イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2018年07月

いっぱい主義

(火曜日)
昨夜の蚊作戦は大成功だった、と思う。プールで疲れていたので蚊に刺されたのにも気づかずにぐっすり寝ていた可能性もある。
昨日も絵について考えていて、そのことは8月4日付のホームページの『唇寒』に述べるつもりだ。テーマはセザンヌの絵。
セザンヌと言えばゾラの『制作』をまた図書館から借りた。誰も借りる人がいないから私の専用になっている。『制作』は印象派の画家たちの動向がほぼリアルタイムで語られている。初めて読むときは主人公と恋人のやり取りが気になって、そっちばかり追ってしまう。しかし、カフェ・ゲルボワや当時のサロン開催中の様子なども現実的にえがいてある。貴重な資料なのだ。いっぱいブックイヤーをやりたいけど図書館の本なのでフセンで我慢する。当たり前だ。アマゾンで買えば送料も入れて500円ぐらいかもしれない。ま、いま手元にあるんだからじっくり読み直して買う必要があれば買えばいい(いま調べたら中古上下巻で送料別700円弱だった)。
『鄭成功(ていせいこう)旋風に告げよ』(陳舜臣・中公文庫)はやっと上巻が読み終わりそう。初めの80ページぐらいを読んで、『ららら科学の子』(矢作俊彦・文春文庫)に移ってしまったので、登場人物の相関がつかめないまま進んでいた。『鄭成功』は明末清初の話だから徐渭(1521〜1593)や八大山人(1626〜1705以降)が出てくると期待したが、今のところ出てこない。画家も出てくる、というか、かなりの重要人物。しかも舞台は中国の江南地方。これで揚州八怪が出てこない道理はない(八大山人は明の宗室の末裔)。ま、出て来なくてもいい。さすがにここまで読むと面白くなってきた。
小説によると、現場で見ながら絵を描くのはレベルが低いような主張。そういう主張は昔から訊く、というか私の父もよく言っていた。でも、私は頑固な現場主義。68歳、5万点。文句があるなら描いてから言え、という不遜な態度だ。ゴメン。
本心を言うと、現場だろうが記憶だろうが想像だろうが、そんなのどうだっていい。集中していっぱい描くこと。何度も言うように描きたいように描けばいいのだ。いっぱい描いた絵描きの線描は全然ちがうのだ。ピカソ(1881〜1973)とかデ・クーニング(1904〜1997)とか。富岡鉄斎(1837〜1924)とか。一目見ればわかる。ああいう域に達したい、だけ。表現主義みたいな言葉で言えば、集中いっぱい主義か?
今日はN氏と今後の打ち合わせをした。希望は大きくない、感じ。
『鄭成功』って『国姓爺合戦(こくせんやがっせん)』のことだった。小学生のころに子供版を読んだ記憶がある。
「一目見ればわかる」と言ったけど、今夜の『なんでも鑑定団』の猪熊弦一郎を偽物と判定してしまった。なかなかわからないねぇ〜。実際は本物で300万円だった。
天気:晴れ

NHKの冤罪番組

冤罪はあまりにも理不尽だ。NHKで特集していた。2か月ほど前の放送を録画しておいたのを見た。コンビニ強盗の冤罪だった。たった1万円を盗んだ罪。罪を認めれば罰金ですぐ釈放だったが、頑固に無罪を主張した。1年ほどの拘置所暮らし。刑事たちからも罵声を浴びせられる。無罪判決が出ても、刑事たちは一切のお詫びなし。酷いね。あまりにも不条理。理不尽。
だけど、犯人扱いされた青年は人間的に大きく成長した感じが見えた。もちろん、あんな経験は要らないけど、ありえない精神の鍛えになる。
ドストエフスキーが「一人前の人間になりたかったら、2年間の牢獄と2年間の大学と2年間の軍隊生活を経験せよ」みたいなことを言っていたけど、確かにそれはそうかもしれない。私も高校を卒業してすぐに新宿の新聞配達店に住みこんだけど、半年足らずだったが、生涯忘れられないほど苛酷な暮らしだった。18歳で最悪、だった。
私はその暮らしで成長したとも思えないが、上記無実の男性は現在一児のパパ。やさしいお父さんになっている。音楽活動も裁判以前からやっていたのだが、そっちにも磨きがかかったと思う。裁判騒動の前と後では顔つきや態度が全然ちがう。金では買えない貴重な体験をしたことになる。もちろん、絶対したくない体験だけどね。
それにしても国家権力は横暴だ。よく調べもしないで犯人前提で自白を強要する。それが仕事とはあまりにも悲しい。
今日は夕方から50m室内プールに行った。空いていたので1700mぐらい泳いでしまった。泳ぎ過ぎると疲れがとれなくなる。
天気:晴れ
作品:SM「パンセ」
180615sm

