イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2006年04月

意識の解明

この前NHK教育テレビを見ていたら、岩波ジュニア新書の『進化とはなんだろう』の著者の長谷川真理子先生が出演なさっていた。
「はは、こういう先生か」と納得した。
少し前に養老孟司の『考えるヒト』を読み終えた。最後のところは「哲学とは何か?」に答えていた。
つまり、意識の問題。
33億年前に無生物から突然生物が生まれた。それから32億9千350万年経った650万年前、アウストラロピテクスが登場した。最初の人類だ。それからどれぐらいだかわからないが、おそらくネアンデルタール人ぐらいか? もっと前か、30万年とか50万年前ぐらいか? とにかく突然意識というものが人の心に現れた。
人は死ぬことを知っており、死を怖がる。自我だか自意識だががあって見栄を張ったり恥ずかしがったりする。これが不思議なのだ。いったいこのメカニズムはどうなっているのか。脳の中をいろいろ調べればわかるのか? 養老先生の話ではそのうちわかるかもしれないという。それが解明されれば全人類が幸福になれるはずだが。
天気:晴れ

コメント中止

今日からゴールデンウイーク。
とは関係ないが今日からブログのコメントを中止する。申し訳ありません。コメントはメールにください。せっかく公開メールになって女性からのコメントが増えたのに、気持ち悪いコメントが多すぎるから止めます。それにしても、あんなコメントにひっかかる奴いるわけないのに、無駄な努力をするものである。だから中止にするしかない。悪い奴が一人いると楽しいことがどんどん減る。シクシク。有料ブログにすればいいのかもしれないが、手続きが面倒だからこのままで行く。また、ライブドアも危なっかしいサイトだが、面倒だからこのままで行く。ま、いいんじゃないの。ライブドア株なんて全然持ってないけど、というか株なんて一切持ってないけど、ライブドアはいまが買いかも。
天気:曇りときどき小雨

ドイツの女流画家

今日は芹が谷公園に行った。だから町田市立国際版画美術館に入った。いつもこのアトリエで裸婦を描いている。だからしょっちゅう来ているが、今日は散歩に来た。

企画展は「ケーテ・コルヴィッツ」というドイツの女流画家。彫刻もいい。涙が出てくる。戦争で子供を失っている。それを絵にしている。ふつう描けるものではない。泣いているだけだ。思い出したくもない。それを繰り返し描いている。敗戦国ドイツの庶民はやはり物凄く苦しんだのだろう。

フランスのボナールとほぼ同時代の画家だが、ボナールのような平和な感じは全然ない。苦しみと悲しみの素描、彫刻、版画だった。見ているだけで息苦しくなる。

若い頃の作品はロダンに似ている。ロダンの影響は大きいと思う。カリエールの感じもある。そう言えば、上野の西洋美術館ではロダンとカリエール展をやっている。晩年の木版画はムンクにも似ている。少しムンクのが先輩なので、影響があったかもしれない。

600円の散財。借金の神様、お許しください。安いと思う。

いま『美術家になるには』(村田真・ぺりかん社)という本を読んでいるが、若いみなさん、個性を出すのにとても苦労なさっておいでのようだ。このコルヴィッツも初期のころはロダンの影響を受けているが、2つの世界大戦の敗戦を経験して、独自の世界となっている、ならざるを得ない。

芸術の独自性というのは頭で考えてできるようなチャチなものではないと思う。

今朝は早起きをして牡丹を描いた。

天気:晴れ(滅多にない好日)

宇宙座標

060427

星の巡り合わせというのはあるかもしれない。

前にも述べたが、わが地球は物凄いスピードで宇宙空間を移動している。地球が太陽の周りを秒速30km公転しており、太陽は太陽系を引き連れて銀河の中心(=天の川)を秒速250kmで回っている。また、銀河全体も秒速600kmで動いているらしい。

すなわち、宇宙座標ではわれわれは瞬時として同じ場所にいない。高校時代に自転車で転んだあの街角は二度とないのだ。もちろん、今もその街角はある。しかし、人も往来も40年前とは全然違う。流行っていた歌もちがう。宇宙座標ならまったく全然別の場所だ。何億km(もっとかも=いい加減)も離れている。

「明治は遠くなりにけり」と言うが、昔への郷愁は本当に不思議だ。考えてみれば、平安時代の和歌にもそんなのがあった。大昔から宇宙座標のことは、体験的に知られていたのだと思う。そして、ハッブル宇宙望遠鏡をもつ現代でもそういうことに無頓着なやからが多い。ま、これもまたけっこうなことだ。

今日は小田急の画商さんが来た。

天気:曇り時々雨

金じゃないとなると?

