旧水戸街道

2013年12月01日

旧水戸街道を歩こう! 第11回(最終回:奥谷集落-長岡宿-水戸宿)

平成25年5月から始めた旧水戸街道歩きも今回で11回目となり、残すところ約10kmとなった。と言うことは、今回で完歩ということになるのだ。
20131201_01020131201_014 JR常磐線石岡駅から路線バスに揺られて約35分。降りたバス停は「奥ノ谷」。ここが今回のスタート地点だ。
歩き出すとすぐに涸沼川を渡り小鶴集落へと入っていく。
20131201_02020131201_024その先の二股を笠間(左)方面へと進むと小鶴商店街だ。
立派なお屋敷があったのでパチリ。
左に火の見やぐらが見えたら緩やかに右方向の道に進む。
20131201_02820131201_03320131201_040歩き始めてから約1.2kmで村社諏訪神社があったので寄ってみた。
全国に約25,000社あるうちの20131201_04320131201_055一つのようだ。

その先にあったのが如意輪寺。
雰囲気的には新しそうなお寺だが境内は広く、落葉したイチョウの葉の黄葉が見事だったので、20131201_049思わずパチリ。




20131201_06420131201_069長岡橋を渡ると長岡宿の入り口だ。
「木村家住宅・水戸浪士の毛塚」の標識があったのだが、毛塚は500mほど離れているので無視し先へと進む。

20131201_07220131201_076高岡神社なる石柱が出てきた。
この神社の創建はかなり古く、説明板には、平安朝一条天皇の御代、長徳元年(995)に創建された書いてあった。

20131201_08320131201_080長い板塀のあるお屋敷が脇本陣だった木村家だ。
残念ながら門は閉じていたので中には入れなかったが、板塀の隙間から中を覗いてみると、広い庭と藁葺の建物が見えた。
20131201_09420131201_09620131201_099長岡十字路を過ぎると、旧道は国道6号に合流した。
ここは片側2車線の広い国道なので、車がビュンビュン通るのだ。20131201_105そのせいか所々に横断歩道ではなく歩道橋が設置されていた。

国道6号を水戸方面に約1.5kmほど進むと北関東自動車道と交差する。
20131201_10720131201_114歩道は自動車道の入り口に沿っているが、途中でこれを横断し国道6号に沿った歩道へと移る。
この北関東自動車道を越えるといよいよ水戸市だ。
20131201_11820131201_123水戸市に入ってすぐの東野町交差点で旧道は斜め左へとすすむ。
左手の茨城県自動車学校を過ぎるあたりで、今度は右斜め前方へとすすむ。

20131201_13220131201_139間もなく熱田神社が右手にあったので寄ってみた。2011年の地震で崩れたのか石灯篭が崩れたままで放置されていたのが気になる。
国道50号を越えるとすぐに金山稲荷神社が左手にあった。20131201_153旧道をさらに進むと、今度は吉田山薬王院という大きな門柱があったので、イチョウが植えられた長い参道を進んでみた。
残念ながら仁王門は修理中のため工事用のシートで覆われていたが、境内はかなり広く、入母屋造りの本堂は国指定の重要文化財に20131201_166指定されている。
延暦年間(782~806)桓武帝勅願所として創立されたようだ。
そして、左手の銀杏の木は樹齢約500年、右手のクスノキは樹齢約150年だそうだ。
ここの紅葉は見事だった。
20131201_17620131201_19420131201_197傾き始めた陽に照らされたモミジがキラキラと輝いていた。

