妖牙のてきとうなぶろぐR


問題とならない範囲で不定期に適当に記述していました。

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最終話 江東区スペシャル

 帰国後のJICA手続きも一通り終わったので、まずは我が愛する江東区の、最初に行こうと思っていた場所を巡ってきました。

 まずは、祖父母の墓参り。
 隊員機関誌“たらばほ”の帰国隊員インタビューでも、帰国したらまずやりたい事に“墓参り”と書きました。その公約通り、区内某所にある寺に行って参って来ました。

江東区1 次は、門前仲町の深川不動尊です。
 二年前の出国前の記事でも同じアングルの写真を掲載したのですが、二年経って、新しい本堂の工事が始まっていました。かなり立派なものが造られるようです。
 隣接している富岡八幡宮にもお参りしました。

江東区2 戸籍謄本を、区役所の豊洲出張所で発行してもらおうと、門前仲町から豊洲まで歩いたのですが、豊洲地区の再開発にはビックリ。
 晴海通りの月島方から豊洲・東雲方面を撮ったものがこれです。もう、自分の知っている街ではなくなっていました。

江東区3 そのまま引き続き歩いていき、辰巳国際水泳場近くの桜並木へ。
 寒いから桜はまだ満開じゃないのではと思っていましたが、いつの間にかしっかり咲いており、一部では既に葉桜になり始めている木も。きっと明日明後日が一番花見が盛り上がる日となることでしょう。

江東区4 そして、最後は、やはりコチラ、潮見の教会です。そう、私の尊敬する北原怜子ゆかりの場所ですね。
 平日の教会は人の気配無く静かでした。
 折角なので、北原怜子さんおよびこの地に関しては、ちょっと書かせていただきます。

 この二年間、折にふれてこのブログでも北原怜子に関する話題を出してきました。ブログ以外でも、“蟻の街のマリア”の本を他人に強制貸し出しもしました。自分が彼女を尊敬していると言うことを前面に出していました。

 ただ、そう言いながら、実際の自分の二年間はどうであったかと問われれば、批判されても仕方の無いような生活を送ってきました。自分に出来る限りの努力はしたとも言えません。
 僕には、僕の適性があったし、限界がありました。

 でも、尊敬するって事は、同じ道を歩むという事ではない。
 理想の姿として思い描いていても、人は一人一人違うもの。同じ行動を取る事を目指せば良いって訳でも無いんじゃあないかな。
 開き直りと言われても構いません。

 いずれにせよ、これまで、いざという時に、彼女の遺した行動が、言葉が、自分を支える要素の一つであったことは疑いようがありません。
 そして、自分にとって北原怜子が、これからも大きな存在であり続けるだろうことに変わりはありません。
 だって、子供の時に北原怜子に関する本を読んだ事が、そしてあの冬の日、この教会の前を通った時それをふと思い出した事が今に繋がっているのは、紛れもない事実なのですから。


 と言う事で、江東区のスポットを巡った、いわば江東区スペシャルでした。やっぱりここは、自分にとって思い出の地であり、運命の地ですね。


 さて、このブログ、今回がめでたく600回目の投稿となったのですが、キリが良いので、突然ですがこれにて閉幕とさせていただきます。
 別に何か問題が起きたり、圧力がかかったりしたという訳ではありませんが、私もこれからは、これまでとはまた違った立場になりますから、公の場に対する言動は一旦控えておこうと考えました。
 それに、てきとうというタイトルの割には結構しっかりと書くようになっていたので、それだけで時間を食うようになってしまっていたというのもあります。それよりももっと違うことに時間使った方が良いのではないかと。

 そう言えば、前のブログも、二本松訓練所入所直前の段階で、これから環境も変わるから一旦終了するとしておきながら、次のこのブログに移動して、結局それまでよりも激しく書き続けました。
 でも、今度は、そう言った事はないと思います。ただし、某SNSで、友人限定で、極めて当たり障りのない日記をたまに書いたりする可能性はあるかも。。。

 これまでご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。

帰路変更ヴェトナムまとめ

 帰国後の健康診断。
 ついに体重は70kgを切り、69.8kgでした。診断のために朝食を抜いていたというのもありますが、最後に70切ったのはちょっと満足。でもさすがにそろそろいいかな。フィリピン戻ったらまた減少傾向になるのも予想されるので、日本にいるうちにちょっと増やしておこうと思います。
 あと、薄々気付いていたのですが、視力がちょっとだけ良くなっていました。何故!?


 さて、帰路変更で訪れたヴェトナムについて。
 長々と書くのもアレなので、簡単に纏めておこうと思います。

 短期間だけでしたが、帰路変更をして一人旅をしたのは、自分にとっては大きかったです。
 フィリピン出国直前はドミトリー滞在でしたし、日本では実家。その間に、一人の時間を過ごせたのは良かった。色々と落ち着いて考えたり出来ましたし。
 そして、自分の能力が、かつてと比べて間違いなくアップしている事を実感しました。以前よりも大胆に前に出て行けるし、判断力も高まっている。尤も、都市部や観光地では英語が意外と通じたというのも大きな要因でしたが。

 ヴェトナムは暑かったです。ただ、今回は中部フエと南部ホーチミンを訪れましたが、フエの方はまだちょっと過ごしやすかった気がします。とは言え、既にマニラに慣れているこの体には、どちらもそこまでの違和感はありませんでした。
 が、やっぱり、どこに行っても歩いてしまう自分。外を長時間歩いていれば、そりゃあたいそう疲れます。

 食事は、何を食べても美味しかった。
 適当に入った店で適当に頼んだ物でも普通に旨い。ああフィリピンとは大違い。ヴェトナム隊員はいつもこのような物を食べているのかと思うと腹が立ってさえきました。
 あと、コーヒーも美味しかったです。ヴェトナムは練乳入れるんですよね。どこかで似たようなものを飲んだ記憶があったのですが、思い出しました。マックスコーヒー

ヴェトナム1 そんな訳で、まず訪れたのが古都フエ。
 そもそもなぜヴェトナムに行きたかったかと言いますと、森達也氏の著書“クォン・デ―もう一人のラストエンペラー”を読んだからであります。日本で死んだ、ヴェトナムの王族に関するお話ですが、その王朝があったのがフエでして、是非訪れておきたかったのです。
 こちらはフエのフラッグタワー。

ヴェトナム2 こちらは、その王宮に入る門。ここから入って、中に残る数々の建築物(ヴェトナム戦争で破壊されてしまいその後再建した物もありますが)を見ました。
 予想よりは小ぶりな王宮だったのですが、かつての繁栄が感じられました。
 フエは街全体が、喧噪とは程遠い落ち着いた感じで、非常に気に入りました。

