イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2006年09月

キャンバス張りで暮れる

5a10de19.jpg今日は4号以下の小さいキャンバスを大量に張った。目標は40枚だったが、30枚で挫折した。タックス(キャンバス釘)がなくなったからだ。もちろん、どこかにストックはある。引越しで行方不明。だいたい毎日探し物ばかりだ。・・・と、キャンバス釘は見つかった。
しかし、そのときは日も暮れ(外で張っている)、左手も腫上がった(プライヤーを握るので)。
30枚張れたからよしとする。今日はキャンバス張りの最終日なのだ。明日から雨になる。わがクレサンキャンバスは雨だと張れない(駄洒落ではない)。
そして、1日、マチス展搬入。4日、絵画教室。7日9日と連続でクロッキー会。またまた11日絵画教室。16日から豊橋展が2週間入るので、10月前半に町田のイベントを押し込んだ。
地塗りは雨でも出来る。今の季節だと6日で乾く。ちなみに大き目のキャンバスはほぼ揃っている。
で、昨日の残りの額装も済ませ、車に積み込んだ。
また画廊通いの辛いお勤めが始まる。10月はほぼ1ヶ月続く。
作品:水彩裸婦3
天気:曇りときどき晴れ

額装に悲鳴

朝ブログを書くとその日の出来事が書けない。夜になると、みんな帰ってきて家の中がうるさくなる。このパソコンはリビング(と言える状態ではないが、今のところ)にあるから、テレビがとてもうるさい。パソコンをリビングに置くな! っつーの。
だから、9割朝書いて残りを夜書けばいいのだ。わかっちゃいるけど出来ないんだな、これが。と、今はまだ朝。
人の話で「これが面白いんだな」と言われて、聞いてみて面白かったためしがない。話している人が独り面白がっている。こっちはだいたいが苦しい。特に「あの人の絵がいいんですね」と言われ、その人をこっちは全然知らない場合、いくら口で説明されてもわからない。死にそうになる。後でその人の絵を見てみて、がっかりしたときは殺意が湧く。また、そういう無駄な説明に限って物凄く長い。
今日は水墨裸婦の額装をした。あまりに大変なので、金井画廊の金井さんを大いに尊敬した。だって他人の絵をいつもいつも額装しているんだから。あたしゃ、自分の絵でもうんざりだよ。
天気:曇りときどき晴れ

パレットを削る!

80e03f11.jpg今日は午前中に版画美術館の公園(芹が谷公園)に花を描きに行った。前から何度も描いた花。今日初めて名前を聞いた。センニチコウ。20号から描いて、F8,F6、SM、FOと進み、モノになったのはSMだけか? 
午後は地塗り。
そのとき数年ぶりにパレットの絵具を削った。物凄い量の絵具の山。パレットが軽くなる。それを収める絵具箱も当然軽くなる。やっぱりパレットは毎回掃除しなきゃいけない。ちゃんと筆も洗おう! そう言えば、今朝は筆を忘れてしまった(スペアがあるから大丈夫だが、かなり描きにくい)。
ところで、午前中の空は素晴らしかった! みなさん、見ましたか?
作品:水彩裸婦2
天気:晴れのち曇り

町田マチス展の絵

金井画廊で水彩や水墨裸婦を飾らなくなってから4〜5年は過ぎる。もちろんその間も描いている。ざっと計算すると1500枚ぐらいになる。このなかから10点選べと言うのが、今度の町田のギャラリー・マチスからの指令だ(実はそれほど大袈裟ではない)。とにかく、絵の絶対価格を低くせよとのとこなので、油絵なら小品。他には墨絵か水彩、またはデッサンということになる。ま、ざっと20点掛けられる(ギャラリー・マチスは小ぶりな画廊だ)ので油彩の小品を10点、墨絵や水彩を10点と考えた。
数年間の1500枚の中から、これなら額に入れて飾れるだろうという絵を10点選んだ。お近くの方は是非ご覧ください。
天気:雨のち晴れ

