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シエラ・オンラインはCD-ROMやネットワークゲームにもいち早く進出するなど、常に新しい技術の活用に積極的な会社でしたが、その基盤は常にアドベンチャー・ゲームにありました。

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その中でも、コンピュータ・ゲームの歴史において、とりわけ重要なのが、初期の「ハイレゾ・アドベンチャー・シリーズ」と銘打たれた作品群です。このシリーズは全部で7作あります。

#0 「ミッション・アステロイド」(1981年)
#1 「ミステリー・ハウス」(1980年)
#2 「ウィザード・アンド・ザ・プリンセス」(1980年)
#3 「クランストン・マナー」(1981年)
#4 「ユリシーズ・アンド・ザ・ゴールデン・フリース」(1981年)
#5 「タイム・ゾーン」(1982年)
#6 「ダーク・クリスタル」(1983年)

これらの作品のおかげでシエラ・オンラインは急成長をとげ、ゲーム業界の代表的なソフト会社になりました。またスタークラフトによって国産機に移植されたことで、日本でも高い知名度を持つに至っています。

ここではシリーズのうち、初期のシエラを代表するゲーム作家、ロバータ・ウィリアムスの作品を中心に、その歩みをまとめてみたいと思います。

1979年、ケン・ウィリアムズという若いプログラマがオンライン・システムズという小さな会社を創業します。主な業務は税務関係のプログラミングでしたが、ケンはアップルⅡにも注目しており、開発ツールが不足しているという理由でFORTRANコンパイラの制作に着手していました。

一方でケンの奥さんロバータは、生まれたばかりの子供の世話をしていましたが、気晴らしにとケンがTRS-80を与えてくれました。それはケンが仕事で使っていたメインフレームに接続されており、さまざまなプログラムが使えるようになってました。

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そのTRSでふたりがよく遊んだのが「アドベンチャー」(別名「大洞窟アドベンチャー」)でした。ウィル・クロウサーが開発した、メインフレームで動作する洞窟探検ゲームで、最初期のアドベンチャーゲームとされる作品です。とりわけロバータは、このゲームに本当に夢中になりました。

「大洞窟アドベンチャー」をクリアすると、飽き足らなかったロバータは他に似たようなゲームはないかと探しましたが、見つかったのはスコット・アダムスの一連の作品くらいでした。

(スコット・アダムスは最初期のアドベンチャーゲーム作家で、自ら創業したアドベンチャー・インターナショナルという会社から数多くの作品を出しており、そのうち「ファンハウス・アドベンチャー」などがスタークラフトによって国産機に移植されています)

そこでロバータは思ったのです。無いなら自分で作ればいい、と。

さっそく台所のテーブルに陣取っては、紙にマップやアイデアを書きつけ、それはたちまち大変な量になりました。

ロバータが配慮したのは、コンピュータ・ゲームなのだから、ストーリーが一本道ではいけない、ということでした。ストーリーの元になったのはアガサ・クリスティの小説でしたが、それと同時に参考としたのがボードゲームの「クルー」(Clue)でした。「クルー」を意識したことで単線的なストーリーにならずに済んだ、とロバータは後に語っています。

ゲームのデザインは1か月で完成しましたが、実際に形にするにはプログラミングしなければなりません。その方面にはさっぱりだったロバータはケンに相談します。説得の末、ケンはアップルⅡで開発していたコンパイラを中止にして、ロバータのゲームをプログラミングすることに決めました。

またふたりで話し合って、ゲームにグラフィックを追加することにしました。世界初のグラフィック・アドベンチャー・ゲームの誕生です。(同時期にハイレゾ・グラフィックを本格的に使ったゲームとしてはリチャード・ギャリオットの「アカラベス」もありましたが、ウィリアムズ夫妻のゲームはそれよりも2か月先に発売されました)

こうして出来上がったのが「ミステリー・ハウス」で、1980年5月に発売されました。ふたりはゲームのフロッピーディスクを簡単な説明書と一緒にジップロックに入れ、各地のコンピュータ店を回っては、置いてもらったのですが、「ミステリー・ハウス」は文字通り飛ぶように売れ、最終的には8万部というヒット作になったのです。

そして同じ年には、早くも第2作となる「ウィザード・アンド・ザ・プリンセス」が発表され、これも好調な売行きを記録しました。

この作品は、ストーリーこそ西洋のおとぎ話を題材にした、ごく穏当なものでしたが、技術的には大幅な向上がなされていました。前作「ミステリー・ハウス」はモノクロの線画でしたが、「ウィザード」では本格的なカラーグラフィックスが使われていたのです。

当時、アップルⅡのハイレゾ・グラフィックスは謎が多く、具体的なノウハウに乏しかったため、プログラマにとっては手を出しにくいものでした。分かっていることといえば、描画が遅いこと、出来上がったグラフィックのデータはかなりサイズの大きいものになる、ということくらいでした。カラーとなると尚更で、それもあって第一作の「ミステリー・ハウス」のグラフィックは線画になったのです。

ケンは「ウィザード」のために特別なグラフィック・ルーチンを作成しました。最初に線画を描き、次に色を塗っていくというもので、これであれば、ビットマップのデータで持っているよりもずっとサイズが小さくなります。それに加えてデータ圧縮のアルゴリズムも備えていました。おかげでフロッピーディスクに何十枚ものカラー・グラフィックを格納できたのです。

またゲーム本体に関しても、シナリオを記述するためのスクリプト言語を独自に開発し、このおかげで1作あたりの開発時間が大幅に短縮されました。そのおかげもあって、「クランストン・マナー」「ユリシーズ」といった後続の作品群を短時間で発売することができたのです。なお、この2作については、プログラミングは引き続きケンが担当しましたが、シナリオはロバータ以外のライターが起用されています。

一方でロバータは「ミッション・アステロイド」を完成させます。これはSF仕立ての作品で、当初から初心者向けに企画されており、難易度もごくやさしいものになるよう配慮されていました。それもあって、第一作の「ミステリー・ハウス」に先立つ#0という位置づけになったのです。

ここまでの3作で、ロバータはミステリ、おとぎ話(ファンタシイ)、SFという一般文芸の主なジャンルを手がけてきました。そして、作家としての野心に駆られていたロバータは、思い切った策に出ました。これまで世界の誰もやったことのない、壮大なスケールのアドベンチャー・ゲームを作ろうと決心したのです。それがフロッピーディスク6枚組、場面数1400という大作「タイム・ゾーン」でした。

(つづく)

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