豊浦彰太郎のMLBブログ ”Baseball Spoken Here”

MLBをフォローして42年目の豊浦彰太郎が、その魅力を判りやすくお伝えいたします。

MLBについて、広く深く書いています。最新情報を詳細に掘り下げるというよりは、ある事実に関する自分なりの考えをお伝えすることに、主眼を置いていきたいと思います。もちろん、愛する日本の野球についても、時おり取り上げます。

「野球ファンならここを見て死ね」アメリカ・ボールパーク紀行

今月、休暇を取ってアメリカを1週間ほど廻ってきた。クーパーズタウン見学から、メジャー&マイナーリーグ観戦、球場跡地などの球跡の探索など充実した日々だった。ここでは、テーマを「球場」に絞ってその見聞録をお伝えしたい。

リグレー・フィールド 「おそらくこれは良いことなのだろう」

1912年にオープンしたこの球場も、近年の矢継ぎ早のリノベーションで相当様変わりした。そのほとんどは、ファンにより多くのエンタテーメントと快適性を、球団に長期的な収益増を齎すのだが、異国の球場マニアにとっては、寂しさも感じる部分もあった。他の球場との違いが少なくなったからだ。

依然として美しいが、外野席の増設と巨大なビデオボードの設置で印象はかなり変わった。

古色蒼然とした美しさは、右中間と左中間に追加された巨大なデジタルボードで失われた。また、古い良き時代の設計ゆえの選手と観客の物理的な緊密感もこの球場の大きな特徴だったのだが、それも減じられてしまった。ファウルライン沿いにあったブルペンは外野席下の見えない場所へ移設された。クラブハウスもの位置も変わり、それにより試合後に駐車場へ向かう選手がまだファンでごった返すコンコースをトコトコ歩いている、という景色も過去のものになった。

これでは「場外弾」はあまり期待できない。

以前は、極端に低い外野スタンドのため打撃練習ではもちろん試合中も場外弾がガンガン飛び出し、それ目当てのファンが場外にグラブを持って待ち構えていた(彼らをボール・ホーク(ボールを狙う鷹)と言う)のだが、その数も減ってしまったように思われた。それはそうだろう。外野席は増設され、巨大なボードが追加されたのだから。今回、「1957年からボール・ホークをやっている」という大ベテランのファンに話を聞いた。「これまでに6000球を獲り、その中には244の試合中のホームランボールも含まれている。満塁弾だって5球取ったぜ」とのことだったが、「ここのところペースはガタ落ちだよ」と嘆いていた。

それでも外野席裏でキャッチボールしながら場外弾に備える?ボール・ホーク。

誤解して欲しくないのだが、ぼくは一連の改装を否定しているのではない。これで、間違いなく現役のボールパークとしての寿命(建築物としてだけでなく、アメニティの面も)は長くなったし、毎日通う地元のファンには見やすい、快適な球場になった。さらに、6億ドル近い改装費を公費に頼ることなく球団が負担しているのも賞賛に値する(他球場では、球団が地方自治体に公費での改装を求め、叶わぬ場合の転出をチラつかせるケースが多い)。ただ、十数年間に一度しか訪れないぼくのようなマニアには、その個性の一部が失われたように思えたのだ。

ダブルデイ・フィールド 「発祥の地でなくても野球ファン心のふるさと」

野球殿堂・博物館からは2ブロックの場所にある。

野球殿堂・博物館のあるクーパーズタウンの「ここで野球が発祥した」とされる場所に建つ小さな牧歌的な球場だ。「野球は1839年に後に南北戦争の英雄となるアブナー・ダブルデイによって考案された」との説に沿い、1920年に建設された。その説はその後単なるお伽話に過ぎないことが発覚したが、この球場の素朴な魅力は褪せない。ここを訪れたのは6年ぶりだが、毎回昼間は高校野球なり草野球なりが行われている。聞けば、使用料は1日500ドル程度だそうだ。森と湖に囲まれた避暑地のクーパーズタウンで、野球殿堂・博物館をじっくり見学した後に、この球場でぼーっと草野球を眺めるのが好きだ。