060426

株で儲けてニューヨークに行ったご夫婦の映像がテレビに映っていた。とても嬉しそうな奥さんの顔。

ここで考えた。

一般には、この状況だと、自分も株をやって儲けてどこかへ行こう、と思う。だが、このテレビの一連の画像の中でもっとも重大なのは「嬉しそうな奥さんの顔」である。この顔になれれば、株もお金も旅行も関係ない。嬉しそうに満足できる顔が目的だ。とりあえず私なら絵を描いているときかも。けっこう苦々しい顔をしているが。

これは随分前に思いついたのだが、重大なのは陶酔なのだ。麻薬はいけない。セックスはいいかもしれない。お酒も少しなら悪くないかも。風呂も一手段。多少高級なのがスポーツ。けっこう骨が折れる。瞑想なんていうのもある。

うちの娘は電子機器会社の営業をやって一年経つが、毎日12時ごろ帰宅して朝6時には起きる。物凄くハードな生活だ。この会社の経営者はかなり馬鹿だと思う。これでは人も育たず、当然会社も育たない。長続きしない。無駄の連続だ。それはともかく、娘がこういう仕事を少なくとも一年続けているのは、きっとどこかに面白みがあるからだろう。達成感? これも陶酔か? とにかく仕事の面白さは当人でなければわからない。もちろん休日ごとに明日にも辞表を出す勢いであることは全国の全サラリーマンと変わらない。

と言うわけで、世の中、金ではない。陶酔なのである。

天気:薄曇

だからなんだっつーの?

洗濯機の音が聞こえる。昨日妻が豊橋から帰って来た。母の介護だ。今日から炊事洗濯をしなくてすむ。娘のパンツを干さなくていいのだ。あれだけは勘弁してもらいたかった。

朝日新聞では「折々のうた」がまた始まっている。現代人の歌がほとんど。ときおり江戸時代の人の俳句なども入る。読むと胸にキュンと来る。この前ドガのデッサンを見たときにもキュンとなった。「君に胸キュン」ではなく「ドガに胸キュン」だ。

養老先生によれば、これはもちろん胸がキュンとなるのではなく、脳の一部が反応するのだ。脳髄の奥のところにグッと来る。

現代の和歌や俳句は読んでも「だからなんだっつーの?」と言ってしまう。「春が来た」というような内容の歌だ。「だからなんなんだ。春は毎年来るよ」と言いたくなる。状況を読め、とか見たものをそのまま歌にしろとか、正岡子規? いい加減に目覚めろつーの。ダメだ。吟行(俳句旅行)なんてやって、みんなでゾロゾロ。いい句ができるわけないだろ(ちょっとわが絵画教室を思い出したりして=いえいえ、わが教室は大丈夫である)。 しかも、この言い回しがどうだとか、この語句はこう変えたほうがいいとか、アカデミック! バカデミック!! 語句変える前に人間変えろよ! 脳みそ変えろ。あんたの歌、面白くないの! 紙と鉛筆がもったいないつーの。

だって、作家が句の外にいるもん。昔の人の歌は歌人が歌の中にいる。最近のヤツの歌はみんな傍観者。着流しかなんかで偉そうに風景を見ている。ふざけるな。

サザンの桑田は歌の真っ只中で叫んでいる(だからいい)。

モネも風景の中にいる。シスレーもターナーも。最近の風景画には作家がいない。写真見ながらグジグジ描いているからだ。まともなのは私の風景ぐらい。情けない。

天気:晴れのち曇り

絵を買う人2

少し前に、「絵を買ってくれる人」という話をした。

よく考えてみると、あの話はまったく私の側の話だ。絵が描きたい、絵ばかり描いて暮らしたい、絵を続けたい、という私の身勝手な欲望が書かせた話である。

買う人の立場なら絵が必要なのだ。必要だから買うに決まっている。私が絵を描きたかろうが続けたかろうが、そんなことは関係ない。欲しい絵だから買うのだ。当たり前である。買う人は私の親ではない。私に義理もない。私の絵はものによってはハイビジョンテレビより高いのだ。わが息子なら私の絵を買った人に「頭イカレテル」と言うだろう。

