イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2012年01月

木炭デッサンのこと

dd537b53.jpg伊藤廉の『デッサンのすすめ』を少し批判しながらも、私もお若い方にデッサンをすすめるからには、「お前の石膏デッサンを見せてみろ」と言いたくなると思う。
私の石膏デッサンも捨ててはいない。どこかにあるはず。とってあるデッサンは、昔の芸大に合格するほど立派ではないけれど、一応木炭の使い方はマスターしていると判定されると思う。自分でも木炭はけっこう使った感じがある。
木炭が鉛筆とちがうところは、木炭は油絵の筆に近いということだ。とても近い。塗れるし、すぐ消せる。ここがたいへん似ている。鉛筆は塗るのがたいへんで、消すのも骨が折れる。塗れるということは、太い線も引ける。細い線も引ける。
キャンバスや油絵具に比べて、木炭も木炭紙も安価だ。つまり、油彩画家を目指す画学生が学ぶには最適の画材なのだ。
欠点もたくさんある。鼻の穴が黒くなるし、定着しづらい。色がない。ま、売り物にはならない。
そのうち、出てきたら、デジカメに撮ってアップします。木炭紙を縦に二枚続きで描いたパルテノンのカリアティド(女性柱像)とかサモトラケのニケもあったような記憶がある(ヨーロッパで描いた)。芸大受験を目指したわけではないから、自由でデタラメだけどね。まったく、カリアティド(女性柱像)もサモトラケのニケも太ももがいいね。
作品:F100「フローラ」
天気:晴れ

嗚呼、ティツィアーノ

昨日はティツィアーノの画集をゆっくり見た。伊藤廉の『絵の話』のティツィアーノのところも読み直した。伊藤廉の『絵の話』ではティツィアーノの生年が1477年になっていた。いろいろな説があるけど、1488〜90年が妥当のようだ。
ティツィアーノの裸婦をじっくり見ると、ルーベンスやアングル同様、凄くヘンなポーズやプロポーションがある。臍があまりにもでかい絵もある。私も父に臍はでかく描けと言われ、レンブラントなどの裸婦を見ても臍がでかい。ピカソの絵でもでかい。臍は体の中心だからでかく描く。それにしてもティツィアーノの『ディアーナとカリストー』(150号ぐらい。スコットランド・ナショナル・ギャラリー)の左下の裸婦の臍はでかすぎる。
いったい、私はティツィアーノの絵のどこに惹かれるのだろう? 自分でもよく分からない。
色彩うんぬんの話は実物を見ないとわからない。印刷では話にならない。ああ、もう一度ヨーロッパに行って、じっくりティツィアーノの実物を堪能したいなぁ。
でも、印刷でも線描などはある程度分かる。ティツィアーノのデッサンはミケランジェロやラファエロに比べると無駄があって、引き締まっていない、感じがする。
だけど、とても魅力的なのだ。分からない。
とにかく、最晩年の油彩画の大作『ニンフと羊飼い』(120号ぐらい。ウィーン美術史博物館=実物を見ているはずなのに覚えがない=しかし、私が25歳のときはすでにティツィアーノをナンバーワンだと思っていたから見落とすわけがない)などの画境は誰も達成できなかった域に入っている。史上最高の油彩画だと思う。
天気:晴れ

モデルを使わない

55b2430a.jpg父の説では、ルーベンスもモデルを使っていない、と言っていた。もちろん、ルーベンスも、普段はモデルを使って人体の研究をしているけど、大作を描くときにはほとんど想像で描いているはず、との説。けっこう説得力がある。現実のモデルではありえないようなポーズの絵もたくさんある。アングルの絵にも不自然なポーズが多い。ルーベンスの場合は、走っている女性像もある。どんな有能なモデルでも走っているポーズは取れない。
その絵が今度日本に来るらしい。私はプラドで見た。
予定外に絵を買ってもらえたら見に行くかも。ま、日本に来るのだから見に行くなぁ。
でも、わが仕入先がブロックス絵具の輸入を止めてしまったので、大量に注文したから、その資金を取っておかなければならない。第一、いくら注文したか分からないのだ。きっと5万円ぐらいだと思うけど、10万円だったらヒジョーにヤバい。価格も訊かずに、必要な分だけ注文するなんて! 大富豪か! 
まったく絵となると、金の感覚がなくなるから困る。
で、モデルの話だけど、ティツィアーノもモデルを使っていないと思う。ミケランジェロはシステナ礼拝堂に一人でこもって描いていたのだから、モデルがいるわけがない。もちろん、自宅で下描きのときには使っていただろうが。
ま、昔のヨーロッパの巨匠たちは桁外れの描写力。子供のころから修業している。アートに狂っている現代のインチキ絵描きとは腕がちがう。人体の構造や動きがすべて頭の中に入っていた。
われわれもとても追いつかないけど、少しでもましな表現を追いたい。人類の技を継承したい。肌の表現だけでも再現したい。
お若い方には、根気の要るデッサン修業を是非がんばってもらいたい。ホモサピエンスのこの人類しか描けないのだから。
夜プールに行った。寒かったので、客はムチャクチャ速い高校生のお兄ちゃん二人と私だけ。
しかし、寒いとは言え、昼間の陽射しには力があった。もう冬至から1ヶ月以上経っている。極寒の中に春の予兆がある。
作品:F100「プランタン」(この話題で100号の裸婦を出すか!?=モデルは使っていません)
天気:曇りのち晴れ。

