garriott

ゲームの長い歴史において、ウルティマの作者、リチャード・ギャリオットほど数多くのエピソードに彩られた人物もいないでしょう。

それこそゲーム業界の黎明期からヒット作を出し続け、今に至るまで第一線で活躍している一方、私生活では冒険家として深海や密林を探検し、ついには宇宙旅行まで実現させています。

また、そのキャリアにおいて何度か大きな賭けに出て、それに成功させているという意味では、スティーブ・ジョブズに通じるところがあるようにも感じられます。

ロバート・ウッドヘッドは成功に対して謙虚であることを心がけていると語っていましたが、さしずめリチャード・ギャリオットはその正反対といえます。もっともそれも無理もない話で、危うい時期にも自分を信じることで状況を打ち破り、成果を上げてきた、そんな人物なのです。

ギャリオットは2017年に自伝を出しているのですが、それに関連して同じ年にスペインで開催されたイベントに登場し、それまでの足跡を振り返るインタビューを公開で実施しています。以下にその内容をまとめてみました。

* * *

あなたは80年代というとても早い時期にゲーム開発を始められていますね。

いま思うと、本当についていた。ゲーム業界はできたばかりで、ぼくも若かったからね。

ゲームを作り始めたのは高校生の時で、パソコン自体が初めて出てきた頃だった。最初はテレタイプ端末を使っていた。音響カプラで、電話回線を通じてメインフレームにつながっていて、それで何作かゲームを作ったんだ。とても原始的だけれども、すでにウルティマの要素が感じられるものになっていた。

初めてゲームを世に出したのは19歳の時だ。そんなことをしている人はごくわずかだった。でもしだいに、たくさんの若者がゲーム開発に手を染めるようになっていった。当時の業界には年長者がほとんどいなかったから、ぼくなんてまだ21とか22歳の頃からそういう扱いになってしまって、以来ずっとそうなんだ。

ゲーム作りを始めるには本当にすばらしい時代だった。どんなジャンルも約束事も、何だって自分たちで作ることができたからね。そうしたことが今の大元になったわけだ。


これまでいろいろ浮き沈みもあったと思うのですが。

ゲーム作りを始めて40年になるけど、幸いにも何度かとてもいい思いをさせてもらったよ。

いろんな作品を作ったけど、その中でも個人的に気に入っているものをあげるなら、ウルティマ4、ウルティマ7、それからウルティマ・オンラインだね。

シリーズの人気作ってことでも、やっぱりこの3つを挙げる人が多いんじゃないかな。でもこの3作とも、作り始めた時には周りを説得するのが大変だった。きっといい作品になるって思っても、なかなか分かってもらえなくてね。ぼくは時代の流れに逆らうようなところがあった。周囲のアドバイスをはねのけて、まったく逆のことをやったりしたよ。

ウルティマ3は、自分でつくった会社で出した最初の作品だった。経営は兄にやってもらって、ぼくはゲームを作るってことにしてね。それでファンレターを直接受け取れるようになったんだけど、おかげで皆がぼくのゲームをどんなふうに遊んでいるのかわかった。そこにはこんなことが書いてあったんだ。

「悪の親玉をやっつけるのもいいですけど、いちばん面白いのはゲームの登場人物を殺したり、商店を襲って略奪することです」

つまり、ゲームの仕組みを逆手に取って、ひたすら能力値を上げ、好き放題やるのが楽しいと思われていたんだ。

それを知って思ったよ。これが勇者のやることだろうかって。嘘をつき、人をだまし、盗みをはたらいている。

こんなことはやめさせないといけない。

そして、たとえゲームであっても、成功するには徳を高めなければいけない。そんな風にしようと思ったんだ。

それで思いついたのが、アバタールだった。宗教思想が元なんだけどね。それからカルマの要素も取り入れた。

だけど兄も両親も、それに大反対したんだよ。せっかく世間がぼくのゲームを気に入ってくれているのに、ぼくときたら、その喜んでもらっている部分を変えるって言い出したんだからね。ところが、そうやってできたウルティマ4は最高の売れ行きを記録したんだ。