薬王院から再び旧道に戻り、歩き出すと「水戸藩御用 神楽屋屋敷跡」と書かれた石碑を発見。
水戸大神楽はここが発祥地であると書かれていた。
20131201_22820131201_225
旧道の坂を下っていくと吉田神社だ。
階段を登って境内へ。
この神社の御祭神は日本武尊で、尊が東夷平定の帰途、兵をこの地に留めて20131201_212憩わせた20131201_21920131201_221故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀したようだ。ただ、創建の年紀は不明とか。
20131201_23020131201_232吉田神社を出て歩き始めると、水戸宿入口にある備前掘を示す標識があったので、その方向に進む(右斜め前方)。
金刀比羅神社前を過ぎるとすぐに備前堀に突き当たった。
20131201_23420131201_238最初にある橋が銷魂橋(たまげばし)だ。
この橋は、元禄3年(1690)光圀公が、この地で別れ泣き悲しみ魂を消すという意味から銷魂橋(消魂橋)と改めたようだ。
そして、江戸との出入口でもあったため藩の禁令や法度など20131201_244高札が立てられた場所でもあったのだ。

この橋の反対側には、「江戸街道(水戸街道)起点」と書かれた石碑があった。
バンザーイ! 
20131201_257旧水戸街道を完歩したのだ。

帰るまでに少し時間があったので、宿場内を奥州街道起点まで歩いてみることにした。
橋を渡り、しばらく進んだ最初の信号を右折。
20131201_258この道が今はハミングロードと呼ばれているが、昔の宿場の中心道だったようだ。
20131201_26320131201_264そして県道179号との交差点の角にあったのが「陸前浜街道 起点」と書かれた石碑だ。


第1回目の「旧水戸街道を歩こう!」を始めたのが5月初旬。
夏場の暑い時期は休止したが、11回目で旧水戸街道117kmを完歩したのだ。
自分ながらよく頑張ったと褒めよう。
次は何処を歩こうかな・・・。

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2013年11月26日

旧水戸街道を歩こう! 第10回(堅倉宿-小幡宿ー奥谷集落)

 JR常磐線羽鳥駅から小美玉市コミュニティバスに揺られて前回のゴール地点の堅倉宿にある小美玉市役所へ。
20131126_012ここでトイレを済まして出発。
道なりに進むと左側に立派な門があった。
門の前にあった説明碑に書かれた内容では、この門は水戸徳川藩士加藤家の分家の門だったものを復旧した物らしい。

20131126_01520131126_020さらに進むと道の両側に立派な板塀のお屋敷があり、当時の堅倉宿であった様子を垣間見ることができた。


20131126_02520131126_031十字路の角に旅籠だったという「かどや」が昔ながらの佇まいを漂わせていた。
旧街道はこの交差点を左へと延びる。
ここにも白壁塀のお屋敷があったのでパチリ。
20131126_03620131126_043道端には小さな道祖神があり、のんびりとした空気が流れていた。
小岩戸交差点で国道6号を横切り直進する。
5体の石仏が旅人の無事を祈ってくれてい20131126_044るようだ。
二十三夜燈(月を信仰の対象として精進・勤行し、飲食を共にしながら月の出を待つ、月待ちの行事の際、供養のしるしとして建てた石碑のひとつ)があった。

20131126_05220131126_05820131126_060小美玉市消防団第五分団の小さな建物の隣に「日本三社 稲荷大明神」と「村社 石舩神社」があったので20131126_07020131126_071寄ってみた。

黒川に架かる山中橋を渡ると右手に「元西郷地小学校跡入口」と「山中薬師本堂・仁王像入口」と書かれた標識を見つけたので、20131126_07620131126_081小道を入っていった。
中に納められている仁王像は江戸末期のものらしい。
ここにあった西郷地小学校は明治十年五月に開校され、明治十九年四月に堅倉小学校に20131126_085吸収されたようだ。
この薬師本堂を過ぎたあたりから小美玉市から茨城町小幡地区に入っていく。
旧道を歩いていると、見事に紅葉したモミジがあったので思わずパチリ。
20131126_09220131126_09620131126_102「愛宕神社」と書かれていた大きな石碑に誘われて入ってみると、入口に勝軍地蔵があり、そして参道の奥にある階段を上がったところに20131126_12220131126_107真新しい社殿があった。

