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太極拳の神秘―太極拳パワーの謎を解き明かす
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太極拳の科学 (〔正〕)

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皆さん こんばんは。
最近では武術の極意は、まずは、「脱力」である。と常識のように語られているが、
上記の本に出会った27年前は、あまり一般的では 無く、力を抜けば抜くほど、威力のあるパンチが打てるのだという発見は、当時 少年だった私には、衝撃的であった。




高校時代に出会い影響を受けた本の著者の動画を偶然見つけたので
ここに紹介する。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1780747

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1779394

陳家太極門 砲鐘架式 陳儒性老師


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鷹爪翻子拳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鷹爪翻子拳(ようそうほんしけん)は中国武術少林拳の一種である。

歴史 [編集]

本来、鷹爪翻子拳の源流は岳飛が武兵訓練用の武術として創始した「岳氏散手」と呼ばれる徒手武術が起源となっていると言うが、これはあくまで伝説に過ぎない。

しかし、明王朝の武将戚継光が記した対倭寇の兵法書「紀効新書」の中に著名な拳法門派として「鷹爪王之拿」の記述が有ることから、古代より鷹爪翻子拳の源流が実在した事になる。

源流となる「鷹爪拳」が歴史の舞台に出たのは清朝後期、北京にて著名となった武術家・劉仕俊からである。劉は数多く存在する北京の武術家と対戦、交流しその名前を首都に轟かす。劉の学ぶ武術こそ「鷹爪拳」(鷹爪門)と「鷹爪大杆子」と呼ばれるものであった。彼の口伝による鷹爪拳の歴史は、遊歴僧「法静」から始まる。

河北省雄県出身の劉仕俊は、近隣の保定市で盛んだった武術「シュアイジャオ」を学んでいたが貧しい生活のため寺や畑で一人稽古することが多かった。その時通りがかった法静と知遇を得て、初めて武術の伝承を得ることになる。

3年間にわたる厳しい稽古を終え、雄県を去る事になる法静が劉に始めて明かす武術の名称が、「鷹爪拳」と「大杆子」そして72種(108種とも言われる)の擒拿術であったと伝えられる。

さらに立ち去る時、法静は後年「麗泉」と名乗る遊歴僧が現れるから彼からも武術を学べと言い残した。程なく麗泉が劉の前に現れ、自分は法静の弟子であり老師の命により武術の伝承にやってきたと語った。麗泉はその後保定市に1年間逗留し、劉に鷹爪拳の武術や少林拳、各種の武器術を伝え、「鷹爪拳譜」と奪命打人法の秘術を記した書を与え雄県を去る。

後年、劉は各地で、保定市の名産であるタバコの葉の行商をしながら武術の試合や交流を行い、鷹爪拳の名を世に広めた。とりわけ山東省北京において、劉は彼の名声と実力を慕う多数の弟子を集め、鷹爪拳は中国拳法の名流の一つとなる。

北京の弟子で最も著名な者に少林拳太極拳八卦掌の「劉徳寛」で、彼は劉から学んだ武術を「五十路岳氏散手」としてみだりに伝えることが無かった。その他、黃埔軍武術教官であった劉淑雲や徐六、満州人の紀四などにも武術を伝えた。後に雄県に隠棲しても、彼方から武術を学びに来る者が後を絶たなかったと言われる。

やがて近代に入り陳子正が上海精武体育会の武術教官に就任する。陳は鷹爪拳を学ぶ前に、戳脚硬気功、更に翻子拳を大変得意としていたため、自ら学んだ拳法流派を尋ねられた時に、自分の学んだ武術を総合して「鷹爪翻子拳」を名乗る。これが世に始めて出てきた「鷹爪翻子拳」であった。

鷹爪翻子拳は、精武体育会でも呉艦泉の呉氏太極拳や羅光玉の七星蟷螂拳と並び広く学習され、現在は東南アジアや海外でも学ぶ人が多い。

技術内容 [編集]