ヴェトナム3 同じくフエにある、ホーチミン博物館にあったホーチミンの像。さすがにこの国では、ホーチミンは至る所で国父として崇められています。
 フエには、革命家ファン・ボイ・チャウの記念館もありまして、この人も前述の本において大きな意味を持つ登場人物だったので行きたかったのですが、残念ながら休館日でした。。。(中庭の像は外から眺めてきましたが)

 ホーチミン(サイゴン)に戻りまして、まず向かったのは、いくつかの旅行会社。
 ヴェトナムの新興宗教であるカオダイ教、その総本山はホーチミン近郊のタイニンという町にあるのですが、日帰りの観光ツアーで行くのが手っ取り早くて効率も良い(クチトンネルという別の場所とセットだったり)という情報だったので、そのツアー申し込みに行ったのです。
 しかし、結論を言うと、妥当なツアーはありませんでした。観光シーズンでもなく、行く前日の飛び込みだったので、もう遅かったのです。カオダイは別に人気スポットでは無いようで、そもそもツアー自体、設定はあっても普段はやってなかったりもしているようで。

ヴェトナム5 で、自力で行ってしまいましたよ。
 地球の歩き方には、バスで行く方法は大体書いてありましたが、昔の自分だったら諦めていたと思います。でも、勢いで行ったら、なんとか辿り着けました。

 この新興宗教カオダイは、キリスト,仏教,イスラム,ヒンドゥー,儒教,道教を混合したすごいものでして、この総本山の寺院の外観も、どことなくキリスト教的な造りも感じられるアジア的なものとなっています。

ヴェトナム6 そのシンボルが、この“天眼”。窓とかにはこういった三角が入っていますが、寺院内部には、大きな球体の中央部に眼が描かれているものが鎮座していました。

 寺院からは、帰る時の方が大変でした。前述したように、長距離バスのターミナルから近距離バスで来たのですが、ターミナルに戻るためにどのバスに乗れば良いのかがわからない。適当に乗ったら違う道進み始めて慌てて降りたり。さすがにここまで来るとあまり英語も通じなくなりますし、結構ピンチだったのですが、最終的にはなんとかなりました。親切な人に助けられたようです。

ヴェトナム4 ホーチミン市内は、空いた時間にちょっとだけ歩いて観光した位でした。
 この統一会堂(南ヴェトナムの大統領官邸)も、外から見ただけ。中央郵便局や大教会なども見ましたが、博物館系の場所には殆ど行かなかったのがやや心残りです。

 そんな訳で、非常に楽しかったヴェトナムでした。今回は帰国のための荷物があったり、帰国後のスケジュールなどの絡みもあり短期間だけでしたが、北部ハノイを始め、まだ興味ある場所は多いですし、是非またいつか訪れたいと思っています。

最後に何点かトピックとして、、、
・ホーチミンも、空気が綺麗だったのでビックリ。と言うかフィリピンが酷すぎるのだと思う。
・デノミをやるべきだと思う。1ドルが約18000ドンって何じゃい。感覚がつかみにくすぎます。
・国際空港に何も無さ過ぎ。最後は深夜の便でしたが、早めに行ったらやる事が無くて困りました。
・本当に社会主義なのか?どんどんよくわからなくなってくるのでした。

The end of March

 三月末の今日は、広尾のJICAでの帰国後手続きの一日目でした。
 派遣国に関係なく、帰国した日の翌日から二日乃至三日間のスケジュールで行うこの手続き、私は帰路変更で帰国日が変わったため、他のフィリピン隊員とは別日程ですが、しかし今は勿論他の国の隊員も帰ってくるピーク時期。結構人数いるんだろうなぁと思っていたら、今日手続き開始の人数はわずか8人でした。
 帰路変更の場合を除いては、JICA側で、月曜到着は避けてるのかもしれません。(移動に複数日かかる場所からだと日曜にかぶるから)
 狙ってもいないのに相変わらず少数派になる自分。

 手続きだけじゃなく、オリエンテーションみたいなのもあるのですが、協力隊経験を社会に還元する方法とかいった話もあり、“(他の人々に対し)何を話して、一緒に考えたいか”みたいな事をちょっと考えてみよう、というタイムがあったのですが、よりによって講師(と言ってもJOCA職員)、私を指してしまったんですね。
 えぇ、ちゃんと答えましたよ。“フィリピンへ協力隊を派遣し続ける意義は本当の所あるのかどうか(を考えたい)”って。勿論バックグラウンドも説明した上ですが、会場ドン引き。
 空気読む気はありませんからね。


 でもね、自分の心の中では、不思議な事が起こっています。
 本当に寒い日本で、頭を冷やしている効果が早くも現れているのかもしれません。
 同じ配属先へ再度行けと言われたら絶対に嫌だし、その経験故に、上記の通り、JOCVのフィリピンへの派遣には懐疑的なのは変わらないでしょう。
 しかし、フィリピンに戻る事自体は、嫌では無い、そう確かに実感しています。
 帰国前は、日本に戻ったら、もうフィリピンには戻りたくないという気持ちが大きくなる可能性も危惧していました。
 でもいざ帰国してみると、“日本、すごくイイ!”って気持ちはそれほど大きくないんですよね。勿論、何をするにもやりやすい国です。ただ、“元の空間”に戻っただけであって、そこまでの感動は起きなかった。
 むしろ、あの暑くて五月蠅くてストレスフルなのが無くなって、物足りないような気すら。
 日本で生活するために様々な情報を更新するのも面倒になってきて、やる事やって買う物だけ買ったらとっとと戻りたいとか思っちゃってます。

 あぁ、私もやっぱり、いつの間にか毒されていたか。


 話変わりまして、二年ぶりに通電したaiwaの安物ステレオは壊れていました。即廃棄。
 長いこと使っている安物テレビはリモコンが機能しなくなっていました。でも単機能だから本体側のボタンだけで使えはします。
 PioneerのHDD/DVDレコーダーはしっかりと動作しました。毎週予約を仕込んでいった一昨年のゲキレンジャーと仮面ライダー電王はしっかり録れているようです。
 PC用の外付けHDDは動いているけど音がちょっと怖い。もとからこんな動作音だった気もしますが。容量60GBと、今となっては少ないので、ポータブル用で新たに大容量なのを購入して、これまでフィリピンに持って行っていたものと統合します。今は500GBのとかも売っているんでしょう?それに乗り換えれば、この60GBと、ポータブルメイン120GB、サブ80GB(後輩にあげた)を全部合わせてもまだまだ余裕なのですから。

