イッキ描きブログ

菊地理の油絵作品と絵の話

2019年04月

絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

アントワーヌがクロードやピエールと知り合ったグレールの画塾は1863年の暮れに閉鎖になってしまった。クロードは秋の初めには画塾をやめていたし、フレデリックもすぐに続いた。ピエールとアルフレッドは秋の終わりまで在籍していた。
アントワーヌは最後までいた。
クロードはもともと画塾で人体画など学びたくはなかった。そんな面倒なコースをたどらなくても直接サロンに入選して名をあげ、どんどん絵を売ってゆく自信があった。
クロードは17歳のころから港町ル・アーブルの文房具店でカリカチュア(戯画)を売っていた。そのカリカチュアを見てクロードの才能に驚いたブーダン(1824〜98)が戸外風景画の楽しさを教えたのだ。
パリでサロンを見たクロードは、サロンの風景画があまりにも型にはまったつまらないものなので「あなたの成功への道のりは開かれたものだと思われます」とブーダンに手紙を書いたほどだ。もちろんクロード自身の成功も確信できた。
しかし、ル・アーブルでブーダンに紹介されたサロン画家トロワイヨン(1810〜1865)から
「まず人体画と裸体像だけ描くアトリエに入って、デッサンを勉強したまえ。でも油彩画をおろそかにしてはいけない。ルーブルで模写をするといい」と教えられ、素直に従った。初めはクーチュールの画塾に入り、兵役ののちにグレールのアトリエに移った。
しかし、外で自由勝手に風景を描いていた野生の画人クロードに画塾は辛すぎた。そしてやっぱり自由に外で描くことになってしまった。が、野人クロードも後輩のアントワーヌにはトロワイヨンの教えをそのまま伝えた。
しかし、1863年の暮れにグレールの画塾が閉鎖してしまい、アントワーヌはとにかくルーブルの模写の許可だけはとったわけだ。自由の身なので、クロードにしたがって戸外でも描いた。
1867年の春にはクロードもピエールも自信作がサロンに落選してしまい、話しかけるのもはばかられるようなムードになってしまった。で、とりあえずルーブルでの模写に励んでいた。
それまでも、アントワーヌはルーブルでピエールに多くのことを学んでいた。ピエールはクロードとはちがい、クラシック絵画にとても詳しかったし、人体画に対しての意欲も格段に大きかった。
最初に選んだルーブルの絵は《マリー・ド・メディシスの上陸》。画家は300年ぐらい前のベルギーの大巨匠ルーベンス(1577〜1640)だ。ピエールももちろんルーベンスをよく知っていて模写には大賛成してくれた。
アントワーヌは《マリー・ド・メディシスの上陸》の下にえがかれている3人のニンフを同寸で模写した。模写はとりあえず鉛筆でやる。油絵具を使うかどうかは後で決める。鉛筆で模写しているだけでもルーベンスのいろいろな細かい技が見えてくる。ただ見ているのとは全然ちがう。

ルーベンス「マリー・ド・メディチスの上陸」 
ルーベンス「マリー・ド・メディチスの上陸」部分
















ルーベンス《マリー・ド・メディシスの上陸》1622〜23年 394×295僉.襦璽屮詒術館
右:ルーベンス《マリー・ド・メディシスの上陸》下の部分図
アントワーヌは連日ルーベンスの画技に感嘆し続けていた。
模写を始めて3日が過ぎた。
その日も夢中で描いていた。全体を見ようと後ろに下がったとき例の男に気が付いた。あの小柄な男がじっと見ている。アントワーヌは嫌だなと思ったが、ルーブル美術館は公共の場、見るなとも言えない。気が付かない振りもできそうにない。
仕方ないからちょっと会釈をした。
「この絵はルーベンスの傑作だ。特にこのニンフは素晴らしい。よくこの絵を模写に選んだね」
「私もとてもいい絵だと思いました」
「ブグローとはえらくちがう」
「ちがいますか」
「全然ちがうよ。顔がちがうだろ。この顔は無垢なニンフのあどけなさがちゃんと描けている。ブグローの《バッカント》の顔は生身の人間の顔だったじゃないか」
アントワーヌも同意できたが黙っていた。
それから2日してまたその男が来た。

(火曜日)
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今日の絵:SM「フローラ」
190327sm2

絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

1867年3月に絶対的な自信を持って出品した《庭の女性たち》がサロンに落選する。
ここから下り坂を転げ落ちるようにクロードの絶望と転落の日々が始まる。
いっぽうのピエールもほぼ同じようにサロンの入落に翻弄されていた。
1864年に仲間を出しぬいたようにいち早く入選を果たしたピエールであったが、その入選作《踊るエスメラルダ》は評判にもならず、ピエール自身納得できない絵であった。のちに自分で破棄した。
1866年にはクロード、アルフレッド、フェレデリックがみな入選したのにピエール一人が落選してしまった。しかし、このとき審査員だったコローとドービニーに強く推薦されたことが救いだった。
1867年のサロンにはピエールもクロードの《庭の女性たち》に負けないぐらいの自信を持って《狩猟するディアーヌ》で応募した。しかし、あえなく落選。

ルノワール「狩猟をするディアナ」















ルノワール《狩猟をするディアーナ》1867年 195.7×130.2僉.錺轡鵐肇鵝.淵轡腑淵襦Εャラリー

ピエールの落胆も小さいものではない。
しかし、若い彼らは次の策を考える。つまりサロンとは別の新しい展覧会を始める方法だ。


(月曜日)
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絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

《草上の昼食》を描いているときも神がかっているように見えたが、次の《庭の女性たち》を制作中のクロードには鬼気迫るものがあった。
フレデリックはもちろん、ピエールやアルフレッドにとっても、クロードは仲間というより尊敬の対象になってしまっていた。明らかに別世界に入っていた。クロードはまわりが唖然とするしかないような情熱をもって制作に集中した。
《庭の女性たち》は縦2m55僂梁膾遏3阿派舛い討い燭、上部に筆が届かないので地面にキャンバスが入る大きな細長い穴を掘り、キャンバスを滑車で吊り降ろして描いた。
この制作のときクロードは25歳。すでに一人前の大人だ。一般の男性なら仕事も軌道に乗ってくるところ。そろそろなんとかしなければならない。しかし、ここ2〜3年の勢いから推して絵でやっていける感触は十分あった。いけるかもしれない、と思っていた。
アントワーヌから見ると自信に満ちあふれている感じさえした。それは天狗になっているということではなく、自然に充実している感じだった。

モネ「庭の女性たち」
















モネ《庭の女性たち》1867年 225×205僉.ルセー美術館

1866年にクロードと結ばれたカミーユは1867年に第一子ジャンを出産する。クロードにとってはいよいよ切羽詰った状況が襲ってくる。


(日曜日)
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今日の絵:F4「八重桜」
190417yae4

絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

1863年の年末にグレールの体調不良によりアトリエが閉鎖された。その前からクロードたちはアトリエに顔を見せなくなっていた。ほとんどフォンテーヌブローの森の村シャイイで描いていた。他の仲間もアトリエを去った。
アントワーヌはシャイイに行ったりアトリエに戻ったり、またルーブルで模写の許可証も得た。クロードたちにこころ惹かれながらも、とりあえず人体画を学びたかった。ブグローなどのサロン絵画を否定しきることはまだできないでいた。
だが、1865年に《草上の昼食》を描いていたときのクロードは神がかっていた、とも言える。何かが取りついたみたいに絵画に熱中していた。
アントワーヌはこんな真剣な人間を見たことがなかった。
1866年のサロン応募を目指して描いていたその《草上の昼食》は中断してしまったのだ。そこで急遽、数日間で《カミーユ(緑の衣裳)》を仕上げた。その勢いも凄かった。
結果は《カミーユ(緑の衣裳)》ともう1点の風景画が入選した。《カミーユ(緑の衣裳)》は会期後の評判もよく、クロードは快調に来年に向けての大作《庭の女性たち》に向かって筆を進めていた。

モネ「カミーユ(緑の衣裳)」













モネ《カミーユ(緑の衣裳)》1866年 228×149僉.屮譟璽瓮麋術館
*1866年にサロンに入選。隅に飾られたが評判はよかった

いっぽう、ピエールは1865年にはアルフレッドの父親の肖像《ウィリアム・シスレー》ともう1点が入選している。
しかし、彼らの喜びもここまでだった。
ピエールは1866年、1867年と連続落選。1867年にはクロードが意欲をこめて仕上げた大作《庭の女性たち》も落選してしまったのだ。