  1. 套路(型):大雄拳、小雄拳、綿掌拳、八歩槌、八面槌、五花豹拳、十路行拳、雁行拳、五十路連拳(本門拳、鷹爪連拳)、岳飛溜勢拳、子母拳
  2. 兵器法:六合槍、梅花槍、五虎断門槍、紫露剣、鷹爪朴刀法、五虎断門刀、六合刀法(単、双)、蟠竜棍(三節棍)、鉄尺()、牛角拐、八仙剣、鷹爪双匕首、飛抓、虎頭双鉤法、馬牙刺、九節鞭
  3. 補助套路:七十二把擒拿法、空手奪器、捕縄法、岳氏摔角法、鷹翻地堂四平拳、八閃翻(翻子拳套路)
  4. 対打法:連拳散手対練、擒拿術、摔角術、翻子拳対打
  5. 練功法:擦身筋法(磨拿法)、跟立強筋法、迅換歩、推石法、吊砂指法、五抓石練指法、飛布抓拿、拘子法、木站打叩抓拿法、鉄沙掌、伏虎功、倒地狗閃法、眼精死勁功、各種柔筋法、龍爪抜山功、鉄布衫功
  6. その他:気功法(硬、軟)、閉気截脈法、点穴法、薬功各種、暗器各種、反陽術、心術
  7. 八字訣語:抓、打、擒、拿、翻、崩、肘、靠
  8. 四字訣戒:號、拿、降、手
  9. 列訣歌:陰陽剛柔、静中求動、左右飛翻、高挑低壓、分筋錯骨、点穴閉気、沾衣捫脈、抓頂擒拿

以下は香港精武体育会で教練をしていた劉法孟の教授内容である。

  1. 甲種拳術:潭腿十二路
  2. 乙種拳術:工力拳術
  3. 丙(単練拳術):大戦拳、脱戦拳、硬槌拳、節拳、少林槌、五虎拳、四六拳、八歩拳、太祖拳、大綿掌、小綿掌、小雄拳、大雄拳、八歩槌、大八面槌、小八面槌、五花豹、前溜勢、梅花拳、羅漢拳、雁行拳、六合拳、行拳十路、鷹爪連拳五十路、酔六?
  4. 丁(単練武器):八卦単刀、梅花単刀双刀、六合単刀、五候単刀、連環単刀、地?双刀、春秋大刀、四門大刀、 五虎槍、羅漢槍、六合槍、梅花槍、群羊棍、斉眉棍
  5. 戊(対拆拳類):套拳、對?腿、對綿掌、十?打、壱百八手、紮拳、合戦、拆潭腿、三人對拳、擒拿滾地龍
  6. 己(對拆器械類):単刀串槍、単刀槍、単刀破槍、空手奪単刀、空手對双刀、空手破双刀、空手對双匕首、単刀對単刀、大刀破槍、大刀對槍、捕虎槍、双刀對槍、槍對槍、空手奪槍、直門大掃子、三節棍對槍、三人對棍、三人単刀槍、三人大刀槍、五人大刀槍、五人双刀槍、
  7. 鷹爪大桿子四路:三歩槍、點穿槍、鷂子槍、圏子槍
  8. 庚(舞踏種類):胡蝶舞、三星舞、双剣舞、對舞、四人剣舞、武化舞、滑稽舞

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水曜は仕事は、半日なので、午後はトレーニングをした。

戸田スポーツセンターにて筋トレ(もっと上腕を太くしたい)

その後、雨が降りそうだったがK会へ(幸い小雨程度)
S先生に教えを乞う。

(1) 槍 

 1 福建省に伝わる槍法の基本

 2 六合大槍 ラン ナー チャー

(2)フィリピン武術の護身武器術(水牛の角) 

  7カウントまでの攻防術、

(3)カランビット

手首 肘を掻っ切り 肩関節を極めながら 頚動脈を斬るリアルでおっかない連続技。


六合大槍で動画を検索してみた


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単戟 

素材  ジュラルミン製/木製
全長    約202cm
戟の長さ 約56cm(金属の部分)
末端の鉄製のいしづき 約23cm(金属の部分)
重さ    約2.0kg

