豊浦彰太郎のMLBブログ ”Baseball Spoken Here”

MLBをフォローして42年目の豊浦彰太郎が、その魅力を判りやすくお伝えいたします。

MLBについて、広く深く書いています。最新情報を詳細に掘り下げるというよりは、ある事実に関する自分なりの考えをお伝えすることに、主眼を置いていきたいと思います。もちろん、愛する日本の野球についても、時おり取り上げます。

マーリンズ集団感染でMLBいきなり危機に、特別規定は万全もそもそも運営形式が問題?

マーリンズの集団感染により、今季のMLBはいきなり継続の危機に瀕した。感染防止の特別規定は詳細に作成されたが、根本の運営形式に決定的な問題があったのではないか。
ガラガラでず

















MLBは、開幕から1週間も経ずして、今季継続の大きな危機に直面することになった。現地時間27日、フロリダ・マーリンズの選手およびコーチ計10人から新型コロナウィルス検査で陽性反応が認められた。同球団では前日にも4名の陽性反応が確認されている(29日追記、マーリンズにはさらに4人の陽性反応が確認された)。

これを受け、マーリンズは遠征先のフィラデルフィアで足止めを食うことになり、本来なら27日に地元マイアミで開催されるはずだった、今季の本拠地開幕シリーズの対オリオールズ2連戦は中止となった(29日追記、マーリンズのゲームは8月2日まで全て中止となった)。

これだけでは済まない。24日〜26日、マーリンズはフィリーズ戦をアウェイのシチズンズバンク・パークで戦ったため、急遽ビジター用クラブハウスを中心に消毒作業を施す必要が生じ、27日に同球場で開催される予定だったフィリーズ対ヤンキース戦も中止になってしまった。

さらに言えば、マーリンズにクラスターが発生したということは、彼らと3日連続で試合をしたフィリーズの選手と関係者、およびアンパイアたちは大丈夫なのだろうか(29日追記、フィリーズを含め、マーリンズ以外の全29球団で全員の陰性が確認された)。

悔やまれるのは、26日の段階ですでに4名もの陽性反応者を出しながらも、その日のゲームが挙行されたことだ。MLBに言わせればその程度のことは「織り込み済み」ということだ。だからこそ、今季に限っては登録メンバーが本来の40名から60名に拡大されているのだ。陽性反応者が出たら、どんどん入れ替えれば良い。これはこれで合理的だが、感染拡大防止の観点からは不十分だし、選手を「入れ替えれば良い」存在として捉えているようではプレーヤー・ファーストとは言い難いだろう。

この一件が投げ掛ける最大の問題点は、今季の開催形式自体が失敗だったのではないか?ということだ。MLBは当初、選手や関係者の外部との接触を極小化するため、全球団をフロリダとアリゾナの2ヶ所に集め、スプリングトレーニング施設を使った変則2リーグ制を検討していた(これを「バブル式」という。シャボン玉の中に閉じ込めたような運営ということだ)。

最終的に、この案は採用されなかった。2〜3月のキャンプの頃ならいざ知らず、これらの地域は夏場は酷暑となることや、その後両地域とも感染拡大が甚だしかったことが嫌われたのだが、おそらく理由はそれだけではない。やはり、開幕後どこかの段階で観客を入れた開催に移行したい、との想いが強く作用していたはずで、その前提ならやはり各球団とも本拠地で開幕するに如くはないからだ(カナダに本拠地を置くブルージェイズは、政府の許可が下りず叶わなかったが)。

しかし、それが結果的には命取りになるかもしれない。全球団がホーム&アウェイを繰り返すことにより、少数の感染が、少なくとも東地区・中地区・西地区という単位で拡大して行く恐れがあるのだ。

陽性反応者が出ている状態での試合開催を許したこと、そもそも航空機を使用した移動を前提としている点で、今季の開催フォーマットは失敗だったと言わざるを得ないのではないか。MLBはコロナの脅威とともに開催する今季のために、ブ厚い特別規定書を作成した。控え選手をダグアウトではなくスタンドで待機させるなどのソーシャルディスタンスの確保や、ツバ吐きの禁止など、面白おかしく報道されたものも含め、それらは微に入り細にわたる。しかし、大元の部分がザルだった、ということかもしれない。

「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった

ジョン・アップダイクのHub Fans Bid Kid Adieuを読んだ。「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズの1960年9月28日の現役最後のゲームを題材にしたエッセイだが、惜別への感傷、感動、寂寥感に溢れる名作だ。引退の美学についても考えさせられる。

