newyork0

ニューヨークの6丁目に「ビデオゲーム・ニューヨーク」という小さなゲーム店があります。

アメリカでもゲームを扱う小売店、とりわけ個人経営の小さなお店は少なくなる一方ですが、その多くが専門化を進めることで生き残りを図っています。ビデオゲーム・ニューヨークもそのひとつで、とりわけレトロゲームに力を入れているようです。

3年前と少し古いものですが、この店についての記事がありましたので抄訳してみました。

―――

肌寒い2月の午後のことだった。「ビデオゲーム・ニューヨーク」の店長、ジュリオ・グラツィアーニは、イタリアから家族旅行でやってきた数人のお客に、店の中を案内していた。

あたかも博物館のツアーのように、店のいたるところに置かれた古いゲームソフトをゆっくりと見て回っては、とりわけ貴重な品を説明してゆく。

店の奥にある縦長のガラスケースには、最初期のゲーム機が収まっていた。1970年代に製造されたアタリやインテレビジョンである。

店長は身体を低く屈めては、一家の小さな少年に「ポン」について説明している。アタリが1972年に発売し、ついにはひとつの社会現象にまでなったゲームだ。

ニューヨークのイースト・ビレッジにある「ビデオゲーム・ニューヨーク」は独立資本のゲーム店であり、ゲーム機からゲームソフト、各種アクセサリまで、6万点の在庫を持っている。

この店では新作ゲームや日本の輸入ソフトも扱っているが、一番の人気はレトロゲーム関連のアイテムである。

はるばるロング・アイランドから車でやってきたというウィリアム・ロドリゲスさん(27)も、レトロゲームを目当てに来店したひとりだ。

「欲しいゲームがなかなか手に入らないようなものだった場合は、きまってここに来ますね。長いこと運転しないといけないので、なかなか大変ですけど」

それでも、「ビデオゲーム・ニューヨーク」のような店は消えてゆく一方なのだ。ウォルマートなどの大手チェーン店に加え、ネット配信が盛んになったため、新旧のゲームがネットから直接入手できるようになった。そのおかげで、独立資本のゲーム店はますます苦しい立場に追い込まれている。

この不況において、ゲーム産業はかなり持ちこたえている方ではある。それでも、全国規模のチェーン店での売り上げは、2009年度は前年比で30パーセントの下落となった。メーカー側も苦しいのは同じで、カリフォルニアを拠点とする最大手のゲーム会社エレクトロニック・アーツは昨年、全体の15パーセントを超える社員を解雇した。

「ビデオゲーム・ニューヨーク」は6丁目にあるが、そこから歩いていける距離に大手チェーン店の「ゲームストップ」が4つも店舗を構えている。

ビデオゲームのマーケティング会社幹部であるジェシー・ディブニックは、「ビデオゲーム・ニューヨーク」が生き残っている理由を、顧客のひとりひとりをきちんと認識していることが大きいと分析している。それは小さな店だけが持つ利点なのだ。

「顧客中心という方針を採っていることが強みなんですよ。地域に根ざした店は、顧客をちゃんと人間として接しています。単なるお金じゃなくてね」


場所が足りない

「ビデオゲーム・ニューヨーク」は、レトロゲームの在庫について、アメリカ東海岸でも最大級と謳っている。ところが、店の外観からは、それほど特別な存在にはとうてい見えない。

ショーウィンドーには、宣伝用のディスプレイなどが展示されているが、ポスターがよれていたり、褪色していたりする。とりわけ目立つのは、マリオとソニックである。この二人こそ、ゲーム業界を代表するキャラクターなのだ。

店のある場所は、もともとコインランドリーだった。そのため、内部のレイアウトは奇妙なU字型になっている。店内の中央には巨大なディスプレイケースが置かれ、せまい通路をはさんで、壁側にもディスプレイケースと、天井まで届く棚がある。

