イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2014年06月

全体的に低調

パソコンも壊れて、絵も描かず、プールにも行かず、楽しく金、土、日を過ごした。もっとも土曜日だけ午後からマンション勤務があった。
テレビもいっぱい見たし、少し本も読んだ。NHK『55歳からのハローライフ』(土曜日午後9時)は第1回目(14日放送)だけがよかった。2回目も3回目もイマイチ。ま、今後も見る予定ではある。暇だし。Eテレの『宇宙白熱教室』とかNHKスペシャルの『故宮』も見た。
本は『人間であること』(時実利彦・岩波新書)も『哲学入門』(戸田山和久・ちくま新書)も置き去りにして『中国絵画入門』(宇佐美文理・岩波新書)ばかり読んでいる。とはいってもほとんど進まない。まだ58ページだ。絵を見ながら読むし、画集がある場合は引っ張り出して見てしまうので、とても時間がかかる。第7章を目指して読んでいるが、やっと第5章に入ったばかり。第7章は「天才・牧谿の世界━南宋」である。まだ1行も読んでいない。そこだけを楽しみに生きている。
今月は油絵も35枚ぐらいしか描かなかった。海にも行かなかった。全体的に低調だったかも。海では絵を描いてから泳ぐ予定だったけど、サメ事件もあったし、何か嫌だね。サメに食われたくない。噛みつかれるだけでも恐ろしい。サメに遭遇する可能性はまずないけどね。宝くじが当たるより低い確率だ。7月になったら、もう海には行かない。駐車場代が10倍に跳ね上がるし、人でいっぱいになっちゃう。そのかわり、外プールが始まる。それで昨日のプールもサボったのだ。7月18日まで、マンション勤務の合間を縫って、出来るだけ行く。とは言っても、10日ぐらいか。土日は子供でいっぱいになってしまう。週日の朝だけ狙う。
多分7月は50枚描くと思う。そう言えば、2年前の南仏では1カ月で70枚描いたっけ。裸婦抜き70枚は凄かったね。
天気:曇り
作品:F3「ピンクのバラ」(この絵は私より家内が推奨)
140522bara3

パソコン故障でした

27日にパソコンが起動できなくなり、なぜか今直った。以下の文は27日にアップする予定だった。2日間悪戦苦闘していた。ブログはお休み。ホームページも遅れてこれからアップ予定です。
牧谿の瀟湘八景図のなかの「煙寺晩鐘図」を初めて画集で見たときはぶったまげた。20歳ぐらいの時だ。東京・高輪の畠山記念館に所蔵されている。父親と見に行った。そのときのことは父も自分の著書(『桃唇集』だったっけ?)に記している。今でももちろん「煙寺晩鐘」は、私の中で第一級の風景画だが、実は私は文化庁にある「遠浦帰帆図」にも強く惹かれている。どっちもどっちか。両方とも素晴らしい空間描写だ。いやいや空間描写は石膏デッサンや静物画に使う言葉。風景画には大気表現とでも言いたい。
牧谿は1280年ごろ活躍した画僧だから、1775年生まれのターナーより500年以上昔の人なのだ。
もっとも瀟湘八景図は牧谿の真筆とは言われない。「伝牧谿」扱いだ。私には誰が描いたっていいけどね。
まったく中国には凄い風景画がわんさかある。牧谿より少し前の夏珪も素晴らしい。北宋の范寛、郭煕などにも目を見張る。同時代の江南の巨然(牧谿より300年ぐらい前)の筆の跡はいくら見ても見飽きない。巨然は牧谿と同様お坊さんだったという話。
夏珪も范寛も郭煕も巨然も、代表作は「台北故宮博物院」と打ってコレクションの中のセレクションと進めば、見られる。拡大して隅から隅まで見られる。たぶん、実際に見るよりよく見られるかも。でもやっぱり、美術館に行って実物を見たいけどね。
それにしても台湾の故宮は太っ腹の大サービスだ。インターナットはこうありたい。ロンドンナショナルギャラリーはチョーケチくさかった。全然見ていないけど、最近は少しはオープンになったか? 
・・・いま見たら、20年前よりだいぶよくなっていた。だけど大英博物館のほうはとても情けなかった。私の探し方が悪いのかもしれない。インターネットへの理念がなってないのだと思う。お宝を全世界のネット上に開放しろぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
ああ、大英博物館の常設展示は入場無料なのにねぇ。そっちのコンセプトは立派なんだよね。
ちなみに、東京国立博物館はネットでけっこう見せてくれる。
今日は箱根の彫刻の森美術館に行った。ロマンスカーで行きたかったけど、やっぱり金がないので車で行った。絵の道具も積んで行ったけど描かなかった。その話はホームページで。
天気:晴れときどき曇り夕方から雨