 フィリピンから持ち帰ってきた物を収納するためにも、早くも所有物駆逐作戦が一部開始されました。どうやら、大分価値観も変化したようで、かつてコレクションしていたものを結構あっさりと捨てている自分がいます。
 売れそうな物はまんだらけの宅配買取を使います。

ICカード 鉄道に乗るために、ICOCAを復活させました。私は昔からJR東日本にたてつき、関東でもあえてICOCAを使っていたのです。
 しかし、ICOCAは関東民鉄では使えません。パスネットが無くなった今、民鉄利用時はどうしようもないので、仕方無くPASMOも購入しました。

三十にして立つ

 無事、日本に帰国しました。

 ヴェトナムへの帰路変更は、非常に有意義なものとなりました。
 詳しくは後日書きますが、自分の感覚が以前よりも研ぎ澄まされ、そして、だいぶ度胸も付いていることを実感しました。

 そしてついに、今朝、成田空港に到着。
 この時のために、一番大事にしていた本のカバー裏に隠していた五千円札の封印が解かれ、それを交通費として実家まで戻りました。
 久々の日本は、予想外に、そこまでの新鮮さは感じませんでした。やはりフィリピンでも、マニラという大都会にいて、度々リトルトーキョーなどに行っていたから、そうそうかけ離れた世界という訳ではないからでしょうか。

 気候は、寒い!三月末って、こんなに寒かったっけ?
 昨日までとはまるで異なる環境ですが、しかし私の体は意外にもあっさりと順応。低温だとやはり体もよく動きますね。

 実家。見たくなかった自分の部屋の私物群。こんなに持っていたっけ?物持ちすぎだろ、自分。
 私、決めました。今回この二年間、今まで溜めていた書籍やコレクターズアイテムなど無しでも、全く問題なく過ごせました(本やDVDは取り寄せたけど)。今後も、またしばらく海外暮らしですし、思い切って今回の日本滞在中にかなりの物品を処分します。
 大荷物抱えて神保町へ通うことになりそう。。。

 二年間で溜まった郵便物も開封しましたけど、うちの親、JICAからの家族宛の手紙(JOCV NEWSとか、家族の交流会の案内など)も、殆どを未開封で私宛の郵便と一緒にしていましたよ。この無関心さはむしろ清々しい。

 あと、実家のネットのスピードには驚愕しています。
 個人の家でこのレヴェルが常時出せるとは。つくづく日本はすごいと実感していますよ。
 そして、二年間通電していなかった外付けハードディスクは果たして動くでしょうか。怖くてまだ試していません。。。

 そんな訳で、まずは荷物整理と、改めて正式にUNVに出す書類の準備です。
 明日からはJICAで帰国後手続きとなります。


 そして今日は、私の三十歳の誕生日でもあります。
 古人曰く、“三十にして立つ”。
 波瀾万丈の二十代でした。挫折あり、起死回生の復活あり、そして協力隊への参加。
 でも、本当の戦いはこれからの気がします。これまで学んできたことを活かして、さらなる向上を。
 まずは、出だしのこの一年が非常に重要ですね。

日本で頭を冷やしてきます

 140batchは昨日無事赴任しました。早速の歓迎会の後、ドミトリーの中庭で帰国隊員中心で飲んでいる席にも現れてくれて、楽しく、また興味深い話の数々を繰り広げました。

 さぁ、いよいよ明日、フィリピン出国です。
 もともとドライな気質な上に、またそう遠くないうちにフィリピンに戻ってくるのが内定しているので、そこまで感傷的にもなっていないというのが正直なところ。
 しかし、戻ってくるとは言っても、次の仕事では、求められるものは質・量共に俄然高レヴェルになるでしょう。
 これまでのようにのんびりと過ごすような感じにはなりません。

 自分の場合は特にドミに近くてしょっちゅう来ていたこともあり、今こうやってドミトリーにいるというのが日常的な感覚になっていましたから、そういった時は二度と訪れないと考えると、なんだか不思議な感じです。

 この二年間を振り返っての事は、これまで、昨年末や五号報告書を出した時などに散々書いてきましたから、長々と書きはしません。
 ま、とりあえず、実はデシピの挨拶でもさりげなく言ったのですが(多分誰も覚えていない)、“日本で頭を冷やしてきます”。

 順調に行っても、おそらく戻ってくるのは早くて五月上旬。これから一ヶ月は開きます。
 ここで気分を一旦切ってしまうのにはマイナス面もあるかと思いますが、それと同時に、ここで一ヶ月、安心して休むことが出来るというのも大きいと思っています。
 やっぱり、大分精神的な消耗を感じていますから。

 それに加えて、様々な方面で色々な事を考えている今日この頃。一旦日本に帰り、頭を冷やして、一つ一つの課題について改めて考えを深めていきたい、そんな気分です。

 おっと、勿論、次に備えて、必要な準備はしますし、勉強も進めていきますよ。

 そんな訳で、明日26日出国、まずは帰路変更でヴェトナムに寄った後、30日に日本に帰国します。
 旅券は一般旅券に戻り、携帯は通じず、荷物は沢山。そして英語は通じない国。実はこれから数日間が最もリスキーなんですよね。無事帰国できるように細心の注意を払います。
 それでは、次は日本で!

ユリウス そして、フィリピンにいる皆さん、See you again!
 きっと、さらにパワーアップして戻ってきます。美しく…ね。

140batch来ず…

 さて、帰国を前にして、今日は新隊員が着任する日の筈でした。
 13人帰るのに対し、新隊員は僅か一名なのですが、今夜は早速歓迎会が開催される予定でした。
 が、日本の皆様は特にご存じの通り、成田空港で貨物機炎上事故が発生。朝の便は軒並み欠航となり、赴任は明日に延期となったのです。

 我々とは関係ないところに原因があるとは言え、相変わらず、なんだか133batchは最後まで波乱の現場に立ち会ってしまっています。


 今日は私は特に決められていた予定は無かったので、大使館へ行って一般旅券を受け取ってきました。帰路変更する際は、公用旅券を無効化処理して一般旅券で旅をすることになります。私は有効な一般旅券を持っていなかったので、新たに発行してもらう必要があったのです。

 その後は、大使館の近くであるMall of Asiaに寄ってきました。
 東京カフェ(カフェではあるがメニューはまるで日本のファミレス)でパスタを食し、その後UCCカフェでコーヒーパフェを食すという、変な贅沢をしてきましたよ。

 荷物は割とまとまっており、淡々と帰国が近づいています。明日はJICAの諸手続や大使表敬などがあります。
 まだまだ帰国の実感は沸かないのですけれどもね。


 ところでPNVSCAのCertificate用の集合写真ですが、結局、最後には私からデータをあげました。デシピ用のスライドに載せる写真を皆から集めた際に、データは入手したので。ま、言いたい事は言ったし、あるのをケチることもないかなと、最終的には判断したのでした。

