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ゲーム機を置いたバー、いわゆるゲームバーは、今のアメリカにすっかり定着した感がありますが、その始まりは2004年、ブルックリンに開店した「バーケード」という店でした。
「バーケード」は、アメリカ各地のめずらしい地ビールに、レトロゲームの筐体を並べるという組み合わせで、開店まもない頃から人気となり、今では東海岸の4か所に店舗を構えるまでに成長しました。その後、全米のあちこちに似たようなバーが次々と現れるのですが、その中でもやはり「バーケード」の知名度は圧倒的で、ゲームバーの総称としてバーケードという言葉が使われているほどです。

昨年、技術系ニュースサイトの「ポリゴン」に、その「バーケード」の創業者をとりあげた記事が掲載されました。ここではその記事から要約する形で、このユニークな店をご紹介したいと思います。

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ビデオゲームはバーに多大な恩恵を受けている。そもそも、一般向けのゲームが初めて世に出たのが、バーという場所だった。アタリの創業者ノーラン・ブッシュネルが、彼が手がけた最初のアーケードゲームである「コンピュータ・スペース」を初披露したのが、スタンフォード大学近くのバーだったのだ。1971年のことである。

その翌年には、「ポン」が同じようにバーで初めて稼動した。この時には、大量のコインが投入されたおかげで壊れたという有名なエピソードを残している。

以来、80年代初頭まで、アタリは新作のロケテストをきまってバーで実施してきた。そこでの基準は、バーの客に受けるかどうかということだった。具体的には、1週間の収益が一定の水準に達しなかった場合、その作品はそのままお蔵入りとされたのだ。

ゲームは人をバーに呼び込むきっかけを作り、バーは人々がゲームで遊ぶための機会を提供した。両者はいわば、持ちつ持たれつの関係にあったのだ。

そんな不思議な共生関係が崩れたのは、家庭用ゲーム機の登場だった。ゲームは家でやるものという観念が根付くようになり、バーから次第にゲームが消えていった。こうして、ゲームとバーは別々の道を歩むことになったのだ。

ところが、20年近い歳月を経て、この両者をふたたび結びつけようとする動きが起こった。そのきっかけを作ったのが、ポール・カーミジアンという人物なのだ。


趣味を仕事にした男

カーミジアンは新しいゲームに興味がない。遊ぶのはもっぱら古いアーケードゲームで、iPhoneは持っているものの、ゲームをダウンロードしたことは一度もない。

 「今のゲームはあまり好きじゃないんだ。最近はもっぱら『マッピー』で遊んでいる。あと、プレイステーション2でよく『ピットフォール』をやっているよ」

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 (「バーケード」の共同創業者、ポール・カーミジアン氏。後ろの壁に掛かっているのは「バーケード」のハイスコア表)

「昔の名作ばっかりやっているから、そのことでいろいろ言われるけど、今のゲームを遊んでみても、あまり面白く思えないんだ。あまりにもリアル過ぎていて」

 「リアルな遊びをしたいのなら、飼い犬の相手をするよ」

カーミジアンのレトロゲーム趣味は、もはや単なる好みの域を超えている。なにしろそれは、今では彼の天職になったのだ。

2004年、彼は友だちと共同で、ブルックリンに一軒のバーを構えた。アメリカ各地の地ビールと、初期のアーケードゲームを組み合わせた店だ。それから8年が経った今では、3つの店舗と50人の従業員を抱えるまでになった。(2013年にはマンハッタンに4号店がオープン)

今のゲーム会社はアーケードから離れる一方だが、それに逆行する形で、カーミジアンは全米に広がる新たな動きを作りあげた。バーとアーケードの組み合わせ、つまりバーケードだ。


思い出をつくる

カーミジアンが生まれ育ったのは、1980年代ニュージャージー州の郊外だった。近所にあったピザの店がアーケードを併設していて、そこでゲームに出会った。8歳の時だ。

彼が好んだのは、マンガっぽいゲームだった。「Qバート」に「ディグダグ」、そしてこのところのお気に入りである「マッピー」といった作品だ。

「キャラクターを使った、非現実的な世界を舞台にしたゲームが好きだった。シューティングもいろいろあったけど、そっちはさっぱりでね。ぼくにはどれも同じに見えたし、あまり入れ込んだりもしなかった」

「あの店には本当にいろんなゲームがあったんだ。『マリオ・ブラザーズ』に『パンチアウト』、『ガントレット』、『ドラゴンズ・レア』。新作がどんどん入ってきていた」

「『ドラゴンズ・レア』は出たばかりの頃にプレイしたけど、好きになれなかった。思うようにコントロールできなかったし、1プレイ50セントだったからね。当時のぼくにとっては大金だよ」

