イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

豊橋へ

(月曜日)
これからマーチにいっぱい絵と額縁を積んで豊橋に行く。ドサ回りだねぇ〜。ドサ回りだよぉ〜〜。
家内の母が亡くなってしまい(96歳)、後ろ盾がない。背中が寒い。ほとんど寝たきりだったけど、いるといないでは大違い。車もマーチ1台だけだ。きっとたくさん歩くことになる。家内の実家から個展会場までは2〜3劼呂△襦1復すれば1万歩は確定だ。自主的なウォーキングではなく義務となると空恐ろしい。
それでは、ボン、ボワイヤージュ!(だっけ?)

そう言えば、私を支援してくれている中尾氏が偉くなるかも。真っ暗闇のなかにかすかな希望が……。
次のブログは10月29日(月)。ホームページは同じ日か翌日にアップ予定です。
天気:晴れ
作品:F4「真鶴」
181010manaduru4

奈良に行きたい

(日曜日)
『緋の天空』(葉室麟・集英社文庫)を読み終わった。729年の長屋王の事件は冤罪だった可能性が高いとの説。その長屋王(天武天皇の孫)の息子・膳夫(かしわで)と光明子(聖武天皇の皇后)は幼馴染で淡い恋心を持っていたという設定。何か根拠があるのかもしれないが、私は調べてない。かしわで(膳夫)は長屋王の事件で自決する。膳夫はイケメンとの設定。事件後の734年、光明子は興福寺の阿修羅像を見つめて涙を浮かべる。阿修羅像が少年の頃の膳夫の面差しに似ていたのだ(p285〜286)。ここはちょっとジーンときた。
私の見解は、阿修羅像は相撲の柏戸に似ていると思っていた。古くてゴメン。
この小説は奈良時代の話だけど女帝をとても肯定的に描いている。現在の皇室事情への発言なのかも、と思ってしまった。
興福寺は藤原氏が建てたお寺。光明子も藤原氏。
奈良に日帰りするなら、第一に東大寺。南大門(鎌倉時代)はイヤでも見えてしまう。大仏殿も江戸期の復元だが悪くない。三月堂と戒壇堂は必見。興福寺も近鉄奈良駅に近い。阿修羅像はだいたいいつでも見られるはず。興福寺には阿修羅像以外にも天平の傑作が山のように並んでいる。日帰りでも、たまに奈良に行きたくなる。1300年の時を経た国宝がズラズラ見られる。イタリアのフィレンツェより楽しいかも。少なくともフィレンツェ並みの建造物と彫刻群がある。身近に凄いところがあるんだよねぇ〜〜。

今日は個展前最後のマンション勤務があり、帰宅後に個展の最終準備をやった。後は展示してみなければわからない。ま、どんなにいい展示でも成果が出なきゃ話にならないけど、とにかく少しでもましな展示をする。当たり前の話。
天気:晴れ

仏師のデッサン

(土曜日)
三井記念館の『仏像の姿(かたち)展』に行くことにした。なんで行きたいのか忘れた。天平仏もほとんどない。でも鎌倉仏はいっぱいあるし、平安前期の仏像もじゅうぶん迫力がある。
もちろん信仰心で行くわけではない。人体表現を見に行くだけ。不敬である。不敬とは言ってもキズつけたりはしない。当たり前だ。仏教信仰はあやしいけど仏師には尊敬たっぷり。ダイジョブ、ダイジョブ。
天平仏を作った仏師のデッサンが見たいよね。目が覚めるような線描だと思う。下絵だから全部廃棄? ああ、もったいない。どっかからごっそり出てこないものか。

今日はマンション勤務の早番があり、夕方から25m学校開放プールに行ったので久しぶりに運動完璧ディになった。
天気:晴れ。夜は雨。
作品:SM「真鶴」
181010manaduru-sm

仏師の苦悩や情熱

(金曜日)
展覧会が近づくと毎年作るホームページの「2018年度豊橋個展出展作品集」を今年は作っていない。中尾氏が作ってくれた「菊地理イッキ描きギャラリー」とだいたいかぶる。こちらはわがホームページのヘッドページにリンクしてある。
また、A4版1枚裏表三つ折りのパンフレットも作っていない。これは作品集があるからいいべ、って気持ち。パンフレットは無論無料で差し上げていたが、作品集は1冊1000円だから気が引ける。気が引けるけど1000円は破格値だと思う。価格を変更しなければならないかも。1500円か2000円にしておかないと今後続かない。ま、出版社の画集でも出版記念価格は安いからいいか。
小説『緋の天空』(葉室麟・集英社文庫)はなかなか進まない(三分の二ぐらい)。わが尊敬する天平彫刻の時代のお話だからけっこう楽しい。仏教の話も出てくる。が、病気の治癒とか国家安寧の祈祷などバカバカしいレベルだ。でも、主人公の光明子は日本を仏国土にしようとしている。最近の日本に対する諸外国の評価はムッチャ高い、ような気がする。災害時にパニックにならなかったり、諸外国の評価はハズレてもいない、か。仏国土が実現しているのだろうか? それにしては厭な事件も少なくない。
小説には仏像彫刻の話は今のところほとんどない。東大寺の三月堂の《執金剛神》がどうやって生まれたのか、仏師(=仏像制作者)の苦悩や情熱を書いて欲しいけどね。そんな小説はなかなかないね。