プレイヤーに倫理感を求めるようになったわけですね。

そう。つまりぼくは、コンピュータRPGの世界に倫理観を持ち込んだことになる。あの時は、倫理学についてずいぶん調べたりしたよ。

ゲームでは、プレイヤーが道徳に反した行動をとるように誘いこみつつ、裏ではカルマをきちんと記録していた。

たとえばプレイヤーが誰かに対して嘘をついたり、だましたり、盗みを働いたりしたとしよう。もしかするとその相手は、後になって協力してもらわなければいけない存在かもしれない。だけど、ひどいふるまいをしていれば、後になって協力を断られてしまうかもしれない。お前のようなろくでもない人間をなんで手助けしないといけないんだ、なんて言われてね。

これはじつにうまくいった。RPGのあり方を一変させてしまったくらいにね。


そのようなことが出来たのだから、あなたはきっと多彩な才能に恵まれているのでしょうね。

ぼくは学歴も大学中退だし、小学校から高校まで、成績もたいしたことはなかった。理科は得意だったけど、国語とか歴史、倫理みたいな科目はごく平凡な出来だったよ。

ただ実際に必要だってなったら話は別でね。たとえば、ゲームに必要だからってことで、倫理学を勉強しないといけなくなったら、いろんな本を読んで、知識をせっせと仕込んでいく。どんなゲームでも新しく身に付けないといけないことが出てくるけど、その度にがんばって勉強するんだ。そうやって徹底的に対象を消化しておけば、それを土台にして、個性的な作品が作れるようになる。


影響ということでは、トールキンの小説はあなたの作品における基礎になっているのではないかと思うのですが。

まったくその通りだね。ぼく自身、トールキン風のゲームを手がけているゲーム作家だと思っているし。

ぼくがトールキンの小説を読むようになってすぐに気づいたのは、彼の小説で描かれている世界がとてつもなく深いってことだった。世界が何層ものレベルで構築されているんだけど、そういう舞台を前もって作っておいてから、登場人物を活躍させていたんだ。そのことには本当に感心してしまったよ。

ホビットの冒険、指輪物語、シルマリルの物語と読み進めて、それ以外の未完結作もすべて読んだ。トールキンが大きな影響を受けたカレワラっていうフィンランドの古典文学があるんだけど、それも英訳で読んだ。そうすることで追体験できたんだ。つまり、作品世界をあらかじめ入念に構築しておくことで、そこで展開するストーリーにも文脈とか深みを持たせることができるってことをね。


あなたの本に出ているトールキンの言葉にとても興味深いものがありました。作品世界における言語も独自に作っておけば、その作業から物語を作り出すことができる、というものでしたが、それはまさしくあなたがゲーム作りでやってきたことですね。

ウルティマには布製のマップが付いてくるけど、そこには謎めいた文字が記されている。それもトールキンがやったことでね。あれは実際には解読するのは簡単なんだ。ルーン文字を使っているだけで、書いてあることは普通の英語だから。つまり、単なるでたらめじゃない。ちゃんとしたことが記されている。そして、いずれはそのことに気付く。そこが重要なんだ。

トールキンはルーン文字を調べたけど、ぼくも同じことをやって、ウルティマに取り入れた。今でも言語についてはいろいろ調べているんだ。表意文字とか音標文字とかね。そうすることで、ゲームにおける言葉の使い方をもっと良いものに出来るんじゃないかと思ってのことなんだけども。

たとえば、ルーン文字は英語にはとても使いやすい。でも日本語にはまったく合わない。アルファベットをルーン文字に置き換えているだけで、中身は英語のままなら、文字を復元したところで、英語以外の言語圏だと、その地域の言語にさらに翻訳しないといけなくなる。アメリカ人にとっては簡単なことが、それ以外の国の人たちにとっては、余計な負担になってしまうんだ。