絵の大きさについて

モネ(1840〜1926)の《印象━日の出》を考えると、どうも不思議だ。あの絵を完成作としてサインを入れている。当時としてはとても斬新な進歩的な画家だったのだろう。同時代のブグロー(1825〜1905)の絵はしっかり完成している感じ。どこに出しても文句は来ない。それにとても大きい。裸婦はほとんど等身大だ。モネにも等身大の人物画はあるけど、ブグローは普通に等身大。絵もいっぱいある。ちなみに《印象━日の出》は15号(65.2×53.0僉砲阿蕕い梁腓さ。大作ではない。現場でイーゼルを立てて描くなら、普通に大きいかも。
絵の大きさも微妙に作画意欲に結び付いている。モチーフを前にすると、絵の大きさもある程度浮かんでくる。私の100号(162.1×130.3僉砲詫臧悗療身大だから描いている。やっぱり等身大は描きたい。
私の場合なら風景などだと20号が上限かも。実際には40号や50号も現場で描くことがある。でも、20号あればけっこうのびのびと描ける。いっぽう、小さな絵も描きたくて描いている。SMなどは左手に持って描く。まさに掌中の作。これも楽しい。
私は普段は大き目の絵からだんだん小さい絵に移る。小さいほうが描きやすい。風景でも2時間も描き続けていると、かなり疲れてくる。疲れてくると、頭がボーっとしてわけのわからない状態になる。いっぽう、その風景には慣れてくるし、パレットや筆も自在になっている。体力的には不都合だが、作画条件が最悪なわけではない。小品にいいものが多くなるのは理に適っているのかも。
昨日は人の運、不運について考えていた。
父は戦争を喰らったが絵画ブームやバブル景気を味わった。私が銀座で個展をやった20数年前はバブルの終わりのころ。いろいろ不運が続いた。だけど、運、不運は人生につきものだ。こっちは、やりたいこと、やるべきことを続けてやっていればいいような気もする。もちろん、私に処世術を語る資格はない。それは重々承知しています。
天気:曇りときどき雨。午後から猛暑。西進した台風12号はUターンするのだろうか?

モネの心意気

昨日とうとう金鳥香取線香を買った。今までは100円均ので誤魔化していた。100均も4巻しか入っていないから、けっこう割高なのだ。もっとも私は4分の1ぐらいしか使わない。密閉せん滅作戦だと部屋が狭いから1回1巻だと多すぎる。1時間もやっておけば部屋中真っ白になる。あれで死なない蚊は褒めてあげるべきだ。もちろん、いつも命がけで血を吸いに来る蚊は尊敬の対象だけどね。蚊ってバカなのか勇猛なのかわからない。私もあれぐらいの捨て身でキャンバスにぶつかりたいものだ。
絵を「仕事」だと思い込んでいる画家はとても多い。プロの画家と言われて喜んでいる。私自身、褒め言葉としてプロと言われることもあるが、私は別に嬉しくない。私が目指すのは「本物の絵描き」だ。プロなんて超低レベル。
つまり、ブグロー(1825〜1905)の絵はプロの絵なのだ。《印象━日の出》はムチャクチャな絵だ。ブグローに比べたらどう見たって描きかけだもの。でも、モネ(1840〜1926)はきっちりサインを入れている。サインしてあるということは完成作と考えていたのだ。
あのモネの心意気が150年経った今でも十分に理解されていない。これも不思議だ。
ゴッホ(1853〜1890)はけっこうプロを目指していた、感じ。結果としてプロになれなかったのはよかった、かも。いやいや、あの絵の奥の奥にはプロなんて問題にしていない迫力がある。ゴッホは無意識のうちに絵画の神髄に達していたのだと思う。それはゴッホの手紙ではうかがい知れない。言葉は虚しい。ゴッホはやっぱり絵でなくちゃ!

