イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2016年06月

自分実況

将棋の升田幸三の言葉に「勝てるときに勝っておけ。すぐ勝てなくなる日が来る」というのがある。絵描きだったら、「描けるときに描いておけ。すぐ描けなくなる日が来る」かも。だから、カンナを描きに行く。現在、朝の7時25分。バイバイ。<出掛ける>
<帰宅>はい、P40からF0まで5枚描いたけど、おそらく全滅。モネってわけにはいかない。あのカドミウムオレンジは高価なのだ。使いまくったけどね。
ああ、コバルトブルーもなくなった。チントならたくさんある。
ついに、刀折れ矢尽きるか。
最後の鉛筆1本まで描くよぉ〜〜〜。ここで午前9時10分。本日は終わり。
午後からマンション勤務。
夜は録画しておいた『プレバト』で俳句のお勉強。添削クイズはたまに当たるけど、自分ではぜんぜん作れない。
天気:曇り

ああ、牧谿

『等伯』(池田満寿夫、橋本綾子・講談社「水墨の巨匠」第3巻)の池田満寿夫を読み終えて、今は橋本綾子の解説に入った。
この前の土曜日はテレビの『美の巨人たち』を半分寝ながら見た。『美の巨人たち』は最盛期のルネサンス1時間特番だった。
で、並行して『ルノワール』(アンヌ・ディステル/創元社「知の再発見」双書55)もあちこち読んでいる。
さっきは、この前もらってきた『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』展のパンフを見て、ティツィアーノの画集もパラパラめくった。
こうやっていろいろ見ていると、当たり前だけど、時代や国によって絵って変わるよね。それぞれちがう。チョー当たり前。
『等伯』(池田満寿夫、橋本綾子・講談社「水墨の巨匠」第3巻)の橋本は等伯と牧谿を比べていた。日本人画家の中国絵画の受容の違いについても書いてあったけど、何度も言うように、多くの日本人画家がどうしてそんなに牧谿を慕うのか、そこのところを知りたい、というか牧谿を一目見ればわかるけどね。
牧谿は厚く深く、墨の付きが俄然優れているもの。圧倒的だ。墨が紙にへばり付いている。馴染みきっている。墨が空気になっている。大地になっている。人の肌になり、猿の羽毛になり、鶴の軽いけど筋肉質な肉体を表している。採れたての野菜の喜びがあり、静寂な柿の配列がある。燕のスピード。雀の懸命な生。凄いね。
等伯も雪村も雪舟も愚渓も黙庵も可翁も(時代が遡ってしまった)みんなよくわかっている。知っている。後を追っている。慕っている。時空を超えた素晴らしい水墨画ワールドがある。
中国の徐渭や八大山人も牧谿を追慕している。
もちろん、牧谿の前の時代にもワンサカ凄いのがいる。だんだん辿ってゆくと、巨然(五代)なんていう素晴らしいのに出会える。私は昔、巨然の『層巌叢樹図』の複製画を65000円で買った。家内の実家の床の間にずっと掛けてある。豊橋に行くと中国の皇帝みたいな気分になれる。
今日は自作のナスが大きくなって収穫と決まったので、その前に絵に描いた。合計4枚。その後散歩に出たら、見事なカンナの群生に遭遇。「描きてぇ〜〜」というモネモネ本能が沸き起こったけど、明日の朝かな?
天気:曇り
作品:F8「アンダンテ」この絵は10年前の絵。少し色がある。
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等伯って、どうなの?

