ゲームレガシー

アップル、アタリ、コモドールといった海外レトロPCゲームについて。iPhoneのレトロゲーム情報もあわせて紹介します。このブログについて→ 電子書籍『ハルシオン・デイズ~コンピュータ・ゲームの先駆者たち』 (刊行準備中)→

Commodore

スマートフォン版「コモドールPET」は既製品を模様替えしただけの「ブランド商法」との指摘が

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すでに日本でも報じられている「コモドールPETがスマートフォンで復活」という話ですが、これに対して、既製品を模様替えしただけの、いわゆる「ブランド商法」であるとの指摘がなされています。
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1986年作の元祖MMORPG、オリジナル版「ハビタット」の復元プロジェクトが進行中

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「ハビタット」といえば、かつて富士通が運営していたオンライン事業ですが、元々はアメリカのルーカスフィルム・ゲームス(ルーカスアーツの前身)が開発したもので、外国ではそちらの方で知られています。アメリカでは1986年より2年間にわたって実施され、日本でサービス開始となるのはその後のことでした。

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元爆撃機乗りも感心させた戦術シミュレーション 「50ミッション・クラッシュ」(50 Mission Crush)

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1984年、SSI社から「50ミッション・クラッシュ」というゲームが発売されました。アップル、アタリ、コモドールの8ビットPC向けの作品で、第二次大戦の米空軍によるヨーロッパ爆撃作戦に基づいたものです。続きを読む

「アカラベス」と並ぶ、最初期のPC向けRPG~「テンプル・オブ・アプシャイ」(Temple of Apshai)

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PCでプレイできる最初のRPGといえば、1979年に出たリチャード・ギャリオットの「アカラベス」というのが定説ですが、実は同じ年に、もうひとつPC向けのRPGが発売されています。それが「テンプル・オブ・アプシャイ」(Temple of Apshai)です。続きを読む

イギリスより登場した史上初の本格派柔道ゲーム~コモドール64の「UCHIMATA」

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格闘技のゲームは古くからありますが、たいていの場合は競技をリアルに再現するというより、面白おかしく演出されてしまうのが常でした。続きを読む

事故の翌年に発表された、無目的で無味乾燥な原発シミュレータ 「チェルノブイリ」

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1986年8月26日、チェルノブイリ原発事故が発生し、記録的な災禍となりましたが、その翌年、コモドール64向けに登場したのが、原発シミュレーションと銘打たれた「チェルノブイリ」というソフトウェアでした。続きを読む

スペースオペラ風の世界を舞台にした、80年代を代表する宇宙探索ゲーム 「スターフライト」 (補足)

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前回取り上げた「スターフライト」ですが、肝心の物語要素について触れていなかったので、改めて補足したいと思います。続きを読む

スペースオペラ風の世界を舞台にした、80年代を代表する宇宙探索ゲーム 「スターフライト」

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コンピュータの宇宙探索ゲームといえば、70年代の「スタートレック」に始まる、長い歴史をもつジャンルですが、とりわけ重要な作品が多く出たのが80年代でした。続きを読む

8ビット最高のゲームPCとされたコモドール64の弱点~なぜC64のディスクドライブは遅いのか

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コモドール64といえば、史上もっとも売れたPCとして有名です。その理由として主に挙げられるのが、徹底した低価格と販路拡大というふたつの戦略でした。

販路に関しては、通常のコンピュータ店に加え、電気店やデパートのおもちゃ売り場でも扱うなど、とにかく人目に触れる方針を採っていました。

(比べること自体が不適切かもしれませんが、発売当初のアップルⅡがすさまじい品薄で、そもそもどの店にいつ入荷するのかすらはっきりしない状態だったのとは対照的です)

さらに、もうひとつの方針として、徹底した低価格を貫いていました。それでいて、粗悪な二級品どころか、グラフィック、サウンドともに卓越した性能を備えていたのですから、たちまち人気を呼んだのも当然のことでした。

ただし、低価格を実現するために、あちこちにしわ寄せが来ていたのも事実です。そのひとつが、C64向けに販売された、1541という名前のディスクドライブでした。

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これが、とにかく遅かったのです。一般に市販されたディスクドライブとしては記録的な遅さでした。

もっとも、その原因はドライブ自体よりも、データ転送の仕組みによるところが大きいと言えます。

コモドール64は、ディスクドライブの接続用としてシリアルバスを備えていました。先行型のコモドールPETは業界標準規格であるIEEE-418準拠のパラレルバスを持っていましたが、安定はしているもののコストがかかるということで、PETの後継機であるVIC-20(日本のVIC-1001)では独自設計のシリアルバスに変更となり、C64もそれを継承しています。

この仕様変更により、CPUやキーボードまわりのコストを大幅に削ることができ、低価格の実現につながったわけです。もっとも、一方でディスクドライブのコストは大幅に上昇してしまいました(ドライブ本体に独立したCPUとI/Oのハードウェアが必要になったため)。

ところが、このVIC-20のシリアルバスには、開発中から問題があることが判明していました。バスのデータ処理用に採用したチップにバグがあり、結果としてデータ転送が不安定になっていたのです。これについてコモドール側は、カーネルROMのプログラムを書き換え、転送速度をあえて遅らせることで対処しました。

