イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2017年03月

古典絵画からの無限の教え

《ティツィアーノとヴェネツィア派展》は4月2日まで。ご紹介するのが遅すぎる。初めから大しておすすめの展覧会ではないと思っていた。とは言ってもティツィアーノなのだから65歳以上無料の日(2月15日)に等迦展と掛け持ちで行く予定にしていたがインフルエンザに罹ってしまい行けなくなり、結局昨日になってしまった。
ティツィアーノ(1488/90〜1576)の絵は20歳から80歳頃まで来ていた。目玉の『ダナエ』は56歳ころの絵。もう一点『フローラ』は25歳ぐらい。それらの絵はもちろん見ごたえ十分。素晴らしい。だけど、私が見たいティツィアーノは80歳以降。また、デッサンにも期待したけど、デッサンは一点もなかった。他の人の小さな版画がいっぱいあっただけ。
今回目を見張ったのはマレスカルコという画家の『田園の奏楽』(1520〜1525頃)。ティツィアーノやジョルジョーネ(1478頃〜1510)の『田園の奏楽』とは図柄が全然ちがう。色が透き通って見えた。「これがヴェネツィア派の色彩なのか!」と思い知った。いやいやまったくの勘違いかもしれない。
私が盛期ルネサンスのレオナルド(1452〜1519)、ミケランジェロ(1475〜1564)、ラファエロ(1483〜1520)を差し置いてティツィアーノ、ティツィアーノと繰り返すのはデッサンより色彩を重視してのことではない。ティツィアーノは何と言っても油彩画の名手なのだ。油絵具の魅力をたっぷり教えてくれる。それは画面で直接伝えてくる。ガンガン来る。油絵具はあくまでも透明。下の色はすべて生きている。不思議な画材だ。マレスカルコの『田園の奏楽』はティツィアーノの先駆としてじゅうぶん納得できる画質を示していた。
絵の画面を通して偉大な先人たちから教えを受けるのはとても楽しい。まったく絵画は時空を超え言語を超えた対話メディアだ。

今日は金井画廊には行かずマンション勤務。夜は25mプールに行った。
で、明日は4月1日の娘の結婚式の関係で帰宅しない。品川のホテルに泊まる。だからブログもホームページもアップできない。ブログはお休み。ホームページは日曜日にアップする予定。
天気:晴れ
作品:F10「北伊豆にて」
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求めなければ得られない

誰でもいつでもどこでも悟りを開けるのが仏教の魅力。性別も修行を始める年齢も国柄も出身も一切関係ない。完全絶対平等だ。生まれながらの能力もまったく無関係。とは言っても、あまりにも愚かな人は無理なのか。いっぽう頭脳明晰でも権力闘争に明け暮れている輩も不可能。だって、悟りは求めなければ得られない。
絵について、わがイッキ描きも完全絶対平等路線で行きたい。だけど、いい絵を描きたいと思わないと絵は出来ない。いい絵というのがどういう絵なのか? さらに作品の出来に拘ってはいけない、ただひたすら描く。ま、そう言われても矛盾している感じもあるし意味不明だと思う。
なけなしの画才で画壇ピラミッドの頂点を目指している人もいれば、メジャー通俗路線で莫大な財産を築く画家もいる。そういう人の絵も「いい絵」からは遠い。絵を出世の道具にしちゃお仕舞だ。われわれが絵の道具、シモベであるべきだ、ろう。
昨夜『ゴッホ』(圀府寺司<こうでらつかさ>・角川文庫=この本、買いかも)を読み終わった、というか数週間前にほとんど読了していたのだが、少し読み残しがあったので全部読んだ。ゴッホ(1853〜1890)はイッキ描きのお手本だ。描法はもちろん、方向性もほぼ合っている。だけど、とても若いし野心もある。それらの問題点を上回る作画への意欲と実際の作画量が素晴らしい。
私は圀府寺のゴッホ画集も持っているけど、ヘンな現代画家の絵が混じっていたりして気持ち悪い。なんであんなの載せるのだろうか? そういう点でまったく意見が合わない。
とにかく一生懸命たくさん描く。お手本をよく見る。
というわけで、今日は個展の前にティツィアーノ展を見に行った。『マティスとルオー展』は招待券があったのに、私のドジで期限切れになってしまった。バカだったぁ〜〜〜。
天気:晴れ

絵は枚数

今日は画廊に行く予定にしてあったが、数週間前にマンション勤務の依頼がありそっちを受けた。で、午前中に30枚余り地塗りをして図書館に行って期限の本を返却し娘の結婚式に展示する絵を式場に配送した。
いっぽう、今やっている個展のお客様から、去年の夏ごろブログにアップした絵で現在展示していない絵を見たいとのご要望。その絵を探して見つけ出した。探してみると新作で金井さんにお見せしていない絵がけっこうある。もちろん隠しているわけではない。じゅうぶん用意してあるつもりなのだが、毎年そういう絵が後で見つかる。とにかく何百枚のなかから選ぶから致し方ない。