B8C66790-64D7-4BCA-932A-990E4B62E259

















アップダイク(1932年〜2009年)はアメリカのピュリッツアー賞作家だ。小説、詩、エッセイなど数多くの作品を残しているが、ベースボールライターではない。Hub Fans・・・も取材記者としてではなく、一ファンとして観客席から見守ったウィリアムズのラストゲームの様子を綴ったものだ。ちなみに、Hubとはボストンのニックネームだ。したがって、このエッセイのタイトルは「ボストンのファン、キッド(ウィリアムズの愛称)に別れを告げる」という意味なのだけれど、オリジナルの短い単語で繋いだリズムでも窺い知れるが、彼はその洒落た文体でも人気を集めた。

このエッセイが発表されたのは、最後の試合の翌月、「ニューヨーカー」誌においてだった。そして、彼の作品の中でも白眉として長く愛読されている。ぼくが読んだのは、2010年に発表50周年を記念して発売されたハードカバー版だ。5月に通販サイトで注文したら約2週間で到着とのことだったが、実際は1ケ月以上掛かった。新型コロナ禍で国際貨物便も減っていたのだろうか。
EE9615C3-B179-4558-89B1-0E55056C269E 

















ウィリアムズの栄光については語るまでもない。最後の4割打者(1941年)で、三冠王にも2度輝いている(1942年&47年)。高打率で、パワーに溢れ、卓越した選球眼の持ち主でもあった。通算打率は.344。本塁打521本は引退時点では歴代3位だった。全盛期に2度兵役に就いており計5年ロスしている。これがなければ歴代1位(当時)のベーブ・ルースの714本塁打にも肉薄したのではないか、との見方もある。

しかし、この短編の真髄を理解するには、現役時代を過ごしたボストンでのファンやメディアとの愛憎に満ちた関係を理解していなければならない。

彼はボストンにとって“Jason, Achilles, and Nestor”であった、とアップダイクはギリシャ神話の神に擬えて語っている。いわば、最初は英雄であり、その後強さと脆さの象徴となり、最後は老いたる賢者であったということだ。
38B88B80-F2D5-467D-B2C8-5CD1CDA75D7D 

















もう少し具体的に言うと、19歳でメジャーデビューを果たした頃のウィリアムズは、その豊かな資質以上に鼻っ柱の強い“キッド”で、当時はボストンの寵児だったが、その後ぶっきらぼうな性格も災し、辛口で知られるボストンメディアの格好の攻撃の的になってしまった。必ずしも率先してリーダーシップを執るタイプではなかったため、「チームの勝利ではなく個人の成績に固執している」との批判も多かった。その現役時代、基本的にはレッドソックスは低迷期にあったことも不運だった。1946年の、生涯一度きりのワールドシリーズ(対カージナルス)においても打率.200と低迷し、槍玉に挙げられた。彼の定位置レフト近くに陣取るファンの中には、終始ウィリアムズに辛辣なヤジを浴びせ続ける者も少なくなかった。

ボストンメディアの特殊性も理解しておいた方が良い。

国内に4つの時間帯があるアメリアにおいては、新聞は基本的にローカルメディアとして発展していった。ウィリアムズがメジャーデビューした1930年代末にはすでに自動車がメインの交通手段になっていた西海岸では、新聞は宅配が主流だったが、早くから地下鉄などの公共交通機関が発達した東海岸では、駅や街中のスタンド販売が中心だった。これは、毎朝熾烈な販売合戦が繰り広げられることを意味しており、各社ともより目を惹く見出しを必要とした。結果的に、内容もより強烈、辛辣なものとなった。ボストンは特にその傾向が強く、弱い地元球団や不愛想なスーパースターは、格好の標的だった。その環境下、年を重ねるごとにウィリアムズはますます外に対し心を閉ざしていった。このあたりは、同世代のスーパースターでも、ジョー・ディマジオとニューヨーク、スタン・ミュージアルとセントルイスの関係とは根本的に異なっていた。
F6EB82C8-1D86-45FA-B2AE-DF83200E28BB

















最後の試合は平日のデイゲームとして開催された。どんより曇って肌寒く、試合中に照明も点灯されたらしい。観客は少なく1万454人。現在のフェンウェイパークは、もっともチケット入手の難しい球場の一つだが(無観客開催の今季は別だ)、当時はそうではなかった。ボストングローブ紙の名物記者ハロルド・ケイスは、1957年にレッドソックスの年間観客動員が118万人7087人だったことに対し、「レッドソックスは18万7087人を動員し、テッド・ウィリアムズが残りの100万人を呼び寄せた」と記した。

