2017年03月

2017年03月15日

安心して食べられるラーメン 桜井食品の話

    安心して食べられるラーメンはある?
     [桜井食品のラーメン研究]


中村司です。
ラーメンを食べて体調が悪くなる、不快な症状がでる人は意外と多いものです。
どちらかというと、男性よりも女性に多いように感じます。
リウマチになった女性患者さんから、いろいろヒアリングをしていて面白いデータもあります。
一例ですが、旦那さんがラーメンが好きで、付き合ってよくお店に行っていた奥さんのケースを何人か聞いています。消化がわるいと、人によってはいろんな症状が出る、という好例ではないかと思います。

私自身もラーメンを食べた後、身体がきついと感じるタイプなので気持ちがわかります。
お腹の中でガスがたまって、だんだん不快になってくるのです。お店のラーメンだけでなく、先日送っていただいた品質の良い「生ラーメン」でもダメでした。
おそらく原料のつなぎの部分、かんすい、といわれる物質などが原因ではないか、と個人的に思っています。


ただ、どうしてもラーメンを食べたい人もいると思うので、裏技として「桜井食品のラーメン」をコッソリ教えます。
自然食品店で「評判も良いし、だまされたと思って試してみて!」と言われ、実験で食べてみたところ、食後の具合も大丈夫でした。デリケートな中村司も安心して食べられるので、みなさんもたぶん大丈夫だと思います。
(自然豊かな岐阜県美濃加茂市で製造というところも私が推す理由の1つです。きっと良心的に真面目に製造していると、勝手に想像してます、笑)

ところで初めて桜井食品を検索すると、種類がありすぎて頭も混乱すると思うので、特徴を私なりにおおまかに分類、グループ分けしてみました。
題して「桜井食品の研究」
皆さん、いろいろなニーズがあるでしょうから、食べてみて自分に合ったものを愛用いただければ幸いです。

                         中村司

【追記】
中村は、楽天市場を利用して「爽快ドラッグ」「ケンコーコム」という2つの通販で時々購入します。
両店舗とも「1900円以上の注文で送料無料」なので、少し多めに買って送料を無料にしたいからです。
送料無料になれば、買うタイミングで、どちらか安い方から買えば良いかと思います。
ちなみに現在は、爽快ドラッグのほうが少し安いようです。
こんなにラーメンの一覧を作ると、中村司が「ラーメン好き」のように見えるかもしれませんが、決してそのようなことはありません。
(外食のラーメンを食べると具合が悪くなることが多かったので、それ以来、避けるようにしています)
野菜をたくさん食べたい時にラーメンは非常に優れているのに、消化の良いラーメンがほとんど見当たらないためにあえて紹介したものです。

「爽快ドラッグ」 楽天  ここから↓ ↓

1900円以上の注文で送料無料

「ケンコーコム」   ここから↓ ↓

1900円以上の注文で送料無料

※ 価格は主に「爽快ドラッグ 楽天店」参照
    税込料金 2017年1月現在

1  [スタンダードなインスタントラーメン(揚げ麺)]
桜井食品 ごまらーめん(100g) 125 円
桜井食品 しおらーめん(99g) 125 円
桜井食品 みそらーめん(101g) 125 円
桜井食品 しょうゆらーめん(99g) 136 円 ・・ 少し高い

【桜井食品 しょうゆらーめんの商品詳細】
●めんに使用している小麦粉は、北海道産の契約栽培小麦粉を使用し、かん水や合成食品添加物は使用していません。
●めんの揚げ油は100%植物油を使用しています。
●スープにはたん白加水分解物、合成食品添加物を使用していません。




2  [ノンフライ 熱風乾燥めん 無かんすい]
野菜らーめん ノンフライ(90g) 155 円

【野菜らーめん ノンフライの商品詳細】
●熱風乾燥めんを使用していますので、コシのあるあっさりした味が楽しめます。
●めんは北海道産契約栽培小麦粉を100%使用し、かんすいは使用していません。
●スープは、合成食品添加物は使用していません。
【中村司より】
デリケートな人は、油で揚げていないノンフライ麺を好むかも。
油で揚げることで、早く酸化しやすくなるとされる。


3  [十種類の穀物 ノンフライ 熱風乾燥めん 無かんすい]
十穀らーめん しょうゆ味(88g) 184 円
十穀らーめん しお味(87g) 184 円

【十穀らーめん しょうゆ味の商品詳細】
●国内産の十種類の穀物(小麦粉・黒米粉・小豆粉・発芽玄米粉・大麦粉・もちきび粉・もちあわ粉・うるちひえ粉・アマランサス粉・はと麦粉)を使用したノンフライラーメンです。
●契約栽培小麦使用の無かんすい・無添加らーめん
●主原料の小麦粉は北海道で特別栽培(農薬と化学肥料の使用量を慣行の半分以下にしています)された小麦を使用しています。
●添付のスープは化学調味料を使用していません。
●原材料に遺伝子組み換え原料は使用していません。


