イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2007年08月

京都五山展

昨日は京橋の悠遊展の搬出に行った。その前に上野に行って禅の文化展を見た。その後、芸大の卒業制作自画像展も見た。
禅の文化展は、代表的な遺偈(ゆいげ)の書が2つ(円爾<えんに>と癡兀大慧<ちこつだいえ>)あった。これがお目当て。以前にもどこかで本物を見ていると思う。見られるなら何度見てもいい。私は「遺偈の書」という26000円もする本を持っている。上の2点はカラー印刷で、本物に近いいい刷りだ。
他に伝牧谿の瀟湘八景図の一つ「江天暮雪」が見られた。これは嬉しいサプライズだった。ちょうど隣に絶海中津の賛がある有名な山水図(元時代)が並んでいたが、雄渾な牧谿の筆に比べると引き立て役としては十分、って感じだった。
ま、だいたい京都五山に大きな魅力はない。大応国師(1235〜1308)、大燈国師(1282〜1337)、関山慧玄(1277〜1360)などは素晴らしいが、夢想疎石(1275〜1351)あたりからまったく魅力はなくなる。しかし、十分楽しい展覧会だった。
芸大のは以前にも見ている。だけど、やっぱり面白い。大巨匠の若き日の自画像がたくさんある。これから大巨匠になる人の自画像もあった。私の子供と同じ歳の人の卒業制作もあった。前にも見ているので、感動とまでは行かなかったが、けっこう興味をそそられた。
天気:曇りときどき小雨。昨日の天気は雨のち曇り

ミケランジェロの驚嘆

7385be58.jpg8月13日のブログにミケランジェロのことを書いた。記憶だけで書いたので、裏を取ろうといろいろな本に当たっている。なかなか見つからない。私が持っているミケランジェロは美術出版社『世界の巨匠』の「彫刻」と「デッサン」上下、タイムライフの『巨匠の世界』、会田雄次(新潮社)と羽仁五郎(岩波新書)ぐらいだ。平凡社のファブリ版の画集(と言っても薄い)もある。
ミケランジェロがギリシア彫刻を見て驚嘆する話はけっこう聞くが、ミケランジェロ側の資料にはなかなか出てこない。ギリシア彫刻側から調べるほうが手っ取り早い。
とにかくもう少し調べる。
8月26日のホームページには空海の言葉「生れ生れ生れ生れて生の始に暗く、死に死に死に死んで生の終に冥(くら)し」を出したので、ここを詳しく調べたいと、空海の本も読んでいるので、頭がこんがらがっている。
昨日は曇っていたので、1時間早くプールに行った。町田駅から歩いて30分。家から合計するとかなり掛かる。運動量は十分。費用は往復の電車賃が260円で、プール代が200円。近所の中学のプールは300円。豊橋の50m室内プールは600円だ。町田駅からプールまでは川沿いの道で、最高の散歩コース。車にはほとんど遭わない。
作品:F0「朝」
天気:雨のち

くれるなら貰う

もちろん、わたしは鉄斎にはなれない。利行にもなれない。だいたい、そういう風に、誰々になろう、としてもなれないのだ。ちがう時代に生きているちがう人間だからだ。方向として同じ土俵にいたいと願うだけだ。
それにはもう少し絵が売れないと続かない。小磯や川合などにはなりたくない。巨匠でなくていいのだ。もちろん文化勲章もいらない(くれるなら貰うけど)。絵を描いて生きられれば文句はない。家族、特に家内には申し訳ないが、ご勘弁願いたい。
とにかく、絵描きの土俵にはいたい。ここまでやったんだから、大丈夫だと思う。行けると思う。絶対行ける。とても危ういが多分大丈夫。
背筋を伸ばして、呼吸を調えて、大きい気持ちでキャンバスに向かう。
けっこう気持ちいいかも。
昨日は、誕生日検診に行った。歩いて30分ぐらい掛かる。曇りの予報だが、けっこう陽も射して暑かった。去年、尿酸値が高かったので、11月にも来いと言われ、行かなかったから医師が怒っていた。だから今年は期限ギリギリまで行かなかった。怖いもん。で、いろいろ脅された。「人生終わりになるよ」などと言われた。もう終わってるつーの。午後はプールに行った。これまた物凄く歩く。昨日は合計2時間ぐらい歩いた。昼は抜いた。それで今朝の体重は71kg強。「強」の分昨日より増えている。まこと不可思議だ。
天気:曇りのち雨