まったくちがう

昨日「父の方法は物凄く参考にしている」と書いたけど、私の描き方は父とは根本的にちがう。父の絵はほとんど想像で描いている。私はすべて現場で実物を見て描いている。風景も花も実物を見ているし、裸婦もモデルを使っている。そこが根本的にちがう。
まったくの想像で描く場合もあることはある。たまにはそういう練習も必要かと思っている。
しかし、実際の風景や花や裸婦は、絵を描こうと思って、じっくり見ると、途轍もなく美しい。まったく神様の創ったものは桁外れに素晴らしい。見ているだけでも十分楽しい。ま、絵を描こうと思って見ているから、一般の見方とちがうのかもしれない。絵を描こうと思っているから、自然の姿が別なものに見えるのかも。
美しいんだから、もう、絵なんてどうでもいいんだけど、絵がなければ、あのようには見えないわけだ。そうするとやっぱり、絵を描かないと始まらないのか? 
ボナールも想像で描いたらしい。絵を作っている。ボナールはとても絵が好きなのだ。絵を描く行為が好きなのだ。筆で絵具を置く。ちょっと置く。そういう動作が限りなく続く。一日中やっている。
私とはえらい違いだ。父ともちがう。
ボナールのようなやり方もあり、それはそれで悪くない。とても魅力的だ。
天気:晴れ

大実験

c3eda4f7.jpgやっと100号の描き方を思い出したと思ったら、また1年描かないから忘れちゃう。致し方ない。5月の町田のグループ展のときに50号前後の絵を描く予定。豊橋展でも50号前後の絵を出すつもり。普段も20号は出来るだけ描くようにしている。そういうのをいつも描いていないと小さい絵もできない。大きい絵が売れることはありえないけど、描いていないと腕がビビるのだ。もちろん私の思い込みかもしれない。
絵の描き方みたいなことは、いろいろやってみないと何が正しいのか、わからない。ま、だいたいわれわれがやっていることはピカソ以降の方法だ。いろいろな画家のいろいろな方法を参考にしている。取捨選択している。父の方法は物凄く参考にしている。
だけど、自分でやってみないことには正しいかどうか、ちゃんと判断できない。人生をかけた実験みたいなものだ。
もちろん、大失敗の可能性は低くない。
誰かに「古臭いことやってんなぁ」と嗤われることもある。
嗤うやつには嗤わせておけばいい。
描いてる奴も嗤っている奴もそのうち死ぬだけだ。
そう考えれば、他人を嗤っているより、自分の世界の中で、先人を慕いながら絵を描いていたほうが100倍楽しい。絵は楽しいよ。死ぬまでの命。楽しんだものの勝ちでしょう。
作品:F4「蘭」
天気:晴れ