君がくれた未来 133Batchデシピ

 昨日は、隊員ドミトリーにて、ついに我々133batch(&134batchで教員参加のため早く帰国する一人)のデシピディーダを開催しました。
 ついにこの日が来たことには、非常に感慨深かったです。思い出すのは約二年前、フィリピンに赴任直後の我々は、ちょうど日程の都合上、(今回の我々の立場に当たる)帰国バッチのデシピに参加出来て、先輩バッチと顔を合わせたり、自己紹介したりしました。そして月日はあっという間に過ぎ、今、送り出される側にいるのです。不思議な気分でもありました。

 前日に配属先での活動を完全に終えたので、私は正直言って開放感一杯で、久々にテンション高めでした。
 とは言え、今回は自分達が準備して運営する側。かえって今までのデシピよりも皆終始気が引き締まっていた感じでした。
 特に他のイヴェントも無い時期だったので、最初はどの位の人がマニラまで集まってくれるか不安でもありましたが、蓋を開けてみると40名程度(自分達とJICA職員も含む)と、多くの人に来ていただいて、本当に嬉しい限りです。

 なぜか私は司会を任されました。知っている顔ばかりだから緊張などはしませんでしたが、今回もグタグタでしたねぇ。。。実際は女性陣にずっと相談しながらでした。
 所長が出来上がってしまっていて挨拶が笑いありのものとなってしまったり、調整員の挨拶が感動的なものだったり、記憶に残る会となりました。
 最後の一人一人の挨拶も個性が出ていて、後輩の皆さんの記憶にもしっかり残ったのではないかと、自画自賛してみます。

 そんな訳で、参加していただいたみなさん、そして一緒に準備運営したみんな、本当にありがとうございました。着の身着のままプールに飛び込んだ方々、ご苦労おかけしました。
 なお、まだ写真を手に入れていません。撮影していた方々、共有PCに入れていただけるとありがたいです。


 ちなみにこの記事のタイトル“君がくれた未来”ですが、最後の個人挨拶の前に流した、簡単に各自の写真をまとめたスライドでかけた曲名です。
 馬場俊英さんが歌っている歌でして、私が選んだ割には珍しくあっさりと皆からOKが出た、個人的には会心の選曲です(本番では出力が低かったのが残念)。歌詞はコチラ
 ネタ明かしをすると、この曲は、昨年の新幹線0系引退の際にテーマソング的に使われた曲なんですね。だからさりげなく、“のぞみ”“ひかり”“こだま”が歌詞に入っています。ただ、それだけじゃなくて、歌詞は本当に良いと思いました。

大決戦!超ウルトラ8兄弟

大決戦!超ウルトラ8兄弟 (通常版) [DVD] 配属先デシピで流したので、それではこの作品の紹介を。
 昨年公開されたこのお祭り映画、本気で何とか一時帰国して見に行けないかまで考えていました。親会社が変わった事もあり、今までの流れをくむウルトラマン映画としてはおそらく最後になるのではないかと言われている、昭和ウルトラマンと平成ウルトラマンが共演した夢の作品です。

 感想としては、素直に、面白かった。
 既に多くの人が指摘しているように、色々とツッコミ所はあるでしょう。しかし、何と言っても、オリジナルキャストで平成三部作ティガ・ダイナ・ガイアの揃い踏みが再び見られたのは、本当に嬉しかった。
 この手の子供向けテレビ番組に出演した俳優の中には、後にその経歴をあまり表に出したがらなくなる人もいます。しかし、考えてみると、ウルトラマンに関しては、そういった傾向はあまり無いんですよね。やはりブランドとして格が違うのでしょうか。
 ティガ/ダイゴ役の、V6長野博、まさか再び主役としてティガをやってくれるとは。

 ウルトラマンの新作が無かった空白期に育った自分には、BSでの再放送やビデオで昭和作品への思い入れも強いですが、高校時代に始まった平成三部作が、やっぱりリアルタイムで見た作品として非常に馴染み深いです。
 今回は、三部作に対しては細かいところまでネタを仕込んでいたのが好印象。また、ガイアの、着地時に土煙が立つ演出が大好きだったので、きっちり、あえてガイアのみ再現してしてくれたのは良かった。これを大画面で見たかったんですよねぇ。

 それにしても、ヒッポリト星人、過去の人気怪獣・宇宙人が一通り出たマックスでもメビウスでも出演ならなかったのが、最後の最後に美味しい役を持って行きましたなぁ。相手ティガですから。

 で、やっぱり劇場の大スクリーンで見たいのですが、日本でどこかやっている所無いかなぁ。。。って、ちょうど3/20で終わりだよorz


おまけ
PNVSCAデシピ 昨日の写真。どうだ!

自己満足 配属先デシピ

 昨日はPNVSCAによる、他のボランティアと同様のインタビュー。
 今日は、午前中はJICAにて、調整員及び次長に対しての簡単な報告会。そして午後は、配属先PNVSCAにて、ディレクターとの最後の一対一の話でした。

 これらは、特に目新しいことはありませんでした。
 ただ、私は、PNVSCAに対してはかなり言いたいことははっきり言ったつもりだし、相手も理解は示してくれました。それが実際の行動に繋がることを祈るばかりです。
 でもあえて書いておきましょう。ディレクター、あなたいくらもっともな事を言ったって、“でもPNVSCAにはマンパワーとしてKOV呼んだよね”という反論には決して言い返せないと思いますよ。

 先の事もありますのでインタビューはそこそこ無難に終わらせ、今日の夕方は、とうとう、配属先でのデシピディーダパーティーでした。


 前にも書いた通り、普通に飲み食いするだけでは面白くないので、好きなようにやってみました。
 コンセプトは“俺のディナーショー”。結果としては、一応成功と言ってしまって良いと思われます。

 あのボランティア用の部屋、VKRCでボランティアが行う初のイヴェントとなりました。プログラムも印刷し、プロジェクターやスピーカも念入りにチェックした上で臨みました。PNVSCA以外のゲストも数名来ていただけました。

 まずはフィリピン国歌と君が代の斉唱から。君が代は今回用に特別版のスライド付きのものを用意しました。
 その後は、最終プレゼンテーションとして、自分のUbuntu機と、オフィスにあるWindowsノートの二台を投入して、Linuxの紹介をしました。
 まずはWindowsでパワポを使い、Linuxとは何かの説明。ここでは簡単に、LinuxはWindowsとは違うOSなんだ、程度の事だけ語り、では実際に見てもらおうと言って、Ubuntuにスイッチ。