今は『等伯』(池田満寿夫、橋本綾子・講談社「水墨の巨匠」第3巻)を読んでいる。画集なので、でかいから読みづらい。コピーして読んだほうが賢明かも。私のプリンターはA3でもコピーできるけど、紙を入れ替えるのが面倒。また、いま読んでいる『等伯』は図書館の本だけど、ブックオフにあれば500円ぐらいで買える、と思う。でも、現在残っている等伯の絵は数が限られていて、私はほとんど全図版を持っているから買うこともない。
で、等伯(1539〜1610)ってどうなんだろう?
盤石の狩野派の本拠地・京都に乗り込んだ新星、というイメージ。
狩野派にも永徳という実力ある大スターがいた。まさに絵画の下克上だ。
しかし、専門画家という狭いなかでの戦い、という感じ。少し前の雪村(1504?〜1589)のほうが絵も人間もはるかに大きい、ような気がする。
二人とも戦国時代の画人だけど、雪村はほぼ織田信長(1534〜1582)まで。等伯は徳川時代の幕明けまでだから、雪村は戦国時代のまっただ中で、等伯は安土桃山時代と言える。等伯は築城時代に生きた。どでかい障壁画の需要が尽きなかった。
現代だって高層ビルの建築だらけだけど、私には絵の注文がまったく来ない。ああいうビルの中の絵ってどうなっているのだろう?
絵なんて飾らないのか?
ま、私の100号は裸婦ばかりだから初めから無理だよね。そんな世に出るなんてことに汲々としても碌なもんじゃない。いま絵が描けることを喜びとして生きるべきだ。チョー当たり前、か。
今日は朝一で等迦会選抜展のために重たい20号を上野まで持って行った。午後からマンション勤務。65歳としてはかなり偉いかも。よくやるよ。
午後のマンション勤務がなければ、もうちょっと空いている時間帯に行けた。でも、電車をやり過ごしたりして、うまく運べた。雨がシャクの種だった。
天気:雨のち曇り

絵画とは人間である

小説『等伯』とNHKドラマ『真田丸』はちょうど時代が同じで、抜きつ抜かれつして楽しかった。長谷川等伯は徳川の治世まで生き、江戸に呼ばれて、江戸に着いてすぐ亡くなった、とある。72歳だった。昨日の『真田丸』は豊臣秀吉の一子・鶴丸が3歳前に死んでしまう場面。その少し前の千利休の切腹場面もあった。
『等伯』は他の多くの小説やドラマと同様、千利休がいい人で秀吉が無謀となっている。『真田丸』では、利休は死の商人として描かれていた。
そのキッカケとなったのが北条氏の小田原城で発見される利休印の鉛(=鉄砲玉の原料)。その北条氏には牧谿の『瀟湘八景図』があった。
少し前の時代だが、雪村は小田原城で『瀟湘八景』を見て模写もしている。
多くの日本人画家が牧谿に感動し、牧谿を敬慕している。
牧谿の絵は文句なく素晴らしい。
私は「牧谿を慕う油彩画家」という珍しい立場かも知れない。私の父が牧谿を知るのは48歳ぐらい。私は20歳で知っていた。というか、私が父を畠山記念館に連れて行った。入場料は父親持ちだったと思うけどね。そう言えば、抹茶も飲んだなぁ。
私は出発点から牧谿だった。もちろんいまだに牧谿である。
それが、大学の東洋哲学科で学んだ仏教と重なる。ま、実際は大学ではあまり仏教を学んだ記憶がない。でもその後膨大な入門書を読んできた。いまだに読んでいる。それは大学で仏教の種をもらったからかも。牧谿はご存知のように禅僧でもあるのだ。雪舟も雪村もみんな禅僧。
で、絵画とは人間なのだ。当たり前だけどね。
そうなると、専門画家なんて全員スカということになる。要らねぇ〜〜〜。
でも、くれぐれも言っておくけど、ヨーロッパの、たとえばこの前見たルノワールなんかは狩野派よりずっと牧谿に近い。絵画の真髄に迫っている。
そこのところのメカニズムをしっかり掴んで、世間の絵画状況を見渡して欲しい。絵をお買いになる場合は、数万円、数十万円のお金を出すのだから、よーく見ていただきたい。
今日は古い絵の整備とキャンバス張りを少しやった。明日から雨だからもっと張りたかった。明日は20号(額付き)を持って上野まで行く。雨がとても心配。
天気:晴れ
作品:F8「青い部屋」18年前の絵。まさか毎日見られることになるとは。色がねぇ〜〜。
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腕の唸り

