イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2017年12月

切羽詰る

「大晦日、定めなき世の、定めかな」は井原西鶴の句。
ほんと「定めなき世」だねぇ。そこのところに何か定めらしきものを言いたがるのが哲学か? 何を言っても定めはない。
私自身もいろいろ切羽詰っているけど、私以上に切羽詰っている人は世界中に五万といる。歳をとるとそういうことがわかるようになる。自分だけが不幸ではない。
そう言えば、昨日ATMに並んでいたら、白髪交じりの女性に横入りされた。瞬間的な問題で、もしかすると私のが遅かったのかもしれないけど、図々しい人間がいるものだ。でも、勇気もある。私は大柄で絵具のついた黒いジャンパーを着ている。世間でも70歳前の爺は凶暴なのだ。そういうこと知らないのか、その人はもっとさらに凶暴なのか。私より20〜30僂阿蕕で悗低く小柄だった。もちろん、ぐっと我慢した。ハーフトーンがないから「ここ、並んでます」みたいなやさしい言い方は出来ない。きっと横入り婆さんも切羽詰っていたのだろう。ちなみにATMの前に公共トイレがあるので、下が切羽詰っていても安心。
個人のレベルではなく世界規模でも切羽詰っている。ニュースを見ていると、もうじき世の終わりが来そうな気配さえある。どのみち、5億年経ったら地球上に生物は住めないらしい。地球の寿命はあと40億年以上あるけど、太陽が膨張し始めて地球環境が激変するという。ま、そのころには人類はイスカンダルに移住しているはず。エジプトのピラミッドや中国の万里の長城は持って行けない。分子移動で引っ越せるか?
普通に考えれば、いつか人類も滅亡する。哲学はいつもそういうレベルで思考している。バカバカしいと言えばバカバカしい。5億年て、人類が誕生してまだ600万年しか経っていない。現生人類に限定すれば5万年てとこ。10万年先の人類がどんなになっちゃっているか、想像もつかない。SF映画なんかではひ弱になって、ダラダラした服を着ている。ちなみに5億というと10万が5千個必要。
西田幾多郎も遠い将来や古い昔を想いながら、現実に生きる術を語った。まだ読み終わっていないけど、物凄く同意できる。

今日は何もしなかった、感じ。午後から版画美術館に車を止めて町田のブックオフに行った。いろいろ買いたい本があったけど、明日から20%OFFとのことなので明日また来ることにした。『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)もあった。410円だった。明日は330円なのか?
今年もご愛読ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。来年と言っても明日ですが……
天気:曇り一時小雨。都心では雪も。
作品:17水墨裸婦(32.9×25.5僉砲曚箸鵑匹凌緞詫臧悗魯椒弔世韻鼻極たまに「これ俺が描いたのか!?」と思うような絵が出来る。若い女性の健康美か?
17suiboku1

どっちも強情

朝は寝床のなかでいろいろなことを考える。それを松尾芭蕉は「寝覚めの分別、何事をか貪る。愚かなる者は思うこと多し」と『閉関の説』に書いている。
でも、朝の寝床はオシッコもしたいけどなんかいいこと思いつくような気もする。雑念がなくなる、みたいな感じがする。
今朝は『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)の影響もあり、私自身の仏教観を考えた。何度もここでは述べているけど、お釈迦様が言いたかったことは、社会的には平等、個人的には丹田呼吸と歩行だけだと思う。最終目的は平和だろう。お釈迦様は物凄く合理的な人だったのだと思う。抹香臭い葬式仏教徒からは想像もできない人。何度も言っているけど、お釈迦様が加持祈祷による現世利益なんて主張するわけがない。ありえない。悟りの境地もないと思う。悟りというのは打算抜きにものごとに集中している瞬間のことだ。西田も宗教の神秘的体験について「無用の長物」とか「閑人(かんじん)の閑事業」と退けていたそうだ(p146)。
しかし、私は信仰を悪いことだとは思っていない。神がいるということを信じている人を信仰の人というなら、私などは神がいないということを信じているわけだ。どっちも強情な信者だ。
で、絵のことだけど、そろそろクロッキー会も破綻かな。というか、見ないで描けるよね。見ないほうがいいかもしれない。クロッキー会って若い女性の裸が見たいだけなんじゃないか。その見たい気持ちが絵を描かせるんだけどね。綺麗だもんね。いつも改めて「綺麗なもんだなぁ〜」と感じ入ってしまう。父は見ないで裸婦を描いていた。ま、実際問題としてクロッキー会では会員さんに回数券を買ってもらっているんだから、少なくとも来年1年間は続ける責任がある。いやいや、きっとずっと続けると思う。金を稼げばいいんでしょ。絵からの収入は当てにならないから他のことでもっと稼げばいいだけだ。

