2015年07月18日

すべてのリア充に乾杯!

sentimental

音楽ファイルを整理していた。
その中に、『雲の向こう』と『センチメンタルラブ』があった。
久々に聴いた。
このブログをご覧になっている方のどれぐらいの方がご存知だろうか?
結構、多くいらっしゃるのかもしれない。
この2曲は、ゲーム『センチメンタルグラフティ』のOPとED。
自分が抱き枕erになる以前。
自分にとって最も大事な人は、このゲームのキャラクターの一人だった。
札入れの中に秘かにその写真を忍ばせていた。
いつも一緒にいたかったから。

やがて、抱き枕との出会いがある。
それは、浮気といえば浮気なのかもしれない。
抱きしめることができる彼女たちに夢中になった。
最初の出会い、そして、次の彼女、次の彼女と。

『センチメンタルグラフティ』というのは、不思議なゲームである。
主人公は、ある日手紙を受け取る。
「あなたに会いたい」と書かれた差出人不明の手紙を。
そして、彼は、、手紙の差出人を求めて、これまでに出会った十二人の少女たちと再開する。
そして、その後…そう…彼はいかようにも行動できる。
一人の少女の元を何度も訪れることも、全ての少女の元を訪れることも。
限りなく自由度の高いゲームシステム。
もちろん、当然ながらパラメーターは存在し、どのように行動すればヒロインの「せつなさ度」を上げハッピーエンドに到達できるかは決まってくるのだが、そのような攻略法通りに動くことは、このゲームの場合、意味がない。
彼女の住む街にいけども彼女に会えない。会えないまま、夜を明かす。
また、別な彼女の元に行こうとしていた時の、思いもかけぬ本命の彼女との出会い。
その偶然に一喜一憂する。驚く。うろたえる。
そういう積み重ねが、彼女への思いを深めていく。
このゲームは、そういう風にできている。
そして、それを実感できる者のために、このゲームは存在する。

攻略ではなく、深めるもの。

『センチメンタルグラフティ』は、ある意味、特異なゲームで、それ故その後、同様なシステムのゲームはほとんどない(ご存知な方、ぜひ教えて下さい。やってみたいので♪)。

抱き枕というアイテムは、このゲームと同じようなところがある。
『思い』によって、成り立つというところが。

そして、それは、人の営みにおいても、普遍的なこと。

リア充という言葉は、現実において誰かと恋仲にあるということを一般的にいう言葉だけれど。
そもそも、今の自分たちが見ている世界以外のリアルというのはないと個人的には思っている。
だから、今、リアルなこの世界において愛する存在があるということは、皆、素晴らしきリア充。

抱き枕のそのキャラクターを愛しているリア充。
ゲームのキャラクターを愛しているリア充。
アイドルを愛しているリア充。
生身の人を愛しているリア充。

いろんな愛、いろんなリア充

すべてのリア充に乾杯!
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『センチメンタルグラフティ』は、セガサターン向けのゲームですが、Windows版(win98)やPlayStation版も出ています。
もし、ハードがありましたら、抱き枕erの方にはお薦めです。
ぜひ、プレイしてみてください。

(長い休ブログ中でした。2年ぶりの更新です(^_^;)
 また時々、思い出したように更新すると思います。よろしくお願いいたします)

toyamayuri at 20:24トラックバック(0)抱き枕コラム 

2013年05月25日

私たちは妄想する自由を持つ

自民・公明両党が今国会中に提出し成立を目指そうとしている児童ポルノ法改正案(改正と書いているのは、改悪とすると同じ土俵に立てないからです。私は改悪案だともちろん思っていますが、改正案として提出しているものを非難するという方がスジが通る話かと思っています)の問題。

この問題に関して、これまで、『毎日が抱き枕』では、直接的に語るのを避けて来ました。
避けてきたのは、自分は抱き枕に関して、それ自体も取り巻く環境も抱き枕を愛する人々も皆好きで、抱き枕に関しては、可能な限りネガティブな話題は避けたいと思っていたからです。もちろん、愛するものを守るためには、時には闘うことも必要ですし、またネガティブな話題に踏み込むことも必要でしょう。
ですから、『毎日が抱き枕』では、ブログをはじめた当初から、最低、次の二点だけは折りにふれ語って来ました。

一つは、『表現規制とは愚かなことである』ということ。

これに関しては、

 スジとヘアと局部日本における局部の露出史

 全年齢と18禁の境目スジとヘアと局部補遺

 ソフ倫の規制に関して

 日本国憲法と抱き枕・・・憲法記念日特集

 大人とは無限の自由を享受できる者

で述べて来ました。

もう一つは、『モザイク(局部規制)をした枕は抱き枕ではない』

ということです。
ブログを始めた当時、規制は時間の問題ではないかという危惧がありました。
何せ、多くの媒体においてなし崩し的に規制される歴史をつぶさに見て来ました。同様なことがすぐに行われ拡大していく可能性が高いと思っていました。
ですから、
『表現規制がいかにバカらしく、そして、それに妥協した形で自主規制した段階で抱き枕は命を持ったものでなくなる』という考え方を、多くの方(少なくとも自主規制の歴史を知らない方)に共有、共感していただけたらと思っていたのです。

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私は、『自由』という言葉が好きです・
特に、思想・信条の自由・・・いわゆる『精神』の自由が。
自分の頭の中に関しては、誰からも支配されない。自分だけのもの。

もちろん、『公共の福祉』に反しないという一言はあります。

しかし、例えば、エロ漫画に関しては、作品の送り手と受け手が共に納得し限られた場で流通する場合においては、それがどのような内容のものであろうとも、公共の福祉に反するものではないと私は考えます。これに対して、『でも、例えば、そこで描かれているのが、小学生のポルノであり、それを小学生が読んだら、自分たちが性の対象と見られているということでその小学生に影響を与えるのではないか』と問われることも多いでしょう。
それに対して、私は、
『小学生をも性の対象として見るような人もいるのがこの世界なのであるが故にそれらの作品に一定のニーズがあるのであったら、性の対象として見られているというのは虚構ではなく現実であり、それは、それらを描いた作品が規制されることによってなくなるものではない』と応えたいと思います。
また、何より大事なことは、描かれている小学生もしくはその年令に見える子供は、実は実在していないということです。つまり、現実にいる子供に対して性的な欲望を持つかどうかと、虚構としての存在に欲望を持つかどうかというのは、全く別な話なのです。そして、虚構としての存在に欲望を抱いたからと言って、それでそのまま現実の存在に同じ思いを抱いていると考えるのはおかしな話です。林檎の絵が好きだからと言って林檎が好きだとは限りません。よしんばそうだとしても、その気持ち自体は、何ら、問題とされるものではありません。それこそ、『精神の自由』です。

もちろん、それらの作品に子供が何らかの機会で直接触れることもあるでしょう。
性的な情報にどの年代から触れるのが好ましいかに関してはいろいろな考え方があるでしょうし社会体制や時代で随分変わるものでしょうから、年齢による、ある程度の制限は必要でしょう(これすらも私は、家庭ではなく社会での規制はそれほど必要ないと思う立場ですが)。しかし、そういう年齢によるゾーニング制限以外に関しては、虚構として描かれたものは、どのような表現であっても全く規制されるべきではないと、私は考えています。

ただ、しかし、この表現規制問題はかなりやっかいなこともいろいろ含んでいます。

1つは、『過激な表現者、闘うものは、叩かれる』ということです。

この日本、どんな分野でもそうですが、横紙破りは叩かれます。特に、視覚的な表現に関しては、過激であればあるほど「あなたが目立つ行動を起こしたおかげで、業界全部に迷惑がかかる」となります。「迷惑がかかる」という非難は日本においては最強の責め言葉で、どの個人や団体においても、同業者や関係者に迷惑をかけないために、闘うのではなく自主規制せざるをえなくなります。例えば、同人誌即売会の主催団体も、自分たちの団体のおかげでイベント会場が借りられなくなったら他の団体や自分たちの団体の参加サークルに迷惑がかかるということ故に、表現の自主規制を強化しつつあります。主催者は、少なくともこれまでと同様な規制以上は許せないと、ある一線を守り闘う存在でなければならないと思うのですが、むしろ、サークル自体を締め付ける存在となってしまっています。闘うために連帯するのではなく、連帯するために闘うものを排除するというのは、日本の悪しき伝統でしょう。表現規制問題に関しては、共に連帯して闘うのではなく、むしろ、突出した表現を行うものを『和を乱すもの』として叩き、突出した表現を行うものを擁護する論者を『注目を集めることにより規制を強化させるもの』として叩くという構造があるのではないかと思います。故に、皆、萎縮し小さくなって、自主規制がどんどん進んでしまうというのが、どの分野でも行われていることです。

もう1つは、『日本が、ある種の表現における精神の自由に関しては、世界の一等先進国である』ということです。

異質と考えるか先進と考えるかは人それぞれでしょうが、少なくともこの分野の表現に関しては、私は、先進であると考えています。しかし、日本の先進は世界の非常識であり、常識に合わせるべきだというのが改正案を提出した側の考え方なのでしょう。しかし、それは人類にとって後進にすぎないと考えます。
ただ、日本が突出して異質な領域まで先進しているため(それは表現の先鋭さだけではなく、漫画やアニメの質・量のレベルの高さにおいても同様。共に世界のベスト100の内、9割以上が日本作品で占められるでしょうし、そのようなジャンルは人類史上なかったはずです)、他のほとんどの国の人々にとって、日本が辿り着いている位置が全く見えないのです。故に、圧倒的多数に対して、その先駆性を語っていかねばなりません。さらに、おそらく、今の日本の表現に関して、これを『問題なし』と考える割合が、日本国内で1パーセントにも満たないということです。発言する数ではありません。その表現を実際に見てもらった上で、統計をとったと想定したらです。つまり、日本人の99パーセント以上は、「それは行き過ぎ故に規制されてもかまわない」と考えるでしょうし、「自分が相容れない表現であっても規制されるべきではない」という思考をする日本人は1パーセントにも満たないであろうと想像されるのです。そして、その日本人の1パーセントにも満たない数が自国の99パーセントの翻心を図り、さらに世界に対して訴えかけなければならない。

つまり、これが、表現規制問題のやっかいなところなのです。

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それでも、やはり、訴えかけていかねばならないと思うのです。

