ザ・ペインター情熱社長日記

73歳を間近かに迎え、これを期にブログにもチャレンジしていきます! 私は三年位前からできるだけ他人がやりたがらない事を強いてやる。例えば広い道と、狭い道、どちらを、行くかと選択させられたとき等は必ず悪路の狭い道を選びます。 なぜか、と言うと、「苦あれば、楽あり」、の戒めを信じます故。

経営者は二つの目を

景気は上向いた等と言う無責任な事をいうお役人がいます。
平成になってから今年に成るまでの間に三度の不況があったが
今回の三回目が一番悪いといわれている。
経営者は、眼前のどのような状況にも 「ぶれない心」が肝要なのです。
経営者自身の志に、我が社がめざすものは何か、
経営理念を明確にすることが一番大切です。
好調の時も不調の時も、原点に帰ることを忘れずにいることでしょう。
大丸の創業者。下村彦右衛門は、事業理念に
〔義を先にして 利を後にする者は栄える〕
「企業の利益は、先ずお客様。社会への義を尊び、信頼を得て、はじめてもたらされる。」 
「世のため人のために」を企業の品格の根幹としているのです。
経営者の「ぶれない心」を育てるには、もう一つの目が必要になります。
中国の古典に、「心ここにあらざれば,見るものも見えず、聞くものも聞こえず」、とあります。

目や耳を磨かなければ、チャンスは逃げていく

人は同じものを見ても、
同じ話を聞いても、同じものに触れても、それを見た人、聞いた人、
触れた人によって、大きな差が生じるものです。
見たものの本質が見えない人、聞いてもその奥に潜むものが聞こえない人、
触れても何も感ずることのできない人…。
「自分は生まれた星まわりが悪く、今までの人生を振り返っても良いことは一つも
なかった。」と嘆く人がいます。

本当に運が悪かったのでしょうか。
山ほどのチャンスが、これでもか、これでもか、と押し寄せているにもかかわらず、
チャンスをチャンスと見る目がないために、
自分の手で伸びる目を摘んでしまっていたのではないでしょうか。
もっと もっと目や耳を磨かねばなりません。
その為にも、ふんわりと柔らかで何のこだわりも不足もない澄み切った心を持ち、
日々自分と正面から向き合い、人間力を高めていきます。

環境に適応した者が強くなる

私のモットー、と言うか信念は、「朝を制する者は人生を制する。」
苦境が自分を取り巻く理由を三つ挙げてみましょう。
1つ、赤信号としての苦難、
2つ、自己向上の足場としての苦難、
3つ、美としての苦難、

「赤信号」、とは怠惰「なまけ心」の状態を教えてくれ、そこで立ち止まり、
方向転換をせよという情報の意味。

「自己向上の足場」とは目標を決めてチャレンジする者には、どこを変化させれば
もうワンランク上がれるかを教えてくれる情報という意味。

「美」、とは、苦しい状況を嫌がらず、真正面から取り組んだとき、環境に
適応できる自分ができるという意味。

と今日の勉強会で教えていただきました。

「死」への超越

地上の人類が、知ると知らぬと、に、かかわりなく、時の古今、洋の東西、
長幼をも、性別をも越えて、公平に平等に課せられる題名。
そしてのがれることも、延ばすことも許されず、必ず果たさねばならぬ責任。
それは必ず1度であり、再び出会う事のない、最も難しい、しかし叉最も易い事件。

善きにせよ、悪しきにせよ、やり直しができぬ。叉 下稽古もできぬ。
また、いかほど準備しても追いつかぬし、何の用意もなくても過ぎてしまう。
分かりきったようで、少しも分からぬし、分からぬからとて遠慮なしに
ぶち当たる。
これは生の終止符、生命の総決算、ひとの世の一大事、[死]である。
昔、貝塚と言う遺跡を聞く、これは当時の人が食べた貝殻をすてたところである。
ここがまた墓場にもなっていて、死体が生めてある。
その死体が、石を抱いた格好になっているもものが発見された。
この石について、学者達は、亡霊の出てくるのを恐れて、死体のおもしに乗せたのであると説明した。
これが、今日の墓石の初めであるとすれば、お墓などたてるということも、
変なものになってくる。

「これからの社会の流れ」

  
1つ、物から、→  心に。
2つ、エゴ、自我、我欲、→   エヴァ。〔旧約聖書〕アダムの妻のように。
3競争、→   協調。 
4 TAKE →  GIVE。 俺もやるから、お前もやれ。
5 自然の摂理に従う。→ 単純・調和・質素・互助・協調・自由・