今日は掃除をさせられ、午後からは地塗りを頑張った。100号の準備はゼロ。その後少し散歩をした。町田のブックオフには行かなかった。
天気:晴れ

年末雑感

とにかく年賀状を出してしまわないことには。ここ数年は宛名も手書きだから楽じゃない。もっとも郵便番号のおかげで宛先の住所はとても短くなっている。しかし、墨を磨ってチビた筆で書くから、宛名が薄くなってしまったり、筆の穂先が割れてしまったりとても失礼なことになる。完全江戸時代バージョンマニュアルということでご容赦ください。

煙草推奨雑誌を見つけ出した。「コンフォール」という。ネットで「コンフォール」と打てばすぐ見つかる。けっこう高額な月刊誌。哲学者は愛読しているかも。世界中から嫌われている煙草を愛するコンセプトはとっても興味深い。もちろんこんな雑誌、私は買わないし立ち読みもしないけどね。今月号のテーマは家庭内禁煙は憲法違反なのでは、というような話。公共がプライベートまで踏み込んでいいのか、という問題提起のようだ。哲学者レベルで嫌煙に反論するから発想は少なくない。きっと煙草を吸いながら考えているのだろう。実に面白い。

トンチンカンと言えば現代の美術界も凄いことになってきている。NHKの美術番組など「本気かよ」と見識を疑いっぱなし。あっちもこっちも訳わかんなくなっている。でもこれっていいことかもしれない。混沌は悪いことじゃない。「コンフォール」ぐらい面白い。

ああ、実生活は面白くないことばかり。金もない。小田急ロマンスカーに乗って丹沢の山奥でも散歩したいよ。

今日から4日間非番。何やるんだ???? とりあえず絵の地塗りはやる、だろう。
今日は年賀状を出した。ウォーキングは合格。地塗りはしていない。
天気:晴れ
作品:F20「大地」
171219-20

出来る範囲でやる

『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)のp116〜117に身体や行為のことが書いてあった。そして「主知主義」を批判していた。失礼いたしましたぁ〜。この本はこの後西田の宗教へのかかわりが述べられている様子。禅への関心も強烈らしい。わけわからないけど読み進んでみる。

それにしても世の中はままならない。どこもかしこも切羽詰ってにっちもさっちも行かない。手の打ちようがない。ほとんど『陸王』状態。『陸王』はテレビドラマだから最後はハッピーエンドだよね。こっちは大破綻の可能性もある。ま、『陸王』も途中では右も左もがんじがらめ、最悪の状態になったけどね。

今年の冬は100号を描かない可能性も出てきた。もっともキャンバスもなく画溶液も危うい。限界だったのかもしれない。すべてが終わりか。ということは、すべての始まりかもしれない。100号は描かないというより描けないもの。特に100号6枚なんてとても無理。
ま、絵をやめるわけじゃない。それは大丈夫。油絵が描けなければ墨でも鉛筆でも描く。どうということはない。出来る範囲で出来るだけやるだけのことだ。当たり前だ。

ところで、犬の絵を180枚描いたけど、未熟だねぇ〜。絵は描けば描くほど巧くなるんじゃなかったっけ? 最初の下絵が一番いい。親父の年賀状はもっと立派だったような記憶がある。記憶ちがいであってほしい。ま、私には伸び代があるということ、か。伸び代もありすぎると手が届かないうちにあの世逝きになる。

今日は今年最後のマンション勤務、とは言っても1月2日からすぐ勤務だけどね。水泳は4日まで我慢。年賀状を少しだけ出した。
天気:晴れ。今朝の寒さはこの冬最低だった。

