イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

ゲーテって?

今朝の気温は高かったけど、冷水はきつい。5〜10度ぐらいの変化は関係ないのかも。真夏の冷水は楽しい。まだ最低でも1か月ぐらいは大変だ。
冷水は日蓮宗の修行かもしれない。神道でもやるらしい。私が会ったことのない父方の祖父は関東大震災の後、日蓮宗の僧になったらしい。父親は道元に惹かれて自分の葬式は曹洞宗でやったけど、若いころから日蓮宗から影響を受けていた、感じ。日蓮宗のお経もよく口に出していた。
私の冷水浴は惰性だ。止めるとかったるくなるから続けている。家内からは水道代の文句ばかり。
原田マハをお休みして、『ゲーテと歩くイタリア美術紀行』(高木昌史編訳・青土社)に戻った。読みにくいねぇ。一度読んだくらいでは何が書いてあるのかわからない。頭いい人の文章はわけわからない。そういうのって、本当に頭いいのか? なんか腹立ってくる。ま、嫌なら読まなきゃいいんだけどね。せっかく三分の二以上進んでいるから、頑張って読み通す。意味が分からなければ意味ないけど。ちゃんと分かるまで読んでいるつもり。この話、どの画家の話だ? みたいな基本的な主語さえ不明になる。「ああ、マンティーニャだった」みたいな。酷いね。私にはゲーテは若いころからイマイチ。
ゲーテの案内でルネサンス美術に浸かりたかったけどね。野望は砕けた、と思う。「ゲーテでルネサンス」はあまりにも贅沢。でも読み手の実力が伴わなければ贅沢の価値も味わえない、ってことか。

今日はマンション勤務の遅番があったからウォーキングは十分。
天気:風雨のち晴れ

巨匠への想い

たとえば右二の腕の下の空間そのなかに左の脚の太腿が少し見える。どうやって処理するか? ルーベンス(1577〜1640)ならどうするのか、レンブラント(1606〜1669)なら……、などと瞬時に思い巡らす。これは苦悩だけど、楽しい苦悩だ。
イッキ描きは油絵でデッサンをしている。ルーベンスで言えば下絵感覚だ。下絵だけど意識はタブロー。いっぺんに仕上げちゃう。面白いね。
面白いけど、ほとんど上手くゆかない。しかし、体調によって5割とか6割成功することもある。そういう日は神がかっている。そんな日は年に一度あるかないか。もっとも、年に一度「ああ、これはいい」という絵が出来るだけでも奇蹟に近い。滅多にない。
ま、そんなの関係ねぃ、のだ。結果ではない。絵の出来ではない。描くこと、ルーベンスやレンブラントを想うこと、そこに意味がある。
そう言えば、インフルエンザで見逃したティツィアーノ展、まだ完全に諦めたわけではない。もっとも私が見たいのは晩年のティツィアーノ(1488/90〜1576)だから、いま来ているティツィアーノ展にそれほど強い執着はない。

今日は絵画教室だった。花や果物を5枚描いた。ウォーキングは少なかったが、今日も立って描いたから大丈夫かも。
天気:晴れ
作品:F15「パンセ」 昨日描いた絵。
170221-15

女性の視点

『ジヴェルニーの食卓』(原田マハ・集英社)の返却日(22日)が迫っている。残り30ページだから十分間に合う、と思う。原田の小説をこのところ続けて5本読んだ。主人公はみんな女性だった。もちろん、それぞれ有名画家が登場するけど、女性の視点から画家を見ている。今はモネの息子の連れ合いブランシュが晩年のモネ(1840〜1926)を見つめている。この『ジヴェルニーの食卓』も前半が冗長だったが、後半盛り上がっている。
ちなみに『楽園のキャンバス』は美術史家の女性、画家はアンリ・ルソー(1844〜1910)。『うつくしい墓』は晩年のマティス(1869〜1954)の世話をする20歳前半の女性。『エトワール』は女流画家のメアリー・カサット(1844〜1926)がドガ(1834〜1917)を語る。『タンギー爺さん』は貧乏画材屋のタンギーの娘がセザンヌ(1839〜1906)に送る手紙で構成されている。

今日はクロッキー会だった。
絵を描くと、いろいろなこと、絵のことも含めて考えるのがバカバカしくなる。考えたって絵はできない。描かなければ始まらない。
午後から歯科医に行き、夕方から50mプールに行った。ウォーキングが不足気味だが、クロッキーで3時間ほぼ立ちっぱなしだったからそれで十分かも。
天気:晴れ

女性の憧れ?