今日からマンション勤務の早番。しっかり朝食を食べるので、また肥ってしまう。致し方ない。
天気:曇り。台風12号接近
作品:SM「薫風」
180703sm2

絵は仕事じゃない

昨夜は蚊の攻撃に悩まされた。10か所以上刺されたと思う。こんな爺の血でよければいくらでもくれてやりたいけど、痒くてたまらない。耳のところでブーンと羽音を立てられるとなんか腹が立つ。訊くところによれば同じ蚊が一晩に何度も刺しに来るらしい。若いころのように目もよくないし、動きも鈍いから叩いて殺すことはまず無理。蚊取り線香に頼るしかない。私の方法は、寝る前に寝室を密閉し蚊取り線香で徹底的にせん滅する。その後は窓を開けて涼しく眠る。しかし、ときに密閉せん滅作戦を忘れてしまう。昨日も忘れた。蚊取り線香が煙る密閉部屋で寝るのは無理。暑くて煙い。蚊が死ぬ前にこっちの喉がいかれてしまう。なんか頭も痛くなる。最悪である。

今日はお二人目の画集作成の打ち合わせをした。うまく行けば、ちゃんとした仕事になる。「うまく作れれば」だ。どんな仕事にだって「うまく作れれば」リスクはある。俳優や女優だって、そのドラマや映画で上手に演じられるかどうかで次の仕事に関わってくる。ケーキ屋さんでも大工さんでも同じ理屈。もらった仕事をしっかりこなす。ちゃんと頑張れば次の仕事も来る。そんなの社会人として当り前の大前提だけど、68歳にもなって再認識している自分が情けない。
絵は仕事じゃないからか。結果を狙った作業じゃない。作業そのものが結果なのだ。集中の度合いが勝負だ。どれぐらい深く忘我忘時の境地に入り込めるか。これってやっぱり「諸行無常」「諸法無我」だよね。だから描いているときは「涅槃寂静」なのだ。もちろん、そういう境地に至ることは滅多にない。雑念だらけ。しかし、仕事ではなく、そういう作業の喜びを知り、続けていることは幸福というしかない。

今日のウォーキングは不足気味。夜はホームページの更新をした。『唇寒』のテーマはルノワール主人公の絵画小説の構成について。
天気:晴れときどき曇り

独りの術

いろいろなことをやっているけど、絵を描いている時間が一番ハッピーだと思う。
根本的に褒めてもらうのは嬉しい。褒めてもらいたい。だけど、それって自己完結しないんだよね。もちろん、人間はもともと自己完結しない。社会的動物だ。でも自己完結の方法を知っていないとうまく生きて行けない。迷惑をかける。「独り」でいる術を持っていないと危うい。とは言っても私自身いつも独りではない。独りはめんどくさい。炊事洗濯さえも厄介だ。

