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ウィザードリィのすぐれた点といえば、そのバランスの良さと、そしてシンプルであることに徹しているところでしょう。

ではなぜウィザードリィはそのようなゲームに仕上がったのか。そのあたりの事情について、共作者であるロバート・ウッドヘッド自身の証言がありました。今年の夏、海外サイトに掲載されたRPGの歴史に関する記事でウッドヘッド氏が答えているものなのですが、その中から興味深く思えたところを以下に抜き書きしてみました。


* * *

ウィザードリィが発売されたのは1981年秋のことだった。もっとも、その数か月前には同じくRPGの代表格であるウルティマが世に出ている。

ウルティマでは、屋外移動では見下ろし視点、ダンジョンでは一人称視点と複数の画面が使い分けられており、内容においても中世世界から宇宙空間、タイムトラベルと、ありとあらゆる要素が詰め込まれていた。もっとも最大の影響は作者リチャード・ギャリオットも熱中していたD&Dであったことは間違いない。そして、ウルティマとはまた違うアプローチを取ったのがウィザードリィだった。

ウィザードリィの作者であるロバート・ウッドヘッドとアンドルー・グリーンバーグが選んだのは、ダンジョン探検に的を絞るというものだった。

その画面は一人称視点のワイヤーフレームであり、ダンジョン以外にはただ町がひとつあるだけで、それもメニュー画面で利用できるにすぎない。その町では装備を購入したり、宿屋で休息したり、キャラクターのセーブをすることができる。もっともウルティマとは違い、町の住人との交流もなければ、宇宙空間に飛び出したりすることもない。あるのはダンジョンのみ。その10階建てのダンジョンには、さまざまなモンスターや仕掛けが、20x20の空間に配置されているのだ。


ウィザードリィの原点

ウィザードリィがウルティマともっとも異なっているのは、6人のキャラクターからなるパーティでプレイできることだろう。それぞれ異なる人種、属性、職業をもつプレイヤーを自由に組み合わせることができるのだ。これは今なおコンピュータRPGの根幹にある要素であり、ゲームの歴史においてウィザードリィがなしとげた最大の貢献といっていい。もっともそれは、作者ウッドヘッドに言わせれば、アップルⅡという機種の制約がもたらした苦肉の策だったという。

そもそもウッドヘッドが初めてコンピュータRPGに触れたのはPLATOというネットワークであり、それは多くの点でD&Dよりもウィザードリィに影響を与えた存在だった。ウッドヘッドは言う。

「PLATOは、知名度こそないけれど、コンピュータやゲームの世界に大きな影響をもたらした存在だった。いまのインターネットにある主な要素が備わっていたんだ。それも1970年から75年という時期にね」

PLATOはアメリカ各地の大学をつなぐネットワークで、その画面では512x512のグラフィック表示が可能だった。1970年代初頭にそのようなものを実現していたのである。

それは技術的にもまさしく時代の先をゆく存在だったが、機能面でもっとも重要なのはネットワーク接続だろう。

「端末はすべてつながっていたし、遅延も少なかったから、やがてユーザー同士のコミュニティができあがったんだ。そこには掲示板もあればチャットもあった。そしてゲームがあったんだ。PLATOのゲームはマルチプレイ対応で、いろんな地域のプレイヤーと一緒に遊ぶことができた」

そうしたゲームの中には、当時アメリカの大学で大流行していたD&Dを題材にしたものもあった。そうしたゲームにウッドヘッドもまた夢中になったが、その結果として決断を迫られることになった。

「2年生の時、大学から呼び出されて、休学を考えるように言われたんだ。成績がひどかったからね」

「とにかくD&Dに浸っていたせいでそんなことになったんだ。それからPLATOのダンジョン探検ゲームもかなり遊んでいた。それで、後になってアップルⅡでそういうゲームを作ろうとしたんだけど、やっぱり制約があるから、どう変えたらいいか考えないといけなくなった。なにしろ一人で遊べるようにしないといけないからね」

当初ウッドヘッドが使っていたのはTRS-80だった。まずリバーシなどの有名なミニゲームを移植し、そうしたプログラムを入れたカセットテープを売り出したところ、200本ほどさばくことができた。やがて機種をアップルⅡに乗り換えたところ、母親から仕事で使う在庫管理プログラムを作るよう頼まれた。