思考だけなんてアホ

昨日は『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)をけっこう読んだけど、何が書いてあるのかさっぱりわからない。わからないのによく読み進められる。われながら不思議だ。第4章「論理化をめざして━場所━」など丸々全部意味不明。何が言いたいのか何のための思考なのかさっぱりわからない。家族を次々に失っても生きなければならない人間の宿命みたいなことを考え書いているのか? 本書で知る限り3人の子供が先立ち、最初の奥さんも亡くなった。しかし、他に子供がいたようだ。そのことがどこにも書いていない。再婚もしている。哲学の高尚な論理が大切なのだろうけど、西田自身の家族構成とかどういう暮らしだったのか収入はどうなのか、などいっぱい訊きたい。そういうのってムチャクチャ大事なのではないか。
私は思考も大いにけっこうだけど、思考のみによって何かが救われる、人間の根本的なことを述べられる、誰にも共通する人間存在の根本を説明できるとは思っていない。それぞれ状況が違うし、「人間とは何か?」と言われても答えられるわけがない。教育や感化などにも限界がある。生涯、見栄と虚栄だけで終わる人も少なくない。
西田は仏教の禅に興味を持っていた。106ページには「心身脱落」が出てきちまった。西田って臨済禅ばかりだと思っていたら道元も読んでいるんだ。そりゃ読んでいるよね。何だって読んでいる。いろんなことを知っている。
だけど、私は思考編重は危険だと思っている。絶対に身体との関係が重要。少し前までは筋肉が脳に影響を与え、その人自体を進展させると言われていたが、今や、内臓がその人に与える影響の大きさまでもが研究されている。
よくわかんないけど、私自身、歩行や水泳が私に影響しないわけがない、と感じる。身体活動は最重要課題だ。身体活動なしの思考なんて、もうそのこと自体がアホだ。
もちろん道元は修行というおおきな身体活動を重要視した、というか実践し、他の人にも奨励した。

今日は非番。年賀状を描きまくって、夕方から年内最後の50m室内プールに行った。ウォーキングが少な目かも。週刊誌の宣伝に「寝たきりになりたくなかったら今すぐウォーキングを止めなさい」という意味不明なものがあったから、少な目でいいのか?
天気:晴れ
作品:年賀状の下絵2(家内の年賀状用)
18年賀下絵2

年賀状のコンセプト

今朝は9時に起きた。ひどい寝坊だ。何度も言うけど風邪の予防にはいい、のか? 最初目が覚めたのが6時過ぎで早すぎたので『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)を読んでいたら、熟睡状態に入ってしまった。この手の本は睡眠薬としては最上。わけわかんないもの。とは言っても読んでいたところは芸術論。興味津々、と言うか、そこのところが読みたかったのだ。一番読みたいところなのに半ページで眠くなってしまう。同じところを何度も読み返す。何度読んでも意味不明。起きていてもよくわからないのに半分寝ているのだからわかるわけがない。
でも一応、その第3章は読み終わった。とても同意できる内容だったような気がする(この話はホームページで)。日本の美学の土台となった、らしい。私は「美学」と訊いただけでなんか厭な感じがするけどね。偏見だと思う。よく知らないし。こっちは年賀状の犬っころ一匹にヒーヒー言っている。元気に走っていればどうでもいいというコンセプトです。今日は寝坊したのでほとんど描けない。家内の分の別バージョンを20枚描いた。
ところで、西田が京都大学で講義を始めたのが1910年、40歳のときだ。このときにはもう『善の研究』は書き終えていた。でも、私がいつも絶賛する時代1910年からの10年間余り。この時代に西田も活躍していたのだ。
『西田幾多郎━生きることと哲学』にはバカなエピソードも書いてあった。偉い西洋の哲学者が「哲学者は煙草をやるものだ」と訊いて西田も煙草を始めた、との話。
哲学者は煙草を吸い、絵描きは酒を飲む、か?
私はまったくの不適格者になってしまう。私なら哲学者はカラオケで歌いまくり(年末年始は高額なので我慢)、絵描きはそこらじゅう歩き回る、だ!

