イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2018年12月

ありがとうございました

(月曜日)
朝の水浴のとき、何も考えないでどんどんかぶると申し上げた。筆洗いもイヤだとかめんどくせぇ、後でいいなどと考えずにどんどん洗う。朝起き上がるのも同じかも。6時に起きても7時半に起きても9時過ぎに起きても冬は寒い。いつでも同じ。水浴はむしろ6時が一番暖かいような気がする。9時だと冷え切っているし、ご近所が洗濯などを始めるので水圧も低くなり時間がかかる。水の溜まりが悪くなるから裸でいる時間が長引く。寒いんだよね。
『ルネサンスの旅』(田中譲・JTBキャンブックス)はよくまとまっている。田中穣(1925〜2005)は読売新聞の美術記者だった人で『近代日本画の人脈』と『日本洋画の人脈』(両方とも新潮社)は名著。私は2冊とも持っていて2度は読んだ。『ルネサンスの旅』
の第5章の最後のところp92に奥村土牛が出てきたのにはびっくりした。
ヴェネチア派の話もあった。ティツィアーノ(1488/90〜1576)も出てきたけど、私とは見解が違った。同じルネサンスの本でも『イラストで読む ルネサンスの巨匠たち』(杉全美帆子・河出書房新社)にはヴェネチア派への言及は一切ない。あまりにも片手落ちなのでは。寂しすぎる。
並行して『イラストで読む 印象派の画家たち』(杉全美帆子・河出書房新社)も読んでいる。こっちはとても楽しい。けっこうおすすめ。
しかし、上記の3冊。その前に読んだ『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』(中野京子・NHK出版新書)も含めて、作品への評価は私とはだいぶ異なる。私の主張をしっかりまとめておく必要があると痛感している。私の主張というのはここではいつも述べているけど、ティツィアーノやモネの最晩年作品の評価だ。80歳を過ぎて90歳になろうという画家たちの素晴らしい画業。人間の無制限な可能性を示してくれている。あんな死ぬ間際まで人は上達、進歩、向上するのだろうか。するんだよね。稀にする人がいるんだよ。あの方々の絵がその証拠。本当に不思議だ。自分自身の心身の衰えや死への恐怖を想うと、不思議でたまらない。

本年もご愛読いただきありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。上記「死ぬ間際まで人は上達、進歩、向上」を自分の身体でもって実験、解明する覚悟で来年も頑張る予定です。それにしてはあまりにも未熟。まことに申し訳ありません。
よいお年をお迎えください。
天気:晴れ。寒い。
作品:F10「陽光」
181031-10

お笑いは笑えなきゃ

(日曜日)
マンション管理人の仕事も遅番はダイエット効果抜群。食事も2回になるし、夕方7時からの見回りがいい。いっぺんに5千歩ほど歩く(1日の合計では1万2千歩ぐらい)。真冬でも汗ばむ。遅番の日は夜中にオシッコに起きることがない。起きても明け方。今日から2日までお休みだから、体調維持が難しい。マンション勤務が定年になるとお金にも困るけど体調維持が難しくなる。72歳か。まだ先だけど恐ろしい。2〜3年後に75歳定年になる可能性も高いけどね。そうすると3年命が伸びる。
昨日の朝日新聞に「女芸人と笑いのルール」と題する記事があった(ライター・西森路代)。10日に日テレ系でやった『女芸人1決定戦 THE W』のことが書いてあった。私も全部見た。で、記事は番組擁護の姿勢。私は難しいことはわからないけど、男性のお笑いに比べると格段にレベルが低いと思った。笑えないもの。見ていられない。優勝した阿佐ヶ谷姉妹はよかったが男芸人ならざらにあるレベル。その後に録画で見たテレ東系の『日曜チャップリン』(7日)というお笑い番組の質の高さは比べものにならないほど。腹の底から笑えた。理屈並べても笑えなきゃお笑いはダメでしょ。男女平等とかそういう話じゃない。男も女も関係ない。笑えればどうでもいい。ちなみにYou Tubeならすべて見られると思う(=今やってみたが見られなかった。すみません)。

