イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2008年03月

きっと間違っている

72036976.jpgとうとう3月31日が来てしまった。家内はもう知らないと言う。ああ、私も知らないと言いたいよ。世帯主は孤独かも。
昨日のプールも空いていた。数人しかいない。私はコース独占だった。隣に小学生の男の子が泳いでいる。これがとても速い。もちろん私より速い。帰りに更衣室で一緒だったので、少ししゃべったら、塾でスイミングスクールへ行けなくなったのでこの中学校開放プールに来たと言っていた。まだ小学5年生だ。「フェリプスを追い抜いて世界記録を作ってください」とお願いしたら、ちょっとそれは無理と言われてしまった。なかなかいい子である。
そうだ、進学塾へ追いやる親はしっかり勉強したことのない人が多いが、進学塾へ来ている子供はいい子が多いのだ。塾の講師のアルバイトは今けっこう募集している。応募してみる気になった。結局私の能力は子供の勉強を見ることしかないのかもしれない。
私の絵がわかる人はほんの一握り。買ってくださる方はさらに少ない。どなたも私の理解を超える人格者ばかりだ。どう考えても、私の絵を所有したいというより、私のことを応援してくださっているとしか考えられない。この認識もきっと間違っている。
写真:金井画廊7
天気:雨のち晴れ。寒い

どこの間抜けが・・・

c9bd58a2.jpg個展会場には父の絵を知っている方もたくさん見える。私の絵は父の絵と似ているから、いろいろなことをおっしゃる。「まだまだ(追いつけない)な」とか、反対に「乗り越えたね」などと言ってくれる方もいる。
しかし、私から言わせていただくと、父に追いつくことも乗り越えることもない。だって、ぜんぜん違う時代に生きているのだ。父は戦争に行っている。命からがらボルネオから帰ってきた。父の一生は戦争へのうらみつらみだ。20代前半の鮮烈な印象は拭い去れない。父の絵は戦争への憎悪が描かせたとも言える。
私がそんな絵画に追いつけるわけがない。全然別の時代にいるのだ。ドガとロートレックだって時代も生れも育ちもちがう。
だから、私は自分が現代絵画を描いていると考えている。「現代絵画」という分野があるらしいが、どこの間抜けが命名したんだろう。現代人が描けば、どんな絵だって現代絵画に決まっているではないか!
今日は天気予報が外れて午後から雨になった。おかげでお客様はほとんど見えない。金井さんも早めに帰してくれた。1週間ぶりにプールへ行けた。昨日描いた絵は金井さんに喜んでいただけ、あと3日だったが、けっこう入れ替えた。
写真:金井画廊6
天気:曇りのち雨

違いもある

47286082.jpg今日はいっぱい絵を描いた。とても久しぶりだ。来週の水曜日と金曜日にまたたくさん描く。今日は墨が10点、油絵が19点。水曜日は5点ぐらい。金曜日はクロッキーだからまた13点。これから一週間、絵だらけだ。3月を乗り切れないのに、4月の予定を考えても仕方ないけど・・・
美術の本質、絵画の神髄、それが何か? それは人の解釈によってそれぞれちがう。ちがっていたっていい。他人の主張なんてどうでもいい。特にこの歳ではますますどうでもいい。私は「筆触」だと思う。父は「生命力」だと言った。もちろん、父の主張は頷ける。そして、そういう一本の筋みたいなものはあるが、時代時代によって絵は全然ちがう。「再来」はない。たとえば、長谷川利行の再来とかドガの再来なんてない。ドガはドガ。ロートレックはロートレックなのだ。私見を言えば、ロートレックはドガより劣る。ドガの彫刻だってドーミエの彫刻より落ちる。また、ゴヤの線描はドガに優ると思う。さらに、ゴヤはベラスケスに敵わない。そう言って言ったら切りがない。ロートレックもドガもドーミエもゴヤもみんなそれぞれいいと言えばいいのだ。時代がちがう。人間がちがう。沢庵も旨いし、白菜の漬物も旨い。このことも心得ておきたいところだ。だって、古典ばかり見ていると、自分が絵を描く意味なんてなくなるもん。
写真:金井画廊5
天気:晴れ

それはタッチである

e9a78297.jpg古代美術から繋がる一本の筋金。この筋金入りの絵を描かなくてはいけない。それは何か?
もちろん、いろいろな解釈がある。これは一つの信仰かもしれない。私の父は一言で「生命力!」と言っていた。異存はない。私もそう思う。私の答えは、これはもちろん父の答えでもあり、ピカソの答えでもあり、牧谿も頷いてくれなくてはならないのだが。さらに将来の本物の絵を目指す人にも同意してもらわなければ意味がない。
それは「タッチ」である。あだち充ではない。筆触のほう。キャンバスを汚す度胸と歓びだ。最初の瞬間の筆の歓びをいかに活かすか、残すか。ここにすべてがかかっている。絵画技法とは、この最初の躍動を残すこと。その線描を、筆の跡を「かたち」に変えること。骨格に見せること。肉を感じさせること。水になり風になり花びらになる。絵描きの歓びが「かたち」になっていること。これが私の目指しているところである。
ギリシャの柱の少女の太ももを思い出していただきたい。あの彫刻家の鑿の跡。あの勢い。物凄いスピードとイッキの創作がある。しかし、同時に緻密な筋肉の表現がなされている。まさに若い女性の筋肉が躍動している、あれだ。
今日は比較的お客様が少なかった。天気予報が雨のせいかも知れない。
写真:金井画廊4
天気:晴れ、一時雨