それを解決しようと思ったら、世界共通の言語を作るしかない。ゲーム世界を作るうえで、謎めいたところと深みをもたらしてくれて、なおかつ容易に理解できる、そんな共通言語を作ること。それはぼくが長年あたためているアイデアなんだ。


お兄さんとはずいぶん長い間ご一緒に仕事されてきましたね。ビジネスマンであるお兄さんは、あなたのやっていることに苦言を呈したりしたのではないですか。

まさにその通りでね。ゲーム作りを仕事にしていると、どうしても避けられないことがある。

作家なら誰でも素晴らしい作品を作りたいという気持ちがあるし、それ自体は時間や予算、費用対効果みたいな制約に左右されることもない。

ただ仕事となるとそうはいかない。あらかじめ計画を立て、予算を確保し、それが尽きる前に作品を完成させ、しかもそれなりの利益が出るような内容にしないといけない。そうすることで初めて、ゲーム作りを続けていけるんだ。

このふたつの面について、何とかして折り合いを付けないといけない。こういう問題はゲームに限らず、どんな創作活動にもついてまわることだけどね。

兄はもう引退しているけど、35年も一緒に仕事してきた。そのおかげでいろいろ適切な決断を下すことができたと思う。


ウルティマ5の制作では、ほとんど廃業に追い込まれるところだったそうですね。

浮き沈みってことだと、物事がうまくいかない時期にこそ、大切な教訓が得られたリするんだ。

ぼくにとって、いちばん最初に思い入れを持てた機種はアップルⅡだった。だから、初期のウルティマはすべてアップルで開発してきたんだ。他の機種が出てきても、まずはアップルと比べてどうなのかって考え方をしていた。

IBM-PCが登場した時、処理速度やメモリ容量なんかはすこしましという程度で、これといって魅力を感じなかったんだ。DOSも分かりにくいしね。それで、やっぱりアップルだなって思ってしまった。

当時作っていたウルティマ5も、それまでと同じようにアップルで開発していた。その頃ぼくの会社ではほかにもゲームを作っていたけど、それらも全部アップルで作っていて、他の機種にはその後で移植するという感じだった。

ところが、ウルティマ5の開発がちょうど半分くらい進んだところで、アップルのゲーム市場が完全にダメになってしまったんだ。

ウルティマ以外にも3、4作のゲームを同じようにアップルで作っていた。ところがPCゲームの市場は完全にIBM-PCに移っていた。でも社内にはIBM-PCを使えるプログラマはいない。ぼくたちは、すでに消えてしまった市場に向けてゲームを何作か出す羽目に陥っていたんだ。そのままなら廃業するしかない。

なんとかしてIBM-PCで開発できるようにならないといけなかった。何人か新人を入れて、ゲームの発売日を遅らせた。それから計算もしたよ。この年の期末にはこれこれいくらの収益が見込めるから、それで半年はもつ、みたいなね。逆にいえば、その程度しかもたないってことだ。銀行からの借り入れも考えたけど、必要な額にはなりそうもなかった。ぼくはテキサスに家を建てたばかりで、そのローンもまるまる残っていた。ウルティマ5を完成させるまでのつなぎ資金を確保するために、その家も抵当に入れないといけなかった。兄もぼくも、個人でそろって何百万ドルもの借金を抱えてしまったんだ。

もしウルティマ5の発売が予定に間に合わなかったら、あるいは予定に間に合っても売れなかったら、ぼくたちは廃業に追い込まれただろうし、それまでぼくが業界で築いてきた評価も台無しになる。おまけに借金まみれの身になってしまう。そういえば、発売日を何がなんでも守らないといけないって思った作品はウルティマ5だけなんだけど、そうなったのも、大きなプレッシャーがあったからなんだ。


