イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2012年05月

バカバカしくて嬉しくなる

最近見たテレビで一番バカバカしく楽しかったのはEテレの鉄道模型で16キロを走る話だった。イギリスでのことだ。
ネットで調べると4月28日(土)の放送で1ヶ月も前だった。
『地球ドラマチック 鉄道模型で行こう!〜廃止線路 16キロを走破〜』
テレビで見たときは小さく見えたが、ネットで見るとかなり大きい。Oゲージより大きいかも。
それでも、模型だからとても小さい。あんなので16キロ走らせるという馬鹿な大人がいることが嬉しい。
もうこれは鉄道模型の楽しさを越えている。別の話だ。現実の鉄道と変わらない。
16キロといえば、普通の首都圏の鉄道の駅8〜10個分はある。幼子にマラソンをさせるようなものだ。モーターが焼けてしまう。
鉄道模型でモーターが焼けるほど走らせるなんて、あり得ない話。
続編も放送されたらしいけど、見ていない。楽しかったけど、あれは一回で十分。
今日はプールの日だったが、喉の奥にエヘン虫がいるので止めた。とにかく出国1週間前に風邪を引くわけにはいかない。水泳はフランスで出来るらしいし・・・でも風邪薬のルルを忘れずに持ってゆこう!
天気:曇り

1万が基準?

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みのもんたの『朝ズバッ!』で無水ホーロー鍋の話をやっていた。大人気で注文しても15ヶ月待ちとのこと。途中から見たから詳しくは知らないけど、愛知県の町工場が不安定な下請けだけでなく、独自の商品を開発して安定収入を得ようとしたとのこと。この商品開発の裏には1万個の失敗作があったと言っていた。
やっぱり1万か。
私も1万枚は絵を描いている。そろそろ認められてもいいころだけどなぁ。
1万枚と言っても、本気で絵描きになろうと人生を投げ打って描いてきたんだから、わかってくれる人がもう少し増えてもよさそうな気がする。
おっと、フランス語講座の時間だ。15分間お休み。
今は大巨匠にもピカソにもなる気はなくなった。ただ絵がたくさん描けて、泳げる今の生活がもう少し順調に行けばいい。あとほんの少しだけ絵を買ってもらえれば十分。マンションの管理人を辞める気もない。管理人は巡回するから素晴らしいウォーキングになるのだ。泳いで歩いて絵を描いて死んでゆく。いいね。
今日は絵画教室だった。庭のバラや花瓶のバラ、アイリスなど5点描いた。
作品:SM「庭のバラ」
天気:晴れ

朝の7時30分だよ

このごろ全然本を読んでいないから、話が浮かばない。
本と言ってもたいてい仏教の入門書だ。難しい本は読めない。
NHKラジオのフランス語講座『まいにちフランス語』の応用編(木、金)はフランス文学から抜粋してある。朝7時30分から始まるけど、内容は男女の痴話ばかり。ときどき『星の王子様』みたいな7時30分にふさわしいのもある。ちなみに、チンプンカンプンだ。ただ聴いているだけ。
それにしても、私はフランス文学をほとんど読んでいない。フランス文学を専攻した娘はほとんど読んだことがあると言っていた。あの娘、どんな本を読んでいたんだ!
私も高校時代に『チボー家の人々』を読んだのが唯一の自慢。他に長いのだと『ジャン・クリストフ』も読破した。とてもつまらなかった。ロマン・ロランは最悪かも。少なくとも私とはまったく意見が合わない。その割には『ミレー』とか『ミケランジェロ』などの著作があり、一応読んだと思うけど、中身はまったく覚えていない。
でも、パスカルは若いころから何度も読んでいるし、なぜかサルトルのことも知っている。モーパッサンはけっこう読んだかも。若いころだったのでよくわからなかった。
天気:晴れ

父子の情愛

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父子の情愛を否定はしない。私なんか、子の立場で父親にいろいろなことを教えてもらった。ちょっと特殊だったかもしれない。私と息子の関係とはだいぶちがう。
そういえば、アメリカ映画には父子の情愛ものが多いかも。あの『スターウォーズ』もその類か、な?
一般的には、あまり口で言わないのが父親かも。父の背中を見て育つみたいな。私の場合は反面教師的な面がとても多い。息子は、私とは真逆な堅実な人生を歩んでいる。堅実すぎて疑問も多いけどね。
だけど、ムチャクチャな絵を描いて、泳ぎ回っている人生って? あまりにも破天荒かも。
作品:F8「海辺の集落」
天気:晴れ