4   [ベジタリアン用 (非動物性)]
ベジタリアンのためのラーメン みそ(100g) [インスタントラーメン] 144 円
ベジタリアンのためのラーメン しょうゆ(100g)[インスタントラーメン] 144 円

●北海道産契約栽培小麦粉を使用しています。
●揚げ油は100%植物性を使用しています。動物性原材料・かんすいは使用していません。


5    [有機栽培の原料 ノンフライ&ベジ]
さくらいの有機育ち しょうゆラーメン(116g) 248 円
さくらいの有機育ち みそラーメン(110g)  248 円

●麺は北海道産の有機栽培小麦を原料にして、ノンフライで 乾燥させています。
●添付のスープも国産有機原料を使用した醤油を中心にして味を調えています。
●添付のスープには畜肉や魚介類等が使用されていませんが、あっさりとした味の中に素材の味や香りが生きているスープになっています。


6  [熱湯で3分 容器入りラーメン]
桜井食品 バガスカップの味噌ラーメン(1コ入)238 円
桜井食品 バガスカップの醤油ラーメン(1コ入)238 円

【桜井食品 バガスカップの醤油ラーメンの商品詳細】
●磯の香り際立つあっさり醤油スープです。
●麺は、国内産小麦独特の柔らかな食感と、かんすいのコシが絶妙なバランスです。
●このカップ容器(どんぶり・ふた)はサトウキビを搾汁した後の芯(繊維分)を利用した成型加工しています。限りある資源の有効利用という点で地球に優しいエコロジー容器です。
麺は国内産小麦粉を主原料に、内モンゴル産のかんすいを使用して作りました。 
国産小麦独特の柔らかな食感と、かんすいのコシが絶妙なバランスです。
磯の香り極立つあっさり醤油スープは、6種類の具と麺によく合う仕上がりです。
熱湯3分、簡単調理のカップラーメンです。
【バガスカップとは】 サトウキビの繊維でできた非木材紙「バガス」で作ったカップとフタを使用。資源の有効利用を考えたカップラーメン。


7  [熱湯で3分 ベジタリアンのための容器入りラーメン]
桜井食品 ベジカップしょうゆラーメン 238 円

【中村司より】
バガスカップ容器で、肉や魚などの動物性原料を使用していないらしい。
正確に表記すると「バガス容器ベジタリアンしょうゆラーメン」ということか。
もちろん、熱湯を注いで3分。
【桜井食品 バガスカップの醤油ラーメンの商品詳細】
●磯の香り際立つあっさり醤油スープです。
●麺は、国内産小麦独特の柔らかな食感と、かんすいのコシが絶妙なバランスです。
●このカップ容器(どんぶり・ふた)はサトウキビを搾汁した後の芯(繊維分)を利用した成型加工しています。限りある資源の有効利用という点で地球に優しいエコロジー容器です。
肉や魚などの動物性原料を使用していません。
岩手県産小麦粉を主原料に、北海道産の馬鈴薯でん粉を加えた麺は、なめらかな食感が特徴です。


8  純正ラーメン(5食入)  [ベジタリアン用 (非動物性)] 
純正ラーメン(5食入) [インスタントラーメン] 618 円

無かんすいで、麺の揚げ油には植物油を使用しています。
●動物性原料を一切使用していない、素朴な味をお楽しみ頂けます。


【その他】 こんなのもあります

焼きそば 無かんすい麺


ベジタリアンのためのカレー




 【 結論 / 中村司がおすすめなのは? 】

理論上、最も品質が良いと思われる基準は、「無かんすい」「ノンフライ」の2条件を満たすもの。

桜井食品では、その基準に、「野菜らーめん」と「十穀らーめん」が該当します。


2  [ノンフライ 熱風乾燥めん 無かんすい]

野菜らーめん ノンフライ(90g) 155 円


3  [十種類の穀物 ノンフライ 熱風乾燥めん 無かんすい]

十穀らーめん しょうゆ味(88g) 184 円
十穀らーめん しお味(87g) 184 円




【追記】

拙著「9レッスン」でも述べたとおり、食事や生活習慣を改善するポイントは、「何を食べるか」よりも「何を食べないか」であり、「何をするか」よりも「何をしないか?」のほうに、大きなウエイトが置かれています。
これは痛み・かゆみなど不快症状の影の原因として、食べ物や添加物などのアレルギーを引き起こす物質が多く存在するという事実に基づいています。
あなたの現状に合わせ、柔軟性をもって改善していってくださいね!