単戟は三日月状の「月牙」と呼ばれる横刃が、片方だけに付いています。
普通、月牙が片方のみに設けられた方天戟を「青龍戟(せいりゅうげき)」
もしくは「戟刀(げきとう)」と呼んでいます。
「三国志」の呂布が持っていたことで有名です。。

(SHOP HPより)




http://www.gaopu.com/kisokiso5.0.html
矛に月牙がついて 「単戟」 突くだけの武器から切る武器に変化

槍頭の長い物である「矛」の刃の部分に「月牙」と呼ばれる刃を付けたものが「単戟」です。
突くだけの「刺兵」(さすことが主な武器の総称)に比べて月牙の部分で切ることもできますそのため攻撃方法が多様
に変化していきます。

http://www.gaopu.com/2222.html

「戟」の種類には「単戟・青龍戟」「双戟・方天戟」「蛇戟」などがあります。
「方天戟」は先に紹介した「矛」の両側に「月牙」が付いた「長器械」で三国志の「国士無双・呂布」
の獲物で有名です。
技術的には、先端の「矛・刺兵」の部分で突き刺す、サイドの「月牙」で切り裂く振り払う、というよ
うに「大刀」系と同じような攻撃法ですが、「月牙」は両サイドに付いているため多角的な攻撃力がで
きます、また「大刀」に比べ、重量はかなり軽いため自在な取り扱いが可能となります。
私が思うに、中国武術の器械発達の典型の一つがこの「方天戟」ではないかと思います。それは「矛」
という器械がまず初めにあり、その刃の部分に「月牙護手」を付ければ戦闘力が上がるのではないか、
と考えた人がいて「月牙」を一つ付けて「単戟」が出来ました、そして、それを使ってみると、とても
使いやすく強力だったのです。つぎの人が「月牙」を二つ付けて「双戟」が生まれました、また次ぎの
人が真ん中の「矛」の部分に曲がった「蛇矛」を取り付け「方天戟」が完成しました。・・・

中国武術の器械にはこのように順に器械を並べていくと、その器械の変化発達してきた歴史が一目でわ
かるように思えます。

単戟 双鈎 三節棍 伝統九節鞭 鉄環手

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単戟    5000円 ●双鈎    3000円 ●三節棍   2000円 ●伝統九節鞭 2000円 ●鉄環手   2000円    \14000円→¥12000円 

mixi  

某コミュで売りに出されているのを発見し、購入。

既に KALI ナイフ 剣 槍の練習で手一杯だが、

今まで縁の無かった武器なので気分転換に暇を見つけて 練習してみようと思う。

 画像は拝借しました。双3k三節

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                     初めて知ったのは、20年くらい前だったか?
ブルースリー信者の友人がやっていたのを見せてもらった。
大宮にあった同好会が解散?してしまったので、困っていたが、、、

このwikiはどの程度 正確なんだろうか?

詠春拳
えいしゅんけん
 
発生国Flag of the People's Republic of China.svg 中国
発生年清代雍正年間
創始者五枚大師、厳詠春、張五
源流少林武術
流派詠春派
派生種目截拳道
主要技術小念頭、尋橋、黐手、標指
  

詠春拳(えいしゅんけん、永春拳)は広東省を中心に伝承されていた徒手武術を主とする伝統武術で、少林武術を祖とし、一般的には短橋(腕を短く使い)狭馬(歩幅が狭い)の拳法であるとされている。200年〜300年の歴史があると考えられている。拳法を中心技術として刀術と棍術とを含むが、伝承された型を分析すると、むしろ術と術を基礎として、それを徒手拳法に応用した部分も多く見受けられる。練習に人を象った木の人形(木人�提,もくじんとう)を使用することでも有名である。