県道43号を過ぎると法円寺だ。
参道には六地蔵が祀られていた。
20131126_10920131126_11620131126_120また、このお寺は水戸藩との関わりがあるらしく、屋根瓦に徳川家の家紋である三つ葉葵が描かれて20131126_13020131126_133いた。
旧道が国道6号に合流する手前に何やら聞いたことが無い「清龍大権現」という石碑があったので階段を登ってみたのだが、新しそうな小さな祠があるだけで特に説明板も20131126_134なかったので・・・。

国道6号の左側を水戸方面に少し行くと「千貫桜歌碑」なるものがあった。
説明板には、かつてこの地に巨樹の桜があり、水戸光圀公が”千貫の価値がある”20131126_14020131126_141と言ったところからこの名が付いたようだ。
光圀公が詠んだ歌碑もある。『春風も こころして吹け 散るは憂し さかぬはつらし 花の木のもと』
20131126_149その横には桜並木が続いていた。

さらに進み東関東自動車道を越えた辺りで小幡宿へと入っていく。
右手に「国指定史跡 小幡北山埴輪公園」があったのでランチタイムを兼ねて20131126_152立ち寄った。
詳細には見学しなかったが、中はかなり広く埴輪を造るための粘土を掘った跡や焼いた窯の跡などがあるそうだ。
ベンチやトイレもあり、休憩するには良い場所だった。
ここからしばらく進むと、旧道は国道6号から離れて右斜め前方に進み、20131126_18520131126_189奥谷地区に入っていく。
奥谷坂上交差点を過ぎると左手に御霊神社という名の神社があったので寄ってみたのだが、境内には、富士神社、香取神社、御作神社、愛宕神社、稲荷神社の五社も20131126_179祀られていた。
この社を出た頃は、もう長い影ができる時間になっていた。

この場所は、JR常磐線からは遠く離れており、また、街道を走る路線バスの本数も少ないので今日はここまでとし、この先の奥谷バス停から石岡駅に戻ることにした。

次回は、水戸まで歩く予定なので多分最終回になるはずだ。

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2013年11月20日

旧水戸街道を歩こう! 第9回(府中宿-竹原宿-片倉宿)

今回は府中宿(石岡)から竹原宿を通り片倉宿までを歩く予定だが、帰りの足の便を考慮して片倉宿の入り口にある小美玉市役所までの約10kmとした。

20131120_04420131120_042 JR石岡駅から最初に向かったのは、前回時間の関係で訪れることができなかった常陸國総社宮だ。
総社は、国中の神社を巡拝する慣わしの不便を省くため、平安末期に国府の近くに造られるようになったもので、20131120_030現在では概ね各県毎、国府の近くに鎮座し、判明しているものだけで全国に57社ある。
「総社神社」や「六所神社」とよばれるものの多くは総社だそうだ。

この総社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、邇邇藝命(ににぎのみこと)、20131120_027大國主神(おおくにぬしのかみ)、大宮比賣命(おおみやひめのみこと)、布瑠大神(ふるのおおかみ)の六柱の御祭神をお祀りしている。
また、松尾神社、厳島神社、愛宕神社、星宮神社、香丸稲荷神社、愛染神社が合祀されている。
20131120_028
特に有名なのが9月に行われる例大祭で、
石岡祭りとも呼ばれ関東三大祭りに数えられている。

次に向かったのは、常陸国分寺。
20131120_08120131120_098ここには、創建当時の国分寺跡の碑がある。
旧水戸街道(国道355号)を北へと進み、国分町府中3丁目交差点を左に曲がり、すぐに右折するとその突き当りにあった。
20131120_090屋根には松平家?の家紋らしきものが・・・。