つづきはこちら・・・






2017年03月05日

深尾和泉守・深尾氏の歴史3  大筋まとめ


深尾和泉守・深尾氏の歴史3  大筋まとめ


1、苗字・深尾の由来


はっきりしているところは、深尾姓は、滋賀県、岐阜県、三重県の3県境あたり、深尾谷/ふかおだに に由来しています。

ところが江戸時代に編纂された古い系図に、「近江国(滋賀県)深尾谷」という記述があったため、発祥の地がたどれなくなったことを非常に残念に思います。

私が調べたところでは、上記の記載は誤りです。


現在の三重県いなべ市藤原町鼎/かなえ、辺りの人造ダム湖・中里貯水池の敷地内、北の地域が深尾谷です。

現在は立入禁止区域ですが、水没しているわけではなく、ダム敷地内の雑木林の状態です。

私は幸運にも、近所の人が持つ鍵で偶然開けていただいたため、深尾地域に一度だけ入ることができました。


近くに、安顕寺(あんけんじ)があります。

深尾安顕公を弔うために建てられたお寺で、深尾氏の源流ともいえます。

寺宝として「深尾資料」もあります。
深尾に所縁のある方が全国から来られるとのことでした。

ご住職は、本家の流れを継ぐ佐々木さんです。




2、深尾の源流


近江源氏、宇多源氏の流れを汲みます。(正統とされる説。私の妄想説とは少し違います)


【要約】 宇多天皇→敦実親王→源雅信(藤原道長の妻・倫子の父)→佐々木→真野→深尾


近江源氏は、佐々木荘に住み、佐々木氏を名乗ります。
本拠地は沙沙貴神社。

平安末期、佐々木源氏の「浅小井氏」は、(平治の乱後の)平家による源氏追討から逃れるため、三国の国境である山深い深尾谷に一時隠れ住んだ。真野氏はどうしたか不明です。

しかし、源頼朝の挙兵に従って、佐々木信綱親子は大活躍し、同族で全国66カ国中17カ国の守護を務めます。鎌倉幕府の成立です。

ただ統率が取れず、よく分裂するのが佐々木氏の弱さです。

後に後鳥羽上皇の鎌倉幕府打倒(承久の乱)の声により、上皇方、幕府方に分かれ、分裂し、当時の勢いを失いました。
本拠地である近江国のほか、出雲地方?など少しだけ残しました。

佐々木信綱の息子たちは、4つの家柄に分かれました。
高島、朽木、京極、六角など。
この中で、本家は六角氏ですが、京極氏、朽木氏は、江戸時代に小大名として生き残ることになります。


現在の佐々木神社は、近江源氏、宇多源氏、佐々木氏族の象徴ですが、その社殿を再興したのは、香川県の丸亀藩主・京極家です。

そのため神域内では、目につく四つ目結(よつめむすび)紋を、斜めの「角立て」から、水平な京極家の「平」四つ目結に変更されました。

ただ沙沙貴神社自体は、多くの社紋が存在していることを認めており、やはり代表は斜めの「角立て」。

また神社にしか使わない神紋として「糸紡ぎ車」を入れた四つ目結紋があります。
(おそらく機織りにつかわれたのでは。)



3、苗字の変遷


源→佐々木(沙沙貴山君にちなむ)



1.同族である浅小井氏の流れ  「浅小井・深尾」

佐々木→浅小井→深尾



近江の国、滋賀県の安土城と近江八幡市の間に、浅小井氏の「浅小井城」 別名 湖月城が存在した。

深尾加賀守と名乗る。

浅小井氏は家紋が不明。



2.岐阜に来た深尾氏は真野系なので「真野・深尾」


佐々木→真野→深尾

真野氏は佐々木神社の神職だったという。


岐阜に来た深尾氏の家紋は梅鉢紋。
梅鉢、または○に梅鉢。

(以下は、正確ではありませんのでイメージでとらえてください。

 年号などは記憶によるので改めて確認して修正していきます)


