は細く高くかすれているという特徴があります。
肌は乾燥しがちです。排泄量は少なく、代謝が早いが食事を楽しみ〔こってりしていて贅沢な食べ物は好まない〕すぐに太ることはありません。
行動が素早く、活動的でいつも何かしているようなタイプの人です。

ヴァータには、プラーナ・ヴァータ(頭)、ウダーナ・ヴァータ(胸)、サマーナ・ヴァータ(腹部)、ヴィヤーナ・ヴァータ(循環系)、アバーナ・ヴァータ(骨盤)の5つの細分類があります。

ピッタエネルギーは、「火」と「水」からできています。体内の熱の発生と保持、消化、代謝、知性をつかさどっています。ピッタの主たる座は上腹部です。ピッタが優勢な人は、肉体も心の状態も中くらいです。肌はなめらかですが、若白髪になりやすく、男性でははげやすい。ピッタ体質の人は、代謝力が強く、食欲旺盛で、苦味、渋味、甘味、冷たい飲み物を好みます。汗をよくかき、体は温かい、活発だがきつい仕事は尻込みします。感覚は鈍く、大志を持ち、リーダーシップの素養があります。裕福な感覚を持ち、高価な物を好みます。

ピッタには、5つのタイプがあり、パーチャカ・ピッタ(胃)ランジャカ・ピッタ(肝臓)サーダカ・ピッタ(心臓)アーローチャカ・ピッタ(目)ブラージャカ・ピッタ(皮膚)の5つです。

カファエネルギーは、「水」と「土」からできています。体内の水の機能をつかさどり、体力と構造を調整しています。関節を滑らかに保ち、免疫システムを維持しています。カファが優勢な人は、太りやすく痩せにくいため、肥満になることが多い。ゆっくりしていてどっしりと重い。先天的体質がヴァータ体質だった人が、年齢を重ねるにつれ、物質に恵まれ消化できるもの以上のものを食べ過ぎて、後天的にあたかもカファ体質のようになることは珍しいことではありません。カファ体質の人は、皮膚が厚くオイリーで、髪は豊かで光沢があります。大きな目をしています。爪は分厚い。怠慢になりがちで、他人に仕事を、任せるタイプ。良く眠るので寝すぎないよう気をつけなくてはなりません。

カファ気質は、鈍くておっとりしており、変化や慣れないことにも耐えられます。エネルギーや力、お金を使うよりはためるタイプです。寛容、寛大、穏やかで怒ることがあまりなく、ビジネスに成功して富を築くことが多いのですが、情報を収集するのは遅い人です。 身体には5つのカファが位置しており、クレーダカ・カファ(胃)、アヴァランバカ・カファ(心臓)、ボーダカ・カファ(舌)、タルパカ・カファ(頭)、シュレーシャカ・カファ(関節)の5つです。

3つのドーシャのバランスが取れている人が最高ですが、そのような人はまれで、アユールヴェーダでは、体質に応じてドーシャを調和し、その働きのバランスをはかっていくことです。

touxia at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年03月20日

不思議な速さ

本を読むスピードが 速くなった気がする。

昼休みが 2時間あるが
どうも、時間の使い方がうまくないので、
昼ご飯をたべるのを 省略して
本を読む時間に 当てることにした。

そしたら、昼休みの間に 1冊本を読んでしまった。
ふーむ。
読みやすい本でしたが、
ここまで読めるようになるとは、
言葉も 飛んだような感じだった。

追伸
毎朝 体重計に乗っているが
今日の朝は 72.9kg になっていた。
長らく続いた 73kgをやっと突破できた。

おもしろいのは、寝ると 
1〜1.5kg ほど体重が減るんですね。
身体から 蒸散するんですね。
人間の身体が 水分が 60% ととすると、
40kgほどが 水分として 保有している。

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2015年03月16日

疲労

疲労とは
疲労(ひろう)は、痛み、発熱と並んで生体の3大アラームと言われ、身体にとって生命と健康を維持する上で重要な信号のひとつである。健常者における生理的疲労は、精神あるいは身体に負荷を与えた際に作業効率(パフォーマンス)が一過性に低下した状態と定義できる。通常、休息を求める欲求と不快感(いわゆる倦怠感)を伴うことが多い。病者における疲労(病的疲労)では、悪性腫瘍や糖尿病、慢性疲労症候群のように、負荷の少ない状態でも慢性的な作業効率の低下や倦怠感を認めることもある。

疲労の生理学
§疲労の分類
疲労は、末梢性疲労と中枢性疲労に分類される。末梢性疲労とは、脳以外の身体(末梢)、すなわち筋肉などに由来する疲労感覚を感じる状態である。中枢性疲労とは、脳が主体となって疲労を感じている状態である。
また、病的かどうかにより分類すると、生理的疲労と病的疲労に区別される。生理的疲労とは、基礎疾患のないもので、自然の状態で回復が可能な範囲で、活動量が休養のレベルを上回る場合に現れるものである。病的疲労とは、癌、AIDS等の身体疾患やうつ病、睡眠障害等の精神疾患が存在する場合や、慢性疲労症候群等持続的な疲労を特徴とする疾患による疲労のことである。病的疲労には発熱、リンパ節の腫れ、記憶障害などの他覚症状を伴うこともある。
疲労すると男女共に違う特徴が出る。男性は大抵疲れると無口になったり元気がなくなるが、女性の場合はイライラしたり他人に八つ当たりをする等特徴がやや違う。

§他覚的疲労と自覚的疲労感
筋肉の運動量(走行時間等)等の客観的指標で評価した疲労度と、自覚的に感じる疲労の感覚(疲労感)は、乖離することが多い。精神的な要因に大きく影響され、個人差も大きい。例えば、気分が高揚しているような場合は、通常では疲労を感じるような仕事量でも、疲労を感じないことがある。このことは、疲労についての客観的な判定基準が作りにくい原因にもなっている。 又精神的な疲れから、自我を保てない(俗に言うイライラ)になってしまい人間関係が崩れてしまうことがある。

§疲労のメカニズム
疲労が生じるメカニズムとして、次のようなものが考えられている。
エネルギー源(食事)の不足:食事により十分なエネルギーの摂取が行われないと、疲労が起こりやすくなる。
エネルギー供給が十分でも、強度あるいは長時間の負荷により疲労は惹起される。骨格筋細胞や神経細胞に負荷が加わった際、過剰なフリーラジカルにより酸化ストレスの状態に晒されることで、細胞機能の低下やミトコンドリアにおけるATP産生能の低下を引き起こす。栄養供給が十分な日本においては、運動による身体疲労、デスクワークや運転による精神作業疲労は、むしろ、この酸化ストレスによる筋細胞あるいは神経細胞へのダメージにより引き起こされることが多いとされる。
脳の調整力の失調:思考や記憶を連続して行うことなどにより、脳の調整力が低下し、情報の処理がスムーズに行われなくなることで疲労する。
セロトニン等による中枢性疲労

§筋肉疲労との関わり
カエルの筋肉を使った研究に基づき 1929年に Hill らが提唱して以来[1]、乳酸は筋肉疲労の原因物質として考えられてきた。これは、乳酸の蓄積によるアシドーシスにより収縮タンパクの機能が阻害されたためと理解された[2]。しかし後の研究において、アシドーシスを筋肉疲労の原因とする説に対して反証が報告されてきた[2]。そして2001年に Nielsen らによって、細胞外に蓄積したカリウムイオン K+ が筋肉疲労の鍵物質であることが報告された。Nielsen らの系では、K+ の添加により弱められた筋標本について乳酸などの酸を添加すると、従来の説とは逆に回復がみられた[3]。2004年の Pedersen らの報告でも、pH が小さいときに塩化物イオンの細胞透過性が落ちることが示され、アシドーシスに筋肉疲労を防ぐ作用があることが示唆された[4]。また、強度の高い運動ではATPやクレアチンリン酸の分解でリン酸が蓄積する。このリン酸はカルシウムと結合しやすく、カルシウムがリン酸と結合してしまうと筋収縮に必須のカルシウムの働きが悪くなる。これが疲労の原因の一つと考えられている。カルシウムは本来筋小胞体に貯められ、筋小胞体から出ることで筋肉は収縮し、筋小胞体に戻れば筋肉は弛緩する[5]。

§疲労の回復と予防
§方法
疲労を回復するために有効と考えられる方法には、次のようなものがある。
睡眠
入浴
マッサージ、指圧
体操
音楽療法、アロマセラピー等
笑い
薬、、イミダゾールジペプチド(バレニン、カルノシン、アンセリンなど)
嗜好品(茶、コーヒー、酒等)
これ以外にも各種の方法があるが、代替医療の一部に見られるように、科学的に疲労回復の効果が認められているとは言い難いものも存在する。

§超回復期
仕事や運動に伴い、疲労により体の機能が低下した場合に、休養を取ることで体の機能を回復することができる。休養の後、一時的に体の機能が高まることがあり、超回復期と呼ばれる。しかし、休養が不足すると、体の機能は次第に低下する。

§予防
日常的に運動を行い体力を強化することで、疲労物質の蓄積が遅くなったり、代謝効率が良くなったりするため、疲労を軽減することができるようになる。ただし、運動を行うことで一時的には体力を消耗して疲労が蓄積することになる。しかしながら、運動を継続して体力が増強していくと疲労に対する耐性や許容量は高まっていくため徐々に疲れにくくなり、長期的には疲労の防止に繋がる。
それ以外には、一般的に次のような方法が有効である。ただし、疲労を完全に予防することはできない。
摂取カロリーが不足している場合、糖分などエネルギー源となる食事を十分に摂取する。
栄養素をバランスよく摂取することが重要である。特にタンパク質は、疲労によって低下した身体機能の修復に重要な働きを持つ。
過度の運動や精神作業時に強い酸化ストレスに曝されないようイミダゾールジペプチドなど抗酸化物質を補う。
水分およびミネラルを適度に補給する。
適度な休息をとり、中枢の調整力が維持できるようにする。また、規則正しい生活を心掛ける。

§疲労と社会
疲労は現代人の大部分が日常的に感じているといわれ、疲労による労働力低下等の経済的問題も引き起こす。
また、過度の労働が原因となって病的疲労や過労死・過労自殺が生じた場合、労働災害として認められる場合がある。
なお、疲労した状態で自動車を運転する疲労運転(ひろううんてん)または過労運転(かろううんてん)は、重大な事故(交通事故)を引き起こす原因になりかねないことから、道路交通法における違反点数は「25点」とされる。

touxia at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年03月09日

私のBMI

2010年6月15日のブログ
『現在 76kg で 1m72cm なので・・・
BMI は 25.6 ・・・・過体重 ですね。

逆算すると 25は 73kg。
      24は 71kg。

ふーむ。5kgほど減量しないといけない。』

と書いてあった。
一時期は 78kg まで増えた時期があった。

今現在 プチ糖質制限 をしているので、
体重が 気になっっているが たしかに体重は減ってきている。
73kg から 74kg の間となっている。

ベルトのボタンが ひとつからふたつ減っている。
お腹のふくらみが 少し、小さくなった。

つまり 過体重と判断される 境界線のところにいる。
体重を 70Kg にすることを 目標としよう。

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2014年03月20日

高機能食品

自然免疫修飾による健康増進を目指した高機能食品の開発
(転載)
岩倉 洋一郎
(学校法人東京理科大学生命医科学研究所)
研究実施機関
平成24年度~26年度(3年間)

研究の趣旨・概要
我々は,自然免疫系を修飾することにより、アレルギーや癌などに対する予防効果のある、
「科学的根拠に基づいた安心・安全な高機能食品」の開発を目指し、これまで研究を行ってきた。この中で、自然免疫受容体の一つであるデクチン1がβグルカンの、デクチン2がαマンナンの受容体であることを初めて明らかにした。
また、デクチン1に作用するラミナリンや粒子状βグルカンの摂取が強いアレルギー抑制作用を持つことを見出し、人の健康増進・維持に役立つ可能性があることを示した。本研究では,デクチン1受容体以外の自然免疫受容体に作用するマンナンや核酸などの複数の免疫機能修飾成分を組合せることで,より免疫修飾活性の高い機能性食品を開発することを目的とする。このために,動物モデルを用いてこのような免疫修飾能を持つ食品成分の分子レベルにおける機能解析や,活性と構造の相関,大量製造・加工技術の開発、および人における効果と副作用の検討、等を4つの研究グループ相互の協力により推進する。本研究により、アレルギー,癌,感染症等の免疫関連疾患の予防効果をもつ機能性食品の開発が行われれば,国民が健康な生活を長期間送ることができる社会の実現に寄与できるものと考えている。

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2014年03月09日

亜健康

亜健康が最も多い
(転載)
『最も多い「亜健康」の人たちは、次の二つで表現されています。
一つは、症状は多くあるが西洋医学では病を特定できないものです。
疲れやすい、仕事に集中できない、イライラ感じている、目の充血、耳鳴り、足腰がだるい、冷えている、軟便或いは便秘など。女性なら生理不順、生理痛、生理に伴う諸々症状など。
とにかく症状は数多く出ますが、西洋医学的な検査では病を見つけられません。すなわち治せません。

二つ目は、検診ではデータが正常範囲を超えたが、ご本人は元気で自覚症状はまったく無いというものです。
肥満、高血圧、高脂血症、脂肪肝などが代表的なものですが、このまま放っておく、或いは改善しようと思ってもどうすれば良いのかわからないことが大部分です。
何れも結局、「亜健康」の段階で改善のチャンスを逃してしまい、本当の『病』に至ります。75%ところから20%のところに行ってしまいます。

この二つ「亜健康」タイプ改善は、正しい漢方医学で言うところの「治未病」の範囲です。
諸々の症状の多くは漢方の薬で治せます。
漢方医学の基本理念に、「治未病」というものがあります。
「治未病」を要約すると、次の3つになります。
●病になる前に手を打つこと、積極的に予防をすること。
●病気になったら、その悪化を防止し、同時に積極的に病気を治すこと。
●病気を治したら、その再発を防止すること。
不正常なデータは生活習慣の改善で正常値に戻せます。
本当に『病』までに至ったら個人だけでなく、家族そして会社、さらには社会的にも大変なことになります』

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2013年10月19日

ワーキングプアー(4)

働いても 働いても 豊かにならない。
ということから、
働いても 生活できない。
という 状況に なっている。

年金で生活できない。
病気になったらそれが家族の負担に。
老いている ということが 負担に。

勤労貧困層 ワーキングプアー

それは 個人の責任なのか?
努力が足りない。
怠けている。
結局は 負け組である。

それとも 国の責任なのか?
社会の問題として とらえるのか。

韓国では 非正規採用が多く 問題となっている。

日本の貧困率 15.3%。
アメリカの貧国率 17%。

努力をしても酬われない社会となっている。

ワーキングプアーの子どもたちは さらに ワーキングプアーとなる。
『生まれてこなければ、よかった。』
『生きている意味があるのだろうか。』

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ワーキングプアー(3)

ワーキングプアー

NHK 解决之道 優酷

番組の感想
(転載)
『韓国と米国は日本の未来の姿
前半は、日本だけでなく海外でもワーキングプが広がっている、という報道だ。
 しかし、今述べたように、それは単に「日本と同じようなこんなのありまっせ」というものではない。
 ぼくは前に、このサイトで金子勝の『2050年の私から』という未来予測を紹介したことがあるが、これは難しい経済予測をせずに、いまのトレンドをグラフにしてそれをずっーと先に延ばしていくという単純な方式で未来を予測するものだった。 

 この「いまのトレンドを延長して日本の未来をそこに見る」という方式が、この「ワーキングプアIII」と似ているのだ。
 というのは、番組が選んだのは、韓国とアメリカであり、韓国は日本よりも非正規雇用率が高くなっているという点、そして、アメリカはホワイトカラーもワーキングプアにあっさりと転落してしまうという点が、まさに「日本の現在のトレンドを延長していった未来」としてそこにあるからだ。