あなたにはいつも、何かしら新しいものを作りたいという意思が感じられます。

そうだね。これまでの経歴を考えてみると、それこそ最初から、とにかく新しいものを作り出そうとしていたことが成功につながったと思う。

作品をつくるたびにたくさんのことを学ぶけど、その次の作品に取りかかる時には、何もかもまた一から作ってきた。コードもグラフィックもすべて捨てて、新しく作り直すんだ。そうすることで、前作をはっきり超えたものを作ろうとしていた。別に売ることを考えてそうしていたわけじゃない。前のものを使い回すのは納得が行かなかったからなんだ。

当時、ウルティマと競合していた作品がいろいろあった。ウィザードリィがあったし、その後でバーズテイルやマイト・アンド・マジックが出てきた。ただウルティマは、新しくなるたびに大きく違うものになっていたんだ。世界の規模がそれこそ2倍くらいになったり、BASICからアセンブリ言語になったり、ディスクの枚数が増えたり。前作と違うっていうことが目に見えて分かるものになっていた。

売れ行きってことだと、他の作品に抜かれてしまうことも多かった。だけどそうやって売れたゲームも、いざ続編が出ると、たいして変わり映えがしないんだ。グラフィックが細かくなって、モンスターの数が増えて、シナリオが新しくなったりはしていても、技術的にはほとんど同じだった。つまり、前作を気に入った人たちに向けて、その類似品を売りつけるようなことをやっているケースが多かったんだ。

ぼくの作品はそうじゃない。毎回大きく違っていたからね。だから、新作が出るたびに規模が大きくなったし、ファンもどんどん増えていった。最初はたまたまそうなっただけだったんだけど、やがて新作をやるたびに完全に作り直すってことが方針になったんだ。


今だとUbisoftが似たようなことをやっていますね。新しい機種が出ると、それに合わせてヒット作の続編を出すことで、大きな収益を見込んでいる。

ぼくの考えとしては、新しいプラットフォームが出てきた時こそ、新しいIPを打ち出すべきだと思う。

ウルティマやウィザードリィ、マイト・アンド・マジックみたいな作品が出てきた時は、まだその機種(アップルⅡ)も古くなってはいなかった。

だけど、市場が成熟してしまうと、今度は逆の問題が出てくる。ウルティマやウィザードリィ、マイト・アンド・マジック、バーズテイルみたいなソフトがそろってしまうと、もうその機種でまったく新しいRPGを出したところで、売るのは難しい。

そういう状態になると、ゲーム会社が次に手を出すのはタイアップなんだ。ロード・オブ・ザ・リングとかスターウォーズみたいな名作をゲーム化することで、なんとか状況を打開しようとするわけ。それにしたって、IP自体の権利はゲーム会社にはない。でもゲームをたくさん売るにはそれくらいしか方法がないんだ。

もっとも真の作家なら、誰だってIPそのものを作りたいと思うだろう。自分で作ったIPなら、権利だって自分のものだしね。そして、新しいIPを打ち出すべきなのは、新しいプラットフォームが登場した時なんだ。そういうプラットフォームなら、すでに定評ある作品がそろっているわけじゃないからね。

プラットフォームっていうのは出てきたり消えたりを繰り返す。だから、うまく時期を見極めることで、状況を味方につけることができるんだ。


あなたは会社をつくっては売却することを繰り返してきましたが、ベテランのゲーム作家にはそういうサイクルがあるように思えるんです。会社を作って、ヒット作を出してから、またインディーズに戻るというような。

この業界に長くいて面白いのは、永遠に繰り返されるようなサイクルがあると思えることなんだ。

最初ゲームソフトが出てきた頃は、パッケージに入れられて、小売店で販売されていた。その頃は小さなソフトハウスが無数にあったけど、ぼくの会社はトップ10には入っていた。たいていは10番目なんだけど、それでも誇らしいことだった。会社としては、とてもうまくいっていたんだ。いいゲームをたくさん作ったし、たくさん儲けることだってできた。