手技に特徴があり見栄えもするため、香港映画や、最近ではハリウッド映画などにもそのアクションの中で詠春拳の手技が見られることが多いが、根本的に飛んだり跳ねたりということを一切しない、実用を重視した地味な拳法体系である。

現在のほとんどの詠春拳の伝承には、小念頭、尋橋、標指、と呼ばれる(またはそれに相当する)3つの徒手の拳套(套路:空手でいう型)と、木人�提法、八斬刀や胡蝶掌刀と呼ばれる刀術、六点半棍、行者棒などと呼ばれる棒術が含まれるが、伝承によってはそれ以外の拳套や武器術も伝わっており、その全てが短橋狭馬というわけでもない。

永春拳は現在までに多くの分派を生じており、他の南派拳術発生との関連もあって、どこからどこまでが永春拳であるとは定義できない[1]。ただしもともと「永春拳」と称していたものが「言」偏のついた「詠春拳」と称するようになったのは、詠春拳王と呼ばれた梁賛より以降に限っており、この系統での拳套(型)は小念頭、尋橋、標指の三拳套のみである。これは梁賛がこの三つをまとめたからだと考えられる。(ただし後から他門派の技法や型を取り入れている混合的な流儀もある。また虚偽を教えていることも普通にあるのでかなり紛らわしい)

ブルース・リーによって葉問派詠春拳が世界的に有名になってからは、世界各地に伝えられ最も多く練習される中国武術の一つになったが、ブルース・リー以前にも華僑によって東南アジア方面にも伝承されており、それぞれに独自のスタイルを形成している。

詠春拳の発祥には清朝に対するレジスタンスや、粤劇(広東オペラ)の発祥が関わっていると言われる。創始者とみなされている者としては、至善禅師、五枚大師、苗顕、厳詠春、方永春、張五(攤手五)などの名が残る。それ以降の伝承者の名称には粤劇における芸名も多く見受けられ、詠春拳と粤劇はその創成期において歴史を共有しているようである。至善禅師、五枚大師、苗顕は少林五老のうちの三人であり、これは永春拳が洪家拳との関連が深いことを意味しているらしいが、実際にどのような関連があるかは不明。ちなみに詠春拳団体や道場のマークに梅の花が使われるのは、この"五枚"が梅花であることから来ている。

厳詠春の父、厳二はある事件によってタイやミャンマー国境に程近い四川省の大涼山まで逃亡をし、そこで豆腐を売って生活をしていた。厳二は地元の少数民族から梅花拳(五枚大師の拳法)などの武術を学ぶ。厳詠春はそれらを父から学び、改良したという。佛山の茶葉商人であり後に厳詠春の夫となる梁博儔がそれを学び、以後に続く。また詠春拳の創始者の一人と伝わる五枚(五梅)大師が、四川省の大涼山に隠れ、そこで詠春拳を作ったという伝承もある。五枚大師(もしくは方永春・いずれも女性)が、(別説には鶴と)の闘争を基にしたとも言う。

詠春という名前については、厳詠春から取ったと言われるが、南少林寺の「永春殿」で練習されたからという説もある。厳詠春は当時の武侠小説に登場する主人公の名前であるとも言われる。いずれにせよ、少林五老も南少林寺も実在の確認はされてはおらず、伝説上の存在とみなされている。

ある時期より広東周辺の民間芸能である粤劇の興行単位であった「紅船戯班」の内部で伝承されてきたことは間違いないようである。紅船戯班内部より外に伝承されるようになってからは、この地方の他の拳法と同じく、ほとんど親族間でのみ伝承されてきたようで、職業として詠春拳を教授するものも稀であった。このため、詠春拳はその歴史上のほとんどの期間においては、門外不出の様相を示しており、道場を開設する習慣も持たなかった。

対外的に伝授をされるようになったのは梁賛からだと言われている。

最も有名なスタイルに葉問派詠春拳があるが、その極端にコンパクトで直截性を強調した動作は、古いスタイルの詠春拳を意図的に整理、近代化したものであり、詠春拳の全体像から見れば独特なものであって、これが詠春拳の代表的スタイルというわけではない。