古典オタク

人体の最高の目標がギリシア彫刻なら、風景画の大目標はやっぱり牧谿の瀟湘八景図かなぁ〜? もちろん、ターナーもモネもマルケも素晴らしいお手本だ。
花のお手本も牧谿だけど、徐渭もいい。また、モネの最晩年のバラ、藤、アイリス、アガパンサスなどもいつも心に浮かぶ。80歳前後から描き始めた傑作群だ。
私は、そういう世界の最高峰ばかり見ている。目はそっちに釘付けだ。今の画壇とか美術業界なんて見向きもしない。現代アートも、勝手にやってくれよ、って感じ。
私の古典美術への想いは、鉄道オタクが目を輝かせて列車を追うのと変わらない。美術館や博物館にも足を運び、画集はしょっちゅう見ている。むろん自分でもじゃんじゃん描く。そういうチョー楽しい自分ワールドで遊んでいる。申し訳ありません。
今日は夕方蚊に刺されながら地塗りをやって、夜はプールに行った。けっこう混んでいたけど、普通どおり泳いだ。
天気:晴れときどき曇り
作品:F10「プランタン」
1406-10d

後裔になりたい

本当に自分が描きたいもの。ここのところが肝心だ。真剣に描きたいもの。自分に正直になってまっさらな気持ちでじっと思うべきだ。女性の裸だったら、どんな裸か。私はどうしてもギリシア彫刻に至りつく。パルテノン神殿の破風彫刻を想う。
あの造形だ。塊。量感。大きさ。動き。確かに脈打っている人体表現。神に捧げた彫像である。ああいう気持ちで描きたい。いやいや無理無理。でも目標だよね。
同意者としてルーベンスがいる。プッサンがいる。レンブラントがいる。ロダンもいる。同じところを見ていた大先輩たちだ、と思う。
ギリシア彫刻は東洋にも伝わっている。インドを経て中国に到り、日本の仏像にも影響している。ギリシアの息吹は奈良の仏像によみがえっている。まったく素晴らしい。現生人類は本当にものをよく見て、その本質をしっかり捕まえている。はずしていない。ぶれていない。
絵描きにだって、彫刻家にだっていろいろな誘惑はある。皮相な魅惑だ。目先の安逸だ。それでダメになった絵描きも少なくない。ほとんどかも。画壇のつまらない権力争いもあるし、時の権力者に妥協することもあっただろう。しかし、そういうダメを乗り越えて、真実の技法を伝えてきた。
世の中には卑怯なインチキ野郎がいっぱいいる。ここ数カ月のニュースでも作曲家モドキとかエセ科学者とか、匿名ヤジ野郎(これはネット上にも多い=最悪!)とかだ。自分の人生を愛していないのか? 本当に素晴らしい人類の造形を見ていないのだと思う。われわれにも後裔になる権利はあるのだ。目があり手がある。筆がありキャンバスがある。描く環境がある。まずはそこに感謝するべきだ。
お手本もいっぱい見られる。美術館や博物館、画集、ネット。よい方向で利用するべきである。
今日は午後から電車で町田に行った。『中国絵画入門』(宇佐美文理・岩波新書)を買ってしまった。新本840円+税だった。依然として地塗りはしていない。明日やりたい。地塗りは乾けば乾くほど描きよいのだ。
天気:晴れのち一時雨。成瀬は酷い雨にならなかった。

