イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

歩くのは権利

歩くことはもちろん基本的に嫌だ。歩く必要がなければゴロゴロしていると思う。マンション勤務がなければ自分から歩くことはない。勤務だから歩くのは義務だ。でも、歩けるというのはとても有難いことなのかもしれない。歩く権利を持っているということだ。私は歩いてパンを買いに行くときは行き来する自動車に「気の毒だなぁ」と思っている。あんなものに乗って運動不足の極致だ。そのときはなんか気持ちいい。
歩くのは大脳皮質的には嫌だけど歩いていると気持ちいいと感じることも多い。
地べたを這いずり回るわれわれが空を飛ぶ鳥をうらやむように、ミミズやナメクジから見たら大股でどんどん歩ける人間はうらやましいのかもしれない。ミミズやナメクジに比べたら行動半径も桁外れ。
マンション勤務が定年になったら私が歩かなくなる可能性はとても大きい。根本的な怠け者だし、基本的なバカだから致し方ない。身体が弱ってしまうのは十分わかっているけど、ついつい歩かなくなるだろう。仕事だと、雨でも風でも暑くても寒くても歩く。実際は誰も見張っていない一人勤務だから見回り歩きをしなくても誰からも怒られないけど、給料をもらっている以上、職務をパスするのは泥棒みたいな感じもある。八正道にも抵触する感じ。
歩くのは義務ではなく権利なのだと考えるべきだ。

今日はマンション勤務の研修日。朝から夕方まで中目黒の研修所で過ごした。居眠りできないから辛かったがちょっとした休憩時間に仮眠した。この仮眠術は大学受験の浪人時代に身に付けた。運動も不十分だったので夜すこし散歩した。
天気:曇り
作品:F4『馨』
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『ウランバーナの森』はいいかも

『ウランバーナの森』(奥田英朗・講談社文庫)はとんだ純文学だった。どうもビートルズのジョン・レノンの話らしい。奥田は欧米ポップスにとても詳しい、と自分で言っている。軽井沢で日本人女性の妻と幼い息子と過ごしている。酷い便秘に悩んでいる。そういう話。奥田文学の原型がいっぱい見える。精神科医も出てくる。格闘場面もある。濡れ場はほとんどない。ゼロに近い。そこも奥田の原型か?
処女作だからいろいろ下手だけど、じゅうぶん読める。この小説を出版社に持ち込んで小説家になった。自信作でもあったのだろう。よく取りあげてくれたな、と感服する。こんな小説最後まで読みとおすだけでも一苦労だ。ま、出版社も実力ある新人が欲しいことは欲しい。ふつうは小説家は新人賞を狙って一等(大賞)になって画壇デビューする。奥田の場合は『ウランバーナの森』の次の『最悪』(講談社文庫)が大ベストセラーになった。もちろん私も読んだ。『最悪』は『ウランバーナの森』とは打って変わったエンターテイメントだった。だけど分厚い。500ページ以上あったと思う。みんなよく読むね。読むのが苦痛じゃないんだと思う。私は活字はかなり苦手だけどドラマや映画より面白いから致し方ない。ドラマや映画も見ている。世界水泳も見ている。
『ウランバーナの森』は奥田小説独特の尻切れトンボ感はない。最後まで詳しく書いてある。解説の人(名前忘れた。本は返却してしまった)は「続編を望む」と書いてあったが、『ウランバーナの森』に続編はないように思う。『ウランバーナの森』はジョン・レノンが歌を作らなかった時期の話。その前後はジョン・レノン自身の楽曲で埋められているのでは。

今日もマンション勤務。午前中は50mプールへ行き、そのままスシローへなだれ込む予定だったが、珍客の訪問があり、すべて壊れた。マンション勤務はちゃんとできた。ウォーキングや筋トレなどもちゃんと消化した。
天気:晴れ。曇りの予報は全然当たらない。容赦なく真夏の太陽が照りつけてくる。