葉問系詠春拳は中国伝統武術についてまわる五行、八卦などの東洋思想を否定し、練習者に科学的論理性と徹底した理解を求める教授スタイルで知られ、合理的・実戦的であると言われる。また他の中国武術のような内功、外功といった概念を持たず、呼吸法も自然呼吸である。道教的影響よりも仏教的な色彩が色濃いと言える(外家拳)。武術一般の内功にあたると思われる「内力」という概念があるが、そのための特別な養成法があるわけではなく、正しく練習をしていけば長い間に自然と自覚されていくものとされている。ただし初級套路の小念頭に内功を養う効果があると指導する指導者もいる。実際、小念頭には各種の意念を用いることや、集中力、自然呼吸を重視する点において立禅と共通する要求が多い。

触覚を重視することで、目に頼らずに戦うという考えであるために、周辺の比較的スタイルの近い門派には存在する視力の訓練も存在しない。身体に負荷をかけたり、身体を打ち付けて鍛えるような外功的な訓練も行なわず、力みを極端に嫌い、南方の拳法にある剛強なイメージからは外れた訓練体系であることで知られる。この「無駄なことをしない」という思想は、ジークンドーにも受け継がれている。

このシンプルさゆえに、戦闘理論に関しては非常に厳密な理解と体現を要求されることになるため、評判に反して、実際には非常に習得・体現の難しい武術である。その内容も、時代が下るにつれて、また広く練習されるにつれて、薄められたり、映画のアクション的な動作や他の格闘技術などの影響を受けて改変・補強されてしまったりする傾向にある。葉問詠春拳の本来持っていた徹底したシンプルさと実用を重んじるという特徴は、その学習と理解のしにくさも手伝ってか、徐々に見られにくいものになってきている。また一口に葉問派とは言っても、指導者や道場による内容には想像以上の大きな違いがあることが知られるようになってきている。

葉問派の技術的な特徴としては、黐、貼身ということが上げられる。 また短橋狭馬の拳法の中でも、葉問派はより動作を小さく、直線的にまとめてある。 ただし、第三段階の標指になるとこの特徴は変化する。

最近ではこの葉問派から、より現代的な格闘技法を取り入れたEBMAS(Emin Boztepe Martial Arts System)も生じており、未だ世界的に隆盛を誇る武術門派である。現在でも世界的な普及・発展を続けているが、これは実はブルース・リーの影響ではなく、香港返還による人材の海外流出によるものである。しかし日本においては未だマイナーな一中国武術に過ぎず、また現在でも「詠春拳=ブルース・リー」というイメージが根強い。

その他の詠春拳 [編集]

�街花蓮詠春拳、紅船永春拳、阮奇山詠春拳、岑能詠春拳、彭南永春拳、古労詠春拳(偏身詠春拳)、陳汝棉系永春拳(順徳永春拳)、 越南詠春、馬来西亜永春などの各派があり、その他にも秘密主義を貫いて今も隠され続けている伝承も残っているという。香港返還の影響や華僑の動きによって世界的に伝承が散らばり、本国である中国で途切れた伝承が、海外に残っているような例も存在するようである。非常に多様である。

〔オーソドクスな葉問派詠春拳を規準としたもの〕

詠春拳は基本的には短打接近戦の徒手による格闘術体系である。接近戦と手技の細やかさに特徴があり、相手の攻撃を成功させずに、いち早く相手を打倒することを考えて作られており、競技格闘技とは戦闘行為に対する発想が著しく異なっている。

近距離での打撃に対する防御技術が精緻であり、基礎の拳套である小念頭に含まれる技の約8割は防御技である。(ただし防御技・攻撃技と分類のできないものが多い)蹴り技についても同じで、防御的な技のバリエーションが多い。また相手の動向を察知し制御するという点に重点がおかれ、その攻撃技でも防御技でもない技(概念)というものを有している。この二点が武術格闘技としては非常に特徴的になっている。