鉄斎は凄い

43acded7.jpgで、現実の話。私の絵はどうか。とにかく、この歳まで描いているというのは偉い。世間にも年配の絵描きはたくさんいる。ずっと描いているように装っている。しかし、実際に描いている絵描きはけっこう少ない。しかも、絵を売って生きているとなるとほとんどいない。
だいぶ前のことだが、銀座で大巨匠の回顧展を見た。それほど大きくない会場で4〜10号の小品が多かった。全然描けていない。というか描いていない。一目でわかる。この巨匠の名前は出さない。ただ、中堅の公募団体のトップだった。新制作なら小磯良平というぐらい、○○美術なら誰々、と言われた人だ。代表作は教科書にも載るほどの巨匠だ。まったく驚く。けっこう描いてないのだ。年に一度、大作を描いているだけの人も少なくない。
ちゃんと描いている絵描きで、利行や鉄斎の域に達するかどうかだ。
しかし、鉄斎の域に達するのはずば抜けて凄い。鉄斎は描ける。当たり前だが、物凄い画人だ。数百年に一人の絵描きだ。
作品:SM「ラプソディ」
天気:曇りときどき晴れ

才能があり努力もし、その後どうか?

話がだいぶそれた。
脳や身体の仕組みは現生人類である以上、そんなに変わるもんじゃない。99.99%同じだ。世間はほんの少しの違いを物凄く大袈裟に評価する。もちろん仕事の出来具合があまりにも違うのに給料が同じではやってられない、ということはある。
しかし、イチローも素晴らしいし、モーツァルトも二人といない。将棋、囲碁の世界にも天才はうようよいる。水泳など泳ぐフォームはほとんど変わらないのに大差がつく。わたし自身のことを出すから話がこんがらがる。わたしもけっこう泳げるが、ターンや呼吸法などの細かい技は全然出来ないのだ。出来ないと知っているだけましなのだ。これは鉄棒の逆上がりや蹴上がりをマスターするぐらい難しい。
絵でも才能は関係ある。ただ、一般の人は、才能が90%以上だと思っている点が気に入らない。才能って何だろう? 確かに才能は必要だが、ほとんどそれは萌芽に過ぎない。90%以上努力だと思う。この前も例に挙げた小磯良平(1903〜1988)とか川合玉堂(1873〜1957)なども、もう生まれつき絵が上手いのだろうが、その後、数え切れないほど絵を描いている。あれだけ描けば誰だってある程度は上達する。というか、誰でも相当のところまでは行く。問題はやるかやらないかだ。ま、しかし、なかなか出来るものではない。ふつう絵を一生描き続けるなんて、ありえない。
一つのことを続けるということが才能なのかもしれない。
一つのことを続け、あるレベルまで達した段階で、絵なら絵を比べたときどうか、という問題だ。このとき、長谷川利行(1891〜1840)は物差しでは計れない世界に達しいているし、富岡鉄斎(1836〜1824)は更に別の天地に行っている。利行は一人の剣客だったが、鉄斎には家族がいた。そこのところが一つでかい。
天気:晴れ。物凄く暑い。

美しいから描く

ab16274b.jpg絵の場合は、突然いい絵ができる可能性は物凄く幅広い。だいたい小学生低学年の絵は素晴らしいのだ。もちろん指導の先生にもよるが、自由に描かせて、ちょっと指示を与えれば目もくらむ画面を生み出す。私は、絵は描けばすべていい絵、などということはないと思う。だって、どんな絵でも比べればどちらかがいいのだ。もちろんいい悪いの判断はこっちの主観だから、見るものの気分で判断が変わる場合もある。そういうことも全部含めて、少しでも多くの人がいいと思う絵を描かなければならない。
基本的には、普段よく筆を使い、慣らしておいて、イッキに感動を画面に焼き付ける。感動とは、美しさだ。花の美しさ、裸婦の美しさ、風景の美しさだ。そういえば、3日前の夕焼けは奇麗だった。花も年に一度見事に咲く。まず、これが感動だ。よく見ると、一つ一つ本当に美しい。それが、どの花にも太陽が当たるように上手い具合に枝を伸ばしている。感嘆する機能性がある。陽光のなかで花開く姿は描かずにいられないほど美しい。
花瓶の花も、室内の空間の中にある姿をじっと見ていると息が詰まるほど奇麗だ。もちろん花が奇麗なのだが、その花や葉や枝の周りの静かで複雑な空間が見事なのだ。「静物」とはよく言ったものだ。
作品:F3「萌」
天気:晴れ

身体だって精巧

9589d2af.jpg身体だって、人間である以上大差はない。同じような骨格と筋肉を持っている。
世界水泳をやっていたが、あの選手たちは50mを30秒で泳ぐ。100m自由形なら25秒を切る。私もよく泳ぐが、全力で50mだけ泳いで37秒ぐらい掛かる。100mだったら90秒を切れないと思う。200mを3分で泳ぐ人は滅多にいない。世界水泳の選手は200m自由形なら1分47秒。北島はブレストで2分10秒、17歳の入江君はバックで1分57秒台、金メダルを取った。私は自由形でも3分で泳ぎきる自信はない。私の目標は400mを400秒(6分40秒)で泳ぐことだ。20年来の目標だが、馬齢を重ねて体力は落ちる一方。きっと生涯目標には届かない。淋しいなぁ・・・
だから、目標よりも泳ぐことそのものに価値があるのだ。泳いでいれば全員北島康介なのだ。気持ちいいよ。
今日はけっこう仕事をした(感じ)。絵を描くことではない。
作品:F4「ソナタ」(昨日の絵は「マーメード」でした)
天気:晴れ