8回裏の最終打席、ファンは終始立ち上がって拍手の嵐を送った。41歳のウィリアムズは、右中間のもっとも深いところに通算521本目の本塁打を放った。観客は狂気したが、彼本人は淡々とベースを一周するとベンチに戻った。もちろん、その後もスタンディングオベーションは止まなかったが、最後まで彼はダグアウトから出てそれに応えるということをしなかった。そのことをアップダイクは、“Gods don’t answer letters.”「神様は手紙の返事を書かないものだ」と独特の感性で捉えている。

9回表、ウィリアムズは一旦守備位置についたが、そこでピンキー・ヒギンズ監督は交代を告げた。日本のファンも昨年3月の東京開幕シリーズでのイチローの交代で知ることになった、ファンへの別れの儀式である。ここでも、ウィリアムズはファンに応えることなくベンチに下がった。

ウィリアムズは最後にボストンにささやかな復讐を果たし、溜飲を下げたのだろうか。
実は、この試合はレッドソックスにとってそのシーズン最後のものではなかった。その後、ニューヨークで1960年を締めくくるヤンキースとの3連戦が残っていたのだ。しかし、ボズトンでの最終戦の後、ウィリアムズはニューヨークへは帯同しないことを明らかにした。饒舌ではない彼が、ボストンのファンに告げた彼なりの感謝と惜別のメッセージだったとぼくは解釈している。最後のシーズンは出場こそ113試合でしかなかったが、打率.316、29本塁打、OPSは1.096でこれは生涯の1.116に遜色がない。

このエッセイのタイトルは、Hub Fans Bid Kid Adieuだが、実はKid Bid Fans Adieuでもあったのだ。

読む終わった直後、フェイスブックのお友達が邦訳も出版されていることを教えてくれた。ちょっぴりショックだったが、「ボストンファン、キッドにさよなら」よりも、Hub Fans Bid Kid Adieuのほうがしっくりくる、と今は思っている。
307604C7-1555-426C-AB65-BF48E9CCC20F 

正式に夏の渡米が消えた・・・

本当なら、今日7月16日はロサンゼルスでのオールスター観戦から帰国する日だった。
しかし、この旅の計画をやむなく取りやめたのは以前報告した通りだ。てか、球宴が中止になったどころか、まだMLB開幕してないし。 

それでもまだ8月の渡米には一縷の望みを持っていた。マイレージでの特典航空券は一年前に手配したし。 
しかし、それも正式になくなった。

1週間くらい前の話だ。
JALからこんなメールが届いた。
A7EFD2ED-8388-4E72-8E09-EAF9154B2D41

















要するにぼくの便が往路、復路ともに欠航になったのでこの便に変えて下さい、ということだ。
本来は、行きは8月11日(火)発でダラス・フォートワース行き、帰りは17日(月)でロサンゼルスからだった。
A020B0E0-5F6E-44E2-8F9B-1F1A42D5A628

















これが、行きは1日前倒しで、帰りは13日の木曜日だという。現地6泊のつもりが3泊に。
これで決心がついた。
それに、まず間違いなく8月のこの時期ならまだ無観客だろう。アメリカくんだりまで行ってもおそらく観戦できない。
いや、仮にその頃までに有観客試合に移行していたとしても、今のアメリカの状況に鑑みると、渡米はあまりにリスクが大きすぎる。
まだ死にたくないのだ。

メールを受け取った数日後、グズグズしていたぼくにJALから電話がかかってきた。
「どないすんねん」ということだ。
そこで、オペレーターの方に丁寧にキャンセルをお願いした次第だ。
すると、翌日にはマイル口座に55,000マイルがきっちり戻ってきた。
97D58415-8FDC-4AEB-9DF6-91A4E9EA1AB8

















実はオマケもあった。
戻ってきたのはマイルだけでなく、一年前の手配時に払った燃油サーチャージ等の36,000円もリファンドされるというのだ。

東京五輪チケットの払い戻しももうじき可能になるはずだ。
燃油サーチャージ36,000円プラス五輪チケット払い戻し24,000円で、この夏ちょっぴり金回りが良くなった。

ちなみに、10万円の給付金はパリで暮らす娘にプレゼントした。
プロフィール

toyorashotaro

ギャラリー
  • マーリンズ集団感染でMLBいきなり危機に、特別規定は万全もそもそも運営形式が問題?
  • 「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった
  • 「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった
  • 「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった
  • 「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった
  • 「ボストン、最後の4割打者に別れを告げる」はその逆でもあった
  • 正式に夏の渡米が消えた・・・
  • 正式に夏の渡米が消えた・・・
  • 正式に夏の渡米が消えた・・・
プロフィール

toyorashotaro

カテゴリー
  • ライブドアブログ