イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2007年09月

『正法眼蔵』とは?

で、この前から、森本和夫の解説付きの『正法眼蔵』を読み直しているが、もちろんよくわからない。歳のせいで、最低限の語句の意味も忘れてしまう。「恁麼(いんも)」とか「罣礙(けいげ)」など簡単な語句の意味も忘れてしまう。親切丁寧な森本先生もこの程度の意味は心得ているという前提で話を進めるから、ますますわからなくなる。
ちなみに、「恁麼」は「そのような」、「罣礙」は「引っかかる」というような意味。
そのほかにも『正法眼蔵』用語というか禅家の専門語がたくさんあり、いつも意味を忘れる。もう単語帳を作るしかないかも(絶対作らない)。28日に書いた語学の天才たちはきっとスラスラ覚えるのだろう。または小まめに単語帳などを作るのだと思う。
では、私の『正法眼蔵』解釈はいかなるものか?
まず、大前提は頭を丸めて(私は先天的に毛がなくなっているが)、寺に入らなければ絶対にわからない。複雑な機能を持つ携帯電話を買ったけど、携帯をなくしてしまい、携帯なしにマニュアルだけ読みこなすようなものだ。なにしろ、こちとら、携帯があるのに、機能の半分も使いこなしていないのだ。そういう人間が、仏教マニュアルだけ読んでインテリを気取ろうったって、そうは問屋が卸さない。
もともと東洋哲学なんてないのだ。
無理、無理。
『正法眼蔵』の印象としては、なんか絶対と相対がぐちゃぐちゃに混ざっていて、道元の世界認識は途方もない。目の前の固有の一つが全世界なんだから無理だ。わからない。初めから区別がないんだから言葉を超えている。だって、言葉というのは、もともとモノを区別するものだもの。
わかんねぇ〜。
天気:雨。

「わかる」と「悟る」

6ac59eef.jpgつまり、森本和夫とか中野幸次は『正法眼蔵』をわかっている。物凄く細かいところまで解釈できる。しかし、悟ってはいない。このことから禅家の言う「悟る」という意味が見える。「わかる」と「悟る」はまったく違う。たとえば、水泳でも、水泳の理論というのがある。より速く泳ぐための流体力学みたいな研究だ。スポーツドクターはそういうことを北島康介などに教える。だけど、泳ぐのは北島だ。北島は悟っている。スポーツドクターはわかっている。水泳など水に飛び込まなければ始まらないではないか。仏教なら寺に入らなければ始まらない。踊りなら踊らなければ始まらない。歌も歌わなければ音響学も蜂の頭もない。スイスに坐禅の短期留学をしても、それは寺に入ったことにはならない。むしろ、物凄い勘違いだ。坐禅付きの遊山旅みたいな感じを受ける。
寺に入るとは自分の生涯をかけて、命を懸けてお釈迦様の弟子になるという意味だ。すべてをささげるということだ。
『正法眼蔵随聞記』(筑摩叢書・水野弥穂子)にある(67ページ)。「無常迅速なり、生死事大なり」。私は若いころからこの本を知っていたから、真剣に坊さんになろうかと悩んだ。また、パスカルの『パンセ』はもともとキリスト教に入信させるためのテキストだった。『パンセ』に熱中しているときも何度もキリスト教に入ろうかと考えた。一生は一度しかない。松尾芭蕉じゃないけど「ついに無能無芸にして、この一筋に繋がる」となったかな? 芭蕉の俳句と私の絵では比べるまでもない。ま、そういう姿勢、方向だけは保ち続けたい。考えてみれば、道元も芭蕉も私より50歳ぐらいで亡くなっている。私よりずっと若いのだ。当方は惰眠をむさぼり、無駄飯を食らっている。まことにお恥ずかしい。
作品:SM「大山(だいせん)遠望」
天気:雨。予報どおりの肌寒さ。

語学の威力

森本和夫や中野幸次は語学ができる。語学がデキルというのは凄いことなのだ。
たとえば、夏目漱石も語学が出来た。よく知らないが、内村鑑三も相当できたと思う。美術界では岡倉天心がいる。平安時代の空海は中国語がぺらぺら。同時代の最澄は手書き会話だったと言う。鎌倉時代の道元も中国語が出来た。
やっぱり言葉は大切だ。物凄い威力を持っている。
もちろん危険性もある。言葉は概念だから、現実から遊離してしまう。禅宗では言葉を嫌うが、禅に関する本は物凄く多い。実存主義も言葉や観念、思考までいけないというが、その思いは言葉で書くしかない。
はっきり言って、森本さんなど、『正法眼蔵』を物凄く深く解釈しているが、本質はまったくわかっていないと感じる。だって、道元の本質に少しでも触れるならまず真っ先に出家するもの。出家しなきゃ始まらないだろ、と思う。『正法眼蔵』は出家者への仏教マニュアルなのだ。一般人にはわからない。これが基本である。
今日は、絵を豊橋に発送した。9個口で35点ぐらい送った。送料は全部で7000円ほどだった。これってかなり安い感じ。それにしても荷造りはたいへんだった。
天気:晴れ。今年最後の真夏日らしい。