(土曜日)
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絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

クロードがクールベの《オルナンの埋葬》より大きな6m×4mの絵を描き始めたのは1865年の春に2点の風景画がサロンに入選した直後からだ。すぐまた翌年のサロン入選を狙った。観客や評論家が無視することのできない巨大な絵で勝負に出たのだ。
クロードはクールベに《オルナンの埋葬クラス》を超える大作の話をした。
「おお、描け、描け。どんな絵だ? 埋葬の二番煎じはまずいぞ」
「マネ氏みたいな戸外のピクニックです。でも、私の絵は本当の戸外です」
「よくわかんねぇけど、埋葬よりはずっといい。モデルはどうすんだ?」
「はい、友だちに頼む予定です」
「俺もやるよ」
「えっ? やるって何をですか?」
「モデルをだよ、決まってんだろ。必要とあれば、いつでも脱ぐぜ」
「あ、ありがとうございます。でも、私の考えている《草上の昼食》は着衣の人物ばかりです」
「俺を真ん中に描いてくれ」
クロードはとても嬉しかった。

モネ「草上の昼食・大」












モネ《草上の昼食・大・左側》1865〜66年 418×150僉.ルセー美術館
モネ《草上の昼食・大・中央》1865〜66年 247.8×218僉.ルセー美術館

クロードはクロード・モネ。
上記6m絵画は現在一部しか残っていない。上掲の真ん中ですわっている髭の男性がクールベ。
この絵はクールベの一言で完成を見なかったのだ。仕上がり直後の保存の問題で絵の半分がダメになってしまった。
しかし、この大作のおかげでクロードの絵画技術のレベルは格段とアップしていた。



(金曜日)
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ウォーキング:△  水泳:○  体操:○  筋トレ:×  クロッキー会あり  夜はホームページ更新。唇寒テーマは『ああ、官能小説』。
天気:午前中雨。午後からもチョー小雨が続いた。
今日の絵:F4「春の公園」
190417kouen4

小説お休み

小説はなかなか書けない。まさか名作を書こうと狙っているわけではない。この歳だから受賞なども考えていない。自分の言いたいことを上手に書けたらいいと思っているだけ。でも、つい史実や話の展開などに流されてしまい、言いたいことを忘れる。また、いい歳をして自分の主張が正しいのか迷うことも少なくない。もちろん迷って当たり前だとも思う。
しかし、それでは書けない。進まない。
迷いに迷って絵まで描けなくなっても困る。
そんなことはない、はず。
絵の出来なんてどうでもいい。絵を描いていること自体に意味があるのだ。何時間も花に囲まれて絵筆を執る。モデルを前に裸婦を描く。こんな幸福はない。
若いころからのモネやシスレーのセーヌの風景を見ていても、本当にそういう幸福感のなかで描いているなぁ、と思う。30歳代の彼らは知っていたのか知らなかったのか、とにかく作品に邪気はない。

今日は25mプールに行く予定だったが行けなかった。ま、これから連休が始まる。好きなだけ泳げると思う。どこか遠くに行く予定はまったくない。渋滞は嫌だ。連休料金も御免こうむりたい。

(木曜日)
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小説お休み⊆膺邑が多すぎる

(水曜日)
昨日今日と休日で、絵画小説の原稿を稼ごうと張り切っていたが、全然進まなかった。まるでダメ。読まなければならない資料ばかりが溜まって、パソコンのまわりは美術書だらけ。たった10年間の話なのに難しすぎる。登場人物もけっこう多い。いまのところ5人ぐらいだが、最低でも10人にはなる。それが全員主人公クラスだから困る。映画『七人の侍』みたく巧くまとめられるだろうか?