3丁目交差点まで戻り、今度は東に向かう(県道52号)のが旧道だ。

20131120_135常磐線を越える陸橋から先には、各宿場の日本橋からの距離を描いたパネルが道に貼ってあり、往来する人の目を楽しませてくれていた。


20131120_13720131120_139しばらく進むと道の両脇に大きな塚があり、石岡の一里塚と書いた石碑がある。

道は、行里川地区へと続くが、
コンビニ(セイコマート)の手前で20131120_15220131120_161左方向の脇道へと進む。

なにやら立派な白壁塀のお屋敷があったが、昔の庄屋さんの家なのかも。

20131120_177行里川北交差点で県道は左に曲がるが、旧道は直進だ。
園部川を渡ると小美玉市に入る。
雲一つない青い空、筑波山がよく見えた。それに関東ではあまり見かけないロールベールサイレージが沢山あったので思わずシャッターを切ってしまった。
20131120_191JA美野里農機センタを過ぎると、
間もなく右手に竹原神社があった。
多分、この辺りが竹原宿の入り口なのだろう。
この神社の神輿は小ぶりながら常陸国総社宮の神輿と同型で、総欅造りの見事な造りは美術工芸品として価値の高いものだという。20131120_19420131120_206毎年7月下旬に行われるアワアワ祇園という祭礼時に繰り出される。

旧道は竹原交差点で国道6号に合流し、このまま北上し片倉宿へ。
20131120_21520131120_217馬頭観音があった。
国道6号をどんどん進む。
「北辰一刀流 大貫先生政成之碑」を横目にさらに進む。

20131120_22020131120_22720131120_226水戸まで21kmの標識がでてきた。

この木、多分柿の木だと思うのだが、本当の20131120_23920131120_229”鈴なり”状態。
道が大きく右に曲がっているから”大曲”と付いたのかも。
大曲三叉路を過ぎると桜の大木が続く道が約1kmほど続いていた。
20131120_245こんなところに桜並木が・・・。
今の時期は、紅葉も終わり落葉してしまっていたが、花の季節には見事な桜並木なんだろうと想像する。
桜並木の終わる辺りで、旧道は国道6号から離れて左方向に入る。この先が片倉宿のようだ。
20131120_25020131120_252
300mほど進むと右手に小美玉市役所があった。
帰りの交通の便を考慮して、
今回はここまで。
ここから最寄りのJR駅に行くには関鉄バスもあるのだが、小美玉市のコミュニティバスがあったのでこれを利用して羽鳥駅に出たのだ。その方が料金も200円と安かったので。

多分、この旧水戸街道歩きもあと2回で完歩かな。
次回はいつにしようかな。

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2013年11月11日

旧水戸街道を歩こう! 第8回(土浦宿-中貫宿-稲吉宿-府中宿)

 今回は土浦宿から府中宿(石岡)までの約16kmを歩く予定だ。
20131111_01520131111_011土浦宿の本陣があった場所(京屋呉服店と土浦商工会議所の間)からスタート。
道(国道354号)なりにすぐに左折。
散策コースの目印となるプレートが足元に貼ってあった。
20131111_01820131111_019月讀神社の前を通り過ぎると土浦城の北門があったという碑が立っている。
門の前には人馬の出入りを秘匿するとともに出入り口を防御する機能がある馬出があったとか。
20131111_025新川橋を渡り真っ直ぐ進む。
交差点があり国道は右に曲がるが旧道は真っ直ぐの道だ。



20131111_03020131111_039国道を少し行ったところに善應寺というお寺があるというので寄ってみた。
このお寺の正式名称は、真言宗豊山派 照井山 善應寺といい、創建は室町以前らしい。
20131111_045お寺の脇には弘法大師が掘ったという言い伝えがある井戸があった。

この交差点から少し登り坂になっていき、
国道125号と合流した。(写真は振り返って撮ったもの)
20131111_04820131111_052
土浦第一高校の前を通り、そのまま真っ直ぐ進む。
若松町の立体交差点の手前から右に入っていく。
20131111_05820131111_068スーパーの前を過ぎると松並木があり、水戸街道松並木と書かれた説明板と碑があった。
また、その先には板谷の一里塚の碑があった。(ここまで出発して約1時間)
20131111_079右へ行くと石岡を経由して水戸まで44粁、左へ行くと土浦を経由して東京まで76粁と書かれた道標があり、昭和4年に建てられたものらしい。


20131111_09220131111_08420131111_090旧道は県道に合流し、国道6号を越えるため左方向の陸橋を上がっていく。
そして越えた先のT字路を右に進み20131111_094中貫宿へと入っていく。
なにやら立派な昔風の門構えの民家が続き、宿場だった面影が垣間見えた。