絵描きの方向性

54608df4.jpg何度も述べていることだが、美術史家は絵画のちがいを求める。差別化というか、たとえば、ルネサンスとバロックのちがいを探すのが史家の仕事だ。これに対して絵描きは共通点を求める。西洋なら、ギリシャからピカソまで、その表現に一貫する精神だ。ピカソもギリシャを慕っていた。では、ギリシャの何を慕っていたのか? そこのところを知りたい。ピカソばかり追いかけていてもダメだ。ピカソの求めていたものを求めなければ話にならない。芭蕉も「古人を求めず。古人の求めたるものを求めよ」と言っている。東洋なら牧谿と雪舟の共通点だ。その雪舟を慕っていたのが長谷川等伯だ。等伯の松林図ばかり見ていてもしょうがない。等伯の求めていたものが知りたいのだ。
それで、現代の、真面目なちゃんとした絵描きはその解釈した古代からの一本の筋金を表現する。
それは何か?
また明日。
今日も会場に行った。たくさんのお客様が見えた。
写真:金井画廊3
天気:朝のうち曇り、のち晴れ。

絵画論を大展開

a4b12d56.jpg今日もたくさんのお客様が見えた。いろいろな方が見えるから、置き去りにしてしまう方も出て、まことに申し訳ない。やっぱり金井画廊はたくさんのお客さんが来る。
昨日は就職活動中の大学3年生の男性が会場に寄った。ヨーロッパや東洋の昔の画家のことをとてもよく知っている。美術史を勉強していると言う。証券会社の会社説明に来たが、実は画廊とか美術館で働きたいと言う。
ああいう若い方が来ると、ついつい喜んでぺらぺらいろいろな話をするから自分の考えがまとまる場合もある。
一番好きな画家はと聞かれたから、「ティツアーノ」と答えたら、なんとティツアーノを知っていた。びっくりした。で、東洋美術も勉強しているというので、「本当に一番尊敬している画家は中国の牧谿」と言ったら、牧谿も知っていると来た。腰が抜けるところだった。こんな、20歳前後のお兄ちゃんが牧谿を知っているとは! 
で、私の絵画論を大展開してしまった。
写真:金井画廊2
天気:晴れ

不思議な関係

dd657937.jpgモネ(1840〜1926)は50歳ごろまでブレークしなかった。画友たちに才能を認められてはいたが、一般には受け入れられなかった。不遇のうちに最初の連れ合いカミーユは亡くなる。残されたのはモネと二人の子供たちだ。では、いったい25歳から50歳までどうやって生きていたのか? バジールやマネといった画友たちにお金を借りたり貰ったりしていたのだ。現代から考えれば信じがたいことだ。バジールは普仏戦争に志願して戦死する。モネは普仏戦争をロンドンに逃れる。モネは共和派なのだ。バジールは愛国派とでも言うのか? ドガも普仏戦争に志願している。政治的には正反対の仲間が絵画で結ばれていた。しかも、バジールはモネをたいへん援助していた。不思議な関係だ。
今日も個展にたくさんの人が見えた。本当にありがとうございます。
写真:金井画廊1
天気:晴れ。夜一時雨(私は電車に乗っていたから濡れていない)。

個展第1日目

今日から個展が始まった。
毎日行くところがあるというのは悪くない。もちろん普段でも行くところはある。パン屋さんだ。しかし、パン屋さんは近すぎる。往復でも20分もかからない。
今日は雨なのに、知り合いの方がいっぱい見えた。知らない方や忘れてしまっている方も見えた。
いつも人と会っていないので、接客がたいへんだ、というか、あとでどっと疲れる。
でも、まだまだ元気だから全然大丈夫!
天気:雨のち曇り、夜は晴れ。星がよく見えた。

チョー気持ちいい

4b6a407f.jpg今日はプールでトランス状態になった。滅多にならない。1年に1度あるかないかだ。泳いでいるときは距離を数えているから覚醒している。しかし、いっぽうで夢を見ているような状態になる。けっこう気持ちがいい。ターンの回数を数えているから絶対に眠ってはいない。なんつたって泳いでいるのだから眠っているわけがない。
しかし、頭の中はいつもの夢の世界なのだ。今は忘れてしまったが、膨大な夢の世界が半覚醒のなかで確認できる。
今日は泳ぎ始めてすぐトランス状態が来た。半分起きているから、これは夢の世界を分析してやろうと意気込んだ。しかし、あまり意気込むとトランス状態が消えてしまう。ちょっと楽しむ気持ちがないといけない。だから、結局楽しんで終わっちゃう。
昼間は、倉庫に行って昔の絵を整備した。別の探し物で行ったのだが、所期の目的は達成できなかった。でも、昔の絵がゾロゾロ出てきて、その下手さ加減にびっくりした。あの絵でよく絵を辞めなかったものだ。家内と娘も手伝いに来たので、なおさら非難の的。ああ、まったく図々しい人生だな。
作品:SM「窓辺」
天気:晴れ。風もなく暖か。桜が開花し始めた。

不思議だ?

正確に美術史を伝えないからおかしなことになっている。ま、NHKの責任も大きい。
アンリ・ルソーが素人画家であることは有名だが、同時代の印象派の画家はみんな素人である。ルノアールは晩年職人に憧れる。が、あの印象派の真っ最中35歳から45歳ぐらいまではアマチュア画家と言える。ゴッホだって当時誰もプロの画家だとは思っていない。セザンヌも。
職人になったってつまらない。第一、簡単にはなれない。
職人はいっぱいいたのである。職人はプロの技を持っている。
しかし、ふつう、画学生は職人を目指さない。目標は芸術家である。ゴッホとか。東洋で言えば文人画家だ。浦上玉堂とかだ。
こんなに美術の本が氾濫し、こんなに美術展がいっぱい開かれ、全国に美術館があるのに、全然わかちゃいない。まったく不思議だ。
天気:晴れ。暖かい。
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