「うちの店だと、ゲームの品揃えが納得いくものになるまで2年くらいかかった。『ミズ・パックマン』『テトリス』『ギャラガ』『フロッガー』……どれをとっても、まさしく名作だよ」

カーミジアンの場合、ゲームへの関心は13歳の頃に薄れてしまった。

「他のことに興味が移ってしまったんだ。ベースボールカードとか、スポーツとか、音楽とか。ゲームへの興味が再燃したのは大人になってからだよ」

「新聞の売買欄で、ゲーム売りますって告知を見かけたんだ。アーケード版の『マッピー』が200ドル(2万円)とあって、そんな値段で買えるんだって驚いてしまった。置き場所はあったから、すぐに手を上げたよ。それから気がつくと、自宅に4台のゲーム機を構えていた。『ザクソン』に『テトリス』、それに『パックマン』だ」

当時の彼は、テレビや映画の仕事をしていたが、副業でバーを始めようと思っていた。

「同じような業界にいた、昔からの友だちが何人かいて、バーをやるっていうぼくの話にぜひとも加わりたいって言ってきたんだ」

「パーティとかでぼくのところに人が集まると、みんなゲームで遊ぶんだよ。それを見て、バーとアーケードを組み合わせるってアイデアを思いついたんだ。ぼくにとっては、まったく自然なことだった」

「場所をブルックリンにしたのは、ぼくたち全員が住んでいたからなんだ。近所の、それこそ歩いていけるくらいの所にしたかったんでね」

その友だちのひとりが思いついたのが、バーケードという名前だった。それは、めずらしいビールと80年代のゲームを揃えた店には、実にしっくりくるものに思えた。

それからみんなで、店に置くゲームを何にするか考えた。

「それぞれ、個人的に好きなゲームと、店に合いそうなゲームを考えて、リストにまとめたんだ。いろんな種類のものが揃っているようにしたかったからね。たとえば『パックマン』みたいな迷路ものとか、ドライブゲーム、それにマルチプレイヤーのゲームはあまり多くならないよう気をつけた」

アーケードに置くゲームを自分の好きなように選ぶ。それはまさしく、少年時代の夢が現実になったかのようだった。ただし、その夢には代償が伴った。かかった予算は25万ドル(2500万円)で、それぞれ生命保険とクレジットカードを担保に差し出した。

場所が決まると、みんなで内装工事をした。水まわりの配管と電気の配線だけは業者に頼んだが、あとはすべて自分たちで済ませた。だが問題は残った。肝心のゲームをどうやって調達すればいいのか分からなかったのだ。

今では、どの店舗にも40台くらいのゲームがあり、倉庫にはさらに100台ほどが確保されている。また欲しいゲームがあれば、たいていは入手できる。ところが、開店当時は経験もなく、ネットの売買サイトやオークションで筺体を買っていた。そういうルートでは値段も高く、品揃えも一定していないのだ。

「最初から欲しいゲームをすべて入手するってわけにはいかなかった。それでも、なかなかの品揃えになっていたとは思うよ」

「店を始めた後も、ゲームを買い足していった。それから台をあれこれ入れ替えては、うまくいく組み合わせを探った。納得のゆく状態になるまでには2年くらいかかったな」

適度なバランスを見極めるまでに時間はかかったものの、ひとたび方針が固まった後は、台を入れ替えることはほとんどなかった。今では入れ替えはせいぜい年に2回ほどで、それも一度に変えるのは多くて3台である。

2013年の時点での人気作は「ミズ・パックマン」「テトリス」「ギャラガ」「フロッガー」といったあたりだが、これはカーミジアンによれば、80年代NYのゲームセンターで人気のあったタイトルとまったく同じだという。


若い世代とレトロゲームをつなぐ

「バーケード」は、準備段階でこそいろいろあったものの、ひとたび店が始まると、すぐさま人気を呼ぶようになった。

「たちまち繁盛したのには驚いたよ。しかも客足が一向に衰えなかったんだ」

「ぼくらとしては、こういう店を楽しんでくれる人は大勢いるとは思っていたけど、たまに来る程度になっちゃうんじゃないかって心配があった。ところが、たちまち常連客がついたし、それもみんなとても熱心でね」

「バーケード」のゲームは、すべて1プレイ25セント(25円)である。これは開店当時から変わっていない。店の両端には両替機があり、10ドル紙幣を大量の25セント硬貨に換えてくれる。