『ららら科学の子』(矢作俊彦・文春文庫)がやっと読み終わる。わけのわからない小説だけど、舞台が東京だから私にはなんとかなる。地方の方にはとても無理だと思う。
やっぱり東京教育大学付属高校出身者は私の若いころとは根本的にちがう。主人公はちょっと不良だと思うけど、ガールフレンドの家を泊まり歩く、これって? 素晴らしい青春時代だね。私にはいつまで経っても女性が神聖なままだ。だから、この歳でも裸婦が描けるのかもしれない。
舞台が東京で年齢も一緒。もっともこの小説の主人公は私より数年年上のような感じがする。
驚くのは、この図書館の本が多く人に読まれたって感じすること。けっこう傷んでいる。三島由紀夫文学賞をとったからだろうか? 小説のなかに絵の話はまったく出てこない。人々は国際情勢のなかに生きている。とても社会的。
天気:曇り。ここ数日に比べるとかなり涼しい
作品:SM「モデラート」
180703sm1

絵そのものが師

私は数日前に68歳になった。あと2年で古希だ。満年齢は生まれてからの年数。母のお腹に生を受けてからの年数で数えたのが数え年齢だ。そうするともう古希かも知れない。
どっちみち鉄斎年齢で言えばまだペーペーだ。わがホームページの「絵の話」の「富岡鉄斎の絵━無敵の老人画力」を見ると70歳では始まってもいない。
とにかく「歳は天の恵みである。若さは生きる術である」なのだ。
若さというのは自分が未熟だと思い知っていること、だと思う。ふんぞり返った大巨匠になっちまったらお仕舞だ。
どうやって自分の未熟を想い続けるのか?
それはクラシック絵画が教えてくれる。絵画の師は人間ではなく古典絵画そのものだ。だから永遠に存在する。これがありがたいのか負担なのか。いやいや有難いというか素晴らしいことだと思う。厳しくも優しくもなく目の前に厳然と立っている。何も言わない。

で、白樺派はどうして厭なのだろう?
金持ちの坊ちゃんだからか?
ヨーロッパかぶれだからか?
安っぽいヒューマニズムのせいか?
少なくともわがアルバイト人生とは大違いだ。でも、そんなこと言ったら印象派だって金持ちのお坊ちゃん集団だった。28歳で自殺未遂をしたモネ(1840〜1926)でさえ貧乏のどん底で家政婦がいた、と訊く。
ま、疑問だらけなんだよね。

今日はクロッキー会だった。
その後50m室内プールに行ってスシローに行ってカラオケに行った。
天気:朝のうち曇りのち晴れ。昨日ほどの猛暑ではない。

健康の天才?

死は恐ろしいけど、水泳やウォーキング、筋トレも苦しい。死んだらやらなくて済む。もちろん、そういう健康バカを止めてもいいわけだけど、止めると早く死ぬ、というか病気になるかも。いろいろな活動を長く続けるには健康バカも続けなければいけないのか? 苦しんでさらに病気になったらチョーデラックスなアホだ。
ティツィアーノ(1488/90〜1576)とか富岡鉄斎(1837〜1924)も健康バカをやっていたのだろうか? 美術史はそういうことは教えてくれない。葛飾北斎(1760〜1849)が83歳から4回江戸と小布施を往復した話は美術史家の調査だと思う。
天才的な画家は健康も天才的だったのか? 生まれ持って根本的に元気な人っているよね。いろいろな偶然が重なって超人画家が世に残った。縦4mのティツィアーノ《受胎告知》(85歳ごろの作)が来日したらやっぱり2度ぐらい見に行っちゃうなぁ〜〜。凄すぎるもん。
確かに昨日のバスキアもいろいろ大変なんだろうけど、あたしゃ要らないね。
この前の広重展では30歳代と50歳代の二つの《東海道五十三次》を比べて、どう見ても30歳代のほうがよく見えたけど、それが普通だよね。
北斎の《富嶽三十六景》は72歳からだから。どういう健康状態、精神状態、自己向上思想を持っていたんだろう? ちなみに、《富嶽三十六景》は《東海道五十三次》に先行して出版された。広重は北斎から多くを学んでいると思える。「学ぶ」ということは「パクる」とも言える。広重は北斎に儲けの3割ぐらい払ってもいいほど。