100号効果

1月の外はあまりにも寒いから、等迦会の100号は11月ごろに描いちゃう予定だった。そういうつもりで準備していたけど、11月は豊橋の個展もあったし、とても描ける情況ではなかった。やっぱり切羽詰らないと描かない。困った気性だ。
でも11月に描く予定を立てたおかげで、100号を5枚も張れた。5枚の100号を何度も描いては消した。延べ8枚ぐらいの100号を描いた計算になる。10枚描く予定だったけど、初めの1枚がだいたい上手くいっちゃうものだ。これが不思議だ。だけど、1枚だけ準備してもダメで、4〜5枚準備しておいて、10枚ぐらい描く勢いがないと「初めの一枚」にはなってくれない。ここがややこしい。たくさん用意してあるから初めの1枚が上手く行く。後ろに4枚あると思っていると絵も厚くなる。そういう意味の厚さもある。
とても贅沢な画法だ。とにかく8枚描くとなると絵の具と画溶液の減り方もハンパない。気持ちいいほどなくなる。
で、その100号の合間に油絵クロッキーを描いたり、静物や海も描く。これが物凄く有効なのだ。自分の思い込みかもしれないけど、金井画廊の個展が毎年開けるのも等迦会の100号のおかげかもしれない。100号の合間に描く小品がなければ、絵が揃わない可能性が高い。
ああ、今年は海に行っていない。搬入の後にすぐ行こう! まだ100号の余韻が残っているうちに是非行きたい。寒くても行くのだ。
で、今日の100号はまずまず上手く行った。最初の絵と今日描いた絵を搬入業者に渡した。
私のイッキ描きでは、100号1枚1時間半から2時間で仕上がる。イッキに描かないとだめだ。
夜はプールへ行った。記録的な寒さなのに人がけっこういた。オンピックイヤーのせいかな?
天気:晴れときどき曇り。思ったより暖かい。風も少しあったが強くない。7℃ぐらいだと思うが、十分外で絵が描けた。

嗚呼、ミケランジェロ

d376b2f2.jpgとうとう明日100号の搬入日だ。今年もろくな絵は出来なかった。もっとも今日の午後と明日も描く予定。運んでくれる車が来るのは明日の夕方だ。まだ諦めていない。
それにしても物凄い寒さだ。きっと今朝、というか昨日の夜中がこの冬最高の寒さだと思う。温暖化の話はどこへ行ってしまったんだろう。今年は、さすがに暖冬ではないだろう。20年ぐらい前もこれぐらい寒かった。寒さは巡回しているように感じるけどね。こういうことも60年以上生きていないと分からない。ま、来年の冬がどうかではっきりする。多分今年並みの寒さだと思う。
100号は家ではでかいけど、会場に持って行くととても小さい。50号ぐらいの感じになっちゃう。130号とか150号に描いている人も少なくない。
ま、100号(162.0×130.3cm)は、いっぱいいっぱいに描けば裸婦の等身大だから、一応満足だ。
この前、チラッとシステナ礼拝堂のミケランジェロを、テレビで見た。最後まで見なかったけど、最近のテレビは画像がよくなっているから、けっこう楽しい。35歳ぐらいのときの天井画も65歳のときの壁画も、両方とも凄いね。大きさも桁外れに立派だけど、描写力が素晴らしい。13歳から厳しい徒弟制度の中で修業しているのだから、現代のわれわれとは比べられない。25歳のときのダビテも映っていたけど、男性像なのに「本当に綺麗だな」と感嘆してしまった。彫刻なのに絵具が付いているみたいに透き通って見える。
そして、何度も言うように、ミケランジェロの最高傑作は88歳のときのロンダニーニのピエタだ。ミラノにある。私はだいたいすべての本物を見ているけど、まったくミケランジェロが、チョイ悪サッカー狂のイタリア野郎と同じ人種とは思えない。イタリアはお釣りも誤魔化されるし、油断すると置き引きに遭う。経済破綻しそうだとの話だけど、よく21世紀まで持ったよ、と言いたい。デタラメなお国柄だ。でも、ミケランジェロもティツィアーノもレオナルドもラファエロも、みんなイタリア人なんだよね。不思議だ。
今日の午後の100号はダメだった。絵画教室は思ったより疲れる。絵画教室では5枚描いた。
作品:F8「蘭」
天気:晴れ