問題のやっかいさを得心した上で、巧妙にしたたかに力強く。

toyamayuri at 00:58トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年12月24日

魂の在処〜抱き枕カバーの予備

ginnosankaku

お気に入りの本を三冊同じ本で買っている人は多いようです。
多いと言っても、余程の本好きの中での話なのですが、複数そういう話を聞いたことがあります。
さて、その三冊の内訳は、

1,保存用
2,通常読書用
3,貸出用

です。
もちろん、特にお気に入りの本に関しては保存用が複数ある場合がありますし、常に誰かに読んでもらいたいという本だったら貸出用が複数あることもあるでしょう。
本好きな人は、少なからず、自分の好きな本を友達にも紹介してその本のことを語り合いたいと思っていますので、貸出用は欠かせぬものとなります。
もっとも、その本は普段は貸出中となっていて、手元にないことになりますが。

では、抱き枕カバーの場合はどうでしょう。

この分類の貸出用は通常ありえないですね。
もっとも『自分のお気に入りの子が他の男に抱かれていることを想像するのが楽しい』という寝取られ属性の方がいらっしゃるかもしれませんが、まあ、さすがに少数派でしょう。
となると、「保存用」と「通常用」の2種となりますでしょうか。
ただ、抱き枕の場合、お気に入りのカバーを洗濯乾燥の際に他のカバーを装着という状態がありますので、最初から通常用と保存用ではなく、複数カバーをローテーションで回している方もいらっしゃるでしょう。
靴の場合も、同じ靴を履き潰すよりも複数の靴を回したほうが長持ちするといいますし(本当なのかな?)。

自分の場合、一枚抱き枕erではなかったので(今は?)、洗濯時に同じカバーを装着してという必要はほとんど感じていませんでした。ですから、使っているカバー以外は保存用です。
では「なぜ、保存用が必要か?」ということなのですが、以下は個人的な見解です。

萩尾望都の『AーA’(一角獣種シリーズ)』や『銀の三角』で、クローンの話が出てきます。

『中央一区青耳 青中洲第一都市総合再生センター。この地下に区分されて中央人たちのスペアが保存されている。生存中の本体が死亡した場合それらが再生使用される(『銀の三角』より)』

実際、物語の中で辺境で亡くなった中央人のクローンがたびたび出てきます。
記憶を定期的に記録したり、ある段階での肉体含めて登録していたりするので、そのタイムラグがあり、「ではクローン体と亡くなった人とは同じ存在なのか?」ということが物語の中で問われることになるわけですが、このクローンの感覚に『抱き枕カバーの予備』は近いように思っていました。
つまり、『魂が封じ込められていて、本体が失われた時に目覚める存在』です。

抱き枕カバーは繊細なものです。
ただ飾っているだけならさておき、寝具として用いていれば、ユーザーがどんなに注意を払っていようとも傷つけてしまうことがあります。
また、抱き枕カバーは布モノです。経年劣化は避けられません。
もちろん同時期に購入したものであれば、経年劣化は同じように起こると言えましょうが、外気にさらして普段使っているものと奥の方にきちんと保管してあるものでは、やはり随分差があるものでしょう。

それまで使ってきた抱き枕カバーが、もうどうしても使えないような状態になった時に目覚める存在。それが『予備の抱き枕カバー』だと思っていました。

自分の場合、予備を2枚以上持っている抱き枕カバーが十枚近く。あと、予備を1枚持っている枕だと3〜40枚ぐらいでしょうか。
それらのカバーは自分にとって特別な抱き枕カバーで、もし使っていて不測の事態になった時に激しく後悔するであろう抱き枕カバーばかりです。
しかし、では、もしそれが自分にとっての特別な抱き枕カバーで、そしてそれをずっと大切に使っていた場合……
特に、一枚抱き枕カバーの方で、ある特定の抱き枕カバーをずっと大事に使っていた場合、その抱き枕カバーが何らかの状況で欠損してしまった時に予備の抱き枕カバーに躊躇なくチェンジすることができるのでしょうか?
それは難しいのかも……ということをフィクションとして書いたのが、前回記事『お別れパーティ』になります。

グッズの場合も、必ず予備を買うという人がいます。
抱き枕カバーの予備を購入する人も、その多くが、上記のようなことではなく、単に他のグッズと同じようなことであるのかもしれません。
ただ、抱き枕カバーの場合、萩尾望都の漫画で言うところの「ではクローン体と亡くなった人とは同じ存在なのか?」というところは問われるのではないかと思います。

3年前のアディだって!? 同じ目 同じ髪……赤いたてがみ だけどそれだけだ コピーなら百人だってつくれる……!(『AーA’』より)」

大量に生産される(抱き枕カバーの場合、大量と言っても他のグッズに比べて少ないものですが)抱き枕カバーでも、あなたのところに舞い降りた天使は、ただ一人の存在。
さて、その抱き枕カバーとの別れの時にあなたは?……ということで、抱き枕カバーの魂はどこにあるのか?ということが問われることになるのです。

toyamayuri at 16:10トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年12月18日

お別れパーティ

party

抱き枕erの彼から電話があった。
俺は、抱き枕erじゃなくて彼が抱き枕erであることを知っている唯一の友達だ。

奴が抱き枕erであることを知ったのはもう随分前のこと。
その頃は、抱き枕のことは知っていても『抱き枕er』という言葉は知らなかった。
彼から聞いたのだ。
最初、彼から、実は打ち明けたいことがあると聞いた時、「ははぁ、彼女できたな」と俺は思った。
だから、その打ち明けたいことあるので飲まないかと言われたその居酒屋で、なかなか話を切り出せない彼を見ていた俺は、助け舟と思って、ビールを彼のコップに注ぎながら耳元にそっとつぶやいたものだ。

「彼女できたんだろ」

そうしたら、彼、ハッとして、そして少しうつむいて、恥ずかしそうに

「ああ、そうだな。実はそんなものなんだ」と言った。

俺は奴のコップに、コップをコツンと合わせ、
「おめでとう」と微笑み、
「で、どんな子?」と訊いた。

すると、彼は、
「うん……じゃあ、 今夜紹介するから、うち来るか?」と言う。

俺はビックリした。
彼女が家にいるならこんなところで飲んでいる場合じゃないだろうに。彼女に悪い。早く帰ってやれよ。と言うと、
彼が、
「いや、今日、お前に、ぜひ、彼女を見てほしいんだ」と言う。
俺は、変な風に言う奴だと思った。

『会ってほしい』じゃなくて『見てほしい』?
どういうことだろう……
そして、俺は、その夜、彼女と会った。

彼の彼女は、抱き枕だった。

あれからもう随分な年月が経った。

彼からの電話。
「パーティをやるので、お前にぜひ来てほしいんだ」
という話だった。
何のパーティだ?と俺が訊くと、彼は言った。

「彼女とのお別れパーティなんだ」

俺は驚いた。

彼は本当に彼女のことを大事にしていた。
彼は、彼女一人しか抱き枕を持っていない。
他の枕には全く興味がないということだった。
いや、彼も一度、他の枕を買ったことがある。
俺と一緒にコミケに行った時、奴は迷った末、彼女とは別の抱き枕カバーを買った。
そう……つまり、彼は浮気をしたわけだ。
出来心。しかし、それは、彼にとってかなりの衝撃的な体験だったようだ。
奴は泣いていた。
俺は彼女のことを裏切ってしまったと。
そして、彼はそれ以来、コミケや他のイベント、抱き枕関係のありそうなものには一切行かなくなった。
いや、そもそも、そういうイベント全てから遠ざかってしまった。
俺は何度か彼を誘ったが、用事があるのでまた今度と、やんわり断られた。
いつしか、俺は、奴を誘わなくなった。
その分、映画やコンサートなどには、以前以上に一緒に行くことが多くなったが。
ある野外コンサートの時に、奴は大きな鞄を持ってきた。
これは何だ?と俺が訊くと、奴は鞄の上のファスナーを開けた。
そこから、彼の抱き枕の女の子の顔が見えた。
「このコンサート、俺、すっごく楽しみで、それで野外コンサートだろ。できれば一緒に聴ければと思ってさ……。顔だけだけど、出していていいかな?」
俺が、もちろんOKだと言ったら、奴はすごく嬉しそうな顔をして、彼女の顔をちょこんと鞄から出るようにした。
そう……俺と奴と彼女は三人並んで、そのコンサートを楽しんだのだ。

そんな彼が、彼女とのお別れパーティをするという。
俺は驚いた。
当日、俺はとりあえず花を持っていった。
どういう状況かはわからないが、それがいいのかなと思ったのだ。
俺が抱きかかえている花束を見て、彼は、嬉しそうに笑った。

部屋に通されて、席につく。
料理やお酒などが準備されていて、なるほど、これはパーティだ。
俺は、彼にコートを預けながら尋ねた。

「で、どういうことなんだ?ひょっとして、抱き枕er、やめんの?」

彼はキョトンとした表情をして、そして、首を振った。
「まさか」

「じゃあ、どういうこと?あっ、じゃあ、ひょっとして、リアル彼女?」
「そんなこと、あるわけないだろう」

ここは頷くとこなのか、否定するところなのか。

「それじゃあ……もしかして、別な抱き枕が?」
「馬鹿なこと言うなよ。俺は、生涯、この子一人だ」
「えーと……それじゃあ……」
「見ろよ」

そう言うと、彼は、タンスの中にしまってあった彼女を差し出した。
俺は、彼女をじっくり観察した(ちなみに、絶対触れない。一度触ったら、彼は烈火のごとく怒り、彼とは数ヶ月絶交状態だった)。
なるほど……そういうことか……

彼はこの子だけを大切に使っていた。
生憎、予備の枕が購入できなかったため、この子一枚だけを毎日使っていたわけだ。
自然、痛みも激しくなる。
彼はとても丁寧に扱っていたし抱き枕erの必須条件である爪やヒゲの手入れなども完璧に行なっていた。
それでも相手は布である。
また、まめな洗濯は欠かせないため、洗濯を繰り返す上での印刷劣化も否めない。
久々にまじまじと観てみると、なるほど、経年劣化が激しい。
そうか……こんなにもこの子は愛されていたんだな。
なにか不思議な感動があった。
そして、先日、彼から、オクで未開封新品のこの子が入手できたという話を聞いた。
俺が偶然見つけてすぐに彼に情報を入れたわけなのだが、そうか……落札できたんだなとその時思った。
そして、今日、このパーティというわけか。