「それでアップル用のPascalを使うようになった。Pascalなら大学の授業で馴染みがあったからね。それで在庫管理のプログラムを作ったんだ」

母親のビジネスパートナーであった人物の息子から提案されて、そのプログラムを販売したところ、これも200本ほど売ることができた。

(この息子がノーマン・シロテックなる人物で、ウィザードリィの販売元であるサーテック社を創業した)

「誰が言い出したのか覚えていないんだけど、次はゲームを作って売ろうということになった。それで、どんなゲームを作ろうかって考えて、PLATOでよくやっていたゲームを参考にすることにした。エンパイアっていう名前の、宇宙を舞台にしたシミュレーションゲームだ。ただもちろんマルチプレイヤーのゲームだったから、アップルでは一人用ゲームにする必要があった」

そうして出来上がったのが、ギャラクティック・アタックというシミュレーションゲームだった。そして次には、いよいよRPGを作ろうということになった。もっともウッドヘッドにとっては、多人数でわいわいやるのがD&DやPLATOゲームの醍醐味であり、それを一人用ゲームで再現するにはどうすればいいかという課題があった。

「それで、とりあえずアップルでRPGを作り始めたんだ。パラディン(Paladin)という名前を付けてね」

ウッドヘッドの考えは、複数のキャラクターからなるパーティを操ることで、多人数プレイの感覚を再現するというものだった。このやり方では、プレイヤー同士のやり取りこそ不可能ではあるものの、複雑な戦闘が可能になるという利点があった。そしてゲーム自体は一人用だったが、それを作るのは共同作業で行なっていた。

「アンディ・グリーンバーグは大学時代の友達なんだ。彼もPLATOで遊んでいて、ぼくと同じように、D&DみたいなゲームをアップルⅡで作ろうとしていた」

「ぼくたちはゲーム作りについて話し合うようになった。それで分かったことなんだけど、彼の方がぼくよりもずっと先に進んでいたんだ。すでにBASICでゲームを作っていて、それにはウィザードリィの基本的な要素が備わっていた。そして何より重要なのは、ウィザードリィという名前をすでに思いついていたってことだ」

「彼は他にも重要な貢献をしていてね。たとえば、ゲーム好きの友人たちに自分の作品を遊ばせて、改良点をいろいろ聞き出していたんだ」

こうして彼らは、コンピュータでRPGを作るという冒険に乗り出していった。その作品はやがて、ゲーム史に残る傑作となったのである。


リソースの問題

ウィザードリィという作品の概要を見れば、それがとうてい何百時間もかかるようなゲームには思えないだろう。町が1つにダンジョンが1つ。ダンジョンは10階で、各階の広さは20x20。そんな程度の規模しかないゲームをクリアするのに、いったいどれくらいの時間がかかると思われるだろうか。

ところが、これがかなりの時間がかかってしまうのである。まず理由のひとつに、ゲームの動作が遅いことがあった。高級言語で書かれていたため、どうしても遅くなってしまうのだ。もっとも、そのことを別にしても、ウィザードリィというゲームはじつに複雑なものだった。各プレイヤーの能力値、ダンジョンの構成、モンスターのアルゴリズムといった要素が詰まっており、それこそアップルⅡを限界まで使い切るようなものだったのだ。

「もう本当に、アップルⅡをぎりぎりまで酷使していたんだ。フロッピーディスクもたびたび入れ替えないといけなかった。ありとあらゆる細かなテクニックを駆使したよ」

もっとも、そうやって実現できた要素は、今なおゲームの世界で使われていたりする。たとえば真女神転生や世界樹の迷宮のようなダンジョン探検型のゲームは、明らかにウィザードリィの影響下にある。だがそうした要素の多くは意図的なものではなく、アップルⅡという機種の制約を乗り越えるために考えられたものなのだ。

たとえばウィザードリィでは、セーブは町でしかできない。それは選択の結果ではなく、そうする以外にないからそうなっただけのことなのだ。

「どうしてセーブするのに町に戻らないといけないかっていうと、他の場所ではセーブ機能を実装するだけの余裕がなかったからなんだ」

「町からダンジョンに入ると、もうその時点でメモリにある町のデータにダンジョンのデータが上書きされる。ダンジョンで戦闘になると、今度はダンジョン移動のコードが戦闘処理のコードに置き換わる。そんな調子だから、ひっきりなしにディスクにアクセスしないといけない」