一段と立派な門構えの御屋敷があったが、ここが中貫宿本陣だったよう20131111_11620131111_109だ。
鬼瓦には「本」と書かれ、外壁には恵比寿さんと大黒さんが描かれた円形状の物が飾ってあった。

20131111_11820131111_120門塀に使われている瓦にも大黒さんや恵比寿さんが・・・。



20131111_12720131111_138中貫宿を抜けゴルフ練習場を過ぎると、道は再び国道6号に合流し、かすみがうら市に入っていく。
国道を約2.2km進むと旧水戸街道稲吉宿(千住から数えて14番目)入口の標識が立っていたので、20131111_14720131111_153それに従い左へと入っていく。
道沿いには立派な塀のある稲吉宿本陣の坂本家住宅(市指定文化財)や旅籠皆川屋の木村家住宅(県指定文化財)が当時を偲ばせる姿で20131111_16520131111_168今も存在している。
この宿場には他の宿より立派なお屋敷が多かったような気がする。
宿場の外れに杉木立に囲まれた立派な香取神社があった。
緩やかに下り、20131111_18020131111_189そして緩やかに登ったところに「かすみがうら市役所千代田庁舎」があったのでトイレ休憩。
西消防署の前を通り過ぎるとレンコン畑があり、さらに進むと再び立派なお屋敷が並んで20131111_19220131111_19320131111_195立っていた。
ここは上土田という地区のようだが・・・。

20131111_19720131111_19820131111_203門前に六地蔵尊がある観音寺。



20131111_213家の外壁に〒マークのある家があったのだが、どんな意味があるのだろうか。
昔は飛脚だったとか??。


20131111_21820131111_22520131111_222馬頭観音の先で旧道は再度国道6号と合流。
国道は常磐自動車道の入り口方面と別れるが、20131111_22920131111_230歩道は高速入口方面へと続く。
歩道を進むとこの高速方面に向かう道の下を通ることができ、再び国道6号に出ることができた。
合流地点には小高い丘があり、その上に千代田の20131111_24020131111_248一里塚跡の碑があった。

国道6号をしばらく進み、歩道橋のある新治小入口で左斜め方向に入っていく。
道は約1kmほど先に流れている恋瀬川のところで20131111_25820131111_262再び国道6号と合流した。
川に架かる恋瀬橋の上から筑波山がよく見えたのでパチリ。
そして石岡市へと入っていく。

20131111_26620131111_267国府7丁目で左方向の国道355号へと進む。さらに250mほど進んだところで国道をはずれて左へと進む。


20131111_26920131111_272白壁のお屋敷の向こうに日天宮(祭神は天照大神)があった。
石岡にはこの日天宮、月天宮、星の宮があったらしいが、星の宮は今はないようだ。

20131111_282国道355号にもどり、先に進むと昭和レトロを感じさせる、懐かしい佇まいの登録有形文化財が建ち並んでいた。
この辺りが府中宿の中心だったようだ。

「丁子屋」(江戸時代末期に建てられた染物屋)、そして右から「福島屋砂糖店」20131111_285(昭和6年に建てられた砂糖問屋)、「久松商店」(昭和5年頃に建てられた化粧品店・雑貨店)、「十七屋履物店」(昭和5年に建てられた履物屋)だ。


20131111_290この辺りには陣屋跡、本陣跡等があるようだが、空模様も怪しくなってきたので次回に訪ねることにして、今回はここまで。
急いで石岡駅へ。

ホームで電車を待っていると雨がザァーザァー降り出した。

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2013年11月01日

旧水戸街道を歩こう! 第7回(荒川沖宿~土浦宿)

 今日は荒川沖宿から土浦宿までの約9kmを歩くつもりだ。
天気は晴れ。
20131101_003 荒川沖駅から前回のゴール地点に向かう途中にある姫宮神社に寄ってみることにした。
駅前を120mほど進んだところの路地を左折すると間もなく鳥居が見えてきた。
この神社の創建は1643年頃で祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)20131101_00920131101_011だ。