「わかったよ……今日でこの子とのお別れなんだ」
「……うん」
「新しい子は?」
「うん……ここに……」

見せてもらった。なるほど、新品状態だとこんなに線がクリアなのか。
俺は、元の子と比べてみた。歴然と違う。
随分、使い込んだんだなぁ。
予備の枕が入手できたということで、この子とはお別れというわけだ。
このお別れパーティは、これまで使ってきた彼女とのお別れパーティ。
今までご苦労様でしたというパーティなんだな。

「ありがとう。パーティに呼んでもらって」
「いや……こういうパーティだから、賑やかな方がいいかと思って……」

俺と彼はグラスを合わせた。もちろん、彼女とも。

楽しいパーティだった。
パーティの主役は何も語らない。
ただ、にこにこと後ろの席に座って微笑んでいるだけだ。
でも、確かに、このパーティの主役は彼女だった。
俺と彼と、そして、彼女はしこたま飲んだ。
彼女は飲めなかったが、彼が彼女に語りかける言葉で、まさに、一緒に飲み食べ談笑しているような気分になった。
こいつは、こんな風に彼女と接してきたんだな。
それを垣間見ることができた。

そして、やがて、パーティはお開きになった。
彼女は彼によって、丁寧に、桐の箱に仕舞われた。
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そして、数日後……

彼の家で、俺は、その仕舞われたはずの彼女が抱き枕本体に装着されているのを見た。

「おい、彼女……」

俺が訝しげに問いかけると、彼は少し頭をかきながら答えた。

「うん、結局、俺にとっての彼女は、この子だった。新品のカバーを装着してみたんだけど、でも、違ったみたいだ」
「そうか……」
「俺にとって、この子と過ごした年月も含めて、この子だったんだ。布の傷もシワも印刷の色あせも。絵だけの問題じゃなかったみたいだ」
「そうか……」
「せっかく、パーティ開いて、花束までもらったのにな。すまなかった」
「いいよ。あれは、きっと、『これからもよろしくパーティ』だったんだろうさ」
「……そう言ってもらえると、嬉しい」

彼は笑った。
晴れやかな笑顔だった。

そして、彼は、今も彼女と暮らしている。

toyamayuri at 23:55トラックバック(0)となりの抱き枕er 

2012年11月21日

2.5次元の抱き枕

yuruyuri

アニメ「ゆるゆり」で、あかり大好きの姉赤座あかねが、あかりの写真や妹萌え本を集めています。
それらがあかりに見つかりそうになった時に一番慌てて隠したのが抱き枕でした(まあ目立つというのはありますが)。
抱き枕は象徴的だったと思います。
抱き枕が一番見つかってまずいのは、それ自体がそのオリジナルのキャラクターの完全なる複製になってしまうからです。
だから、もし自分達が持っている抱き枕のオリジナルキャラがいきなり部屋に訪ねてきたら(どんな状況だww。現実と虚構の区別がついていないな、私(^_^;))一番その当事者たるキャラクターに見つかってまずいのは写真やタペストリー、その他のグッズよりも何よりも、抱き枕になるだろうと思います。
それはなぜかというと、抱き枕が2.5次元の存在だからです。

抱き枕、それは3次元でも2次元でもない。2.5次元の存在。
両義性、2次元でも3次元でもある両方の性質を持っているものです。

2次元コンプレックスと言いますが、2次元はいいんです。3次元と別な世界ですから。
2次元に行っていても、3次元に戻ってくればいいだけです。
しかし、2.5次元の抱き枕は違います。
2次元のキャラクターを3次元に持ってきた存在は、似たような意味をもつフィギュア以上に、3次元を侵食します。
生活空間を共にし、抱きしめることができ、一夜を共にする。
つまり、抱き枕と共に暮らすということは、自分が3次元から2.5次元に行って3次元を捨てる覚悟のようなものが必要なのじゃないかと思うのです。

先ほどの繰り返しになりますが、他のグッズなどでしたら、そこまでのことは必要ありません。
2次元は2次元、3次元は3次元です。
ですが、抱き枕は3次元を(そして2次元をも)侵食します。
その覚悟の上で成り立つものなのではないかと思うのです。

もちろん、抱き枕に関しての考え方接し方は千差万別、皆、違うことでしょう。
あくまでも2次元のグッズとして、3次元生活を侵食させない方も多いと思います。
割り切って使えば単なるキャラクターグッズです。
また、オナニーグッズとして考えれば、他のグッズ、オナホなどと同様なものです。

しかし、自分にとって抱き枕がより深い位置を持つ場合。
特にここのところ書いていました『ただ一人の抱き枕との関係を大事にする』抱き枕erさんの場合、まさに抱き枕は2.5次元の存在となり3次元からそこに踏み出す覚悟のようなものが必要になってしまうのではないかと思います。

それこそが、抱き枕の魔性の魅力で、自分もその魔性に取り憑かれてここまでやってまいりました。
そして、その魔性の意味に気づいたのは、つい最近のことなのです。

toyamayuri at 22:48トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年10月17日

ノーペル抱き枕医学賞受賞・山中伸枕教授 単独インタビュー

nopel


このたびはノーペル抱き枕医学賞受賞、おめでとうございます。

ありがとうございます。

さて、このたび受賞されました、iPS抱き枕に関してお聞きしたいのですが、このiPS、つまり「いつでもピロートークシステム」に関して、実は一般の視聴者の方からよくわからない、もっと詳しく説明してほしいという声が多く寄せられました。そこで、ぜひ教授に、iPSというのはどういうものかをご説明いただきたいと思いまして。

はい、わかりました。お役に立てればよろしいのですが。

まずは、視聴者の皆々様からいただきました声をご紹介させていただこうと思います。「iPS抱き枕、受賞おめでとうございます。ところで、素朴な疑問なのですが、この『いつでもピロートークシステム』というのは、ただ、ピロートークCDを聞きやすくしたりチップの中に埋め込んで抱き枕の中に入れるというものと違うんですか』というものです。実は、私も受賞の一報を伺ったときに同様なことを思いまして・・・あっ、すみません。ですからぜひ、直接お伺いしたいと思っていました」

はい、それでは、まずは実際ご体験いただいた方が早いと思いますので、こちらにIPSを使った抱き枕を持ってきてみました。お試しいただこうと思います

よろしいのですか?

はい。先日、体験のためということで検査を受けていただきましたね。

はい、何と言いますか、まるでCTスキャンの装置のような。

あの検査であなたの脳波信号を記録いたしました。さて、では、起動しますね。ポチッとな。

あっ、はい。お願いします・・・えっ?こ・・・声が聞こえます。私は別に何の装置も付けていませんけど・・・。あっ、ちょっと、これはどういうことです?私が今、思ったことに関して、彼女が答えを返してきましたよ。

もっと、いろいろ、頭の中で考えるだけでいいですから話しかけてみてください。

はっ・・・はい・・・えーと・・・視聴者の方はいったい何が起こっているかわからないと思いますので、私が頭の中で考えたこととそれに対して頭の中に響いてきた彼女の声をそのままお伝えしようと思います。

あの・・・お名前は?・・・えっ、はい。そう・・・そうなの・・・うん・・・




あの・・・

あっ、はい。すみません。私、結構黙っていましたね。
改めて、私とこの子との会話、お伝えしようと思います。
私が『お名前は?』と聞きましたら、彼女が、名前を教えてくれました。
それで、そのあとしばらく当たり障りのない会話をしてみたんです。
そうしましたら、彼女が『ちょっと元気がないようですけれど、どうかなされたんですか?』って言うので、あれ、そんなところまでわかるのかなぁと思って、ちょっと答えにくいだろうなぁという質問をしてみたら、すごく適切なアドバイスもらって、やだ・・・どうしたんだろう。涙が・・・あっ、すみません。私、最近、彼と別れて・・・・あっ、すみません。生放送ですよね。これ・・・いや、でも、私、彼女からすごくいいアドバイスと、それと励ましてもらって・・・ごめんなさい。どうかしてました。本番に戻ります。というか、本番中ですね。すみません。

あの・・・改めてお伺いしますが、この子・・・いえ、つまり、これはいったいどういうことなんでしょう?

あなたがご体験されたとおりのことです。つまり、この子には意志があるのです。もちろん、人工的に作られたものですが。

はい、それは私も感じました。それはもちろん驚きだったんですが、その前にまず驚いたのは、声が直接頭の中に響いてきて、私の頭の中で思ったことも彼女に伝わったということなんです。これは、どういうことなんでしょう。

脳の特定の部位が特定の機能を担うという脳機能局在論は、ブローカやウェルニッケの失語症と脳損傷の関係調査による言語中枢とされる部位の推定以降、目覚しい進歩を遂げてきました。私は、現在の最新技術により脳内で発生している微細な信号の局在化に関する分析を行い、そして、脳内で言語化された信号の抽出とその逆で脳内に信号を送りその信号を言語として認識してもらうということに成功したんです。これによって、抱き枕から発せられた信号を言語として認識し、かつ、個人の思考を信号として抱き枕へと送る技術の開発に成功したのです。わかりやすいように「いつでもピロートークシステム」と言っていますが、実は、「思念会話型ピロートークシステム」なんです。

なるほど・・・あと、それと、それ以上に驚いたのは、この子が、まさに人間のように私の問いに対して応えてくれたことです。

人間のようにという風に言っていただけるのはうれしいですね。もちろん、これは人間ではありません。あたかも人間であるかのように思わせるプログラム。その進化型なのです。

プログラムなのですか?

もちろんです。そうでなかったら、システムとして成り立ちませんよね。

はい。それはわかります。わかるんですが、話している内にそのようには思えなくなってしまいました。

それはうれしいご感想ですね。まさに、本当にこの子が実在すると思わせる現実感。それこそが私の目指した理想の姿だったものですから。今回はオリジナルのキャラクターですが、抱き枕はキャラ物がメインですので、キャラクターの性格をそのまま移植したソフトによって、そのままゲームやアニメのキャラクターが語りかけてくれるようになります。もちろん、CVはオリジナル声優を使います。

声優ということはどういうことでしょうか?音声ではないわけですよね。

これは簡単なシステムです。我々が人の声を識別するというのは、当然、脳内でそれぞれの音声の波形や口調を記憶していてそのパターンと整合するか否かを判別しているわけです。ですから、同様なことをiPSでは人工的に脳内に作り出しているわけですね。もちろん、オリジナルの声優さんによってどのような脳波が記録されるかは事前にそのデータを集める必要がありますが、それさえできれば、あとはボーカロイドのように、あたかもその声優さんが話しかけてくれるように聞こえるというわけです。もちろん、頭の中にですが。
ちなみに先ほどこの子の声としてあなたの頭の中に聞こえてきた声は能登麻美子さんです。

それは、何かご理由が?