今日は雨の予報で、個展準備以外は何にもしないでグータラ過ごそうと思ったけど、結局、大和市立図書館への大冒険をした。大和市は「70歳代を高齢者と言わない都市」。ということは68歳の私にはいろいろな高齢者サービスがないということ? 住んでいるのが隣の町田市でよかったぁ〜〜。
大和市立図書館はとても綺麗で広々としていたけど、蔵書数が少ない感じ。いろいろなものが細かく有料。駐車場はもちろんロッカー代100円も返却なし。驚くね。多くの人が利用していたラウンジも有料だった。トイレは綺麗だけどウォータークーラーもなし。
というわけで、本日は結局1万4千歩以上歩いてしまいグータラではなかった。
夜はホームページの更新をした。『唇寒』のテーマは「すごく単純。わが絵画理念」。
天気:曇り、夕方から小雨

ボナールと比べる?

(木曜日)
豊橋の個展が近づいてきた。準備期間がなくなりつつある。近づくほどに悪い結果ばかりが心に浮かぶ。
でも、自分の作品集を見直すと、それほど酷いとは思えない。ボナール(1867〜1947)の展覧会カタログと比べてもムチャクチャとも感じない。ま、ボナールの展覧会カタログはボナール最高の作品集ではない。2〜3点目玉作品があり、あとはかき集めたみたいな。いやいや、そういう小品のなかに珠玉の傑作があったりするんだけどね。
もちろん私の作品集とボナールの絵を比べるのは不遜だけど、私だって貧乏人の分際なのに売り絵を描いているわけではない。方向性はそれほど変わらない、つもりだ。
比べてみると、私の絵はやっぱり新しいと思う。そして中国や日本の絵がたっぷりと含まれている。源氏物語絵巻や伴大納言絵詞、牧谿(1280頃活躍)の水墨画などなど、そういう影響がいっぱいある。父親の影響も大きい。
三浦半島の三崎口駅の先にある三戸に行きたがるのもあの景色が牧谿の瀟湘八景図を想わせるからかも。ま、こっちは富士山付きだからかなり贅沢、なのか。
バラなども立木を描くのは水墨画やモネの影響。父も描いていた。日本の洋画家で立木から描く人は多くないと思う。
68歳にもなって、こんなにペーペーなんだから、むろん大した絵描きではない。
ま、どうでもいい。とにかく、作品集があるとボナールとかともくらべられて楽しい。

なんか、『森への想い』氏からとてもお褒めいただいてしまい、まことに恐縮です。実にお恥ずかしい。ありがとうございました。ブログ『森への想い』はわがホームページにリンクしてあります。
天気:薄曇り。晴れ間も。
作品:F15「午後の真鶴の海」
181010manaduru15

繋がる意欲

(水曜日)
俵屋宗達(17世紀前半)の画集を見ると、宗達が醍醐寺の柳の絵《重要文化財 三宝院表書院障壁画 柳草花図(上段之間) 安土桃山時代》を見ていた可能性がある。醍醐寺展にも宗達の扇面図が来ている。きっと醍醐寺と宗達は親しい関係で、寺所蔵の作品も見せてもらえたはず。宗達の画集には影響見え見えの絵がいくつかある。いやいやさすがの宗達もあの《柳草花図(上段之間)》の分厚いヴァルールには至っていないけど、果敢に挑戦している。ああ、宗達も心を奪われたんだな、と遠い過去の宗達が筆を取っている姿までが浮かんでくる。名作絵画で繋がる画家と画家の筆の意欲だ。なんか楽しいね。
ま、現実にお前はどうなんだといわれると、とても真似のできる画肌じゃないけど、死ぬまでに一度ぐらいあの画境に達してみたい、とは思う。100号の裸婦でほとんど色のない上品な、それでいて大胆な筆の遊戯をしてみたい。夢だね。