「ディスクの容量も、ほんとうにぎりぎりまで使った。いっさい空きはなかった。最終的には、あと1行コードが増えるだけで、ゲーム全体が動かなくなるところまで行ったよ」

「なんでダンジョンが10階あるかっていうのも、それくらいの規模が精一杯だったからなんだ」

ウィザードリィでは、呪文の綴りもいくつかの要素を組み合わせて作るというやり方になっているが、これも後につづく作品に踏襲されている。もっともこれも、少ない容量で多くの呪文名を使えるようにするための策だった。それが今なお、ダンジョンRPGにとどまらず、ゲーム一般で使われているのだ。1981年のゲームが苦し紛れにやったことが業界標準になってしまったのである。

「リソースの問題だよ。なにかと制約のある環境だと、ゲームのシステムにおいて一番重要な要素は何かってことを考えざるを得ない。そして、何をごまかせるかを考えざるを得ない。そうでもしないと実現できないことがいろいろあるからね」


親でも友だちでもない

ウィザードリィにおいて、作り手はごまかしを働いた。ただし、だからといって遊ぶ側はそうはいかない。ウィザードリィはプレイヤーに対して、多くの時間と気力を要求してくるのだ。

プレイヤーはウィザードリィの攻略にかなりの苦労を強いられることになるが、その多くはダンジョンのつくりが徹底していることによる。

ダンジョン探検はすべて一人称視点であるため、プレイヤーは移動をいちいち記録しておかないといけない。オートマップ機能など1981年には存在していなかった。たとえウッドヘッドたちが思いついたとしても、それを実装できるような余裕はディスクに残っていなかったのだ。

マッピングでは鉛筆と方眼紙を使い、ダンジョンを一歩一歩進むたびに手で書きとめていく。それをしなければ、パーティが町にもどってセーブする前に、戦闘であえなく倒されてしまうだろう。このマッピングという作業は今なお残る伝統であり、たとえば世界樹の迷宮では方眼紙を模した画面に書き込む機能がある。

マッピングは言うほどたやすいものではない。なにしろプレイヤーをあざむくために、ウィザードリィはいろんな手を繰り出してくるのだ。ダンジョンもすこし進んだ階になると、さっそく嫌らしい仕掛けが出てくる。パーティを別の場所に転送してしまうテレポーターや、向きを勝手に変えてしまうスピナーなどである。こうしたものに位置を変えられてしまっても、当初はそうと気付かなかったりする。なにしろ画面そのものは単なる線画なのだ。呪文を使えば居場所を探り出すことはできるが、要するにそういうゲームなのである。

つまりウィザードリィは親でも友だちでもない。とうてい甘やかしてくれる相手ではないのだ。

ウッドヘッド自身も、できることならもっと難しくしたかったくらいだという。

「ウィザードリィを楽しんだっていう人たちと話をしていると、きまって出てくるのが、いかに苦労させられたかってことなんだ。大きな成果をあげて、意気揚々と引き上げていると、あともう少しで出口というところで戦闘になって苦しんだ、みたいなことだね」

「そんな話を聞かされると、もう少し難しくしておけばよかった、敵との遭遇率を上げておけばよかったって思うよ。つまり、そういう風になっているからこそ、遊ぶ側も感情をおおいに揺さぶられるんだ」

だが、それほどまでに苦労させられても、人々はウィザードリィに取り組んだ。ウィザードリィほど巨大で、個性があり、やりがいのあるゲームは他に存在しなかったのだ。

ストーリーの要素こそ皆無に等しいものの、当時のパソコンで遊べるゲームとしては、ウィザードリィほどRPGを的確に表現した作品はなかった。それはあたかも、手厳しいゲームマスターが仕切る、D&Dの宝探しキャンペーンのようだった。万人受けするものではないにせよ、当時ウィザードリィはまさしく唯一無二の存在だったのである。


感情移入のできるRPG

ウィザードリィは戦闘や探検に的を絞ったタイプのRPGとしても先駆けとなるものだった。もっとも皮肉なことに、今のRPGゲーマーはウィザードリィをまったくのRPGとは認めない傾向にある。というのも、ウィザードリィは物語要素が薄く、キャラクターの成長が存分に描かれるわけでもないからだ。

ウィザードリィでは6人編成のパーティはひたすら戦闘を繰り返すだけである。だがそれもまた必要に迫られてのことであり、作り手自身がそれに納得していたわけでもなかった。ウッドヘッドは言う。

「われわれとしては、もっとストーリーの要素を入れたい気持ちはあったんだ」

「わたしはウィザードリィの4まで関わっていたけれども、続編を作るたびにストーリーの要素が増えていった。だからこそ4では敵と味方が逆転したりしていたんだ。プレイヤーは敵側に回って、しかも謎解きの要素が中心になった。あれもまたストーリー要素を重視した結果だったんだ」

