イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2009年02月

ずっとまし

明日は金井画廊の金井さんが来る。もう10年以上前にギャラリー美慶の小野さんが町田に来た。ついに画商さんがわがアトリエに来るというので、とても喜んだ。美慶さんはお金をかけた看板を作って、私の個展を3回もやってくれた。ほとんど売れなかった。まことに申し訳ない。そのうち恩返しがしたいと思っているうちに、どんどん歳をとってしまう。困ったなぁ。
金井画廊は金井さんの目に適う画家の展示をやっている。もう名が通った大巨匠だけを扱う画商ではない。常に開発している。そして、サラリーマンでも買える価格を守っている。そういう新しい絵画市場を作ろうとしている。今年で10年になる。よく頑張っているなぁ、と思う。2〜3年前にやっと軌道に乗り始めたら、この大不況だ。この不況を乗り切れるだろうか? 私自身、金井さんの心配をしている場合ではないが、65年前の戦争に突入したときに比べれば、ずっとましと思わなければならない。
まこと、世の中楽をさせてくれない。
天気:薄曇り、少し晴れ間。

メメト・モリ(死を忘れるな)

aa46740c.jpg「捕食と性交」も「グルメと恋」と言い直せば安物の日本映画の題名になるかも。
養老孟司先生の主張も都市化というのは、人間が野生動物であることを隠すことだと言う。特に死を隠す。生や死や汚物を隠す。食事が殺生であることを忘れようとする。こういう都市化がいけないのかどうか、難しいことはわからないが、人間の本来の姿を忘れてはいけないと思う。「人は殺生をして個体維持を続け、性欲によって生殖をしている。そしていつか必ず死ぬ」。この当たり前のことを忘れないようにすべきだ。というか、絵を描くからには(と言うか、何をするにも)こういう人間の状況をいつも踏まえておくべきだと思う。
このような人間が広大な風景に出会って感動し、可憐な花に心が震えるのだ。そして、ま、われわれは絵を描く、ってことである。
今日で歯周病(きっと歯槽膿漏のことだろうけど)の治療が終わった。まだ少し虫歯がある。私の歯は30本あり、まだ相当持ちそうだ。これからも定期的には医者さんに行くぞ!
作品:F3「和」
天気:雨のち霙のち雪のち霧雨

葛藤から・・・

火曜日の夜はNHK『爆問学問』を少し見た(19日のブログで水曜日のNHK『爆問学問』と書いてあったが、これは間違え)。ロボット工学の話。人は鉄腕アトムを作れるかというテーマ。漫画の『プルートゥ』もそういうテーマかも。この前豊橋で見たDVD『イーグル・アイ』も相変わらず人間とコンピュータの戦いだった。あの『ターミネーター』も同じ主題。『マトリックス』も。
私は、人間のような感情を持ったロボットは永遠に出来ないと思う。昨日のブログでも述べたとおり、われわれは捕食と性交によって繁栄している。これが生物の宿命である。人間は知能を持ったが、その知能が捕食と性交の根本にいつも問いかける。これが永遠のテーマだ。宗教の問題もここにある。この問いかけの隙間に感情が生まれた。喜怒哀楽が波打つ。ロボットには捕食も性交もない。だから感情が生まれるわけがない。つまらないけど、現実の社会では『プルートゥ』も『イーグル・アイ』も『ターミネーター』も『マトリックス』ありえない。宇宙人もいない。きっとお化けもいない。ああ、がっかりだ。
だけど、人間が芸術を持ったのは、真なる人間の姿(捕食と性交)への葛藤からだと思う。
天気:曇り、少し雨

真逆?

24a71ff7.jpg今日は完全休み。筆を洗ってキャンバスの裁断をする予定。家内はまだ豊橋なので、ゴミ出し、炊事、洗濯、買い物の四大家事はやるけど。
加山の裸婦はどうだろう? 全然いいと思えない。もちろん上手いことは上手い。だけど、あのギリシアの柱の少女の健康美とは程遠い(と言うか真逆の)細身の(けっこう年配の)女性がポーズを取っている平面的な画面にどこか魅力があるのか? 私に言わせれば、人体はギリシアだべ! そのギリシアの息吹が微塵もない。鎌倉の運慶の彫刻にもギリシアの肉付けが見えるのに、だ。われわれが人体を描くとき、ただただギリシアの息吹を再現したいだけだ。
加山の裸婦から黒田清輝の「智・感・情」という裸婦の大作を連想することは出来る。しかし、黒田の絵のほうがはるかにギリシアを感じる。
加山はあの裸婦で何を表現したかったのだろうか? オシャレか? 現代か?
現代だろうが、オシャレだろうが、われわれは飯を食って異性を求め生殖をして空気を吸って生きているのだ。これはギリシアもルネサンスも現代も変わらない。これからずっと変わらない。それが生物だからだ。飯を食うとは殺生をするということだ。生殖とは性交がなければ成り立たない。これは現実である。言ってみればエログロ?そういう営みのなかに美を発見したのがギリシアだろう。たくましい人間の姿を称えたのだ。
現代だとかオシャレだとか言ってカッコつけて、自分のエログロの現実を忘れてどうするんだ。馬鹿馬鹿しい。頭を冷やしたほうがいい。われわれは自然界にいる野生動物なのだ!
で、今は夜だが、今日の表向きの予定はだいたいやった。
作品:F3「小春日」
天気:雨のち曇り

