nesticle

NESticleといっても、今では覚えている人も多くはないかもしれません。1997年に登場したNESエミュレータで、MS-DOSとWindows95で動作し、何度かアップデートを重ねたものの、1年ほどでその更新も途絶えてしまいました。

またその機能も、今ではすっかり古びてしまい、もはや実用的ではありません。そもそも現在の環境では動作させることすら困難です。ところがこのNESticle、登場した当時は大変な反響を呼び起こしました。

当時はエミュレータ自体が目新しく、PCでNESのゲームソフトが動かせるだけでも驚きだったのですが、NESticleはそれだけの存在ではありませんでした。それこそゲームの新しい遊び方を打ち出していたのです。

たとえば今のエミュレータでは当たり前となったステート保存や録画といった機能ですが、一般的なものとしては、これらを導入したのはNESticleが初めてでした。こうした機能を駆使することで、腕自慢のプレイヤーたちはそのプレイを記録できるようになり、やがてそれは共有されるようになります。たとえばYouTubeが登場した頃、NESのプレイ動画も多くアップロードされましたが、その大半は実機ではなくNESticleのようなエミュレータによるものでした。

ネットワーク対応もNESticleが最初です。これは大学生の間で大変な人気となり、寮ではあちこちの部屋でNESのゲームに熱中する学生が続出しました。

またNESticleはデバッガやグラフィックエディタも実装していました。これがきっかけになってROM改造が盛んになり、そうして作られたハックROMはネットワークを通じて広まっていきました。日本のファミコンでしか遊べないソフトも解析され、翻訳パッチが作られるようになります。もっとも翻訳パッチは独立した形で配布されており、使用するにはゲーム本体のROMファイルが必要でした。こうなるともはや実機で遊ぶことは不可能で、最初からエミュレータの使用を前提にしていたわけです。(もっとも翻訳を組み込んだ海賊版のROMカートリッジも作られるようになったのですが)

NESticle以前にもパソファミやiNESなどのNESエミュレータはありましたが、有料だったり操作が難しかったりと、気軽に使えるものではありませんでした。ところがNESticleは分かりやすいインタフェースを備えており、ROMファイルの扱いも簡単で、なにより無料でした。そして重要なのが、その登場した時期です。


NES直撃世代の温故知新

1997年当時、かつて子供時代にNESに熱中した、いわば直撃世代は高校生や大学生になっていました。NESにのめり込み、やがて飽きて離れていた彼らだったのですが、PCでNESのゲームが遊べると聞いてエミュレータを使ってみたところ、これらのゲームの面白さを再発見するに至ったのです。当初の動機はもちろん懐かしさだったのですが、いざ遊んでみたところ、NESのゲームには成長した彼らを再び夢中にするほどの魅力がありました。

そして何よりPCで遊べるというのは大きな利点でした。コントローラも好みのものが自由に使えるほか、カートリッジを抜き差しする必要もなく、簡単な操作でゲームを次々と切り替えることができます。PCなら大量のゲームソフトを手軽に扱うことができ、しかもその中には子供の頃にとうてい手の届かなかった作品や、アメリカでは見たことも聞いたこともないような日本語のソフトまで入っているのです。

また彼らが注目したのが音楽でした。エミュレータによってゲームROMから音楽を抜き出せるようになったため、その音源を編集してミックステープを作ったり、譜面に起こしてバンドで演奏したりする動きが世界各地で同時多発的に発生したのです。

彼らにとってNESのゲーム音楽は、まさしく原体験といえるものでした。なにしろ多感な時期に毎日何時間も繰り返し聴いていたわけで、そのようなものが記憶に残らないはずがありません。

日本の場合は早くからゲーム音楽が注目されていたため、ゲームセンターで録音してテープを作ったり、あるいはレコードや演奏会という形でも接することができましたが、海外ではまた事情が違っており、ゲーム音楽という文化が広まるきっかけを作ったのはエミュレータだったといえます。