心配なく現代アート

昨日「生物が生まれてから33億年経過している」と書いたけど、38億年らしい。
それにしても生物の歴史は長い。美術史はとても短い。そういう美術史の中で自分の作品を位置付けるのもバカバカしいけど、池田満寿夫はけっこう真剣に考えていたみたいだ。はっきり言って私はほとんど考えていない。少し考えることもあるけどね。せっかくこの世に生を授かって絵描きになったのだから、たまには考える。でもすぐバカバカしくなる。
心配しなくても、われわれは現代作家だ。コンテンポラリーとか現代美術とか、そういう妄想に悩んでいる若い人もいるけど、描きたいものを描きたいように描けばいいのだ。本当に自分が描きたいものを描けばいいのだ。そこのところは真剣に正直になるべきだ。一生は一度しかないし、今の自分は2度とないのだから、本当にやりたいことをやるべきだ。
私たちは間違いなく現代人である。南海トラフを気にかけ、福島を憂い、大津波におののいた21世紀の日本人だ。ワールドカップに熱狂し、オリンピック招致には少し考え込んだ。消費税が上がっている。株価も上昇気味。ま、そういうところに住んでいる。梅雨の真っ最中で、もうじき寝苦しい真夏が来る。それが厳然たる事実。チャキチャキの現代人だ。まったく心配ない。
歴史の中での自分の位置なんてクソ喰らえである。そんなことは後世の暇人に任せておけばいいのだ。ほんとうの今を生きる人類はやりたいことをやるのだ。そのために養生もする。飯も食う。それが真人てものだ。「真人(しんじん)」なんて言葉あるのかなぁ〜。どっかで読んだような気もする。禅の本だっけ?(ネットで調べたら老荘思想の言葉だった。意味はだいたい正しい感じ)
今日はクロッキー会だった。雨もギリギリセーフだった。
天気:曇り、午後から一時雨。町田の成瀬は大した雨ではなかった。
作品:F10「フローラ」
1406-10c

悲しい広告

昨日の朝日新聞の本の広告に『広い宇宙で人類が生き残っていないかもしれない物理学の理由』(C・L・アドラー 青土社 3200円)というのがあった。1面だけど、小さな広告だ。
この当たり前の表題を見ていると、なんか悲しくなるね。だけど、私は人類がいなくなるのは当然だと考えている。太陽だってなくなるし、この天の川銀河にだって最後が来る。人類がいるわけがない。
新聞の3面のでっかい広告には『宇宙が始まる前には何があったのだろうか?』(ローレンス・クラウス 文芸春秋 1600円)とあり、宇宙の中での人類の存在を重要視しているようなことも書いてあった。
もちろん、両方とも読む気はない。書店にあったら、パラパラ立ち読みするかも。数年後に図書館に入っていたら借りることもあるかもしれない。その程度の興味だ。でもNHKのEテレでやっている『宇宙白熱教室』は見る可能性が高い。第1回はもう見逃した。毎週金曜日夜の11時からだって。この情報も広告内に載っていた。
ま、人類はいなくなるけど、核戦争やムチャクチャな環境破壊、原発事故などがない限り、数億年は生きられる計算だ。でっかい隕石がぶつかってくると危ないけど、今の調子で人類の科学力が進歩すれば、数百年、数千年後にやってくるかもしれない巨大隕石は破壊できる可能性もある。
ちなみに、1億年は1万年を1万回繰り返す長さ。現生人類の歴史時代は長く見積もって1万年。一般には5千年と言われている。地球は誕生から45億年経ち、生物が生まれてから33億年経過している。
こうやって考えると、これってまさに諸行無常だね。われわれの一生は短いよ。瞬間だよ。
なんにしても、しっかりお利口に頑張れば、相当長い間人類は生きられるはずだ。
でも、いつかはいなくなる。ギリシア彫刻もモナリザも牧谿の傑作も奈良の仏像も壊れてしまう。
で、繰り返し思うのは、たった今、生きている喜びを味わうこと。それは豪華な食事ではない。クロールの一掻きだ。筆を持ってモデルに対峙した瞬間だ。最初の一筆だ。朝の空気を味わいながら歩く爽快感だ。飯は納豆で十分すぎるぐらい十分。とっても旨い。
今日は地塗りしようと思ったけど出来なかった。
天気:晴れ

空気、香り、鼓動

ものをそっくりそのまま描くことは出来ない。これが前提だ。だけど、そっくりそのまま描こうと頑張ることは出来る。出来ないから筆が重なり、暴れ、乱れる。それでもなお頑張る。この頑張りの軌跡が絵画の魅力なのだ。
「そっくりそのまま」とはどういう意味だろう?
ま、写実ということだけど、写実と言ってしまうと、いろいろな誤解を生む。
一つの方法は実際のモノを見て描くという原始的な描法だ。私はこれが最初で最後の方法だと信じ切っている。実際に見て描かなければ面白くない。そこにだけ絵画の醍醐味がある、と確信している。あんなにいろいろな描法を試みたピカソだって最後はそうやって描いていた、はず。
もちろん、尊敬する富岡鉄斎は見て描いていない場合も多い。桃源郷なんて実際に見られるはずもない。もっとも、4月上旬の山梨県は桃の花のジュウタン状態になる。中国の伝説の理想郷である桃源郷とはまた話がちがう。
実際の風景には風が吹いている。吹いてなくても空気がある。ここが重大なところ。現場でキャンバスを立てなければ、その味わいはわからない。
花には香りがある。儚さがある。それも実際に見ないと感じ取れないと思う。
女性の裸を実際に見られ、それを自由に絵にかける環境、これは奇蹟と言ってよい。こんなありがたいことが現実にあるのだから感謝して筆を持つべきだ。何度も言うけど、黒田清輝(明治期に裸婦を描く重要性を説いて、政府や一般常識と戦い続けた)に感謝しなければならない。
私自身は、明治期の政府や一般常識に分があるように思ってしまう。そう言いながら裸婦を描いている。その申し訳ないとか、「これはおかしいだろ」と思う気持ちが大切だとも思っている。現に脈打ち鼓動している全裸の若い女性を描いている自分に驚き、何度も感謝してしまう。この気持ちを失ったら私の裸婦はおしまいだ。
今日は夜25m中学開放プールに車で行った。
天気:雨のち曇り
作品:F10「海原」
1406-10a