「深尾三代録?」によると、1525年?頃に、美濃国、土岐市の守護代である斎藤みょうちん?が、深尾氏を岐阜に招き、岐阜市北部に太郎丸城を築かせたという。

理由として、知識人であった斎藤氏と京都?の歌会で意気投合した、とも伝えられる。

これが後に、土佐藩首席家老、深尾和泉守の家系につながる。
今の大阪である和泉国と関係があったかというと、おそらくまったく無いだろう。

定説としては、太郎丸のすぐ東に厳美(いずみ)という土地があり、そこから取ったといわれる。
今でも、厳美郵便局というのがあります。


太郎丸城/旭城は小高い山城であって、関ヶ原の戦いの前哨戦で落城した。

現在は、多くの人が見失っているが、伝承はあり、岐阜市太郎丸野田の地である。

岐阜市太郎丸野田の交差点、西北の角にコンビニがある。
その斜め向かい、交差点の東南側に高さ50メートルほどの山があるが、その山上にあったらしい。
近年、南北の道路を通す際に削られてしまった。

(現在は急斜面になっていて山に入ることは不可能と思う。
近所のお年寄りである深尾さん3人組に聞いたところ、道にするための削る前に山に入らせてもらったという。
その時、城郭に使うような石組みなど大きな石を見たとのこと)


その南側に、龍翔寺という禅寺があり、深尾家の菩提寺的な存在である。
高知県から、深尾の関係者が来訪された時、いろいろ説明いただいた。
(高知県議の方も参加されていた)

その寺の北側あたりにちょっとした細い道があり、そこに深尾三代のお墓がある。(梅鉢紋)
(コンビニの前の南北の道路から入れる)



和泉守 重良公は、太郎丸城主でした?が、弟に譲り?、山内一豊公の新任地である掛川城についていったようです。
(たしか山内一豊公の娘さんを妻にしていた?)
高知城の天守閣、掛川城の天守閣がそっくりなのは、城主が同一人物だったからです)

その時期、1600年、関ヶ原の戦いが勃発。
深尾本家は織田信長公の孫である織田秀信公(三法師・岐阜中納言)の軍勢として西軍に参加。

岐阜城は東軍の猛攻に会い、関ヶ原の前哨戦で落城。
同時に、太郎丸も落城し、関ヶ原の後、深尾本家は、武士の身分を剥奪されますが、
大桑(おおが)地域の庄屋として家を存続させます。

深尾家の菩提寺的なのが、大桑にある般若寺です。深尾家がいろいろ寄進しています。


山内家は反対に東軍の主力として活躍し、土佐国の約20万石を得ます。
和泉守 重良公は高知に移ります。
関ヶ原の戦いでは、直接の戦いは無かったものの、主家(織田/山内)の判断の相違で、西軍と東軍に分かれて闘ったのです。



ーー『ウィキペディア(Wikipedia)』より

織田 秀信(おだ ひでのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将、キリシタン大名。
織田信忠の嫡男、織田信長の嫡孫。
岐阜城主。官位は正三位中納言で岐阜中納言とも呼ばれた。
公卿補任においては本姓で平 秀信(たいら の ひでのぶ)と記載されている。
洗礼名はペトロ。

−−

織田 秀則(おだ ひでのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
美濃岐阜城主・織田信忠の次男。
織田秀信は異母兄。諱は秀利とも。
キリスト教に入信し、パウロという洗礼名を得る。
なお、兄秀信も同時にキリスト教に入信する。
関ヶ原の戦いに際しては、兄と共に西軍に属し、美濃岐阜城に篭城する。

−−



大桑の現当主は、ズバリ、深尾和泉(いずみ)さん。(岐阜県山県市大桑の本家)
現在80代であり、一度お宅にお邪魔したことがあります。

深尾を名乗る人たちの家紋はほぼ例外なく梅鉢であり、○があるものとないものがあります。
総本家の梅鉢紋には○がなく、梅鉢だったと記憶しています。


そのご自宅で以下の三つを拝見しました。

1.織田信長公からの書状

2.信長公から拝領した刀(一振り/束は白木。手に持たせていただいた)
                    
3.土佐藩側(武藤氏?)から贈られた火縄銃/鉄砲一丁

この鉄砲の話は、土佐藩とのやりとり、交流記録に出てきます。


岐阜県山県市大桑は、美濃源氏の土岐一族の大桑城がありました。

謀反を起こした斎藤道三に滅ぼされまで最後の本拠地でした。

この大桑地区には源氏の土岐一族を守護するという立派な、十五社神社(じゅうごしゃ)もあります。




深尾和泉守 重良公・深尾氏の歴史について1 序文

深尾和泉守・深尾氏の歴史2 関連の城郭・寺社・資料

佐々木氏の沙沙貴神社・近江源氏/宇多源氏の謎




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深尾和泉守・深尾氏の歴史2 関連の城郭・寺社・資料

【深尾和泉守・深尾氏の歴史2】 
調査した関連の城郭・神社と菩提寺・資料



ご先祖様がお城に住んだお殿様やお姫様だったかも、と考えることには夢があります。

ただ、戦乱の時代は大変な状況で、ものすごいご苦労もあったことでしょう。

そんな時代を生き抜き、多大な苦労の中、子孫を育ててくださった、ご先祖様方に感謝を捧げたいと思います。

(滋賀県安土町の佐々木荘から岐阜に移住していく真野系深尾氏の直接の関与が確実と思われる部分を赤、明白でないものを青としました)