今日もマンション勤務の遅番。
天気:晴れ

欲望との関係

『壬生義士伝・下』(浅田次郎・文春文庫)を借りて、下巻445ページのうち138ページまで読んだけど、どうももう一つ面白くない。なにか根本的なところで浅田の考え方が私と合わないのだと思う。よく知りもしないで合うも合わないもない。だからとりあえず読んでいるのだが、やっぱり直観は正しかった、らしい。私は『鉄道員(ぽっぽや)』も読んでいないし映画も見ていない。こっちはなんか見たくなかった。
で、とりあえず『壬生義士伝・下』は置いておいて『西田幾多郎━生きることと哲学』(岩波新書・藤田正勝)を先に読むことにした。12月18日に「読みやすい本だ」と書いたけど、実際に読んでみると、確かにこの手の本としては読みやすいのだが、やっぱりどうしても2〜3回読み直さないと意味が分からないところだらけだ。これは致し方ない。小説みたいなわけには行かない。しかし、興味があるから読む。
今朝読んでいたのはp42の「リンゴを見る」という課題だが、私の説では、腹が減っているときに見るリンゴと、腹いっぱいで見るリンゴでは全然ちがうと思う。欲望とのかかわりが、食欲に限らず言えるのではないか。
絵の裸婦も性欲満々で描いたのでは気持ち悪いし、ポルノになっちゃう。かといって、人体として客観的に描く、なんて出来るものか。じゃあ、なぜ裸婦を描くんだ、という根本的な疑問に至る。それこそ犬でも牛でもいいではないか。
私など父に「お前に裸婦なんか描けない」と言われ、動物ばかり描いていた時期(30歳の半ばごろ)があった。裸婦は、なんと家内のすすめで描き始めた、のだ。描き始めたころは父もまだ生きていた。父が死んでからは無礼講で描きまくっている。裸婦を描かないとき動物ばかり描いたのはやっぱり肉づけの法を実践したかったからか。
ま、動物も魅力あるモチーフだ。とにかく描きたいものを描けばいいのだ。人生は一度しかない。理屈はどうでもいい。ま、実際問題、クロッキー会存続の危機にあり、裸婦も危ういけどね。もちろんなんとかする、予定!

今日はマンション勤務の遅番。午前中に年賀状を頑張ったが、先はまだ長い。170枚(宛名も手書き)はハンパない。
天気:晴れ
作品:年賀状の下絵:A5ぐらいの大きさ。紙に墨
18年賀下絵

反省したけど……

マンション勤務の関係もあり、年末最後のプールは50m室内で12月27日(水)。年始最初のプールは1月4日(木)のマンション勤務早番が終わった直後に50m室内に直行するしかない。この日はプールが16時45分に終わってしまう。道が混んでいると1550m泳げない可能性もある(予想では道もプールもがら空き)。50m室内プールは遠いし駐車料金もかかるからかなり贅沢。ま、致し方ない。喘息の治療費だと思えば安い。
12月13日放送のテレビ『あいつ今何してる?』は『特別編2時間SP! 日本全国名門高校の先生の記憶に残る天才&奇才卒業生の今を徹底調査!』だった。
私の才能不要説を真っ向から否定する内容。パソコンに精通して自動運転を開発し安倍首相とも交流がある人とか、『ハリーポッター』の音楽を編集している人とか、やっぱり子供のころから才能を発揮していた。その後の努力もハンパない。私みたいなグータラ無能人間とは根本的にちがう。
世の中ってそういうものかぁ〜〜、と少し反省したが、すぐに忘れた。
才能ではない。ああいう人でもその後の努力なのだ。

今日は、年賀状を30枚描いた。残り120枚描く必要がある。家内の分を入れると140枚だ。
夕方から25m学校プールに歩いて行った。泳いでいるときは快調ではなかったが、帰宅後はなんか身体が軽い。また、一昨日のこむら返りの後遺症や再発を恐れていたが、なんの問題もなかった。
夜は『陸王』を見た。豊橋がいっぱい映った。涙、涙でよく見えなかったけどね。
天気:曇りのち晴れ