ライオンキング

『ライオンキング』はテレビでディズニーアニメを見たので、ストーリーは知っていた。
一般的な舞台の魅力も少しは知っている。今までに数回、歌舞伎も含めて舞台を見たことがある。どんな舞台でも舞台照明は実に見事で目を見張る。
小学生の低学年のころ隅田川の脇の明治座で新国劇を見たのが初めての舞台見物だったと思う。確か『宮本武蔵』だった。初めの場面は関が原の戦場だったと思う。とても美しかった。きっと50年ぐらい経っているはずだけど、今でも、その驚嘆の舞台照明はよく覚えている。
『ライオンキング』も50年前と同じような照明だ。美しいけど、マンネリって言えば言えるかも。きっと技術が定着してギルドのように引き継がれているのだと思う。あの照明技術の裏には、おそらく厳しい修練があるのだと思う。
いっぽう、ヌーの大群が子供ライオンのシンバと父ライオンのムファサを襲う場面など新しい工夫があり、「よく考えたなぁ」と感服する。
物語は、父子の愛情を中心に恋もあり戦いもある。だけど、父性社会で王権社会。北朝鮮をちょっとだけ思い出す。少し抵抗がある。現実の日本とはそぐわない。
今の日本は、というか、世界のほとんどの国も同じだと思うけど、母性社会だ。父親とのかかわりは薄い。
さすがに、劇団四季の歌と踊りは素晴らしい。台詞のないお兄さん、お姉さんたちは普段コンビニや宅急便でアルバイトをしているのだろうか?
私もマンションでまだまだ頑張るつもり。
今日は久しぶりにプールに行った。暑いのにけっこう空いていて泳ぎやすかった。
天気:晴れ

またキャンバスが足りない

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今年はバラ広場は諦めたが、M邸、S邸と描き、今朝もご近所の蔓バラを描かせていただいた。実は、このバラはもう描かないつもりだった。去年、バラの家ではなく他の家の前でこの蔓バラを描いていたら、怒られてしまった。バラの家の方にではない。嫌だからもう諦めたけど、毎日見ていると諦めきれない。狂おしいばかりに咲き乱れている。もう怒られても殴られてもいい、と思ってしまった。でも、今朝は去年とは別な場所で描いた。当然だけどね。
朝5時から起きて迷っていたけど、5時半に決心して起き上がり6時に出かけた。10号と6号と4号を描いた。F3、SMと0号は使い切っていて、もうない。
よく描くねぇ〜。
「売れない絵を」と続けたいけど、生前のセザンヌやゴッホよりは多少売れる、かな。
70枚地塗りをしたキャンバスもまた少なくなってきた。デカイのが少しと8号が残っているぐらいか。フランスに行く前に絵画教室がまだ2回あり、帰国後すぐにクロッキー会がある。物凄くヤバイ。
昨日のサブカルチャーの話を(自説だけど)もう少し言えば、印刷できるものはサブカルチャーかな。とにかく絵は一枚一枚描く。これでは商業ベースに乗らない。当たり前である。私の場合、いくら売れたってメインカルチャーにはなれないけどね。ハイカルチャーはさらに遠い。
一筆一筆の間に練る、耕す。まさにカルチャー(耕す)だよ。
作品:F8「庭のバラ」
天気:晴れ

サブカルチャー?

数日前に家内から「サブカルチャーって何だ?」と質問された。
ウィキペディアで見てみると、びっくりするぐらい難しい。私は簡単にマンガとかイラスト、商業美術全般を指すのだと思っていた。純絵画に対する商業絵画みたいな? でもそれは違っている、ようだ。当たらずとも遠からずって感じもある。
その前に、純絵画って何だろう?
ここの定義もとても難しい。
たとえば、パルテノンの彫刻は純粋芸術だろうか?
誰がどう見たって純粋芸術だべ、と言いたいけど、古代ギリシア信仰の解説でもあるわけだ。神々の姿をわかりやすく表現している、とも言える。
そんなこと言ったら、仏像彫刻も全部仏教の解説になってしまう。
仏教関係では禅画とか禅機画はかなり純粋美術に近いかも。画人の禅の境地を墨に託しているわけだから、一般的な宗教画とはちょっとちがう感じもある。もちろん、ヨーロッパの宗教美術だって結果としては作り手のそのときの心境を表現している。
表現されたものはすべて美術にちがいない。商業目的だろうが純粋表現だろうが人間の営みに変わりない。
とは言っても、物凄い生存競争のなかで目の色を変えて、夜も寝ないで作画する商業美術と、僧侶のように身を清め、多くの衆生に仏教を伝えようと鑿を揮う仏師はベツモノだと考えるのが普通だ。
でもたとえば『ドラゴン・ボール』などを読むと、金儲けより作家が楽しんでいる感じが強い。金に目が眩んで描いている感じはない。それじゃあ売れないと思う。あんなに売れたのは、作家の意図ではなく、予期せぬ結果だったのだと思う。
今日は家賃の更新があった。今月はとてもお金が掛かる。
天気:曇り

惑星の並び方?

