イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

私の企み

(土曜日)
この前は風邪のひき始めにプールに行ったのがいけなかった、らしい。でも泳がないと喘息になる。痛し痒しだ。身体はとても泳ぎたがっている。なんとか明日は泳ぎたい。風邪がぶり返しても困る。11日から13日まで宮崎や熊本に行くので、かぜっぴきではつまらない。
12月になると、テレビでは音楽番組ばかりだ。若い人の音楽はどれも似たような感じ。踊りもとても巧い。よく練習している。元気がいい。芸能界は男女の恋愛関係などいろいろ噂されているけど、音楽自体はとても健全に見える。絵画界もああいうふうに元気になれるといいと思う。若い人がガンガン自由に描いてそれがお金に繋がるようなシステムが欲しい。印象派展もお金が稼げるシステムとして始まった。
それが簡易画集で実現できないかと私は企んでいるのだ。音楽CDみたく簡易画集が売れないかな、と期待している。音楽CDみたく何十万枚も売れなくてもいい。数千点売れれば絵描きは十分生活できるのではないか?

今日は午前中に孫の保育園に学芸会を見に行った。
腰も治って、風邪もほぼ抜けた感じだが、なんか油断できない。
天気:晴れ

ああ、イノシシ

(金曜日)
風邪が残っているので、ムチャクチャ寝坊しようとしたが、あまり寝ていると腰が痛くなる。また、まったくやることがないわけでもない。金曜日の朝はブログとホームページの『唇寒』を書かなければならない。誰に頼まれているわけでもないけど、ブログやホームページはコンスタントに更新し続けなければいけないと、どこかに書いてあった。そう言えば、クレサンキャンバスのホームページは固まったままだ。配送料がわけわかんなくなったので、ますます更新するのが面倒。正月休みに腰をすえて挑戦してみるか。
ああ、その前にイノシシの絵を考えなければならない。12年前は2〜3匹のウリ坊を連れて走る母イノシシだった。同じ絵でいいような気もする。イノシシって走っているイメージしかない。寝そべっているイノシシの彫刻が有名だけど、あんなリアルなイノシシは無理だし、楽しくない。

というわけで今日は風邪の養生をした。散歩だけは最低限はやった。
夜はホームページを更新。『唇寒』のテーマは絵のなかのその他の大部分について。
天気:晴れ
作品:F4「馨」11月24日付ホームページのヘッドにアップした絵。
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文化の土壌

(木曜日)
昨日の夜、日曜美術館の『ムンク』を見終わった。ニーチェ像のバックなど絵具が垂れていた。そういう効果を狙ったとも思えない。けっこう乱暴な感じ。で、ムンク(1863〜1944)自身はその絵を大満足していると語っていた。ムンクの時代はまだ精密なアカデミズム絵画が十分幅を利かせていた。そういう時代にあんな速筆の絵に大満足するって、どういう意識なんだろう。ムンクはもちろん社会的にも認められていたわけで、そういう文化の土壌も羨ましい。日本はレベル低い。日本でも高いところでは高いのだが、全体的には低レベル。ヨーロッパのほうがなにか本当のものに目を向けようとする意識がある。日本でも女性は大きくて自由な目を持っている傾向がある、ような気がする。文化を下支えしているのは女性かもしれない。それも年配の女性かも。この辺も私と石原元都知事とは意見が異なる。

今日はプールに行く日だったが、風邪が残っているのでやめた。
天気:雨のち曇り

やっぱ行くかも

(水曜日)
ムンク展は1981年に竹橋の近代美術館で盛大にやった。今回のよりメジャーな《叫び》も来たし、私がイチオシの《思春期》も来ていた。私はカタログを持っている(以前は普通にカタログを買っていたんだなぁ〜)。そのときも晩年の大作が大量に来て、広い会場を埋めていた。そのときの印象はムンク(1863〜1944)の晩年はつまらない、と感じた。で、今回のムンク展も行かないことにしたのだと思う。ヨーロッパではロンドンのテート・ギャラリーで見た《病める少女》が強く印象に残っている。1981年のムンク展には来ていない。今回は来ているらしい。やっぱり見に行くかも。