だけど、そうやって店でゲームソフトを売っていた頃、小売業が成熟するにつれて、状況が変わっていった。ウォルマートやターゲットみたいな大手チェーン店の仕入れ担当者は、小さなソフトハウスや流通業者を相手にしないようになった。ごく少数の大手からのみソフトを仕入れるようになったんだ。

たとえばそういう大手の店がぼくの会社からソフトを仕入れようとする時に、まず確認してくるのは在庫の調整ができるかどうかなんだ。つまり、売れ残りが出たら、そいつを返品して、別の作品をよこしてほしいっていうわけ。

おかげで、ソフト会社あたりの棚のスペースがどんどん小さくなっていった。それこそ、金を出して店の陳列スペースを買っているようなものでね。上位5社に入っていなければ、せっかく作ったソフトだって、店の目立つところに置いてもらえない。流通経路が成熟したことで、上位5社以外の製品ははじかれるような状態になってしまったんだ。

ネット配信が始まると、みんながこう思うようになった。もう棚のことなんて気にしなくていいんだ、ってね。だけどそれも成熟するにつれ、同じ問題が起こった。毎日数百もの新しいゲームが出るようになったからね。

確かにゲームを出すのは簡単になった。常に買える状態にしておけるようにもなった。だけど、そうやって出したゲームに気付いてもらえるかどうかは、また別の問題なんだ。

こうなると、知ってもらうには、似たような他の作品と関連づけて陳列してもらうしかない。でもそれって実質的には、棚のスペース問題と同じことなんだ。

新しいプラットフォームが出てくるたびに、また同じサイクルが始まる。それはまた、新しいIPを打ち出すだけでなく、新しい会社を作るのにも格好のタイミングなんだ。

ぼくの会社がEAにウルティマ・オンラインの企画を出した時、EAは評価しなかった。課金制なんて冗談じゃないと思われていた。だけど、ブリザードみたいな会社は急成長することができた。やがてオンラインゲームの市場も成熟化したけど、EAはみすみす大きな機会を逃したことになる。

そんなわけで、新しいプラットフォームや流通経路が登場した時こそ、新しいIPを打ち出したり、会社を作ったりするチャンスなんだ。既存の大手はそのチャンスに気付いていなかったり、気付いていてもすぐに対応できなかったりするからね。


あなたがかつて手がけていたタブラ・ラサという作品ですが、今から見てどう思われますか。

さっき好きな作品はウルティマ4、ウルティマ7、それにウルティマ・オンラインだって話をしたけど、この3作とも共通しているのは、ぼくたち制作側には確信があったし、結局はこっちの思う通りになったってことだ。

一方でとりわけ開発に難航したのがウルティマ8と、それからタブラ・ラサなんだ。どちらの場合も、似た問題を抱えていた。要するに、ぼくたち制作側と、販売元との間で大きな意見の対立があったんだ。

それはべつにめずらしいことじゃなくてね。ぼく自身もそういうことは何度も体験してきた。だけどこの2作については、こっちが販売元の意見に従ってしまったんだ。

ウルティマ8はぼくの会社がEAの傘下に入って制作した最初の作品だった。実際にはEA傘下で最初に出したのはウルティマ7だったんだけど、あの作品は傘下に入った頃にはもうほとんど完成していたからね。

EAはとにかく発売予定を守るように言ってきた。それはどうしてかっていうと、当時のEAは人気スポーツのゲームを出していて、そういうゲームだと対象となるスポーツのシーズン開幕にあわせて新作を出すのが通例になっていたんだ。

たとえ出来に納得していなくても、発売予定を優先することが重要だというのがEAの考えだった。何しろこちらは子会社だったから、それに従うしかなかった。

先方が出してきた発売予定に同意して、間に合わせるためにゲームの内容を削ったりした。それが失敗だった。ゲームが完成していない状態で発売されてしまったんだ。バグもあったし、調整も行き届いていなかった。タブラ・ラサも制作中に販売元からあれこれ言われて、どうすればいいか分からなくなってしまった。

