イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2011年05月

マティスは偉大か?

『近代絵画の見かた』(シュミット・教養文庫)は持って歩いているだけでほとんど読んでいないけど、それでも半分ぐらいまで進んだ。今はマティスのところだ。今から50年前だったら、マティスは世界最大の画家だった。マチ・ピカ・ブラと言われた。マティス、ピカソ、ブラマンクが指導的大画家。日本の戦後画壇はこの三人に熱狂していた。そんななかで、私の父はルオーに傾倒した。私の記憶にある最初の美術展は上野の西洋美術館のルオー展だ。15歳ぐらいだったと思う。そのカタログも持っている(古書で買った)。国画会なら赤ん坊の頃から毎年連れて行かれて、30年近く毎年見た。ここ30年はほとんど見ていない。数年前に一回行った。
で、マティスだが、もともとマティスは大して見ていなかった。おそらく私のホームページでもマティスの話は書いたはず。・・・今見たら「絵の話」に12年ぐらい前の「マチスからの警告」と題してアップしてあった。
私がマティスに驚嘆したのは、30年ぐらい前に上野の都美術館でやったロシアのどっかの美術館展でである。カタログも持っているはず。2m四方ぐらいのでかい絵がバンバンバンと並んでいた。それがピカソと隣同士で二部屋とも素晴らしかった。私はピカソとマティスの脳みその中に入り込んだような錯覚に陥った。なんてスッキリ聡明なんだろう。もちろんエネルギッシュでもある。まさにスマートだった。
マティスは素晴らしい。だけど、それにしても『近代絵画の見かた』のなかの褒め言葉は桁外れ。そんなに褒めなくても・・・
夜はプールへ行った。
天気:曇り、一時晴れ

準備は大丈夫

2755bb1a.jpg5月後半の制作ラッシュの最終日が28日と思ったら、6月1日にも絵画教室があった。そのあとクロッキー会が6月14日だから、それまでにキャンバスを用意しておけばよい。ま、しかし、6月14日まで絵を描かないわけではないだろうから、キャンバスに油断は出来ない。当たり前だが、金もかかる。
まったくイッキ描きはキャンバスの準備がハンパない。それがベルギーのクレサンキャンバスで、ジャンジャン使う絵具もブロックス絵具なんだから、贅沢の極致だ。大巨匠か!
だけど、絵を描くのは気持ちいいかも。絵具だらけになって形を追うのは最高の喜びである。
今日は体調が回復したが、遅くなってしまい、今日もプールに行けなかった。
作品:F3「野バラ」
天気:曇り

弓も直球勝負はしない

中野孝次の『道元断章』(岩波書店)をたまに再読している。『道元断章』は十年以上前に図書館で見つけて読んだ。そこから中野孝次を知って、良寛に関する本とか『清貧の思想』なども読んだ。だけど、寅さん流に言えば「あっ、お前、さしずめインテリだな」と気がついて、長かった付き合いを絶った。小林秀雄と同じデザインの墓を生前に作るなんて、あまりにも私から遠い。ワインにも詳しい(らしい=私とは無縁)。
でも、今朝もトイレで『道元断章』(去年少しお金があったとき古書で買った)を読んでいたら、イッキ描きにぴったりの文章に出会った。それは『日本の弓術』(ヘリゲル)を紹介して道元の教えを解説している箇所だった。弓術について「自分の意志、自分の考え、判断、もくろみ、意識、願望、意欲などをもって入っていったのではダメなのである」(p169)。ではどうするか?
搦め手から行く。5月22日にも書いたとおりだ。
今日はプールへ行く予定だったが、体調不良なので止めた。
天気:雨

生涯の代表作!?

1ba512ae.jpg見つからない本がいっぱいあるなぁ。池田満寿夫の『私のゴッホ・私のピカソ』もまだ見つかっていない。ああいうのはそのうちなんかの拍子で出てくる。気にしない。養老孟司の解剖の本も見つかっていない。あの本にはレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図がいかに先進的であったか、レオナルド以前の解剖図と並べて掲載してある。たしか筑摩書房の新書か文庫だった。『解剖学教室へようこそ』だっけ? もしかすると、図書館で借りて読んだだけで買ってないかもしれない。買った可能性は高い。
プールの回数券は買ったけど、そろそろテレピンがなくなってきた。ベルギー製のスタンドリンシードオイルはゲットした。予備に買った日本製のスタンドオイルもまだある。あとはキャンバスと木枠だけど、買う前に置く場所を確保しなくてはならない。今置いてある場所を大々的に整備する必要がある。ま、5月後半の制作ラッシュのキャンバスはクリアしている。今日が最終日だ。
今年の春バラの絵はどうだったかな? 最初に描いた30号は娘に褒められた。滅多にない快挙かも。もちろん、機嫌がよかった素人が軽く口走っただけだけど、そういうのはけっこう本当だったりするのだ。私の生涯の代表作かもしれない。
今日はクロッキー会だった。
作品:F3「庭のバラ」
天気:雨