年の瀬かぁ〜〜

今日も非番なので朝寝坊できるけど、完全に目が覚めているのに起き上がらないのも辛い。無理。8時過ぎまで頑張ったけど、ゴミ出しもあるし、起き上がってしまった。そう言えば昨夜は激痛のコムラ返りを喰らった。100均の安物だけどふくらはぎカバーも付けているのにおかしい。足の親指を引っ張るととりあえず治るのだが、痛すぎて親指に手が届かない。しかし、痛いから何が何でも親指を掴んだ。激闘だね。
昨日のウォーキングで膝が痛くなったのに1劼曚品發い討靴泙辰燭ら、膝の痛みをふくらはぎでカバーしてしまったのだろう。途中で休めばよかったのだけど、『砂の器』を録画し忘れたから頑張って無理やり休まず帰宅した。バカだった。
年賀状は買った。犬かぁ〜〜。絵の構想が湧かばない。
犬と言えば円山応挙(1733〜1795)だよね。子犬がかわいい。コンスタブル(1776〜1837)の風景にも犬が描いてある。あれはゴールデンレトリーバーみたいな感じ。でも体に斑がある。コンスタブルはイギリス人だから犬の本場か。でも年賀状は和犬で行きたいよね。
年末年始はカラオケが出来ない。料金が倍増三倍増になるからだ。ま、「年末年始ぐらい儲けさせてくださいよ」というカラオケ店からのご要望。ごもっとも、ごもっとも。
またプールももうじき冬休みに入る(最終が12月28日、最初は1月5日)。喘息を根性で止めなければならない。これも致し方ない。
というわけでもないけど、今日は歩いて町田まで行った。図書館の本館と世界堂とヨドバシカメラ。ブックオフには行かなかった。図書館の美術コーナーで中村彝の画集を探したがなかった。しかし、現代作家の画集はけっこう出版されている。油彩の既存絵画ではなく、イラスト作家の画集が多い。値段も私の想定額1000円より高額。でも3500円ぐらい。むかしの巨匠の画集みたくン万円などと高額ではない。
私は書店ではなく画廊で売れないかと考えている。全国の画廊ならけっこう多い。もちろん画廊にも利益が上がるようにする。そりゃ、書店で大々的に売り出すような莫大な収入にはならないかもしれないけど、ある程度の市場にはなるのではないか。なんの希望もないお先真っ暗の既存絵画の生きる道のほのかな灯となるのではないか、と思うのだが……
1000円ぐらいなら、買ってもらえるかもしれないし、同時原画展だって可能。
天気:晴れ
作品:F8「青春」
171219-8

飽きてきた

録画しておいた映画『湯を沸かすほどの熱い愛』を昨夜見た。とてもつまらなかった。不幸だらけで涙も出ない。ありえない話ばかり。高校のイジメもあった。この前のテレビドラマ『明日の約束』も高校のイジメをテーマにしていた。最近の高校ではイジメがあるのだろうか? 私が高校時代は50年も前(半世紀かぁ〜)だけど、みんなそれぞれバラバラだったような気がする。クラスメートにイジメるほどの興味もない。どうでもよかった。私は身長だけはあったのでイジメの対象にはならなかったのか。イジメる奴は弱いものを狙う。たいていの犯罪者は弱いものを狙う。カラスと一緒。私はカラスに狙われたこともない。逆に脅かして、追っ払っている。

『作品集』や『鑑賞ガイド』のたたき台が出来上がって1か月ぐらい経つか。
唯一問合せ中の出版社からも何の音沙汰もない。1か月も経つと情熱も覚めてくる。どうでもいい。めんどくせぇ。
『作品集』は自分で印刷屋にまわすつもり。でもその資金がない。
テレビドラマの『陸王』みたいな情熱はない。ちょっと燃えてもすぐ覚めちゃう。まぁ、カラリオ版でもよく作ったよ。われながら立派。今年の大仕事だったかも。『鑑賞ガイド』は父子二代にわたる念願の絵画論だけどね(父は不本意かもしれないが死んでいるから文句も言えない)。
でも、もうどうでもいい。
あたしゃ絵描きだもん。
三浦半島の先っぽに海を描きに行きたいよ、というか、とりあえずあの冬の海を見に行きたい。富士山も見える、と思う。

今日は冬至だ。明日からまた少しずつ陽が長くなる。でも寒さはこれからが本格的、なはず。この12月の寒さは十分本格的だと思うけどね。
今日から3日間非番。今日は十分ウォーキングをした。膝が痛くなった。バカだねぇ〜。
ウォーキングのとき別の、中国水墨画の鑑賞ガイドを作ろうかとも思った。
天気:晴れ
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