 番組によれば、韓国の非正規率は55%。日本は過去最高といってもまだ33%だから、韓国の非正規化がいかにすさまじいかわかる。97年の経済危機をきっかけに非正規化が一気にすすんだという。

 他方のアメリカは「日本よりもワーキングプア問題がすすんだ」国として紹介されていた。それは、先ほど述べたようにホワイトカラー層もあっさりとワーキングプアに転落していくからである。
 番組で追っていたのは、銀行のシステム管理にかかわっていたIT技術者(プログラマー)、ブライアン・ラフェリーさん(46)だった。
 彼は700万円の借金を負って大学に入り、IT技術を習得。年1000万円の収入を得ていたようなまさに「勝ち組」だった。しかし、その部門がインドへ移転してしまったことにより失職してしまうのである。

 ブライアンさんは、いまやテキサスのキャンプ場で暮らすワーキングプアである。ファーストフード店で月15万円の収入で生活する様子が映し出される。週末休みなしで毎日10時間働いている。「16歳にケンタッキーフライドチキンで働いていたけどまた戻ってきてしまった」と語るブライアンの姿に悲哀がこもる。
 いっしょにテレビをみていたつれあいが、スクーターで通うブライアンを見て「アメリカでスクーターで通う人は本当に珍しいよ」と言った。中国製の10万円のものだそうである。
 ブライアンさんはIT企業100社に応募したが競争者が多く、面接にこぎつけることができたのはわずか4社で結果はいずれも不採用だった。
 借金をして大学に入り高い技術の持ち主として働いていた人間が、グローバル化競争の波に洗われて、インドに仕事を奪われ、いとも簡単にワーキングプアに転落してしまう様を克明に描き出している。

 インドには英語を話す多数の人々がいて、さらにIT産業が勃興し、アメリカの企業の移転(アウトソーシング)がすすんでいることはよく知られているが、ITだけでなく、ホワイトカラーが担うはずの仕事のかなりの部分がアウトソーシングにかけられている。

「バンガロール〔インドのIT拠点——引用者注〕にこんな地味な仕事までアウトソーシングされているのかと驚くたびに、もっと地味な仕事がアウトソーシングされているのが見つかる。……ビベク・クルカルニ〔インド人——引用者注〕は……B2Kという会社を始めた。そこの煉瓦積み(ブリックワーク)という部門は、多忙な世界的企業の重役にインドでの専属アシスタントを供給している。たとえばある会社の社長が、二日後にパワーポイントでプレゼンテーションをやる必要があるとする。ブリックワークの提供するインドの『遠隔重役アシスタント』が、代わりに下調べをして、パワーポイントのプレゼンテーションを仕上げ、夜のうちに電子メールですべてを送り、プレゼンテーションの日にはデスクに用意されているようにする」(トーマス・フリードマン『フラット化する世界』上p.52)

 ここに日本の未来があるとすればまさに戦慄するしかない。
 これまでワーキングプアとは、ともすれば「就職氷河期に排除された若者」「低学歴の人」「母子家庭」などの問題としてとらえられてきたかもしれない。NHKの「ワーキングプアI」でもリストラされた中高年会社員のケースが出てきたが、花形たるIT産業、あるいはホワイトカラーの頂点にいた人が、グローバル化によって一瞬にして足下をすくわれるというイメージはいっそう衝撃的である。
 しかも、たとえば落ち目の部門がなくなる、みたいな「徐々にヤバい感じが広がる」というのではなく、ホワイトカラーの仕事のどの部門がいきなり消えるのかがまったくわからないという感覚は恐ろしいものがある。
 もちろん、すぐ再就職できる人もいるだろう。
 しかしできない人もいるのだ。
 キャンプでブライアンさんをまじえて話している人々が言う。

「これがアメリカのやり方だ。落ちたら終わりだ」

「国民皆保険が崩れつつある日本」
韓国とアメリカの例で共通していたのが「医療保険」の不安であった。非正規化は低収入をもたらし、医療費や保険料が払えなくなって医療からの排除をもたらしかねない。
 ぼくは注目したのはアメリカの例だった。
 アメリカは国民皆保険制度ではないし、受けられる医療も契約やおさめている保険料によって変わってくる。

 番組では、先のブライアンさんの例が紹介され、彼は高血圧が持病なのだが、もう薬がない。彼の働いているファストフード店には保険制度がなく、州の安い医療制度を受けようと思えば10時間行列に並ばねばならない。
 ナレーターがのべたように、アメリカにはセーフティネットがなく、仕事がなくなることがすなわち医療保険がなくなることにつながり、貯蓄も家族のクッションもない人はまっさかさまに奈落へ落ちていく。
 番組では「国民皆保険が崩れつつある日本」というふうに紹介されていた。その具体的な形では紹介がなかったのだが、二つ思い当たることがある。

 一つは、混合診療が本格的に導入されようとしていることだ。
 現在は、国が安全と認め必要だと判断した医療は、すべて公的な保険でカバーされている。むずかしい先端医療も、最初は保険がかからないが(その場合、その医療をうけようとすると何もかもすべて自己負担になる)、やがてそれを保険の中にとりこんでいくのである。この方式が、基本的には国民の安心をささえていた。

 ところが国民のための規制を破壊することで有名な、政府の「規制改革会議」は、07年12月に混合診療を全面解禁の方向で答申を出そうとしている。混合診療は、保険のきく医療ときかない医療をくみあわせるものだ。
 これをやりはじめると、まさに「ここまでは保険がきくが、あとは全額自己負担だがどうする?」というような事態が広がることになる。そのスキマに民間保険が入りこんでくるのである。「保険料を払ってくれればウチはそこを少しカバーしますよ」と。
 最悪、公的な保険は非常に基礎的な診療だけに限定され、お金がかかるものは民間保険か自己負担、というまさにアメリカ的世界が待ち構えている。

 規制改革会議がこれを主張するのは、まさに民間保険会社がその公的部門を「もうけぐち」にしたいからである。04年段階の資料だが、この規制改革会議の前身(規制改革・民間開放推進会議)の議長には生保会社をもつオリックスの宮内会長がすわり、その事務局にはオリックス、三井住友海上など保険会社からの出向社員が派遣されていた。
 公的保険(社会保険)が後退すれば、企業は保険料負担からのがれ、国は税金支出からのがれることができ、逆に企業の「もうけぐち」に変わるのだ。こんな「すばらしい」ことはない!

 もう一つは、国民健康保険の空洞化だ。
 ぼくは12月14日に、市民団体が開いた、福岡市の国民健康保険引き下げ請願署名の提出に参加した。14万5000筆という、オリンピック招致反対署名を上回る画期的な数だ。福岡市では、国保料が高すぎて払えず保険証をとりあげられて手遅れになるという事件があいつぎ、マスメディアでもさかんに報道されている。
 福岡市の国保は、加入世帯の80%が年所得200万円以下、という実態でささえられている。年所得200万円の3人世帯というケースの場合、なんと年間46万9600円もの国民健康保険料を支払わねばならず、5件に1件が滞納世帯となっているのである。

 福岡市はとりわけひどいのだが、全国的に国保料が高くて払えないという問題が噴出している。

 これがまさに番組がのべた「国民皆保険が崩れつつある日本」ということの中身だろう。その先にアメリカ、ブライアンさんの姿をみることは決して誇張ではないとぼくは思う。

 IT技術者が40代になってから突然クビを切られ、再就職先がみつからずに、低収入の非正規雇用となり、やがて医療保険からも排除されていく——番組のキャスターがのべたように「日本の将来像」のようである。

資本の論理にむきあう——大局的解決方向
番組の前半部分のもう一つの特徴は、資本の側の言い分を十分に紹介することで、逆に番組に深い説得力が出ているということだった。
 番組によれば、韓国は実は今年「非正規保護法」という法律をつくり、2年以上働いた人の正社員化、違反企業には最高1000万円の罰金という厳しい規制を課したのだが、これにたいして、紹介されていたのは、韓国の百貨店が非正規のパートを法実施の直前に大量にクビ切りしたのである。正社員化しなければならない直接雇用のパートをやめさせ、かわりにいつでも「調整」ができるよう、外部にアウトソーシングしようというわけだ。

 韓国の百貨店の経営側がコメント。
「雇用調整できなくなり、企業に大変な負担になる」

 アメリカのケースでも、インド・中国へのアウトソーシングをすすめるIT業界の経営サイドの人間(IT協会)が出てきて、移転は仕方ない、グローバル競争のなかでつぶれるか、移転するかなのだ、とつきつける。

 前にぼくは池田信夫の議論を紹介したが、彼は「派遣の地位向上を法律で規制なんかしてもダメだ、そんなことしたら海外にさっさと行ってしまうだけだから」というむねのことをのべて、「ゆえに雇用に規制をもうけてはならず、流動化にまかせよ。ワーキングプアは職がないよりはマシ。規制を排した流動化が経済を豊かにし、やがて果実がまわってくる」と叫んだ。
 ここまで能天気な未来図を描くのではなくとも、法規制をかければ資本がこのような対抗策に出てくることはいかにもありうることである。

 そのことに目をつぶっていては、ワーキングプア対策はできない。
 番組はこのような資本の側の論理を紹介することで、問題を深めている。

 こうした現実をふまえたうえで、番組は米韓の識者二人を登場させ、大局的な問題解決の方向を示す。

 一人は、イ・ビュンヒ韓国労働研究院(政府系シンクタンク)所長だ。彼はこうしたやり方を市場原理主義だと批判し、リスクを社会全体ではなく下に下にと押し付けるやり方は、市場の失敗であり、絶対に問題を解決しないとのべる。

 もう一人は米国の下層社会を描いたルポ『ニッケル・アンド・ダイムド』で有名なジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクである。
 エーレンライクは、グローバル競争のもとで切り下げ以外ないのかと問い、大企業は莫大な富を築いているではないかと、先の「つぶれるか移転か」という選択肢を批判する。そして、ヘンリー・フォードがかつて「せめて自社の車を買えるくらいの賃金を社員に」とのべたことを引いて、企業の社会的責任を果たすことを主張した。

 池田のように、「職があるだけマシだろう」と居直ることはぼくはとうていできない。番組でもアメリカのワーキングプア、ブライアン・ラフェリーさんは、まさに「それでも失業よりはマシさ」とつぶやく。しかし、休みなしで働いてキャンピングカーで生活し、医療を受けられずにその不安におびえるという彼の生活を「マシ」という一言で片付けるわけにはいかない。
 「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することがナショナル・ミニマムだとすれば、それが保障されない経済政策はたしかに「市場の失敗」なのである。

 そして、大局的にそのナショナル・ミニマムを保障する原資は、大企業の過剰な蓄積に求めるほかなかろう。それを吐き出すのは大企業の社会的責任である。

 前にものべたとおり、06年12月期連結決算において史上最高益をたたきだしたキヤノン(日本経団連会長の出身企業)は、偽装請負をはじめとする非正規雇用の大量活用によってささえられていた。
 現在大企業(資本金10億円以上)の経常利益はバブル期の1.75倍であるが、法人税収は減税措置などによって現在同時期比でマイナス1000億円になっている。もうけは2倍ちかいのに、おさめる税金は減っているのである。再分配機能がこわれているとしかいいようがない。税率をもとにもどすだけでも4兆円の年財源が生まれる。また、拙著『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』でも紹介したが、大企業のためこみ金(内部留保)はバブル期には74兆円だったものが現在は203兆円にもなっている。

 番組は識者の声を紹介したあとで、「特に懸念されるのは医療」だとのべたのだが、医療の問題をまず解決しようとすれば、国保の国庫負担を4000億円増やすだけで、全国の国保料は大幅な値下げができるのだ。
 番組ではここまでつっこんでいないものの、番組で紹介された識者の見解を敷衍するなら、こうした方向に大局的な解決があるとぼくは考えざるをえない。

番組の後半
さて、前半はこのように「海外のケースにみる日本の未来」そして「大局的な対決・解決方向」をしめしたのみであって、番組のサブタイトルにもなっている「解決への道」を具体的方策として示したのは、実は後半部分である。

前半もよかったが、深くうならされたのは、後半であった。

後半の「解決策」(のヒント)提示において描き出されたことは、ぼくからすれば抜本解決ではなく当面の緊急対策として何が必要か、というものであるが、別の立場の人からみれば、グローバル化や大企業の行動を規制せずにこのような対策がうてる、というふうにも読める。
 しかしその違いはここではあまり重要ではない。

 いずれにせよ、番組の後半で紹介されたイギリスとアメリカの対策は、冒頭にぼくがのべたとおり、単なる「諸外国ではこんなことやってまっせ」という一般的な紹介ではなく、日本の対策の問題点を調べつくしたうえで、その問題を浮かび上がらせるべくつくられているものだと思われる。

戦略的な企業誘致と地元での安定雇用——米ノースカロライナ
まず、アメリカのケース。
 ノースカロライナのワーキングプア対策が紹介された。
 番組では企業誘致が紹介された。
 ぼくはちょっとがっかりした。日本でもすでにおこなわれている「対策」であり、それは後述するがワーキングプア対策に役立っていないからだ。そして何よりグローバル化によってたちまち消えてしまう(撤退してしまう)ものではないか、と思ったのである。

 しかも、バイオテクノロジー企業群だという。
 なんだこりゃ。こんな専門的なものをもってきても、母子家庭や低学歴の人々は救えまい、とますますぼくは鼻白んだ。日本のワーキングプア対策でも、自立支援などといって並べられているメニューが、あまりに高い資格や技術を要し、それとワーキングプアの人々との間に深くて広い溝が広がっていることが想起されたからである。

 ところがそうではなかった。

 まず、バイオテクノロジーというのは、製品化されるさいには米国においてかなり厳しい基準が要求され、容易に海外へアウトソーシングできないものだというのだ。州政府は誘致にあたって、「かんたんに海外へ移転できない産業」を慎重に選んだという。

 しかも、企業側には「技術だけもらっていなくなってしまう人よりは地元民を雇用したい」というニーズがあり、地元からの雇用を望んでいるコメントが紹介された。

 きわめつけは、母子家庭や低学歴の人を教育訓練するプログラムによって、実験の技術サポートができるように支援していることだった。
 クリスチャン・ブルエットさんという37歳のシングルマザーが紹介されていた。
 彼女は6歳と4歳の子をもっているが高卒程度の学力しかない。

 中学校の理科の復習という地点からスタートした彼女は最終的に遺伝子のクローンができるようになるくらいまでに能力を身につけた。州立の短大でこの教育訓練は行なわれ、彼女は両親に子どもをあずけてウエイトレスの仕事をしながら、州政府の支援によって年間15万円、つまり月1万円強ほどのコストで教育訓練を受けられるのである。彼女はやがて企業への就職が決まり、まず年270万円の収入でスタートした。

 州政府は130億円の予算をかけて1万人の雇用をふやし1200億円の税収増をしたという。

 ここには、日本でおこなわれている支援の問題点が逆にどのように浮き彫りになっているだろうか。

 一つは誘致企業だ。非常に戦略的に誘致がおこなわれている。ノースカロライナのケースは、グローバル化の影響を受けないように考え抜かれているのだ。
 日本にも43道府県で企業誘致の補助金がある(07年3月現在)。
 ぼくも福岡市議会で、「青年の雇用対策を市もとりくめ」という議員の質問に、市長が「企業の誘致をすすめている」などとのべているのを傍聴席で聞いたことがある。
 大阪や和歌山などではこうした補助金が上限100億円という規模で支出されている。
 ところが実際には、多くの県では、安定雇用についてのルールも、撤退についての歯止めも何もないのが現状なのだ。
 たとえば大分県のケース。誘致されているのはモロに海外移転がありそうなデジタルカメラの工場なのだが、国会で問題にされた工場のケースでは従業員の85%が非正規雇用であった。請負・派遣がほとんどで定住者が少なく、周辺人口は逆に減っているのである。