今日は今年最後の50mプールに行った。ウォーキングも1万歩には達したはず。掃除などはしていない。裸婦カレンダーを作ってみた。
天気:晴れ
図版:A4裸婦カレンダー
10RHAPSODY-SMA4カレンダーのコピー

墨を磨る

(土曜日)
今年もいっぱいイノシシを描いた。墨を磨って描く。イイカゲン爺だから、墨がつい淡くなってしまう。先方の宛名ぐらい濃くしたいが、市販の墨汁にはとても敵わない。おそらくあっちは機械で作っている。こっちはひとり手で磨っているんだから勝てるわけがない。
でも、手で磨る墨の年賀状ってものすごく珍しいと思う。私が頂く年賀状もほとんどが印刷だ。印刷でも一言添えていただくと賀状が輝く。とても嬉しい。私のぶっきら棒な手描きより100倍いいかも。
ま、私は頑固に手描きを続けるけどね。
父も手で描いていた。父は石油ストーブの上にヤカンを置いて湯気を立て、陽当たりのいい部屋で描いていた。あれは年末ではなく正月明けだったような気もする。
墨もだけど、私は洋画材料も頑固。アクリルなどの冒険はしない。戦後の洋画家が憧れたベルギーキャンバスにブロックスやルフラン、レンブラントなどの絵具を使って描いている。贅沢なのだ。古い油絵描きの数少ない生き残りかも。希少な絶滅危惧種だよぉ〜〜〜。

ブログ「森への想い」氏の教えに従い、自作カレンダーを作ってみた。A3ノビという大きな用紙に印刷もした。家内からは好評。
天気:晴れのち曇り
作品:F8「若草」
181221-8

年末年始難民

(金曜日)
25日の発狂寸前症状はまったくなくなった。消えた。バカバカしい。昔に帰れるわけがない。昔がいいわけがない。5万枚も絵を描く幸福な人生を繰り返せる可能性はとっても小さい。私は幸運の連続だった。不出来な両親も、高校や大学の不合格も、失恋も、貧乏もすべて必死こいて絵を描くことで解消した、のか? こうやって書くとやけにカッコいい。現実にはズタズタぼろぼろの人生だったかも。
たまにしか会えないけど孫もいるしね。たまにと言っても近所に住んでいるから最低でも1か月に一度は会える。一般にはこれでも多いほう。しかも貧乏ジジイとわかっているから、なにか買ってあげるわけじゃない。相撲、将棋、サッカー、釣り、かけっこなど体力勝負で遊ぶ。下の孫は抱っこばかり。フラフラに疲れる。月に1〜2度の逢瀬で十分かも。貧乏も悪くない。
それにしても年末年始は困る。カラオケも高額になるから行けないし、プール、図書館、美術館などはほとんどお休み。スーパーもすべてが値上がりするからなるべく行かない。マンション管理の仕事も少ない。じっと耐えるしかない。こういうのを年末年始難民というらしい。4〜5日耐えていれば平常に戻る、と思う。
図書館の本は9冊借りてある。寝正月には十分。今は『ルネサンスの旅』(田中譲・JTBキャンブックス)を3分の2ぐらい。面白いけど読み始めると眠っているから進まない。気分は15世紀のフィレンツェに暮らしている感じ。他国の進攻におびえながら、ルネサンス芸術に浸っている。古代ギリシアに比べるとダサいけど、古代ギリシアを慕う意気込みはハンパない。

今日はがんばって年賀状を出した。ウォーキングは足りない。目標の半分ぐらい。5千歩以下かも。
自分の絵のカレンダーを作ってみた。家内からの評判は上々。
夜はホームページの更新をした。『唇寒』のテーマは「絵画絶望論」。絶滅論ではない。
天気:晴れ。とても寒い。