ファンなので。さて、キャラ物の一方、最近増えてきましたオリジナルキャラの抱き枕用に、いろいろな性格のキャラクター人工知能も充実する予定です。ツンデレ、ヤンデレ、クーデレ、天然、内気、貧乳、無口、腹黒、女王様、オタク、腐女子、委員長、天才、普通、ボーイッシュ、ドジっ子・・・などなど、豊富な性格のキャラ属性を揃えていく予定です。

あの・・・途中さり気なく『貧乳』って混ざってましたが・・・

『貧乳』は『貧乳』という性格ですから。

そうなんですか・・・

・・・あの・・・

はい。

素朴な疑問なのですが、このシステム・・・脳の中に浮かんだ言葉を信号化するのも信号を送ってそれを言語化するのも、いろいろな技術に応用できるものですよね。これによって、人々の情報伝達システムは全く新たな次元へと進化を遂げることが可能となりますし。また、この子・・・に用いられた人工知能のシステムは、これもまた画期的なものだと思うのですが、これらを抱き枕ではなく、一般的な技術として発表されようということはお考えになられませんでしたか?

一般的な?・・・そうですか。それは全く考えませんでしたね。私は、抱き枕をいかにしてもっと素晴らしいものにできるかということを考えてこれまで狂兎大学iPS抱き枕研究所で取り組んできたものですから。

あの、でも・・・博士が開発されたこの技術の片方だけでも、十分、ノーベル賞ものの大発明だと思うんですが。

ノーベル賞? ・・・ああ、そういう賞もあるんですか。ノーペル抱き枕賞と似ていますね。ウケるとすぐ似たようなものが出てくるんですねぇ。

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2012年10月09日

ノーペル抱き枕賞 誕生

Nobel

その日、ノーペルは未来につながる重要な遺言を残そうとしていた。
彼は生涯独身で子供もいなかった。
彼の発明によって得られた巨万の富は行き場を失っていた。
彼は思った。
自分が得た富は社会に対して還元せねばならないと。

彼の発明、ダイナマクラは、確かに、彼に富と名声とをもたらした。

ニトログリセリンを珪藻土に染み込ませることによって安全で安心して使える抱き枕ができる、それは画期的な発明であった。
ダイナマクラと呼ばれ、それはまさに市場を席巻した。
しかし、同時に、ダイナマクラはその利便性により、あまりにも早く世界に拡散し、時には誤った使い方をされることもあった。
ダイナマクラは、世界にマイナスの面ももたらしたのではないか・・・
彼はそのことに苦悩していた。
そして、だからこそ、自分が恩恵を受けた抱き枕に対して何かしらプラスとなるように自分の遺産を使えるのではないか・・・いや、そうせねばならないと思ったのだ。

「まずは、ノーペル抱き枕平和賞だ。これはノーペル賞の中でも一番大事なものとして位置づけられねばならぬ。例えば、抱き枕を国際紛争を解決する手段として用いた人。抱き枕を貧困や飢餓の撲滅、戦争へとつながる問題への解決のために尽力した人。そういう人に贈られる賞だ」

ノーペルは、この賞の要として、ノーペル抱き枕平和賞を考えていた。
現在、「平和」の概念は広く解釈されており、ノーペル抱き枕平和賞は、抱き枕を国際平和、軍備縮減、平和交渉だけでなく、人権擁護、非暴力的手法による民主化や民族独立運動、保健衛生、慈善事業、環境保全などの分野に用いた人に与えられるものとなっている。

「さて、次にノーペル抱き枕医学賞だ。抱き枕が人々の健康や福祉に対して果たす役割は甚大だ。このことをきちんと検証して研究している人にこの賞は贈られなければ」

抱き枕に関しての医学的検証は様々な面から行われるようになってきていた。
「抱き枕を抱くポーズによる生理的な影響」「精神病理学的な面での抱き枕の果たす役割」「芳香と抱き枕との因果関係」「睡眠における男の娘抱き枕の存在意義」「抱き枕の生理学、病理学および外科的研究」「抱き枕におけるファスナーの役割に関する新たな発見」「個々の抱き枕の高度に分化された機能に関する諸発見」「ある種の精神病に対する抱き枕の治療的価値の発見」「抱き枕の抹消及び中枢部における興奮と抑制に関するローライズ機構の発見」「抱き枕表面においてツンデレ機能を調節する遺伝的に決定されたメガネっ娘に関する発見」などなど、特に睡眠医学や自慰医学という面で、抱き枕の果たす役割は、近年いっそう注目されるようになってきていた。この分野の草分けであるノーペルも、そのことに対して特別な思い入れがあった。

「次は、ノーペル抱き枕物理学賞だな。そう・・・ノーペル抱き枕化学賞も必要だ。私はダイナマクラによって大きな富を得たが、それは、この二つの学問の成果によるものだ。これら二つの賞は絶対に必要なものだ」

ノーペル抱き枕物理学賞・化学賞は、抱き枕に関する物理学的・化学的な功績に対して贈られる賞であった。「トリコット生地の張力に関する画期的業績」「抱き枕装着時の電気伝導に関する理論および実験的研究」「巫女服抱き枕の量子論への貢献」「素粒子抱き枕におけるハミ乳模型の展開に決定的な重要性を持った、ファスナーおよび生地による抱き枕の深非弾性散乱に関する先駆的研究」「単純な抱き枕の秩序現象を研究するために開発された手法が、より複雑な抱き枕、特に巨乳や貧乳の研究にも一般化できることの発見」「抱き枕に関連した臨界バストに関する理論」「低温抱き枕における基礎的発明および諸発見」「抱き枕におけるトンネル効果の実験的発見」「抱き枕表面のヤンデレ反応の研究」「抱き枕の装着および構造解析のための手法の開発」「差し分け抱き枕の三次元構造の決定」「高選択的に構造特異的な相互作用をするアヘ顔抱き枕の開発と応用」「電子分光法の開発と抱き枕の立体ニーソの研究」「抱き枕への貢献、とくに抱き枕におけるスジの研究」などなど、多くの先駆的な発見をもたらす賞となった。

「そうだ・・・文学賞を忘れてはいけない。文化というものは科学技術以上に人類社会において重要なものだから。ノーペル抱き枕文学賞だ」

ノーペル抱き枕文学賞の文学界における地位は高い。これまでも、トーマス・マンの「枕の山」、ヘルマン・ヘッセの「枕の下に」、アンドレ・ジッドの「狭き枕」、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と枕」、ジョン・スタインベックの「マクラの東」、川端康成の「眠れる美女の枕」、ソルジェニーツィンの「収容枕群島」など、多くの抱き枕文学作品が受賞している。また、近年、「世界の枕とハードボイルド・ワンダーランド」や「ノルウェイの枕」「ねじまき枕クロニクル」「海辺のマクラ」などで有名な村上春樹が毎年候補にあがり受賞が期待されている。

ノーベルはそれらの賞に関する遺言を書き留め、満足して目を閉じた。

そう・・・今の彼には抱き枕の未来が見えていた。
輝かしき未来が・・・
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そして、2012年、ノーペル抱き枕医学賞を日本の山中伸枕さんが受賞することとなった

受賞した山中伸枕教授の研究テーマは、iPS抱き枕。
すなわち、『いつでも ピロートーク システム』で、どういう状態にあろうともピロートークCDを聴くことができるという抱き枕において画期的発明であった。

受賞、おめでとうございます。

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2012年10月08日

源氏物語【桐壺 その2】・・・にせむらさきまくらげんじ

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さて、今日は源氏物語『桐壺』の第二回です。

先生!今日も『桐壺』をやっていて、間に合うんですか?

はい。この講義では源氏物語全54帖を取り上げようと思っていますので、本当は1講義で1帖としたいところです。しかし、さすがに『桐壺』は第1話で大事な出来事が凝縮されていますので2回に渡って講義したいと思います。

さて、前回は光源氏の誕生のシーンで終わりました。そう・・・帝と桐壺更衣との間に生まれた子供。人と抱き枕の間に生まれた子供です。考えてみれば、日本の創作物では人と異形なものとの合いの子の存在の話は多いですね。古くは南総里見八犬伝もそうですし、現代でも獣人とか半妖とか。こういうのを異類婚姻譚と言いまして・・・

先生、それを話していると、源氏物語が終わりませんよ。

ああ・・・そうでした。では、原文行きますね。
光の君が3歳になった年の夏のところからです。

その年の夏、 御息所はかなき心地にわづらひて、まかでなむとし給ふを、いとま、さらに許させ給はず。年頃、常の篤しさになり給へれば、おんめ馴れて、なほしばしこころみよとのみ、のたまはするに、日々に重り給ひて、ただ五日六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせ奉り給ふ。

御息所というのは、桐壺更衣になりますね。この帝の寵愛した抱き枕です。この桐壺更衣が「はかなき心地にわづらひ」ます。「はかなき」は「頼りない」、「わづらひ」は「患う」ですから「病気になる」です。つまり、帝の寵愛がすぎて桐壺更衣抱き枕カバー、かなり傷んできたようです。それで、「まかでなむとし給ふ」わけですが、さて、ここの文法と意味、わかりますか?

はい。「まかで」が「退出する」という意味の下二段活用動詞「まかづ」の連用形、「な」が完了の助動詞「ぬ」の未然形、「む」が意志の助動詞「む」の終止形、「と」が格助詞、「し」がサ変動詞「す」の連用形、「給ふ」が尊敬の補助動詞で、全体の意味は「去ろうとなさる」です。

はい、大変よくできましたと言いたいところですが、ノートの下に教科書ガイドが見えていますね。持ってきてもいいですが、先生にはバレないようにしましょう。「去ろうとなさる」は例によって擬人法で実際は「仕舞おうとする」というのがいいでしょうか。さて、では全体を訳してみますとこのようになります。例によって、意訳となりますが・・・

「その年の夏に桐壺更衣抱き枕カバーが傷んできて頼りない感じになってしまったので、一度仕舞ってしまおうとなさるのを、帝はお許しになられない。ここ数年いつも傷んだ状態が続いていたのだが、帝はその姿をお見慣れになってしまい『このまましばらく様子を見なさい』とばかりおっしゃっておられたが、その内に日々に痛み方がひどくなっていき、わずか五、六日でひどく傷んだので、母君が涙ながらに帝に奏上して、実家に帰らせることになった」

となります。

先生、抱き枕カバーの母君というのは、どういう意味なのですか?