『城郭・場所』−−−−−−−−−−



0.総本家にあたる 沙沙貴神社(滋賀県安土町)

1.苗字発祥の地 深尾谷
  (三重県いなべ市藤原町鼎/かなえの辺り。真野系深尾氏が住居した証拠はないらしい) 

2.浅小井城/無双山湖月城 
  (滋賀県安土町/深尾加賀守は浅小井氏であり、親族)

3.太郎丸城/旭城 (岐阜県岐阜市野田)

4.佐川居館 (高知県佐川町)




『関係神社・お寺・菩提寺』−−−−−−−−−−


1.沙沙貴神社      平安時代ころに関係

  近江源氏/宇多源氏の「佐々木」総本家といえる

  宇多天皇、敦実親王、源雅信を祖とする 源氏→佐々木氏

  →六角、京極、朽木、高島、浅小井、真野などに分家

  後に浅小井、真野、他1家?が深尾谷に因み「深尾」を名乗る(深尾谷の謎※)


【要約】 宇多天皇→敦実親王→源雅信(藤原道長の妻・倫子の父)→佐々木→真野→深尾



深尾谷の謎※=平安末期、佐々木源氏の「浅小井氏」は、平家による源氏追討から逃れるため、三国の国境である山深い深尾谷に一時隠れ住んだという。

ただ、親族である真野氏が深尾谷に隠れたか文献に残っておらず、深尾姓を名乗る必要があったのかが不明で、研究者が頭を悩ますところらしい。

また鎌倉期に、深尾氏は執権北条氏(大佛/おさらぎ家だったか?)と姻戚関係を結んだと記録がある。

(あくまで勝手な推定ですが、深尾姓に勢いがあった時期、権威性をつけるため改姓したのかもしれません。。。)




2.安顕寺(あんけんじ/三重県いなべ市)     鎌倉・室町期ころ関係

  苗字発祥地(深尾谷)に近接。深尾安顕に因む

  住職は先祖の姓に復し、佐々木さん。

  岐阜の深尾さんの改姓の順序は、「佐々木氏→真野氏(沙沙貴神社の神職)→美濃(岐阜)の深尾氏」であると断言してくださった。




3.龍翔寺(りゅうしょう禅寺/岐阜県岐阜市野田)   

戦国時代に関係か。太郎丸城跡に近接、深尾三代の墓に近接



4.般若寺(はんにゃじ/岐阜県山県市大桑/おおが)  江戸時代に大桑の本家と関係



5.青源寺(せいげんじ/高知県佐川町)  
江戸時代・佐川深尾家の菩提寺。墓域の全ては深尾代々のお墓でうめ尽くされる


6.深尾神社(景粛宮/けいしゅくぐう/高知県佐川町) 

江戸時代末期に、深尾和泉守が、佐川深尾家に祟りをもたらしたようで、
神様にする/神上げすることで許してもらおうとしたらしい。

実は、深尾和泉守は一万石を実子に譲れずに憤死したとも言われる。
その恨みを土佐藩主家や山内の血を引く佐川深尾家が恐れたのだろうか。


7.今宮?天満宮(滋賀県安土町)

浅小井城跡のすぐ南にある。大きな天満宮。

推定ではあるが、家紋の「梅鉢紋」はここから採用されたのかもしれない。


※梅鉢紋については、景教やキリスト教との関係も疑われるところ。
実は、近江源氏は「源氏というより古代豪族 秦氏の流れではないか」という指摘があります。

これを最初に指摘したのは、あの司馬遼太郎氏だそうです。  
最初は腰を抜かすほど驚きましたが、今では個人的に納得している部分が多くあります。

このページは個人的な推定を挟まないように書いているので、秦氏の件はいずれ述べる予定です。
(沙沙貴神社の四つ目結び紋を、天界の最高3神のうちエンキ神のシンボルと考える独創的な研究者もいます。私には、四つ目結び紋は、白抜きの十字に見えます)