ウオルマートの特長
人を信用する〔お客・従業員〕→    返金返品制度
EDLP、低価格の安定化 → 良心に従う、嘘をつかない、
会社と社員の一体化 →  社員の90%が株主、
 
世界一のスーパーマンの信念が以上です。

「ウオルマート。の7つの言葉」


 「世界一のスーパーマーケット王」
1つ、細かな事に気をつけろ。
2つ、同時に、店、全体の事を考えろ。
3つ、とにかく全員がいつでも、何処でも良くコミュニケーションをとれ。
4つ、お客様の言葉に素直に耳を傾けろ。
5つ、責任感を持って、権威は捨てろ。
6つ、アイデアを沢山だせ。
7つ、寄りかかるな、官僚主義を捨てろ。
  
先週の朝の勉強会で教えていただいた、事をかきました。

会社は家族でできている。

これまでに、家族の危機が叫ばれて、
随分と時間がたちました。その間、この問題は解決に向かうどころか、
少子化、高齢化、非婚化、離婚の増加など、
いよいよ複雑化の一途を辿ってきています。
いまや、核家族から個族の時代になりつつあると言われます。
はたして私達は、一人で生きていけるものでしょうか。
夫婦・親子をはじめ、愛する家族、愛してくれる家族が居るからこそ、
生きる力が沸いてくるのです。
あらゆる組織が、解体と再編成を迫られて不安の増すときだけに、
強い愛の絆に結ばれた家族が必要なのです。

今朝のモーニングセミナー教えて頂いたことわ。
「500ポンドの壁」

バーベル上げの選手が、499ポンドなら上げる自身はあるが500ポンドは
自信がないと、常に思ってたが、ある日軽々と上げた話。
なぜできたか、その時も彼は499ポンドだと思っていたからあげられた。
此れがもし、500ポンドと知らせていたら、上がらなかったのではないか。
人間とは先入観に、左右されやすい、弱さを持っている、
おしえらるた。


「掃除は、最も簡単な修行法」

心を込めた掃除が、自分を変え、周囲を変える。
人は美しさを求めてやまない。
環境を美しくする掃除は、

掃除が行き届いている店舗やオフィスは、働く人達の気持ちが違う。
明るく、朗らかで、喜びに満ちて、はずみがある。自ずとお客様も寄ってくる。
そこまでは、多少は想像がつくことかもしれない。
しかし、それだけではない。掃除を徹底すると、もっとすごいことまでが
起きてくる。その証拠に、経営者の間で、
掃除が静かなブームともなっている。
ある社長は、朝一番に出社して、会社のトイレをピカピカに磨きはじめた。
たった一人で、沈々と続けた。従業員たちはただ横目で見ているだけだった。
そのうち、まったく強制しないのに、一人、二人と手伝う者が現れてきた。
床にモップをかける者、会社の前の道路を掃くもの、次第に数がふえてくる。
会社は業績が低迷し、倒産寸前だったというのに、たちまちこうてん、
優良企業に変わってしまった。
掃除をしている時に、大切なヒントが得られたとか、
倉庫の整理、整頓、清掃を続けるうちに、在庫品が飛ぶように売れてしまった
等などの体験は実に多い。
騙されたと、思って、我欲を捨てて、誰も居ない内に、やって見る気には
なりませんか。
問題は続けないと結果は出ない、と教えられました。

「経営者」とは

企業の顔である。企業最大の商品は経営者である。
企業が成長・発展・存続できるかどうかの鍵は、経営者の生き様によって決まる。
経営者が今、何を考え、苦悩し、そして果敢な決断の中で、どう動くかによって、
その企業の盛衰が決まると言われます。
常に経営者は、脳ミソが汗をかくほど、考え考え、考えぬかなければならない。
しかも、そこまでやっても、道が開ける保障はない。
だから経営者は、間違っても自社の業績が上がらないのは、
世の中が良くないとか、社員がいまひとつしっかりしないからとか、
銀行・取引さき・に問題があると、他人のせいにして、言い訳ばかりくどくど言って
いるようでは、
何も変わらぬばかりか、ますます悪化の坂を転げ落ちるだけだ。
良いも悪いも経営者次第だ。厳しく、甘い自分と正対し、
自分の可能性を信じ、ギリギリまで追い込むことである。
考えているだけでは何も変わらない、実践のみでしかない。