やり直せない

(木曜日)
昨日は年賀状の宛名書きを終えてすべて投函する予定だった。それが1枚も書かなかった。酷いね。いったい1日何をやっていたのだろう? 図書館に2回、遠い50mプールに車で行っただけ。
車は22年前のカローラ。CDが聴けない。カセットテープ。20年以上前にサザンオールスターズの最初のベストアルバム「すいか」をレンタルして2種類のカセットに移した(カセット8本)が、残っているのは「すいかVol.3」が一つだけ。私はVol.2が聴きたいのだけどVol.3も悪くない。で、昨日も渋滞のなか楽しく「すいかVol.3」を味わった。そうしたら25日のブログで「あの日に帰りたいぃ〜〜」と気が狂いそうになると私が嘆いた、その同じテーマの歌があった。「あの日に帰り、俺やり直したい」と歌っていた。しかし、楽曲の題名がわからない。桑田佳祐は20歳代か30歳代で「あの日に帰りたかった」のか。私はもうすぐ70歳。自分のレベルの低さに驚いた。意味が違うのかなぁ?
昨夜、宛名書きもせずネットで上記の楽曲を検索したけど、不明。いま再度検索した結果『EMANON』と判明。カラオケでマスターして泣きながら歌うか。バカぁ〜〜〜。
これで68歳かぁ〜〜〜。
よく考えみれば『ジュリアに傷心』も同じようなテーマだなぁ〜。『ジュリアに傷心』はムチャクチャよく歌う。

今日は宛名書きをして投函もした。まだ半分残っている。
天気:晴れ
作品:F4「EMANON」
181031-4

哲学と思想

(水曜日)
物凄い寒さだ。朝の水浴を威張れる季節。水浴は何も考えないでやる。どんどんやる。寒いとか厭だとか一切考えない。今朝は6時過ぎに起きたけどオシッコしてまた寝た。マンション勤務の早番ならそのまま起きて水をかぶる。まったく正気の沙汰ではない。暗くてド寒い。今朝は9時前まで寝ていた。しかし、水浴の厳しさは6時でも9時でも変わらないんだよね。6時は眠いだけ。
「哲学は思考だけで、思想には行動が伴う」と教えてもらった。高校生ぐらいのときだ。その「行動」というのが政治活動だとわかったのは60歳を過ぎてから。政治はいただけない。政治活動は加熱すると争いの元。最後には戦争になる。
政治というと語弊がある。政治は必要。道を作ったり橋を架けたりトンネルを掘る。学校や病院を作る。公園を整備する。私なんか、公園、美術館、プール、図書館とどれだけお世話になっているかしれない。こういう公共施設はみんなの力で作る。力を合わせる。
政治は否定しないけど、人が集まるとロクなことにならない。ハロインの渋谷状態になってしまう。普通の人がバカになる。
私の想う「行動」は個人的なウォーキング。これもまとめて5千歩となるとけっこう骨が折れる。本気にならないと消化できない。おすすめはしないけど、私自身は水泳や体操もやっている。手の結んで開いては歩きながら310回。夜の風呂のなかで200回。手は絵描きの命だから絶対にやる。雨の日でも片手ずつやる(片手には傘)。
マンション勤務の日は筋トレもやる。腕立て伏せ(簡単斜め)が50回、腹筋(膝立てで起き上がらない方式)を25回、深いスクワットを15回。けっこう苦しい。そのほかテレビで見ていいと思った体操をやっている。それでも合計5分ぐらいで終わる。辛いけど気持ちいい、かも。かなり汗ばむ。

今日は午前11時にスシローに行った。開店と同時。注文ではなく回転している寿司を食う。すべて握りたて。実は11時前に相模原市の50mプールに行くはずだったが寝坊したのだ。50mプールは夕方行った。しかし、ウォーキングは4千歩にも達していないと思う。
天気:晴れ。雲も多かった。