苦しみつつなお働け。安住を求めるな、この世は巡礼である。
山本周五郎の『青べか物語』の最後のあたりに出てくるストリンドベリ−からの引用だ。
若いときにこんなもんを読んだのがいけなかったか。私は山周のベストワンは『青べか』だと思っている。
何歳というのは結果だから。とにかくやれるだけやるしかない。
天気:晴れ。ずっと冷房のなかにいると寒くなる。
作品:SM「ひまわり」:去年のひまわりは大成功。柳の下に2匹目の泥鰌はいるか?
180718himawari-sm

バスキアの絵

昨日のテレビはアメリカのバスキアの話題でいっぱいだった。19世紀フランスアカデミズムの対極? 公共物への落書きや薬物依存。27歳での死。凄まじい人生だ。
絵自体はどうなんだろう?
密度(厚み)、透明性(発色)、踏み込み、筆の喜びの四つの視点で見てどうだろう?
人の事情は複雑だから一概には言えないけど、薬物依存などはとても同意できない。健康でなければ絵は描けないもの。でも、長谷川利行(1891〜1940)も酒ばかり飲んでいた。その時代やその人の国、生い立ち、その人の状況を考え合わせないと判断できない。
画面勝負、何も考えずに絵だけ見た場合、上記四つの視点から見れば、十分合格なのではないか。
私だったら要らないけどね。後ろにでっかい美術史を背負っていないもの。
太古の洞窟壁画と比べても狂っているよね。狂気も芸術の必要条件なのか?
私が否定しても多くの方が大切に保存してくれるから大丈夫。
バスキアの遠い故国の不幸を想えば、大切にされて当然。祖先が人種で苛められても絵画では勝ったのかも知れない。
天気:晴れ。殺人的暑さ

複雑に絡み合う新旧勢力

ブグロー(1825〜1905)がローマ賞を貰うのは25歳とある。いっぽう、トマ・クチュール(1815〜1879)はローマ賞に6回挑戦して失敗し、22歳でやっと獲得とあり、ジェローム(1824〜1904)に至っては最後まで獲得できなかったらしい。これには驚きだ。
これに対して、カバネル(1823〜1889)は22歳でローマ賞を獲得。その後もサロンで3回も最高賞をとった。クチュールが22歳までに6回挑戦というのも解せない。ブグローの25歳でローマ賞というのは優等生なのであろうか? ブグローは少なくとも1度は失敗している。カバネルこそサロンのホープであってブグローはむしろ晩成型かもしれない。
この辺の事情はややこしい。
ま、そういう受験生みたいな世界だった。中国の科挙制度にも似ているかも。
グレール(1806〜1874)もアカデミズムの重要人物。ジェローム(1824〜1904)の師だった。モネ(1840〜1926)やルノワール(1841〜1919)もグレールの画塾で学んだ。
モネをグレールの画塾に紹介したのは、トゥール・ムーシュ(1829〜1890)というアカデミズムの画家で、なんと、この人はモネの親戚の女性の連れ合い、なのだ。
アカデミズムと印象派は複雑に絡み合っている。ヒーロードラマのように善玉、悪玉で分けて見るのは危険である。
ブグローの絵を年代順に見渡すと50歳代から抜群な伸びを見せているように思う。
しかし、何度も言うけど、アカデミズムは絵が職業になってしまっている。最近はフランス美術アカデミズムや日本の狩野派などの見直しが盛んだけど、絵画とは何なのか、『白樺』でも読み直して、根本的なところで考えないとムチャクチャなことになる。ま、クラシック絵画の価格を見ればムチャクチャにはなっていないけどね。
それにしても『白樺』か。ちょっと嫌だね。

今日は八王子に行って帰りに50m室内プールで泳いだ。暑いのでウォーキングは十分できない。今年前半の外プールも不十分だった。マンション管理人の仕事がなければ運動不足で病気になるかも。プールだけは喘息予防として週2は守っている。頭の後頭部に水道水をかける方法は熱中症対策としてかなり有効かも。服を着たままできる。
天気:晴れ
作品:F4「桃」
180606momo4
Archives
Categories
  • ライブドアブログ