10年前のブログを読むと体重69圓粘遒鵑任い拭このごろは65埖羝緘召多い。バク食いはしてないけど、けっこう食っている。今朝は65.7圈
忘れていたけど、このごろぜんぜん絵を描いていいない。ブログにアップする絵もなくなってきた。昨日描きに行こうと思ったが、昨日はずっと孫と遊んでいた。幼児や嬰児でも3人いると凄いね。ジジババはたまにだからいいけど、親は24時間だから大変だよ。
やっぱり原田マハの小説は『楽園のカンヴァス』(集英社)が圧倒的に面白い。『ジヴェルニーの食卓』(集英社)はイマイチ。それももうすぐ終わる。昨日の朝日新聞に原田マハが載っていた。どんな記事かも忘れてしまった。酷いね。顔写真も載っていたけど、そっちも忘れた。
テレビドラマの『僕と彼女と彼女の生きる道』では、草薙の奥さん役のりょうは美術史の勉強のためにパリに行くという設定だった。小1の一人娘を置いてパリに行くか? パリとかニューヨークとか美術とか絵画とか、女性はみんな好きだねぇ〜〜。なんかイモ臭い。

今日はマンション勤務の遅番だった。運動は十分。
天気:晴れのち曇りのち雨。21時には上がる。
作品:F3「夕べ」
160831-3

いろいろおかしい

『ジヴェルニーの食卓』(原田マハ・集英社)に収録の短編『エトワール』には考えられない場面があるけど、概ね悪くはない。小説の主人公はドガ(1834〜1917)と言うよりメアリー・カサット(1844〜1926)。印象派の絵画をアメリカに売り込んだ重要人物だ。そこら辺の話は私も2〜3年前に読んだ『印象派はこうして世界を征服した』(フィリップ・フック・白水社)に詳しい。原田も参考文献にあげている。
画家がモデルを使って裸婦制作中のアトリエに他の人が出入り自由というのが納得できない。そんな環境では全裸のモデルは安心してポーズをとっていられない。無理だ。しかも、そのときの画家ドガの台詞もおかしい。「遊びじゃないんだ。これは闘いなんだよ、メアリー」(p100)入ってきたのも女流画家のメアリー。そんな闘いの場だったらドアに「入室禁止」と記すし、鍵をかけてもいい。
ま、そこらへんは小説。諦めるしかない。
いくらニューヨーク近代美術館で働いたことがあっても絵を描く現場はご存じないだろう。
また、ドガがあまりにも紳士である点にも疑問が残る。もともと私はドガを尊敬しているから、ドガが紳士であることに不快はないけどね。ドガの残した言葉などから考えて、そんなに聖人君子ではないようにも思う。
『エトワール』では、19世紀のバレーの踊り子は川端康成の『伊豆の踊子』のようなとても弱い立場だったと捉えている。こういう捉え方は2010年の横浜美術館のドガ展以降のように思う。もちろん私にはそういう主張を否定する気持ちはない。意欲もないし根拠もないし資料もない。探す気もない。