 あるいは知事選で話題になっている大阪府。府が10億円の補助金を出した三洋電機のある工場では、従業員360人中、210人は請負だという。しかも、社員150人なかで新卒採用は11人しかおらず、のこりはすべて他工場からの単身赴任というから、雇用もクソもない。これは単なる大企業へのバラマキ以外のなにものでもない。

 日本との違いで注目すべき二つ目は、ノースカロライナではそのように戦略的に誘致した企業に、母子家庭や低学歴者が雇用されるようにサポートの体制を組んでいることだった。教育訓練が地元住民の正規雇用に直結しているのである。
 日本でも母子家庭が教育訓練をうけようとすれば、学費の4割(上限20万円)までサポートしてくれる。パソコンの講座(ワード・エクセル)くらいであれば、だいたいノースカロライナのケースと同じくらいの費用ですむ(給付分をひいた自己負担が12〜18万円くらい)。しかし資格を取得したとして、ワード・エクセルだけでは、非正規の仕事はあるかもしれないが、そのまま正規雇用に結びつくかどうかはわからない。

 気になったのは、ノースカロライナの例では、両親がいて子どもをあずかってくれる体制があったことが幸いしたのだが、これがない家庭では保育や託児に頼らざるをえないだろう。そうするとまたしても費用が発生してしまう。この点は米日共通の問題といえそうだ。

 しかし、いずれにせよ、戦略的な産業の誘致と、そこから安定雇用と教育訓練を一体にしている対策は、日本の対策の不十分さを逆に浮き彫りにしている。

社会的排除を防止する——イギリス
もう一つ、番組は、イギリスの対策を紹介していく。場所はイギリスでももっとも貧しい都市となっているリバプールである。
 番組の冒頭でも映像が流されるのだが、びっくりさせられたのは、「支援員」という人がいて、街を歩いている若者にまるで街頭補導のように無差別に「仕事はあるか?」と声をかけている様子だった。
 そこで実情を聞き取り、職業訓練を紹介するのである。

 ぼくは「労働者の権利を啓発するために、若い人に啓発のパンフレットなどを配布すべきだ」という運動にかかわっている。サービス残業や違法な解雇を是正させるすべを知り、それを実際に活用するだけで、かなりの部分の若い人の生活や権利が保障できるからである。
 ところが、国会議員に国会でとりあげてもらうよう要請したのだが、現場での担当官僚との交渉になるとまるで動く気配がない。「労働局にパンフレットとしておいてあります」。
 福岡市議会で「青年全体に働く人の権利を知らせる啓発パンフを配るべき」と市議に追及してもらったときも同じである。
 「啓発パンフレット等の周知徹底につきましては、……各区市民相談室や情報プラザなど本市の関係施設、国、県の関係施設等の市民が多く訪れる場所に配布するとともに、県と共催で行っております労働教育講座で活用するなど、機会をとらえて周知を図ってまいりたいと考えております」(07年6月21日)というのが答弁だった。つまりパンフレットつくって市役所に置いてますよというだけの話なのだ。
 福岡市はエイズの知識について啓発パンフレットを4万部つくり街頭で配布している(労働の権利のパンフは数百部しか印刷せず、しかも役所内に滞留)。せめてそれくらいできないのか、と市議がしつこく食い下がるが、やる気はない。

 そればかりではなく、たとえばニートとよばれる教育・訓練・就業のいずれの状態にもない若い人の対策をどうしているのかという問いにも「市のセンターで予約制の相談会を週1回やっています」という答えが返ってくる。要は電話窓口をつくり、電話が来たらまあ会いますよ、ということである。

 かたや、ちょっとばかり冊子をつくって役所のなかに隠匿しておく。窓口だけつくって「対策」と称している。かたや、支援員を組織して街頭に出て無差別に声をかけまくり、就労につなげるサポートをする——両者には天と地の開きがある。

 この「街頭に出て無差別に声をかけまくる」というのは、単にユニークという話ではない。根本的な思想に違いがあるのだ。

 この番組で「社会的排除防止局」という役所の担当者が登場する。EUでは、若者の「社会統合」「社会的結合」、そしてその逆の「社会的排除」という考え方があるのだ。実は、この発想は、この番組全体をつらぬくかもしれないほど重要なテーマである。
 「ワーキングプアI」でも識者としてコメントした宮本みち子がこの問題について小論文を書いているのでぜひ参考にしてほしい(労働政策研究・研修機構でのレポート)。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2004/12/pdf/017-026.pdf

「若年失業は、単に仕事がないというにとどまらず、貧困、社会的孤立、犯罪や疾病、社会保障の権利の喪失など、重大な困難をもたらす。とくに発達の途上にあり、 職業経験を積みながら社会関係を広げていくべき年齢段階における失業は、成人の失業とは異なる問題を生むものであった。若者が、社会的に要求されているあらゆるものへのアクセスができない状態にあり、社会生活上も孤立し周辺化する現象を社会的排除 (social exclusion) のひとつととらえ、この状態に陥ることを防止するのが、若者政策の重要課題となった」

 社会的排除防止局はブレア時代にたちあげられ(1997年)、学校教育と職業が直結していないことや、失業家庭や少数民族、犯罪歴のある者、失業地域、学習障害をもつ子などが社会的排除におちいりやすいことなどをとらえ、「リスクの高い若者には、私生活と、教育・訓練、仕事の持続性や、安定したサポートが欠けている。 したがって、彼らにはもっと柔軟な道程が必要である。 例えば、授業開始時刻の多様化、再入学のための複数のチャンスへ容易にアクセスできること。コネクションズ・アドバイザーから高度に個人化したサポートを受ける期間を延長することなどである」という対策方向を見いだした(同レポート)。

 たんに若者に仕事を与える、という問題としてだけ把握していなければ、たちまち自己責任という非難がそこにおそいかかり、対策はなおざりになる。2ch的な表現をかりれば、「DQN(低学歴者への蔑称)のためになんでそこまでしてやらなきゃいけねーんだよ。自己責任だろうが」ということにでもなろうか。

 しかし、本来このような統合は、社会の責任でおこなわれてきた。
 宮本が「工業化時代には、子ども期から成人期までの一本の順序だった連続的な移行ルートが存在した」(同レポート)とのべているように、日本でも高度成長期いやバブル期くらいまでは「高卒→ブルーカラー正社員」「大卒→ホワイトカラー正社員」くらいの大ざっぱなルートがあり、青年たちはいつの時代でも未熟だったが企業に統合されることで社会的に統合されていった。早い話、ほとんどの若い人はいつの時代でも使い物にならないのだが、企業に入って正社員として先輩から教えられ鍛えられて大人になっていったのである。
 ところがそのようなルートが機能不全をおこすようになってきた。

 この機能をどう回復するのか、ということは社会の責任なのである。

 番組で紹介されていたポール・チャレナーさんという17歳の中卒の少年の家庭が紹介されていたが、アスベスト除去にかかわっていた父親が職を失い家で罵声と怒号を子どもたちに浴びせている様子が描写される。

「皿をすぐ洗え!」「お前の当番だろ!」

 荒れていて、とても息子のサポートどころではない。父親自身がワーキングプアであった。
 ポールさんの以前の写真が映し出される。これはちょっと笑ってしまうほど極端なのだが、現在の就労している明るい顔と比べていかにも暗く、あまりにもヒネた目をしている。「車の盗難などをくり返していた」というナレーションも入る。
 貧困と荒廃のなかで青年が社会的孤立に陥っている様を番組はつぶさに描き出すのだ。

 このように、若い人のなかでジグザグの成長過程、社会的に孤立してしまっているかもしれない現状という把握があってはじめて、支援員が街頭に出かけて声をかけるという行為につながるのである。
 役所のなかで座して待っているだけ——「パンフレットをおいてますよ」「窓口はありますよ」などという厚労省や福岡市のような態度の根本には「社会的排除」という認識が決定的に欠落している。
 リバプールの支援員が自らの仕事を、若者を「社会につなげる」仕事だと番組でのべているのはこの認識の核心をついたものであり、番組はそのコメントをのがさない。

 この「社会的排除」、その裏返しとして「社会統合」ひらたくいえば「社会につながる」ということをどうすすめるかがキーワードになっていく。
 鎌田キャスターも「ワーキングプアの最大の問題は社会とのつながりを失い、人間としての尊厳までも失うことだ」とのべている。「最大の問題」として「社会とのつながり」をこの番組は考えたのである。

 イギリスの若者の社会的排除防止の対策では、環境や福祉など社会的に直接貢献している企業、「社会的企業」への就労が心がけられており、番組では国からポールさんのいる企業に年間1.3億円が補助され、13万円も一人当たり支援を受けていることが紹介される。番組によれば、イギリス全体で5.5万社もこのような社会的企業があり30万人がこうしたプログラムをうけているという。
 一般の企業でももちろん社会的有用な労働はおこなわれていることが多いが、環境や福祉などは自分のしている仕事の社会的意味がよりはっきりと見えてくるのだろう。自分が社会に役立っている、という意義を実感しやすい。ここにも「社会的排除の防止」という観点がつらぬかれている。


 なおあからじめ言っておけば、ぼくは英国や米ノースカロライナやイギリスの対策が「完全である」と考えているわけではない。番組でもあくまで日本の対策を考える上でのヒントがあるとしている点に注意をしてほしい。

釧路市にみる「社会へのつながり」の回復の努力
不十分ながら日本の自治体の対策も紹介される。
 番組では釧路市の27歳のシングルマザー・佐藤さん(仮名)がとりあげられた。
 この女性はパートをかけもちして働いていたが体をこわし、引きこもりがちになってしまった。まさに「社会とのつながり」を失い、社会的孤立に陥っていったのである。
 釧路市の「自立支援員」の新田摩奈美さんが、彼女を段階的に生活保護から自立へと導くサポートをしている様子が映される。ここで重要だとぼくが思ったのは、佐藤さんが最初市の子育て支援施設でボランティアから出発したのだが、次の雇用へ移行する際に不採用になってつまずいてしまったとき、支援員がサポートの手紙を出したことである。

 佐藤さんは新田さんの手紙によって「応援してくれる人がいると思って涙がこぼれた」とのべている。こうして新田さんのフォローで立ち直り、現在障害者施設で職員として働くようになった。

 イギリスの対策について宮本が「リスクの高い若者には、私生活と、教育・訓練、仕事の持続性や、安定したサポートが欠けている」「高度に個人化したサポートを受ける期間を延長することなどである」とのべたように、社会的排除を防止していくにはここでも根気づよいサポートが本来必要なはずだ。新田さんの例はそのことを実証している。
 しかし、番組では、市全体に国からわりふられた予算は900万円しかないこと、新田さん自身が薄給(支援員は月10万円)で、夜に塾講師をかけもちする厳しい生活を強いられていることを報じる。番組によれば、イギリスは関連予算を15兆円もつけている、という。まあ、いろんなものをひっくるめてであろうから単純には比較できないが、それにしても、予算面からも日本のおざなりな対策が浮き彫りにされているのだ。

「社会へのつながり」を回復させるプロセスを映像化
番組は最後に「ワーキングプアI」でゴミ箱をあさって雑誌を売る青年、岩井拓也さん(仮名・35歳)の変化を報じた。
 両親の離婚で家族が離散し、人間不信となっていた岩井さんは、バイトを転々とするうちに30代になって仕事が枯れ、ホームレスへ転落しかけた。
 まさに社会的排除である。
 だが、現在三鷹市のおこなう道路清掃などの仕事をするなかで何とか日に7000円、1カ月で7万円のお金を手にすることができた。
 重要なのは、仕事をもつことによって、社会とのつながりを回復しつつあるという変化だった。

「ゴミ箱をあさっていたときは白い目でみられていたが、いまの仕事をするようになってご苦労様といわれたり、差し入れをもらったりするようになった」

と岩井さんはのべる。映像でも、道路を清掃する岩井さんに「どうも」と声をかけている地域の人が映っている。
 前はカップ焼きそばをかきこんでいた岩井さんは、いまは店に入って定食の大盛りを食べ、以前公園で体を洗っていたのが今は銭湯に行っている。人目をさけるように生きてきた彼の人生はふたたび人とのつながりを回復しつつある。
 そればかりではない。
 市民団体のホームレス支援の炊き出しをむしろ手伝う側にまわり、自分の弁当をさらに苦境にあるホームレスに渡しているところも映像におさめられている。

 最後にインタビュアーが「以前『生まれてこなければよかった』と言ってましたが……」と問う。「今でもそういう気はある」と岩井さんはのべる。全面的に誇りをもてない状態だからだ、というのだ。
 全面的に復帰してから……といって、インタビューの途中でいきなり岩井さんは目をふせて、手で目をおさえた。ようやく立ち直ってカメラに顔をあげ、人間らしい感情がもどってきたからかもしれないと話す。

「前だったら絶対こうはならない。やっぱり人を信じられるようになって……」

といって、また涙を流して顔をふせてしまう。
 岩井さんがカメラを多少意識したにせよ、これは岩井さんが社会的排除から「社会とのつながり」を徐々に回復し、「人間らしい感情」や尊厳がもどってくる瞬間をとらえた見事な映像である。
 終わりに鎌田キャスターが「単に収入を得るだけの問題ではなく、社会に参加するということ」なのだと強調していることが、おそらく番組スタッフが伝えたいテーマと解決方向だったのだろう。

 問題が「社会的排除」にあるのだと把握されることによって、企業側の社会的責任、自らの過剰な蓄積を社会還元することの責任も明らかになってくるだろう。また、自治体や行政の支援も、おざなりな就労対策ではなく、社会的統合を実現させるためのきめ細かいサポートであり、そのための十分な予算が必要なのだという結論も出てくるだろう。

 前に『18歳の今を生きぬく』という若者の行動を実証的にレポートした本を紹介したことがあるが、そこでは、18歳の若者が経済資本だけでなく友人や家族、地域の人々といった社会関係資本を活用しながら、行きつ戻りつ成長しているということを述べた。
 ワーキングプアにたいする「対策」は必ずしも国家や自治体や企業だけの仕事ではなく(もちろんそれが根本であるが)、社会的排除を防止するという視点に立てば、ぼくらが彼らと関係をむすぶ——それはボランティアでつながってもいいし、もっと身近な友人関係であってもいいだろう——ことによってできるかもしれないのである。

個々の対策や方策はさまざまある。
 しかし、この「社会的排除の問題」という大事な視点を提起したことこそこの「III」の大きな意義だったにちがいない。しかもそれを「解説」にとどめず、岩井さんの涙の回復という驚くべき「典型的形象」の映像におさめたことにこの番組の「ドキュメンタリー」としてのすばらしさがある。』

touxia at 10:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

ワーキングプアー(2)