最終的にはウルティマ8もタブラ・ラサも納得のゆく状態まで仕上げることはできたし、そうして出来上がったものには満足している。だけど、そうなった頃には手遅れで、すっかり売りどきを逃してしまったんだ。

この2作からどんな教訓を引き出せるかぼく自身よく分からない。だけども、当初から明確でしっかりしたビジョンを持ち、それを失わないまま完成までもっていくことが重要だとは思う。自分で迷いが生じたり、販売元によって迷わされるようなことになれば、それは危機のしるしだと思うよ。


そしてあなたはまたインディーズに戻ったわけですね。そして今度はキックスターターみたいなものまで出てきた。

インディーズから会社を作って、大手の傘下に入るっていうサイクルを2回体験したけど、さっきも言ったように、大手の傘下に入ったのは流通で難しいことがあったからなんだ。ところがいざ大手に加わると、今度は逆の問題が出てくる。

大きな会社における問題の大半は、ぼくに言わせれば、機敏に動けないってことに起因する。どうしてもリスクを避けるようになってしまう。よそから作品の権利だったり、新しい技術を買い入れたりすることはあっても、自分自身で作品とか技術を一から作ることは不得手なんだ。

そういう大手が、たとえば1億ドルかけて新作を作るとしよう。もうそうなったら、何がなんでも売らないといけない。もし失敗すれば株価にも響いてしまう。だから、なるべくリスクは避けようとする。発売予定を立てるにもしっかりとした裏付けが求められる。大企業で働く場合は、想定外の要素なんてものはあっちゃいけないんだ。進歩しないといけないけど、一方で大きなリスクを取ることも許されない。

新しいことがしたいと思っている人は多いだろうし、ぼく自身そういうことにいちばん喜びを感じる。だけど、そうしたいのなら自己資本で小さく始めるべきだ。次第に大手へと移っていくサイクルは理解できるし、ぼくも今ではそれを好意的に思うようになったけどね。

今回、ぼくたちはウルティマの精神的続編を作ると宣言した。だけど同時に、大きく変えたものにしたいとも思っている。


それがつまり、Shroud of the Avatarなわけですね。

こういう作品は、大手のゲーム会社では扱いにくいものなんだ。リスクを伴うものだからね。だけど今はもう、個人でゲームを作るのは難しい。自己資本でそこそこの規模のゲームが作れる、なんて世の中はもう20年前に終わっている。

ちょうどそんな頃に資金公募の仕組みが出てきたんだ。それでぼくたちも参加することにした。Shroud of the Avatarは、資金公募を成立させたゲームとしては二番目になる。一番目はStar Citizenっていうゲームなんだけど、こちらより10倍は規模の大きい作品だ。

(Shroud of the Avatarはギャリオットが現在手がけているRPGで、キックスターターで制作資金を調達した)


オンラインゲームの話題が出ましたが、ファイナルファンタジー14についてはいかがでしょうか。発表時に大失敗して、仕切り直しをしようとしているところなんですが。

特定のカテゴリについて、もうダメになったって言われるのはしょっちゅうあることなんだ。ぼくの場合、PCゲームは死んだって何度も言われたよ。それこそ2年ごとにそう言われる。もうPCゲームはダメだから、開発から手を引いた方がいいってね。ところがぼくは今でもPCゲームを作っているし、そのことにとても満足している。

中世ファンタジー趣味にしても、もう終わったって何度言われたか分からない。スターウォーズが流行した時は、これからはSFしかないって言われていた。マトリックスが出た時は、これからはトレンチコートにサングラスじゃないといけないってことになった。EAには、タイツ姿のキャラクターが走り回っているようなゲームはもう誰もプレイしませんよ、なんて言われたこともある。革のジャケットを着せて、かっこよくしたキャラクターを出してもらいたいと思われていたわけだ。