いったん入ると出られない

今週はマンション勤務関係の仕事が多く、昨日は最後の非番、でもないけど、貴重な休日。ゆっくりしようと思ったが、家内が曇っているから海に泳ぎに行こうとムチャクチャなことを言い出した。
7月19日(水)に絵画教室で行った葉山の長者ヶ岬を目指した。混んでなければ町田から1時間以内で着く。19日には無料だった長者ヶ岬の駐車料金は1日2000円。入り口で引き返すわけにもいかない。2000円支払うと、われわれ夫婦の財布の合計残金は1000円を割ってしまう。せっかくの夏の海も飲まず食わずで過ごさなければならない。いやいやポットのコーヒーと凍らしたペットボトルはある。自宅近くで買ったパンも少々。それにしても厳しいね。
とにかく昼前について午後7時までは駐車していられる、という。
「意地でも7時までいるぞ!」
長い海岸の半日が始まった。
長者ヶ岬にはトイレはあるけど、なんか薄汚い。
「神奈川県立美術館に行こう!」ということになった。
「何かいいのやっている、はず」
で、家内のスマホによれば萬鉄五郎展(9月3日まで)だった。65歳以上は500円。長者ヶ岬から徒歩17分(車は駐車場からは出せない。いったん出せばまた2000円)。途中のコンビニで金をおろしてどんどん歩いた。とにかく美術館のトイレだ。
萬鉄五郎展は思いのほかの大回顧展、びっくりした。岩手からどっさり作品が来ていた。
代表作はもちろん、若いころの習作なども網羅してある。萬鉄五郎(1885〜1927)は私の父の洋画の師・原精一先生の師である。私にとっては画流の祖とも言える。
ここですごくゆっくり鑑賞して、駐車場で5枚描いた。もう夕方だ。誰も泳いでいない。サーファーもいない。波もけっこうある。家内はもう泳がない、とのこと。私だけ夕方の海で波を掻き分け20〜30分ほど泳いだ。やっぱり海はいいね。
7時までは頑張れなかった。6時過ぎに駐車場を出たら渋滞もなく7時ごろには家に着いた。

萬鉄五郎展(9月3日まで)のことはホームページに述べる。また、ホームページの「絵の話」『萬鉄五郎の絵と言葉』にも画像付きで詳しく述べてある。

今日はマンション勤務の遅番。運動などは十分だ。
天気:曇りのち晴れ
作品:F4「真夏の相模川」
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本を片手に……

相変わらずいろいろな小説を読んでいる。半沢直樹シリーズの前半は終わった。テレビドラマと同じ話。しかし、ドラマがなければよくわからないストーリーかも。銀行の専門用語も覚えきれない。登場人物も少なくない。次に家内からの推奨で直木賞を受賞した『プラナリア』(山本文緒・文芸春秋)という短編集を読んだ。読んだのは、家内がすすめる表題の『プラナリア』と『どこかではないここ』の2編だけ。まったく面白くなかった。続いてまた奥田英朗のデビュー作『ウランバーナの森』(講談社文庫)に入っている。これも読み始めたばかりだがつまらない。処女作だから文章も下手だ。でも我慢して読みとおす、予定。奥田を制覇する勢いだ。
ドラマ化されていない半沢直樹シリーズも奥田の『ララピポ』も予約済み。原田マハの新書もいつでも借りられる状態。近日中にゲットできる。
本を持って寝っころがると、風が足をなぜる。気持ちいいね。読んでいるうちに眠ってしまう(10分ぐらい)。最高の贅沢。起きたときにコーヒーがあれば極楽だ(いつもそううまくはゆかない)。こういう居眠りを3〜4回繰り返す。これってやっぱり隠居かなぁ〜? マンション勤務も週に4回は行くし、絵を描くのが仕事だと認めてもらえるなら月に20〜25日は外にいる働き者だ。家内には喜ばれているはず。けっこう留守にしている計算だが、感覚としてはしょっちゅう家にいる。寝っころがっている。おかしい。

今日は終日寝っころがっている予定だったが、なぜかまたこの前絵画教室で行った長者ヶ岬に行った。この話はまた明日。
天気:曇り
作品: F20「フーガ」部分。昨日述べた上のところの部分図。
170714-20p

楽しいねぇ〜

昔の歌を歌うと昔のことを思い出す。ロクでもない思い出ばかりだ。それはもう取り返しのつかないこと。色恋沙汰なら相手のいることだから、ますます自分一人では手の打ちようがない。ちょっと間違えれば犯罪者になりかねない。だから、だいたいが無事におとなしく過ごしてきた。やるせない思いはキャンバスにでもぶつけるしかない。幸福者の絵がつまらない理屈がそこにある。
やるせない思いは焦燥ともなって、取り返しのつかない過去の悔恨の情に変わる。それが激情にもなって襲ってくる。
多くのみなさまから誕生日のお祝いメールをいただいた。ありがとうございました。
今日から67歳、ということはほぼ70歳だ。凄いね。よく生きてきたよ。
長いよねぇ〜。

昨日の朝、小1の孫が夏休みの自由研究と言い、水彩で絵を描くという。失敗したコピーの裏に何枚も水彩画を描いた。私は助手だ。塗残しなどを埋める。いやいや「塗残し」はセザンヌの故意の画法。埋めてしまっては元も子もない。だが、とにかく孫の指示に従う。
絵を描きながら孫の男児が「楽しいねぇ〜〜」と言った。
私が絵を描いているときいつも思う感想だ。ほんと絵は楽しい。
楽しくなければ絵ではない。