ゲームソフトやコントローラは、文字どおり、店内のいたるところに置かれている。ケースの中や、壁にある棚、地面に置かれたバケツの中にまで。

ソニーや任天堂、セガといった有名なブランドにまじって、ネオジオやSNK、あるいは聞いたこともないようなメーカーの品まである。あまりにも多くの商品が置かれているので、身体を思うように動かすこともできない。

「スペースの確保にはいつも頭を痛めてますよ」

きついイタリアなまりで話すグラツィアーニは、カウンターのそばにある狭い事務室でそう教えてくれた。

店が狭いため、在庫の大半はニューヨークの3か所にある倉庫にしまってある。中でも一番の値打ち品が、1990年に任天堂の世界大会で使われた特別版のNES本体で、1万2千ドル(120万円)の価値があるという。月に1、2度は、それ以上の値段で買い取りたいという電話がかかってくるが、応じることはない。

「あれは売り物じゃないんです。こういう商売だと、何を持っているかが重要ですから」

じっさい、彼のコレクションはかなりの注目を集めている。なにしろ、ゲーム業界のあらゆる面、あらゆる時代を対象にしているのだ。ゲーム機本体からゲームソフト、コントローラ、アクセサリまで含まれており、しかも任天堂やセガ、ソニーといった有名どころから、マグナボックスやSNKのようなマイナーなものまで揃っている。

在庫の大半は中古だが、店にとって最大の稼ぎ頭がそうしたレトロゲームなのだ。グラツィアーニによれば、値付けにあたっては市場価格や、需要と供給の状況を参考に決めているという。

「たしかにリスクは高いですが、うまくやれば儲かります。たとえば、ゲームを買って、販売終了になるまで待つんです。その時点から値上がりしますよ」

店が重視しているのが、口コミの力である。フェースブックのページもあるが、グラツィアーニは、店のサイトこそ一番の宣伝になっているという。また近所にある「ゲームストップ」の店長も、古いゲームを探しているという客には「ビデオゲーム・ニューヨーク」を紹介してくれており、これも大きい。(そういう客はほぼ毎日やってくるとのこと)

またゲーム関係のメディアにたびたび取り上げられたことで、外国からの注文も増えている。

「いったいどこでうちの店のことを知ったのか分からないんですが、ドイツやブラジルみたいなところからも、在庫を問い合わせる電話がありますよ」

そういってグラツィアーニは微笑む。

「うちの店は、そういう外国の人たちにとって、ニューヨークに行くとなると、ぜひ立ち寄りたいっていう場所になっているわけです」


店の始まり

北イタリア出身のグラツィアーニが初めてアメリカを訪れたのは1991年のことだった。当時はファッション専門のカメラマンだったが、仕事がたくさんあるという理由で、1996年に移住している。

最初はインディーズ映画のプロデューサーをしていたが、1990年代末には、折からのドットコム・ブームに乗って、小さなIT企業を興した。その後、ITバブルがはじけると、もっと安定した仕事をしたいと思うようになった。

ニューヨークのセント・マークス・プレイスにゲーム店を構えていた友人が、ハーレムに支店を開くから店長をやらないかと誘ってきた。2003年のことだ。ところがこの友人が、深刻な資金難を抱えてしまい、2004年にはグラツィアーニが店の権利を買い取った。

それから1年後、店の従業員2人が2万5千ドル(250万円)相当の商品を持ち出し、強盗に入られたと偽証した。警察は十分な証拠を集めることができず、犯人の逮捕には至らなかった。

グラツィーニはこの時、他に持っていた支店2つを閉め、本店の移転先を探した。だが、盗難の被害に加えて、移転にかかった費用で、店は大きな赤字を出してしまった。それが一時は30万ドル(3千万円)にまで達したという。