今日は25mプールに歩いて行く予定だったが、別の用事で行けなかった。インフルエンザの後だし、まだ行かなくてもいい。ウォーキングはけっこうやった。
天気:晴れ。

小説だと遅読でもない

『ジヴェルニーの食卓』(原田マハ・集英社)は4つの短編からなる。その最初の『うつくしい墓 Le bell tombe』を読み終わった。前半三分の二、いや四分の三が長い。マティスファンでもない限り、84歳の暮らしなんてどうでもいいと思ってしまう。もし『楽園のカンヴァス』(原田マハ・新潮社)を先に読んでいなかったら、途中で投げ出して原田とは永遠に再会しなかっただろう。
しかし、残り四分の一でドドッと来る。
私は別にマティス(1869〜1954)を深く敬愛しているわけじゃない。父もイマイチ押していなかった。
しかし、父の師だった画家の原精一は、絵を見ても一目でわかるけど、生涯マティスを慕っておられたと思う。また、長谷川利行(1891〜1940)はどこかで必ずマティスの本物を見ていると確信している。長谷川の原点もマティスだ。
私はこの2月10日のブログやホームページなどでも述べているように、強烈なマティスファンではないけど、十文尊敬できる画人だと思っている。当たり前だよね。
『うつくしい墓 Le bell tombe』はマティスファンにはたまらない前半だ。84歳のマティスの日常が事細かに綴られている。三人の女性家政婦に見守られながら、南仏で自由に創作を楽しむ大芸術家。本心、私にとってはどうでもいい。つまらねぇ〜〜〜。
長いんだよね。ほぼ30ページにわたって大巨匠マティスの死を迎える1年前の様子が描写されている。厭になって『世界の名画16 マティス』(中央公論社)の渡辺淳一の、さらにつまらない随筆まで読んでしまった。
だけど、最後の四分の一で泣かされる。書けるねぇ〜、原田さん。
次の短編『エトワール』は、わが敬愛するドガ(1834〜1917)、そして第三の短編『タンギー爺さん』ではセザンヌ(1839〜1906)、ゴッホ(1853〜1890)と来て、最後『ジヴェルニーの食卓』は無論モネ(1840〜1926)だ。もちろん、すでにドガを読み進めている。なんか楽しい週末になりそうだ。読書が楽しみとは珍しい。

今朝の体重は65.6圓世辰拭1親阿發靴討い覆い掘△韻辰海三食食べているのにおかしい。インフルエンザ減量かもしれない。
今日は久しぶりのマンション勤務で腕立て伏せや腹筋もメニューどおり消化した。ウォーキングも十分。疲れたけど気持ちいい。
天気:曇り、少し晴れ間も。
作品:F6「セレナーデ」
161216-6

わがアンリ・ルソー

アンリ・ルソーについて以前に『翼の王国』に寄稿したことがある。その本も見つからない。なんて書いたんだろう? 
……原稿が100円均一のA3ファイルに入っていた。
われながらいいこと書いてあるね。『楽園のカンヴァス』を書いた原田も私の『アンリ・ルソー』を読んで想を練ったのではないか、と思ってしまった。「色がきれい」「ていねいに描いている」は私のほうが先。「絵が生きている」はなかった。『楽園のカンヴァス』には「おもしろい」という評価が真っ先にあった。
ちなみに、私の『翼の王国』の『アンリ・ルソー』は2008年の12月、『楽園のカンヴァス』は初出が2010年9月号だ。だけど、『楽園のカンヴァス』には参考文献のページがあり、そのなかに『翼の王国』はなかった。残念でした。
それにしても、私の原稿はけっこう正確。よく書いてある。そのなかに私自身の想いもたっぷり盛り込んでいる。一般の人でもわかるように書いてある。テーマはヴァルールか、な?
それにしても、ルソーを褒めるのは骨が折れる。父が昔、竹橋の近代美術館にあるルソー『第22回アンデパンダン展に芸術家たちを参加するように招く自由の女神』を見て、「この空は簡単には描けないよ」と言っていた。まったく、あの空は見事。空を描くときはいつもルソーを思い出す。

今日までインフルエンザの安静日。昨日から熱は下がっているので買い物などはマスクをすればできる。明日の午前中まで外出はマスク生活。午後からマンション勤務に行く予定。今朝から冷水浴再開。ウォーキングは3000歩にも満たないと思う。致し方ない。
天気:晴れ。暖かい。南風が強い。きっと春一番。

