イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2018年09月

いろいろな画材料

(日曜日)
墨で描く水墨裸婦は大きなムーヴメントを表わすのに便利。ムーヴメントばかり追って結局はボケた絵になる。細い筆で形を取るが、それが決まる確率は100分の一ほど。滅多に巧く行かない。だから、2分ポーズの水墨裸婦でも3万円ぐらいは頂きたくなる。
鉛筆は細部に強い。最近は10Bという濃いのもある。これで大きく動きを捉えて4Bなどで細部を描く。けっこう楽しい。
これが油絵だともっと自由。大きな流れも細部の表現も出来る。筆の後ろでひっかけば鉛筆のような効果もある。時間も最短でも5分。たっぷりだ。油絵には、なんてったって色がある。色はやっぱり面白い。黒っぽいところでも赤を強くしたり紺を多めにするなど、またはパレットの都合で濃くなってしまい、が効果抜群だったり、もちろん台無しにしたり、けっこう忙しい。ダメならボロ布で消してしまえばいい。油絵はホントに自由だ。乾けばメッチャ堅牢。とても理想的な画材だ、と思う。

今日は台風上陸の予報だが、午前中は関東にはまだ遠く、作品集作りの営業も兼ね、版画美術館に行った。
夕方から25mプールに行った。歩いて行ったらキャップを忘れていて(=ないと泳がせてくれない)、取りに帰り、2度目は車。ウォーキングはギリ合格。水泳は2週間ぶりでホント怖かった。初めのクロール800mで帰ろうかと思った(喘息予防には400mでもOK)。しかし、その後2コメなど普段どおりのメニューを消化した。気持ちよかった。泳ぐと身体の生理がガラリと変わる、感じ。
天気:薄曇りのち雨。台風24号接近中。夜中に通過の模様。ただし、大荒れの予報で電車、列車など軒並み運休。都心はエライ騒ぎだ。

鉛筆には馴染みがある

(土曜日)
昨夜から今朝にかけてホームページの更新をすっかり忘れていた。明日アサイチで更新予定、とは言っても午前中いっぱいにズレ込むかも。
風邪が抜けきらず、プールをずっとサボっていたら、昨夜呼吸がピーピー言い出した。喘息ってこと。ヤバい。明日は是が非でもプールに行く。風邪では死なないが、喘息は命にかかわる。
クロッキーの2分間ポーズはいつも墨で描いてきたが、昨日は4〜5枚鉛筆で描いた。鉛筆デッサンが面白くなってきてしまった。もともと小中高と授業中は教科書の隅にいっぱいやったイタズラ描き、あれって全部鉛筆だよね。われわれは子供のころから鉛筆に馴染んできた。ちなみに大学の講義中はちゃんとしたスケッチブックにレオナルドやレンブラントの模写をやっていた。大学だとかなり図々しい。ま、絵を描いていても耳は空いているから講義はけっこう聴いていたと思う。
子供のころから馴染んでいるだけに、2分間でもかなり描ける。楽しい。
天気:雨
作品:えんぴつ裸婦 29.6×21
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一元論?

(金曜日)
小説をやめると読む本がない。これも厳しい。昨日は『ギリシア美術』(澤柳大五郎・岩波新書)を再読していた。哲学的なことも書いてある。一元論か二元論かの話。私が支持する傾向はどうも一元論らしい。澤柳も古代ギリシアの彫刻家は一元論でやっていたと言っている。キリスト教から二元論が始まった、みたいな言い方。(p191)
古代ギリシアにはほとんどの哲学主張が出そろっていたから二元論もあったようにも思う。詳しく調べる気はない。
二元論というのは精神と身体を分けて考える。道元は一元論者だと思う。キリスト教でもイエス自身は一元論者なのではないか。よく分からない。
私の場合は、少なくとも絵に関して、絵を描いているときなら、すべてが一体化している、ような感じ。そういうことすらわからない。どうでもいい。
しかし、絵は頭で考えてお上手に描けるようなものではない、ということは身をもって知っている。そのときの心の調子と身体の元気さ、内から湧く意欲(強すぎてもダメ)、腕の感触、手先の具合、パレットの都合、天候、季節などなどいろいろなものが総合している。人智の知れないところ。どうにも手の打ちようがない。とにかくたくさん描くしかない、と思う。
ちなみに、私は一元論も二元論もよく分からないムチャクチャ爺だ。道元の『正法眼蔵』を睡眠薬替わりにしている罰当たり。三行読むと寝ている。