詠春拳の訓練は、まず拳套によって技のパーツとしての手形と身体構造の運用法の基礎を学び、未精練な筋肉運動の改変を行う。より実践的な応用や、パーツごとに学んだ手法の整合法は対人練習によって学び、訓練する。このため、対人訓練には大きなウェイトが置かれている。黐手(チーサウ/チーサオ)と呼ばれる、お互いの腕を接触した状態で自由攻防する練習によって、様々の応用技術、戦闘理論、歩法、体捌き、位置取りなどを学び、また神経反応の改変と養成、本能的な精神反応の改変、発力方法、運力方法を訓練する。

詠春拳の技術に関する誤解 [編集]

詠春拳というと寸勁(寸打)が有名であるが、詠春拳(または南方拳術)の寸打は独特であり、北方系の拳術の寸勁と同じものとは言えない。また、 詠春拳には裏拳や曲線を描く打撃がないように言われることがあるが、実際には裏拳、フック、アッパーチョップ、各方向からの肘打ち、更には回し蹴り(に似たもの)までもがある。特にチョップと裏拳は肘技に関連しているのでよく使用される。それらの技術は、特に近代格闘技などから流入したという訳ではない。

日本における詠春拳事情 [編集]

日本で詠春拳といえば、それはおおむね葉問系詠春拳のことである。

1970年代のブルース・リーの人気により、日本でも詠春拳を学びたいと考える人が沢山いた。しかし葉問の直弟子全盛の時代には香港まで渡り、または香港人に付いて最終段階である標指まで学ぶことにできたのはごく小数に限られた。理由の一つに「日本人に教えてはならない」という葉問の教えの影響がある。これは第二次世界大戦を控えた日本軍侵略にあり、葉問自身が当時支配していた日本軍の一部兵隊が習得していた空手と自身の詠春拳との異色の格闘を行い、戦いの末に彼らが使う拳法の姿勢に危険を感じ、今に至ったといわれている。彼の詠春拳の一生を綴った映画「葉問」ではその一部始終を見ることはできる。ただし、過酷な描写と尾を曳く摩擦のせいであってか、日本の映画館で公開することはほとんど無いに等しい。(例としては日本兵が功夫を殺すシーンや、葉問が家族を拘束しようとした日本兵に詠春拳で反撃するシーンなど)またいくらか映画用に生活史と事実とは違う描写を挿入しているため、映画で描かれる全てが事実ではない。が、あくまでも事実を知るための指標として、彼の苦悩を垣間見ると同時に壮絶な一生の一部を知ることができる。(因みに続編「葉問2」では、香港へと移転し、香港を支配していたイギリス軍が連れて来たボクサーとの異色の格闘が行われる描写がある。)

1980年代〜1990年代に日本人でも学べる香港の武館は黄淳梁の武館だけであったとも言われており、この遺言の影響は現在でも残る。この影響により、日本で武館を開くものはまだ数少なく、練習者も少ない。香港人について運良く全伝を学ぶことができても日本で教えてはならないと言い含められていることがあり、今も広範な伝承にはブレーキがかかっている。このことが日本と各国との人気・事情の差となっている。

1980年代より川村祐三(徐尚田、姜撓基伝)、台湾出身の錢彦(盧文錦伝)らが中国武術専門誌や書籍、主催する団体を通して詠春拳を日本に紹介してきたが、詠春拳修得そのものの難しさもあって幅広い普及には至っていない。

日本国内で葉問派詠春拳の実像にアクセスできる機会は今もって少なく、標指までの正しい全伝を学べる機会となってはほぼ皆無という状況にある。とりわけ香港系の伝統派に関しては、葉問の遺言がそのまま保たれている状況にある。現在では、梁廷系詠春拳を指導する団体や、EBMAS(Emin Boztepe Martial Arts System)によって詠春拳は国内で普及しつつある。

脚注 [編集]

  1. ^ *近年「永春白鶴拳」や「紅船永春拳」、「詠春拳」はそれぞれ別門派として扱われるようになっている。異なる点として、全体的に古いものほど白鶴拳や空手に近い趣があること、古い「永春拳」には詠春三大手と呼ばれる基本手型が存在しないことなどがある。

外部リンク [編集]

関連項目 [編集]

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映画「葉問」みたいに 反日メッセージ入ってます???


