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柔術・柔道史を考えるブログ

19 10月

山鹿素行の「士道」と嘉納師範の「柔道」


当ブログの記事は個人研究であり、内容の正しさを保証するものではありません。




断定口調で書いていますが、おそらくと書くところを省略しているだけです。




これ以前に書いた記事との内容の整合性をとる努力はしていません。



Yagama_Sokou


講道館が創始された1882年前後の日本は啓蒙主義の知育偏重への反省から国粋主義による徳育の再興が叫ばれた時代だった。柔道を理解する上で無視できないのはやはり柔道が「道」を称するということである。

では遡って江戸時代の武士にとっての「道」とはいったい何を意味したのだろう。神、儒、仏、老といった思想がすぐに思い浮かぶ。しかし実はもう一つもっと重要な「道」も存在した。それは山鹿素行が主唄した「士道」だ。

素行の「士道」は簡単に言ってしまえば兵学から編み出された封建道徳のこと。武士は太平の世になると自らの職分を失った。素行はそこで武士階級を新たに道徳階級と再定義し、武士に新たな存在理由を与え、これを士道(=儒教的武士道)としてまとめたのである。

嘉納師範の「柔道」は柔術から編み出された近代道徳のことであるから、山鹿素行と嘉納師範は時空を超えてほとんど同じような社会事業をした偉人と言ってよいだろう(柔道は武士階級の消滅によって無効化した「士道」にかわって新たに提案された近代の道徳規範といえる)。


多田顕著『武士の倫理・山鹿素行の場合』を読むと両者がいかに類似したものなのかがよくわかる。

我々は「士道」や「柔道」と聞くとすぐに武術や武道をイメージしてしまうのだが、士道や柔道はそれらが兵学や柔術から編み出された道徳体系だということに本義があるのであって、武術より意味を大きくとらねばならないのである(嘉納師範は大風呂敷とか百貨店とか言っている)。

兵学→士道(封建道徳)

柔術→柔道(近代道徳)

では「士道」や「柔道」はその前身となった兵学や武術については自己の体系にどのように位置づけているのだろうか。これはだいたいこういうことになるのではないか。

図1
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図2
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「士道」は兵学を、柔道は柔術を「道」にまで高めたものをいう以上、両者にあって兵学や柔術のような術(=技芸)の次元に属するものはみな修己の箇所に位置づけられるのだ。

柔道は大正時代以降になると次第に「近代武道」や「スポーツ」といった文化カテゴリーの成員と見なされるようになるので、こういうことが見えなくなってしまっているのである。

近代武道=撃剣や弓術が柔道に倣って道を自称とするようになったことで、柔道、剣道、弓道の上位概念として発生して来た文化カテゴリー。

スポーツ=テニス、野球、スキーなどの流行によって社会に広がった西欧由来の文化カテゴリー。高専柔道は柔道をスポーツとして行い、競技的に有利な寝技に流れることになった(ブラジリアン柔術も同様の現象。同じようなことは実はドイツ柔道などでも起こった)。

追記


王家驊著『日中儒学の比較』にはこんなことが書かれている。

「一部の学者は、この新しい武士道理論を「道の自覚」の武士道と呼び、山鹿素行は、「死の覚悟」の武士道から「道の自覚」の士道への転換を完成した思想家であるとしている」

素行の「士道」がノブレスオブリージュとしての武士道の走りだったのがわかるだろうか。


ある技芸(=術)を道にまで高めようとする思考法は、江戸時代の技芸に普遍的に見られる現象。そもそも柔術からして捕手を道に昇華したものだろう。起倒流柔道とか直信流柔道も柔術に再度、道の自覚を促したネーミングということがいえよう。


嘉納師範が柔術を柔道としたのは、一に明治初頭の柔術が道(=理)をおざなりにしていたこと(柔術興行や寝技偏重を見れば明らか)、二に柔術の道がしょせんは封建道徳にとどまるものだったことによるといえる。


士道と剣術を対立的に扱うことができないのは両者が同位概念ではないからだ。そう考えると柔道とブラジリアン柔術を対立的に見ることもいかに的外れな見方かわかるだろう。

8 10月

『貍尾随筆』に見る組討、相撲、捕手、柔術の違い


或問て曰く、組打ちは角力より出たりと、扠(さて)又柔と云(い)、捕手と云(う)差別ありや。答曰、組討は戦場の大要術也。上代には戦場組討の為に大名も角力を修行せんこと也。赤澤山にて河津股野がこと世人知る所也。角力の濫觴(らんしょう)を尋ぬるに、神武の時に其術あり。角力と云たる字なれば、互に争い勝敗を決する理也。柔は微力にて大力に勝其術最手段あり。捕手と云は、罪ある人を捕(る)をさして云なれば、権威を以て伏する趣なり。又問。然(しかれ)ば捕手と云は賤術なりや。又答。其術賤にてはなし。補手の役人は賤(いやし)き也。たとへば鎗は武士の最上の器にて押出て道具と称す。されども鎗持は賤しき奴僕(ぬぼく)なるに同じ。鷹(原文は雍に鳥)司関白公は竹内藤一郎門弟にて捕手を修行ありし也。その賞功に常陸介に任ぜられ日ノ下開山の号を許さる。二代目を加賀介になされども右の所以(ゆえん)也。萬機を関白する重き御身にて習玉ふなれば故實あるべきこと也。是捕手の賤しからざる證(あかし)也。しかし今は角力も組討の為と云ふことを失ひ、懐剣(かいけん)の術あることをさへ不知(しらず)、慰(なぐさみ)ごとをするやうになり、柔も剛強を本として字義に悖(もと)り、捕手も賤しき技とのみ覚えて各本を失フ也。右の通名を異するといへども、悉(ことごと)く皆体術に帰する也。

歌に、

雨霰 雪や氷とへたつれと とくれはおなし 谷川の水
29 9月

膝十字の歴史





https://youtu.be/rIceVtdWzBM
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