今日はクロッキー会だった。会員の方がいっぱい見えた、と言っても10名ぐらい。毎回10名ぐらい来ていただければ黒字なんだけど、現在は年間20万円の赤字。ま、モデル代で20万円使っているということか。私の絵はとても割安だ。
夕方から図書館に行って葉室麟の小説を2冊借りてきた。
天気:(久しぶりの)晴れ

返事来ず

(木曜日)
他の方の作品集も遅れがち。なんとか早目に完成させなければならない。それなのに、豊橋展のプレスリリースが間に合わなくなりそう。
町田市美協会の仕事も残っている。市美協の方々からは、退会についての返事が一切来ない。大本の事件では私は無罪だった感じもある。無罪でも有罪でも退会は変わらない。ボランティアで、ずっと先のグループ展の話であんなに怒鳴られるのではやってられない。人格否定みたいな言い方だったもの。しかも無罪? 笑っちゃう。ま、こっちもじゅうぶん怒鳴ったけどね。
半年間だったけど、私もけっこう頑張っていたと思う。ちなみに、半年の間に2度ぐらい怒られた(別の人)。私は新人だから怒られても致し方ないと思っていた。だけど、ボランティアでやってんだからもっとソフトにならないものかね。絵を描く人はだいたい激しい。優しい人も多いけどね。

今日から平常通りのマンション勤務になる、とは言っても、週4日勤務だから、一般の仕事よりずっと少ない。リタイヤ爺さんのパート仕事だ。でも、たっぷり歩くので身体にはとてもいい。風邪から完全復調しているわけではないが、普通にいろいろできる。
天気:雨
作品:F15「青春」
180912-15

顔真卿が見られる

(水曜日)
もう3連休の最終日になってしまった。早いね。3連休とは言ってもずっと「仕事」をしていた感じ。画集作りは簡単じゃない。今日も頑張る、予定。
いま、自分のホームページの唇寒のワード原稿で「さいてつぶんこう」と検索したら、簡単に見つかった。9月8日付の『唇寒』で取り上げてあった。渋谷駅で『特別展 顔真卿』(2019年1月16日〜2月24日)の広告を見たのが21日の夜だから、びっくりした。「ブヘェ〜〜、本物が見られるのかぁ〜」とわが目を疑った。台湾に行かなければ死ぬまでお目にかかれないと思い込んでいた。割安前売りチケットもゲット済み。来年の1月まで生きていれば見られる。ま、ふつう一般的には生きている。そういう「見込み」でやってゆかなければ暮らせない。
なんか風邪は抜けている感じがする。町田の50mプールが長期休業だから相模原市まで足を延ばすかもしれない。とは言っても距離的にはほとんど変わらない。

今日は上記文章を書いてから二度寝をした。2時間も寝て起きたのは10時過ぎ。もちろん風邪対策。二度寝のときは面白い夢をいっぱい見た。やっぱりまだ風邪が残っている感じなのでプールはやめた。今日は寒かったからけっこう空いていたと思う。
天気:曇りのち雨

2009年4月

(火曜日)
休む予定なのに7時過ぎに起きた。もう健康診断は終わっているのに、なんとなく過食にはならない。無駄なダイエット、というか胃が小さくなっている感じ。もう老年だから大量には食えない。これってますます道元路線かも。もっとも道元(1200〜1253)は53歳で死んじゃったけどね。鎌倉時代だから致し方ない。
道元と同時代に臨済宗の禅僧に円爾(1202〜1280)がいる。こっちも偉い。円爾は死ぬ間際に書く遺偈が重要文化財か国宝。静岡茶の祖らしい。
「遺偈」と検索していたら自分のこのブログが出てきた。2009年4月1日ごろからずっと連載していた。図版もある。今日述べたかったのは、円爾は牧谿の兄弟弟子だったという話。このことも2009年4月のブログに詳しく、面白いのは私が牧谿の生没年を推測しているところ。1210〜1293年とのこと。自分のブログながら面白くて読み込んでしまう。

なお、この前の田無の同窓会の帰りに渋谷駅で東京国立博物館でやる『特別展 顔真卿』(2019年1月16日〜2月24日)を見つけた。ネットで前売りペアチケット(2400円)を買った。《祭姪文稿(さいてつぶんこう)》が日本初公開とのこと。最近ホームページかブログで話題にしたと思って自分のページを探したが見つからなかった。おかしい?