あの日に帰りたいぃ〜〜〜

(火曜日)
夜に懐メロをハシゴしたせいか、若い頃のことが頭に浮かんで眠れなくなった。ま、眠れないのは昨日の朝10時まで起きなかったこともある(そっちが主、だと思う)。若い頃のいいことばかりが思い出され、それはもう二度と帰ってこないと思うと居ても立ってもいられないほど(現実には横になっている)焦る。気が狂いそうになる。こういう気持ちは少し前にもあった。老人病か? 暇だから過去に拘る、のか?
だいたい私は先ばかり想って生きてきた。何度も言うように富岡鉄斎(1837〜1924)が目標。85歳から本格的な絵が出来る。それまでは繋ぎ。繋ぎと言ってもダラダラしているわけにはいかない。第一、85歳まで生きる可能性は高くない。一般的には無理。でも、とにかく私は85歳を目指していて、若い頃に戻りたいなんて思ったこともなかった。
世間では暴走老人が問題視されている。過去に戻れない惨めな老人が狂人となって乱暴狼藉をはたらくのか? 男性老人に多い。とんでもない話だ。ダメだぁ〜〜〜。
よく考えてみれば、若い頃の恋愛なんてとても悲惨な状況。相手の気持ちは永遠にわからないのだ。自分の気持ちだって不確か。アメリカ映画などではやたらに愛を口で言って確かめ合う。世間から見れば幸福な二人も、恋愛の場合、絶対安定ハッピーはあり得ない。ライバルもいっぱいいるし、自分の彼女(または彼氏)より魅力的な誰かが登場するかもしれない。迷いばかり。アホだね。
お釈迦様はそういう焦り(=迷い)からの開放を教えているのだと思う。
「今ここ」なのだ。そしてゆっくり呼吸する。身体を動かす(=歩く)。太陽に当たる。一番大事なのは向上心を持ち続けることだ。
とは言っても水泳なんか遅くなるばかり。ストローク数もどんどん増えている。苦しい。でもまだまだ泳ぐよぉ〜〜。
絵はよくなっているのだろうか? わからないけど、今年は作画枚数は少なめだったが、全体的には去年よりいいような気もする。
天気:晴れのち曇り
作品:「南九州・南郷の海」鉛筆 紙 21×29.7僉Г海海妊掘璽ヤックを経験した。
181211kyuushuu

音楽はかなり緻密

(月曜日)
日曜深夜のテレビ『関ジャム』は今のJP(ジェイポップ)がどれぐらいちゃんと曲を作っているか教えてくれる。その曲作りの緻密さは現代アートの比ではない。アートはバカばかり。中学生程度の色彩理論も知らない。というけど、私の色彩理論も中学生程度だけどね。
歌の場合は詞もある。作詞もハンパない高度な頭脳と感情の作業だ。
全般的に絵は音楽よりずっと自由。好き勝手に画面で暴れられる。もっとも、その結果がどうかはまた別問題だ。だから私は暴れるルールも厳しく制限している、つもり。でも、かなりムチャクチャしている。原則ムチャクチャだ。昔の歴史画となれば時代考証も楽じゃない。とは言いながらけっこう自分の時代の衣装で片づけている絵もある。500年前も300年前も現代のわれわれにとってはどっちも古くてよく分からない。その前に、絵を見るときは人物の衣装なんか気にしていない。絵具の付きとか画面構成とか線描の勢いなんかを見ているものね。ルーベンス展でもそっちばかり。
ルーベンス展には必ずもう一度行く。ルーベンスの絵もだけど、ギリシアの模刻ながら《かがむアフロディテとエロス(うずくまるヴィーナス)》がもう一度見たい。
『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』(中野京子・NHK出版新書)が終わって『ルネサンスの旅』(田中譲・JTBキャンブックス)に移ったが、『イラストで読む 印象派の画家たち』(杉全美帆子・河出書房新社)もチラチラ読んでいる。この本は図版に矢印などが入っているのでイマイチだけど、杉全(すぎまた)さんはなかなかの方。知りたいことをよく教えてくれている。同じシリーズの『ルネサンスの巨匠たち』『レオナルド・ダ・ヴィンチ』も予約した。