今日は孫娘が風邪をひいてしまい、私自身の風邪(ほぼ治っていた)は隠して7時間以上一緒にいた。風邪で元気がないから全然遊べなかったけど、なんか豊穣な1日だったなぁ〜。
天気:曇り。
作品:F0『バラ』
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東洋的で新しい

(火曜日)
絵描きはいろいろなことを考えて絵を描く。でも時代とか状況は個人ではいかんともしがたい。われわれはどうにもならない枠とか檻の中にいるとも言える。手の打ちようがないんだから気にすることもない。その枠のなかでは自由なのだ。
しかし、自分が日本人であるとか核の恐怖のもとに暮らしているなどということは、これはわたし個人ではどうにもならない。核の恐怖からは頑張れば抜け出せるのかもしれないけど、政治運動をやってもそこから抜け出るにはあまりにも遠い。トランプさん相手に銃の恐ろしさを説かなければならない。銃がなければ安全だというバカバカしく当たり前な真理を説くだけだけどね。あっちは銃がなければ危険だと思っているんだから話が噛み合うはずもない。
ま、何はともあれ21世紀初頭に生きる日本人という枠からは逃れられない。
たとえば、自分の絵をモネなどと比べるとつくづく東洋風だなぁ〜と思う。それは悪いことではない。東洋人が描いているのだから、画材は洋画材でも絵は東洋でいいと思う。いいとか悪いといの問題でない。また、自分の絵は新しいとも感じる。私は別に新しい絵を描こうとはしていないが、ルーベンスやレンブラントと比べたら当たり前だし、ドガやルオーと比べても新しいと思う。新しがっているわけではない。新しくなっちゃう。生きている時代や場所が違うのだから当たり前だ。
これは巧い下手の問題とも違う(そういう問題はかなりある気もする)。
世間の画家は「新しさ」の創造にかなりのエネルギーを使っている。わざと頑張っている。これは虚しい努力だと思う。バカバカしい。で、結局新しくもなんともない陳腐なものが生まれている。たとえばモーターでグルグル回るアートってかなり古臭いよね。光を色ガラスに当てて音楽に合わせて動かす方法も大昔からある。なんか新古い感じなんだよね。
では、画家はどこにエネルギーを向けたらいいのだろうか?
じーっと考えるとどこでもいいような気もする。もちろん「新しさ」でもいいし、グルグルアートでもいいのか? やりたいようにやりゃあいいのだ。
私だって、キャンバスに筆で線を引いたり塗った食ったりしたくてやっているだけだ。偉そうなことは言えない。

今日は22年物のカローラの登録に立川の陸運局に行き、午後から昭和記念公園に行った。な、なんと駐車料金820円。午後4時30分で閉鎖。午後2時過ぎから入ったから2時間ちょっとだけだ。国営でこの料金はない。別に入場料も必要。
これで売り絵は描いちゃダメって言っている奴はどこのどいつだ!
描き始まっちゃえば、売れようが売れまいが関係なく、とにかく5枚描いたけどね。乱暴な絵だ。でもムンク(1863〜1944)の晩年の絵もかなり乱暴に見えるよね。
天気:晴れ。夜遅くから雨。

結局ものが勝負

(月曜日)
『ティッピング・ポイント』(マルコム・グラッドウェル/高橋啓=訳・飛鳥新社)は三分の一以上読み終わった。今は第3章。爆発的に物が売れるには物の質が大切という、当たり前と言えば当たり前の話。どうしても話はそこに落ち着く。結局物がよくなければ売れないのだ。物がよいのは大前提。ただし、おいしいレストランなのにはやらないとか素晴らしい本なのに売れないとか、そういう不条理がないように『ティッピング・ポイント』はアドバイスしている、のではないか。
そうなると、絵の製造元たる私は結局いい絵を描くしかないわけで、今までどおりヒーヒー言って描くしかない。本当に魅力的ないい絵とはどんな絵なのか。そこに尽きるわけだ。
とにかく『ティッピング・ポイント』は最後まで読んでみる。
そうなって来ると、自分の絵よりクレサンキャンバスを売りたいね。クレサンキャンバスは本当によいキャンバスだもの。でも高額だからなかなか売れない。良い品が高額なのは当たり前だ。それじゃあ、つまらない。よくて安くなければ話にならない。ブロックスの絵具と画溶液だっていいのは重々知っている。でも、高額で買えない。ベルギーに行けば安く買えると思う。
お上のお墨付きじゃないけど、私はクレサンキャンバスの販売をさせてもらっている。最近はさっぱり売れないけど、もっと頑張って売り出すべきなのかもしれない。現状は営業努力ゼロだものね。