ワーキングプアー から抜け出す。
NHK 靠努力就能脱贫吗 優酷

番組の感想
(転載)
『2006年12月10日放映のNHKスペシャル「ワーキングプアII 努力すれば抜け出せますか」は、前作「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」の第2弾。
 非常に戦闘的な、言い換えると論争的な中身だった。
 前作はワーキングプア(働く貧困層。生活保護水準以下ととりあえず規定されている)の実態とそれを生み出す構造を描いた。これにたいして、「II」はもちろん引き続きワーキングプアの実態を描くのだが(前作に1400通もの反響があり、キャスターの鎌田自身も未曾有の経験だという)、サブタイトルにあるように「努力すれば抜け出せる」という議論に、ルポを通して反論している。
 「努力すれば抜け出せますか」という疑問、そして反語として。
 「ワーキングプアといっても、努力すれば抜け出せるではないか」――これは自己責任論にもとづく最も有力な議論である。実際にインターネット上でも前作への反響としてこのような議論があった。
 そして、安倍内閣がかかげる「再チャレンジ」政策も、その語感からもわかるとおり、「努力して抜け出せ」という見方が根底にある。番組はこの潮流にたいする雄弁な反論になっているとぼくは感じた。
「II」は、女性・中小企業・高齢者という3つの分野をみていく。
働くのに精一杯で資格がとれない――母子家庭
 まず女性。女性というジャンルをもうけたのは、おそらく、正社員化の道が男性以上に狭くなっており、非正規としてより簡単に「調整弁」になりやすく、ワーキングプアからなかなか抜けだせないからだろう。

 2つのケースが紹介された。
 一つは、母子家庭だ。10才と12才の男の子をもつ鈴木さと美さん(31)。福島県で4.5万円の家賃のアパートに3人で住み、夜中はコンビニ弁当の生産を各工場にふりわける仕事、昼間は建設会社の事務の仕事をしている。こうやって月給は18.2万円だという。子どもたちの学資など必要な控除をすると、食費など裁量が効く費用のために残るのは2万円余。
 2万円。2万円で母子3人が食べていくのだ。

 小さな子どもが2人いるというだけで、企業の多くはすでに門戸を閉ざす。高卒の正社員だった鈴木さんは結婚して退職。出産後、離婚し、すぐ仕事を探すが、正社員の道はない。スーパー、ビル管理などを8回も職を変わっている。子どもの看病を申し出ただけで解雇されたりした。

 それでも生活できたのは、月4万円もの児童扶養手当が国から支給されていからである。厚労省のホームページにも次のようにある。「女性が一人で子どもを育てながら、働き、子どもとともに生活をするために必要な収入を得ることは大変です。 児童扶養手当制度は、このような母子家庭の生活の安定と自立を促進するため設けられた制度です」。
http://www.city.kimitsu.chiba.jp/hokenfukushi/jido_katei/boshi/Jido_fuyo.1.htm

 しかし、これが2002年に改悪され、08年から最大で半分に減らされるのである。
 かわりに国は「就労による自立」のための支援メニューを用意した、というのが理由だ。じっさい、鈴木さんも介護福祉士の資格をとろうとしたが、専門学校卒業が条件であり、通学には昼間の仕事を辞めねばならず、それは不可能なことだった。

「(専門学校に)行きたくても行けない。したくてもできない。それを簡単に『自助努力』と言われたら、じゃあ……」

 鈴木さんはこう言って、言葉に詰まりながら、次のように続けた。

「……こうやって生活している私たちは、『自助努力が足らない』ということに値するのかなって……」

 番組では、鈴木さんの子育ての様子も映し出される。食事の間はテレビを見ないというルールを定め、それにそむいてぐずりだした次男を叱る。叱った後は、子どもの目線に落として「何で怒られたかわかる?」と聞くのだ。
 忙しさにかまけて甘やかし放題とか、逆に叩いたり怒鳴ったりするだけとは違い、子育てにきちんと手間ひまをかけているという印象をうけた。一人で母親役と父親役をこなしている、と番組ではナレーションがあった。
 限られた情報からの印象にすぎないが、子どもは二人とも歴史や宇宙、数学や体育が好きだと述べ、しっかりと育っているというふうに見えた。
 
 昼間の仕事のとき、昼休みに30分仮眠をとる鈴木さんの姿が映し出される。泥のように眠っている。休日に子どもたちを3000円の費用の範囲でお祭りに連れていったあとで、夜の仕事に出るのだ。大丈夫か、と番組スタッフが聞く。

「大丈夫、というかやるしかない。大丈夫じゃなくてもやるしかないですよね。あと10年がんばれば体がぼろぼろになっても子どもたちが巣立つと思うので、あと10年、自分がどうがんばれるか、どう子どもたちとむきあっていけるかっていうのが、今私が果たさねばならない責任だと思うし」

 一体この人の人生はなんなのか、という思いが胸に迫ってくる。子どもが巣立つまでの「つなぎ」――それがこの人の人生なのだ。
 「扶養手当があるから自立しようとしない。ならばそのカネをうちきって日干しにすれば苦しくなって自立へむけて努力するだろう」――国の、こういう貧しすぎる社会保障観も的確にあぶり出されている。番組ではそのような直截なことは一言もいっていないのに、である。

資格をとっても10円――若い女性
 もう一つのケースが、夢を断たれた若い女性である。
 北海道内陸部の町に住む丘ゆきえさん(23)のケース。
 学年トップの成績、美術では表彰もうけた才能の持ち主で専門学校への推薦入学が決まっていたが、父親のうつがひどくなり失職。専門学校の学費120万円が払えずに進学を断念したのだ。ゲーム会社の正社員になる、という夢は断たれた。

 丘さんは、いま妹とともに町立病院の入院食をつくる仕事をしている。はじめは臨時職員だったが、民間委託されパートに。ボーナスもなく、月8万円の収入である。妹と二人で16万円である。
 ここには、地方にまで押し寄せる「官から民へ」という新自由主義の流れ、そして田舎では女性の雇用先すらなく、あるのは公的部門がつくりだす雇用しかない、という実情が、さりげない形で差し込まれている。

 切なくなるのは、丘さんがスキルアップしようと、半年かけて調理師免許の資格をとったが、あがった時給はたったの10円だったことだ。「資格をとって自分の価値を高めよ」という説教が地方都市の現実の前ではまさに空疎に響く。

「がんばってもがんばってもそこにたどり着けない人は、負け犬って呼ばれちゃうのかな。それもひどい話だな」

 鈴木さんと同じように、静かに怒る感じで丘さんが話す。

グローバル化の波に呑まれる――地場中小企業
 次は、「景気回復を実感できない」というタイトルで中小企業を追う。
 舞台は岐阜の柳ケ瀬にうつる。地場産業の繊維がグローバル化する競争の前に衰退し、地元商店や地場の下請が壊滅的な打撃をうけていることが紹介される。
 ここではさらに中国人の研修生・留学生が安価な労働力として大量に導入されているという事情があった。海外ですでに安い労働力が使われているわけだが、日本に流入してくることによって、海外に展開できない企業も「利用」できるようになり、打撃はいっそう深刻となる。

 中国人は最低賃金で使われ、中には時給200円などというとんでもない搾取をしている企業もあるという。これでは太刀打ちできるはずもない。

 ここでも二つのケースが紹介される。
 一つめはメーカーの下請をする田村幸子さん(57)=仮名。夫に先立たれ工場を一人で切り盛りするが月7万円まで収入が落ち込んだために廃業することになった。

 もう一つは、増田豊満さん(56)のケースで、こちらもメーカーの下請。しあげのプレスをしている。素材ごとに対応を変え、「ていねいな仕事が自慢」だとナレーションが入る。しかし、中国人労働力を使う企業に次々仕事を奪われ、1着100円だった仕事は50円に切り下げられた。収入は一昨年568万円あったのに、今年は300万円に届かぬという。経費をさしひくと赤字。
 この赤字分を補填するために、妻の礼子さんがパートに出る。そのパート先は中国人研修生の寄宿のまかないというから、皮肉な話である。増田さんの娘は大学進学をひかえており、さらに物入りになる。200万円を金融機関から借りたという。

特養に入るために年金身ぐるみ――高齢者
 最後に出てくるのは高齢者。
 ここでも2つのケースが紹介される。
 一つは、京都市の北山徳治さん・文代さん夫妻で80才と75才である(仮名)。無年金者であり、現在空き缶を拾ってお金に替えている。1缶2円で、月5万円の収入。

 なぜ北山さんが無年金者になったのかというと、北山さんは大工の仕事をしており、8人兄弟を養わないといけなかったので、年金保険料を思うように払えなかった。規定まであと5年足りずに無年金になったのだ。

 では生活保護はどうなのか。
 実は北山さん夫妻は「いざ」というときのために70万円の貯金をしてある。そのために生活保護が受けられないのだ。これは前作でも似た話が出てきた。「いざ」というのが何を指すかは明らかにされなかったが、生活保護なら医療や介護の費用が出るので、おそらく葬儀代のことを指すのではないかと思う。東京の立川市のような、個人の尊厳を保てる格式を持つ「市営葬」を生活保護行政としてやればいいのに、と思う。

 御所で拾ってきたギンナンをあぶる文代さんの姿が映し出される。
 空き缶拾いも「競争」が激しくなり、売り上げも落ちてきている様子が報道されていた。

 もう一つのケースが、風間健次郎さん(76)。こちらは月6万円の年金をもらっている(夫婦あわせての額)。額からいって、国民年金だろう。
 しかし、風間さんの「悲劇」は、妻がアルツハイマー型の認知症となり、特別養護老人ホームに入ったことだった。

 驚くべきことに、昨年(2005年)秋から制度が改悪され、特養に入る時には食費と居住費を負担せねばならなくなったのだ(これとは別に介護保険の利用料が必要になる。もちろん保険料も払わねばならない)。これは国民年金の場合、年金額がほぼスッカラカンになる。「特養に入って面倒みるんだから、何もかも置いていけよ」というわけだ。
 扶養してくれる子どもがおらず、夫婦のどちらかが特養に入った場合は、とりわけ悲惨だ。風間さんはまさにこのケースである。妻の特養の費用でごそっと持っていかれるうえに、夫は自分の家賃や生活費を別に工面せねばならないからだ。

 風間さんは、公園の清掃で月8万円の収入を得て糊口をしのいでいる。

再び3人の学者に意見を聞く
 番組では前作と同じように3人の学者に意見を聞いている。
 今回は内橋克人(経済評論家)、岩田正美(日本女子大教授)、八代尚宏(国際基督教大教授)で、ラディカリスト・改良派・政府系といったところ。

 岩田は、「日本の母子家庭は世界でも類を見ないほど働いている」と強調する。なのに貧しいのだ。岩田は鈴木さんの実態をみて、「もっと条件のいい仕事に移れるよう支援を」として「所得保障と連動させる」ことを提案する。つまり、働きながら学べる、あるいは学んでいる間の所得を一定保障するしくみをつくれと言っているのだ。
 しかし、そうやっても北海道の丘さんの例のように、10円しか時給が上がらなければむなしい。むなしすぎる。岩田は「就労支援のむなしさ」と呼んだ。「雇う側に労働条件の責任」を課すことを提言した。

 そして、働いているのに貧しいというのは日本の生産水準からいうと明らかに変であり、生活の最低ラインをはっきりさせることだ、と説く。これはぼくが、前作の感想のなかでのべたことだが、格差が広がること一般が問題というより、貧困が増えていくことが問題なのだ、という指摘に通ずるものがある。
 ある基準以下になったときに支援をする、という社会的合意がなければならない。もちろん、生活保護という基準があるのだが、その適用のきびしさや、その他の社会保障制度の問題点(たとえば国民年金が生活保護以下だという問題)がこの問題をあいまいにしてしまっている。

 八代は「さらに改革をすすめれば解決する」「何より景気回復が第一」「最大の原因は長期経済停滞。もっと高い成長で雇用機会を増やす」などととんちんかんな発言。「いざなぎ景気」をこえるといわれる「実感なき好景気」が続いているのに、何を見ているのか。

 すでに前にものべたように、大企業は大量の非正規雇用の活用(キヤノンや松下の偽装請負活用を見よ)と成果主義賃金による正社員締め上げで、これまで労働側に引き渡す富を吸血しながら成長している。そして、法人税などのくり返しの減税によって再分配機能がマヒしつつある。どんなに好景気が続いても国民全体に実感が乏しいのはそのせいである。これを続けていっても「解決」はしない。むしろ、ワーキングプアのような存在を前提として成長があるのだ。
 「企業成長とともに労働の果実が大きくなる」という神話は右のグラフをみれば、すっかり説得力を失っているのがわかるだろう。(※1)

 そして、八代は、中小企業も企業なんだから、利潤が出なくなったところにいつまでもいるのはダメで、その分野から資本を移動できないならサラリーマンになるしかないと述べる。「昔と同じやり方をサポートするのはまちがったやり方だ」と主張する。この後半部分の八代の主張は一定の説得力を持っている。

 八代がめざすのは「健全な市場主義」だという。「最低の生活保障は必要」であり、そのために「所得再分配を重視すべきだ」という主張にはまったく大賛成である。

 内橋については後でのべよう。

 最後に、キャスターの鎌田靖が、ここに出てきた人はみんな「家族のために一生懸命」だったと述べ「自らの境遇を誰のせいにもしていませんでした」。そしてワーキングプアの問題というのは、「一部の人の問題ではなく、誰にでも起こりうる問題」だと指摘したのである。』

touxia at 10:27|PermalinkComments(0)

ワーキングプアー(1)

ワーキングプアー
NHK 日本社会的貧困階層;贫困阶层 優酷
厳しい日本の状況 ワーキングプアー。
みていても、寂しくなるような光景。

番組を見た感想
(転載)
『2006年7月23日放映のNHKスペシャル「ワーキングプア――働いても働いても豊かになれない」を見た。
「フリーター漂流」では、非正規雇用という貧困をうみだす根源へと迫ったが、今回はこの非正規雇用の問題もふまえたうえで、地域や自営業の衰退、社会保障の貧弱さ、貧困の世代をこえた再生産、「希望格差」など、日本社会の全体像へと広がっていった。

ちなみに「ワーキングプア」とは、「働く貧困層」の意味で、もともとはアメリカで広がっている事態を説明する概念である。ここでは、「働いているのに生活保護水準以下という人」を指す言葉として使われており、全国で400万世帯とも、それ以上ともいわれている。日本の全世帯の10分の1である。番組では紹介がなかったが、平均世帯人数(1世帯2.36人)で掛けても、1000万人前後がこのような生活を強いられているということになる。

「フリーター漂流」の果てに
まず最初に、34歳の男性・小山良人さん(仮名)が紹介される。
 ホームレスで短期の仕事をくり返しているのだが、もともとこうだったわけではない。
 小山さんが就職のために出す履歴書がうつるが、そこには「業務請負」という経歴がズラッと並んでいるのがわかる(3年間で7つの工場を転々とさせられた)。ああ、まさに「フリーター漂流」。
 「業務請負」を知らない人のためにいっておけば、請負元会社の集団ごと、別の会社の工場などに送り出されて、工場をもつ会社の指揮ではなく請負元の会社の指揮で働かされるという働き方のことだ。短い期間で仕事内容や仕事場所が目まぐるしく変わることが多い。資本にとっては、機械工程を組み立てるよりも安いコストでできる、まさに「機械以下」の存在である。
 経歴書に「業務請負」という経歴が並んでいるという事実は、業務請負を積み重ねているだけでは何のキャリアにもならないし、スキルの蓄積にもならないことを正確に意味している。
 小山さんはそのために正社員の仕事を得られないのだ。

 たちまち資格や技術を得てこなかった「自己責任」という手慣れた非難が彼を襲いそうだが、「フリーター漂流」を見ていればそんな時間的・金銭的余裕が「業務請負」の世界にはありえないことがわかるだろう。

 番組ではそこまでつっこんでいないが、もともとこのコストは、戦後日本では企業が支払ってきた。学卒者は基本的に学歴に応じて正社員として採用し、終身雇用してきたから、企業内で教育され一人前の社会人=企業人として育てられたのである。
 ところが終身雇用制、正社員主義が解体され、企業はこのコストや責任から「解放」され、すべて個人に転嫁されているのだ。

 小山さんは貯金がなくなり住居を失うとともに、仕事さえありつくのは難しくなる。家がない人を雇う職場は建設現場以外なかなかなく、そもそも彼は埼玉や神奈川に行く交通費が払えず、面接さえ受ける条件を制約されているのだ。