今日も他の人の画集作りを頑張った。でも、自分の画集が買ってもらえるなら、他の人の画集作りは止めてしまうかもしれない。画集作りのご注文はお早めに。
今日はギャルリー成瀬17に自分の画集を納品したら、売れた分のお金をくれた。スシローにGO! いやいや、でも今は「仕事」が忙しい。
天気:曇りのち雨
作品:F3「薬師池公園」:家内はこれがいいという。私は一昨日のF4のほうが面白いと思っている。
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実行でGO!

(月曜日)
今日から楽しい3連休。しかし、気分は最悪で、そのうえ風邪が抜けきらない。喉の痛みから鼻風邪になり、エヘン虫が喉の下の方に進んでいる。喉スプレーでは届かない感じ。勝手にしろ、という気持ちで、とにかく休む、予定。
兀兀地(ごつごつち)は坐禅する姿らしいけど、私はアカデミック絵画のツルツルヌルヌルに対抗してゴツゴツがぴったりだと思った。ゴツゴツはザラザラでもデコボコでもいいわけだけど、やっぱりゴツゴツを使いたい。なんか意味深長な感じ。
そうするとアングル(1780〜1867)の絵もツルツルヌルヌルか、という素朴な疑問が湧く。ミケランジェロ(1475〜1564)が24歳で作ったローマのピエタだってツルツルしている。
もちろん、そういう意味じゃない。
ツルツルヌルヌルは作家の制作理念から来る。制作に対する姿勢だ。
絵を描いて褒めてもらいたい、巧いと言われたい、賞も欲しいし、名も上げたい。そういう気持ちで描いた絵と、ただひたすら対象を見つめ、対象に感動して描いた絵との違いだ。とは言ってもブグロー(1825〜1905)みたく本当に賞をとって名をあげ、フランス画壇に君臨するのは並大抵のことじゃない。ある意味立派。
坊さんだって、南禅寺の住職になるのは至難。良寛さまみたく越後の山でひっそり暮らすほうを尊敬したくなるのは個人の趣味かも知れない。主観か? ムード派。
いやいや良寛の道元解釈はハンパない。それを身を挺して実行した稀有の人だ。ムードなんかじゃない。命がけの仏への帰依。尊敬、崇拝、心酔、礼拝の対象だと思う。

ま、風邪気味とは言っても発熱頭痛などはない。元気に動き回れる。気管支がちょっと苦しいだけ。というわけで、これから芙蓉を描く。バイバイ。

芙蓉は思ったより上のほうに咲いていて絵はイマイチだった。今日は他の人の画集作りの「仕事」をした。かなり進んだ、と思う。明日も続ける予定。『モネそれからの100年展』には行かなかった。
天気:曇りのち晴れ(曇りの予報だがよく晴れていた)
10月豊橋個展のDM
18豊橋DM

ああ、イヤだ

(日曜日)
私の父も個展前はイライラしていて不機嫌だった。怖いね。でも、キレてはダメ。後味が悪すぎる。テニスの大坂なおみではないけれど我慢しなくてはいけなかった。私はもともと下町のクソガキであり腕っぷしなんて強くもないくせに昔から喧嘩っぱやい。喧嘩をするとすっきりするなどと言うが、それは大嘘。ずっと後味が悪い。最悪。ここのところ、何年間もおとなしかったんだけど、ダメだぁ〜〜〜。
こうなってみると道元もハチの頭もないが、21日に書いた「兀兀地(ごつごつち)」はネットで調べてもロクな答えがない。『禅のすすめ』(森本和夫・潮文社)のp82〜94ぐらいにとても詳しく書いてある。
私の場合は「兀兀地(ごつごつち)」よりも「我慢」(こっちも仏教用語。仏教では悪い言葉だけどね)。第一、今回の場合、もとは私が悪いんだからどうしようもない。
あ〜〜〜イヤだ。平和はいいなぁ〜〜。仲良しは最高だ。
今日こそきっと豊橋個展のDM が届く。だけど9時5時のマンション勤務。何もできない。焦るね。
昨日は鼻風邪が少し残っていたのでプールを休んだ。ま、9月前半に外プールにいっぱい行ったから大丈夫だと思う。イラついているときは水泳みたいな運動が一番いい。今日はマンションで歩き回るからかなり解消されるはず。
豊橋展のDMをホームページにアップした。このブログには明日アップする予定。
天気:晴れ
作品:F4「薬師池公園にて」
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大失敗、らしい