島流しになったとき・・・

昨日までの文脈に近い話は『自分を活かす“気”の思想』(中野孝次・集英社新書)だ。私もその本を持っているけど、今は見つからない。この本は、気のレベルについて書いてある。最後に実例として画家などが登場する。だけど、その画家がどうも私の意見とはだいぶ異なる。確か、速水御舟の絵を最上の気が発揮された絵としていたように記憶する。速水御舟について詳しくない私には反論できない。とは言っても、私がまったく速水御舟の絵を見ていないわけではないし、代表作ならすぐ頭に浮かぶ。
自分がどっかの遠い島に流されるとき、速水御舟の絵は持ってゆかない。やっぱり富岡鉄斎を持ってゆきたい。または牧谿とか、夏珪の絵を持ってゆくだろう。
ああいう著名な新書も絵の実例を出されると白ける場合がある。
富岡鉄斎だって、池大雅を最高の画家と評しているけど、私は浦上玉堂のほうがいいと思うし、鉄斎が絶賛する中国の董其昌はちっともわからない。まったく意見が合わない。
そんなこと言ったら、ゴッホが高く買うミレーよりもコローのほうがいい。ゴッホはフランスアカデミズムの巨匠であるウイリアム・ブグローも褒め称える。実は私も初めてブグローを見たとき(20歳ぐらい)には腰を抜かした。絶対絵画とさえ呼んだ。だけど、その後たくさん見て、それは、確かに凄い画家だけど、島流しになったときには、まず持ってゆかない画家。大して見たくない。コローやドガを持ってゆく。コローやドガは何度も見たい、ずっと見ていたい、物凄く懐かしい。上手さを誇っていない。上手さを隠している。テクニックは「もっと重大なこと」を表現するための道具にしている。テクニックをひけらかすことが目的ではない。考えてみれば当たり前のことだけど(どんなものだってテクニックが目的ではない。原発だって・・・)、絵描きはバカだから、そこんところに気がつかない。私みたく、気がついていても絵がなかなか出来ないトンチキもいるけどね。
今日は、大学の後輩Y氏の個展を見に柴又まで行った。とても遠かった。江戸川も見た。帰りの電車から初めてスカイツリーを見た。
天気:曇りのち小雨

不可思議な境地

5eaf04d6.jpgでは、「もっと重大なこと」って何だろう?
わからないけど、絵も所詮は道具に過ぎないということか?
「もっと重大なこと」がわかるための道具?
素晴らしい絵が最終目的ではない。絵は結果である。
「もっと重大なこと」がわかるためには、絵でなくてもいいわけか?
いいと思う。
よくわからないけど、古いヨーロッパの絵や中国の絵を思い浮かべると、もちろん絵が目的だったのかもしれないけど、画家はもっと別な境地にいる。そうとしか考えられない。
絵の厚みとか造形としての大きさ(絵の寸法ではない)、深さみたいなものは外観では測れない。絵の厚みったって、別に絵具の盛り上がりの厚みではない。
少なくとも、私はそう考えている。そう考えないと、今まで人類がやってきた絵や彫刻を説明しきれない。それぐらい魅力的で不可思議だ。
ギリシア彫刻、中国や日本の仏教彫刻、宋元の水墨画、ルネサンス美術などなど、説明できない。
ルーベンスは、ルネサンス絵画までには届いていないけど、ルーベンスがルネサンス絵画の偉大さを知っていたのは間違いない。ここが嬉しい。そこがルーベンスの偉大さだ。そして、ルーベンスの技量をもって、最大の技量を発揮してルネサンス絵画を追い求めた。死ぬまで頑張った。そのことに驚嘆する。巨大な美術の山塊となった。
夜、歩いてプールへ行った。予報は雨だったが、ほとんど降らなかった。おそらく今日は2万歩は歩いたと思う。
作品:F10「バラの園2」
天気:曇りときどき晴れ間。

3D並の立体感

町田のグループ展の写真はいっぱい掲載したが、浜松・三ケ日の「カレー&ギャラリーであい」の写真は撮り忘れた、というか私は会期中行けなかった。家内が2~3度行ったが、デジカメを渡すのを忘れた。「であい」のご主人は父の所属していた国画会(東京展)に常連入選する画家でもある。美術品の取り扱いの免許も持っておられる。そういう方の展示は見たかったし、少なくとも写真に収めたかったが、愚かにも、忘れてしまった。諦めるしかない。
しかし、昨日の『なんでも鑑定団』の最後に登場した日本画の池上秀畝(荒木寛畝の弟子)の六曲一双は凄かった3D並の立体感があった。テレビ画像であれだけの迫力だと、実際に見たらもっと凄いのだろう。
歌だってスポーツだって、生まれ持っての才能ってあると思う。もちろん絵でも才能はある。昨日の池上も竹内栖鳳も川合玉堂も、実に上手い。他にも、地方の美術館などでびっくりするほど上手な絵に出会う。洋画の小磯良平の才能はこのブログでも何度も取り上げた。
だけど、私の説では絵の上手さは第二義的なこと。重大ではない、と繰り返し述べている。小磯もドガなどに比べるとガクッと落ちる。並べられない。並べちゃうとスケールの違いにびっくりする。明治の日本画家も富岡鉄斎を出したらみんなすっ飛ぶ。人生一度なのに、何やっていたの? と訊きたくなる。絵が上手くて、有名になって、画壇で威張って、それが何だよ。もっと重大なことがあるだろ、と叫びたくなる。
今日は絵画教室だった。望月邸のバラを4枚描いた。
天気:晴れ

体育会系絵画?