とうとう小説『等伯』の返却日が来てしまった。でも大丈夫。残り20ページほど。まだ朝だから、私でも20ページなら楽に読める。
いっぽう、『絵物語・長谷川等伯』(西のぼる、安部龍太郎・日本経済新聞出版社)という本も借りてきた。長谷川等伯の絵がいっぱい見られるかと思ったら、西のぼるの絵が大半だった。西のぼるは挿絵画家で、きっと新聞掲載のときに挿絵を描いたのだと思う。こういう本は西さんには不利なようにも感じられる。等伯の絵だと思って本を開くと「なんじゃこりゃ!?」となってしまう。私の場合、図書館だから損した感はとても小さいけどね。
もう一冊は講談社が出した『水墨画の巨匠』シリーズの『等伯』。こっちの解説はなんと池田満寿夫だ。少し読んだけど、やっぱり美術史病に罹っていた。池田さんは美術史が好きだ。人類の絵画はラスコー壁画の初めから彩色されているのに、どうして水墨画なんかが生まれたんだろう、と不思議がる。
それは、池田満寿夫が仕上がりを重要視する版画家だからだ。
絵描きは鉛筆一本で絵が描ける。最初の構想は鉛筆だ(イッキ描きは最初から油絵だけどね)。鉛筆と油絵のヒエラルキーとかなんとかルノワール展でも書いてあった。そんなこと私は何十年も前から言っている。もちろん、「ヒエラルキー」なんて言葉はとても使いこなせない。「ヒステリー」ならじゅうぶんくらってきた。
出来上がった絵を見れば人類は最初から彩色するべ。自然界は彩色されているんだから当たり前だ。
水墨画は(イッキ描きもだけど)、「描くぅ〜〜」という腕の唸りみたいなものを瞬間的に画面に叩きつける画法である。工程が多い版画には理解できないかも。でも、棟方志功なんか、けっこういい線いっていると思う。「彫るぅ〜〜」という腕の唸りを感じるもの。
イチローだったら「打つぅ〜〜」という腕の唸りか?
出来合いの、綺麗に仕上がったものに惑わされてはいけない。お菓子だったら包装に誤魔化されてはいけない。中身が美味くなければ話にならないのだ。
今日は10年前の絵の整備をして、夕方25m室内プールに歩いて行った。運動はほぼ完璧。プールは混んでいたけど、メニューは消化できた。小説『等伯』も読了できた。
天気:晴れ

ルノワールゥ〜〜

絵は筆触なのだ、タッチなのだ。『翼の王国』で書かせていただいた美術記事の、これが私の一貫した主張だった。『翼の王国』では、とにかく実物を見に行く。実物には生々しい筆の跡がある。それが画家の鼓動だ。息遣いだ。現物の絵画からは画家の生の叫びが伝わってくる。ついこの前のモランディ展でも、モランディの筆の跡がじわじわと感じられた。特にバックの大胆な処理に感銘した。
昨日のルノワールの絵にも、すべてに筆が躍動していた。筆の喜びが踊っていた。その前に見た『樹』展では多数の画家の樹の絵が並んでいたけど、中には職業的な筆もいっぱいあった。また、創意工夫はしているけど熟達の域には入っていない、喜びになっていない筆もある。ルノワールの筆はすべて喜びに従って描いている。目的は富貴でもないし栄達でもない。描くことで完結している。絵を道具にしていない。慈しんでいる。
それは美術史から見れば、ルノワールも世に出ようと必死だった。サロンへの入選も企んでいた。ルノワールだって絵が売れないと困る。
だが、それ以上に筆が勝手に喜んでしまうのだ。ルノワールの絵はそういう絵だ。
そして、たくさんの絵を描かないと、真なる画家に達しないことも心得ている。描きに描いている。理屈じゃない。とにかく描かないと始まらないのだ。
さらに、クラシックを敬慕している。古典作品に心酔している。
時空を超えた描く描くワールドに入り込んでいる。この鉄壁の描く描くワールドの牙城はでっかく城門を開いている。誰だって入れる。出入り自由だ。出入り自由なのに城壁は高く、堀は深い。
筆を持って描くだけのこと。描けば出入り自由。だけどなかなか描かないんだな、これが。描きさえすれば、ティツィアーノだって、ミケランジェロだって、ルーベンスだって、レンブラントだって、牧谿だって、雪村だって、浦上玉堂だって、富岡鉄斎だって、長谷川利行だっている、みんないるその描く描くワールドで一緒に遊べるのだ。語れるのだ。笑えるのだ。
ルノワールは十分楽しんでいたと思う。
天気:曇り
作品:F15「花瓶の紫陽花」
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10年前の中身