今日は町田まで歩いて行って(帰りは電車)、予約してあったルフラン油絵具(コバルトブルー)を買い、久しぶりに紙も買った(ここ数年、失敗作の裏に描いていた)。ブックオフにも寄って1999年にやったワシントンナショナルギャラリー展のカタログを買った(なんと360円)。ヴュイヤール(1868〜1940)が三点あり、決定打はドガ(1834〜1917)の出待ちの踊り子たちの絵《バレエの前》だった。夕方床屋で丸坊主にしてから夜は相模原の50mプールまで車で行った。運動はじゅうぶんだが食い過ぎたキライがある。
天気:晴れ。散歩には最高の季節だねぇ〜。

色彩のこと

(火曜日)
12日のブログで述べた色彩論は実にアホらしい基本的なものだった。今朝寝床のなかで思い出した。あれは補色というヤツだ。補色とは、12色相の向かい合わせた色のこと。混ぜると灰色になる。補色残像と言って、ある色を長く見ていて、目を閉じるとその補色が現れる。
で、12色相というのは、時計の丸い文字盤に12の色を並べたもの。12時が黄色、1時が黄橙、2時が橙、3時赤、4時赤紫、5時紫、6時青紫、7時青、8時緑青(ここは青緑じゃない)、9時が青緑、10時緑、11時黄緑と並ぶ。向かい合わせということは12時の黄色は6時の青紫と補色ということなる。3時の赤の補色は9時の青緑。中学のときに習った。中学の美術の先生は芸大出の柴山先生(名前をいつも忘れてしまう=ついこの前の中学同窓会で訊いたばかり)。美術史も色彩論も教えてくれた。それを68歳になっても使っている。中学の先生は大事だねぇ〜。そう言えば、私自身、塾だけど23年間も中学生の先生をやったのだった。
私は長年12色相の表を自作してパレットの脇に置いていた。
で、黒だけど、黒もオレンジとかによく合う。濃い緑にも合う。白と緑も合う。これは芙蓉などの花と葉っぱの取り合わせだ。自然界の色はよく出来ている、のだ。
ちなみに、こういうのって服のコーディネートにも使える。デパートなんかのマネキンが着ているワンピースの腰のところに黒いアクセントをつければ最高だよね、などと勝手に心のなかで提案している。ちなみに灰色はすべての色に合う。灰色には緑系とかオレンジ系などちょっとした調子をつけることが出来る。言ってみれば自由自在なのだ。それなのにトンチンカンな色彩絵画が横行している。まったく柴山先生は滅多にいないということか。
ボナールは「色彩は理論である」と言った。ボナールは上品なブルジュアだけど、下町のクソガキに言わせれば「頭使えよ」ってこと。ほんと世の中バカばかりだ。
繰り返し申し上げておくが、私は黒は使っていない。黒っぽい色はよく使うけどね。
で、返す返すも思い出すのは醍醐寺展の柳の絵。ほとんど色のない絵。なんて魅力的なんだろう! 今やっている展覧会だけど行けるだろうか?
天気:薄曇り
作品:F3「バラード」
180928-3

鎖国と開国

先週のテレ朝のクイズ番組『Qさま』で江戸時代の鎖国はなかったという主張。これはちょっと簡単には頷けない。長い日本の歴史を思い出すと、開国の時期と鎖国の時期が交互になるように見える。開国の時期はヒステリックなほど外国文化を受容する。外国色に染まるみたいだ。われわれも戦後の日本がアメリカ色に染まった様子を目の当たりに見ている。まさにあの感じ。ああいうふうに奈良時代は中国の唐文化を真似た。平安後期の国風文化の後の鎌倉時代もまた狂ったように中国を慕った。そして鎖国的な戦国時代に入るが、その後織豊時代では南蛮文化を大いに受け入れた。次が江戸時代。どう考えても鎖国の感じ。着物とちょん髷だものね。いっぽう明治期の文明開化こそ開国そのものだべ。で、世界戦争の時代に突入。暗黒の鎖国状態だ。次が上記述べた戦後のアメリカ一辺倒。『ビーバーちゃん』『ルーシーショー』『パパは何でも知っている』『ベンケーシー』。たくさん見たね。『ナポレオン・ソロ』にも熱中した。
奈良以前にも縄文時代は1万年に及ぶ鎖国。縄文は長い独自文化だ。次の弥生文化は開国と言えるだろう。大陸騎馬文化もどっと流入する。おそらくその後閉鎖的な時代が来たと推測できる。飛鳥文化は開放的。でも、奈良時代でさえ長く遣唐使が中断されたという。
私は鎌倉期の大陸禅との交流を小説に書いたことがあるから、あの時代の進取の精神はけっこう追体験できた。健全な感じも受けた。肌身に感じていた戦後のアメリカ偏向のほうが危機感があった。コーラとポップコーン、フライドチキンと来ると身体の構造までアメリカ化してくる感じがする。空恐ろしい。
天気:曇り夕方から小雨
作品:F6「秋の真鶴」
181010manaduru6