炊くほどに・・・

2b28544b.jpgどうして生きているのか、本当に不思議だ。
ずっと食えなくなりそうなのに、危うくなってからもう15年以上生きている。今年の8月で絶対に終わるはずなのにもう9月末だ。ちゃんと家賃も払っているし借金も返済している。
「炊くほどに/風が持ち来る/落ち葉かな」
と良寛様が詠んだというが、そういうことなのか。
前の絵画教室のGさんは入会が80歳を超えていたおばあちゃんだった。先年優に90歳を超えてお亡くなりになった。その方が「先生、生きられるものですよ。世間が生かせてくれるんですよ」とおっしゃっていた。こっちは切羽詰っているから「てやんでぃ。なわけねぇだろ。(クソ婆あ、とまでは言わない)」と思っていたが、ここまで来ると「ほー、そういうものなのかなぁ」と感じ入ってしまう。
現状では10月末まではなんとかなり(個展もあるし死ねない)、個展で絵が売れれば、年内は持つかも。だから、ここ1週間ぐらいの間に目を見張る傑作を描かねばならない。今でも「こんないい絵を描く絵描きは他にいないだろ」と思うのだが、世間は頷いてくれない。
ところで、丹波哲郎が死んじゃった。いい江戸弁だった。やっぱ『丹下左善』と『三匹の侍』かな。『砂の器』もよかったね。
「俺が斬るんじゃねぇ。この乾雲丸が斬るんだ」
あのイントネーションは本物の江戸っ子かも。私の父と同じ歳。惜しむ惜しむったって、そろそろ休ましてあげなよ、と言いたくなる年齢(84歳だっけ?)だった。
作品:水彩裸婦1
天気:曇りのち雨

060925
話を戻すと、ギリシアのリアリズムはオリエントからインドに至り中国へと伝わった。リアリズムとは直訳すれば現実主義。目の前の現実をそのまま写すということだ。しかし、実際にはそのまま写してはいない。目の前の対象(たとえば女性像など)を見た感動を写している。目の前の写したい対象(たとえば美しい花などでも)に迫ろうとする自分の姿勢なのだ。瞬間を写し取ろうとする意欲とか情熱とか、そういうポジティブな方向性。そういう作家の心意気なのだ。それがリアリズムの魅力だ。写実の命だ。ただ見た通りを機械的に写した作品には魅力がない。写実は作家の情熱の方便に過ぎない。むろん重大なのは情熱のほうだ。ここが、われわれがギリシア彫刻に惹かれる所以なのだ。
この精神を真っ先に掴み取り、わが物としたのが東洋人だった。インド人であり中国人だ。ローマのギリシア彫刻の模刻はローマにいたギリシア人作家が作ったと聞く。ローマ人はギリシア彫刻を理解したが、その造形精神を引継ぎはしなかった。
その精神を受け継いだのはわれわれ東洋人の祖先だった。
天気:晴れときどき曇り

絵画のリズム

dd9317f7.jpg絵画のリズムとは明暗のバランスだ。白と黒の場所と分量。これは基本的には市松模様だと聞いたことがある。すなわち、正方形が交互に並ぶ模様だ。ま、これは結果論で、われわれ具象画家は黒のポイントをどう置くか、最後に決める。実は私の場合は最初に決まってしまう場合も多い。最初の数十秒で決まってしまう。これがイッキ描きだ。それに、私は黒は使わない。黒っぽい色は黒ではない。
描く側から言えば、いつも形に添って描く。風景なら水平線、裸婦なら身体の動きだ。それをじっと見てイッキに描き上げる。立木なら幹と枝だ。対象をよく見て感動して描くことがもっとも重大だ。絵画の三要素なんて後から考えたゴタクである。ま、しかし、いい絵はいろいろな要素がうまく収まっている。不思議なものだ。
作品:SM「むくげ」
天気:晴れ

線描と色彩

今日は高田馬場のおさむギャラリーに行った。けっこういい絵が並んでいる。
昨日の続き。
線が調子の一部だとの説は、理論的には正しいかもしれない。レオナルドは、輪郭線はないと言い切った。これも納得できないことではない。
しかし、現実にレオナルドもたくさんの線を引いている。また、アングルは若きドガに「線を引きなさい。たくさんの線を」と教えた。日本画では1ミリほどの幅の中に10本の線を引く修練があると聞く。1センチかもしれない。日本画だからもちろん筆で引くのだ。幅1センチでも至難の業だ。
私は描く立場から、線を独立した要素にしたかった。それぐらい線は重大だ。もちろん3要素の一つなのだから調子も欠かせない。調子というのは絵をいかに知っているかというバロメータになる。美術館でいかにたくさんの名画を見てきたかということだ。昔の名画を見れば見るほど自分の描く絵は暗くなる。絵を知っているからだ。これが調子ということだ。つまり学習である。後天的なものだ。色彩も同じ。ボナールは「色彩は理に適ったものだ」と言った。私もまったく同感である。後天的なものなのだ。ゴッホは毛糸を使って色彩の取り合わせを研究したと聞く。色彩とは組み合わせて研究できる要素なのだ。
線は繰り返し修練しなければならない。
絵を一目見れば「こいつ、描いてるぅ!」とわかってしまうのだ。それは線を見てのことだ。
それではリズム(明暗のポイント)はどうか?
この話はまた明日。
天気:晴れ。夜は寒いぐらい。夏は終わったな、と思った。