で、絵は枚数だと私は思っている。その分量も、上を見たら切りがないけど、とにかくたくさん描かないと勝負にならない。また何度も言うが、昔の絵や彫刻を見ないとダメ。昔の絵や彫刻はお手本なのだ。われわれは現生人類だけが持つ描かずにはいられない根本的な性情を繋いでいる。それだけのことだ。でも、それは最高レベルのお手本で繋いでゆきたい。もちろん、自分の描いたものが最高レベルと言っているのではない。これも何度も言うが、出来た作品なんてどうでもいいのだ。追うもの、慕うもの、お手本とするものを最高レベルにしたいだけだ。
絵は才能ではない。枚数である。真剣な10万枚を目指したい。

昨日のわが相撲ブログは自分の性格の悪さがにじみ出ていて気持ちよかった。最悪だぁ〜〜。
天気:晴れ、夕方から一時雨。
写真:F4「古い壺」
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するからされる

昨日の相撲にはびっくりした。まさか怪我をした稀勢の里が元気のよい照ノ富士に2連勝するとは思いもよらなかった。琴奨菊は照ノ富士に変化されて大関復帰を逃したけど、琴奨菊自身11日目に変化しなかったっけ? しかもそれで負けて連敗したよね。押すしかない力士が変化で楽に下位力士に勝とうなんて無理っしょ。押すことで大関にもなり優勝もしたのだから。変化するからされるのだ。ま、変化はルール違反じゃない。稀勢の里だって千秋楽の本割では右に左に変化した。大笑いだった。琴奨菊VS照ノ富士戦のときは「バカ野郎、相撲見せろよ」とテレビ画面を怒鳴り付けたけどね。
最近の相撲は本当に面白い。八百長が消えて全力士がマジ勝負だから実に楽しい。今場所も7勝7敗がたくさん負け越した。昔はなぜか7勝7敗は勝ち越すんだよね。

今日はここに大絵画論を展開するはずだったが、禿げ頭でいくら考えても文章がまとまらなかった。情けない。

今日はちゃんと画廊に出勤したけど雨と寒さでお客様は少なかった。
天気:雨のち曇り。雨は止んだがとても寒かった。

みんな同時代

個展会期中とは言えマンション勤務をあまり長く連休すると備忘録を読むのが一苦労。たまに行って仕事の様子を把握しておかないとまずいと思い、去年から会期中でも2日ほど勤務した。今年はマンション勤務の都合で3日になってしまい、画廊にご迷惑をおかけしている。今日もマンション勤務日だ。

絵って何だろう?
表現だという。ま、表現にはちがいない。自分勝手なわがままな表現なのだろうか?
誰に対しての表現なのだろうか?
絵は過去の画家や彫刻家に対する表現なのだと思う。言ってみれば、私は後ろしか向いていない。最近の言葉を使うならすべての絵は過去へのオマージュだ。オールドマスターとの対話、というか一方的なリスペクト。人類の真摯な表現への欲求の糸を繋いでいるだけのことだ。
私に新しい表現の意図はない。私の絵は東洋人の絵だし21世紀の現代絵画である。そんなもの、当たり前ではないか。21世紀に生きている東洋人が描いたのだから目指すまでもない。
レンブラントの一刷けが女性の太腿を一発で表現した。私はそれを追っている。レンブラントと私とは350年ほどの歳の差があるけど、そんなのまったく関係ない。私にはたった今描いたように見える。ラスコー洞窟壁画の動物の躍動表現だって私にとっては同時代の線描である。
ああ、85歳で裸婦の等身大背中寝ポーズを描いたティツィアーノ。素晴らしいですぅ。

今日はマンションでたっぷり歩いて夕方から50mプールに行った。寒いせいか空いていて泳ぎやすかった。
天気:雨
作品:F4「休日」この絵も写真撮り忘れ。
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ブログは大切

もうすぐ4月なのに寒い日が続く。個展には不向きだ。
今日は孫の卒園式があった。個展に2時間ほど遅刻した。卒園式には爺の顔でも並んでいないと「爺ちゃんなんで来なかったの?」と孫は手厳しいから致し方ない。現実には下の孫たちの子守り。早めに抜け出すように心がけた。
個展状況は例年と大きく変化はない。ただここ数年私のブログを読んでくださっている方に絵を買っていただくケースがとても多くなった。
往復の電車では座れた場合はほとんど寝ているが、本を読むこともある。今は『巨匠たちの迷宮』(木村泰司・集英社)でベラスケス(1599〜1660)のお話。どこかで読んだことはあるのだろうがほとんど忘れている。けっこう面白いけど、眠気は最優先、というか知らぬ間に眠っている。
明日はマンション勤務。画廊からはお休みをもらった。
天気:晴れだが寒い。