 Ubuntでは、OpenOffice Impressでプレゼン資料を見せつつ、実際にその機能を使って見せながら説明しました。
 なぜLinuxが広まらないかでは、知られていない、技術者が少ない、に加えて、海賊版ソフトウェアが横行しているから価格面でのメリットが生じていない、と言う事もちゃんと指摘しましたよ。
 その上で、ボランティアはLinuxの普及に力を貸せるだろう、そして政府は海賊版の不使用とLinux導入の推進を政策として実行すべき、PNVSCAはその為の技術移転目的でボランティアを配置して欲しいと主張しました。

 食べながら、興味があったら聴いていてくれれば良いという姿勢でいましたが、ある程度の人はしっかり聴いてくれたので嬉しかったです。
 実際は海賊版が横行している以上、この国でLinuxを推進するのはなかなか難しいことだというのはわかっています。日本同様に、変にMicrosoft王国になっていますし。
 でもまぁ、ここPNVSCAには、PCに詳しい人間がいませんから、こういった知識を与えておくのも悪くはないだろうと思ってのことでした。UbuntuのCDを渡したので、ディレクターは興味を持って、試すように指示するかも知れません。


 さて、その後は、自由に食べながら、良かったらこれでも見てくれという感じで、特撮DVDを上映しました。
 そのDVDとは、大決戦!超ウルトラ8兄弟
 なぜここでウルトラマンを流す必要があるのか、と言う問いは無用です。
 私が見たかった、それだけですから。
 これは昨年公開された映画ですが、勿論帰国出来ない私は劇場では見られませんでした。DVDを取り寄せたものの、PCの画面では物足りない。ならば、デシピでプロジェクターで流してしまおうと企んだのです。
 と言うことで、最終決戦のあたりを20分ほど流しました。あまり興味ない人も勿論いましたが、普通に視聴している人々もいましたよ。私は、ガイアの着地シーンが大サイズで見られたので満足です。


自助努力 そして、記念品の贈呈。
 用意したメインのものは、これです。
 自分で書きました。それをフレーム買って入れて持って行ったのです。自助努力、おわかりかと思いますが、嫌みも籠めています。
 そりゃあ、最後の最後には、ほんのちょっとだけ、躊躇もしましたよ。でも、これは一番最初から決めていたこと。言葉としては悪いものではないですから、僕の想いを込めて、PNVSCAにプレゼントしました。

 そして、それを渡す際に、私から簡単に挨拶。色々ありましたけど、私も、最後のこの場では、空気を読むことを選択しました。
 私は、ここで幸せだったと、言いました。
 断っておきますが、最後に感傷的な気分になって、これはこれで良かったと思ったとか、そういう事では決してありません。私はそんなに素直じゃありません。
 でもさ、ま、社会の中の個人として、取った方が良い態度を、取りましたよ。
 そして、UNVとして戻ってくる予定であることも、ついに全員の前で明言しました。ビザの申請に対する協力もお願いしつつ。


 でもって、最後は、フィリピンボランティアマーチを、予定通り、マイク持って歌いました。みんなも一緒にでしたけど。
 結局、練習無しで臨んだのでかなりガタガタでしたが、一応それっぽくなりました。


 最初にプログラム配った時点で、スタッフの中には戸惑いもありました。それは狙い通りです。
 それでもって、一応思うように進めていって、スタッフもそれなりに一緒に盛り上がってくれたので、これで良しとします。
 久々に無理矢理テンション上げたので、かなり疲れましたけど。

 明日は最後の出勤日。再び公用車を出して、荷物をドミに運んだりします。

PNVSCA最終報告書(抜粋)

 私の配属先であり、かつフィリピンにおけるボランティア関係の業務に携わる機関、PNVSCAに対しての最終レポートを書き終えました。
 結局、時間も無かったので、そんなにボリュームは大きくはなりませんでした。

 一番言いたかった事は、以下の二つのパートに込めました。
 (色々な意味で)甘い、という意見もあるでしょうし、書く必要無い、という意見もあるでしょう。
 でも、自分としては、この位で良いかなと思っています。
 文法的なツッコミはご遠慮下さい。よろしく。

 ちょうどこのレポートを書き終えた昨日、KOVからランチに誘われていました。
 本当はKOV二人と一緒に行く筈でしたが、片方が病気がちで休んでいるので、一人と行き、色々と話しました。
 とりあえず、自分が変な目で見られているというのは本人も承知でした。その上で、例え気に入られなくても、きっちり仕事すればいいんでしょ、みたいな自信を持っているようです。

 まぁ、わかっているなら面白い。
 という訳で、自信を持って、私はその後このレポートを印刷し提出したのでした。
 さあて、明日、最終インタビューです。しかもその後、明後日はなぜかディレクターとも面接があるらしい。本当に最後まで普通に被雇用者っぽい扱いだなぁ。。。

About KOV

Now maybe you cannot understand the thinking of KOVs.
However to be honest as engineer I can understand their argument. If they want to make new system or new design seriously, the environment in this office is not always good for working.
And to work comfortably, it's better to use the best equipments as possible as they can prepare.
So please understand them.

And please do not manage their working management so much strictly.
Because volunteers are not the same as other staffs. They are not employees.
Each volunteer has various opinions about volunteerism.
If you say about working management to them strictly and then their motivation becomes low, it will be unhappy situation for each other, I think.

Of course I also think KOVs' recent way is not perfect.
But I wish you to take the long-term view for them.

In addition I want to say that even if you have some dissatisfactions for KOVs, don't notice them to KOICA directly.
I think to talk with KOICA is not fair. Because considering the relationship between PNVSCA and KOICA, KOICA may have to agree you.
At first please talk with KOVs as individual without haste.


About Computer volunteer

For two years I have talked with other JOCV computer engineers. And I also talked with JICA specialist.
Now I firmly believe that in the Philippines there is a lot of Filipino engineer who has the technology at a high level and has not made the best use of it.
Especially in the Manila it will not difficult to search engineer.

I think for this country it's better to use Filipino engineer than to use volunteer from foreign country.
Perhaps you don't have enough budgets to employ engineer.
But I guess you should make efforts to get fund than to call volunteer.
And maybe it is also one way to use Filipino computer volunteer.

So I wrote on the final report for JICA that at least it is not necessary to send JOCV to PNVSCA again.
Even if you want to use volunteer like me, before that please consider using Filipino.