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絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

1864年の春、ピエールが先陣を切ってサロンに入選した。この出品を一人抜け駆けだと非難できないこともない。しかし、ピエールは金欠で1日も早く一人前の画家になりたいのだ。いつまでも画学生でいられる身分ではない。
アルフレッドは友の入選を心から喜んだ。
クロードも本来ならば祝福すべきだ。それなのに焦りからか、なにかイライラしていた。そういうちっぽけな自分がとても情けなかった。
アントワーヌから見ても、ここのところアルフレッドとピエールは馬が合っている。クロードはしょっちゅうフレデリックと一緒にいる感じ。ピエールとクロードは多少ギクシャクしているのかもしれない。
とは言っても同じフォンテーヌブローの森で描いているのだ。ま、フォンテーヌブローの森もとても広い。クロードたちは北のシャイイ、ピエールたちは南のマルロットがお気に入りだった。
ピエールは入選したことはしたが作品の扱いは散々で、もちろん評判にもならず悪評さえも立たなかった。
明くる1865年にはクロードもピエールも2点入選。わだかまりはすっかり消えていた。

シスレー「森へ行く女たち」












シスレー《森へ行く女たち》1866年 65.0×92.0僉.屮螢促好肇麋術館
*1866年サロン入選作2点のうちの1点。マルロットの風景。

次の1866年にはクロードが連続入選。ピエールは落選してしまった。いっぽう、サロン路線を強く主張したアルフレッドが初入選している。
このように、クロードたちは入選したり落選したりしながら、なんとか頑張って画家への道を進もうとしていた。

(火曜日)
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今日の絵:SM「プランタン」
190327sm

絵画小説・アルジャントゥイユの夜明け

男はしばらくじっと《聖母子と洗礼者ヨハネ》に見入っていた。アントワーヌも黙って《聖母子と洗礼者ヨハネ》をじっくり味わっていた。そんなときがどれほど続いたのか、数分なのか数十分なのか、男が静かにつぶやいた。
「イタリアへは?」
どうにか聞き取れるような声だ。行ったことがあるのかと訊かれているのだろう。
「いえ、まだ行ったことはありません」
男はチラッとアントワーヌを見てから、とボッティチェリに目線を戻し
「イタリアはいいよ」と続けた。
目の前のボッティチェリもイタリアはフィレンツェの画家だ。
「このボッティチェリもいい。でも、その少し前、そのころのルネサンスが素晴らしいんだ。絵描きや彫刻家たちが中世の長い長い眠りから目覚めて古代ギリシアに傾いてゆく」
男の声がじょじょに熱を帯びているように感じられた。
「あのエネルギーがレオナルドやミケランジェロを生み出し育んだんだ。イタリアに行けばその400年以上も前の美術革命が目の当たりに展開している。大元の古代ギリシア彫刻にも会える」
男はボッティチェリをじっと見ながらさらに続けた。
「古代の息吹って何だと思う?」
アントワーヌが戸惑っていると
「それは生命なんだよ。生きようとする力こそが芸術家のエネルギーの源だ。それは宗教にも深くかかわっている。この19世紀にはなくなっちまった純真な信仰心だ。それがこういう晴朗な画面を生み出すんだ」

ドガ「美術館にて」











ドガ《美術館にて》 1879〜80年 91.8×68僉.椒好肇麋術館

ルーブルの展示室の遠くの腰掛けにはご婦人たちが広いルーブルに疲れ果てながらも鑑賞をがんばっていた。


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アントワーヌは、ちょっと面倒なので素通りしようとしたが、
「この前の君か」
と声をかけられてしまった。
「あっ、はい、先日はどうも」
と言ったが、そんなことを挨拶をする必要もなかった。
《聖母子と洗礼者ヨハネ》を指示して
「この絵はどうだい?」と振ってきた。
「素晴らしいです」
つい応えてしまう。
「ブグローとは顔がちがうよ。気品がある。ブグロー先生のバッカントも古代ギリシアの神なんだろうが、あれじゃ、そこらにいる街のお姉ちゃんの顔だよね」

ブグロー「バッカント」部分
ボッティチェリ「聖母子と洗礼者ヨハネ」部分 











《バッカント》部分           《聖母子と洗礼者ヨハネ》部分

男は続ける。
「この絵の黒の分量と配置はどうだ! 空や人物の明るい色とのコントラストはまさに絶妙じゃないか。背景の植物も素敵だ」

ボッティチェリ「聖母子と洗礼者ヨハネ」









ボッティチェリ(1444頃〜1510)《聖母子と洗礼者ヨハネ》 1472年頃 
板 93×69僉.襦璽屮詒術館

アントワーヌはただ「ええ」と言うしかない。が、本当に黒のアレンジは見事だ。


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今日の絵:F10「ソナタ」
190410-10
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