街と人の関係について考えさせられた。
定禅寺ストリートジャズフェスティバル(以下、JSF)は市民が立ち上げた、仙台が誇るべき祭りである。
毎年9月の第二土・日曜開催。今年で19回目。参加バンド数・出演者数では日本最大の音楽祭。
「市民ボランティアによって運営」「無料」「街が舞台装置」をキーワードとした都市音楽イベント。
2日間で700組のバンドが出場、演奏者だけで4000人。(wikiより)
聴衆は去年で75万人。しかし商業ベースにのせずに、テレビでも宣伝しない。
現地の人に聞くと、今年は応募が数千組だったらしい。
出場にはうまいとか下手とかではなく、審査に選ばれる運が必要だったり。
2004年に初参加し、今年2009年にも出場し、再び落ち着いてこのイベントを見通して見えてきたことを書きたい。
自分がでたバンドの演奏はまあ、準備もそこそこにいまいちであったが、そんなことについて考えるよりも、この祭りに参加した、という気持ちの方が大きく僕のこころを捉えている。祭りの熱気が小さなことを消してしまった。もちろん反省はしている。そして来年出場の構想も脳内でたて始めている。
JSFは壁をつくらない祭りだ。
参加者は老若男女、仙台の人がさすがに多いが、全国から参加者が集まっている。海外からの出演者がいるのにも驚いた。アマチュアが主体というのも素晴らしい。プロフェッショナルに限定しない。演奏レベルにばらつきはあるものの、無料で街角でやっていることがそれを助ける。
何かの祭りは何かの共同体に属して得られる一体感を感じられるものが多数を占めるのに対して、この祭りは町中にいるだけで一体感を得られる、数少ない祭りだ。盆踊りや神輿を担いだり、山車をひっぱったりすることは僕にはリアリティが薄い。子どもの頃参加はしていたものの、なにか日本の伝統的なものを形式的に無理になぞっているような祭りがちらほら見受けられる。それでも意義はあるとは思うが、
というのも、昔のように一カ所に住み続けて、地元の祭りに参加する、というような形式が難しくなっている現代においては、
地に足着いた、新しい形の祭りであるように思える。
町中のあらゆる場所にライブステージが現れて、街を散歩するのも楽しい。お気に入りのジャンルを聞きたかったり、お気に入りのバンドをみたければ、そこへいくこともできるが、この祭りでは、適当に街をぶらぶらして出会う、自分が普段聞かない音楽ジャンルへの出会いであったり、そういう楽しみ方が似合う。室内で培養されるなにかに特化していくものではなく。
僕は自分の意志ってのはしょうもないものであると思っている。
まあある程度は役に立つが、やはり自分の意志とは違う次元でおこる出来事に心奪われる。
この祭りの成功には仙台の街の構造なしには成立しない。
定禅寺通りをはじめとする、
歩道が広く、電柱のない、緑豊かな通り。歩道の広さに加え、通りに面した建物の空地やエントランスをステージとしてうまく使っている。
都市イベントをささえるインフラとしても意識して作られた建物たち。
それでいて圧縮された都市。
街なかと街はずれがしっかり分かれていることの豊かさ。
街の規模。広さも人口も現代の都市においてヒューマンスケールを保っている数少ない都市であると思う。
同様の都市としては福岡とかかな。
東京、名古屋、大阪は肥大化しすぎていて、街がどこまでも続いているイメージがある。
初夏に開催されているジャズプロムナードinSENDAIというものもあるらしいが、
JSFのほうがよっぽど面白い。
音楽が、限られた人々のものではなく、演奏する側にも聴く側にも門戸を開いている。
先鋭化するときには断絶が必要ではあるとは思うが、音楽そのものを広く楽しむ祭り、という観点において、
この祭りは成功している。
ある程度、閉じられた空間、共同体でしか共有しえないものももちろんある。
でもそういう種類の感動ではなくて、なんというか、音楽と人が街に溶けてた。
素晴らしい。
土曜日はあいにく時折小雨がぱらつく天気だったが、日曜には汗ばむ陽気となった。
公園を、アーケードを歩くといろんなジャンルの音楽が聞こえてくる、、、
JSFとは関係なく、大道芸をやっている人や弾き語りをする若者がたくさん。
仙台アマチュアバンド事情に詳しいYちゃんの話を聞くと、仙台はアマチュアミュージシャンを受け入れる土壌があるらしい。
音楽をやっているひとの比率も高く、音楽が仙台という都市の財産として確立される日もそう遠くない、というか
もうそうなっているのかも、と思った次第。
音楽だけでなく、都市に、街に翻弄されるのではなく、街を人が使いこなしている、という印象を
改めて今年の訪仙でうけた。