今日はクリスマスイブだけど特別何もない。ウォーキングは1万歩に達したはず。
夜は宛名書きもせず、You Tubeで懐メロをはしごした。
天気:晴れ。風あり

本当にゴメン

(日曜日)
昨日の午前中は1時間あまり孫たちと遊んだのだった。なんか疲れているな、と思ったらあの1時間が効いていたかも。おかげで夜は一度も起きずに朝9時まで寝ていた。水分補給も夜の6時で止めたのがよかったかも。体重もほぼ元に戻った。66.6圈6綵から帰ったときは69堋兇┐世辰拭とにかく食わないと痩せる。ダイエットもハチの頭もない。ある程度の運動をやるのは当然だ。元気がないと絵は描けない。
で、21日のクロッキー会のとき考えていたことは何だったのだろう?
目の前の裸の女性を見ていて「ああ、綺麗なもんだなぁ〜〜〜」と思ったのは覚えている。「こういうのって見てもいいのか」とも思ったかも。あとは必死こいて描いていたからまったく記憶がない。時間が飛んでいるもんね。いつも思うのはティツィアーノやレンブラントに申し訳ないという気持ち。いまのこの裸婦モデルが描けるシステムは夢のように素晴らしい。ありがたい。このごろ会員が少ないから、私の1回の負担はとても大きい。でも、本心描きやすいんだよね。贅沢させていただいている。申し訳ありません。

今日は年賀状を100枚描いた。100枚の途中で歩いて25m学校開放温水プールに行った。
ウォーキングは7000〜8000歩、ギリ合格か。夜はテレビ『下町ロケット』を見て、阿部社長のお説教をたっぷりと聴いた。とんだ説教ドラマだ。
天気:曇りのち小雨
作品:F8「昭和公園・秋」
181204shouwa8

晩年が勝負

(土曜日)
今は『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』(中野京子・NHK出版新書)を読んでいる。もう3分の2ぐらい進んだ。中野は文章が上手い。とても読みやすい。もともと歴史が専門。底辺の社会史にも詳しい。西洋文学の素養も大きい。私なんか問題にならない学識の高さだ(当たり前だけどね)。統計的な話も多い。
とてもおすすめ。
絵の造形的な話はない。それは無理。小林秀雄みたく下手に言及されるより気分がいい。また、モネやドガの晩年の絵の話もない。モネの睡蓮以降、80歳代を絶賛しているのは私ぐらいかもしれない。ドガの晩年の素早いパステル画を取り上げる美術書も多くない。晩年のドガを褒めるのは私とルノワールぐらいか? 富岡鉄斎(1837〜1924)の晩年は誰もが認めている。ティツィアーノ(1488/90〜1576)の最晩年でさえ全面的にド凄いと言い張っているのは私だけかも。ホント晩年は衰える画家がほとんどだ。
そう言えば、昨日羽生が負けちゃった。無冠、100期タイトルもなくなった。今回の竜王戦は第6局が凄かったね。広瀬8段の強さを思い知ったよ。あれで決まっていたかも。そのうえ、最終局で羽生は後手番となってしまった。ついてなかった。1〜2年のうちになんかの棋戦で100期は取れると思う。羽生は一昔の棋士とはちがい、酒やたばこをやらない。棋士生命も長いと思う。必ずさらに強くなる。捲土重来(けんどちょうらい)だっけ? ダイジョブ、ダイジョブ。

昨日のクロッキー会で描いている最中に、ブログなどに書くのにとっても面白いことを思いついたのだけど、まったく忘れてしまった。風呂などで思い出そうと頑張ったがダメだった。
天気:曇りのち雨のち曇り
Archives
Categories
  • ライブドアブログ