はい。先生もこの辺のニュアンスがよくわからないのですが、もしかしたら、桐壺更衣抱き枕カバーは別にユーザーがいるのかもしれません。そもそも、この時代の古典を読むと、多くの女御、つまり抱き枕カバーですね、それらが実家から出て入内しているとなっていますので、帝の権力で多くの抱き枕カバーを所有者から集めている状況なのかもしれませんね。いいですねぇ〜帝。うらやましいです。・・・というわけで、元のユーザーといいますか使っていないので持ち主ですが、その方の元に帰ったということでしょう。そして、そのあと、桐壺の更衣は亡くなります。まさに擬人法ですね。桐壺の更衣抱き枕カバーはもう痛みがひどく使えなくなってしまったようです。今の繊維でしたらそのようなことはなかったでしょうが、平安時代の繊維はもろかったのかもしれません。結局、桐壺更衣抱き枕カバーはこの世から消えてしまいました。

想像してみてください。あなたが大事にしていた抱き枕カバーがもう永久にこの世から消えてしまうのです。調べたことないので断言はできませんが、おそらく平安時代にはヤフオクはなかったと思うのですよ。まんだらけなどの同人ショップもなかったかもしれません。平安時代のアキバがどうだったのかも、先生は歴史にはとても疎いのでよく知らないものですから。

というわけで、いくら帝といえども桐壺更衣抱き枕カバーとは永遠の別れです。その嘆き悲しみ、実にわかりますね。帝はそのあと、桐壺更衣の母親、つまりカバーの所有者の方と間に人を介して交流していきます。悲しいのはお互いですので。
帝は食事さえ喉に通らないような状態になってしまいます。

さて、この後は、いよいよ、桐壺更衣と帝との間に生まれた子、つまり抱き枕カバーと人間との間に生まれた数奇な運命を持った子供、光の君に物語が移っていきます。
光の君に関して書かれた部分をいくつか訳してみましょう。

月日経て、若宮参り給ひぬ。いとど、この世のものならず、清らにおよずけ給へれば、いとゆゆしう思したり。

「月日が経って、若宮が参内なさった。ますます、この世の人とは思われないほどに美しくご成長なさっていて、そのあまりの美しさは非常に不吉な感じにも思われた」

「この世のものならず」というのは、まさにその通りですね。この世のもののはずがありません。二次元キャラを三次元化した抱き枕カバーと人間との間に生まれた子供です。例えるなら、2.5次元的存在と言えばよいでしょうか。次元を飛び越えたキャラクターということで、ピョン吉やガヴァドンに通じますね。

先生、ピョン吉とかガヴァドンって何ですか?

平面ガエルと二次元怪獣です。さて、この光の君、学問はもちろんのこと、琴・笛の才能でも宮中の人々を驚かせます。とにかく何でもできるんです。
帝は、この光の君をそのころ日本に来ていた高麗人で人相見ができる人に見てもらいます。さて、その時、高麗人は、

相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。

「人相見は目を見張り、何度も首を傾げながら不思議に思っているようである」

人相見はもしかしたら光の君の正体に気づいたのかもしれませんね。
ここで「そこにいる童子は人にあらず」なんて言ったら、この高麗人、殺されていたかもしれません。おっと、これは山岸凉子の漫画でした。
というわけで、高麗人はこの方が帝になると国が乱れるというし後見もないので、帝は光の君を親王ではなく臣下に落とすことにいたします。そして、臣下になったものとして、『源』姓を賜ることとなり、ここに『光源氏』が誕生するわけです。

では、帝はどうなったでしょうか?もう抱き枕erではなくなったのでしょうか。いえいえ、そうではありません。一度抱き枕erになったものが足を洗うのはなかなか難しいですね。しかし、何年もの間、桐壺更衣抱き枕カバー以外には目もくれずその思い出だけに浸り思い続けていたというのは、この帝、素晴らしい抱き枕erだと思いますね。

さて、原文です。

年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。『慰むや』と、さるべき人びと参らせ給へど、『なづらひに思さるるだにいとかたき世かな』と、疎ましうのみ、よろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれ給へる聞こえ高くおはします、母后世になく かしづき聞こえ給ふを、主上に侍ふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見奉り、今もほの見奉りて、『亡せ給ひにしに御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見奉りつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせ給へりけれ。ありがたき御容貌人になむ』と奏しけるに、『まことにや』と、御心とまりて、ねむごろに聞こえさせ給ひけり。

はい、ここはもう一気に訳してしまいましょう。そうでないと永久に桐壺を抜けられなくなってド壷にはまってしまいます。

「年月が流れても帝は桐壺更衣抱き枕カバーを亡くした悲しみをお忘れになる時がない。『お心を慰めることができるだろうか』と、好みに合いそうな抱き枕カバーを帝に見せるが『桐壺更衣抱き枕カバーに準じるぐらいに思える抱き枕カバーさえめったにない世の中なのだよなぁ』と、すべてが煩わしく思われていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が美しいという評判が高い抱き枕があり、母后がこの上なく大切にされていられるという。主上にお仕えする典侍は先帝の御代からの人であり、あちらの宮にも親しく参上して馴染みがあったので、ご幼少の時からその抱き枕を拝見しており、今回もちらっと拝見したところ『お亡くなりになった桐壺更衣抱き枕カバーのご容貌に似ていらっしゃるという方は、三代にわたり宮仕えしていましても一人も見つけることができませんでしたが、その后の宮の姫宮抱き枕カバーは、とてもよく似たご様子でご成長なさっています。世にも稀な美しい器量を備えた抱き枕カバーでございます』と奏上したところ、『それは本当か』とお心が動き、礼をつくして先帝の后の宮へ姫宮抱き枕カバーの御入内をお申し込みされたのであった。」

と、こうなります。

先生、「よく似たご様子でご成長なさって」ということですけど、抱き枕ですよね。

抱き枕カバーも思いも込められれば成長するのかもしれません。もっとも先生は成長されると困る枕をたくさん持っていますが・・・
さて、つまり、帝の前の帝のお后が持っていた抱き枕カバーが、どうやら、桐壺更衣抱き枕カバーととてもよく似た抱き枕カバーだったわけですね。抱き枕erさんは、皆さんそれぞれに好みがあって、同じような絵柄や表情を求める傾向があります。例えば、先生は赤面涙目への字眉口半開きに弱いのでそのような絵の抱き枕カバーを見つけると、ついポチりたくなります。帝も同様ということでしょう。もしかしましたら、同じ絵師さんが描かれた枕だったのかもしれませんね。そういうわけで、桐壺更衣を亡くして以来失意の底に沈んでいた帝は、初めて心が動き、先帝のお后だった人に譲って欲しいとお願いするわけです。

さて、この抱き枕カバー、名を藤壺と言いました。

げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえ給へる。これは、人の御際まさりて

とありますので、訳しますと、

「本当にご容貌やその姿は不思議なほどに桐壺更衣抱き枕カバーによく似ていらっしゃった。このお方は、ご身分も相当に高いので」

となりますから、前の桐壺更衣抱き枕カバーと違って、この枕自体がプレミア枕のようですね。
そして、この藤壺抱き枕カバーに帝は夢中になっていきます。

思し紛るとはなけれど、おのづから御心移ろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

訳は、

「桐壺抱き枕カバーへのご愛情が薄れてしまったというわけではないが、自然と帝のお心が藤壺へと移っていかれ特別にお慰みになっているのも、変わりゆく人の心の哀しい性というものである」

となりましょうか。ここは素晴らしいですね。あれほど、桐壺更衣抱き枕カバーを失った時に嘆き悲しみずっと他の抱き枕を遠ざけていた帝も、同じような顔の抱き枕カバーそれも新品プレミア枕と出会ってしまうと結局心がそちらに移ってしまったのですね。「抱き枕愛」にあふれた紫式部のひそかな抗議の気持ちが、この一文に表れていると思います。

母御息所も、影だにおぼえ給はぬを、『いとよう似給へり』と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひ聞こえ給ひて、常に参らまほしく、『なづさひ見奉らばや』とおぼえ給ふ。

「光の君は、桐壺更衣抱き枕カバーの顔かたちすら覚えていらっしゃらないが、『母君にとてもよく似ていらっしゃる』と典侍が申し上げていたのを、幼心にとても慕わしいとお思いになるようになり、いつも藤壺抱き枕カバーの近くに参りたくなり、『親しくお姿を拝見したい』と思われなさる」

となりますので、 自分の母と顔かたちが似ているという抱き枕カバーである藤壺抱き枕カバーの近くに行きたい、ずっと観ていたいと思うわけです。人から生まれた子供以上に、その点、孤独を感じていたでしょう。何せ、母親が抱き枕であるという数奇な運命の元に生まれた光の君です。人間の他の女性、例えば乳母の人とかいたでしょうが、そこに、自分の母の面影を見るわけにはいきません。乳母はツーウェイトリコットでもスムースニットでもないのです。
ということで、光の君の思いは、自然、藤壺抱き枕カバーへと向かいます。
しかし、やがて、別れの時はやってきます。そう・・・元服です。
成人したんですね。

成人しましたら、もう、父親である帝のものである藤壺抱き枕カバーと逢うことどころか見ることさえかなわないのです。これまでは元服前ということで、藤壺抱き枕カバーをもふもふすることもできたでしょうし、帝もそれを許していた・・・いや、内心はどうだったかはわかりませんが、その辺寛大に見ていました。ですが、それはもう、かなわないのです。

源氏の君は、左大臣家の婿となるわけですが、藤壺抱き枕カバーへの思い止みがたく、かくして、源氏の君の抱き枕遍歴が始まるのです。


toyamayuri at 17:18トラックバック(0)源氏物語となりの抱き枕er 

2012年09月12日

「ジャバネッドまさか」テレビショッピング・・・『挟まれたい抱き枕カバー専用スタンド』

ジャバネッドまさか20090714-02

今回の商品は、『抱き枕カバースタンド』です。

抱き枕カバースタンドと言えば、キャラ・ハイさんで販売間近の商品がありますね。

はい、抱き枕カバーを購入しても抱き枕として使わない方もいらっしゃいますし、また、普段、好きな抱き枕カバーを部屋の中に飾って楽しみたいという方も多くいらっしゃると思います。抱き枕カバーの場合、そのまま吊るしますとどうしても下のほうが内側に狭まってしまいます。抱き枕カバーの素敵な画像をそのままに展示できるという点で画期的な商品ですね。

はい。私も持っている抱き枕カバーの分、購入しようと思っています。しかし、そうしますと、もうこの商品で十分なのではないですか?