ドやらしい映画

わが家にはBSがない。テレビ番組表を見ると、見たい映画とかスポーツ放送、将棋番組などもあるけど、地上波でも見尽せないのに、BSは要らない感じがある。将棋はネットで無料でたくさん見られる。また、テレビ東京で昼過ぎにやっている映画にもときどき凄いのが登場する。木曜日には『氷の微笑』をやっていた。ドやらしい映画だ。あんなの昼間からやっていいのか? 子供は学校に行っているから許されるのかもしれない。午後9時よりましかも。
もちろん以前にも見たけど、カメラワークの意欲が凄い。初めの10分でわかる。もっとも『氷の微笑』は初めから濃厚なベットシーン、凄惨な殺人。ぱっと見、凄まじいエログロだから画面に引き込まれないわけがないけどね。主演のシャロン・ストーンは命がけの全裸の演技。物凄い意欲だ。
やっぱりいい映画はカメラワークでわかる。ハラハラドキドキもハンパない。とにかく一見の価値はある。まだ見ていない元気のある方はレンタルでご覧になることをお勧めする。凄いよォ〜〜〜。
テレ東の『氷の微笑』では、けっこう大事な部分がカットされていた感じもある。ベットシーンは十分全部やっていた、と思う。凄かったぁ〜〜〜。
油彩絵画技法の根本について語ろうと思ったのに、とんでもない話になってしまった。
今日も10枚ぐらいキャンバスを張った。
天気:曇り一時晴れ

少し減らすかも

ネットで見ると自分の絵が実物よりだいぶよく見えてしまう。実物はネットで見るみたく綺麗じゃない。申し訳ない。
毎月50枚油絵を描くのは無理になってきたかも。歳なんだから無理はしないほうがいい。40枚強にして年間500枚で妥協するか。張るのが大変である。また、地塗りの絵具も少なくなってきた。何しろ、ブロックス絵具が手に入らない。ブロックスが尽きたらレンブラント絵具で描こうと思っているけど、なくなってくると、ブロックスの素晴らしさが分かってきた、か? もう遅いよ。
そう言えば、悠遊展のDMも作らなければならない。悠遊展は等迦会の東京多摩支部展も兼ねているのだ。大事なのだ。とにかく、絵画教室の活動の様子を写真に撮ろう!
今日は非番だった。キャンバスを20枚ぐらい張った。
天気:晴れ
作品:F10「ロードス」
1406-10b

台北から来る

台北の故宮博物院から武元直の『赤壁図』が来る。南宋の絵ではない。金の絵。金というのは北宋を滅ぼした北方の女真族の国家だ。1126〜1234年の約100年間満州から華北一帯を支配した。だから時代的には南宋時代に重なる。
江南の絵ではないから、とても硬い絵だけど、滅多に見られない中国絵画の傑作である。
6月24日〜9月15日東京国立博物館平成館で「特別展・台北 故宮博物院」が開催される。『赤壁図』は後期の展示だそうだ。京橋の金井画廊でやる悠遊展(8月24日〜29日)の展示飾り付けの前にでも見に行くか。
ネットでも見られる。「台北國立故宮博物院」から入って、トップページの「コレクション」のなかの「セレクション」を開けると、多くの傑作がすみずみまで見られる。まったく、台湾に行かなくてもいいぐらい。もちろん今のところまだ台北まで行く気持ちは持っている。台北なら遠くない。
でもとりあえず向こうから来てくれるのだから、それはそれで見る。今日ローソンで前売り券を買おう!・・・と思ったけど、チケットを買う機械の操作が難しくて買えなかった。
今日はキャンバス張りの下準備をした。
天気:晴れ
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