10年前のブログ(2006.9.25)に、古代ギリシア彫刻の生命賛歌を受け継いだのはローマ人ではなく、インドや中国の東洋人の祖先だった、というようなことが述べてあった。それはもちろん、日本の天平彫刻や鎌倉彫刻にも繋がっている。
言っていることは最近と変わらないけど、こういう忘れている一面もある。
また、自分の死についても、いろいろ考えて、そのことも書いてある。最近では、死ぬのはどうしようもない。考えてもお手上げ。生きている元気なときに、やりたいことをやれるだけやる、という当たり前の結論になっている。その元気を維持するのは自分の知恵。とは言っても、それも正しいかどうかわからない。水泳はやらないと喘息になる。過酷だけど気持ちいい。
一昨日描いた20号は立ちポーズではなく座りポーズだった。自分で描いたのに、図柄にまったく記憶がない。酷いね。で、どうも一昨日の絵を出す可能性が高い。去年の絵よりいいみたいに見える。これはとりあえずめでたいことだ。
今日は新宿の損保ジャパンの美術館で『樹』展を見て、新宿の都庁で運転免許の書き換えを済ませ、世界堂でスタンドオイルを探して、国立新美術館まで足を延ばし、『ルノワール展』を見た。大旅行だった。ウォーキングは十分だったと思う。
『ルノワール展』は涙が出るほど感動した。かなりおすすめである。
天気:曇り夕方から雨。ムシムシするが気温は高くなかった。

選抜展の20号

来週の29日から上野の都美術館で等迦会の選抜展が始まる。誰も見に来ないと高をくくっている。だが、去年の選抜展には六本木の本展より多い来場者があった。モネ展と重なったため、らしい。今年はポンピドー・センター展と重なる。ポンピドー・センターの前身はパリ近代美術館。ピカソやマティスがやってくるはず。また、多くのご来場が期待できる。
選抜展には20号を1点出展する。その1点がどうだと言うんだ、と思われるかもしれない。実は、私自身、上野の都美術館の地下で何十人と一緒のグループ展より、道路に面した金井画廊の個展のほうが、はるかに意味があるようにも思う。
しかし、あまりだらしない絵も出せない。一応額装して並べるんだから、満足できる絵を出展したい。他の出品者の方にも、それが礼儀だし、ご来場の方々には、ますます失礼がないような絵にしたい。ま、自分のなかで、マシな絵を出すということだ。
20号はクロッキー会の20分ポーズでいつも描いている。実物の裸婦を見て描く最大の大きさだ。ふだんなら15号でもOK。しかし、ここのところはずっと20号を描き続けてきた。何枚描いただろう。10枚以上描いている。でも、去年描いた候補作には及ばない。昨日の絵がもしかするとまさっているかもしれない。昨日が最後のあがきだった。
6000円の出品料のほか、搬入搬出の手間(私は電車で自分で持って行く予定。しかもマンション勤務の日と絵画教室の日と重なるのだ)、留守番にも半日行かなければならない。最低3回は上野通いが必要。団体に参加している以上、他の方にご迷惑ばかりかけるわけにはいかない。少しでも役に立ちたい。実際にはご迷惑ばかり。オンブにダッコ状態。
で、せめて絵ぐらい少しでもマシな絵を出したいと思い、頑張ってきた。
今週末のホームページの掲載作が出展作。寝ポーズなら去年の絵。立ちポーズなら昨日の絵である。
今日はマンション勤務の早番でたっぷり歩いた。さらに夕方の空があまりにも綺麗だったので少し散歩もした。夜は車で25m室内プール。なんかかったるかったが、泳ぎ始めると、案外好調だった。
天気:雨のち晴れ
作品:SM「最後のバラ」今年最後の春バラ。
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10年前の絵とブログ