朝礼の言葉。最も簡単な修業は清掃

心を込めた清掃が自分を変る。
周囲を変える。
人は美しさを求めてやまない。
環境を美しくする清掃は、
小我を捨てて大我に生きる、
きわめて日常的な修行なのです。

掃除が行き届いている,店舗やオフイスは、
働く人達の気持ちが違う。
明るく、朗らかで、喜びに満ちて、はずみがある。
自ずと、お客様も寄ってくる。
掃除をやっている時に、大切なヒントが得られた、
倉庫の整理、整頓、清掃を続けるうちに、
在庫品が、飛ぶように、売れてしまった、等などの体験がふえてきた。
何故か、ポイントは、利害と打算を超えた、
無心で黙々とやっていると、自分の心が、否応なくかわってくる。
自分が変わってくれば、変化は周囲に及んでくる。

次回こそ松下幸之助翁の、私の好きな所を書かせて頂きます。

苦難とは幸福えの入り口

人が恐れきらつているのは、苦難だと思う
中でも病気、災難、貧苦、他にも色いろと、、、、。
この世の中で少しの苦しみも無いと言う家は誠に少ないでしょう。
必ず何か一つや、二つ、「これだけが片ずいたら」と念じているような
「困ったこと」がある。これが今までは「ただの困ったこと」であつた。
昔の人達は苦難は悪魔の仕業とみて、忌みきらつた。ある人は罪のあらわれだ、
仕方がない、あきらめる。外は無いと考えた。
しかし今や、更に一歩を進めて、苦難は、生活の不自然さ、心のゆがみの映った
危険信号であり、ここに幸福に入る門があることがわかってきた。
これがはっきりわかれば、もう苦難を恐れきらうことがなくなる。いや、
喜んで苦難に立ち向かう。にっこり笑って此れに取りくむ。
「門を叩け、さらばひらかれん。」
「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、之れを見出す者多し。
命に至る門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし。」
生命いのちつながる門は、狭い、入りにくい、叉苦しい、醜い。それがひどければ
ひどいだけ、しっかりと足を踏み締めて、門の扉を強くおしひらこう。
苦難は幸福に入る狭い門である。

道は一つ

大変長い間ブログを打ちませんでした。
その理由は・経営者だけが朝六時半から一時間の勉強する会に毎日出席して
なんとか・自社を他社より明るくして・社員の笑顔と元気の良い・ハイと言う
返事と・大き声で挨拶ができる・会社の雰囲気を変えたい・もつと明るくしたいと・願い専念してきました。
まだ充分ではありませんが・他から見た方は見違える様だと言ってくれます。
その道はただ一つしかありませんでした。「その道は倫理法人会」でした。
「守れば幸福になり・はずれればきつと不幸になるという・
新しい暮らし道を打ち立てること」。でありました
これさえ出来れば・良い事をすれば「倫理」道すじを守れば幸福になり・
悪「あく」を働けば「倫理」みちにはずれれば・不幸に成りますので・
人は自然に道義をまもつて・
世の浄化は自然の勢いとなつて・一日一日正しい世の中が築かれていきます。
今その「道みち・倫理」が発見されました。
そして地上の一「ひと」すみに・日に日に明るい幸福の家が・なごやかな
平和な村が・町が生まれつつあります。
私達の新しい倫理運動がこれです。
決して難しい事ではないが毎日毎日つずける事が力となつて来るのでしょう。
次回は、「松下幸之助」さん、の私の好きな所を書かせていただきます。

「信は力なり」


今日は私がモーニングセミナーで勉強してきた事を書いて見ます。

心の底から 信じてくれている人には 嘘をつく事はできない
信ずる人を ごまかす事はできない。 
人の世の 交わり の中での基は「信ずる」ことであり・ 
「事を成す」の根本の力は信念である。 
決心の強いか・弱いか・によって・仕事の成否が決まるが・  
決心と言うことは・今までなかった事を こうしようと信念を定めることである。 