今日からマンションの遅番。減量週間に入る、はず。食い過ぎなければ大丈夫。
午前中に中学開放プールに行った。けっこう混んでいたけど1575m泳いだ。今日は歩行、水泳、筋トレなど完璧だ。
天気:曇り
作品:F20「フーガ」この絵は上部バックがいいと思う。
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止まると転ぶ

ふつう人は平常ではいられない。何にもしないで食って寝ているのが理想だけど、それは無理。気が狂う。自殺ならまだましだけど無差別殺人とか尊属殺人になる。ニーチェの「誠実は嘔吐と自殺を招来するであろう」(楽しい知識)とはそういう意味も含んでいると思う。
仏教はそういうことも踏まえた実戦の教えを説いている。八正道には精神衛生の教えも含まれている、というか精神衛生こそ教えのすべてかもしれない。もしかしたら自己催眠術なのかも。
つまり、人は何かしていなければ気が狂う構造なのだ。自転車と同じ。止まると転ぶ。マグロも泳いでいないと死んでしまう。だから良い悪いはともかく何かし続けていなければならない。完全リタイヤはない。
エアコンの効いた快適な部屋で濃縮還元ではない天然果汁100%のストレートジュースを飲みながら、モーツアルトを最小音量で流して、好みの読み物にふける。目を挙げると海原が広がり、遠くに白いサンゴ礁が見える……なんていう状況は数十分で我慢できなくなる。持っても2時間。第一、そんなところにずっといたら冷房病になる。
「苦しみつつなお働け、安住を求めるな、この世は巡礼である」
若いころ読んだ山本周五郎の『青べか物語』(新潮社)に出てきた一行だ。
この歳になってやっと意味が分かってきた。
道元の『典座教訓』や良寛の『仙桂和尚』も同じ意味だと思う。

今日は非番。午前中少し孫の子守りをしたら、もうそれだけでかなりフラフラ。午後から8月田無同窓会ジジイ4人カラオケの下見で、3時間歌いまくる。午後7時から大散歩。相撲とシンクロを見た。昨夜シンクロの乾が小学生の低学年のころ3時間あまり10000m泳ぎ続けたという話を聞いてぶったまげた。
夜はホームページの更新をやった。アクセス数30万人になっただろうか?
天気:晴れ。朝と夜は風もありまだなんとか涼しい。

幸運の重層

17日の海の日にはシスレー(1839〜1899)のセーヌ川の風景を探して利根川まで行ったけど、昨日の相模川でも間に合わないことはない。もちろん私は相模川は何度も描いている。でもシスレーを想って描いた覚えはない。ま、昨日の相模川でも描いているときはシスレーを忘れていた。現実の景色はいつもすべてを忘れさせるほど美しい。というか、空間が素晴らしい、のだ。空気の層に圧倒される。これを平べったいキャンバスに再現するのはもう初めから不可能。無理。手の打ちようがない。
何度も言うように、空気の層というのはゼリーのなかのサクランボのことだ。われわれは空気の層というでっかいゼリーのなかに暮らしている。この美しさは言葉では言い表せない。毎朝見るつくし野の丘ももちろんゼリーのなかにある。それが光の変化でいろいろに変わる。瞬間的には、どんな舞台演出やいま流行りのLEDのイルミネーションなんか問題にならない、この世のものとも思われない姿を見せてくれる。
「すげぇ〜〜」と感嘆するだけ。
風景を描きに行って、そういう瞬間に遭遇できるのはよほどの幸運が重なったときだけ。そのときのこっちの体調、キャンバスの状況、筆やパレットの具合などがすべてととのっている、なんてことはさらなる偶然が重なった場合だ。しかもイッキ描きでなければその瞬間を描くことさえできない。
モネの『印象━日の出』はやっぱり奇蹟のイッキ描きだと思う。

今日はマンションの早番。炎天下のなかをたくさん歩いた。これはかなりきつい。そろそろ年齢的に限界かもしれない。ま、後頭部冷水浴などを繰り返してできるだけ乗り切る、予定。体操や筋トレなどもちゃんと消化した。午後3時過ぎに帰宅してからは冷水浴をしてずっと休んでいた。夕方散髪に行って丸坊主にしてもらった。490円。
天気:早朝だけ曇りのち真夏の晴れ
作品:F6「夏の海原」
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人生の目標‘7月