わかるわけがない

今日はクロッキー会だった。
短い休憩時間にもテレビの新日曜美術館の話題が出た。
そのときも少し言ったが、加山又造の絵を見ると驚くべき才能を感じる。才気あふれる造形の魔術師、か? 洋画家だったら小磯良平(1903〜1988)ってところか?
そう言えば、豊橋の書店で小磯の画文集をちょっと手に取った。パラパラ見ただけなので断言は出来ないが、その印象は雑な感じがした。私みたいな雑な人間(絵も)に「雑な感じ」とは言われたくないかもしれないけど、そう感じてしまったのだから、ご勘弁願いたい。
でも、小磯も才能あふれる画家だったと思う。
加山も小磯も、二人の絵には才気がほとばしっている。持て余す才能に困惑気味の様子さえある。
まったく才能っていうのは要らない。無用の長物だ。スポーツでさえも要らないかも。北島康介も子供のころは水泳が得意ではなかったと聞く。
才能があふれているということはチャチで薄っぺらいということでもある。絵というのはそんなに簡単なものではない。
形が取れて、ちょっとデザインとか色のセンスがあるからといっていい絵が描けたら苦労はない。ふざけるな、と言いたい。若いうちに篩にかけるような美大受験には問題がある。あんなもので絵描きに向いているかどうかわかるわけがない。
夜はプールへ行った。なぜか身体が重かった。
天気:曇りのち雨

絵ってそんなに・・・

365cf6c6.jpg本日豊橋から帰ってきた。パソコンを持っていかなかったからとても暇だった。テレビを見たり、DVDを見たりして過ごした。携帯ゲームの将棋もずっとやっていた。絵も描いたし、プールも行った。
新日曜美術館も見た。加山又造(1927〜2004)だった。しかし、横山操(1920〜1973)の特集みたいにも見えた。ゲストは五木寛之。
加山と横山は芸大日本画科の先輩後輩。横山が7歳年上。二人は多摩美大の教授を一緒にやっていた。横山は加山に言いたいことを言っている。加山の個展で「何だ。こんな絵」と吐き捨てるように言ったという。また、多摩美大の授業風景で(なぜか二人の教授が一緒にいる)、「加山は絵がわからないから」などと学生たちの前で言い放っている。それでも加山は横山を尊敬していた。
二人の絵が映ると、横山の暴言も納得してしまう。横山の絵はいい。ゲストの五木もそういう言い回し。殴られても蹴られても頑張る加山も健気だ。涙ぐましい。
絵画の世界がある。芸大とか多摩美大とか、日展とか創画会とかそういう社会がある。そのなかで絵を発表したり研究したり競ったり、みんな頑張る。加山は文化勲章も貰っている。国も認める大画家だ。今も六本木の国立新美術館で大回顧展をやっている。
日本画家か? おかしな人たちだと思う。絵ってそんなに凄いものだろうか? それはもちろん洋画家も同様だが・・・
作品:F10「装」
天気:雨のち曇り(豊橋は朝から曇り)。

表現の根幹

水曜日のNHK『爆問学問』で、お笑いの爆笑問題の太田が表現として絵画(や彫刻)はもう終わっていると言った。現代の最高の表現はテレビであると主張していた。太田はテレビの表現力を言っている。何かを表現したときの受容効率の大きさだ。そういう意味でテレビは最高である。まったく絵や彫刻では話にならない。闘えない。
しかし、太田がテレビで面白いことを言えば何百万人の人が笑うかもしれないが、それは積極的な視聴ではない。寝っころがって煎餅でもかじりながらの視聴である。
たとえば、私の個展には100人とか200人の来訪しかないが、それはわざわざ来てくださるお客様だ。前を通りかかった方でも、ドアを開けて入ってきてくださった方だ。これは100万人と100人の違いぐらいの違いではないのか?
太田は表現の本質がわかっていない。
表現というのは止むに止まれぬ情熱の吐露である。受容効率なんて関係ないのだ。
誰もいない太平洋の真ん中で大声で歌う。これも表現である。その歌が上手いとか下手だとか音程がどうのとかリズムに乗っているとか、そんなことは関係ない。そういうのは二儀的、三儀的な問題だ。人は歌いたいから歌う。そこのところが表現の根幹だろう。
絵だったら、100号とかに太い筆でグワァーと線を描く気分。わかるかなぁ?
これから、豊橋に行くのでしばらくブログはお休みします。きっと2月23日月曜日から復活します。
天気:晴れ