「ちかい」「誓」というのは・人と人とが叉人以外のものと結びあって・  
信念を固める事を言う。  
今朝私が一番・強く感じた事を発表いたしました。
  
久し振りのブログです叉時間を作り書きますので・たまに見てください。

《道は近きにあり》

日本人は太陽を赤く描く。子供の絵の太陽も、たいがい赤く塗られている。
しかし、外国人は違うと聞いて、フイリピンからの留学生に尋ねてみた。
「もちろん、太陽は黄色く描きますよ!」
過日、世界の子供の絵画展をのぞいたら、外国の子供たちが描く太陽は、
たしかにほとんどが黄色だった。
「真っ赤に燃えた、太陽だから・・・」、という美空ひばりのうたがある。
しかし、日中の太陽をよく見るとあかくはない。
赤く目に映るのは「朝陽と夕陽」だけだ。
その真っ赤な太陽に、感謝や祈りを込めてきた。
太陽が隠れた夜に、窓から差し込む月の光は、まぶしいほど明るい。
たとえば日本の昔話の「蛇婿」では、大蛇に嫁いだ娘が、持参した嫁入り道具を使って
見事に大蛇を退治するのだが、帰り道がさっぱり分からなくなり、陽の落ちた闇の中を
歩んでいると、遠くにボーっとかすかな明かりが見えた。
其れを目当てに、娘はズンズン進み、老婆に助けられやがて長者に見初められ幸せに暮らしたと言う物語だ。
あたりが真っ暗で、何処に進んだらよいか分からない、途方に暮れてしまう。
しかし明かりはどこかにある。
きっとある。
見えた明かりの方に真っ直ぐ行ってごらん。
きっと助けがあって、道が開ける・・・・そういうメッセージが込められた昔話だ。
どんなに暗くとも自分の心の明かりだけは消すまい。
その明かりを頼りに向かってくる人と、の素敵な出会いも生れそうだ。
ビジネスチャンスもきっと広がるにちがいない。

「 水 」

今日は水の事を少し勉強しましょう。
生きとし生ける者、とりわけ人間にとって水は最も大切なものである。
人生を閉じる時ご厄介になる水を「末期の水」まつごのみず、[死に水を取る]とも言う。
戦場に斃れる(たおれる)兵士にも、残り少ない水筒の水を上げてあの世におくる。
と一様に語る。

◎ 水からの学び
このように人類にとってかけがいのない大切な水だけに、水に関する教訓が沢山ある。
 兵法の【孫子】の中にも「戦は勢いなり」と勢いの大切さを水を用いて説く。
「激水の時き石を漂わすに至る者は勢いなり」静かに澄む水も、一度激すると巨岩を押し流す。
 これを勢いという。
【水は方円の器に随う】という。自分を主張せず、すべてに柔軟に順応しながら、
自分の本質を失わない老子の水哲学を、先人が見事に纏め上げているのでご紹介しよう。

水の五訓
   
(一)自ら活動して他を、動かす力を持つものは「水」なり。
※ 水は百年、千年流れて渓谷を刻み、千丈の滝をつくる。
※ 洪水、大雨は、文明の利器たる新幹線も止め建造物をも押し流す。
※ 水の力は、人の力をはるかに超える。
(二)  常に己の進路を求めて止まざる、は「水」なり。
※ 水は必ず低くきを選び、低くきにつく。
※ より低い己の道を求めてやまない。「謙虚さ」を示す。
(三) 障害にあって、激しくその勢力を百倍しうるは[水]なり
※ 流れる水を止め貯水し、一気に流し、発電し百倍千倍の力とした。
(四) 自ら潔く、他の汚濁を洗い、清濁を併せ入れる度量あるは「水」なり。
※ 清らかな水も、濁れる水もなんの文句もいわずにただ流れるままの姿は、
     与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻むべしと説いているようだ。
(五) 洋々として大海を満たし、発して霧となす。雨雪を変じ霰と化す
    凍っては玲瓏たる鏡となり、しかもその性を失わざるは「水」なり。
※ さまざまな水の態様は、人生を達観せよと語っているようでもあり、
※ 無言にして人生の輪廻を説いているようでもある。
※ その性を失いはしないが、 {行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず}
※ の如く水は時の移ろいをも語る。

ここまで水からの学びを進めてくると、改めて水の偉大な力をおしえていただきました。

貴方の会社の存在意義を問う

哲学という言葉を難しく考える必要はない。
「一歩つっこんで物事を深く考えてみる営みのことである。」
経営者が哲学することは、少なくとも以下の三つの問いを繰り返し自問し、
暖め・育んでいくことです。