霍元甲の伝記物としてはどれくらい史実に忠実なのか?

武器vs武器のアクションは見ごたえ有り。

白人も本物の武術家(スペイン ドイツの剣 槍術 ボクサー)

中村シドウの殺陣は、本人がやってるのか?
代役か?



霍 元甲(かく・げんこう、フォ・ユェンジャア、1868年1月18日 - 1910年9月14日)は、清朝末期、中国直隷省静海県(現在の天津あたり)出身の実在した武術家。は俊卿。秘宗拳[1]を広めたことでも知られる。

武術家の家系に生まれる。霍家七世。幼い頃は、病弱のため非力で拳名を汚すと、父は武術を教えなかった。そのため父兄の武術練習をこっそりと見学し、独学で功夫を身につけた。

24歳の時に、地元の名手を打ち負かしたことにより、父に認められて、家伝の秘宗拳(別名は燕青拳・迷蹤芸など)を伝授される。1909年には、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を創設する。また、上海の静安寺路における公開試合に勝利した。陳公哲によると当時、霍元甲は弁髪を結っており、身長170数cm、体重約90kgであった。本来この試合は西洋人レスラーが挑戦者を募ったことが発端であり、霍元甲が対戦する予定であったが、当時この人物は上海をすでに離れており試合には出場していない。

霍元甲については、日本人武術家との試合に勝ったことで怨みを持たれ、日本人に毒殺されたとの逸話が広く知られているが、これは全くの俗説である。彼の親族や現存する弟子たちの証言によると、この試合はあくまでも友好的なもので過激な内容ではなく、彼は持病の肝硬変により死亡したと証言されている。当時の彼は、生来肝臓を病んでいたことが知られており、「黄面虎」と呼ばれていた。

毒殺説は、小説などにおけるフィクションに過ぎないが、映画等のメディアを通じて広く流布している[2]。霍元甲と共に上海精武体操学校の創設に関わった陳公哲の回想録『精武会50年』(『精武会五十年-武術発展史』1957年)には、日本人との友好的な試合で、霍元甲の対戦相手が不幸にも腕を負傷したこと、霍元甲が日本人の売薬を服用した際に病状が悪くなったことが記されている。この記述は前述の俗説とともに映画(『ドラゴン怒りの鉄拳』など)のストーリーに影響を与えているが[3]、陳公哲は日本人との交流は友好的なものであったと明記しており、霍元甲の死因は肺を痛めたことによる喀血病としている[4]

2006年、彼の生涯を描いた映画『霍元甲(邦題:SPIRIT)』が公開された。撮影時、霍元甲が死亡した年齢と同じ年齢の李連杰(ジェット・リー)が主役を演じ、中村獅童が日本人武術家役でも出演し、日本でも話題になった。さらに、ジェット・リーが熱望して実現した周杰倫(ジェイ・チョウ)による同名主題歌もヒットした。

脚注 [編集]