0ab35d02.jpgもちろん美術は文科系である。だけど、イッキ描きはとても体育会系要素が強い。描き方、暮らし方など、スポーツ選手に似ている。ただ、一人で頑張らなければならない点が寂しくもあり、気が楽でもある。そこが絵のいいところ。いっぽう、独りよがりにならないように気をつけねばならない。
実際に、腕の力も必要だ。だから、腕立て伏せとか水泳も止めるわけにはいかない。水泳など好きで泳いでいるだけだけど、ここまで来ると絵と連動してくる。マンションの巡回は、最高のウォーキングになっている。お金をもらえるウォーキングだ。ありがたい話だ。着実に痩せる。食事はむしろ少しずつ増えている。60歳近くになってこんな環境になれたのは幸運だと思う。ウォーキングが身体にいいのは誰でも知っているが、実際に毎日続けるのは難しい。私も非番の日はほとんど歩かない。「あっ、けねぇ〜、歩くの忘れた」となってしまう。ちなみにマンション巡回の歩行数は、まあまあの速足で1万歩以上。
マンションの管理人もそろそろ3年になる。絵が描けなくなるかなと、はじめ少し心配したけど、年間油絵600枚のペースはまったく落ちていない。おそらく負の要素はない。
楽天家、ノーテンキ爺だから、いいほうにしか考えないけどね。
今日もいっぱい地塗りをした。しかし、28日のクロッキー会までに乾くかどうか微妙だ。
作品:F10「バラの園」
天気:雨

いろいろな間違い

70e43975.jpg最近のこのブログの記事にいろいろな間違いがあることに気がついた。NHKの日曜美術館の司会をしている千住明は画家ではなく音楽家らしい。昨日知った。すみません。そのとき、森村泰昌も画家だと思っていたら、写真家であることはコメントでご指摘いただいた。
仏教についてでも、渡辺照宏は中国唐時代の玄奘三蔵を高く評価しているが、同時に厳しく批判もしている。インドから請来したサンスクリット原典を大量に破棄したらしい。玄奘の翻訳は1割程度と言う話。あのサンスクリット原典が残っていたら、中国、朝鮮、日本の仏教はまったくちがうものになったかもしれない。それがいいかどうかはわからない、とも言っている。中国は、自分流に直してしまうお国柄だ。ミッキーマウスやドラえもんを中国風にしてしまうのは周知のこと。仏教の場合も中国流仏教になってしまった。
一人で記事を書いていると、いろいろな間違いがある。一応調べているが、数十分で仕上げてしまうために、調べ忘れもある。一人は危険だ。独りよがりになる。今後も十分気をつけます。
今日は夜、雨の中、歩いてプールへ行った。昨日行けなかった分だ。『ネプリーグ』と『Qさま』は見られなかった。
写真:町田合同グループ展8
天気:晴れのち雨。

生涯にわたる巨大な遊び

69f22c7a.jpgイッキ描きの大原則は写生である。現場で写生をする。絶対現場主義。現場にいてその現場の点景とならなければイッキ描きはできない。風景なら風景のなかに入り込まなければならない。バラならバラの植生と一体化しなければならない。蜂みたいな気持ち、かな?
女性の裸婦と一体化するわけにはいかない。したくても我慢する。絵を描くのが目的なのだ。
イッキ描きは正直に描きたいものを描く。ここが物凄く重要だ。尾形光琳やドガみたく、画面構成を考えて、斬新な平面芸術を創出しようなどという野心はない。長谷川利行が叫んだような、モニュメントを打ちたてようという意欲もない。目の前の描きたいものを描くだけだ。画面構成も平面芸術もモニュメントも、イッキ描きでは、それらはすべて結果である。結果としての造形に期待する。期待はするけど計画はしない。
まっすぐに造形を狙うのではなく、搦め手から攻める。
私はあくまでも描きたいから描いているだけである。それ以上でも以下でもない。
海やバラや裸婦が描きたくない男はいないだろう。出来た絵なんてどうでもいい。風景のなかで、またはバラに囲まれて、そして全裸の女性を目の前にして、好き勝手に筆を揮う、こんな幸せはない。
それで、これが仕事だろうか? 絶対に仕事ではない。生活を懸けた遊びである。生涯にわたるバカバカしい所業だ。しかも親子二代。馬鹿もいい加減にしたほうがいい。
写真:町田合同グループ展7
天気:晴れのち雨。
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