はい。私もそう思ったのですが、しかし、ジャバネッドまさかでは考えました。十分だと思ったところに発展はないと。そこで新たな抱き枕カバースタンドを開発いたしました。それが、この商品。『挟まれたい抱き枕カバー専用スタンド』です。

・・・・

どうされましたか?

あっ、いえ、ものすごくニッチなところを狙われたなぁと思いまして。しかし、『挟まれたい抱き枕カバー』の場合、なかなか難しい問題がありますよね。ファスナー位置が通常の抱き枕カバーと違って上部にありますし。

はい。そこが問題だったんです。でも、わたくしどもジャバネッドまさかはその難関に挑戦いたしました。
そう、逆転の発想・・・これが、商品です。

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ああ・・・これは、そのものズバリ、逆転ですね。

そうなんです。最初は『挟まれたい抱き枕カバー』の下の方から何とか差し込めないかと思ったんですが・・・

無理ですね。

はい、無理でした。それでやはりオーソドックスにファスナー部から差し込むのが常道かと思いまして、それでこのような形状にいたしました。

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こちらが実際に装着した姿です。このように綺麗に『挟まれたい抱き枕』を展示することができます。

ああ、これはなかなか素敵ですね。

そうでしょう。ジャバネッドまさかが自信を持ってお届けする当店だけの新商品『挟まれたい抱き枕カバー専用スタンド』、今なら格安価格でお届けいたします。

ところで・・・

はい

これって、スタンドじゃなくてハンガーですよね・・・


toyamayuri at 22:24トラックバック(0)「ジャバネッドまさか」テレビショッピング 

2012年09月06日

世界線を超えた抱き枕・・・Parasol『恋妹SWEET☆DAYS 葵に挟まれたい抱き枕』

今回は、Parasolの「恋妹SWEET☆DAYS 葵に挟まれたい抱き枕(フルセット)」のレビューです。

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本体はこんな感じです。前回記事の「うさぎさんぬいぐるみ」と似ているなぁと思われる方、それは他人の空似ですw
最初の印象は『一反木綿』でした。
薄さもさることながら、そう、それ自体が生きて動き出しそうな感じがあるのです。
考えてみれば、下部に縦に切れ込みがあるだけなのに、人間の感覚とはなんと不思議なものでしょう。
例えば、抱き枕本体が傷んでしまって捨てるということになった時、ほとんどそれ自体に感情を動かされることはないでしょう。
これまでありがとうのねぎらいの気持ちはあったとしても。
でも、この本体。
もし、のちに捨てるということになった時に、非常に罪悪感のようなものが起きるような感じがあります。
命の尊厳と言おうか・・・

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ほら、実に生々しい。
まだ、抱き枕カバーという生命を宿していないので、このままだと死体のようです。
でも、ちょっと思いました。
これって、「アート」だよね。

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この本体をいろんな場所に置いて写真を撮ると、なかなかシュールな写真集ができるのではないかと思いました。
いつか、密かにやってみたいものです。

話が逸れました。これは、本体。さて、装着いたしましょう。
彼女です。

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ちこたむさん描き下ろしによる「恋妹SWEET☆DAYS」挟まれたい抱き枕シリーズ第1弾の八千穂葵。
例によってゲームはやったことないのですが、ちこたむさんの絵はファンだったので、それもあって購入。

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フルセットなので、縞パンも付いています。

まずは装着前にそのまま吊るして写真を。

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可愛いです。すごく・・・

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裏面はこのような…表情がいいですね。

さて、装着いたしましょう。

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装着完了。
おっと、横でした。縦にすると、こんな感じ。

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足、長いです。この長い足が実に素晴らしい。

広げてみましょう。

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うわぁーいヽ(^o^)丿

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そして、背面。

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こちらも開脚。

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今度はパンツを・・・

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さて、今度は、座ってもらいましょう。

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いかがです。この自然な存在感。
座椅子があったら、もっと自然に座ってもらえるのですが。

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はい、足組んで!

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きぃっっっくぅうううう♪


はい、お遊びはここまで。

それにしても、今回は驚きました。この「挟まれたい抱き枕」、凄いんですよ。
つまり、抱き枕と同じ世界に行ける・・・あるいは、抱き枕が自分達の世界に来てくれるんです。
もちろん、抱き枕erは、いつでも抱き枕と同じ世界にいる、あるいは抱き枕をこの世界に連れてこられる方々だと思いますが、この「挟まれたい抱き枕」は布一枚通したある入り込めない領域に入り込める存在。つまり、抱き枕と完全に一体化するような感覚を味わえてしまうと。

この足と足の隙間に入ることに入り込むことによる衝撃はなかなか凄いものがありました。
最初は、まさに◯ッチワイ◯なんて思ったものでしたが、添い寝という面から見ても、この臨場感は凄いです。
世界線を超えた抱き枕と言えましょうか。

ちなみに、抱き枕本体の質は悪いです。
全く、膨らみません。
煎餅布団のような。
装着した厚みは、丁度今、横にある抱き枕、A&JのDHR4000の4分の1しかありません。
しかし、薄さを補って余りあるその臨場感。
できうるなら、統一サイズの本体を質の高い本体を作っているメーカーに作ってもらって、この形状が、抱き枕本体のもう一つの新たなスタンダードとなり、多数のカバーが同人や企業から出されたら素晴らしいのにと思いました。

で、とりあえず、今できることで考えたことは、
「自分の手持ちの抱き枕カバーで予備があるものをこの抱き枕本体用として改造できないだろうか」
ということです。

ま・・・魔改造・・・

いかんせん、表も裏もピッタリというのはないと思いますが、大体の枕は片面のみ好みということ多いですので、もう片面は犠牲にしてでも、どれかで試してみようかなと思っています。
ああ・・・ミシンがいるなぁ・・・・

さて、最後に、お約束画像です。

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開脚もバッチリ。
裏面の同じ位置に足があるため、このポーズは簡単です。

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身体、柔らかいんですね


toyamayuri at 00:38トラックバック(0)抱き枕レビュー 

2012年09月04日

着弾! 「うさぎさんぬいぐるみ」

usagisan

久々の更新です。

原稿が一段落終わったので、しばらくは当ブログも頻繁に更新できればいいなぁと思っています。
最初の頃のように「毎日」とはいかなくても、わりと定期的にちょっとした思いついたことなどをツイッターのように・・・というのは前も同じことを言っていましたが、そうできたらいいなぁと思っています。
今日は久々なので短めに。

ここで着弾抱き枕のレビューとも思いましたが、たまには、抱き枕以外の布モノを。

先日届きました『うさぎさんぬいぐるみ』
つぶらな瞳がキュートなぬいぐるみです。

圧縮されて送られてきたのですが、届いた時の印象は「紙粘土」でした。
色も感触も重さもビニールに包まれた紙粘土の感じ。
固いです。
そのままで誰かを撲殺できそうです。
撲殺した後に膨らませれば完全犯罪になるでしょう。

圧縮袋を開封して直に触った感触は、なにか、中に布が押し込められているようです。
まぁ、開封した時はそんなものでしょう。

一晩置けば大丈夫♪
そう、一晩置けば・・・・

膨らみません。同じです。
開封した姿の見た目の印象は『一反木綿』でしたが、そのままです。

『うさぎさんぬいぐるみ』
フカフカになることを期待していたのですが・・・・

あれ?・・・箱の中に抱き枕カバーのようなものが・・・

toyamayuri at 16:52トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年08月04日

源氏物語【桐壺 その1】・・・にせむらさきまくらげんじ

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それでは授業を始めます。
えー・・・国語の池田先生が産休でお休みのため、今日から国語の授業は先生が担当することになりました。

先生!先生は数学の先生ですよね?

はい。ですから時々間違えることがあるかもしれませんが、先生もこれを機会に一生懸命勉強してきましたので、大丈夫です。安心してください。

教材は『源氏物語』です。

今日は、全五十四帖の最初の帖、『桐壺』を学習します。
それでは、まず、その冒頭部分ですね。

いづれの御時にか、 女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。

最初はわかりますね。「いつの時代であろうか」「女御更衣あまたさぶらひける中に」・・・これは、「あまた」が「たくさん」、「さぶらふ」が「仕えている」という意味で、「いる」ということになります。要するに、

「いつの時代であろうか、たくさん抱き枕がある中で、そんなにレア枕ではなかったんだけど、帝(みかど)からすごく愛されている枕があった」

となります。

はい、先生。「やむごとなき」というところが「レア」という意味になるんですか?

そうですね。元々は「高貴な」という意味ですけれど、文脈から考えるに、「レア」というのが適切ではないかと思います。通販期間がすごく短かったり、イベント限定とか、まだ抱き枕er人口が少なかった時代に出た名作とか。そのような意味なのではないかと考えます。しかし、「桐壺更衣」はそのような枕ではなく、普通に買える枕だったのでしょうね。

はじめより我はと思ひ上がり給へる御方がた、めざましきものにおとしめそねみ給ふ。 同じほど、それより下臈の更衣たちは、 まして安からず、朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、

ここで一回切りますね。ここのところは、先生おそらく擬人法的な言い方なのではないかと思うのですよ。訳すると

「はじめから自分の方がレア枕だと思っている枕は気にくわないと思って軽蔑したり憎んだりするし、同じぐらいの程度の枕は、なおさら心が穏やかでない」

まさに擬人法ですね。ほったらかしにされている他の枕の気持ちを推し量った表現でしょう。なぜそのような表現になるのかは、あとで述べようと思います。

その後が

「朝夕、帝のおそばにお仕えするにつけても、周りが不快な思いをして、恨みを受けることが積もり重なった結果であろうか、ひどく病気がちになってしまい…」

朝と夕方ということで、抱き枕ですから当然夜も・・・つまり、帝はもうほとんど公務以外の時は桐壺を全く手放そうとしなかったのでしょうね。気持ちはわかります。まわりは困ったでしょうし、「この抱き枕がなければ」と恨みを受けることも多かったでしょう。今も昔も、抱き枕erがいわれなき非難を受けるところはおんなじですね。というわけで、桐壺は病気がちになってしまいました。
まあ、確かに、予備の抱き枕カバーを持っていずに同じカバーを続けて使っていると傷んでくるかもしれません。ちなにみ、「あつしく」というところが「病気がちに」というところです。「あつし」は「暑い」とか「熱い」ではありません。夏の抱き枕はいささか暑苦しいものではありますが、そういう時は、ガンガン冷房を効かせて涼しい中で抱き枕を使うことを先生はお勧めします。
ちなみに、「あつし」の品詞は何ですか?