  1. ^ 秘宗拳は主として河北省などに伝わる武術。小護掩、秘宗長拳などの套路が伝わる。伝説(仮託)によると秘宗拳(燕青拳、迷蹤芸)の開祖は水滸伝の登場人物「燕青」である(盧俊義が燕青に伝えたとする場合もある。)。伝説では、燕青は反乱軍の将(当時の王朝から見て)であったため、開祖(宗師)の名を秘したことから秘宗拳と呼ばれたとする。また、迷蹤芸の名は複雑な歩法を用いることに由来すると言う。姜容樵は霍元甲とは伝承系統が異なる秘宗拳(秘宗長拳)を書籍で公開している。秘宗長拳は太極拳のようにゆっくりと練習される套路であり、「少林慢架子」と呼ばれることがある。
  2. ^ 「大図解中国名武林殺手秘技」と言うカンフーの技を解説している書物には、「霍元甲は子供の頃から気功を練習し続けていたため、肺を痛めていた。それが原因で喀血結核を患っていたが、とある日旅館に泊まった時に日本人の仁丹売りが訪れて、肺病が治ると言い、渡された薬を服用すると病状が悪化したので、日本人の仁丹売りに毒殺された。」と書かれている。
  3. ^ 『ドラゴン怒りの鉄拳』の主人公「陳真」(架空の人物)は陳公哲をモデルにしたものと言われている。
  4. ^ 陳公哲は喀血病の原因を呼吸法の副作用としている。霍元甲は上海新門路の中国紅十字会医院に入院しており、日本人医師が治療に関わった記録は存在しない。「喀血病」の原因は結核菌であった可能性もあるが証拠は存在しない。

関連映画 [編集]

清代末期。名門武家に生まれたユェンジャは、父・霍恩第から病弱だと言う理由で、武術を教われなかった。 だが、兄や他の弟子たちの練習をこっそりと盗み見、親友のジンスンの助けも借りながら、独学で習得して行った。 やがて、成長し、大人になったユェンジャは、連戦連勝。天津では彼に敵う者はいなくなっていた。 親友のジンスンすら止められない傲慢さから恨みを買い、復讐のために母親と娘を趙一門に殺されてしまう。

 生きる意義を見失い、川へ身を投げたユェンジャは、山奥の村へと流れ着く。 流れ着いた先には、盲目の娘ユェツーと孫おばさんなどの純粋無垢な農民たちがいた。 名を偽り、村民たちと生活していくうちに、次第に生きる希望がわいてきた。 数年ぶりに戻った我が家は何も変わっていなかった。親友のジンスンが自分の家財道具を売り払ってでも、そのままにしておいてくれたのだ。

 しかし、中国は大きな脅威にさらされていた。西洋の力持ちが「東アジアの腰抜けどもをやっつけてやる」と息巻いていた。この力持ち(オブライアン)との対決で勝利したユェンジャは1910年6月1日、上海精武体操学校(上海精武体育会の前身)を設立する。 これに危機を抱いた日本人の三田らが、異種格闘技戦を企てる。

 1910年9月14日、異種格闘技戦が始まった――。    

スタッフ [編集]

  • 監督:于仁泰(ロニー・ユー)
  • 脚本:杜緻朗(クリスティン・トー)、周隼(クリス・チョウ)
  • 撮影:藩恆生(プーン・ハンサン)
  • アクション監督:袁和平(ユェン・ウーピン)
  • 衣装:<日本>ワダ・エミ、<中国>荘志良(トーマス・チュン)

キャスト [編集]

  • 霍元甲(フォ・ユェンジャ):ジェット・リー(李連杰)
  • 田中安野:中村獅童
  • 月慈(ユェツー):孫儷(スン・リー)
  • 三田:原田眞人
  • 農勁蓀(ノン・ジンスン):董勇(ドン・ヨン)
  • 霍恩第(霍元甲の父):鄒兆龍(コリン・チョウ)
  • ヘラクレス・オブライアン:ネイサン・ジョーンズ

訴訟問題 [編集]

2006年3月23日中国国家知識産権局によると、あまりにも事実と異なる虚構の物語を作り、霍家の名誉を著しく傷つけたとして、国内唯一の健在者である孫の霍寿金が、プロデューサーらを相手取り、公開式の謝罪を求めて、北京市海淀区人民法院に訴訟を起こした[1]

映画内に「この物語はフィクションです」と明記されていることから、名誉を傷つけるにあたらないとして、この訴訟は退けられた


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