秘訣は読書

(日曜日)
いまは『緋の天空』(葉室麟・集英社文庫)を読んでいる。葉室麟の時代物を4冊借りてきて、時代の古いものから読もうと決めた。『緋の天空』は奈良時代。古いよぉ〜〜。
光明皇后の話らしい。たしか光明皇后って、奈良時代のマザーテレサだよね、と思いつつ読み進む。何度読んでも幼少時の名前が覚えられない。安宿媛と書いて「あすかべひめ」と読む。無理だよ。何度もルビのページに戻る。致し方ないから栞に書いておく。その栞を何度見返しても忘れる。酷いね。もう英語にしたtomorrow wall princess。首皇子は「おびとのみこ」だって。読めっこないよね。膳夫が「かしわで」。
樹木の名前も難しい。木ヘンに鬼と書いて「えんじゅ」だって。どんな木じゃ。これが平城京の並木らしい。
登場人物や時代独特の名称にはヒーヒー言ってるけど、ストーリーは面白いし、文章も『川あかり』(葉室麟・双葉文庫)と比べると格段の差。同じ作家とも思えない。
私は、本は最初の50ページまでで決める。50ページまでイッキに読めれば、だいたい文句ない本。小説でもノンフィクションでもとにかく50ページで決めている。
この『緋の天空』は気が付いたら50ページを超えていた。合格だ。
ところで、昨日のNHKスペシャル『健康寿命…AI…』で、健康寿命の秘訣は読書と言っていた。本当だろうか? だとしたら私はムチャクチャ優等生かも。よく歩いて泳いで読書して丹田呼吸までしている。これで長命でなかったら笑っちゃう。お若いみなさま、お見届けください。

今日はウォーキングは1万歩を超えたと思う。水泳も行った。水泳では400mぐらいのときに苦しいし腕も痛くなり、大丈夫かとも思ったが、最後まで泳げた。途中から苦しさも腕の痛みも忘れていた。
晴れたので少しキャンバスも張った。
天気:曇りのち小雨、のち晴れ。

頑丈な画肌

(土曜日)
先週は忘れたが、昨夜は忘れずにホームページの更新もした。『唇寒』のテーマは「本当にただたくさん描けばいいのか?」って話。
昨日は相模原の世界堂に行ってから町田の世界堂にも寄った。ルフラン(フランスの絵具)のコバルトブルーがなかったから注文したのだ(大き目の40mlで3800円)。そうしたら、なんか町田のほうが品揃えがいいみたいな感じ。訊いてみたら町田は狭く感じるけど上に延びているから(4〜5階建て、相模原はワンフロワー)店の総床面積は広い、みたいな話。「そーなんだぁ〜〜、そりゃ楽でいいわ」電車賃もかからない。

相変わらず『ピサロ━永遠の印象派』(知の発見叢書)が机の上に置いてある。その隣に最近来た水彩画の個展DMがあった。ピサロの絵とその水彩画をつい見比べてしまう。故意にじゃない。そうすると、水彩画はチャッチィ。チャッチィほうが「可愛いぃ」という人もいるかもしれない。それは勝手。絵は主観なのだ。でも、私には圧倒的にピサロ。ずっしり重い石のような画面だ。水彩画はかみぃ〜〜(紙)って感じ。ま、実際にも紙なんだろうけどね。安易だ。絵を軽く見ている。さっと描けると思っている。ま、イッキ描きの私には言われたくないだろうけど、絵はさっとは描けない。
ヨーロッパのフォーヴの絵には短時間に描いて石のようなマチエールがある。そういう意味でゴッホの勝利はあまりにも明快。100〜50年前の日本の油絵描きはその硬質な画面を得るために必死の努力をしていた。私の父もとても頑張っていた。あまりにも巧く行かずに泣いていた。ヨーロッパに敵わないのは食い物のせいだと言ってやたらてんぷらなどを食べさせられた時期もあった。笑っちゃう。
もちろんピサロなどヨーロッパ油彩画の岩のような画肌は一つの目標。しかし、私は富岡鉄斎(1837〜1924)はそういうレベルも超えていると思っている。牧谿(1280頃活躍)もヨーロッパに引けを取らない。東洋は凄いよ。うん、ほんと、かなり凄い。
でもピサロはいいね。いいものが西にも東にもたくさんあってとても幸福だ。
天気:曇り。夜半から雨
作品:「真鶴の海」27×38僉,海瞭この鉛筆画を最初に描いた。
181010pencil
Archives
Categories
  • ライブドアブログ