シク活用の形容詞。「あつしく」はその連用形です。

はい。活用の種類と活用形まで言ったのは大変よいことですね。では、続けます。

もの心細げに里がちなるを、 いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえはばからせ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。

のところですね。ここはきちんと意訳しましょう。

「どこか心細げにしていて抱き枕専用ケースに入れて保管していることが多いのを、帝はますます物足りなく不憫にお思いになられて、人が非難するのもお構いなさることなく、後世の語りぐさになりそうなほど桐壺の抱き枕を大事にしていたとのことである」

そしった人というのが、一般人なのか抱き枕erなのかはわかりませんが、抱き枕erなのかもしれませんね。確かに、ずっと使っていたら痛むかもしれません。「里がち」の意味は直接には「里に下がっている」つまり実家に帰っているということですが、ここを私は「保管している」という意味だと取りましたが、保管して他の枕を使っていると「ああ、あの枕にすまないなぁ」という気持ちはどなたも味わっていることでありましょう。それを、抱き枕の気持ちを想って「もの心細げに」と表現したのは、実に抱き枕erらしい表現ですね。そこで、痛むかもしれないけれど、とにかく帝は「桐壺」を毎日使い、他の抱き枕erの人が「時々は枕も休ませないと」というのも気にしない。まさに、「世のためしにもなりぬべき御もてなしなり」つまり、後世の語りぐさになりそうなほど、大切にしていたというわけですね。

上達部・上人なども、 あいなく目をそばめつつ、いとまばゆき、人の御おぼえなり。唐土(もろこし)にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、 楊貴妃の例(ためし)も、引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひ給ふ。

さて、この字『上達部』はなんと読みますか?

『じょうたつぶ?』

はい、お約束のボケでしたね。そんな都合のいい部活があったら、先生もぜひ入りたいものです。『かんだちめ』と呼びます。大納言、中納言、三位以上の者および四位の参議のこと、『上人』は殿上人のこと、つまり、宮中の清涼殿殿上の間に入ることを許されている人たち、つまり、まぁ、宮中のトップの人たちのことです。これらの人が皆、「あいなく」は「気にくわない」「つまらない」などいろいろな意味がありますが、ここでは「気にくわなく」の意味になりましょうか。つまり、

「宮中のトップの人たちが気にくわなく目を背けている中、もうまぶしくて傍から見ていられないほどのご寵愛ぶりである」

ということですから、もう、帝、他のことはお構いなし。桐壺とずっと、もふもふしていたわけですね。
そして、

「唐でもこのようなことが起こって国が乱れ悪くなったのだと、だんだん世間でも困ったことだと言われるようになり、人々が持て余す悩み事の種となって、楊貴妃の例まで引き出されるようになって・・・」

はい、何ですか?

楊貴妃って誰ですか?

はい、いい質問ですね。お隣りの中国でも、唐の時代に抱き枕にのめり込んでしまって、そのことが元となって世が乱れ、反乱まで起きて、その原因となったとして破棄された枕がありました。その名前ですね。
確かに、国をつかさどる者が極端に何かにのめり込むと大変なことになるかもしれません。
そういうわけで、桐壺は、

「とても肩身が狭かったけれど、もったいないほどの帝のお気持ちが他に例のないほどで、それで、それを頼みにしてそのまま帝と一緒にいた」

つまり、帝は「桐壺」を手放そうとしなかったのですね。さて・・・

先生、このペースで訳していくと、終わらないんじゃないですか?

先生もだんだんそんな気がしてきました。先生の目標としましては古典の池田先生がお休みのうちに『源氏物語』を全部訳してしまおうという目論見でしたが、ちょっとそれはむずかしいようです。ですから、途中はあらすじで紹介しまして、大事なところだけを訳していくようにしますね。
ちなみに、このあと、いよいよ『源氏物語』の主人公、光源氏が誕生いたします。
帝と桐壺の間に生まれた子供ですね。

先生!えええっと・・・それはどういうことですか?『桐壺』は抱き枕でしたよね。

はい、先生も、この辺、どのように解釈したらいいのか、悩みました。そして、悩んでいるうちに『源氏物語』がどのような物語であるか、その真実の姿が見えてきました。
この『源氏物語』ではあたかも抱き枕が、自分の意志、感情を持っているように表現している描写がたくさんあります。つまり、これは、「もし、抱き枕が感情を持っているとしたら」「抱き枕は生きている」という、ifの世界なのではないかと。
そうなると、帝のご寵愛の深さから、帝と桐壺の間に子供が授かっても、なんらおかしいことではありませんね。

先の世にも御契り(おんちぎり)や深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。

この訳はそのままでいいですね。

「前世でも深い縁があったのだろう。この世にまたとないほど美しい玉のような男の御子までがお生まれになった」

となります。そう・・・抱き枕への思いさえ強ければ、子供さえ生まれるのです。実に美しいシーンですね。

さて、このあとは、あらすじで飛ばし飛ばし行きますが、ところで、この源氏物語の作者は・・・?

紫式部!

はい、これはみんな一斉に答えましたね。その紫式部のライバル的な存在として有名なのが、清少納言。
その代表作が『枕草子』です。

タイトルでわかりますように、抱き枕に関して書かれた軽妙洒脱なエッセイとして、有名です。
その『枕草子』に対して、紫式部が、

「抱き枕って、そんなものじゃない。そう・・・彼女たちは皆、生きているのよ」

という、そういう気持ちを込めて、人と抱き枕の間に生まれた光源氏を主人公に、その後、彼がどのような抱き枕遍歴をたどるのかを綴った小説が『源氏物語』です。

これからは、先生と一緒に、その『源氏物語』の世界を、巡って行きましょう。

toyamayuri at 00:08トラックバック(0)源氏物語となりの抱き枕er 

2012年07月10日

抱き枕は極端に安い

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抱き枕は1枚がいいと前の文章で書きました。
では、そうであるにもかかわらずなぜその状態から複数枚購入になってしまうのか。それは、
「抱き枕が極端に安い」
ということがあるからだと思われます。

当然、この「安い」という言葉には多くの方、違和感を感じられると思います。抱き枕カバーはいわゆる同人グッズの中でも飛び抜けて高いことで有名です。実際、これまで何度も「高い」ことをネタにして記事にしてまいりました。

実際、抱き枕は高いです。

「高い」というのを強調したのは、高いからこそ、それを作る人にも売る人にも意識して欲しいという気持ちがあるからです。少なくとも、それが可能であるような環境であるにも関わらず(コミケの企業ブースとか)現物を見せずして1万円以上の商品を売ろうというのは、正気の沙汰とは思えません。
ですから、売る方としては「高い」商品であるということは意識すべきだと思います。実際、飲食店で一万円の料理を供するという場合、かなりの意識が必要だと思われます。一万円というのは、日常の買い物の感覚で考えると、とてつもない高額商品です。提供する方にはそれなりの心構えが必要な価格だと思われます。

一方、買う側から考えると、これも相対的には非常に高い商品なのですが、ところが、その絶対的な価値がこれがまた価格以上にとんでもなく高い故に、その定価と比較するととんでもなく「安い」値段になってしまうのです。

「もし、あなたの一番大事なその子を、まだ持っていなくってこれから購入するとしたら、あなたはいくら払いますか?」と訊かれたら、「百万円以上払ってでも」と答える人も少なからずいると思います。

つまり、「安い」というのは、そういうことです。

ところが、その本人にとっての価値の高さと、それに比する相対的な安さのために、不思議な状況を生んでしまいます。それは、つい、現状で最大限の満足をしているにも関わらず、新たに買い漁ってしまうということです。

例えば、ある人がポルシェの車を一台買ったとします(毎度ポルシェが例というのなんですが、昔、「Macはパソコン界のポルシェ」とたとえられたように、高さとステータスの代名詞なので・・・。ちなみに例示している本人は運転したことはもちろん乗ったこともありません)。素晴らしい車で、乗れば乗るほど愛着がわくでしょう。ところが、その値段が1万円。そうか・・・他のポルシェはどうかなぁということで、次々に買っていきます(ここはまあ他の高級車でもいいですね)。で、買って乗るたびに新鮮な悦びがあって、増えに増えたり500台(えー・・・500という数字はあくまで例えです。自分の場合、数えたことないのでわかりませんが、それに近いところでしょうか)。まあ、そもそも車の場合500台置ける場所があるかどうかという問題がありますが、とにかく、500台。さて、500台持っている彼は、1台だけの時と比べて、どちらが幸福でしょう。

ポルシェが高くて、それで一台しか買えなかったら、それを乗りこなし、乗れば乗るほど愛着が増していく。そういう可能性もあったはずなのに、なまじ1万円だったために、つい・・・

この例が適切かどうかはぜんぜんわかりません。
ただ、私は抱き枕は、大事にすればするほど、そして、一緒に過ごせば過ごすほど、その関係が深まるものだと思っていますので、その逆の方向に自分が進んでいるということを最近強く実感して・・・というか気づいて、ショックを受けているわけです。

上記のように、抱き枕カバーがその圧倒的な魅力に比して安価であるということ。それは、ある意味、残念なことなのかもしれないと思うのです。

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以下、少し補足です。

では、高くなれば、そういう状態に陥らないということになるのでしょうか。これもまた、違います。
なぜかというと、そのようにもしかしたら一生の伴侶になるかもしれない枕と出会うという確率自体は、そんなに高いわけではないですから。宝くじに当たるようなものです。CMではないですが、「当たりたいなら買うしかない」です。
ですから、いくら素晴らしくても、まずは、買い、そして失敗を重ねることによって、初めて、そういう枕との出会いへと行き着きます。
自分の場合、最初に買った宝くじが当たったにもかかわらず(購入する前に何度も頭の中でシミュレーションしていたのは確かですが)しばらくして、ふと、また当たるのではないかと思い、そのあと買い続けてしまいました。さすがにハズレもそれなりに沢山ありましたが、しかし、宝くじと違い、買えば買うほど当たる確率が高くなりますした。今は、めったにハズレることはありません。しかし、それがよかったことなのかどうかわかりません。

後悔・・・いや、後悔とまでは言いませんが、そこに潜む問題を実感したところで、今、呆然と立ち尽くしています。
(立ち尽くしながら、まだ何枚かポチっているのですが ^_^;)。