(土曜日)
横浜美術館の『モネそれからの100年展』は24日(月)まで。その24日に滑り込もうと企んでいたが、止めた。半分以上が最近の人の作品らしいから。この前の横浜美術館の『ヌード展』でも半分近く現代の人の作品だった。なんか見たくないようなキモいのもあった。『ヌード展』を思い出し、あの路線がさらにヒートアップしているのではないかと心配になる。現代は勘弁してもらいたい。あれに入場料1600円は無理。モネが半分なら入場料も半分にしてほしい。

今日は町田市美術協会の仕事で大失敗をしてしまったらしく(失敗の内容も把握できていない)、とても怒られ許してもらえず、私もキレてしまった。オワ(=終わり)だ。私にはボランティアは無理。そんな身分じゃない、のだ。70歳に近いのに食うや食わずで絵ばかり描いているフーテン。10月末には豊橋個展が近づいている。その先の11月のグループ展のことなどとても手が回らない。豊橋展は今回でファイナルになる可能性もあり、新聞社などへの根回しもこれから。また、お金になる「仕事」もまだたっぷり残っている。もちろんマンション勤務も週に4日。プールだっていかないと喘息になる。こういう合間にボナール展に行く予定もある。私は一人前の68才ではないのだ。言ってみればハンパもん。ちゃんと前職を全うした堅気の方々とはちがう。ボランティアなんて柄じゃない。ほんとうに申し訳ないと思っています。
こういうことになると、自分がちゃんとした市民でないことを痛感する。情けない。
天気:曇りのち晴れ

ゴツゴツ地

(金曜日)
昨日アップした『オデュッセウスと乳母』がギリシア彫刻とは真逆の気持ち悪い絵だな、と思ったら、な、なんとブグロー(1825〜1905)の作だった。たぶん若いころの絵だと思う。中央の男性(=オデュッセウス)が腰かけている椅子にクラックもいっぱい入っている。半乾きの上に乾きの早い透明色を掛けると、あの亀裂が入る。イッキ描きだと絶対に出ない亀裂だ。今日、ホームページの『唇寒』に述べた上村松園(1875〜1949)の師の鈴木松年(1848〜1918)の絵もキモい。
なんかツルツルしてヌルヌルしているんだよね。以前から何度も述べている絵の巧さを道具にして富貴栄達を狙う最悪のケース。絵が道具になっている。
長谷川利行(1891〜1940)が「絵を描くことは、生きることに値するという人は多いが、生きることは絵を描くことに価するか」と問うているんだよね。こういう設問さえ浮かばないんだろうね。
絵をそれぐらい慈しんでほしい。それが本物の絵描きだ。
だからロートレック(1864〜1901)や長谷川利行の絵こそがギリシア美術の心意気を伝えていると言いたい。もちろん、私もその路線を歩みたい。
で、ツルツルヌルヌルの反対はというとゴツゴツではないか?
これは道元の『正法眼蔵』の『坐禪箴』に出てくる。中国の高僧・薬山惟儼(やくさんいげん745〜828)からの引用で坐禅をする姿のことを「兀兀地(ごつごつち)」というらしい。なんか惚れる言葉だねぇ〜。
ちなみに『坐禪箴』ではこの後、有名な「非思量」が出てくる。
禅家の解釈はワンパターンで抹香臭くて鼻に付く。私は何かに集中熱中していれば非思量だと思う。赤ん坊はみんな非思量だ。分別を持った大人が非思量の境地に入るのが至難、なのだ。
今日は田無で中学の5人同窓会だった。夜はホームページの更新をした。『唇寒』のテーマは「威張っちゃおしまい」。お断りしておくと、この『唇寒』は画家Y先生の事件以前に書いた。
天気:終日小雨
作品:12日のクロッキー。なぜか鉛筆で描きたくなった2分間ポーズ。38×27
180912pencil
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