昨日より声が出るようになったが、まだ洟と喉が不調。安物のティッシュペーパーを使いまくっている。
天気:曇り
作品:F4「パンセ」
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いい人論

(日曜日)
11月29日のこのブログに「偉い人は偉い」と書いた。私自身もちろん偉い人ではない。だいたい偉い人は子供のころから優等生スポーツ万能でなければならない。私はクソ餓鬼だったし、スポーツも鳴かず飛ばず。まったく偉い人の資質に欠けている。
ではいい人か?
これもかなりあやしい。少なくともいい人でありたいとは思っている。孫もいる関係でこの歳で極悪人にはなれない(孫に関係ないか)。
管理人は一人勤務なので、見回りのときに小さなゴミは拾わなくても誰にも怒られない。1回通過することはよくある。やっぱり戻って拾うけどね。その程度の人間だ。もちろんお釈迦様やイエス様からはまったく無縁というほど遠い。
方向性としていい人でありたいとは思う、けどね。
お釈迦様は、向うから女性が来たら見るなと教えた。見てしまったらしゃべるなと言った。しゃべってしまたら触るなとのこと。不正確かもしれない。これでは人類は繁栄しない。私もなるべく見ないようにしている。向うから菜々緒みたいな抜群のプロポーションの女性が来たら見ないでいられるだろうか? ぜってぇむりぃ〜〜〜。
M氏が言った。いい人が描いた絵がいい絵なのだ、と。これはむずかしい課題だ。

今日は腰も膝も踵も快調だったが、風邪が抜けず声が変だった。本人としては見た目ほど苦しくない。
天気:曇り

わからないものはわからない

(土曜日)
昨日はウォーキングも少なかったし、25mプールもお休みなので、とても運動不足、な感じ。ま、たまにはお休みも必要だろう。クロッキー会ではほとんど立っているから相当な運動量かもしれない。しっかり食べてしまうので1キロ増量した。とにかく食べると肥る。しかし、夕方から夜にかけての食欲って無限だよね。それに対して朝はまったく食べたくない。食べたくないので普段は11時ごろまで食べない。しかし、用事があるときは食べておかないと心配。マンション勤務や絵画教室、クロッキー会のときはちゃんと食べる。拘束されているときに空腹になるのは惨め、と思い込んでいる。
数日前の新聞に松井孝典と山極寿一の「進化とは何か?」という対談が載っていた。千葉工業大学の全面広告だ。山極はゴリラの研究者だから進化の専門家だけど、松井は宇宙と人間の関係などを研究している、はず。だいぶ前に少し読んだ。石原新太郎が都知事の頃、おばあさん不要論で松井を引用していた。私の読んだところでは、松井はおばあさんが孫の世話をする人類のシステムが人類に繁栄をもたらしたと主張していたはず。石原は物凄い勘違いをしていると思った。
で、対談だけど、対談とは言ってもほとんど平行線。松井の話はよく分からない。宇宙全体が進化しているとか、この宇宙以外のたくさんの宇宙とか、時間の経過の話など別世界に思考を飛ばしている。私も一時期宇宙に凝ったけど、わからないものはわからない。今は星空を見るぐらい。見ると言っても適当だ。あの明るい星は赤いから火星だべ、程度。松井先生はずっと頑張っているんだ、と思った。

今日はマンション勤務の後で25mプールに行った。全運動を消化した。少し風邪気味だが、泳いでおかないと喘息が出るから致し方ない。
天気:晴れ
作品:F15「バラのある室内」:この絵を初めに描いたが、右側の処理がわからないまま10号に移った。
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もうすぐセレブかも