「わたしとしては、RPGはプレイヤーの感情を揺さぶるものであってほしいと思う。だからこそ、ゲームで使うキャラクターに感情移入できるようになっていないといけない。本当に面白いゲームにはそういう要素が入っていると思うよ」

「思い入れの持てるキャラクターを使って、ゲーム内の物語をたどっていく。その過程ではいろいろと意思決定を行うこともある。こういう時自分だったらどうするだろうって考えることができるんだ。一種の投影行為だね」

「そういう要素をうまく処理しているものこそ、本当にすぐれたゲームだと思う。RPGだと、わたしが気に入る作品はきまって、思い出深い旅をしているって感覚を与えてくれるものなんだ」

ただ遊ぶだけで、感情移入できるような体験をもたらしてくれるRPG。そういうものが実現できることを示してみせたのが、まさしくウィザードリィだった。

ウィザードリィではゲーム内でキャラクターについてあれこれ文章で説明されるわけではない。だが、だからといってプレイヤーがパーティに思い入れを持てないかといったら、そんなことはないのだ。


常に謙虚であれ

ウィザードリィはRPGという分野に多大な影響をもたらした。だが作者であるウッドヘッド自身は、自らの功績に対して謙遜してみせる。ウィザードリィの成功は、多くの点で幸運がもたらした結果だというのだ。

「たいていの人はそうと認めないけれども、実際のところ、成功したことの大半は、その時たまたまそうした方がいいと思ったからってだけのことにすぎない」

「われわれはみんな知識を身に付けている。わたしもアンディも、たくさんのすぐれたゲームを遊んできたんだ。それこそボードゲームもコンピュータゲームもね。それでパソコンっていう新しい道具が出てきたから、そいつで何か面白いものを作ろうってことになった」

「いろいろ制約はあるにせよ、しだいにそれも変わっていく。作る側としては、その時に使えるものでどうするか考えることになる」

「その意味では、誰が作るどんな作品も、一本の鎖にある一点にすぎないんだ。それはとても長い鎖で、先をたどるとD&Dがあり、ボードゲームがある。さらにその先には指輪物語やナルニア国があるんだ」

ウィザードリィもまた過去のゲームに学んできた。単にD&Dだけでなく、ウォーゲームも参考にしている。

「たとえば戦闘で2列になって戦う場合、後列のキャラクターはいくらか防御されることになるけど、直接攻撃することもできなくなる。これはウォーゲームだと、ごく普通のルールなんだ」

だが大半は、その場の思いつきで決めていったという。

「われわれは自分たちが何をやっているのか分かっていなかったんだ。そもそも参考になるような前例もなかった。われわれがウィザードリィでやったこと、リチャード・ギャリオットがアカラベスやウルティマでやったことは、みんな思いつくまま、手さぐりでやってきたことの結果なんだよ」

「あの頃は多くの人がウィザードリィやウルティマみたいなゲームを作ろうとしていたんだ。われわれはただ運に恵まれただけでね」

「わたしとしては、人生における成功体験について口にするなら、ある程度の謙虚さをもって語らないといけないと思うんだ」


RPGの日本伝来

ウィザードリィとウルティマにはひとつの共通点がある。いずれも20年ほど前に終わってしまったということだ。

ウルティマの場合は発売元だったEAの失策により、1999年のウルティマ9で終わってしまった。ウィザードリィも2001年のウィザードリィ8が最後の作品となった。

ウィザードリィの権利そのものはいくつかの日本企業の間を転々としているらしく、そうした会社によって2001年以降もウィザードリィというシリーズは形式上では存続している。だがウィザードリィの名前で登場したいくつものゲームはみなこれといった成果を出せないまま終わった。

ウィザードリィが日本で続いているのはおそらく偶然ではない。日本のRPGファンは、一人称視点のダンジョンRPGというジャンルを他の誰よりも支えてきた。一方でアメリカでは、より自由度の高いElder ScrollsやFalloutといった、さらに進化した形のRPGへと移行している。

日本におけるウィザードリィ人気は、80年代の初頭から半ばにまで遡ることができる。それはまた、ウィザードリィがもっとも強い影響を示した時代でもあった。日本向けに作られた最初のすぐれたRPGといえるブラックオニキスは、それこそウィザードリィのクローンである。一方でファイナルファンタジーやドラゴンクエスト、不思議のダンジョンといった作品はどれもウィザードリィの強い影響下にあった。ウィザードリィはある意味、JRPGの一般的な形式に組み込まれているのだ。