マニラデシピ in Bataan

 昨日は、マニラ隊員向けデシピ(送別会)として、私ともう一人同期のマニラ隊員とで主催し、マニラ隊員+αでBataanへ行ってきました。
 Bataanは、昨年も行った事があります。その時も同じくその同期隊員もいました。なのでなぜ再び?なのですが、Bataanで別件の用事もあり、それにかぶせてしまおうという話になったからです。

 という事で、行ってきました。
 が、Bataanは特に見所が多いわけでもなく、前回と同じくMt.Samatを訪問しただけでした。今回は開いていることを期待した戦争資料館も、またしても閉館中…

 ただし今回は、もう一つ、興味深い場所を訪れてきました。
 今回行ったメンバーの知り合いで、Bataanの近くのNPO運営の孤児院で働いている人がいるという事で、その人を呼んで一緒にMt.Samatに行き、さらに帰路、その孤児院も見せてもらいました。

 孤児院のことについては、NPOのWebサイトがありましたのでご覧下さい。
Hope Scoop Asia
 厳密に言うと、このNPOは、孤児院を運営しているNPOを支援するという立場の、別のNPOですが。

 あまり軽々しいことは言えませんが、すごく良い活動をしているな、と感じました。
 こういったNPOは、うちらJOCVのような強力なバックグラウンドがありませんから、何をするにも苦労は我々の比じゃあないでしょう。その中で、ああやって子供達のために活動をしているのは、心を打たれました。

 日本からのスタディツアーも行っていますし、普通に訪問するのも歓迎という事なので、皆さんも、興味あれば是非とも訪れてみてはいかがでしょうか。

最後にドミPC破壊!?

 経緯については省略しますが、ドミトリーの共有PCを一旦電源から抜きまして、また挿し直したんですよ。
 でも、その時、間違えて220Vの方に挿してしまったんですね。
 ここフィリピンは電圧220Vですが、なぜかドミPCは110V用でして(多分日本国内調達)、変圧器の110の方に挿さないといけないのを、うっかり220の方に…
 その瞬間、“パーン”と乾いた音がしまして、電源ユニットから煙が…

 モールが開くのを待って、すぐ買ってきて交換しました。いやぁ、起動するまでは、マザーボードの方までいかれていないか不安でしょうがなかったですよ。
 無事に起動出来たので一安心。前のユニットは最大出力200Wで、CDドライブ二基とHDD二つつけている状態では電力足りないんじゃないのかという疑惑も持っていたのですが、450Wにアップしたので、結果的にはより安定化しました。


今日のおまけ

フォクすけで学ぶ、Webブラウザ発展の歴史
 わかりやすくて面白いと思います。でもLynxとかにも言及して欲しかったな。。。

Office 2007のインタフェースをOffice 2003風にする「UbitMenu」
 これは良いですねぇ。


PS.
 電源ユニットですが、最初、値段は安いけど品質はそこそこの、cd-r kingって店で買ってきたら、諸事情によりこのPCには不適当なものだったんですよ。
 なので仕方なく、違う店でちゃんとしたのを改めて買いました。
 cd-r kingの方は、返品するのも面倒なので、どうしようかと考えましたが、職場のデシピで贈る記念品(コンセプト:あまり有り難みが感じられない品々)の一つにする事に決めました。

KOVが波紋を…

 ここに来て、二人のKOVが職場で波紋を起こしつつあります。まだ表面上は問題化はしていませんが、ちょっと先行きが不安です。

 職場では、私はAdmin管轄なので奥の部屋にいます。彼女達は管轄違うので別の部屋の方なのですが、また数日間姿が見えず、スタッフにどうしたのかと聞いてみたら、違う部屋に移ったとの事。
 ここにはあと、かつてミーティングスペースとして使われていた小さな部屋がありまして、VKRCが出来た後はミーティングはそっちでやっているので、今はスタッフのランチスペース程度にしか使われていなかったのですが、そこを専用の部屋として、PCも移動して二人だけで籠もっているのです。
 “オフィス内だと、うるさくて仕事が出来ない”からとの事ですが、おばちゃん方にはそれは理解できやしない訳です。


 そしてその上で、さらにもう一件。
 KOVは、一人年間1000ドル、自分の活動の為に自由に使える予算を持っています。JOCVの制度にある活動支援費よりも容易に使えるもので、これが他のボランティアと比べてKOVが金持ちと言われる理由の一つとなっています。
 その位置付けってのがKOICA内部的にどうなのかは、実際のところよく知らないのですが、ただやっぱり、本当の本当に自由に使えるわけではなく、活動に必要であるという事を、配属先のボスによって一筆書いてもらう必要があるそうです。
 なので、その予算を使って、自分達はこういった品々を活動の為に買い揃えたいから、KOICAに出す書類を用意したので、ディレクターのサインをくれと言ってきたわけです。

 二人のうち片方は、最新のPCを一台。もう片方は、デュアルディスプレイでやりたいのでモニタを。あとは、タブレットとか、PC用のデスクとか。
 これが、この職場において管理する側のスタッフには、戸惑って受け止められているのです。
 直接的には、そもそも現時点で彼女達が使っているPCも、もともとVKRCに入れた、この職場では最高スペックのものであり、それでまだ不十分なのかと。

 あと、職場側としては、本人達が持っているその予算も含めて、スタッフとして管理下に入れたように思っており、何を買うかなども、話し合って決めていく事を期待していたから、KOVだけで勝手に決めるなよ、みたいな気分もあるわけです。はっきりとは言わないけどなんとなくわかりますよ。

 そしてまた、これがいささか複雑な心情ですが、同時に、今まで入ったボランティア(私含めて)は、そんなに特別な機材を必要とせずに、あるもので作業していたわけで、それに比べてどうなの、みたいな感情もあるのだろうと思います。

 その辺もあってですね、例の上司はですね、何だかんだ言って私は信用されているので、私に色々と意見を聞いてきたのです。
 そもそも、“タブレットって何?”って話でしたし、デュアルディスプレイという使い方とか、そういった事も知りませんから。PCも、今使っている性能で本当に不十分なのかとか。

 私自身は、基本的にはKOVの味方をするという方針を誓っておりますから、否定的な事は言いたくなく、ディスプレイについては、確かに日本でもデュアルでやってるエンジニアはいるし、いくつかソフトを同時に使うならその方がやりやすいと返し、PCについても、PhotoshopやIllustratorを同時に使うなら性能はそれなりに必要だ、みたいな、無難な回答をしました。

 ただ、、、彼女達としては、上司が、関係のない私に相談する事も気にくわなかったようでして。。。そもそもこれは自分達が必要としている物を自分達の持っている予算で買うだけの話なのだから、必要性とかをスタッフ側が考える必要ないでしょうと。
 最終的には、買った物も寄贈されるのだし、何を議論しないといけないのかと。