2008年まではシーズン中にメジャーリーグの献納試合が行われていた。

タイガー・スタジアム跡地 「モータウンはベールボールタウン」

現在は市民のための野球場に生まれ変わったタイガー・スタジアム跡地

デトロイト・タイガースは、1999年一杯で1912年から使用していたタイガー・スタジアムを出て、そこから数キロの場所に完成したコメリカ・パークに引っ越した。その後、主人を失った旧球場は放置されたままになっていた。2009年にぼくが訪れた時は遂に解体工事が始まり、フィールド部分は瓦礫の山、スタンドの一部だけが辛うじて残っている状態だった。最期のお別れに間に合ったという感じだった。

球場が取り壊された跡地であることを物語るアングルだ。

あれから、9年。今は美しい市民用フィールドに変わっていた。人工芝になっていたのは残念だが、フィールド部分はファウルポールの位置も含め、寸分違わずかつての場所にある。旧球場のセンター後方のフラッグポールは当時のものがそのまま残され、星条旗をたなびかせていた。2009年のGM&クライスラーの倒産、2013年のデトロイト市の破綻という未曾有の危機を経て来たことを思うと感動モノだった。

フィールド位置は当時のまま。旧球場のフラッグポールは今も残る。

デトロイトは60年代以降、自動車産業の低迷にによりダウンタウンは荒廃し中産階級は郊外に逃げた。その結果、この街は分断の象徴となった。中心部と郊外、黒人と白人、貧困者と富裕層、労働者(と失業者)とホワイトカラー。しかし、そんな格差社会の人々にも唯一ひとつになれる場所があった。それがタイガー・スタジアムだった。モータウンはベースボールタウンでもあったのだ。

敷地内には、往時の姿を伝える展示コーナーも。

キャロル・B・ランド・スタジアム「アメリカで最も景観の美しい球場」

もっと高い場所から見ると広がる太平洋が良く分かる。

サンディエゴ空港からクルマで10分程度の場所のあるこの球場は、試合が行われていなくても訪れる価値がある。ポイント・ロマ大学の野球部の球場で、しばしばAmerica’s most scenic ballpark(アメリカで最も景観の美しい球場)と称される。

太平洋に隣接していることがお分かりいただけるだろうか。

ぼくの下手な写真ではその美しさは中々伝わらないと思うので、ぜひ同大学のHPを見て欲しい。要するに外野フェンスの外側には太平洋が広がっているのだ。
決して大げさではなく、「野球好きならこの球場を見て死ね」と言いたい。

金足農・吉田投手は、進路は「恩義より自身にとって何がベストか」で選択を

夏の甲子園が終了して早1週間だが、大会前からのタマ数・健康管理問題に関しては、依然としてネットを中心にホットな議論が続いている。この問題の難しさは、酷暑や投球過多から選手を守りたいという思いは皆が共有しながらも、当事者、関係者、ファンの間に根本的な価値観の相違があり、単純な方法論の是非の議論に至らないことだ。

そして、そんな状況を象徴する記事を見つけた。

金足農業・吉田輝星「ドラフトか進学か」重い決断と恩義

要約すると、大会を通じて全国的なスターとなった金足農の吉田輝星投手は現在は今後の進路が注目の的になっており、本人は「巨人志望」を口にするも彼の才能開花に影響を与えた監督の在籍する大学への進学が既定であり、本人は「恩義」と「夢」の間で苦しい選択を迫られている、というものだ。

すごく気になる記事だった。その内容が全て事実だとすると、野球界の人々の価値観や因習の古臭さが凝縮された内容だからだ。

例を挙げよう。金足農の中泉一豊監督は八戸学院大学への進学が既定路線だと言う。「(同大野球部の)正村公弘監督の指導があればこそ、今の吉田投手がある。その恩を反古にできない」。また、当の正村監督も、吉田のプロ入りの可能性が取りざたされる中「(来てくれるかどうか)不安が残る。」とコメントしている。