絵は出来てしまえばモノである。作品なんていう。しかし、お金で買える以上商品である。商品とはちょっとちがうから(全世界にその絵一枚しかないから)、「作品」なんて上手い名前をつけた。

とにかく、私は本当に買いたくなるような絵を描くしかない。自分の描きたい絵でしかも買ってもらえる絵だ。もちろん、いい絵が売れる。気の抜けた絵は絶対に売れない。第一私の絵を買う人はみなさん物凄く厳しい眼の持ち主だ。よく絵を知っている。絶対に油断は出来ない。

天気:晴れ

線のスピード

今朝の新聞のテレビ版で日曜美術館が絵巻の傑作を見せてくれるというから点けてみた。相変わらず不満がいっぱいの番組だが、鳥獣戯画を模写している場面が映った。トレースしている。筆の根元を持って丁寧にゆっくりなぞっている。「ああ、あんなスピードじゃないだろ!」と嘆いていた。番組の終わりのところで手塚治虫が登場した。自分流に筆でウサギを描いた。その筆のスピードが重大なのだ。あれは手塚でなければ描けない。もちろん鳥獣戯画とは全然違う絵だが、描法はずっと近いはず。

マンガと絵画はちがう。手塚治虫は画家ではない。絵の目的が違うからだ。漫画家の目的は説明である。状況がわかりやすい絵が望まれる。純絵画は絵画そのものが目的だから全然ちがう。

ここのところのわかりやすい話はドガの逸話。

パスカルの『パンセ』に「芸術とはなんとむなしいものなのだ」とある。これに対してドガは「この空しさそのものが芸術の偉大さなのだ」。絵描きは自分がドンキホーテだと知っている。そこがマンガとはちがう。

ちなみに、このパスカルの言葉は断章番号40(講談社文庫版)「原物には誰も感心しないのに、絵となると、事物の相似によって人を感心させる。絵というものは何とむなしいものであろう!」だと思う。

今日の夕方は車で金井画廊へ行った。蔡国華素描展を見て、蔡さんと倉田さんにあった。

天気:曇りのち雨

不調脱出か?

今日はクロッキー会。今夕方の5時だが、まだ、今日の絵は見ていない。毎回こんな調子で1週間放っておくこともある。火曜日に小田急町田の画商さんが見えるので、今日はこれから見る。昨日の葉山の風景も見てみる。

今日のクロッキー会の感触はよかった。不調脱出かも。

と打って、日本水泳の放送時間だと気がついた。

ブレストの北島、自由形女子の柴田、ともに不調。私の絵はおそらく不調脱出。しかし、当分お休み。牡丹、芍薬、バラが咲くまで待つ。キャンバス張りと地塗りに励む!

天気:晴れ

昼下がりの葉山

今日は葉山へ行った。小田急町田の個展は7月末なので夏らしい風景があれば、とのことで「ハイ、ヨットハーバー」。これは裸婦より金がかかる。往復のガソリン代が1000円以上2000円未満。駐車代が高い。あの辺はシーズンオフは一日500円なのに、葉山のヨットハーバーだけは時間制。しかも県立の駐車場だ。この行政改革、規制緩和、なんでも民営化のご時世ですぞ、もっとご考慮を。本日は3時間で900円余り。そのうえ、荒天のため、防波堤は立ち入り禁止と来た。そんなアホな!

帰りにラーメンを食い、これが735円。味のことは何も申しません。この食堂からは海の向こうに富士山が見えた!(これはラッキー)

高速代が往復で1800円。労賃なし。

絵はどうか?

何と言っても絶不調の真っ最中。おそらくきっと多分ボツばかり。

F20、P20、F10、F8、F6、F4、F4、SM、F0と9枚描いた。

ああ、楽しかった!(ハイ、ヤケクソです)

天気:晴れ、風あり。

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