 総論としては、私は反対はしません。
 確かに職場のあの環境では、エンジニアとして本気で作業は出来やしません。彼女達が、技術移転は諦めてマンパワーで構わないと割り切ったならば、別の部屋でガシガシ進めた方が効率が良いに決まっています。金があるならば、良い機材を使いたいでしょう。

 でもさ、もうちょっとやり方はあるんじゃないかとも思うのですよ。
 職場側としては、彼女達を、スタッフの一員として同列に見ている。その中において、こういったやり方をしている事に、既にスタッフの中には、“なんだあれは”という感情が起き始めているようなんですよね。


 私自身の考えとしては、彼女達のスタイルは、一つの方法としてはありだと思います。
 ただただ職場の人達と一緒に仲良くしていればいいってもんじゃない。特に彼女達は、直接的にシステムを作ることを期待されて呼ばれた訳だから、先進国流の仕事のスタイルってのを見せつけて、それできっちりと成果を出せば良いわけですね。
 職場側は、まず成果があれば満足な筈だし、もしかしたらその姿に刺激を受けるかも知れない(受けないだろうけど)。

 ただ理論上はそれで良くてもさ、この職場の人達のレヴェルだと、そういった視点での考え方は出来ないだろうし、エンジニアいないから、成果物に対する正当な評価も出来ないわけですよ。
 成果物が相手の期待していたものと異なる可能性もあるし、実際はプログラム的には大変なものだとしても、外見だけで判断して“こんな程度のものしか作れなかったの?”という評価をされるかもしれない。


 そんな訳で、色々とこの先も波乱がありそうな気がします。
 ま、私はあとちょっとで任期終了ですから、あまり深入りはせずに、とんずらさせて頂きます。
 私がどうこう言うようなものでは無いと思います。

 と書きつつ、面白いから、最後に職場に出す報告書では、彼女達を援護する事を書いちゃおうかなと思っていたりも。
 だってやっぱり、どっちの味方をするかと聞かれれば答えは決まっておりますので。

泳ぎ納め・ペッパーランチ納め

 昨晩は、市営プールで泳いだ後、ロックウェルへ行ってペッパーランチでペッパーライスを食してきました。
 今後の日程を考えると、ひとまずはどちらもこれで最後になるでしょう。

 プールは最近、日が長くなりまた暑くなったからか、平日夕方が結構混むようになってしまっていました。やっぱり土日の朝一番が一番良いような気がします。
 無事にフィリピンに戻ってきたら、またたまにがっつり泳ぎたい時は行くことになるでしょう。
 普通に1000mぐらいなら泳げるまでに戻した体力は、今後とも維持していきたいところです。日本帰ったら辰巳国際水泳場とか行こう。

 ペッパーランチは、フィリピンで最後と言っても、日本でも行けますので。。。
 日本では、フィリピンにはないメニューの“ステーキ丼”でも食することにします。

予想通りの写真未発見

 本当に予想通りの事が起きました。
 PNVSCAが、最後のインタビュー時に渡すCertificateには、ターンオーバーの時の写真が収められるのが恒例です。しかし、133batchの写真が見当たらないので、全員揃った写真を持っていないか、私に聞いてきました。

 ターンオーバーの時に、スタッフがデジカメで撮影しているのは確実。
 しかし、ちゃんと整理していないから、データが見当たらなくなっているのです。

 データが無いからって、偶然にもここにいる私に頼るのは、違うでしょう。
 JICAにも聞いたけど無かった、とか言っていますけれども、それで当人に頼むのなら、JICAに詫びてJICA通して依頼するのが筋ってものではないでしょうか。

 その前に、全てのPCを探すべきです。どうせその担当のおばちゃんは自分のPCを見ただけなのですから。
 “全スタッフが全てのPCをチェックすべきだ”と言ったら、すごく困った顔をされましたけど。
 ここのスタッフの、そういった仕事っぷりが本当に嫌です。

 ま、実は私も秘かに探した事もあったのですが、未発見なんですけどね。でも、131batchの時は、当人達から強く抗議されて、本気で探したら出てきたんですよ。探してください。

 私は、ちゃんとした依頼がない限りは、個人的に同バッチに頼んで適当な写真のデータをもらったりするつもりはありません。
 見つからなければ、また写真無しのCertificateを用意すれば良い。それにどう反応するかは、同バッチのみんなに委ねます。
 PNVSCAが出すCertificate自体、別に要らないんですけどね。

突入!最終決戦

 タイトルは何となくなので気にしないでください(ジュウレンジャーから引用)。
 いよいよ本当に最終段階です。油断していたら、やる事が結構残っています。週末にまったりし過ぎてしまいました。

 配属先でやるデシピの招待状をわざわざ各スタッフに配布しました。
 皆、ただ食べて騒ぐだけと思っているようですが、PCに関するプレゼンテーションとかもあるのですよ。
 プレゼンの資料は既に出来上がっています。あとちょっとだけ補足原稿を準備しておかなければ。
 プログラムも印刷済。君が代の映像も作ったけど、ボランティアマーチの、しっかりと字幕のタイミングが合うバージョンは時間が無くて着手出来ません。ごめんなさい。
 そういった準備ばかりやっていて、食べ物の手配は全くやっておりません。
 19日PM5時より。都合つく方は是非ともPNVSCAにいらして下さい。

 今週はあと、大使館に行って一般旅券発行の手続きをしたり、郵便局から荷物を送ったりします。


今日のおまけ
藤子・F・不二雄の全集が発売へ
 諸事情により絶版だったオバQが、ついにキター!!!
 パーマンは、五号が登場するバージョンなのでしょうか?だったら買いますよ!

JOCV派遣取極

 最後に、読んでおきたい書類がありました。
 日本国政府とフィリピン政府との間で結ばれた、青年海外協力隊の派遣協定です。
 かつて、前の調整員の方から、フィリピン側に甘いものとなっているという旨を伺ったことはあったのですが、しかし実際に見たことはありませんでした。最後に確認しておきたかったので、事務所に頼んで、コピーをもらいました。
 これは、秘密の文書では無いでしょうから、ちょっとここで見てみましょう。

 フィリピンとの海外協力隊派遣取極
 昭和四十一年二月十五日
 予想以上にあっさりとしたものでした。本文部分はわずか二ページ。
 細かいことはあまり書かれていません。だけど、興味深い文章はありました。

 その目的、
“必要な技術上の知識又は技術を有する日本人の男性及び女性を派遣してフィリピン人とともに生活しかつ労働し、これによって両国間の友好と相互理解を促進することにより、フィリピンの社会的及び経済的開発に協力する目的をもって”
とあります。
 なるほど。技術を持った人間を送るとはあるけど、労働すれば良いのであって、技術を移転するとはどこにも無いのですね。
 胸のつかえが、また一つ取れました。