『原書資料』−−−−−−−−−−−−


(学術的に名称が付けられているものは、できるだけ明記するよう調べ直してみます。しばらく時間かかりますが)



平安・鎌倉時代  

安顕寺(あんけんじ/三重県いなべ市)資料  (佐々木氏・深尾氏)


室町・戦国時代 

深尾三代録(岐阜県)や姻族の山内氏、美濃土岐氏家臣の家系資料など

織田信長公からの書状(岐阜県山県市大桑の本家に保管)

信長公から拝領した刀(一振り/束は白木。一度手に持たせていただいたことあり)
                    (岐阜県山県市大桑の本家に保管)


江戸時代     

土佐藩主とのやり取り資料「(未記入)」
         
           幕府が大名・旗本に対しで先祖調査と報告を指示したため。

土佐藩側(武藤氏?)から贈られた火縄銃/鉄砲一丁(岐阜県山県市大桑の本家に保管)


なぜ土佐藩主、山内の「お殿様」が深尾の調査を岐阜側に依頼し、参勤交代の最中に岐阜で謁見したのかというと、ご先祖の8代藩主・山内豊敷公が佐川領主・深尾家から養子に入ったからです。

江戸初期、岐阜から渡った初代の深尾和泉守/重良しげよし公は、土佐藩/高知藩の家老首座(筆頭家老)として高知県の佐川に一万石を持っていました。
それを継いだ2代目は実子でなく、山内一豊公の弟「(未記入)」の子です。

なので「血の深尾」でなく、「名の深尾」を継いだ子孫が8代藩主となったわけです。
とはいえ、代々深尾を名乗っていた家系として、山内とともに深尾の調査が必要になりました。

 (一豊公の直系/実子は、地震の際にたしか掛川城で亡くなっています。
  また深尾家は江戸末期の土佐藩家老の8家?のうち、半数を占めていました。
  高知市の「ひろめ市場」で知られる家老・深尾弘人?ひろめ公は、岐阜の家系の末裔です。
          たしか家老家の深尾「南家」)
                       


沙沙貴神社にて「佐々木氏族に深尾さんは多い」と聞いています。



ちなみに上記の場所は全て訪れて現地調査しました。






深尾和泉守 重良公・深尾氏の歴史について1 序文

深尾和泉守・深尾氏の歴史3  大筋まとめ

佐々木氏の沙沙貴神社・近江源氏/宇多源氏の謎




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深尾和泉守 重良公・深尾氏の歴史について1 序文

深尾氏」を語る際のキーワードは全盛期ともいえる、戦国時代の武将「深尾和泉守(いずみのかみ)」と家紋の「梅鉢紋」です。
岐阜市と北部の山県市、高知など四国、東北地方まで広く末裔がいる大族で、明治期において高知の深尾家は男爵位を受けています。

ここでは深尾和泉守・深尾氏の歴史について、できるだけ記録に残したいと思います。


深尾和泉守として知られる、深尾重良/しげよし公は、天下統一を目指していた織田信長公、山内一豊公に使えた戦国武将で、岐阜市の太郎丸城主「(未記入)」の子として生まれ、江戸初期、高知県の佐川城主(一万石)にもなりました。
直系血族ではありませんが、この佐川・深尾家はのちに土佐藩主の家系を継いでいます。
よって明治維新の元となる「大政奉還を進言」したことで有名な土佐藩主・山内容堂公のご先祖は深尾氏ということもできるでしょう。

なお、高知・佐川町では今も酒造りが盛んで「司牡丹」といいます。
関ヶ原の戦い後、深尾和泉守が岐阜から佐川町に杜氏を連れてきた名残が「司牡丹」に今も生きています。
(司牡丹の歴史に記載。時期限定の最高の大吟醸の名前はズバリ「深尾」。
 ここで最大級の謎と考えるのは2つで、深尾氏と醸造の関係、深尾氏と梅鉢紋



ここからの話は、NHKでやっている「ファミリーヒストリー」や「日本人のお名前」と同じ系統かもしれません。。
苗字と家紋だけで、ご先祖をある程度特定できることもあるので、興味ある方はぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。



私の血族に「深尾和泉守」という武将がいる、という話は小学生頃に父や叔父さんから聞いていました。
歴史が好きだったので、教えてくれたのかもしれません。


本格的に調べるきっかけは2004年頃、東海地方の「中日新聞」に、郷土史家である田中豊 先生の深尾和泉守・深尾氏の研究が載ったことです。
その詳細な研究に、本当に驚きました。
たしか高知県の土佐藩主・山内氏について調べていて、親戚・関連氏族として深尾氏の研究に至ったそうです。