「店を閉めることを、真剣に考えました」

グラツィアーニは、ニンテンドウ64のゲームソフトが入った棚によりかかって言った。

「2005年の時点では、店を閉めようという気持ちが80パーセントくらいになっていましたね。店を続けるというのが20パーセントで」

幸いにも破産は免れた。当時つきあっていた女性が融資してくれたのだ(この女性とは後に結婚している)。それからの2年間は売上げも順調に伸びていたところに、今回の金融不況となったわけだが、それでも借金の額は減り続けている。売上げの大半は返済に回しており、今年末の完済を目指している。

ところで、意外なことに、グラツィアーニ自身はゲーマーではない。暇な時にゲームをやることはまずないし、ゲーム業界そのものにも思い入れはないと断言する。業界の最新動向は、店の従業員から仕入れている。

「店長としてのわたしの仕事は、店をうまく回すこと、何か困ったことが出てきたら、それを解決すること、そして店の今後をどうするか決めることなんです。ゲームで遊ぶことではなくてね」


newyork2
(大型の棚ひとつ分を、日本から輸入したゲームソフトが占めている)

特色ある店づくりを心がける

2004年にグラツィアーニが店の権利を引き継いだ時、店の在庫は今の4分の3にも満たなかった。そこでただちに在庫を増やし、店の建て直しに取りかかった。

「アメリカと日本のあちこちを渡り歩いては、忘れられたような在庫をあさっていましたよ」

レトロゲームの在庫が増えるにつれて、店の知名度も上がっていった。この流れに乗るため、日本製の輸入ゲームを売るようになった。その多くはアメリカでは発売されておらず、日本のゲーム機でなければ遊べない。この戦略は成功し、数年間は店の成長を助けてくれたという。

日本からゲームを輸入する場合の難点は、まとまった数を注文しなければならないことだ。多くの在庫を抱えることになるわけで、それを売り切るための努力が必要になる。店舗だけでは見合うだけの数が出ないことは分かっていたので、アニメやマンガ関係のイベントでの出張販売も始めた。

グラツィアーニは年に80日はそうした出張をこなしている。アメリカの各地に足を運んでは、日本からの輸入ゲームをせっせと売っているのだ。そうしないと利益が出ないのである。ただし、これには副産物もあった。日本の輸入品を扱っている店として知られるようになったのだ。

「輸入ゲームを扱うなら、品揃えを豊富にすることが重要なんです」

そう語るのは、店の従業員シェーン・スタインヒルバー(31)である。

「うちの店は、限定版もいろいろ在庫してます。大半は日本からの直輸入品で、アメリカではまず手に入らないものですね」

日本からの輸入ゲームを販売するというビジネスは成功したものの、それだけでは店を続けられなかっただろう、というのがグラツィアーニの見立てである。複数のニッチ市場を扱ったからこそ、利益を出せているというのだ。

「それ以外に方法はないんです。さもなければ、半年で撤退ってことになるでしょう」


歴史という感覚

40歳以下の人にとって、ゲームとは子供時代の思い出に深く結びついていることが多い。

店内にある、棚いっぱいに詰まったカートリッジや、めずらしいゲームが収まったガラスケースからは、ある種の歴史が確かに伝わってくる。

ノスタルジアという要素は癖になる。それに惹かれて店に人が集まり、しかも、何度もそれを繰り返すようになるのだ。

「この店にはよく来るんです。ただゲームを見るためにね」

そう話すのは、2007年からこの店に来ているという、ダニー・ロメロさん(21)である。

「ここに通っては、昔のゲーム機を眺めてるんですよ。なんせ、ああいうものと一緒に育ったようなもんですから」

2005年に店を移転した時、グラツィアーニが店内に新しく設けたのが、彼が「博物館」と呼ぶスペースだった。それは店の奥まったところにある、狭い空間に置かれた、手製の小さなガラスケースのことで、あらゆる時代のゲーム機やゲームソフト、アクセサリが収められている。

そこには、アタリやSNESのようなメジャーなゲーム機もあれば、卓上型の「パックマン」のようなめずらしいものまで入っている。

newyork3
(店長いわく、ゲーム業界の進化が分かるようにしてあるという「博物館」の棚)