レオナルドの偉大性

697e0283.jpg昨夜のNHK『爆問学問』では、お笑いの爆笑問題の太田と田中が東京芸術大学を訪ねた。芸大は2度目だ。1度目は学長に会いに行った。そのときは学長がアホだったので、太田の味方をしたが、昨夜は人体解剖と美術との関わりを研究する布施英利先生が登場。
昨夜の太田はバカだった。『モナリザ』を全然いいとは思わないと言う。それは勝手だ。そこは我慢できる。ま、それもレオナルド以前の絵を持ち出して『モナリザ』の隣に持って来れば、レオナルドの素晴らしさは一目瞭然だし、レオナルドの解剖図も、レオナルド以前のものと比べると、レオナルドの凄さがよくわかる(これは養老先生の『解剖学教室へようこそ』(ちくまプリマーブックス)で紹介された)。
最後に太田は「表現」の問題を持ち出した。この話はまた明日。
今日は午前中に絵画教室、午後はマンションのダブルヘッダーだった。絵画教室ではピンクのマーガレットを2点、チューリップを1点描いた。
作品:F8「願い」
天気:晴れ。物凄く寒い。

融合か!?

最近裸婦を描くのは月に2回。1回のときもある。鷹美術アトリエ村にいたときは毎晩固定ポーズがあり、土日のクロッキー会は4回ずつ計8回。まったくよく描いたものだ。固定ポーズは油絵で描き、クロッキー会は墨でわら半紙に描いた。わら半紙は全紙を半分にしたものが多かった。おそらくB2、B3に描くこともあった。墨は墨汁ではなく毎回磨る。あまりは捨てる。墨は乾くと何千年も持つが、液体だとすぐ腐るからだ。
現在の私のイッキ描きは油絵でクロッキーを描くということ。この美術研究所で描いていた方法の融合かも。
土日のクロッキー8回全部参加することは滅多にない(それでも半分は出ていたと思う)。美術展にもよく行ったし、自転車で銀座の画廊にも行った。むかし銀座の画廊は今の「ためなが」みたいにヨーロッパの絵を扱うところが多かった。マルケやルオーとか、吉井画廊ではルオーの娘さんとかヤンケルを見た。
このころは鷹美の近所に一人暮らししていた。会社には自転車で通っていた(約5km)。仏教の真似事をして、純粋菜食主義で、しかも夕食抜きで3ヶ月ぐらい頑張ったこともあった。けっこう面白かった。
今日は午前中に30枚ぐらい地塗りをした。
天気:晴れ

裸婦漬けの日々

d5f961ca.jpg「ダブルヘッター」ではない。「ダブルヘッダー」だ。どうもうまく変換しないと思った。
昨日の発熱は7度前後。まずインフルエンザはない。一応プールも朝の水浴も中止した。ルルを飲んでたくさん寝たら直ってしまった。現在6度1分。低すぎる。今まで、こんなに直ったことはない。いくら養生しても少しずつ悪くなって2〜3日寝込むことになる。プールなんて10日以上行けなくなる。それが今回は直ってしまったらしい。マンションの仕事があるからかも。
昔の思い出話はフランスへ行ったところまでで終わっていた。帰国したのは26歳の夏。翌年の3月まで母の焼き鳥屋を手伝って、4月から、今でもお世話になっているキャンバスメーカーに就職した。ここの社長は残業が嫌いなうえに、当時としては珍しい完全週休2日制。祭日も休み。つまり、かなり時間が余る。そのうち、会社から夜間英会話スクールへ通えと指令が出た。そこも1年ほどで終了したので、また自由の身となった。そこで、鷹美術アトリエ村という美術研究所に入った。ここで3年半毎晩裸婦の固定ポーズを描いた。土日も裸婦のクロッキーが朝から晩まで4回あり、裸婦漬けの日々となった。父が「あいつは俺より描いている」と言っていた時期だ。
作品:F4「CRY」
天気:晴れときどき曇り。夕方から物凄く寒くなる。
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