1) わが社は何のためにあるのか

2) わが社は誰のために在るのか

3) わが社はなぜこの地にあるのか

これらの問には、数学のような正解はありません。
答えは自分なりに見出せばよいし、問うこと自体に大きな意義があるのです。

最初は漠然としたものであっても、繰り返し自問しているうちに、
次第に明確になってきます。

経営者は哲学するクセを身につけることが大切で、一度こうと決めたものでも繰り返し咀嚼することが重要です。
 

「経営者に求められているもの」

『小さな事から会社は変わる』の中でそう述べています。
大事業家といわれる先人達は経営に関する確固たる考え方や見かたできまる。
この事は、事業を発展させる上で、経営者が哲学することがいかに大切であり、
必須不可欠な要素であるかを裏づけています。
しかし、哲学という言葉を耳にしただけで「自分とは無縁の世界」「難解で近寄り難い」と感じる向きもあるかもしれません。
一読すると、哲学するということが、意外に身近で容易におもえてきます。
少し紹介しましょう。
『まあ、ボチボチ儲かればいいのさ』とか
『こぢんまりとやれればいい』とか
『とにかく食えればいい』などと広言する経営者であれば、
その会社に希望は持てない。
なぜなら経営とは常に積極的に『よりよく』を追求すべきだからだ。
追求を怠れば、奈落に落ち込む時はちかい。
今日はこのへんで、続きはまたあした。


「正」法人会設立記念日

先週の土曜日、念願の設立記念式典を行いました。
会員が100名以上にならない内は、法人会の頭に「準」がつくのです。
この度7月15日土曜日に110社達成の記念祝賀会が行われたのです。
入会してもらうと言うことは、並み大抵なものではありませんでした。
大変なものでした。
義理で入る方が三分の二。
勉強してみよう、と言うひとが残りの半分。
後の半分がそんな会に入りたくて、何処にあるのか、探していたと言う人がいます。
朝6時30分からの勉強会で7時30分の1時間丁度で終りますと、聞くと殆とんどの人が私は朝が駄目、と言う人が多いです。
殆とんどの方々がそうでした。
其れは早起きよりも朝寝のほうが楽に決まっています。
でも皆な他人より自分は幸せに成りたいと思っています。
大自然の摂理はそんなに甘くはありません。
他人以上に沢山苦労した人にしか、幸せは来ないもののようです。 

だから少しでも幸せが来るととても嬉しいものなのです。
だから感謝も出来るのです。
これが毎日のように幸せが来たら、感謝処か、ぜんぜん嬉しくないと思う。
私は常に「朝を制する者は 人生を制する」この言葉を教訓として、日夜励んでおります。
会社の人達が喜んで働いてくれる会社を作るのが私の夢です。

倫理感に思う

今の私の心境をお伝えします。
最近各業界で倫理感と言う事をよく聞きます。
倫理と聞くとすぐ変な顔をする人がいますが、文字に違和感があるのかも知れません。
 
倫理とは人が生きてゆくための日常のマナーを言うのです。
礼儀作法、挨拶、返事、態度、動作、当たり前の事と辞書にも記されています。
この当たり前の事を実行する事を倫理と教えていただいています。

今の時代、朝遅く出社して夕方はやく退社する、経営者がいたら其の会社は
100%衰退するでしょう。
会社とは順調なときほど 謙虚に、苦しい時はチャンス到来と新しいアイデアを試してみるときです。
無駄にした時間は二度と戻ってきません。
世界中の人が一日24時間を持っていますが、大切に使う人と退屈に過ごす人がいます。

21世紀を勝ち抜いてゆくには倫理感が絶対に必要だとつよくかんじます。

横山 大観 先生の竜の目

私は先日 台東区 の稲荷町に下谷神社があると言はれ行ってきました。
其の神社はお稲荷様を祭ってある為、地名が稲荷町となったそうです。
其のお堂の大天井に 横山 大観先生の絵画いた昇り竜が今でも生きている
と教えていただき、拝観にいきました。
杉の正目の生地に直接絵画いたものでした。
其れほど大きなものではありませんが、面積にすると畳三〜四畳分位の
矩形のなかに威勢の良い筆さばきで 私のような素人が見ても勢いの凄さが
感じ取れる、力作と私にも受け取れるものでした。
絵の中の一番の中心はやはり竜が一点を外さず眼光鋭く睨む
「眼」に引き付けられる凄さを一番かんじました。

余談ですが、この絵の画き料を恐そる、おそる、宮司が伺いました所、
大勢の氏子の為に、喜んで画いたのだ、金はいらん氏子の皆さんといっしょに
大勢呼んで、盛大な酒盛りをしたいと言はれまたまた氏子を喜ばせた、
とのことでした。
Categories
  • ライブドアブログ