「単なる小売店にはしたくないと思っているんです」

グラツィアーニはいう。

「この店を、一種の文化交流の場にしたい。それと、ゲームという文化においては、歴史というのは大きな要素ですから」

ここに収められた品の多くは売り物でもある。そのため、展示の内容は在庫の状況や、欲しいという人が出てくるたびに変わってゆく。それでもグラツィアーニは、とりわけ重要な品を展示するようにしているという。

それでも、ここにない品もある。たとえばマグナボックスの「オデッセイ」で、これは1972年に発売された、世界で初めての家庭用ゲーム機である。


将来の展望

ゲーム業界は不況に強いというアナリストもいるが、今の業界が退潮ぎみであることは誰も否定しない。

だが、「ビデオゲーム・ニューヨーク」はすでに生き残りの方策を見つけ出している。ひとつは、新作ゲームの早売りである。早めに在庫が確保できればやっている、とグラツィアーニはいう。大手の店では発売元とのトラブルを恐れて出来ないが、小さな店が問題になることはないそうだ。

それ以外にもさまざまなサービスを提供している。たとえばゲーム機の修理や、稀少なゲームの探索などだ。これも大手のチェーン店では無理なことである。

また、顧客の一人一人をきちんと認識し、より個人に合わせた形で接することができるのも、大手にない強みである。チェーン店はどうしても画一的な応対になってしまうが、個人の店には親しみやすく、率直な雰囲気がある。それを魅力に感じて、大手から移ってくる顧客も多い。

「大きい店だと、店の人間には言えないことがあったり、特定のゲームを推すよう言われてたりします。お客さんはそういうところも鋭く察知しますよ」とステインヒルバーはいう。

「うちの店では、そういうことはありません。同じショッピングでも、もっと温かみのあるものになりますよ」

2006年より働いている従業員のジャーメイン・ウィンは、イースト・ビレッジを歩いていて、よく馴染みの客にあいさつされるという。

「値段は大手と変わりませんけど、ここだとお店の人とも知り合いになれますからね」

そう話すのは、写真撮影のため今年2月にイーストビレッジにやってきて、この店を知ったというオニール・メレンデスさん(22)である。

グラツィアーニの見立てでは、来店者のうち4割は、毎日通ってきては何かしら買ってゆく常連だという。ただし、何も買わずに出て行った顧客にしても、口コミで店のことを広めてくれるのだ。


店の今後

グラツィアーニは店の売上げについて、具体的な数字を明かそうとしなかったが、不況の影響はすでに脱したという。2009年度の成績は前年度比で5パーセント下がったが、意に介してはいない。それに、店じたいはきちんと利益を出しているのだ。

マクロ的には回復のきざしもあるが、グラツィアーニ自身はあと1年は停滞が続くと見ている。店舗でも、イベントでの出張販売でも、顧客は以前ほど物を買わなくなっており、とりわけクレジットカードの使用が減っている。2010年度はこれまでで最悪の年になるかもしれないという。

それでも、暗い見通しばかりではない。2011年にはマイクロソフトとソニーがそれぞれ新型のゲーム機を発表する計画を立てている。そうなれば、ゲーム業界が再び注目を集めることになり、売上げにも反映されるだろうとグラツィアーニは考えている。

「わたしのような人間にとっては、新型機が出てくれればありがたいのですよ。つまり、大手が扱うゲーム機がひとつ減ることになりますからね。そうして古くなった現行のゲーム機は、われわれが扱うわけです」


―――

この「ビデオゲーム・ニューヨーク」ですが、今も営業しています。お店のサイトを以下に挙げておきます。

Videogame NewYork

サイトを見ると、たしかに日本製のゲームをかなり扱っているようです。

ニューヨークに行く機会があれば、訪ねてみるのもいいかもしれません。


Retro Video Game Store Sells History by Kyle Cheromcha - moneyandpower10