さしずめインテリ

452d503b.jpg森本和夫はスイスに短期坐禅の旅などに出かけたり、ちょっとヘンなところもある。「フランスに通じ、道元も解する知識人」みたいな面が見える。結局「知識人」かよ、って言いたくなる。寅さんなら「てめぇ、さしずめインテリだな。けっこう、けっこう、けっこう毛だらけ猫灰だらけ」と言われそうな雰囲気だ。
すこし前によく読んでいた中野幸次。こっちはフランスでなくドイツ。やっぱり道元や良寛のことを書いた本がある。もう亡くなったが、この人は(小林秀雄の墓とそっくりな)立派な墓が作ってあった。このあたりはとても理解できない。
みんなインテリなのだ。なんか自分だけはある程度の安全地帯にいて物申している。
仏教や禅の教えはもっと泥沼だと思う。
ま、家族がいれば禅とか仏教なんて言ってられない。中野幸次も子供はいなかったが、奥さんを残して亡くなったから、ちゃんとした墓ぐらい作ってあったほうがいいと考えたのかもしれない。
しかし、お釈迦様にも奥さんも子供もいた。人の究極の幸せが悟りだったら、お釈迦様のように家族も出家させるのかも。第一その前に、自分自身が出家できない私がどうのこうの言う立場ではない。
今日はプールへ行ったが、10日振りぐらいなので、凄く身体が重かった。
作品:F3「窓辺」
天気:曇り、小雨。

お絵描きに熱中

今日は絵画教室だった。私は講師なんだから基本的には絵は描かないものだ。みなさんが描いているとき暇だからちょっと描く、ぐらいの感じならいいかも。だけど、今日の私は講師を忘れて描いてしまった。5枚も描いた。銀座展の店番ため、全然描いてなかったので筆を動かすことに飢えていたのかも。水泳にも行っていない。こっちも怖い(しばらく泳いでいないと水が怖くなる)ながらも身体がウズウズしてきている。
最近はどうか知らないが、ヨーロッパでは禅のブームがあった。実存主義を突き詰めてゆくとどうしても仏教に進む。特に禅の教えは納得できる。少し前にここでご紹介した森本和夫はもともと東大仏文科を出ている。私が最初に読んだ本は『道元とサルトル』(講談社現代新書)だった。この本はよく覚えていない(ちゃんと読み切ったことは覚えている)。この前も書いたが朝日選書の『正法眼蔵入門』は理屈っぽいながらも読み進められる。『正法眼蔵』のいろいろな本の解釈を取り上げて、はっきりと批判してあるからだ。もちろん褒めている解釈本も多い。この続きはまた明日。
天気:曇り。薄ら寒いぐらい涼しい。ありがたいが淋しい気もする。

ヘーキ、ヘーキ。

a5196310.jpgやっぱり個展は9月後半以降がいいかもしれない。9月の前半では暑すぎる。また、休日より週日のほうが大切かも。しかし、銀座の場合は休日に突然お客さんが来て買ってくれる場合もある。私は経験ないが、今回も2組ほど買ってくれそうになった。特に奥さんが欲しそうだが、旦那はどんどん帰ってしまう。私自身は女性にもてないが、私の絵はけっこうもてる。
今回もやりくりがたいへんで、と言うか破綻で、実に困っているが、今は豊橋展に期待している。まことにノー天気だ。9月が越せないかもしれないし、豊橋展のDMも印刷屋からまだ来ない(印刷代は振込み済み)。明日来ないとかなりヤバイ。
こんなんで大丈夫だろうか?
第一、車がないから豊橋に絵を発送しなければならない。この手間とタイミングがむずかしい。上手くゆくだろうか? きっとおそらく大丈夫だと思う。ヘーキ、ヘーキ。
で、豊橋展の後は何の予定もない。来年3月の金井画廊までガラ空きだ。しかもキャンバスもない。裸婦のクロッキーは入れてある。ますますヤバイ。
作品:SM「粋芙蓉」
天気:晴れ。明け方はかなり寒かった。