『楽園のカンヴァス』を読む

昨日のティツィアーノ展(第3水曜日65歳以上無料)は諦めた。致し方ない。夕方になっても熱が下がらない。8度5分ぐらい。インフルエンザにしては高熱ではない。でも、もしかすると思って、ギリギリ6時45分に近所のクリニックに駆け込んだ。やっぱりインフルエンザだった。とても軽いとのこと。明日には治るけど、土曜日までは外出禁止。マンション勤務もできない。そっちの手配もやった。
成田クリニックという。とてもいい。いいけど混んでいて2時間とか3時間待ち。だからここのところずっと行ってなかった。やっぱり成田先生はいいね。昨日だけでもう来なくていいとのこと。薬も出さない。
熱は下がったけど、寝てばかりいるから腰が痛くて困る。もう限界。寝るのは休止だ。

『楽園のカンヴァス』(原田マハ・新潮社)を読み終わった。熱ボケの頭で読んだので、しっかり読めたのか妖しいけど、とにかく読み終わった。面白かった。おすすめ。だけど、絵の好きな人でないとわからない部分も多いのでは。また、アンリ・ルソーを理解できる人も多くないと思う。私自身ルソーはとてもきつい。小説の終わりごろに主人公の娘が口にする「色がきれい」「ていねいに描いている」「(絵が)生きている」この三つで精一杯。ま、この三つで十分だけどね。

今日はインフルエンザ待機日なので、ほとんど散歩もせず、もちろんプールにも行けない。腰が痛くなるので、なるべく寝っころがらないようにした。明日も同じような日長な一日になりそう。天候は今日も明日も4月上旬とのこと。家に居るのも辛い。
天気:晴れ
作品:F6「午睡」
161216-6b

インフルエンザに罹る

本日軽いインフルエンザになってしまった。明日もお休み。
もちろん冷水浴もお休み。
それにしても、病気になるとよく寝るね。
天気:晴れ

美について

今朝の体重はとうとう65.9圓砲覆辰討靴泙辰拭20歳代前半の65埖罎貌容した。昨夜プールから帰ってきて、ほとんど食べなかったからだ。
『楽園のカンヴァス』(原田マハ・新潮社)を読み進めている。さすが遅読の私も小説だからテンポが速い。

今朝はfine artのfineは「美しい」ではなく「冴えている」などという意味ではないか、とずっと以前に言ったことを思いだした。ではフランス語のbeaux artのbeauはどうか? これは文句なく「美しい」でしょ。やっぱり「美術」という訳語は妥当かもしれない。というかとっても適切。
で、私の「美も美術もない」という説は破産したかというと、きっとおそらく関係ない。昔の絵や彫刻は宗教と密接につながっていて、言ってみれば宗教の宣伝部が独立したのが美術。だけど、昔の宗教美術が最高であり、近現代の美術はギリシア彫刻や仏像や宋元の水墨画やルネサンス美術を超えているとはとても思えない(見ていないが、この前の日曜美術館の青磁の話はそういう類だと思っている=19日の夜、再放送を見る予定)。つまり「美を創造する」という観念が間違っているのだ。そんなことはできない。
じゃあ、無宗教の人間はどうするか。生を喚起するしかない。生を賛美するしかない。絵に限らず、歌も文学も生の肯定者であるべきだ。宗教の目的もそこにあると思う。理屈で考えれば、生は不条理だからだ。しかし、何が何でもわれわれは生きなければならない。生は理屈じゃない。
とにかく1万歩、1万枚、1万円(これは語呂合わせ)である。どっかに落ちてないかなぁ……。

今日は非番で風邪気味。でも図書館、歯科、スーパーという大散歩をして1万歩を超えた。仮眠もたくさん取った。薬はなし。明日ティツィアーノ展に行きたいから今晩ルルを飲むかも。

天気:晴れ
作品:F8「希望」
161223-8
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