自由読書

大学のころに「夏休みに80冊の岩波新書を読む」と豪語した奴がいた。完遂できたかどうかは知らない。凄ぇな、と思った。20歳のころの80冊は巨大な読書量だ。半分の40冊でも素晴らしい。だけど、この61歳になると、80冊は大したことない。私も軽く越えている。800冊も越えている。8000冊は越えてないと思う。
ご存知のように、私は遅読で、すぐ気が散る。いまも並行して4〜5冊の本を読んでいる。そのうえ一度読んだ本も少なくない。そういう本はカウントされないのかも。だけどまったく気にしていない。読みたいものを読んでいる。『寒山詩』も『芸術の無限感』もお休みになってしまった。昨日は集英社の『中村彝/須田国太郎』を再読していた。『芸術の無限感』の書簡集に出てくる不明人物が誰か探してみた(=わからなかった)。だいたい察しはつく。
いまは『迷いの風光』を読んでいる。これは逆さ読みになってしまった。ラス前の章の森本省念を読んで、最後まで読んだ。そしてまた前に戻った。
私の読書は誰にも監視されていない(誰の読書も同じだと思うけど)から、ムチャクチャである。
アマゾンで1円で買った『サル学の現在』(立花隆・文春文庫)もたまに読んでいる。上下巻があるから2円か。送料は1冊250円ぐらいしたかも。わが町・成瀬から町田までの往復電車賃は260円だから、送料も電車賃だと思えば致し方ない。ブックオフでも1円の本はない。1円の本でも汚くない。十分普通に読める。古いけど誰も読んでいないかもしれない。
お若い方に言いたいのは、本は読み続けていれば、膨大な量になる。焦る必要は、まったくない。人生はとても長い、ということ。でも読まないでいると月日は嘘のように素早い。若いときは多少焦っているのが健全かも。
天気:晴れのち曇り。一時雪。

ギリギリの息吹

7ecbc7c6.jpg昨日は曇り一時雨との予報だったが、実際には曇りのち晴れだった。昨日は100号を描く最後の日。厳密には26日にもう一回描ける。おそらく25日の絵画教室の後にも少し描ける。しかし、ゆっくり描けるのは昨日が最終日だった。結局、陽が射してきたので小一時間描いた。「描いた」というか100号で遊んだ。
昨日、「あの時代の息吹」と書いたので、思い出したが、私が繰り返し読む渡辺照宏(仏教学)や澤柳大五郎(古代ギリシア美術)、少しは読んだ中村元なども中村彝と同世代だと調べてみたが、20年以上歳が離れていた。ちょうど大正デモクラシーのころに生まれている。ま、「三つ子の魂百まで」というから、少年時代に大正デモクラシーを生きたことは大きいかも。私の父も生まれて一年間余だけ豊かだった。つまり、関東大震災(1923年)ですべて終わった。
基礎研究よりも目先の利益に狂奔する時代になってしまった。
絵描きも幸運なブレイクを望む。その風潮は現在も同じ。特に激しいかも。しっかりしたデッサン力を身に付けようなんていう若者はいない。ちょっと描けると細密描写に行ってしまう。さらに金になるコミック、アニメに走る。金は大事だし、安定した生活は絶対必要だから致し方ない。
中村彝や中原悌二郎(1887〜1921)が出る土壌はない。
父は自分の精神が貧しくないことを生後一年間のお坊ちゃま生活があったからだと言っていた。本当に貧しくないか? その辺の評価は身内だから厳しいかもしれないけど、いわゆる「売り絵」は描いていないと思う。
「バカ、描きたいものを描けばいいんだよ」と小声で言った、あの様子から考えると、貧しくないかも知れない。
作品:F0「予感」
天気:曇りのち雨。夜10時過ぎから雪。

あの時代の息吹!

コミュニケーションの要は聞き取りである。耳が悪いと語学力は伸びない。私は少し耳が遠いから、英語もフランス語も無理。日本語だって危ない。私の耳が遠いのは声がでかいせいだ。子供のころから声が大きい。23年間の塾で中学生男子を怒鳴り続けていたから耳が遠くなってしまった。声も割れる。もともと大した美声ではない。
生きてゆくということは身を削ることだから、身体の一部が犠牲になるのは致し方ない。
ま、絵画は表現手段。聞き取れなくても絵は描ける。鉄斎なんてほとんど聞こえなかったらしい。
浪人のころの予備校に、耳がほとんど聞こえない英語の先生がいた。80歳ぐらいだった。「世間の雑音が入らないから静かでいい」とおっしゃっていた。
そう言えば、私の予備校は6クラスぐらいのところで、木造2階建て。校庭もあった。鉄棒もあった。珍しい予備校だった。講師の実力は並外れていた。英語も国語もびっくりするほどの力があった。ほとんどが大学の先生だった。70歳80歳という方も多かった。夏休みに死んじゃった先生もいた。1970年に80歳ということは、1890年生まれか。中村彝(1887〜1924)と変わらない。そう考えると、私も二浪のとき大正デモクラシーの息吹を浴びていたのかもしれない。あの浪人時代は無駄ではなかったんだなぁ。61歳になって初めて分かるとは!
今日は夕方プールへ行った。混んでいることは知っていたけど、行ってしまった。やっぱり混んでいた。でも、いつも同じだけ泳いだ。
天気:曇りのち晴れ
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