大過なし

『なぜ、健康な人は「運動」をしないのか?』(青柳幸利・あさ出版)は題名とは裏腹な内容。苛酷な運動を要求している。毎日8000歩歩き、そのうち20分間は速足とのこと。高齢者は無理をしなくてもいい、などと書いてあるが、結局は暇な日に補えとある。さらに10000歩が理想のような表記も見える。大雑把に言って、私の運動生活は間違っていない感じを受けた。怠け者の私が自分で頑張っているという感覚は青柳先生から見ると運動していない程度なのかも。
むしろ、昨日から始まった個展通いが運動不足で食べ過ぎになる可能性が大きい。
10000歩と8000歩って五十歩百歩より歩数が近い感じがする。
私の場合は15000歩ぐらい歩いてしまう日もある。そっちを気を付けたほうがいいかも。ま、もともと怠け者だから心配ないけどね。

今日は個展会場に多くのお客様に来ていただきありがたかった。だけど、いつも一人寂しく田舎をうろうろしているだけの爺としてはとても疲れた。
天気:曇り。寒い。
作品:F8「バラード」
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戦争の時代の片隅

中野京子の『怖い絵』シリーズやいろいろな歴史を読むと人のやってきたことはロクでもない。現在でも戦争をやっている国もある。長谷川利行(1891〜1940)の生きた戦前の東京も関東大震災があり、その後戦争へどんどん突き進んでいった。太平洋戦争で亡くなった日本人戦闘員は170万人以上とある。その人たちひとりひとりに親がいて、奥さんがいたかもしれない。子供もいた人も多いだろう。民間人だけでも40万人死んでいる。そのなかには女性や子供もたくさんいた。
だけど、いっぽう助かった人もいる。田舎で静かに暮らした人もいるのかも。ヨーロッパの歴史も凄まじい。5年前に私が行った南仏のミネルヴァなど、大虐殺された町だった。だけど、そういう争いにほとんど関係なく生きた人も少なくないのでは。戦国時代でも田舎に暮らせば静かだったのかも。
上に述べた太平洋戦争でも200万人以上の日本人が亡くなったが、7000万人ぐらいは生きていたわけだ(多くの人が心の傷を負ったが)。
ニュースもそうだけど、歴史も事件に視点を当てて語られる。事件のない平和もいっぱいあったに違いない。こういうことは当たり前すぎるから誰も言わない、のか?
どっちみち、135億年の宇宙時間(実際にはもっともっと膨大だと思う)から考えれば、瞬間の出来事。そういう尺度でどうやって生きるか考えるのも必要かも。だけど、現実には自分の睡眠、排便、運動もままならない。家計を考えるとノイローゼになる。

今日は個展の初日。運動不足のうえに食事は不規則。京橋の空気は悪いで、まこと最悪。町田の成瀬はいい所かもしれない。
天気:薄曇り

個展前日

いよいよ明日から京橋の金井画廊で個展が始まる。
原則、毎日会場に通う。今年はマンション勤務が3回入ってしまったので、あまり行けない。それでも、7日間は通う予定。頑張ろう!

今日は絵画教室だった。7枚描いた。
午後から図書館までウォーキングをして「なぜ、健康な人は『運動』をしないのか?」(青柳幸利・あさ出版)を借りてきて、夕方は50m室内プールに行った。借りた本の題名と行動が不一致。

夜、昨日録画しておいた『カルテット』を見た。主人公4人の下手な演奏についての手紙を読み上げるシーンがあった。酷い手紙だ。演奏の上手い下手なんて関係ない。演奏する人がいて聴く人がいる、それだけのことだ。嫌なら聴かなければいい。
何百億年の宇宙時間から考えれば人類の生存なんて一瞬の出来事。その中で何をするか、歌を歌うか、絵を描くか、運動するか、楽器を演奏するか、やりたいことをやればいい。人のやっていることに四の五の言うのは最低だと思う。特に匿名は死刑に値する。
天気:晴れ。風がけっこうあった。
作品:F6「新種のマーガレット」今日描いた絵です。
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画集のコメント

昨日の午前中は画集作りをやった。画集といっても冊子パンフレットみたいなものだ。18ページの中身に30点余りの絵を入れる。これを選ぶのが大変だし、次々に絵が出来てしまうので、新作との入れ替えもしたくなっちゃう。どこかで締め切って諦めなければならない。
もともとお喋りだからコメントも入れたくなる。コメントは最小限に留めたい。テレビの俳句番組の先生にしたがって、短くてわかりやすいものにしたい。和歌や俳句の但し書きみたいな感じか。「北伊豆にて」とかの題名だけでも但し書きになっているけどね。それだけで十分という気もする。イッキ描き理論は要らないかも。ブログやホームページでいくらでも読めるものね。
でも、多少の活字はあったほうが楽しい、というか画集を見る立場なら欲しくなる。画集の絵に同意できるならなおさらその場で文字も少し読みたい。そういう気持ちを汲みとった短くてスマートなコメントが欲しいね。

今日の午前中も画集作りをやって午後はマンション勤務。
天気:雨
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