元の道に戻ってスタート地点(泡川沖天満宮)へ。
旧道を歩き出すと郵便局の隣に茅葺の家が20131101_014見えてきた。
門の奥には立派な庭も見えた。
2件目の茅葺屋根の家だ。屋根に「寿」の文字が見える。
小さな宿場だった雰囲気が感じ取れた。

20131101_01720131101_026荒川沖宿を抜けるとまもなく旧道は国道6号と合流。
そのまま国道を進み、中村南4丁目交差点で国道と別れて斜め右方向へと旧道は入っていく。
20131101_02920131101_035約200m(?)ほど進んだところに道標があったのだが、風化していて字が読めなかったのが残念。


20131101_03620131101_03920131101_042しばらく進み、原の前交差点で旧道は国道を横切り中村宿へと入っていく。
道沿いに小さな石仏と双対の道祖神があったのでパチリ。



20131101_04420131101_053立派な石柱の立つ家は宿の名家かも。

国道354号を横切ると左手に大聖寺の案内板が目に入ったので寄ってみた。
参道を進むと立派なな茅葺の山門があった。20131101_06020131101_076そしてその奥にも四脚門と呼ばれる茅葺の門があり、境内はかなり広かった。
このお寺の正式名称は、羽黒山今泉院大聖寺といい、その寺歴は平安時代まで遡るようだ。そして、四国八十八箇所ミニ霊場でもあるらしく20131101_093一番から八十八番までの参拝順路が描かれた説明版が設置してあった。

お昼も過ぎていたので、コースから少し外れた場所にあった公園でランチタイム。公園の名前は??。
20131101_09920131101_102
ランチ後、再び旧道に戻って歩き出す。
旧道は国道6号バイパスを越えた先で国道354号に合流していた。
医療センタ入口交差点で国道から分かれて20131101_105右斜め方向へ。

医療センタ入口の前を通り過ぎてしばらく進むと下高津の道標があった。ここは、水戸街道と板東街道との交差点らしい。

20131101_10920131101_116その先には防火の神様である愛宕神社があった。
桜川に架かる銭亀橋を渡るといよいよ土浦宿の入口だ。
桜川の上流方向には薄らと筑波山が見えた。20131101_119ここまで約6.5km。

土浦境線という高架道路の下に土浦城の南門跡の石柱があったらしいのだが、橋脚に蔓延ったツタに気を取られて見落としてしまったようだ。ここからが土浦宿だ。
20131101_12120131101_124
宿場内を進むと国指定重要文化財の銅鐘がある等覚寺だ。
元和8年(1622)、徳川秀忠が訪れたといわれる由緒ある寺。

20131101_135江戸時代の雰囲気を味わうことができる蔵造母屋と店蔵が並んだ貴重な町屋建築の矢口家。県指定文化財だ。

まちかど蔵「大徳」は、江戸時代末期からの商家・呉服商「大徳」の20131101_138見世蔵・袖蔵・元蔵・向蔵を改装し特産品の販売や郷土資料の展示された蔵で、市民交流の場としての開放や、民俗・展示、観光案内などをしている。

まちかど蔵「野村」は、大徳と向かい合う江戸後期から明治初期に建造された蔵で、20131101_148市民交流の場としての開放や、民俗・予科練関係の資料を展示している。

旧街道と土浦駅からの道(亀城通り)との交差点角に旧桜川に架かっていた桜橋の跡碑と土浦町(土浦市)の道路元標があった。
20131101_158川は昭和の初期に暗渠となり今は道路だが、この交差点の下には明治34年に竣工した煉瓦造りの橋が埋まっているらしい。
是非見てみたいものだ。

この交差点が土浦駅に一番近いのだが、60mほど先に土浦本陣の跡碑があるというので20131101_164行ってみた。
単なるポールが立っているだけで趣はない。

今回はこのポール地点をゴールとした。
次回はいつにしようかな。

toyamanotora at 23:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)