昨日書き忘れたが、わがホームページは1997年2月10日なので、現在20年以上経っている。クロッキー会も20年以上やっているわけか。クロッキー会は25年近くやっているはず。長いねぇ〜〜。
アクセス数を3万と書いたが30万の間違いでした。
ありっこないし、あっても到達は絶対不可能と知っているけど、人生の目標は無上正等覚(むじょうしょうとうがく)である。仏教の最高の悟りだ。道元の教えはそれを目指して生きていればよい、そういう姿勢がすでに悟りである、というもの。とりあえず、八正道を実践しようとすればいいのか? 正見(見解)、正思、正語、正業(行い)、正命(生活)、正念(心の落着き)、正定(精神統一)の八つ。私の場合、まず正語がなかなか守られない、らしい。「クソバカ」などという言葉は厳禁なのに、すぐ口走ってしまう。心は落着いているかも。居眠りばかりしているのは落着いている証拠と言えなくもない。
ま、上記、仏の教えは生きる目安である。もちろん費用は一切かからない。
6月16日付ブログの「人生の目標」は0歳児の子守りだった。これも確かに有難いひとときには違いない。

今日は絵画教室だった。相模川の風景を5枚描いた。一昨日に行った利根川とは比べられないほど水量が少ないけど、川の景色を十分満喫できた。
天気:晴れ。梅雨明け。

誕生祝

どうも私の67歳の誕生日祝いはホームページのアクセス数3万超えになりそうだ。7月22日までには間違えなく3万を超える模様。テレビの視聴率などに比べればアホみたいに少ない数字だが、一人で達成したとなるとけっこう偉いかも。
ホームページやブログは見たくなければ見ることはない。「見たい」とまでは思わなくても「ちょっと見てみよう」と思ってくれた方が、その方の意志でクリックしてくださる。そういう意味でフェイスブックやメールマガジンなどとは根本的にちがうと思っている。申し訳ないけど、私は基本的にフェイスブックは見ない。フェイスブックは人間関係を破壊してしまう危険性もある。よほど親しい学生同士とか部活の仲間、クラスメートなどが楽しむのは悪くないが、社会に出てからの知り合いは利害が絡むのでとても怪しい。「友だちとは学生時代まで。社会に出てから出会った人は知り合いに過ぎない」とまで言い切る人もいる。もちろん、学生同士でもフェイスブックは写真や文字として残るので具合の悪いこともある。けっこう危ない。イジメにつながる場合も少なくない。
基本的にアクセス数なんてどうでもいい。私は言いたいことを言い、書きたいことを書く。ご覧になりたくない方はクリックしなければいいだけだ。そういうシンプルな関係がいいと思う。ブログやホームページのおかげで筋トレやウォーキングも続いているのかもしれない。

今日は7月最後の外プール。夏休みが始まってしまうと外プールは子供でいっぱいになる。また9月1日から10日まで極楽がある。実際に行けるのは5日もないけどね。
7月最後ということで今日は1700mぐらい泳いだ。予報は曇りだったが泳いでいる間は強い陽射しがあった。太陽が雲で覆われることも少しだけあった。ウォーキングが不足気味。夜の散歩で多少は補った。5000歩はいったと思う。
天気:曇りときどき晴れ、午後から雨。夜は回復。
作品:SM「パンセ」
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大ドライブに出た

『ロダンの言葉』(岩波文庫)のp184に「二つの辺相を作れ。そしてその中に置きたいものを置け」というアングル(1780〜1867)の言葉を引用して「この間違いは途方もないものです」と言っている。これはロダンの肉付けの法の真逆だからだ。ま、アングル画力があれば二つの辺相の間に好きなように肉付けできたかもしれないけどね。
奥田英朗の小説も物語の外枠を作らなのだそうだ。外枠を決めて掛かると粗筋ばかりを追う小説になってしまうという。書きながら話を展開してゆくらしい。粗筋より人物を描くことが肝心だという。
今は池井戸潤の『オレたちバブル入行組』(文春文庫)の終わりのところを読んでいる。こういう小説って、後半三分の一のために前半を読んでいるようなもの。前半はだいたいつまらない。銀行内部の話なんてまったく意味不明だ。興味もない。でも、半沢直樹シリーズ(全4冊)はすべて予約した。
そう言えば、奥田英朗も池井戸潤も、この前読んだお若い朝井リョウもみんな岐阜の人だった。偶然かねぇ。岐阜は愛知県じゃないけど豊橋より名古屋に近い。名古屋圏とも言える。豊橋は確かに愛知県だけど、名古屋より浜松により近い。静岡圏とも言えないけど、豊橋、浜松ワンセットの文化圏が見える。

今日は利根川の佐原(「さわら」と読む)を目指して午前中に車で家を出た。遠かったぁ〜〜〜。でも『セーヌで生まれた印象派の名画』(島田紀夫・小学館101ビジュアル新書)のなかのシスレー(1839〜1899)の絵みたいな風景に出会えた。私はちょっと鉛筆デッサンをしただけ。それからせっかくここまで来たのだから九十九里浜に向かった。大した渋滞にも遭わなかったが、下見だけではもったいない労力。油絵を持って行けばよかった。
凄まじいばかりの夕景にも出会えた。歩数だけはなんとか合格かも。
天気:曇りときどき晴れ
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