イッキ美術史19

4b4780ec.jpgやっぱり、西暦500年から1000年ごろまでの西洋美術はつまらない。残っているものにはたいへん美しいものもある。壮麗な教会を飾る壁画などはリアリズムの立場から見れば、情けないほど稚拙だが、色彩は奇麗だ。派手なだけではなく、シックにまとまっている。抽象絵画として見るなら悪くないかもしれない。
私は絵画の三要素を線、調子、白黒の場所と分量と考えている。これは音楽の三要素に当てはめると線はメロディ、調子はハーモニー、白黒はリズムである。一般の絵画の三要素はデッサン(=メロディ)、色彩(=ハーモニー)、構図(=リズム)と言われている。
私の絵画の三要素はモノクロのデッサンとか水墨画に当てはまるように考えた。そうしたら、抽象絵画にも当てはまってしまった。私のほうが合理的だ。
反論は線は調子の一部だという人がいる。私は色彩は調子の一部だと考えている。
線というのはたいへん修練のいるものだ。絵画の線は物凄く大切だと思う。
ヨーロッパ中世の絵画にはこの線が生きていないのだ。
作品:F4「朝の道」
天気:曇りときどき晴れ

イッキ美術史18

ギリシア彫刻はたいへん誤解されている。今日も町田の世界堂に行ったら、入り口にミロのビーナスの半身の石膏が飾ってあった。あれは原作から石膏でとるのだろうか? 私も若い頃にルーブルで本物を見たが、本物とは似ても似つかないつるつるした像になっている。あれをギリシア彫刻だと思われてはかなわない。そんなビーナスを見ても、私は嬉しくなってしまった。なにか子供のころ優しかった叔父さんに出会ったような気分だった。
しかし、あれは断じてギリシア彫刻ではない。第一ミロのビーナスは紀元前100年ごろの彫像なのだ。生粋のギリシア彫刻は紀元前450年ほどのもの。それから前後100年ほどの彫刻は震えが来るほど素晴らしい。
写実でありながら、ビビッたような彫りは微塵もない。すべての面が生き生きと躍動している。若い男女の骨格や筋肉が的確に、心地よく表出される。
本物のギリシア彫刻を見たら、もしそれを見た人間が絵描きとか彫刻家なら、平伏せずにはいられない。絶対に虜になる。
今日は町田のマチス展の水墨裸婦を選定した。物凄い分量から選んだのでたいへん疲れた。
天気:晴れ

イッキ美術史17

988329eb.jpg『古代ギリシア発掘史』という本を読んだ。写真や絵が物凄く多いから、文字は少ない。全体的にはそれほど面白くない。ただ、大きな有名な彫像の一部が地中から覗いている写真は凄い。ああ、こうやって発掘されるのかと驚く。発見の瞬間はどんな気持ちなのだろうかと、想像するだけでドキドキする。
私が興味を持った一節は119ページの「ギリシアを見捨てた近代芸術」というところ。
セザンヌが「ギリシアやローマの作品模倣は、芸術にとって有害である」と言ったとか、未来派の芸術家が「レーシングカーはサモトラケのニケ像よりも美しい」と語ったなどの逸話だ。
セザンヌは木炭デッサンが苦手だったらしいから、そっち方面からの逆恨みだと思う。
また、誰が何と言おうとサモトラケのニケはずば抜けて素晴らしい。もちろん、レーシングカーも美しいのだろうが、「あんた、それじゃあレーシングカー見て暮らしなよ。あんたの勝手だから」と言いたい。
誰が何を美しいと思おうと自由だ。
ちなみに、私はセザンヌの絵もいいと思うし、未来派のプーニーという画家の色彩から多くを学んだ。
本日は絵画教室だった。秋の風景を描きに行ったが、私はむくげを5点描いた。
作品:P20「バラード」
天気:晴れ
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