彼らは「吉田本人にとってベストの選択」よりも、抜き差しならぬ関係にあると思われる「両氏間の義理(ということはおそらく利害)」の方を重視しているのだろうか。人は誰もが、進路に関しては自分自身にとってベストの選択をする権利を有している。また、それを尊ぶのが指導者というものだろう。もちろん、プロ入りして大金を得て世間の厳しい目に晒されるより、失礼ながら全国的な知名度・注目度は低い東北の大学リーグでのびのびとプレーする方が幸せだという価値観もある。しかし、それは吉田自身が決めることだ。指導者たちは本来そこまでコメントすべきではないと思う。

また、記事ではその昔、早大進学が決定的と思われたPL学園の桑田真澄投手が巨人のドラフト指名を受け入れプロ入りしたこと、その後PLから早大への進学が途絶えたことをごく普通に紹介している。暗に約束を反故にしてプロ入りすることの影響を示唆しているのだが、本来これはあってはならないことだ。有望高校球児の進学に関する大学と高校の悪しき利権闘争だからだ。

そうなると、「恩義」か「夢」かという記事のテーマそのものにも、個人の権利に対する記者の認識の不足を感じ取らざるを得ない。ぼくに言わせれば、メディアも含めたアマチュア球界の歪んだ因習・価値観が感じ取れる記事であった。

2018年野球の旅 夏 帰国

7泊9日の野球の旅が終わった。今、ぼくは成田空港から自宅のある横浜へ向かうリムジンバスの中でこれを書いている。
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今回は、現地7日間で7球場を訪れ8試合を観戦し(うち、3試合は部分的にしか観れなかったが)、クーパーズタウンでも丸1日過ごした。レンタカーで走った距離は約800キロに及んだ。日本との往復便を除いても、飛行機には4便乗った。全て午前8時前の早朝便だった。

したがって、現地で迎えた7度の朝のうち3度は3〜4時台の起床と、もはや修行状態?だった。3年前にメジャー全本拠地制覇なるものを成し遂げたのでその後はもっと余裕を持ったスケジュールで野球の旅を楽しめるはずなのだけれど、メジャーの次はやれマイナーだ、球跡や博物館だ、と欲の対象が広がる一方なのでちっとものんびりした旅にはならない。
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毎年旅に出掛けるのは、野球に対する貪欲さゆえなのだけれど、実はそれだけではない。これは、善良なオジサンのささやかな冒険であり、現実逃避なのだ。もう55歳になってしまったぼくは、26歳の1人娘がこの6月にようやく学生生活を終えた。永遠に続かと思われた住宅ローンも、気が付けば残り1年を切った。世間的には、馬車馬のように駆け抜ける生活を終え、自分自身の人生を謳歌してもバチは当たらない時期だ。しかし、アメリカの球場巡りを続けてきた過去20年はそうではなかった。会社員としてのプレッシャーと責任、疲れる人間関係、仕事を離れても養育費と住宅ローンに追いまくられるなど、がんじがらめの生活だった。そんなぼくが、年に一度か二度と文字通り「遠くに行ってしまう」ことができるのが野球の旅だった。こればっかりはやめられない。3回ほど家族全員で出かけたことはあるが、基本的には一人旅だ。費用的には、ぼくのような貧乏旅行でも夏のハイシーズンだとそれなりに掛かるのだけれど、幸いにしてぼくにはささやかながらMLB放送の解説やモノ書きとしての副収入があった。勤め人としての給料には一切手をつけず旅行費用を捻出しているので、家族も「お好きにどうぞ」のスタンスだ。
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実は、すでに来年の旅のプランニングに入っている。旅は、あれこれ妄想している時がイチバン楽しい。そのためにも、明日からまた本業に精を出す。帰路の飛行機の中では、休暇明けからのto doを整理して、この先1週間のスケジューリングを済ませた。

アメリカでの野球の旅を楽しんでいる仲間の中には、「帰国した瞬間の現実に引き戻された感が絶望的にツライ」という人もいる。ぼくもかつてはそうだったが、ここ数年は必ずしもそうは感じない。こんな楽しいことがやれるのも、本業での(多寡は別にして)安定収入があってこそだからだと思うようになったからだ。
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