先日、ロッテ福浦和也の2000本安打に関する記事をYahoo!にアップした。アクセス数は大したことなかったが、ぼく個人への反響は中々強烈なものがあり、公にするのは憚れるような猥褻な表現で中傷してくる人もいた。

ぼくはいつも原稿を書く際には、メッセージがなるべく正確に伝わるようストレートな表現を心がけている。よって、今回もおかしいこと思うことはおかしいと書いた。真実がどうであれ、傍目から見ると記録達成のために現役を継続し、球団もそれをマーケティングに利用したように見えたからだ。多くのロッテファンはこれを感動物語と捉え涙したのかもしれないが、記録の在り方、ペナントレースの尊厳の観点からこれはどうなのだろうと疑問に思うことはごく自然なことだ。

おそらくぼくを強烈に攻撃してきた人たちは、彼らが自覚していたかどうかは別にして、「記録ありき」で力の衰えた福浦がプアな成績にも関わらず出場機会を与えられ続けたことに忸怩たる思いがあるのだろう。そこをまったく部外者のぼくに突かれたので、その悔しさから攻撃モードに転じたのだろう。

彼らが福浦選手やロッテを深く愛するのは大いに結構なのだけれど、もう少し物事を俯瞰的に見るトレーニングをした方が良い。

しかし、最近感じることとして、野球ファンの志向がどんどん狭く深くなっていることがある。今回の福浦選手の2000本安打にしても、ロッテワールドの中だけの話と捉えれば、感動物語そのものだ。ドラフト最下位指名からのサクセスストーリーであり、故障との戦いであり、努力による才能への勝利であり、ファン・球団と一体になって勝ち取った栄光だ。そこには何の矛盾もない。しかし、冒頭挙げたようなマクロ的視点から冷静に評価するとどうなのだろう。

ネット社会になり情報が溢れるようになると野球ファンとしても日々追いかける情報の種類を取捨選択するしかない。その結果、野球界全体を広く浅く眺めていくのではなく、特定の領域に限ってどんどん深く追求していく層が増えているのではないか。それがぼくの仮説だ。

もちろん、どちらのスタンスを取るかは各個人の自由だ。しかし、野球に限らずバランス感覚に留意し、木も森も見るように努めた方が良いと思う。