一方でウッドヘッド自身も日本との関わりを深めていった。現在の彼はAnimEigoという会社を経営しており、日本のアニメをアメリカに輸出する仕事をしている。一方で彼は、どうしてウィザードリィが日本でいまだに根強い人気を保っているのか、うまく説明できないという。

「ウィザードリィとウルティマに関しては、先駆者としての特権があるとはいえる。つまり、このふたつが最初に日本に伝わったRPGだったってことでね」

「D&DみたいなTRPGは、やっぱり言葉によるところが大きいから、そう簡単に外国に持ち込めるものじゃない。それに日本にはPLATOもなかった。アメリカのパソコン業界にあったリソースの多くを、日本のパソコン業界は持っていなかったんだ」

その結果、日本におけるRPGの伝来に、ウィザードリィが大きな役割を果たすことになった。

「いってみればタマゴが先か、ニワトリが先か、みたいな問題だよ。ウィザードリィは日本人に受けるものだったのかもしれない。あるいは、たまたまウィザードリィが日本に初めて伝わったRPGだったから、日本人はみんなRPGはこういうものだって思ったのかもしれない」

「これはもう、答えの出しようがないたぐいの問題でね。おそらく、当時日本にいた誰かがウィザードリィを知って輸入して、周囲に広めてくれた、みたいなことじゃないかな。それが誰なのか分からないけど、わたしとしてはその人に感謝したいね」

「ただ言えることは、日本におけるウィザードリィの成功について、その功績の大半はフォアチューンって会社の人たちにある。彼らが日本で最初にウィザードリィを移植したんだ。そもそも、わたしが日本に行くようになったきっかけも、その移植を手伝うためだった」

ウッドヘッドは、ウィザードリィのもっとも出来の良いバージョンも日本産だという。

「個人的には、いちばん出来のいいウィザードリィはファミコン版だと思う。あのゲームを小さなカートリッジに収めただけでも大したものだし、グラフィックの出来が実にすばらしいんだ。日本の人たちはとてもいい仕事をしてくれた。本当に感心してしまったよ」

今となってはウィザードリィという名前は、日本で作られる低予算のマイナーなゲーム群として現れるのがせいぜいのところだろう。だがそれでいいのかもしれない。TRPGにある無慈悲な一面をうまくコンピュータゲームにしてみせたのがウィザードリィという作品だった。そのウィザードリィがもたらした多大な影響は今なお続いている。それこそ、世界樹の迷宮のような作品をプレイするたびに感じられることなのだ。

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ウッドヘッド氏はウィザードリィの開発において、とにかくリソース不足に悩まされたと語っています。これはひとえに、高級言語を使ったことが大きいといえます。容量も速度も、普通にアセンブリ言語を使っていれば大幅に改善されたことでしょう。

もっとも仮にそうした場合、どこでもセーブできて、ほうぼうに町があり、ダンジョンが100階あるウィザードリィになっていたかもしれません。

それはそれで面白いかもしれませんが、そんなものが果して今なお語り継がれるような名作になったかといえば、疑わしい気がします。冒頭にも書きましたが、必要最小限に刈り込んだ、シンプルさに徹した結果としての良さが、ウィザードリィには確かにあるからです。

さらに、ウィザードリィ以降のRPGはどんどん巨大に複雑になり、そのことを競うような風潮まで出てきました。おかげでバランス重視というウィザードリィの利点がますます際立つことにもなりました。

ただしそれはあえてそうしたのではなく、むしろまったく逆で、必要に迫られての選択だったにすぎないと、作者のウッドヘッド氏は言います。

ウッドヘッド氏が、自らの功績について常に謙虚なのも、こうした事情が関係しているかもしれません。自らの選択の結果つかんだ成功ではなく、苦し紛れの方策が呼び込んだ成果だと思っているとしたら、自分の手柄だと大手を振っていいにくい、そんな感覚はあるように思えるのです。

必然だったのか、単なる僥倖だったのか。いずれにしても、ウィザードリィがじつに望ましい形で日本に伝わり、その結果として日本のゲームが大いに発展したのは事実であり、それは本当に幸運なことだったというほかありません。


関連エントリ

1982年のアメリカに吹き荒れたウィザードリィ旋風と、その様子を伝える当時の雑誌記事


How Wizardry Cast Story Aside in Favor of Casting Spells - USGamer