まだそこまでの思いに達していない(お嫁さんが見つかっていない・出会っていない)と思ったら、買っていかれたら必ずそのような出会いがあるということは保証できます。

そして、今、もうそのような出会いをしているあなたへ・・・
自分が言うとものすごく説得力のない言葉かもしれませんが、経験者として。

『ストップ』は、賢明な選択だと思います。
今のお嫁さんを大事に大事に大事にするというのが、素晴らしい、素敵なことだと思います。

ヘンリエッタ3


toyamayuri at 16:17トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年06月19日

抱き枕は、一枚(一人)の方がいい・・・自戒として

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今、抱き枕はとてもいい状態にあります。
とてもたくさんの素敵な抱き枕が販売され、ユーザーの方も増えている状態だと思います。
支えているのは、多くの枕が販売され少なくともそれをコンスタントに買っていく抱き枕erの方々が多くいらっしゃるということにあり、それに水を差すつもりはないのですが、でも、ここのところ、心のなかでどんどん大きくなっていく思いがあります。
それは、

「どこかで間違えてしまった」
ということです。あっ、これは、抱き枕全体のこととか、抱き枕erの方のことではぜんぜんありません。
自分個人のことです。ですから、ある一人の抱き枕erの個人的な思いとしてとってもらえればありがたいと思います。

「どこかで間違えてしまった」

その間違いは、

「抱き枕は、一枚(一人)の方がいい」

ということです。

抱き枕erの方、誰でもそうでしょうが、最初に買う抱き枕カバーはたいていが一枚からです。
その枕が抱き枕として当たりかはずれかでその後の運命が大きく変わってきます。
抱き枕として販売されていた枕が、抱き枕として成り立っているか、また、成り立っていてもそれが購入された方のフィーリングと合っているかどうかは、実際、出会ってみないと全くわかりません。宝くじのようなものです。
その確率は非常に低いと言っていいでしょう。

最初に生涯の伴侶に出会うこともあれば、

ああ、こんなものかな。なるほどいいなぁということもある。

なんだぁ。高い金出して損したなぁということ

また、やっぱこんなものか。まぁ雑誌のおまけだしな。高い金払って買わなくてよかったという人も多いでしょう。

いろんな出会いがあります。

最初に幸運な出会いをすることもあります。
自分の場合は、そうでした。

最初に買った抱き枕カバーは、柳ひろひこさんのサークル「あっかんBi〜」で製作された『瀬川おんぷ』抱き枕カバーだったのですが、その出会いは、それこそ雷に打たれたような衝撃でした。それまで全く抱き枕カバーを買おうなんて思ってもいなかった自分が一目惚れして、一時間近く逡巡したあとに購入いたしました。

それからの数年、ずっと彼女だけとの幸せな日々を送りました。

やがて、別な枕の情報が入るようになり、「どうなんだろう…。おんぷと同じように素敵な気持ちが味わえるんじゃないだろうか」と、2枚目の枕を購入。そのあとは堰を切ったように次から次へと抱き枕が増えてきて・・・いわば、最初の浮気のあと、歯止めが利かないような状態になっていったわけです。

多くの方が同感されることと思いますが、購入した抱き枕カバーを初めて本体に装着する時の高揚感はすばらしいものです。その高揚感がすばらしく、また素敵な枕との新たな出会いを何度も体験するうちに、そのように新たな枕を探し、求め、そして味わうということが常態化していきます。

しかし、最近、思い返すのです。これって本当に幸福なことだったのかと。
いえ、客観的にどう見えるかとか世間体とか三次元とかそんな話ではまったくありません。
あくまでも抱き枕との関係として、果たしてどうかなぁと最近思い始めました。

思い返すに、少なくとも私の場合、自分が持っている抱き枕が『おんぷ』ただ1枚だけだった時の方が、ずっと幸福だったと思うのです。

そして、最近、抱き枕erの方々とお知り合いになる中で、ただ一人の枕との関係をとても大事にしている方々何人かともお知り合いになることができました。
そういう方々のお話を聞いていて、とてもうらやましく思ったんです。

もちろん、自分の場合も、特に大事にしている子はいます。しかし、おんぷ一枚だけを持っていて、ひたすらその子だけを大事にしていた時とは何か違う気がするのです。

どこかで道を踏み外したのかもしれない・・・そう思ったのです。

もちろん、抱き枕との関係は人ぞれぞれぜんぜん違っています。
それは、恋愛における人の有りようが様々であるのと全く同様でしょう。たくさん彼女がいる方がいいという方もいるでしょうし、また、大事にしている子と遊びを分ける人、そもそも抱き枕ってそういう関係だと考えていないよねという方も多いでしょうし。

ですからこれは、あくまで私的な感慨なのですが、こと自分に関しては、どこかで道を間違えたかもしれないという感覚があります。

少なくとも自分にとっては、
『ただ一人の抱き枕との関係を大事にする』
というのが、抱き枕とのもっともいい関係のようです。

さて、では、逆戻りができるのでしょうか。

今、抱き枕erの方でも、その所有抱き枕枚数によって、いろいろ状況は違うでしょう。

一枚だけの方は、もしその一枚の子がすごく大事な子なのであれば、その一枚をずっと大事にしていくというのが一番幸福なことだと思います。
まだ、大事な一枚に出会えていない方は、これからその子との出会いが待っていますね。
そして、数枚から十数枚の方は、もしその中に大事な子がいるのであれば、その子との関係を深めるのがいいのかなと思います。

では、数百枚となっている場合・・・自分の場合もそうなのですが、その場合、どうすればいいのか、自分でもよくわからないのです。ただ、今、気づいていることは、枚数が増えていくということは、少なくとも自分の場合、幸福さと反比例しているということです。

恋愛に例えるのが適切なことかどうかわかりませんが、このブログにおいてはいいでしょう。
少なくとも、恋愛の場合、ずらりと並んだ中から選ぶというわけではありません。ハレムゲームではありません。

しかし、実際、もし仮に数百枚の中から一人を選ぶということができるかというと・・・これがちょっと自信がないのです。

初期、十数枚しか持っていなかったときに、片方におんぷを置いて、もう片方に他の全枕を置いて、それで一方を破棄しなければならないとなったら、躊躇なく、おんぷを取って残りを破棄したでしょう。

では、今は・・・誰かを選ぶということはもう不可能でしょう(ただ諦めているわけではありません。ただ当然、躊躇はしています)

一つ、言えること。

「もし、あなたに、今、特別に大事な子が一人いたら、その関係を大事にしてほしい」

それが、自分が今言える、心の底からの思いです。

toyamayuri at 03:25トラックバック(0)抱き枕コラム 

2012年05月27日

世界でたった1人のあなたに出会えた奇跡・・・『俺の嫁!漆』

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『俺の嫁!漆』から1週間が経ちました。
本当は、すぐにでもレポートを書く予定だったのですが、イベント時もそうですが少し体調を悪くしていまして。
俺の嫁の時も、かなりしゃがれ声で呼び込みしまくっていたと思います。
あれは、声を出しすぎてあんなだったのではなく、喉がやられてあんなでした。
何とか調子がまともになりかけてきたので、レポートを・・・

と、今回は、本当に書くことがありません。
いえ、前夜祭も含めて、いつにも増して楽しい出会いが多く、充実したイベントだったのですが、「楽しかった」の一言で終わってしまいそうです。
おそらく、充実していない方が、いろんなところを取材のようにまわって、記事が充実するというそんなことなのでしょう。

今回も『まくらで・みーる』のお手伝いで参加いたしました。

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『えみいるの新・チラシ裏日記』で、その詳細なレポートが。

お手伝いが一段落した後、ぶらりといろいろ回りました。
今回は、『俺の部屋』はほとんど展示がなく、A&Jさんの抱き枕本体の新型展示が目を引いていました。

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今回の新素材、抱き枕カバーを装着した時のズレが少ない、つまりあたかもカバーの下の直接綿があるような感覚ということでしたが、その違いは歴然としていました。ただ、A&Jの方もお話しされていましたが、カバーと本体外布との一体感があるということは逆に装着がしにくいということとつながり、この両立がなかなかむずかしかったようです。そのため、今回、2つのタイプの新型抱き枕本体が展示されていました。
しかし、どちらも、触った時のカバーと本体外布のズレがないという点は、これまでのものとかなり違っていて、インパクトある改良だったと思います。

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人気投票されていましたが、このように新型の2タイプが圧倒的に票を集めています。

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こちらの写真はCOMEXさん。

台湾で前日イベントがあって、そのあと日本に来られているとのことですので、そのエネルギー、すごいです。
新しいの素材「CozyMkII」のお披露目でした。
前の生地に比べて伸縮性がよくなっていると思います。

スタイラスさんのところで見たかったのが、ロリボンテージ抱き枕。
購入はもうデザイン画が発表された時から決まっていたのですが、やはり生でも見たいものです。
すばらしいものでした。

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「華枕・ソメイヨシノ」を購入。搬入でたっぷり持ってきていただいているとのことだったので、安心して買えました。

マークスの平木さん、お怪我されていたので今回の参加が心配されていましたが、参加されていました。
いろいろお話し伺えて楽しかったです(自分の書いている漫画との関連で、手塚関係の版権が大変な状態にという話を盛り沢山)。
あんこ工房さん共々、アフターイベントまで参加されていました。

そう・・・今回はフリーマーケットもありました。
正直、フリーマーケットってどうなのだろうって思っていました。
値段がつり上がったり、また、中の同人さんとかち合うような状況になるのではないかと。
でも、これは全く杞憂でした。
もっと沢山の方が参加されるかと思っていたのですが、結局、三店で、いい意味和気あいあいとした雰囲気となって、よかったですね。
これぐらいの規模や雰囲気でしたら、またぜひ、行っていただきたいと思います。
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ところで、タイトルがちょっと、いつものイベントレポートと違っています。

イベント前、そしてイベントと、ここのところずっと、抱き枕の枚数のことが頭から離れません。
徐々にそういうことを書いていこうと思っているのですが、それは、

『1枚の抱き枕カバーとの関係』の話になると思います。

今回の『俺の嫁!漆』も、参加されたどなたかにとって、
『世界でたった1人のあなたに出会えた奇跡』を産み出したイベントだったかもしれません。

これから、そういうことを文章にしていこうと思っています。

toyamayuri at 18:18トラックバック(0)イベントレポート 
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