『等伯』(安部龍太郎・日経新聞出版社)は2年前に直木賞を貰った作品だった。半分以上読んで初めて知った。直木賞をもらおうが、文化勲章をもらおうが、面白くなければ話にならないし、ちゃんと話が絵画の核心に至っていなければダメだ。だが、下巻の3分の1ぐらいまで進んだところではかなり期待できるかもしれない、と感じている。
ここのところ、ちょっとした事情から、10年前の自分の絵を見、このブログの10年前のところを読んでいる。昔のブログは短かった。10年前の絵は20枚ぐらい見ている。10年前でもいい絵はいい。つまらない絵はつまらない。当たり前である。
よかったり、つまらなかったり、今と変わらない。それがいいことのようでもあり、進歩がないような感じもある。ま、たくさん描けば描くほどよくなるという原理が正しければ、最近のほうがよいはずだ。ああ、出来は二の次なのだった。つい忘れてしまう。
それにしても、私がマンションの仕事をしていなかったら、今のように健康ではいないと思う。貧乏のなかにありながらも幸運だった。歳に関係なく運動しなければヤバい、のだ。特に55歳を過ぎると生命の危険がある。私は58歳からマンション勤務をしているからぎりぎりセーフだった。危ない。
最近も膝が痛かったけど、無視して歩いていたら治ってしまった。ほとんどの膝痛や腰痛は歩くと治る。治らない場合もあるから、他の人におすすめはできない。
今日はクロッキー会だった。運動はとても少ない。ウォーキングが少し。30分程度。
天気:雨のち曇り

生涯最高の心意気

NHK大河ドラマ『真田丸』では、千利休はかなり悪役だけど、小説『等伯』ではい
い人になっている。春屋宗園とともに狩野永徳の絵を批判する場面がある(下巻p75)。
完成したばかりの聚楽第の障壁画に、等伯がすっかり気圧されてしまい、「あのように立派な絵を見たのは初めてでございます」というのに応えて「そらそやろ。ここより立派な御殿は、日本のどこにもあらへん。しかしな、あんな仕事だけが本物(ほんまもん)の美しさやあらへんで」という。この「本物の美しさ」がなにを指しているのかは今のところ出てこない。
ヨーロッパのルネサンス絵画なのか中国の南宋絵画なのか不明だ。
昨日の牧谿と等伯を比べると、牧谿の空間意識、墨の使い方、筆の熟達度など、どれをとっても等伯の及ぶところではない。ま、画面が小さくてよくわからないかも知れない。私は両方とも実物を見ているからよく知っている。
牧谿にいたるには、とにかく描かないと始まらない。理屈ではない。マンガでも困る。描くというのは、いつもこの一点が生涯最高の一点と思って描くのだ。99%ダメだけど、心意気は生涯最高、である。そう思ってないと描かないし。
どうであろうと、たくさん描かないと筆や墨や絵具はなじまない。始まらないのだ。
頭で考えてモネの最晩年の「藤」はできないだろう。モネも『ルーアン大聖堂』や『積み藁』や『睡蓮』シリーズなど、考えに考えて描いたけどね。無駄ではない、というかモネが名声を博したのは、ああいう綿密な光の表現を探求する姿勢だった。欧米人はああいう探求姿勢が大好きだ。とにかく、モネは結果としてたくさん描いた。幸運にも長生きをした。最晩年まで筆を揮った。それで、われわれは『藤』を見ることが出来た。ありがたい話だ。「ありがたい」とは滅多にないということでありサンキューということでもある。
今日は雨のお休み。午後から雨がやんだので歩いてカラオケに行った。この頃、腹で歌えるようになったかも。喉が痛くならない。単なる湿気のせいかもしれない。
天気:雨のち晴れ
作品:F4「黄色い庭のバラ」
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