(金曜日)
このブログの「拍手」というのは一般の「いいね」のことだと思う。私のブログの「拍手」はほとんど毎回ゼロ。半分ぐらい1。もちろん全然気にしないで書きたいように書かせていただいている。ところが、1か月前ぐらいから「拍手」が20以上のときがある。何を述べたから20になったのか? くれぐれも私自身が自分で「拍手」と打ったのではない。アクセス数とか「拍手」はある程度ないと寂しいけど、私の場合アクセス50前後が妥当。50人の方が読んでくださるなら十分満足である。そう言えば、アクセス数もときどき200とかになる。あれはきっと誰かが過去のブログを読んでいるときだ。私自身も自分の過去のブログをよく読む。とても意見が合う。本人だから当たり前だ。
本は『ティッピング・ポイント』(マルコム・グラッドウェル/高橋啓=訳・飛鳥新社)に入っている。なかなか進まない。内容は興味深い。グラッドウェルの最初の著作だと思う。この後『第1感』と『天才』を出版した。私は『第1感』、『天才』と読んで、最初の『ティッピング・ポイント』に戻った。普通こんな意味不明なカタカナの本は読まない。『第1感』がまあまあで『天才』は私と同じ意見だった。イッキ描きにとても近い思考。で、『ティッピング・ポイント』も読んでみるか、ということになった。内容は物流が急激に広まる秘訣が書いてあるらしい。秘訣をマスターし実践すれば、ついにイッキ描きがブレイクするかもしれない。晩年の私もセレブかも。

今日はクロッキー会だった。そのあと歯科に行った。なんか疲れる。
夜はホームページをアップした。『唇寒』のテーマはムンク(1863〜1944)。
天気:晴れ

偉い人は偉い、のでは?

(木曜日)
NHKの『西郷どん』を見ていると、西郷隆盛(1828〜1877)はとてもいい人ということになっている。いっぽう、こういうのを疑う人が必ずいる。
宮本武蔵(1584〜1645)なんか、もともと剣聖という評価なんだけど、山本周五郎とか司馬遼太郎など多くの人が疑いの目を向けた。
ヨーロッパの偉大な画家にもいろいろな見方がある。
ミケランジェロ(1475〜1564)が稀代の臆病だったとか、同じミケランジェロでもカラバッジョ(1571〜1610)のほうは決闘で人を殺したなど。ま、カラバッジョの場合はかなり本当らしい。そしてみんなホモだった。ま、ホモは関係ない。特に最近は性のあり方は自由だという風潮。
印象派の多くの画家も梅毒?
そういうマイナスの評価ってどうなんだろう?
ここ2〜3日、そのことを考え、あんまり素直に尊敬するのもバカだけど、歴史に名を遺した偉い人って本当に偉いんじゃないか、と思うようになっている。
ミケランジェロが臆病というのは命を惜しんだのであって、大理石に向かったときは寸毫も臆病風はない。大胆不敵。ガンガン踏み込んでいる。彫刻界最大の勇者である。
子供のころから聡明でスポーツも抜群。みんなから好かれる。そういう人が懸命に努力して偉くなったんじゃないか? 
もちろん、歴史の闇は深く、本当のことはわからない。
ただ絵だけ見て画面勝負で見るしかない。今やっているルーベンス展の最初の自画像がルーベンスの真筆ではなく後の人の模写だという話。模写説は信じがたいけどね。それほど素晴らしい筆触、という印象だった。ああ、もう一度見たい。
現在生きている人でもわからないことだらけ。トランプ大統領の知能は小学5年生並みと誰かが言った、と新聞に書いてあったけど、そんな知能であんなに大金持ちになれるか? 第一アメリカ合衆国の大統領になれるものか? ゴルフもとても巧いらしい。ゴルフも頭を使うと思う。
素直に不思議だ。

昨夜は喉が痛かったが今日は治っていた。油断できないが一安心。腰はほぼ回復。しかし危うい感じ。
天気:晴れ
作品:F10「室内」昨日描いた最新作
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