2010年06月

2010年06月30日

最近出回っているのは養殖されたものらしいが、スーパーで大きな鮎を見つけたので、思わず買ってしまった。
塩焼きにして食べたら、ものすごく懐かしくなった。
忘れていたが、小さい頃から夏になると実家では、鮎がよく食卓にのぼった。
鮎の塩焼きの味が、小さい頃の自分を連れてきた。
母がうまい具合に骨を取って、私が食べやすいようにしてくれたことも、急に蘇ってきた。

先日、カナダへ旅立つ前にと実家に泊まった。
大学院の帰りで、0時近くに着いたのに、父と母は私を待っていてくれた。
食卓には鮎の塩焼きがあった。
3人で目茶苦茶遅い晩御飯を食べた。
「美味しいね」と口々に言い合った。

39歳にもなった娘が、実家に行けば両親に甘えっぱなしだが、両親が元気でいてくれることを、本当に有り難く思い、やっぱり何よりも幸せなことだと思った。


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2010年06月23日

ショパン

最近ショパンの伝記を読み込んでいるクライアントと話した時のこと。
私が来月から2ヶ月カナダに留学することについて、何を勉強してくるのですか?と尋ねられた。
私は、歌の勉強と言っても、オペラ歌手やテレビで歌っている歌手になる為の勉強が出来る学校は日本にもあるんですけど、そこは声や音声を含めて幅広いニーズに合わせて教えてくれる学校なんです、と答えた。
すると、すかさずその方は、「ショパンも同じや!それやったんや」と言った。
よく話を伺うと、ショパンは大観衆の前で音楽をすることより、少人数の中で互いに交流を深めるような小さな規模の音楽を選んだんだと、それがまるで私(セラピスト)が普段やっていることと、今言ったことと、本質が同じだ、全然違うことなのに、不思議だけど、ものすごくピタッとはまって、スッと理解できた、とのこと。

なるほどなあ…と思った。
多くの聴衆に向かって開かれた音楽は、大規模で大掛かりで、パワーも強いが、残念ながら、ひとりひとりの聴衆との心の交流は薄くなるだろう。しかし、少人数の聴衆に向かう音楽は、小規模で派手さはないけれど、ひとりひとりの聴衆との心の交流は、とても深いものになるだろう。
何れも音楽であり、何れも価値があるが、どちらを選ぶか、どちらに、より価値を感じるかは、その人の生き様にかかわる事柄になる。

私はアマチュアだが、オーケストラ奏者としては前者に、音楽療法士としては後者に携わっている。
両方にまたがる私の生き様って、どのようなものなのだろう(笑)


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2010年06月18日

ある若い失語症のクライアント。
歌はあまり問題なく歌うことが出来る。
今日は個別セッションで、アリスの「チャンピオン」とシャ乱Qの「いいわけ」を歌った。
中でもチャンピオンの、You're king of kings の部分はすごく綺麗な発音である。

失語症でも歌を歌わない方もいる。
ある方は集団セッションで楽器を使う活動をすると、高く掲げて懸命に表現される。

失語症で歌わない、楽器もあまり積極的にやらない人もいる。
ある方は、若くしてそのようになり、まだ施設生活に馴染めず不穏になることが多い。
先日その方が、部屋に帰りたそうな不安な目で、通りかかった私を見つめた。
送っていくと、立ち上がり、介助なしでは無理そうなのに、無理やり自力でベッドに寝ようとした。ドスンと倒れこみ、顔をしかめた。
私は介助して支えようとたが、まるで拒否するように、自力でされたのだった。
私が、「何事も自分でやってみようと思っているんですね、頑張っておられますね」と言って手を取ると、目を潤ませて握り返した。
しばらくの間、その方は手を離すことなく、目で何かを懸命に伝えていた。

記した3人の方々は重度の失語症である。
しかし、目はいつも何かを物語っているのを感じる。
目は口ほどにものを言う…
本当にそうなのだと思う。
そして、目の語りは、音楽によく似ていると、私は思う。


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2010年06月11日

手の重さ

以前私に教育分析をして下さった先生が開いている、トランスパーソナル心理学の勉強会に初めて参加した。
大学院でその系統の授業を沢山受けたせいか、内容は、私にとっては少し物足りなく感じられたが(古い文献を使っていたせいもある)、知識ではなく、先生が語るエッセンスは他では絶対に得られない貴重なものだと感じた。
境界に関連して、グロスな身体とサトルな身体のワークがあった。
二人一組で肩を揉み合う、というものだったが、私が組んだ方は、どうやらその道のプロ(気功師か鍼灸師か??普段身体をみている仕事の人)らしかった。
私が肩に手を当ててレイキを使ったら、終わった後その方は「勿体ない」と言った。
「手の重みをかけていると、気がブロックされてしまう。手の重みを消せば(軽く触れる)100%その気が入りますよ」

その通りだと思った。

そして、「素晴らしい気をお持ちですね」「使っているのはレイキですか?」と言った。

スゴイ!!
わかる人にはちゃんとわかるんだ……その上、貴重なアドバイスまで貰えて、何てラッキーなんだろう!!

その方と偶然(じゃないんだろうけど…)ペアを組めたことに感謝した。


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2010年06月06日

20年前

エキストラで参加しているあるオーケストラのトランペットの女性と話していたら、実は20年前に会っていたことが判明した。
大学生の選抜ユースオケで一緒に出演していたのだ。しかし彼女はメイン曲に、私はサブメイン曲に乗っていたので、ほとんど顔を合わせる機会が無かった。おまけに今は互いに旧姓ではないから、全然わからないのも無理はない。
彼女も私も、当時吹いていた楽器を今、手に持って吹いていた。

20年後にこうして隣で演奏することになるなんて、全く思ってもみなかったことだ。
人生の不思議…何と言っても、人の縁ほど不思議なものはないと思った。


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2010年06月04日

ZZZ…

先日個別セッションで、クライアントと一緒に能の謡いを謡っていたら、ものすごく眠くなってきた。
セッション中やのに、寝たらアカンわ! …そう思って頑張っていたのに、2回、一瞬意識を失った。
自分でもビックリした。音楽を聞いている時ならよくあることだが、音楽をしている時に寝てしまうなんて!!!
おまけに仕事中なのに…(涙)

能の謡いを謡うと、不思議な感覚に襲われることがある。
40分とか1時間とか、休みなく声を出しているのに、何故か段々気持ちよくなってくる。
まるでランナーズハイだ。
謡うとリラックスしてα波でも出てくるのかな??
そして言葉遣いは古いのに、場面の情景や台詞が、しみじみと心にしみてくる。
まるで今が今じゃないみたいに、夢の中にいるように思えてくる。

慌ただしく毎日が過ぎていく。出発まであと1ヶ月、頑張らなくては!!

(コメントを下さった方へ…そうですね、「音楽」療法士ですから、やはり音楽が出来る・わかるのは最低条件だと思います。ただ、音楽と言っても色々な音楽があるので、必ずしもピアノとかギターという訳ではないです。勿論これらが上手に演奏できることは有利です。私が思うことはその音楽を、自己表現ではなく他者の為に用いることが出来るかどうかだと思います。)


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