 一番厳しいのは年齢制限だ。ハローワークの映像が出たが、30歳をこえ、34歳になった人間に仕事はほとんどない。
 財界はさかんに「雇用の流動化」によって「多様な働き方ができるようになった」と喧伝するわけだが、実態はこのようなものだ。資本はいくらでも後から押し寄せてくる若い「失業予備軍」を吸収しさえすればいいのだから、フリーター(非正規雇用)は使い捨てである。

 窮した小山さんは、「群馬県邑楽郡……」と、最後にいた住所を履歴書に書く。いったん面接をパスし内定を得るものの、住所の問題をあとで質され、即刻内定取り消しとなった。
 公園でうなだれているこのシーンは哀切をさそう。
 いわばウソをついた格好なのだが、ぼくは、「取り消されるのも仕方がない」とはとても思えなかった。ウソを書かざるをえないという気持ちがよくわかる。

 彼はビルの地下で洗車するという仕事をようやく見つけるが、1日20台の車を洗っても手取りで10万。ほぼ最低賃金ラインで、生活保護水準以下である(まだ家はなかった)。

 番組では、ここで「ワーキングプアが増える背景」として非正規雇用の増大を原因の一つにあげて解説をおこなう。非正規雇用は雇用されている人の3分の1、1600万人におよぶ。「この10年、日本の企業が人件費を削るため、正社員の採用を抑えてきた」という問題の本質も正しくナレーションされる。

社会保障が貧困を促進する
番組は続いて、都市部を離れて、「地域社会が崩壊する」というタイトルが映り、「地方」へと目を転ずる。
秋田県の内陸部の農村。
「税金が払えない」と税務署へ集団申告した3つの家族をとりあげている。

 一つのケースは、衰退した商店街を追う。そこに高齢化と社会保障の貧困がからまりあって、貧困を脱出できない状況がリアルに映し出されるのだ。

 仙北市角館町で服の仕立て屋を営んできた74歳の鈴木勇治さんが紹介される。40あった商店は11にまで激減し、鈴木さんの店も往時には毎年100のスーツをつくったが、いまではスソあげ(100円)とサイズなおし(1000円)ばかり。年間の事業収入は25万円たらずで、ことしは4月までの売り上げは1万円にとどかぬという。

 食事は1回100~200円で缶詰めと納豆パックで食べている風景が映される。

 鈴木さんには妻がいるのだが、アルツハイマーで入院。9年間寝たきりなのだ。
 すでに鈴木さんは年金生活なのだが、この入院代(1か月6万円)で消えてしまう。番組には出なかったが、おそらく国民年金なのだろう。満額でも6万円ちょっとしか出ないのだ。奥さんにも出ているはずだから、鈴木さん本人はその分で生活しているに違いない。店からの収入はほぼないに等しいのだから。

 そこへ介護保険料の値上げ通知がくる。
 3700円が7000円とほぼ倍になるという通知だ。「2年後には医療費の自己負担が引き上げられる」というナレーションも入り、鈴木さんは口を真一文字に結んで黙ってしまう。やがて「やっぱり倍になったら払えないな。絶対に」と決然とのべる。鈴木さんは介護保険料の減免申請をしにいくのだった。

 これはもはや生活保護しかないだろう、と見ている人は思うに違いない。ぼくも思った。
 しかし、鈴木さんには100万円の貯金があるのだ。え? と思うかもしれないが、なんと妻の葬儀代として絶対に手をつけないのだという。
 北九州市がコスト最優先の数値目標までもって申請を抑制してついに餓死者まで出したように、この国の生活保護行政は徹底して生活保護を受けさせないようにできている。100万円の貯金の存在はそれだけで行政側が難色をしめす絶好の理由になる。

 鈴木さん夫婦は40年間働きづめだった。
 「いつか2人でゆっくり旅行しよう」というのが夫婦の願いだったそうであるが、入院によってそれができなくなった今、おそらく妻の労に報いる鈴木さんのせめてもの意思表示は「人並みの葬式を出す」ということなのだろうと推し量れる。
 ぼくの実家では父親が、祖母の葬式をたくさんの費用をかけて「盛大」におこなっているのを見たが、田舎では人生の終末をそのようにかけたお金に換算することが一つの幸福のバロメーターでもある。
 妻の葬式をせめて人並みに、という鈴木さんの気持ちが伝わってくるのに、それを許さない「社会保障」とは何なのかという気持ちがこみあげてくる。

「結局、貧乏人は早く死ねってことと同じだ」

 鈴木さんはこういって「笑って」からすぐ厳しい表情に戻った。なるほど手垢のついた表現であるが、本当にそうとしか言い様がないだろう。あなたにかけるお金は社会にありません、コストのかかるあなたは一刻も早く死んでほしいと、この国の「社会保障」は言っているのだ。

 ここでは商店街の衰退と高齢化、それに年金・介護・医療・生活保護といった社会保障給付の貧困、そして生活を支えるはずの社会保障が逆に生活の貧困化を促進してしまっているという事態が、からみあって地方を襲っているという様子が「見事」なまでに描き出されている。

地方での富の循環・再分配するシステムの崩壊
地域社会崩壊のもう一つのケースは農家である。ここでは二つの家族が紹介される。

 一つは観光地で漬け物を売っている農家で、農作業を終えてから自分の家でとれた野菜を漬け物にする作業をしていた。朝5時から深夜零時まで働く。
 コメの価格下落(5年で20%ダウン)で田んぼからの収入はほとんどない状況もと、漬け物も競争がきびしく経費をひくと30万円しか残らない。夫婦がこれでくらすのだ。

 もう一つは、山間地の農家で、さらに生活が厳しい。
 3世代10人が同居する大家族が紹介される。イチゴをつくるが、産地間の競争が激化したうえに肥料代や農薬が値上がりし、ついに昨年は赤字に転落したという。
 生活は、長男の建設請負や長女の美容師業でまかなっているようだが、建設の仕事は日給8000円。この家は年549万円の収入で10人をやしなうのだから、借金でシノがねばならない。

 山間地、中山間地は、コストだけかかる「地域」として切り捨てられる対象なのだ。(※)

 ナレーションで、建設の仕事が減って収入が不安定になっているということが伝えられる。

 ここでも、(1)政府がコメの価格保障を放棄し、市場化させたために生活を維持できないほどの下落がおきていること(2)その他の農作物も激しい市場原理にさらされ、生活を維持できなくなっていること(3)それをおぎなうはずの「地方への再分配システム」であった公共事業がなくなっていること、が典型的に描かれている。

新自由主義学者のごまかし
番組はここで、3人の専門家を登場させて、これまでの映像を見せて感想をのべさせる。
 ひとりは評論家の内橋克人、ひとりは放送大学教授の宮本みち子、そしてもうひとりは関西学院大学教授の村尾信尚である。ラジカリスト、改良主義者、新自由主義者をそれぞれそろえたという感じであろうか。

 予想どおり村尾のコメントが一番ひどい。
 旧大蔵官僚であるこの男は、私は「勝ち組」ですが何か? と顔に書いてあるではないか。

 村尾は、国の予算が逼迫するなかで、社会保障予算を増やすには、構造改革による規制緩和の流れを止めるべきではないとする。

「困った人、弱っている人を救うのは政府の仕事。その財源は活力で、競争で稼いだ人からその財源をもってきてもらわないといけない。稼いだお金を税金か寄付という形で社会に還元してもらって弱者を救っていくという大きな構図をちゃんと提示してあげないと、いつまでも『貧しい人はかわいそうだからすぐ救え』ということになってマーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々を攻撃する。それはよく全体を考えていただきたい」

 なるほど、前半はうなずける。社会保障とはそのような再分配システムだ。
 しかし、この村尾のコメントにひそんでいるごまかしは、二つある。

 一つは、現在の「マーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々」の富の源泉は、たとえば非正規雇用の大規模な活用によって所得を移転している、早い話収奪していることによって成立しているということなのだ(※3)。

 従来、正社員や終身雇用として雇用に対する責任を果たしていた大企業はそれを切り離し、その分を利益としてためこんでいる。右の逆相関グラフをみれば、まさにこの番組のナレーションがのべた「10年前」あたりからこの逆相関が始まっているのがわかる。大企業は従業員とともに栄えるのではなく、従業員の所得を食いものにして生きているのだ。

 もう一つは、活力で得た財源を再分配するという「税制」のシステムが作動しなくなっていることである。
 「マーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々を攻撃する」な! というかけ声で、法人税率や所得税の最高税率は激減した。この結果、たとえば法人税の税収は1989年から2000年までの間で年10兆円減収になっている。
 格差の指数であるジニ係数を使った「税の改善度」を、厚労省の所得再分配調査をもとに計算してみると〔{(当初所得のジニ係数)-(再分配所得のジニ係数)}/当初所得のジニ係数〕、1981年は6%ほどだったものが、90年には3%、2002年にはついに1%を切る。(※4)
 村尾のいうように活力や競争で稼いでも、それは大企業内にストックされ、社会保障の財源として税金化されないのである。もし再分配機能を強めようと累進性を強化すれば「マーケットで活躍している人々、強い人々、お金持ちの人々を攻撃する」ものだと、たちまち村尾は非難を浴びせるのだろう。

貧困の再生産と固定化
「奪われていく子どもたちの未来」と題して最後に番組が紹介するのは、こうした格差が固定され、世代から世代へと受け継がれていってしまう危険性だ。
「収入の低い家庭に生まれた子どもが十分な教育を受けられず、進学や就職の機会までも奪われてしまうことです」とキャスターは述べる。

 紹介されるのは、都内で男手ひとつで子ども二人を養育する山田鉄男さん(50)である。
 会社が経営難になり5年前にリストラ。職がなく、いまは3つのガソリンスタンドのアルバイトをかけもちしている。しかも割のいい深夜を週4回も入れていて、タクシーなどが殺到する。インタビューを受けている最中にも、ドアをあけたまま飛び出して車を迎える。

 こうやって働いても月20万円にしかならない。
 親子3人ではとうてい暮らしてはいけない。息子が学習塾に行きたいとせがむのだが、とてもそんな余裕はない。「長男は大学に進学し弁護士になりたいと思っていました。今ではその夢も難しいとあきらめています」とナレーションが入る。

 「いや無理っす。あきらめる」とこぼす長男が映る。
 大学進学は「お父さんが行ってもいいといったら、大丈夫といったら大学行ってもいいけど……」と長男は言う。

 すでに山田さんは600万円の貯金を使い果たし、大学進学への積み立ても取り崩しているという。

 そして、まるでこうしたワーキングプアの子どもたちの「未来図」であるかのように、路上生活から抜けだせない青年の映像が映し出される。
 岩井拓也さん(35)は3年前から路上生活をし、雑誌を拾って売って暮らしている。
 父親の借金で離婚し、母親は飲食店で働きはじめて次第に家に帰らなくなって500円が渡されるだけだったという。

 岩井さんの子ども時代の写真がいくつか登場するのが、「スポーツ選手になりたい」と寄せ書きに書いた小4のころは目に輝きがあるが、高校時代になると一気に暗くなる。
 もちろんそんなナレーションなどつかないし、表情は偶然かもしれない。しかし、岩井さんの生い立ちを聴けば、表情がその境遇にかぶさっていると見ても不思議ではない。

 そのあと、親から見捨てられた子どもたちの施設、児童養護施設の子どもたちが映る。親の養育の放棄の背景に「経済的事情がある」という施設関係者のコメントを紹介したうえで、子どもたちが「保育士になって子どもができたら役立てるようになりたい」「将来でかい家を建てて家族みんなで暮らす」と“夢”を語るシーンが放映される。

「ただ普通のくらしがしたい――子どもたちの願いです」というナレーション。

 先ほどの3人の学者が再度コメントをしたうえで番組のラストにキャスターの鎌田が登場してこうのべる。
「こういう人たちに対して『努力が足りない』『個人の責任だから仕方がない』という人がいます。私たちの番組で取材に応じてくれた人たちはいずれも真剣に仕事を探し、家族のことを考えていました。努力をしない人、意欲がない人は一人もいなかったということを強調しておきたいと思います」』

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2013年10月06日

貧困と恋愛

国慶節は 休みを取って
読書三昧をしようと思った。
あっという間に 今日で 終りだ。
10月1日から6日。
ただひたすら 本を読んだ。
そして、物語を 構成し直していた。

もっとスケールの大きなことを書きたいと思いながら、
小さな 世界の中で うごめいている 自分を見いだす。
変革とか 革命とか そのような時代をかえる
大きなエネルギーを 見つけ出すことができないでいる。

昨日 山根銀二の『ベートーヴェンの生涯』 長谷川千秋の『ベートーヴェン』
をよみながら、ベートーヴェンのもつ 生命力 にどこまで迫っているのか?
と思って、読んだが、もう一つよくわからなかった。
ベートーヴェンは じつに 筆まめだった。
そのために、ベートーヴェンの書いたものから、
ベートーヴェン像を作り上げようとしている。

また ベートーヴェンの書くものは 実にスケールが大きなことと
自分の感情を 客体化したりして、直接的なものであることが
おもしろい。

でも、ベートーヴェンの想像力が どうやって、発揮されるのか。
それが 描かれにくいようだ。
ベートーヴェンは 多くは一方的に恋をして、
好きになり、別離を味わう。
そのもだえる中で、音楽がうまれている。
それは 山根銀二が 書いている。
でも、それだけでは カバーできない。
もう一つは 度重なる 貧困の状態である。

ベートーヴェンは想像力は 恋愛と貧困からうまれた。

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2013年09月30日

格差拡大

「貧富の格差」中国234倍 一段と深刻化 上海支局長・河崎真澄
2013.9.29 (転載)
『■不満爆発と社会不安に懸念
中国経済のアキレス腱(けん)である「貧富の格差」が一段と深刻化している。北京大学の中国社会科学調査センターの調べでは、世帯所得で上位5%の富裕層と下位5%の貧困層の年収格差が、2012年時点の全国平均で234倍に達した。2年前の10年段階の調査では129倍だった。既得権益層とも重なる富裕層の世帯所得の伸びが貧困層を大きく上回ったものとみられる。

 中国においては社会治安の維持が中国共産党による一党支配体制の基盤とされる。だが、経済格差の拡大は党や政府の幹部の汚職とも深くかかわり、大衆の不満爆発に直結しやすい。都市部では若者が運転するBMWやポルシェなど高級輸入車がわがもの顔で疾走し、自転車やリヤカーが粉塵(ふんじん)を浴びる異様な光景が日常的にみられる。中国の有識者は、「格差拡大がこのまま続けば何らかの事件を契機に貧困層による暴動が広がる懸念がある」と話している。

 北京大学の同センターが10年に、チベット自治区や新疆ウイグル自治区などを除く25の省級行政地区で、都市部や農村部を含めて約1万5千世帯(対象者約5万7千人)から個別に年間所得を調べ、さらに12年にも同じ世帯を追跡調査して増減をまとめた。

12年の中国全体の世帯収入に対し、対象となった世帯の上位5%だけで23・4%の収入を得ていた。下位5%の世帯年収はわずか0・1%だった。「中国家庭追跡調査」と題するこの報告書では、上位5%と下位5%の世帯格差を234倍とし、「収入不平等レベルはかなり深刻だ」と危機感をあらわにしている。

 所得上位25%の世帯で全体年収の59・0%との結果も出ている。富裕層または準富裕層に属する4分の1の世帯だけで全体の6割近い所得があるが、一方で、下位25%の世帯年収は3・9%にしかならず格差は歴然としている。

 所得格差を示す指標として使われる「ジニ係数」は報告書では12年に0・49となっている。ジニ係数は数値が1に近づくほど、その国の格差が大きく、0・4を超えると社会不安が広がるとされる。中国国家統計局では、12年のジニ係数を0・474と公表しているが、報告書ではこれを上回る厳しい数値だった。