 “日本国政府は、予算措置が執られることを条件として、協力隊の日本国とフィリピンとの間の渡航費及びフィリピンにおける生活手当を負担し、並びに協力隊の任務遂行上必要な機械、器具、材料及び医薬品を供与する。”
 解釈は色々あるでしょうけど、そのまま読むと、必要なものは全部日本持ちってことか。住居とかもやはりこっち持ちになるのでしょうね。

 フィリピン側の義務としては、課徴金免除ぐらいです。
 うーむ、確かに甘いな。

 しかぁし、ここで、良く読んで考えてみると、この免除されるものに、
“査証及び入国の問題に関する手数料その他の課徴金”
→入出国時の空港使用料とかも免除されるんじゃない?
“(活動や生活に必要な品物の)輸入について、関税、税金その他すべての種類の課徴金”
→たまに、日本から送ってもらった品物に関税取られる人いるよね。あれって払わなくていいんじゃない?
後々のために、事務所に確認しておいても良いかも知れません。

 さらに細部を取り決めた文書もきっとあるのでしょうけれども、あくまで基本はこの文書。
 なかなか面白かったです。最初に隊員に配られるべきな気もしますが。

コリアン部落

コリアン部落 荷物を整理していると、買ったのに読んでない本があったので、かさばる大きさでもあり、急いで読みました。
 韓国でかつて存在した、“白丁”と呼ばれた賤民身分への差別が、果たして現在どうなっているかを追ったルポタージュです。

 韓国も日本に近い文化なので、そういうのはあるだろうなと思っていましたが、白丁が近現代に於いて辿ってきた道については、非常に興味深く読みました。
 差別に対する解放運動が被差別側から強くわき上がり、その結果として相当の差別解消がなされたものの、同時に今なお明確に“指定地区”として目に見えるものが残る日本。
 反面、韓国は、解放運動は立ち消えたものの、戦争の混乱の結果、誰が白丁なのだかがわからなくなるという形で、とりあえず身分差別としては解消されてきているとのことです。しかし、差別は、今は職業差別に形を変え、なお根強いと。

 もともと仏教でもなく、肉を食べる文化であった韓国で、屠畜や精肉業が差別の対象になっているというのはちょっと驚きでした。
 あと、“誰が白丁だかわからない以上、差別はない。けれども、相手が白丁とわかったら結婚はしないだろう”という類の発言がしばし出てきましたが、やはりいささか論理が矛盾しているように感じられます。人権教育が遅れていると書かれていましたが、そうなんでしょうねぇ。


 さて、フィリピンの場合、差別はないのか。
 取り敢えずは、身分差別や職業差別は、無いと思います。
 少なくとも屠畜に関しては日本や韓国のようなものはないですね。私が屠場に見学に行ったと言うことを聞いた時も、職場の人間は過剰反応はしませんでしたし(なんでPCとまるで関係無い所に行くのだろう、みたいなのはありましたが)。屠場で働いている人には、貧しい人が多いという旨の事を言っていた隊員もいましたが、それは給料の差ゆえに結果的にそうなっている部分もあるでしょうから、“屠畜=貧しい人の仕事”とも言えまい。

 あとは、ゲイがそれをかなりオープンにしている事なども、変な差別が無いことを示しているでしょう。女性差別も無いですし。

 とは言え、本当の本当に差別はないのか。
 少数民族とか、宗教とか。
 ちょっとググっただけで、正直、やはり差別はありそうな感じです。
 私は、二年間もフィリピンにいたのに、そういった事をまるで知らない。もともとこの手の問題に興味があったというのに、何も知ろうとしていませんでした。
 反省しています。これからは、もっと広い視点で行かないといけない。色々なことを調べて、自分の目で見に行ってみたい、そう感じたのでした。

 この本はかさばるので、ドミトリー寄贈です。

帰国前の日程

 調整員から以前送られてきた帰国直前の日程、かなり無理なスケジュールだったので、調整が入ると思っていたら入りました。でも何やら各自に確認無しで決めちゃってる部分も多々あるようで(私も変更あったのに無連絡)、まだ変わりそうです。

 とりあえず備忘的意味合いも込めて自分のスケジュールを整理

19(木) 午前中JICA報告会
     夕方配属先デシピ
20(金) 公用車で自宅から荷物を撤収する
     一方その頃、PNVSCAには数人の隊員がインタビューに
21(土) 夕方よりドミトリーにてデシピ
22(日) 自宅を完全に引き払う
23(月) もしかしてスケジュール無し?
     だから大使館へ行ってパスポートを一般のに切り替え
     ちなみに140batch(わずか一名)赴任。なので夜は食事会かな
24(火) 諸手続きとか大使館表敬とか
25(水) 特に無し
26(木) 出国。私は帰路変更でヴェトナムへ

30(月) 日本帰国
31(火)〜4/2(木) 帰国後手続き
4/3(金) 墓参りとか
4/4(土) 地元で焼肉会

 なおPNVSCAインタビューは私は前倒しで好きな時にやって良いとの事です。

 あとは、学校の卒業証明書の申し込みを親に頼むとか、携帯は引き続き同じ番号で使いたいからJICAに代わりに差し出すSIMカードの購入とか、細かいやる事が結構あります。

ヤムチャは…

 ドラゴンボールZが、リニューアルされて、再放送ではなく新番組“ドラゴンボール改(KAI)”として四月から放送されるそうです。

ドラゴンボール改

 なんでも、

・ハイビジョン画質にリマスター
・より原作に近い形に再構成
・声も録音し直し

だそうで、要は、あのやたらと長い回想シーンとか、偽ナメック星のエピソードとかの、原作に追いついた時対策がカットされ、すっきりとするって事ですね。
 アニメは、完全リメイクにした場合の成功率は必ずしも高くありませんから(毎回成功してるのって鬼太郎ぐらいだと思う)、この方法はなかなか面白く感じます。
 でもドラゴンボールって、昔ゴールデンタイムで再放送始めたけどコケて一ヶ月で終わった事ってありましたよね。あぁ、だからZにして、しかも日曜朝という無難な時間にしたのか。

 このニュースを読んで、なぜか最初に自分の頭の中に浮かんだのは、ヤムチャの処遇です。
 自分はアニメはあまり見ていなかったのですが、アニメでは、少しだけヤムチャの扱いが良くなってたんですよね?
 でもその中には、原作から付け加えられたエピソードも多かったでしょう。界王星での修行で、リクームを倒したりしたのがカットされるって事?野球選手のアルバイトで活躍していたのとかもカットされるの?

 けれども、サイバイマンに自爆されたり、人造人間に瞬殺されたりは原作通りですから、残ります。

 ヤムチャカワイソス…
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