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萬鉄五郎(1885〜1927)も村上華岳(1888〜1939)も中村彝(1887〜1924)もみんな1910年代を生きていた。同じ時代に夏目漱石(1867〜1916)がいて富岡鉄斎(1837〜1924)もいた。長谷川利行(1891〜1940)もちょっと若いだけだ。
凄い時代だね。
よく考えると、同じ時代にパリだって多彩だった。
惑星の並び方でもよかったのかなぁ。
以前、この1910年代である大正デモクラシーを讃えた立花隆の本を『文明の逆説』と述べたけど、『ぼくはこんな本を読んできた』(この本は持っていない。図書館で借りただけ)だったような気がする。
今日は朝からとても忙しかった。S邸のバラを3枚描いて、神田に国際免許証をもらいに行ってから、劇団四季のライオンキングを見に浜松町に行った。家内が息子から母の日プレゼントされたチケット。私はお相伴した。
明日も近所の家のバラを道路から描く予定。
今年の春はバラ広場に行けそうもない。
作品:F3「浴室にて」
天気:晴れ

一筆一筆の間に練る

そう言えば中村彝も華岳や萬と同じようなことを言っているなぁ。その辺が落とし所なのかもしれない。
つまり、絵を描くことによって結核をなだめるみたいな言い方だ。萬は「画家が人間を作るには一筆一筆の間に練るほかはない」と言っている。華岳も筆によって喘息と闘い、喘息をなだめた。
作品はその結果なのだ。作品の良否に拘ってはいけない。
相撲だって勝敗の星勘定より一日一番、いい相撲を取ることが大切らしい。
しかし、絵を描くほとんどの人は作品に拘る。それは当たり前だけど、本当じゃない。描く行為そのものを最重要視しなければならない。
つまり、作品の出来と描く行為との葛藤なのだ。
それは筆の一刷けと一刷けの間に、いつも繰り返される闘いだ。
「どうだ、巧いだろ!」みたいな絵にならないために、一筆一筆を抑えて、対象に感動して、思いを込めなければいけない。
ヴュイヤールの絵には筆を抑えた、抑制の良心がある。東洋で言う「減筆」というのはそういう意味なんじゃないかな? ちがうかもしれない。「筆を惜しむ」なんていう言い方も聞いた覚えがある。他に「愛筆」というのもあるらしい。
今日はクロッキー会だった。
午後はM邸のバラを6枚描いた。全滅かもしれない。明日の朝はS邸のバラに挑戦する予定。
天気:晴れ

独特の裸婦観

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華岳も萬もよく似た考えだ。作品を最重要視しない。描く行為を修行のように捉える。ま、修行と言っても、本当の仏道修行とはちがうかもしれない。しかし、白隠禅師(1686〜1768)が、若いころよく描いた絵を、仏道修行の妨げだと思って一時期止めていたが、たしか東嶺という画僧に絵を描くことが修行になると聞いて60歳ぐらいからまた描き始めた、と読んだことがある。ずっと昔何かで読んだ記憶がある。間違っているかもしれない。白隠は長命なので、60歳からでも20年以上描いたことになる。また、文字はずっと書いていたから筆に長じている。白隠の墨絵はピカソの闘牛などの墨絵を圧倒する迫力だ。物凄い気迫だ。
で、村上華岳の仏画だけど、仏画と言っても、裸婦みたいだ。バストもしっかり描いてある。華岳は、独特の裸婦観を持っている。
「え〜、男が女性の裸を描くのに、そんな気持ちになれるのかぁ〜?」
と、ちょっと疑わざるを得ないような主張だ。
私が思うような男女間の気持ちは大前提ということかもしれない。そんなの当たり前で、しかもそのうえ仏性みたいなものを漲らせるらしい。
よくわからない。
私が裸婦を描くのはただギリシア彫刻の真似をしているだけ。もちろん永遠に手が届かないけど、とにかく真似がしたいから描いている。また、ティツィアーノの真似もしている。真似というのは造形をそっくり真似るのではない。線を引く喜びを追体験するようなものだ。出来上がった作品はいつもギリシアやティツィアーノからはほど遠い。そんなこと、気にしないけどね。
今日はフランスに画材を発送した。
作品:F3「芍薬」
天気:雨
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