 ジニ係数の国際比較で報告書は08年に日本が0・38、11年に韓国が0・42などと紹介し、いずれも中国よりも格差が小さいと指摘した。国家統計局はジニ係数を今年1月の会見で明らかにするまで、00年から公開を拒んできた。

 一方、中国人民銀行(中央銀行)は昨年12月、10年段階でジニ係数が0・61に達したとの調査を発表し、関係者に衝撃が走ったことがある。

北京大学、国家統計局、人民銀行など権威的組織が、これまで国内でタブー視されがちだった所得格差問題を正面から指摘し始めたのは、昨年11月の党大会で総書記に就任した習近平氏や新指導部の意向と受け止められる。習指導部は発足以来、反腐敗へ断固たる決意を示してきた。腐敗が格差拡大を助長してデモや暴動を誘発すれば、社会不安となって一党支配体制を揺るがす脅威にもなるからだ。

 富裕層は、党や政府、国有企業などの幹部を家族や親類にもつ世帯や、こうした既得権益層に近い民間企業の経営層などの世帯が大半。有識者は、「高級幹部や経営層は基本的な給与、収入の多さに加え、節税や脱税のノウハウをもっている。灰色収入と呼ばれる違法または違法すれすれの実入りも多い」と話す。

 今回の報告書で、灰色収入がどこまで捕捉されているかは不透明で、汚職分などを含む格差は実際にさらに広がる可能性がある。また、相続税や固定資産税が原則としてない中国のいびつな税制が富の再配分を妨げており、豊かな家庭だけがますます財産を積み上げ、「富二代」(金持ちのお坊ちゃん)も生んだ。

反腐敗を掲げる習指導部はしかし、「矛盾」も抱えている。習氏は自ら党の高級幹部の子弟であり、同じ家庭環境にある「太子党」の勢力こそが習指導部や政権の支持基盤でもあるからだ。太子党は既得権益層の中核で、「習指導部が反腐敗や格差解消を本気で進めれば既得権益層を敵に回すことになり、政権の安定性を失う」(有識者)とされる。党内権力闘争を招きかねない敏感な問題といえる。

 今年3月に退任した温家宝前首相も任期中、所得配分制度の改革を何度も口にしていたが果たせなかったのは、既得権益層の激しい抵抗にあったからだとされる。その温氏の一族も、米紙によれば巨額の資産を蓄えていたという。中国の貧富の格差問題は底の見えない泥沼かもしれない。』

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2013年09月29日

健康に良いメニュー

笹川陽平 ブログより

―中国人の強い生命力の秘訣―
(転載)
『最近、週刊文春では、特集で「中国製の食品について、その安全性に問題あり」との警告を発した。中国人の富裕層では、粉ミルクは当然として、安全性の見地から日本製の食材を使用していることは今や常識である。
下記は、中国人が危険性のある食材によるメニューを作成したものである。

**************

朝食メニュー:下水油の揚げパン、赤色染料で漬けたアヒル卵、メラミン混入の粉ミルク、二酸化硫で熟せられたバナナ。

昼食メニュー:着色料入り豚肉と農薬残留ニラ炒め、ホルマリンを噴霧した山東白菜炒め、病死した豚肉で加工したソーセージ、ノロウィルスが付いている苺のデザート、クロムグリーンを加えたお茶。

夕食メニュー:避妊薬を食べて成長した魚、アンモニア水栽培のもやし炒め、増白剤の饅頭、工業用ゼラチン混入の「革靴ヨーグルト」、2-クロロエチルホスホン酸と甘味料を使用したスイカのデザート。

リラックスタイム:水銀成分混入の高級タバコを吸って、フタル酸ジブチル混入の銘酒を飲みながら、海賊版CDの音楽を楽しむ。

**************

下水油とは、料理店で捨てられた使用済みの油が下水にたまったものを精製し、再度高級料理店で使用していたことが発覚した事件で、組織犯罪として100人以上が逮捕されたことがある。


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2013年09月28日

失学問題

失学shī▼xué [動]
学校へ上がる機会を失う,学業を中断する
因家庭困难失学家庭の困窮で学業を中断する.

「失学」問題、人口流動で顕著に
2007/10/11(転載)
『農村から大都市に流入する農民工が都市開発の原動力になっている一面、その流動人口が教育問題に波及している。以下は義務教育を受けられない児童について取り上げたブログより。

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第16回三中全会で、農業、農村、農民の「三農」問題と農村教育が取り上げられた。中国の農業人口は8億人に達し、人口の65%あまりを占める。このことから農村教育は中国の未来を決定すると言っても過言ではない。しかし農村の教育の現状はどうか。
中国の農村の15歳から64歳までの労働人口で、大学(専科を含む)以上の教育を受けたのは1%未満であり、都市と比べても13%低い。全国には8500万人の文盲、半文盲がおり、その75%は西部農村、少数民族地区と国家級貧困県に集中している。
『義務教育法』が施行される前の15年間で、合計1億5000万人以上の児童が義務教育を受けられず、いわゆる「失学」状態になっている。当然その大部分が農村で、毎年130万人以上の農村の少年少女が小学校卒業後、労働力となって社会に出る。農村の青少年の中学から高校への進学率は1985年の22.3%から99年には18.6%に下降している。
人口流動による児童の失学率も高い。2000年の人口調査によれば、中国の流動人口は1億人を超え、その中で18歳以下の児童は1982万人、全流動人口の19.37%を占めるが、しかし児童の失学率は9.3%に達する。半数近い児童が適齢期に入学できず、適齢期を過ぎてから学校に行く現象が目立ち、児童が働かされるという問題が出現している。人民大学の教授は、12から14歳の流動児童の60%はすでに労働を開始していると指摘する。』

失学[shī xué]
词目:失学
拼音:shī xúe
基本解释
[be unable to go to school;be obliged to interrupt one's studies;be deprived of education] 没能上学或中途退学
因家贫而失学
详细解释
谓失去上学机会或中途辍学。
唐 杜甫 《屏迹》诗之三:“失学从儿懒,长贫任妇愁。” 明 王猷定 《除夕忆儿茂》诗:“失学吾谁咎,长贫汝乏师。” 清沈复 《浮生六记·闺房记乐》:“所愧少年失学,稍识之无,不过记其实情实事而已。” 艾青 《街》诗:“街上拥挤着难民、伤民、失学的青年。” 

金文学はいう
失学童が 2000万人いる。
そのうち 女子が 80%をしめる。

上海で花を売る少女はいう 
『勉強しても一銭にもならないから、商売するのよ。』

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2013年08月21日

夢と命を育む酵素農業

夢と命を育む酵素農業 鶴蒔靖夫(著)

1996年国際酵素農業シンポジウムが因島でおこなわれた。
その取材をベースに、酵素農業とは何か
を明らかにしようとしている。
使ったら良かった という話の満載で
どうしてそうなるのか という答えが 酵素である
という 単純な本である。

人が 健康な土に健康な植物があって
はじめて 健康なものが 得られるようになる。

あっという間に 読むことが出来るが、
実に、よく知られた事実をならべて 酵素農業が
農業の革命であり、革新をすると 主張し続ける。

ふむ。それで?
という感じの本だった。

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2013年07月01日

AGE

AGEとは
(転載)
『「アンチエイジング」という言葉の浸透が示すように、いつまでも若々しくいたいという願望は誰もが持っているはず。
 ただ、知らずに行なっていたり、良かれと思ってやっている習慣のなかに、実はかえって老化を促進してしまうものが含まれていることはあまり知られていません。
 その最たるものが「食べ物」であり「食習慣」です。
「AGE」とは、タンパク質に糖が結びつき糖化したもの。タンパク質を硬化させたり、物質を褐色に変える反応を引き起こします。コラーゲンや弾性繊維などのタンパク質からできている皮膚は、AGE化すると硬くなってハリや弾力性が失われ、シワ、たるみの原因に。黄色や茶色化し「黄ぐすみ」という老化現象も起こります。年を取ると髪のコシがなくなり、傷みやすくなるのも、髪に含まれるケラチン(タンパク質)がAGE化しているため。さらに、タンパク質でつくられている血管がAGE化してしまうと、血管の内側が厚くなる動脈硬化になり、それが脳梗塞や心筋梗塞を引き起こすのです。
 しかし、日頃の生活習慣、特に食習慣を見直すだけで、AGEを体内に増やさないことも可能なのです。

■実は老化を促す「果汁100ジュース」
 朝は必ず果汁100%ジュースを飲む、というのは一見健康的な食習慣に思えます。
 しかし、AGEの観点からすると、これは必ずしもいい習慣とは言えません。
 確かに、果汁100%のジュースからは果物に由来する栄養素が多く摂取できます。ただ、体内に入ると猛烈なスピードでAGEを作る「果糖」も大量に含まれているため、飲み過ぎには注意が必要。
 液体ということで一度にかなりの量を飲んでしまいがちなジュースですが、老化を防ぐためにも適量を心がけましょう。
 また、果糖はジュースの原料であるフルーツにも多く含まれるため、摂りすぎるとやはり弊害も出てきます。リンゴなら一日一個。バナナなら一本、みかんなら2~3個が適量。それも間食で食べるのではなく、食後のデザートにすることを、著者の山岸さんは勧めています。

■アンチエイジングの大敵「炭水化物」
 AGEを作るのは「果糖」だけではありません。血糖値が高い状態もAGEができやすく、注意が必要です。
 血糖値を上げる食べ物として、まず挙がるのが「炭水化物」。特に「麺だけ」「パンだけ」という炭水化物のみの食事は、摂取カロリー的には大きくなくても血糖値を急激に上げるので避けた方が無難です。
 とはいえ、炭水化物は食事には欠かせません。まったく摂らないというのは無理な話なので、食べる順番を工夫して、糖質の吸収を緩やかにする必要があります。
 そのためには、まず野菜や海藻類、きのこ類を食べ、それから肉や魚、大豆などタンパク質を多く含むおかずを食べます。そして最後にごはんやパスタ、うどんなどの炭水化物を食べるようにすると、糖質の吸収を抑えつつ、なおかつある程度お腹が満たされた状態で炭水化物の順番になるため、食べる量を抑えることができます。

■AGEを体内に取り込まないためには?
 ここまではAGEが体内で作られないようにする方法を取り上げてきましたが、この物質は体外から取り込んでしまう可能性もあります。
 では、AGEを多く含む食べ物にはどのようなものがあるのでしょうか。
AGEは、食べ物の「焼き目」の部分に多く含まれます。たとえば、焼き肉の焼き色の部分や、キツネ色に焼けたホットケーキの表面など、「焼き目・焦げ目」には注意が必要。
 だからこそ、本書のタイトルにあるように『老けない人は焼き餃子より水餃子を選ぶ』のです。

 本書には、老化を促すAGEという物質について、その正体や摂取・生成を抑える方法が、専門家の視点から詳しく解説されています。
 いつまでも若々しくいるために、AGEに注目して自分の食生活を見直してみてはいかがでしょうか。』


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2013年04月26日

死の定義⑵

宗教等における死の理解、死後の世界、言葉
(転載)
古代エジプトの『死者の書』は死者のための死後世界マニュアルであった。
宗教では、いわゆる「死」とは、あくまで現世における肉体の滅びにすぎず、魂(霊魂)は永遠に生き続ける、としていることが多い。多くの文化で、死に関して様々な表現を用いている。「死」は、信仰や世界観が異なると表現も大きく異なる。
古代エジプト
古代エジプトでは、人は死によって魂が一旦肉体を離れるものの、再び同一の肉体に戻ってくるとされていた。再び戻ってくるための肉体を残しておくためにミイラを作成した。
キリスト教
キリスト教においては、「死」とは人類の祖であるアダムとイブが神から離反したことによる罪とされている。イエス・キリストを信じることでこの罪は清算され、永遠の生命を得て復活すると考えられている。多くの教派ではそれらを簡便に天国に行くこと、としていることが一般的である。多くのキリスト教では「帰天」「昇天」「召天」と表現し、正教会では「永眠」と表現する。非キリスト教徒(洗礼を受けていないことを基準とする)の場合は地獄や煉獄へ行くとされることも多いが、「復活する」という教義を根拠に「死」を無存在状態と定義し、永遠の責め苦たる地獄を否定する教派も存在する(聖公会やセブンスデー・アドベンチスト教会など)。洗礼を受ける前に死んだ幼児の扱いは歴史的に議題となってきた。キリスト教徒の悪人の行方は宗派や神学者ごとに異なる。
古代インド
古代インドのヴェーダ聖典においては、人間の肉体は死とともに滅するが、その霊魂は不滅だと信じられていた。ウパニシャッドでは、肉体の死の後、魂の前には2つの道があり、一方はブラフマンに至る道であり、他方は地上において再び1つの肉体を得て再生する道である、とされた(輪廻転生)。
ブッダが説いた教え、仏教では死は人間の4つの苦しみ(生・老・病・死)の1つであるとされている。
日本の神道と仏教
神道では黄泉の国・彼岸へ行くと考えられたりもした。日本では、神道的な世界観に基づいた表現である、「冥土へ旅立つ」「黄泉に赴く」「帰幽」(幽界へ帰る)などの表現を用いる人も多い。また日本では、古代に言霊の思想などもあり、「死」という語を声に出したり書にしたためたりすることは不吉であると考え、これを禁忌(タブー)として扱ってきた。
日本の仏教では、宗派により考え方は異なっており、(ヴェーダ同様に)輪廻転生があり、悟りを得た者は輪廻から解放される(解脱する)としている宗派もあるが、輪廻転生はしていないとする宗派もある[10]、そのようなことがらについては、どちらだとも説明しない宗派もある[11]。 ただ、信者の死は輪廻転生思想に準じた「あの世へ行く」「他界」「往生」「成仏」などと言うことが多い[12]。高僧の死は「入滅」「入寂」「遷化」などともいった。
また「鬼籍に入る」という、中国的な世界観に基づいた表現、あるいはそれと混交した仏教での表現、も用いられることがある。また、高齢まで生きて死んだ時に用いる「天寿を全うする」「大往生する」といった表現も、話者はあまり意識していないが、上記の世界観から生まれている。
その他の日本における死の表現
上記の各宗教における表現以外にも、様々な場面で、「死」という表現に代わる表現を用いる。親族の死には「不幸」などの表現が用いられることが多い。場面に応じて、「臨終」「物故」「亡くなる」などとも言う。また「逝去」「逝く」「世を去る」「不帰の客となる」「帰らぬ人となる」「土に帰る」など、さまざまな表現が用いられてきた。
日本では病院で入院患者が死亡すると、医師や看護師は死亡患者と同室だった他の入院患者に対して「〜さんはお帰りになりました」といった穏やかな表現をつかうことが多い[13]。
現代用語で「早世」と「夭折」は「若死にする」ことを意味する同義語として捉えらることが一般的だが、かつては人生半ばにして死ぬことを「早世する」といい、成人に満たないまま死ぬことを「夭折する」といった。「夭」は「若くみずみずしい」という意味の漢語である。
「不幸」はそれ自体が死を意味する語だが、不幸な境遇や異常な状況下で死ぬことにも当然のことながら多くの婉曲表現が用いられてきた。無念の死を「果てる」、むなしい死を「朽ちる」、 戦場での死を「散る」、旅先での死を「客死する」、さらにそれが辺鄙な地や思いがけない場所の場合は「行き倒れる」とも言った。内心では死んでしまえと思うような奴や、世間に害を成す悪人や罪人の死にさえ、日本人は「くたばる」という間接表現を使って「死」そのものを口にすること避けてきた。
チベット
チベットには『死者の書』があり、死後の世界でどう対処すればよいのか、それを読み学ぶ。チベットのある宗派では、人は病などで死期が近づくと家族からは離れて僧侶と二人きりで時を過ごすという。僧侶は枕元に座り、まさに死の時にどうすべきかを繰り返し説く。光が見えるので、迷わずその光の方向へ向かってまっすぐに進め、現世に残した家族に執着して立ち止まったりしてはいけない、と説くという。
現世的な身分の上下を重視した人々
現世での政治的な身分の上下にこだわる者たちは、死の表現まで身分ごとに異なった表現を用いた。中国の古典の『礼記』曲礼篇によると「天子の死を崩(ほう)と曰(い)ひ、諸侯は薨(こう)と曰ひ、大夫は卒(そつ)と曰ひ、士は不禄(ふろく)と曰ひ、庶人は死と曰ふ」とある。これにならい日本でも古くから、王や女王および四位や五位の位階をもつ者の死は「卒去(そつきょ)」と言い、皇族や三位以上の公卿の死は「薨去(こうきょ)」、天皇や皇帝の死は「崩御(ほうぎょ)」、「登遐(とうか)」などとも表現してきたという。また、貴人の死は「身罷(みまか)る」、「お隠れになる」とも表現されてきた。
三国志の著者陳寿は、当時の歴史観で正統とされる魏の皇帝に対し崩の字を用い、非正統とされた呉の皇帝は諸侯として薨の字を用いた。しかし自らが仕えた蜀の皇帝には、『尚書』において帝舜に用いられた殂の字を用いた。この字は崩に通じる。