こうしてハックROM、ネットワークによる多人数プレイ、ジャンルとしてのゲーム音楽と、実機ではありえなかったエミュレータならではの遊び方、楽しみ方が自然発生的に生まれていったのですが、その土台となったのがNESticleだったのです。


NESticleをめぐる物語

そんなNESticleは、ひとりのプログラマの熱意から生まれました。その名をアイサー・アディス(Icer Addis)という彼は、成人になったばかりの若者でしたが、高校時代からユーモラスなゲームソフトをPCで作り、好評を得ていました。その一方でNESや先行するエミュレータについて調べており、そうして得た知識を投入して作ったのがNESticleだったのです。

NESticleが初めて世に出たのは1997年4月のことでした。当時アメリカではニンテンドウ64によってゲームの世界は3D時代に移ろうとしており、すっかり古びてしまったゲーム機のエミュレータでしかないはずのNESticleでしたが、たちまち注目されるようになりました。なにしろ高速で、使いやすく、それでいて無料だったためです。

もっともエミュレーション精度は今ひとつであり、動かないソフトもいろいろあったのですが、この頃は使いやすいエミュレータというだけで貴重な存在でした。そして画期的だったのが、ゲームソフトを手軽に改造できる機能でした。それまでゲームを改造するにはそれなりの技術が必要であり、さらには手間もかかったのが、その敷居を一気に下げることになったのです。

ところがNESticleはやがて暗礁に乗り上げてしまいます。当初は早いペースでアップデートを繰り返し、機能に磨きをかけていったのですが、その動きを止める出来事があったのです。

NESticleは無料でしたが、オープンソースではありませんでした。ところが、NESエミュレータが注目されているのを不快に思ったあるハッカーの手引きにより、NESticleのソースコードが盗まれ、しかもネットで公開されてしまったのです。(もっともNESticleの他にもいくつかのNESエミュレータが同じ被害に遭っています)

当時、エミュレータのユーザーが情報交換する場といえばIRCでしたが、この事実もたちまちIRCを通じて広まってしまいました。

この一件はNESticleの作者アディスを大いに落胆させました。開発が止まることを恐れた他のユーザーが熱心に働きかけたため、アディスも一度は復帰する気になるのですが、結局その後一回アップデートがあったのみで、NESticleはその歩みを止めてしまいます。最後のバージョンが出たのは1998年8月でしたので、存続したのはわずか1年ほどだったことになります。

アディスはNESticleと並行して、セガ・ジェネシスなどのエミュレータも作っていました。そちらも高い評価を得ていたのですが、やがてそうした活動をすべて止めてしまいます。というのも、本職のプログラマとしてゲーム会社で働くようになったのです。そのような立場では、エミュレータの開発など出来るはずがありません。

もっとも、NESticleの開発は止まったものの、その影響は残りました。当時はグーグルのようなロボット検索もなく、ネットの話題が伝わるには長い時間が必要とされました。そしてレトロゲームのエミュレータという存在はゆっくりと、しかし着実に浸透していったのです。

またソースコードが公開されたのは作者にとっては不幸なことでしたが、大局的には好転をもたらしました。それを土台にして数々のエミュレータが作られることになり、結果として全体の水準は大きく向上したのです。


エミュレータがもたらした変革

現在、エミュレータの歴史というと、きまって大きく扱われるのはMAMEですが、他にも重要なエミュレータはありました。その筆頭にあげられるのがNESticleでしょう。

今ではレトロゲームはひとつの産業といっていいほどの規模になりました。ですが一度は忘れられたはずの古いゲームが見直されるきっかけになったのは、少なくともNESの場合、90年代末よりエミュレータが普及していったことが大きいのです。

いまレトロゲーム文化を支えている人々は30代、40代という世代ですが、その彼らに対して昔のゲームがもつ面白さを再認識させるきっかけを作り、さらに実機では不可能だった遊び方を見出すまでになったのも、NESticleという存在があったからこそであり、その意味ではまさしく歴史を変えたエミュレータといえるでしょう。



(ロシアで作られたバトルシティーの4人プレイヤー対応版。これもエミュレータならではの遊びを提案したものといえます)