人の脳はどれも精巧

a004ac64.jpg養老先生はイチローなどの例をとり、あれは天才だと言う。茂木先生はよくモーツァルトの話をする。将棋連盟には天才がゾロゾロいる。おそらく日本棋院にも。
しかし、養老先生や茂木先生の本を読むと、いかに人間の脳が精巧に出来ているかを知る。大脳新皮質は2〜3ミリぐらいの厚さでそれが何層にも分かれて、コラムという部屋を作っており、百何十億という神経細胞が働く。そのなかをいろいろな脳内物質が往来しており、各コラムは密接に連絡しあっている。私には想像できないが、とにかく物凄く精巧な仕組みのだ。偏差値30の子も65の秀才も基本的な脳の作りはほとんど変わらない。IQだって100であろうが160であろうが、脳の作りには大差はないのだ。
羽生名人(現在の名人は森内)と私の脳もほとんど同じ。チンパンジーなどと比べれば、羽生と私はまったく同一だ。将棋をやったら雲泥の差がある。瞬間的に負ける。
人間社会は脳の構造などお構いなし。おもてに表れたいろいろな能力を大袈裟に評価して、社会的な扱いを決める。おおむね正しく判断していると思う。
だが、何度も言うが、脳の仕組みや働きは99.99%同じなのだ。誰でもみんな腰を抜かすほど精巧な脳を持っているのだ。
今日は悠遊展の飾り付けに行った。帰りにヤクルトの野球を神宮球場で見た。
作品:F4「ソナタ」
天気:晴れ

絵の才能

どうして塾をやっていると才能論者ではないかと言うと、勉強が才能なら、塾は必要ないもの。私は、勉強は特に努力に左右されると思う。勉強すればするほど成績は上がる。絶対間違えない。絵だって描けば描くほど上手くなる。音痴だってカラオケに通えば少しは聴けるようになる(=私の妻)。脚は毎晩走れば必ず速くなる。だけど勉強は効果覿面だ。
入試なんて凄くチョロイ。偏差値はぐんぐん上がる。いくら勉強しても成績が上がらない子もいる。200人に一人ぐらい。また、塾はもちろん、自宅学習もせずに、学校の先生の話だけ聞いて好成績の子もいる。こっちも200人に一人ぐらいだと思う。
絵や音楽やスポーツは勉強より才能に関係あるかもしれない。
しかし、絵に関する限り、若いころのデッサン力など屁みたいなものだ。私が尊敬するのは富岡鉄斎(1836〜1824)と長谷川利行(1891〜1840)だが、二人とも、たとえば小磯良平とか川合玉堂などに比べると、デッサン力はガクッと落ちる。小磯良平とか川合玉堂の絵の上手さはまこと目が覚めるようだ。「うまいなぁ」と感嘆してしまう。
しかし、絵の厚みとか深み(なんてのがあるかどうか知らないが)は素晴らしい。とにかく部屋に貼っておくなら鉄斎か利行だ。
で、鉄斎や利行は才能がなく、努力だけでああいう絵を描いたのかというと、まさかそんなことはないと思う。
天気:曇り一時晴れ。涼しい。

天才論

b4047e26.jpg無論、仏教はインド哲学の影響が大きい。もともとインド哲学は独特なのだ。
と、この話を続けると調べるのもたいへん。ま、話の始まりは修行のことだった。「何事も修行」という考え方は好都合という話だった。修行と思うとそれほど嫌じゃないし、自分の身内が苦労していても納得できる。
で、話を変える。前にもやった気もするが、「才能論」というか「天才論」。
私は塾をやっていたぐらいだから才能論者ではない。まして天才論なんて問題外。
人は100%努力でいろいろなことが出来る、と思っている。
しかし、養老孟司先生は完全な天才論者。ちなみに、私の父も天才論者で、自分は天才だと豪語していた。養老先生は、イチローは天才だと言うのだからこっちのほうが納得できる。
私は道元と一緒で、修行することが重大だと考える。修行というのは努力ということだ。実はもっと気楽に、行動するということだと思っている。もちろん、反社会的な行動(犯罪とか)はいけない。こんな考えでは目標達成は出来ない。世の中そんなに甘くない。と言われるかもしれない。しかし、本当に甘くないだろうか。第一、甘いとか目標とか、そういうのもよくわかんない。だって、人は死ぬだけで、死んだら無なのだ。なぜか中島義道風になってきた。
今日は絵画教室だった。
作品:F4「三河・夏の夕暮れ」
天気:晴れ。物凄い暑さ。
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