画廊の予約

今日は買っていただいた絵を発送した。
等迦会になぜ所属しているか(とは言ってもまだ会費6万円を払っていない=もうしばらくお待ちください)とか、どうして個展をやるのかなどと不思議に思われる方も多いと思う。これらの答えは何度も書いている。等迦会は10年ほど前に私を入れてくれた。今は審査員だ。だけど会費は6万円。凄い負担だ。しかし、等迦会を辞めたら大きい絵は描かないと思う。辞めても頑張って描き続ける自信は全然ない。第一張り合いもない。
個展も、緊張して絵を描くには最高の舞台だ。やっぱり銀座や京橋は日本一だと思う。今回は売り上げ不振で来年の予約ができなかったが、1ヶ月以内に何とかして予約をしたい。来年の金井展はやっぱり3月だと聞いたので、9月の後半から10月ごろにやりたい。ギャラリー近江の1階はすでに予約でいっぱいだという。2階でもしようがない。落ち着いて絵を見るスペースとしては2階のほうがいいようにも思う。再来年の1階なら空いているらしいが、そこまで予約する金があるわけがない。ま、なんとか来年だけでも予約しようと思っている。
天気:曇り

個展最終日

ad80c757.jpg借金は塾で作った。でも塾のおかげで連続して絵が描けた。これからは絵が塾の借金を返す番だ、とは言っても、これがなかなかままならない。思うようには行かない。当たり前だ。思うように行かないのが世の中である。だから頑張るのだ。
で、ちょっと『正法眼蔵』の「有時」を読んでみたが、けっこう長い。もちろん、わけがわからない。岩波文庫版の原文に注で読んだから、これは無理。翻訳版をさがす。翻訳は森本和夫がおすすめだ。物凄く理屈っぽくって辟易するが、けっこうちゃんと訳してある。特に朝日選書の『正法眼蔵』の「現成公案」の解説はいいと思う。
本箱を探したら『鏡と時と夢と』(春秋社)が出て来た。森本和夫の『正法眼蔵』の「古鏡」「有時」「夢中説夢」の解説だ。もちろん、「有時」のところを読み返した。が、さっぱりわからな〜い。だから何も書けな〜い。キック。
でも直感として、20日の記述はどうも正しいような感じだ。
今日は個展の最終日。詳報はホームページでどうぞ。
作品:F6「麗日」
天気:曇り。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。

死は条理か?

そのうえ、人生には老いがあり、病気があり、死がある。こればかりはアラブの大富豪でも避けられない。私と同等なのだ。私など、いつ死んでも残すものは借金だけだが(家族には申し訳ないが=だから、借金だけはなくしてから死にたいが)、大富豪が死ぬとなれば、いろいろもったいない。私だったら実にさっぱりしている。もったいないが、ない。
とにかく、みんな最後は死ぬ。それなら生を苦しむより、初めから死んじゃったほうが理屈に合う。いや、もっともっと合理的な理由があった。歳のせいで死の合理性も忘れてしまった。これじゃあ、死ねないわ。
生の不条理はパスカルやニーチェがたくさん述べているから、そっちを読んでください。
そこで、ニーチェは芸術の効用を説く。「芸術は生きることを可能ならしめる」と来る。水前寺清子ふうに言うなら人生の応援歌ってことだ。
今日は早稲田大学の私より10年以上年下の絵画会軍団が個展会場に来てくれた。何でそんな年下の後輩をしているんだ〜? どうでもいいけど、懐かしくて楽しかった。煎餅のお菓子を持ってきてくれたのに、出したのは生茶だけ。申し訳ございませんでした。
天気:晴れ

幸せはない

c2c343ca.jpgサルトルは生も死も不条理と言った。何の前触れもなく突然生まれ(この世に投げ出され)、死にも前触れはない。不意に突然やってくる。しかし、私は死は条理だと思う。合理的に考えてゆくと、死ほど理に適ったものはない。だいたい、生きていたって単純な幸せもままならないのだ。まず、異性にもてることは珍しい。特に、こちらが惚れた異性が、向こうも惚れているというようなことはまずありえない。キムタクでも簡単ではないと思う。金持ちになるのは確率論から考えて、相当むずかしい。宝くじの1等とかが当たる確率はコンマゼロゼロゼロパーセントにもならないと思う。地道に頑張ったほうが確率は高いが、それでも数パーセントの人が金持ちになるだけ。ま、私は金持ちになったことがないからわからないが、金持ちのレベルもある。どんどん高レベルの金持ちを望むのではないか?そうなったら、幸せはいつまでたってもやって来ない。
今日は個展5日目。これでウィークデイは終わった。あとは土日が残るのみ。勝負は付いたのか、土日が勝負なのか。とにかくあと2日銀座に行く。
作品:F20「野バラ」
天気:晴れ
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