新聞に載っていた番号に電話したところ、「あまり知られていないけれど、あの軍師・竹中半兵衛と姻戚のすごい家系なんですよ」と熱く説明され、自費本を譲っていただきました。

記憶が定かでありませんが、田中豊先生は中学校の教頭先生(たしか数学)だったと思います。
そんな方が(全国の血縁者が全く知らない間に)老後の時間をかけて精力的に調べていただいたことに頭が下がりました。



派手な名前で笑ってしまいますが、全国の深尾さんを集めて「深尾サミット」という集会?(西暦2000年頃か)が大きく開催されたそうです。

それを教えてくれた参加者のお年寄りたちも、現在、80歳代くらいとなり、伝承者がいなくなる危機を迎えています。

伝承を語るには、かなりの知識、まとまった資料・記録が必要ですが、核家族化/高齢化もあり、その滅失が近づいていると思います。



これらは1度失うと、二度と回復できない貴重な歴史です。

そこでまず私の記憶に基づいて記述し、(時間はかかりますが)後に原書にあたり、正確な人名、年号等を入れていきたいと思います。



※危機感を持ち、ネットに記録する理由

1.伝承者たちの高齢化。その子が家系の歴史興味を持たないので絶えてしまう
2.最近、父・叔父の突然死が続いた(半月のうちに2人亡くなった)
3.自分の記憶の確かなうちに公開して安心しておきたい。ボケ対策

4.私自身、家系調査から「卒業」、退く時期と考えた

 趣味を兼ね、かなりの時間と費用をかけて調べてきましたが、最近は家系調査に以前ほど意義を感じなくなってきたという個人的理由があります。

 面白いし、伝承すべき貴重な歴史ですが、これからは、自分と周りの方の未来を更に明るくしていく活動に全精力を捧げたいと思っています。

約15年かけて調べたものを個人的に「卒業論文」とし、亡き父、叔父、ご先祖様への供養として今回の記事を公開しようと考えました。




深尾和泉守・深尾氏の歴史2 関連の城郭・寺社・資料

深尾和泉守・深尾氏の歴史3  大筋まとめ
















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2017年03月03日

佐々木氏の沙沙貴神社・近江源氏/宇多源氏の謎

沙沙貴神社・近江源氏/宇多源氏の謎とは


ご先祖様の歴史を調べるのに大切なこと


1.戸籍や菩提寺の過去帳の調査

2.現地調査、文献や伝承を調べる

3.インターネットの活用。適切なキーワードで検索


慣れてくると、苗字と家紋がわかるだけで、ご先祖を大まかに推定できることもあります。

また現在はインターネットが発達しており、また関連書籍を購入すれば、ある程度まで、調べることができます。
適切なキーワードを調べることで、意外な発見もあるでしょう。

ただ、現地に行ってどうしても調査しなければいけないこともあります。
また、詳しい人から話を聞き、古い資料を調べる必要もあると思います。

戸籍や菩提寺の過去帳の調査は基本ですので、ぜひチャレンジしてみてください。


私はこの15年ほど、滋賀県、岐阜県、三重県、高知県などを調べました。

高知県では、佐川町がキーワードになります。
特に佐川町の司牡丹酒造では、深尾氏が美濃/岐阜から「醸造のために杜氏(とうじ)を連れてきた」と歴史に残っています。

これは非常に興味深く、謎だと感じています。
深尾家が、岐阜の時代から酒造りに関与していたことを物語っているのではないでしょうか。
(武将になる前に真野氏として沙沙貴神社の神職であり、周りに杜氏集団の存在があることを伺わせます。また岐阜に移る契機も、和歌を詠む上手さが買われたから、と記録に残っています。このことは別に記します)


 沙沙貴神社・近江源氏/宇多源氏の謎とは−−−−−−−−−−−−−−


 【深尾和泉守2】でこのように書きました。

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梅鉢紋については、景教やキリスト教との関係も疑われるところ。
実は、近江源氏は「源氏というより古代豪族 秦氏の流れではないか」という指摘があります。

これを最初に指摘したのは、あの司馬遼太郎氏だそうです。  
最初は腰を抜かすほど驚きましたが、今では個人的に納得している部分が多くあります。

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今回は、家紋を切り口に、迫ってみましょう。


深尾氏の梅鉢紋とともに、総本家である、沙沙貴神社の「四つ目結び紋」も有名です。

この目は「蛇の目」とも呼ばれます。
ジャノメミシン、つてありましたよね。

佐々木の家紋は正方形を斜めにしたような、角立て「四つ目結び紋」が本来ですが、実はいろんな似ているバージョンが存在します。(沙沙貴神社で確認してください)