「店にあるゲームのメンテナンスを頼んでいる人がいるんだけど、いつも文句を言われるよ。1プレイ1ドル(100円)にしろってね」

「こっちにしてみれば、1プレイが25セントでも50セントでも変わりはないんだ。なんとなく店にやってきて、ビールを飲んでいるような人が『ドンキーコング』をやったところで、せいぜい1分くらいしかもたないからね。あの手のゲームを延々と続けられる人はそんなにいないから」

あるいは子供の頃に、『ドラゴンズ・レア』の1プレイ50セントという料金を不愉快に思ったことが関係しているのかもしれない。

それにしても「バーケード」の客は何を目当てに来ているのだろう。ゲームなのか、それとも店の雰囲気なのだろうか。

カーミジアンが客を見ていて気付いたのは、「バーケード」で初めて、古いアーケードゲームを知ったという人が実に多いことだった。最初こそあっという間にゲームオーバーになってしまうのだが、その中から真剣に取り組む人が現れ、たちまち腕を上げていった。

「うちのお客さんには昔のアーケードゲームにこだわりのある人が多いし、店のハイスコア表にも、世界的なプレイヤーの名前が並んでたりするよ」

「ただその一方で、うちの店で初めて昔のゲームを知ったって人も多いんだ。通ってゲームをやるうちに、世界記録を打ち立てた人もいるくらいでね」

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(「バーケード」のハイスコア表。ここから数々の世界記録が生まれた)


あくまで初期のアーケードゲームにこだわる

若い世代のゲーマーこそ「バーケード」成功の秘訣だったが、彼らはまた店をおびやかす存在でもある。

ブルックリンで人気のバーということで、「バーケード」にはたくさんの若者がやってくる。だが彼らにとって80年代のアーケードゲームは、それこそ自分たちが生まれるはるか以前に作られたものであり、遠い昔の文化でしかない。実体験に基づくノスタルジアなど持ちようがないのだ。

「2004年に店を始めた頃は、置いてあるゲームの多くはせいぜい20年前の作品だった。でももう8年になるからね。お客さんも代替わりしているから、それに合わせてゲームも少し新しいものに変えている。90年代初頭の作品を入れるようになったんだ」

「今だと『ティーンエイジ・ミュータント・タートルズ』はすごい人気だね。みんなあれを熱心にプレイしている」

物価は上昇したが、1プレイの値段は据え置いた。そして、昔のアーケードゲームはしっかりとした収益を上げている。

それでもアーケードにとって、時間が最大の敵であることは変わらない。「バーケード」の場合は、いわばリバイバル人気だが、この原則はやはりあてはまるのだ。

「スペースインベーダー」や「パックマン」は、忘れられるどころか、今ではファッショナブルなものにすらなった。だがファッションとははかないものでもある。いったい「バーケード」のような業態は、いつまでもつのだろうか。

それは自分にも分からない、とカーミジアンは言う。

「うちの店が成功してから、アメリカのあちこちに似たような店ができた。今ではかなりの流行になっていて、とくにここ数年は目だっている」

「レトロゲームのアーケードにバーを併設するって店が本当に多いんだ。この形態ならうまく行くって思われてるみたいでね。それにしても、この動きがいったいいつまで続くのか、興味深いところだよ」

では「バーケード」自体はどうなるのだろう。今後も初期のアーケードゲームを中心にしたものであり続けるのだろうか。なにしろ、技術のたえまない進歩によって、「バーケード」は本当に時代遅れの存在になってしまうかもしれないのだ。

「新しい世代のゲームを入れたりはしているけど、それでも新しくなりすぎないように配慮はしているよ。そういう感じにはしたくないからね」

「レトロゲームの魅力は、確かにノスタルジアに基づくところもある。だけど、それに負けないくらいに、シンプルな良さがある。とにかくやみつきになってしまうし、実にこちらのやる気をかきたててくれるんだ」

「昔のゲームになじみのない若い人たちも、彼らなりの理由で、そういうゲームを楽しんでいる。それは確かだよ。そのことを考えると、若い世代にもアピールできるチャンスは十分あると思う」

「そもそも、ニューヨークにバーを開いて8年もったこと自体、思いがけないことなんだよ。誰にもそんなこと分かるわけがないからね」

確かなのは、ゲームはバーに対するかつての借りをようやく清算できたということだ。なにしろ20年を経てはじめて、ゲームのおかげで繁盛したバーが登場したのだから。



(ブルックリンの「バーケード」を紹介する動画。カーミジアン氏自ら、店の内部を案内してくれます)

Drink and Revive: The rise of Barcade by Simon Parkin - Polygon