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2013年04月25日

死の定義

死という言葉は、いつから死んだのかということを、
明確にし、死の定義をきちんと定めないといけない。

死とは、ウィキペディアでは、
『死(し、英: Death)は、命がなくなること・なくなった状態、生命活動が止まること・止まった状態、あるいは滅ぶこと・滅んだ状態のこと。人間の死の定義は文化圏、時代、分野などにより様々である。
近年では「不可逆的」という概念が加えられることもある(→「死亡の判定・定義」節を参照)。一時的に命が無い状態になったが再び生の状態に戻った場合、途中の死の状態を「仮死」や「仮死状態」という。
伝統的には宗教、哲学、神学が死を扱ってきた。近年では、死生学、法学、法医学、生物学等々も死に関係している。
死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。組織の滅亡や、そのものがもつ本来の機能が失われることも「死」と表現することもある。
対義語は「生」(せい)、「命」(いのち)または「誕生」。
人間が死に至る死因の種類は、外傷・疾患・老衰、事故死・自殺・他殺などさまざまである。
死亡の判定・定義
人については、呼吸と鼓動の停止、瞳孔反射の消失をもって死んだものとする見方が一般的である。しかし死にはさまざまな定義がある。
以前はいずれか1つのみの機能停止であっても速やかに他2者の機能停止に至るため、「死亡」は心停止と同義であった。
現在では人工心肺をはじめとした救命技術の進歩によって、心肺停止状態でも恒常的に脳を生かして意識を保って置ける、あるいはそれを回復する可能性を残すようになった。また、脳機能のみが廃絶しても心肺機能を人工的に維持することが可能となり、心肺機能が保たれているが脳の活動を示す所見がない状態を「脳死」、心肺停止による心肺脳全ての停止を「心臓死」と呼ぶようになった。
現在の定義のひとつに、「生命活動が不可逆的に止まる事」[2]というものもある。「不可逆的」の意味を理解するには人間の例で考えるとわかりやすい。人間の髪の毛や爪は心臓・肺・脳が全て停止していても、数日間は伸び続ける。この間は毛根細胞は生きているが、心肺脳が全て停止している場合、やがては毛根の活動も停止してゆくことは免れない。この考え方では、このように個体の状態の不可逆的な活動停止への変化を死と言う。この考え方では、逆に事故などで心肺停止状態に陥っても心肺蘇生によって息を吹き返した時には、この間の心肺停止は可逆的なので、死とは言わない[2]。
法医学では、人間の死は、心臓・肺・脳、それら全ての不可逆的な機能停止によって規定される[要出典]という。
法律上、何をもって人の死とするかという問題については「人の終期」も参照
脳死
死の正確な瞬間を判定する試みは、歴史的に問題を含んできた。
死はかつて鼓動と呼吸の停止と定義された[要出典]。現在では、心肺蘇生術と迅速な細動除去の発達によって、以前の定義は不十分なものとなった。この以前の定義は現在「臨床死」と呼ばれている。臨床死が起こった後でも、場合によっては鼓動と呼吸を再開することがある。かつては死の原因となった出来事も、医療技術の発達によって直接は死に結びつかなくなった。心肺機能に代わる生命維持装置やペースメーカー、さらには臓器移植によっても死を避けることができる。
今日では死の瞬間の定義が求められたとき、医師は通常「脳死」または「生物学的死」という概念を用いる。脳の電気的活性の停止が意識の終わりを示すと考えられるため、脳の電気的活性が止んだとき、人間は死んだことになる。意識の停止は睡眠中や昏睡中にも起こりえるため、停止は一時的なものではなく、永続的で回復不能なものでなくてはならない。意識の停止がたんなる睡眠であった場合、脳波計で簡単に確認できる。臓器移植を行う際に、死後早急に臓器を摘出後、移植手術を行わなければならないため、正確な脳死判定が重要となる。
一部の人は、人間の意識に必要なのは脳の新皮質だけである、と主張している人々は、新皮質の電気的活性だけを基準に死の判定をすべきである、と論じている。"大脳皮質の死によってもたらされる認識機能の永続的で回復不能な消失が、死を判定する基準となる[2]"と述べる人もいる。"人の思考と人格を回復する望みはないから"と考えるのである。
現時点では、より保守的な、大脳全体の電気的活性の停止をもって人の死とする論が大勢を占めている[要出典]。
2005年の植物状態におちいったテリー・スキアボの尊厳死を巡る事例は、アメリカの政治を脳死と人為的な生命維持の問題に直面させた。 一般的に、そのように死の判定を巡って争われた事例で、脳の死因は無酸素状態によって起こる。 大脳皮質はおよそ7分間の酸欠で死に至る。
酸欠によって大脳皮質の機能が失われた場合でも、死の判定は難しい。 脳の電気的活性が脳波計が感知するにはあまりに低かった場合、何も存在しなくても、脳波計はノイズ(見かけの電気信号)を感知することがあるためである。 このため、病院では、脳波計を使って死を判定をするときは、病院内で広く空間を隔てるなどの精巧な実施要綱がある[要出典]という。
救急現場での死の判定
原則として医師と歯科医師以外の者が患者の死亡を宣言する権限はない。消防機関の救急業務規程の中では、「明らかに死亡している場合」や「医師が死亡していると診断した場合」には、救急隊は患者を搬送しないと定められている。すなわち、それ以外の場合では、患者が生存している可能性があるものとして取り扱うことが求められている。「明らかに死亡」とは、断頭、体幹部の離断、死体硬直、死斑、腐敗、炭化、ミイラ化その他の明らかに生存状態とは矛盾する身体への損害(いわゆる社会死状態)をいう。社会死要件を満たさない場合、救急隊員は救命措置を開始後に、医師の診断を受けるまでそれをやめてはならない。病院到着時の診察で死亡が確認されることを、DOA(Dead on arrival = 病院到着時すでに死亡)という。
早すぎた埋葬
医師に死亡を宣告された後、生き返った人々の逸話が多くある[3]。
イギリスのビクトリア時代のそのような逸話では、あるものは防腐処理を始めた時に、あるものは死の数日後に棺の中で意識を回復するなどして動き回ったりする。当時のイギリスでは、このような早すぎた埋葬を、強迫観念的に恐れるようになる人がいた。同時代以前には、ペストなどの伝染病流行時に、感染を恐れて検死がずさんだったりするケースもしばしばあったとされ、これが死者復活(→吸血鬼やゾンビ・グールなど)の伝承となったと考える者もいる。
これらは、その当時の検死技術が完全ではなく、ショック状態における体温の急激な低下や、呼吸量の著しい減少、あるいは血圧低下による脈の微弱な状態を死亡と誤って判定したケースや、一時的な心肺停止後に偶発的に心臓の鼓動が正常に戻るなどして「生き返った」とみなされたのだろう。このため近代的な検死では、最初のチェックから一定時間後に生命の兆候がないかを再チェックするようになっている。
検死技術の発達以前における土葬では、このように生きているにもかかわらず埋葬され、生き埋めとなる可能性は誰にでもあり、またそれらの可能性は大変な恐怖を伴った。そのため発明家たちは被埋葬者の状態を棺外に伝える方法を発明した。地表にはベルと旗があり、それが棺内にひもでつながっていた。棺の蓋には金槌や滑車装置で壊せるガラスの仕切りがあった。しかしこれは気休めでしかなく、この滑車装置が棺にかけられた土のため機能し得ず、棺を破壊したところで割れたガラスと土が被埋葬者の顔を覆う事になる。(安全な棺も参照)
臨死体験
ヒエロニムス・ボッシュの油彩画(15世紀頃)。この絵画は臨死体験を表現していると言われることがある
詳細は「臨死体験」を参照
仮死状態から医学処置などで蘇生した人の4~18%が臨死体験と呼ばれる夢もしくは幻覚を報告する。臨死体験が起きるメカニズムには諸説あるが、心停止により脳が酸素欠乏、意識の喪失へと陥る危機的状況の中で脳が普段と異なる振る舞いを見せる。このうち体外離脱感覚と呼ばれる幻覚は側頭頭頂結節点を電気刺激することで誘発できることが知られている[4]。
宗教の世界、スピリチュアルな世界では死後の世界へとつながる感覚として重要視されている。 つまり、医師などによって死亡したと判定されたのに、時間を経て再び生き返る人がいる。別の言い方をするなら、仮死状態から生き返る人である。ゆえに「臨死体験」と呼ばれている。
有史以来、「臨死体験」をした人々が多くいたようであり、西洋でも東洋でも類似の内容が様々な文献に記録されているという。ハーバードで宗教学の講義を担当するキャロル・ザレスキーは、中世の文献は臨死体験の記述であふれていると指摘した。また、日本でも『今昔物語』『宇治拾遺物語』『扶桑物語』『日本往生極楽記』などに臨死体験そっくりの記述があるという[5]。
近年では医学技術により、停止した心臓の拍動や呼吸をふたたび開始させることも可能になったため、死の淵から生還する人の数は過去に比べて増えている[6]。
臨死体験の研究というのは、欧米では地質学者のアルベルト・ハイムが登山時の事故で自身 臨死体験したことをきっかけに行い1892年に発表し先鞭をつけ、その後 1910年代~1920年代に数名により研究が発表されたが一旦途絶え、1975年にキューブラー=ロスとレイモンド・ムーディという医師があいついで著書を出版したことで再び注目されるようになった[5]。1982年には、やはり医師のマイクル・セイボムも調査結果[7]を出版した。[5]
人は死に臨んで、まばゆいばかりの光、美しい景色などを見たり、この世を去って久しい身内などが現れたりするという。自分が宙に浮き上がり、その後に肉体の中に戻ってきたことを思い出すこともあるという[6]。臨死体験は様々に解釈されている。スピリチュアルな解釈と唯物論的解釈があり、医師や科学者の間でも解釈は分かれている[8][9]。 (臨死体験にて詳説)。』

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2012年08月22日

トクホ 1000品目超える

許可品目が1000品目に―トクホのこれまでを振り返る(森田満樹)
(転載)
『1991年にスタートとした特定保健用食品の制度は、2012年5月現在でその許可品目が1000品目となった。この間、数々のヒット商品を産みながら、その一方で様々な問題が指摘され、制度は何度も見直されてきた。トクホのこれまで、光と影を振り返ってみよう。

 トクホ制度ができたきっかけは、1984年に文部省(当時)が行った「食品機能の系統的解析と展開」という特定研究である。この中で食品には1次機能の栄養機能、2次機能の嗜好的な機能とは別に、3次機能として体調を調節する機能がある、ということを明らかにした。医薬品のような効能効果はうたえないけど、食べものだからできることがあるのではないか―こうして産官学が一体になって「機能性食品」構想が持ち上がったのである。

 厚労省は1987年に「機能性食品」の市場導入構想として、世界で初めての制度を創設すると発表した。当時はちょうどバブルの全盛期、日本には元気があった。その頃の食品開発・研究現場に身を置いた人ならば、当時の活況を懐かしく思い出すことだろう。結局のところ、制度化にあたっては、「機能性」ということばは医薬品用語ではないかという指摘もあり、「特定保健用」という名前になったが、国が機能を認めた「トクホ」は、大きな市場に発展していったのである。

 1993年に第1号として表示が許可されたのは、アトピー性皮膚炎用の除たんぱく米(ファインライス)と低リンミルクだ(対象が病者のため、後に特別用途食品の病者用食品に移行)。今のトクホとはずいぶんとイメージが違う。その後、1997年には許可品目が100品目に到達し、2001年には制度が見直されて錠剤やカプセルの食品がトクホとして認められるようになった。さらに2003年には、再許可等申請制度(商品のリニューアルやOEMで他社のトクホをつくるときに使える制度)が導入され、許可品目は飛躍的に増大し、2005年には500品目を突破し、今年5月に1000品目に到達した。

 市場規模も拡大した。(財)日本健康・栄養食品協会はトクホの市場規模調査を公表しているが、1997年には1000億円程度だった市場が、2007年に7000億円ちかくまで売り上げを伸ばしている。

 ところが、その後頭打ちとなり、2011年度の市場規模調査は5000億円程度となって、現在は縮小傾向にある。経済状況の変化という背景はもちろんあるだろうが、2009年9月に消費者庁が設立されてトクホの制度が消費者庁に移行したことも一つの要因だろう。

 消費者庁は設立して2ヶ月後に「健康食品の表示に関する検討会」を立ち上げ、2010年8月にまとめた報告書で、トクホについて1)表示許可手続きの透明化、2)許可後に生じた新たな科学的知見の収集、3)保健の機能を適切に伝え得る表示広告方法について、早急に対応すべきとした。抜本的な見直しを求めたのである。特に3)については、2011年6月に「特定保健用食品の表示に関するQ&A」を公表し、許可された保健の用途を強調する表示について試験結果やグラフのトリミングなど、虚偽・誇大表示となる恐れのある表示を具体的に示し、事業者に対応を求めた。

 また、消費者庁はトクホの許可についても手続きを行っているが、厚労省時代に比べれば認可スピードはかなり落ちているという。最近の許可件数の多くは、商品のリニューアル等で使う「再許可等特保」や、「規格基準型特保」のジャンルである。新しい成分を認可する場合は、長いものでは5~6年かかるものもあるという。目先の新しいものが、なかなか出てこないのが現状である。

 許可内容の内訳をみると、お腹の調子を整える保健用途が約3分の1、そのほかコレステロール、中性脂肪、体脂肪、血圧、血糖を保健の用途にするものでほとんどを占めている。特に新規ヘルスクレームの取得はとても厳しく、たとえば現在申請されている「肌が乾燥しがちな方」向け等の新しい機能性成分は、審査が慎重になって時間がかかる。事業者の中には、トクホは時間がかかるから、最初から健康食品として上市するところもある。

 消費者庁が公表している資料によれば、健康食品市場(トクホを除く)の市場規模は、1兆1,800億円と推測しており、縮小方向にあるトクホ市場とは対照的だ。そもそもトクホの位置づけは、エビデンスがきちんとあるものを国が許可することによって、健康食品と線引きし、市場の健全化を図るというものだった。しかし、その役割はうまく果たせているだろうか。

 こんなはずではない―機能性食品の明るい未来を信じた人たちからすれば、忸怩たる思いだろう。それは、消費者も同じことだ。ターゲットとする対象者に届かず、適切な使い方が伝わらなければ、その効果は発揮されることはない。「これさえ飲めば大丈夫」という広告を信じて購入した消費者が「こんなはずではない」とがっかりしてしまう。トクホのイメージに不透明さ、不信感が拡がれば、今後もさらなる市場縮小に歯止めをかけることはできないのではないか。

 トクホを正しく伝えようと、(財)日本健康・栄養食品協会は2010年2月に「特定保健用食品の適正広告自主基準」を作成している。これは前述した消費者庁の「特定保健用食品の表示に関するQ&A」に先立って作成されたもので、2つを比べると、表裏一体になっていることがわかる。事業者が健全な市場形成を目指して「自分たちができるルール」を決めて、国がそれを徹底するよう指導を行う。しかし、事業者自らが決めたはずの自主基準が今でも一部で守られていない。協会では会員へ留意のお願いをしているそうだが、それでも広告が改められないケースもあるという。

 機能性食品の構想が立ち上げられて四半世紀がたち、期待されたものと実体が乖離していくことを目の当たりにしている。それは、かつて食品に機能性があると夢見たものにとって、残念なことだろう。そのずれを修正し、消費者がトクホの機能を等身大で理解するためには、事業者の適切な表示広告と消費者の学びが不可欠ではないだろうか』

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キリンメッツはトクホ!

