
まず、無学祖元は蒙古兵に囲まれ、まさに首をはねられようとした。そのときの偈(禅的な漢詩、七言絶句)を聞いて元兵は去っていった。このような修羅場をくぐりぬけた男が日本に渡り、多くの禅僧を育ててくれたのだ。
兀菴普寧も日本に来た中国僧だ。鎌倉の建長寺の住職に就いた。建長寺の本尊は地蔵菩薩。自分は印可を受け、悟りを開いた仏(=如来)だから格下の菩薩を礼拝する必要はないと一切礼拝しなかった。これは普通に考えれば傲慢な話だが、当時の命懸けの禅の修行はそれほど厳しいものだったということ。
円爾弁円は6年間宋で修行した日本僧。この人の話はまた明日。
今日も金井画廊でいろいろな人に出会った。私が30年若かったらぶん殴っていた年配の男性(自称美術評論家)もいた。私の前で文化勲章の話はしないほうがいいと思う。でも年間300万円は欲しいよな。
写真:金井画廊3
天気:晴れ