同じように、シリーズ作のある作品がつまづいてしまうと、それでシリーズ全体が終わったと思われてしまいがちなんだ。

ファイナルファンタジーはとても有力な作品だと思う。それに、新しい要素を試した時なんかは、つまづきがあったところで、まったく問題はない。実験に乗り出したわけだからね。たとえうまくいかなかったとしても、無理もないことなんだ。そして、そうなったからといって、シリーズそのものを諦めてしまう必要はない。うまくいかなかったところを手当てして、またやり直せばいいんだ。


モバイルゲームについてはいかがですか。

作り手としては、ぼくは今でもPCを第一に考えているけど、プレイヤーとしては、もう完全にモバイル優先になった。

PCで最後までクリアしたゲームは今までせいぜい10作くらいしかない。どれも本当に気に入った作品だけどね。それもすべて5年以上前の作品だ。

ところがモバイルだと、いま気に入っていて、最後までクリアしたっていうゲームだけでも10作はある。いちばん最近だと、Monument Valleyってゲームの1と2だね。タッチ画面を使ったものだと、いちばん最初に気に入ったのはSpiderってゲームだった。Plants vs. Zombiesっていうゲームも面白い。他にもいろいろあるよ。


VRみたいな技術もありますが、あなたとしては今後はどのような状況になるとお考えですか。

さっきアップルⅡからIBM-PCへの移行の話をしたけど、それで大失敗したことからも分かるように、ぼくは未来予測みたいなことは本当にさっぱりなんだ。

ぼく自身は、どんなプラットフォームが当たるかなんて、分かりようがないと思っている。自分が選んだプラットフォームで、とにかくゲームを作っていくってだけでね。だけど、さっきも言ったようにチャンスだってあるんだ。新しいプラットフォームが出てくれば、その時こそ新しいIPを打ち出したり、会社を作ったりするのに有利になる。

VRについては、ぼくは熱心な支持者だよ。それこそアップルⅡの頃からそういうハードウェアは存在していて、ぼくも持っていた。遅延だってひどいし、解像度も低かったけどね。かっこよかったけど、まあ普及するようなものじゃなかった。

あと10年もすれば、きっとすごいことになるだろうと思っていた。もう40年も前のことだ。その後も5年とか10年おきに新しいハードウェアが出てきて、そのたびにこれはすごい、でもあと10年はかかりそうだ、なんて思っていた。

今のVRだけど、残念ながら望ましい状態にはほど遠い。すばらしいデモはあるけどね。ぼくの家にもたくさんその手の機材があって、ぼくの子供たちも面白がっている。でもそういうものが普及するだけの市場があるようには見えない。

今だと、仮想世界を滑らかに移動することもできないし、機材をいろいろ身に付けないといけない。そもそも有線だと、自由に動き回るって感じにはなりようがない。

もっとも、そういう難点もいずれ解決できるとは思う。問題なのは、そういう機材の開発に何十億ドルもの資金をつぎ込むことを正当化できるほどの市場があるかどうか疑わしいってことなんだ。個人的には、VRに対して短期的な市場崩壊みたいなものが起こるんじゃないかって不安がある。それと、望ましい状態になるための道すじがさっぱり見えてこないってこともある。

ただ、だからといって先のことは分からないよ。それこそ、この会場にいる誰かが画期的な技術を開発して、そうした問題をすべて解決してくれるかもしれない。そしてVRが、世の中の経済を動かす原動力になるかもしれない。そういうことがいずれ起こる可能性はあると思うし、そうなったらぼくもそれに乗っかって、独自のIPを作りたいね。ただぼくが思うのは、金儲けという現実の前には、中身のないでっちあげがつきものだってことなんだ。



(公開インタビューの様子を収めた動画です)