この佐々木氏から分かれて真野氏になり、深尾氏になります。
いつの時代に梅鉢紋になったのか、いま調べている最中ですが。



ここから先は衝撃的なことだと思います。

ただのオッサンの妄想・白昼夢として、話半分でさらっと目を通してください。


結論から言います。

「梅鉢紋」は隠れキリシタンの代表的な家紋です。
このことは、取引のある社長さんから聞きました。

社長さんの家系は長崎の離島ですが、隠れキリシタンのほとんどが「梅鉢紋」を使っていたとのこと。
彼の家紋の梅鉢は○で囲まれているそうです。


天神様の梅紋とどう違うのでしょうか。
同じです。
各地の天満宮で多少の変化、バリエーションはあるものの、モチーフは梅紋です。



これはちょっと難問でしたが、1分ほど考えて、だいたいわかりました。

「戦国時代に宣教師が来た時、『ゼウス様は天神様と同じです』と布教したのかも?」と言ったところ、

「そのように(家系の伝承で)伝えられています」との返答がありました!



日本の歴史の暗部に触れるのであまり言いたくないのですが、ある教授によると、、、

戦国時代、京都の民衆の1/4ほどがキリシタンだったという推定があるそうです!

キリシタン大名も非常に多かったのです。



名著「失われたアイデンティティ」には、宣教師が来た時、「大日如来の本当の姿はゼウス様です」と布教した話が載っています。

これを知っていたので、私は「キリシタンの梅紋=天神様=大日如来=ゼウス」では、と感じたのです。

ただ天神様には必ず牛がいるのも、不思議ですよね。



このキーワードは「ヨーロッパ」だと思います。

語源は美しい女性エウロパ。

ゼウスが雄牛に変化して、エウロパを誘うのです。

つまり、牛=ゼウスです。

しかも、ゼウス=雷の神です。

日本で雷を落とすのは、まさに天神様です。


亡くなった父によると、
「もともとスクナ彦名神を祭っていた神社を、天満宮に変えてしまった。
 牛が置いてあるのはその名残だ」
とのことでしたが、その経緯、真偽については父の寿命とともにわからなくなってしまいました。
残念すぎますが、今後の調査に委ねるしかありません。




「四つ目結び紋」のモチーフはなんでしょうか。
私には、十字に見えます。
見える人には見えるけれど、見えない人には見えない「隠し絵」でしょう。
(これは奥義の隠し方です。)


秦氏を受け継ぐ本流の、惟宗/これむね氏の家紋は調べたのですが不明です。

しかし、以下1−3は分かっています。


1.本流である、 惟宗/これむね氏の分家であるとわかっている家系があります。

  長崎・対馬の宗氏の家紋は沙沙貴神社の本来の紋と全く同じ、角立て「四つ目結び紋」。

  これが基本形と推定されます。


2.同族である波多野氏の家紋も、角立て「四つ目結び紋」です。


3.源氏を自称しますが、秦氏の分家とされる薩摩嶋津氏の家紋は、○に十字です。

4.前述のとおり、近江源氏の佐々木氏も角立て「四つ目結び紋」。

  本家の六角氏は角立て。分家の京極氏は平らになります。



ハッキリしていると思います。

モチーフは十字です。


彼ら一族は戦国期にみんなキリシタン大名になったようです。

実はウィキペディアに、その一覧があります。

一覧を見た瞬間、衝撃を受けました。


苗字は違っているので、普通の方は絶対に気づかないでしょうが、私が調べていた武家の宇多源氏と秦氏の流れを汲む大名のほとんどが網羅されていたのです。

このことに気づいている学者さんはいないかもしれません。
だとすると日本で初めての発見なのかもしれませんが。。。。
責任が重くなるので、これ以上は控えるようにします。



四つ目の目は「蛇の目」とも呼ばれます。
これもおそらく大事な概念でしょう。

悪でなく、神聖なヘビですね。
聖書を読んでないとわからないのでは。
おそらくキリストの存在を指していると思います。
世界保健機関のシンボルでもある3回り半で巻き付くヘビでしょう。


また梅鉢紋は、5つの星とともに「大」の字を表現している可能性があります。
大の字に寝る、という言葉がありますが、これも謎だし、
秘伝書を意味する「虎の巻」という言葉は、かなり怪しいですね。
日本に虎はいなかったのですから。
ユダヤ教のトラーの巻物だと言われています。


深尾和泉守 重良公・深尾氏の歴史について1 序文

深尾和泉守・深尾氏の歴史2 関連の城郭・寺社・資料

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