トクホのコーラ、宣伝広告への疑問(高橋久仁子さん)
(転載)
『特定保健用食品(トクホと略称します)について消費者庁のウェブサイトでは「からだの生理学的機能などに影響を与える保健機能成分を含む食品で、血圧、血中のコレステロールなどを正常に保つことを助けたり、おなかの調子を整えたりするのに役立つ、などの特定の保健の用途に資する旨を表示するものをいいます」と説明しています。

 トクホマーク付き飲料がすでに多数ある中、ついにと言っては何ですが、トクホのコーラが現れました。キリンメッツコーラです。テレビコマーシャルも放映されていますし、同じものをウェブサイト上で見ることもできます。アニメで構成されていますが、内容は次のようなものです。

丹下段平:「ジョー、何考えてるんじゃあ。バーガー、ピザ、チップスにコーラ?」
矢吹丈(ジョー):「オッツアン、これトクホのコーラだぜ」
丹下段平:「なに?」
と会話させたあとに「食事の際に脂肪の吸収を抑える」との画面が出て、同時に「トクホのキリンメッツコーラ 史上初」との音声を流しています。

<ウェブ上の「効果」の説明>
ボクシングにもアニメにも疎い私ですが、このCMがかつて人気を博したアニメ「あしたのジョー」のキャラクターを登場させたものらしいということはわかります。学生たちにこのCMの印象を尋ねると「減量が必要なボクサーなのに、この飲料を飲みながらならハンバーガーやピザやフライドポテトをばくばく食べても体重増加しない」と思ってしまう、と答えてくれました。

 メッツコーラのウェブ上のブランドサイトを見ると、この製品には難消化性デキストリンが添加されていること、それが食事中の脂肪の吸収を抑えること、そしてそのメカニズムとやらが図解されており、さらに「効果実証結果はこちら」をクリックすると「血中中性脂肪の上昇抑制」と題するグラフが載っている画面がでてきます。そのグラフは縦軸が「血中中性脂肪の変化量」、横軸が「食事摂取後の時間」で「対象者 健常成人82名」とあり、出典が記載されています。グラフの横には「食事と一緒にキリンメッツコーラを飲むと、食後の血中中性脂肪の上昇が抑制されるという実験結果が出ました」ともあります。

<論文に書いてあったこと>

 「効果実証結果」と称するグラフの出典とされる論文を取り寄せて読んでみたところ、以下のように書いてありました。
 実験参加者は空腹時の血中中性脂肪値が正常高値域からやや高め(120~200mg/dl)の健常成人男女90名で、男性が61名、女性が29名、年齢は42.8±7.7歳で、身長が168.4±7.3cm、体重が74.0±10.6kg、BMIが26.1±3.1でした。

 香味を調整した480mlの炭酸飲料に難消化性デキストリンを5g含むのが試験飲料、含まないのが対照飲料です。この飲料を飲む際の食事内容は「ハンバーグ、フライドポテト、バターロール」で総脂質量は41.2gとのこと。試験飲料または対照飲料を飲みながらハンバーグ等の食事をしたときに、血中中性脂肪値がどのように変化したかを図で示しています。

 その図によれば空腹時、すなわち食事前の血中中性脂肪値は150mg/dlを少し超えたあたりで、2時間後には225mg/dl程度まで上昇し、3時間後に300mg/dl付近、そして4時間後がピークで、対照飲料では340mg/dl、試験飲料では310mg/dl程度、6時間後には275mg/dlあたりまで低下しています。対照飲料を飲んだ場合と試験飲料を飲んだ場合では2,3,4時間時点の血中中性脂肪値に有意差があったそうです。

 なお、実験参加者90名のうち、8名は諸般の事情でデータの解析対象外となり82名のデータによる結果なのですが、この82名に限定した男女数、平均年齢、平均身長、平均体重、平均BMIの記載はありませんでした。

<論文内容から読み取れること>
 さて、これらの情報を考えてみましょう。この飲料の「効果実証結果」なる実験の参加者の男女比は約2:1で、BMIが26.1という肥満域にありました。空腹時血中中性脂肪が120~200mg/dlの人々ですが、先にも述べたように空腹時の平均値は150mg/dlを少し超えています。日本動脈硬化学会の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007版」では中性脂肪値150mg/dL以上を「高 中性脂肪血症」としています。中性脂肪値が「やや高め」どころではなく「高 中性脂肪血症」と診断される値です。BMIが26で中性脂肪値が150mg/dl以上にある人々を「健常成人」と位置づけていいのか疑問です。

 試験飲料を飲用するときの食事の総脂質量41.2gは高脂肪食です。国民健康栄養調査結果によれば2010年の日本人の脂質平均摂取量は53.7gであり、41.2gという脂質量はその77%、すなわち4分の3以上に相当します。このような高脂肪の食事をしょっちゅう食べることの問題性は改めて説明するまでもありません。

 また、「血中中性脂肪の上昇抑制」をグラフで見せるのなら「血中中性脂肪の変化量」ではなく、中性脂肪の値そのものの推移を示すグラフを載せる方が、消費者にとっての情報量は多くなります。空腹時で約150mg/dlだった中性脂肪値が4時間後には300mgを超えてしまうのか、そのときにこの飲料を一緒に飲むと少し上昇が抑えられるのか、と勉強になります。

 この飲料で得られた「血中中性脂肪の上昇抑制」は、肥満かつ脂質異常症に診断されかねない平均年齢約43歳の人々を対象にした場合でした。肥満でも脂質異常症でもない若い人々が、20g程度の脂質量の食事をしながらこの飲料を飲んだときにも食後の血中中性脂肪の上昇が抑制されるのか否か、この論文からは全くわかりません。

<「関与する成分」と「許可された表示内容」>
 トクホには必ず「からだの生理学的機能などに影響を与える保健機能成分」が含まれますが、これを「関与する成分」と言います。たくさんの種類がありますが、難消化性デキストリンを「関与する成分」とする商品はトクホの29.5%(2012年5月8日現在、許可998商品中294商品)を占めます。

 「特定の保健の用途に資する旨を表示」が「許可された表示内容」で、「体にこんないいことありますよ」のことです。難消化性デキストリンのこれは「おなかの調子を整える」と「血糖」がほぼ半々で、「血中中性脂肪」に言及するトクホが初めて現れたのは昨年(2011年)4月のこと。現在3製品が許可されています。トクホの3割を占める難消化性デキストリンですが、中性脂肪をウリにするのは新顔と言えましょう。

 メッツコーラの「許可された表示内容」は「本品は、食事から摂取した脂肪の吸収を抑えて排出を増加させる難消化性デキストリン(食物繊維)の働きにより、食後の中性脂肪の上昇を抑制するので、脂肪の多い食事を摂りがちな方、食後の中性脂肪が気になる方の食生活の改善に役立ちます。」です。

<食事の際に脂肪の吸収を抑える」まで言えるのか?>
 テレビCMあるいは動画の画面上、さらには容器ラベルにも「食事の際に脂肪の吸収を抑える」とありますが、そこまで言えるのか、疑問に思います。難消化性デキストリンを食事と一緒にとると小腸での脂肪の分解が遅れるために、食後中性脂肪の上昇が緩やかになることは事実かも知れませんが、大腸での動態はどうなのでしょうか。大腸内に生息する腸内細菌の働きで分解され、結果的に何らかの形態で吸収されることが考えられます。

 難消化性デキストリンの食後の血糖値上昇抑制作用も、炭水化物の消化が遅れるので血糖値の上昇が緩やかになるのであって、食べた炭水化物は最終的にはすべて吸収されるはずです。「食事の際に脂肪の吸収を抑える」のではなく、「食事の際に脂肪吸収を遅らせる」ではないでしょうか。

 昨年(2011年)6月に消費者庁が「特定保健用食品の表示に関するQ&A(事業者のみなさまへ)」を出して以来、トクホのテレビCMが以前より少なくなり、たまに放映されてもずいぶんおとなしくなった感があります。そこに登場したメッツコーラです。私の周辺の学生たち、あるいは彼らの親世代の状況を聞いても「体にいいトクホなんだって」とか「脂肪が吸収されなくなるんでしょ」と「許可された表示内容」をかなり逸脱する印象を持ってしまっている人が少なからずいるようです。

 動脈硬化性疾患を予防するには空腹時血中中性脂肪値が適正であるだけでなく、食後の中性脂肪の上昇抑制も大事らしいというデータが今、蓄積されつつあるようです。ですから難消化性デキストリンに新たな保健効果が加わることに文句は言いません。しかしながらそれに多大な効果があるかのように錯覚させる宣伝広告はやめてほしいと思います。

 メッツコーラのCMは高脂肪食摂取という、ある種の「乱れた食事」をしても、これを飲めばそれをチャラにしてくれる、というメッセージを発しています。「脂質含有量の多い食事の時にこれを飲むと食後の血中中性脂肪上昇をいくらか抑えます」よりも「脂質量が多くなりすぎない食事」が大切であることは言うまでもありません。

 「血中中性脂肪の上昇抑制」と題するグラフが載っている画面の左下に「食生活は、主食、主菜、副菜を基本に食事のバランスを」との決まり文句が載っています。総脂質量42.1gという食事をさせた実験結果のグラフのちょうど真下にその文言があることが何ともむなしく、そらぞらしく見えます。』

touxia at 09:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年07月11日

国民年金 年収が・・・

国民年金 半数超年収100万円下回る(転載)
『厚生労働省が公的年金の加入者の年収を調査したところ、国民年金の加入者の半数以上が年収100万円を下回っていることが分かりました。

厚生労働省は、おととし11月末現在で、公的年金に加入している全国の15歳以上の人のうちおよそ7万2000人を対象に、前の年の平成21年の年収を調査しました。
それによりますと、自営業者などの国民年金の加入者の平均年収は159万円、厚生年金や共済年金に加入するサラリーマンや公務員などは426万円、保険料をみずから払う必要がないサラリーマンや公務員の妻などは55万円で、全体の平均は297万円でした。
このうち、国民年金の加入者をみますと、年収がない人と年収50万円以下が合わせて38%と最も多く、50万円以上100万円以下も17%いて、全体の55%が年収100万円を下回っていることが分かりました。
また、国民年金の加入者の職業をみますと、無職の人が28%、パートやアルバイトなど臨時や不定期で働く人が23%となっています。
厚生労働省は「国民年金の加入者に所得の低い人が増えているのは推測していたが、今回の調査で、具体的な実態が初めて裏付けられた。将来、低い額の年金しか受け取れない人が増えるとみられ、調査結果を今後の年金制度についての議論に生かしてほしい」と話しています。』

touxia at 03:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年12月31日

わからない健康への配慮

あれ。
という感じで 12月31日となった。
日本では 正月を迎える 気持ちが
たっぷりあるはずなのだが・・・・
中国には 普通の土曜日なのだ。

年末という概念は 春節にしかないようだ。
そして 私の中にも 同じように
正月を迎える気分がまったくないのだ。
何とか、日本人らしく迎えたいと思うのだが・・・

やるべき宿題が 急激に増えて 
それにたじろいている。

健康は大切だ と思いながら 自分の健康に何の配慮もしない
私が 健康のありがたさを 十分に理解していないから
身体が 年末になって反乱した。
あーぁ。
身体が 何かを拒否していると理解した。
そうおもうと、一体 健康を大切にするということに対して
どうすればいいのだろう。
そのことの方が 暗然たる気持ちになる。

眠りたいときにすこし眠り
おいしいものを食べ
好きなことをして・・・・
これ以上の 健康への気遣いはないはずなのだが。

ふーむ。
まるっきり わからない健康への配慮。
これが 2012年のテーマなのだろう。


touxia at 07:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年06月17日

タバコやめてねコンテスト

ブログに タバコやめてねコンテスト なるものがあり
記載されていたので 転記する。

『2005『「タバコやめてネ」コンテスト』結果発表
第1位は2年連続で和田アキ子さん!

「タバコやめてねコンテスト」は
タバコをやめていただきたい有名人を選ぶコンテストです。

選定は、毎月行われている
「嫌煙・分煙定例会」の参加者と、
4月上旬から5月20日の間のインターネット、FAX、ハガキによる
一般の方々の投票で行いました。  
投票は3名連記で、1位=5点、2位=3点、3位=1点とし、
順位は合計ポイントの多い順としました。

1位は圧倒的支持を集め、
和田アキ子さんが2年連続の栄冠に輝きました。
1位から10位までは次のとおりです。

順位: 氏 名:/獲得ポイント: 応募者からの一口コメント

1和田アキ子391
髪の毛にタバコは猛毒。
CMは問題/歌をもっと上手になりたくないか
/最近声が出なくなってきた。

2 ビートたけし214
テレビで「健康番組」をやっているのだから、禁煙すべき
/やめないと孫に嫌われますよ。

3 明石家さんま207
テレビで堂々と吸い過ぎる
/トーク番組でひっきりなしに吸っているので、
やめれば影響は大きい。

4 浜崎あゆみ150
「スモーカーズ・フェイス」になりつつある
/愛犬の受動喫煙が心配。

5 磯野 波平117
アットホームな雰囲気を演出する
アニメでの喫煙は、子供に悪影響
/国際的アニメでタバコは勘弁して欲しい。

6 丸山 茂樹104
グリーン上での喫煙やめるべき
/若手ゴルファーへ影響大
/最終日にスコアが崩れるのはニコチンのせい?

7宮崎 駿96
日本を代表するアニメ制作者にもかかわらず、ヘビスモで残念
/人と自然との共存?身近な環境は?

8ぺ・ヨンジュン88
貴公子とタバコは相反する
/喫煙シーンは見たくない。

9 所 ジョージ85
明るい顔して悪質スモーカー。
周りは迷惑しています。

10桃井かおり80
化粧品の宣伝とタバコは似合わない。
声ガラガラ。

●11位以下=木村拓哉(73)/小泉今日子(32)/立川志の輔(30)/野比のび助(28)/清原和博(27)/星野仙一(19)/古舘伊知郎(23)/さくらひろし(22)/倉本聡(21)/広末涼子(20)』

ふーむ。
こんなコンテストがあるんですね。

touxia at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

1994年01月05日

健康な人とは

牛乳を飲む人より牛乳を配る人
本を読むより、書く人

異業種交流とは、隣を広げること。

最近「夫婦セット」が人気がない。
なぜ夫のが大きいのだといわれる。

トレンディは、家族、ひとつ屋根の下。
世代を越えた温かい人間関係。


touxia at 18:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)