ところが、コモドールは後継機のC64でも同じシリアルバスを採用しています。これは、1541ドライブをVIC-20にも対応させるための措置でした。つまりコモドールは、ディスクドライブの下位互換性を確保するために、あえて問題を放置したのです。

それからもちろん、コストの問題もあったのでしょう。バスの問題を解決すれば、それだけ本体のコストが嵩んでしまいます。

実際には、ハードウェアの問題を回避し、ディスクアクセスを高速化するユーティリティが各社より発売されたため、状況はかなり改善されました。それでも、コモドールはあえて問題を放置したことで、ユーザーに不便を押し付けたことには変わりないのですが。

(これまた、アップルⅡのディスクドライブであるディスクⅡが、その速度と信頼性で当初より高い評価を受けていたのと対照的です)

もっとも、この判断があってこその低価格かもしれず、一様に責めるべきではないのかもしれません。

コモドールの社主であったジャック・トラメールは、なにかと毀誉褒貶のある人でしたが、このような商売人らしさを感じさせるところがまた、良くも悪くもユーザーの関心をひきつけていたように思います。

何にしても、「ゲームをロードしているあいだにピザのデリバリーが余裕で届く」とまで言われたコモドール64のディスクの遅さには、このような事情があったのでした。

ブレイクダンスを忠実に再現 コモドール64の「ブレイク・ストリート」

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ダンスゲームといえば、今はアーケードが主流になりましたが、その源流は80年代半ばのPCゲームにあるようです。

そのひとつが、1984年にクリエイティブという会社から発売されたコモドール64向けのゲーム「ブレイク・ストリート」です。

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ブレイクダンスの決まり技をジョイスティック操作でなぞるというもので、プレイヤーキャラクタには時間と体力が設定されており、その2つに注意しながらさまざまなダンスをこなしていくことになります。マイナーな作品ですが、8ビットPCのダンスゲームとしては根強い人気があります。

音楽は1曲だけ、決まり技のバリエーションもさほど多いわけでもなく、ボリュームという点ではいささか物足りないものがあるのですが、ダンス自体は大きなグラフィックで巧みに再現されています。



また曲もなかなかの出来で、スクラッチを思わせる効果音を組み入れるなど、細かな工夫がなされています。



当時は映像の入手も簡単ではなかったでしょうから、よくここまで再現できたものだと思ったのですが、どうやらダンスチームの協力を得ていたようです。本物のダンサーに踊ってもらい、それを元にしたということでしょう。道理でよく出来ているはずです。

ゲーム性に乏しいこともあり、1人プレイだと早々に飽きてしまいますが、誰かと一緒に遊ぶにはいいかもしれません。

一方、ブレイクダンスを扱ったゲームは他にもありました。たとえば、同じ84年にエピクス社が「ブレイクダンス」という、そのものずばりのタイトルの作品を出しています。



ご覧の通り、画面は「ブレイク・ストリート」に比べるとイマイチな感じがしますが、ゲーム自体も物足りないものでした。

曲は複数用意され、決め技のバリエーションもそれなりに揃えてあり、モードも5つあるなど、ボリュームの面では「ブレイク・ストリート」を上回っているのですが、どうにも物足りない感じがつきまとっています。特に曲が面白くないのが残念です。

「ブレイク・ストリート」にあって「ブレイクダンス」にないものといえば、全体的な雰囲気でしょうか。「ブレイクダンス」もよく調べて作ってあるのですが、「分かってる感じ」では「ブレイク・ストリート」の方が上、という印象があります。

それにしても、このような作品を見せられると、改めてゲームのアイデアというものは80年代に一通り出尽くしてしまっていたんだなと思わされます。


1984年ドイツで放送されたブレイクダンスの実演。当時すでにヨーロッパにもブレイクダンスが広がっていたのが実感できます。

ゲームというより、一種の「ごっこ遊び」か コモドール64の不思議な自動車ゲーム「ホット・ホイールズ」

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「ホット・ホイールズ」という名前のゲームはいくつかありますが、ここで取り上げるのは1985年にエピクス社から発売された、コモドール64向けの作品です。他の作品はすべて、いわゆるカーレースものなのですが、本作はそういうものとはまったく違います。というより、ゲームとして考えてはいけないのかもしれません。

ゲームを開始すると、まず車種を選択します。次に工場で、部品の組立てや、車体の塗装を行います。そうして車が完成すると、ようやく公道に出るのですが、そこから出来ることは、駐車場に車を入れたり、ガソリンスタンドで給油したり、機械で洗車したりと、街を移動しながら、いわゆる「車に関わる作業」をやっていきます。以後、その繰り返しです。

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つまり、このゲームには目的がないのです。スコア表示もないのですが、むしろそれが自然かもしれません。そもそも何かを競う要素がないのですから。

ただし、細かく見ると、ゲーム的な部分が皆無というわけでもありません。

途中で消防署に立ち寄ると、なぜか消防車を操縦できるようになります。そのまま街を流していると、やがて火災を起こしたビルの前を通りがかります。いきおい、消火作業にあたることになりますが、この時には、プレイヤーは火が出ているところを狙って鎮火する操作を行います。こういう細かな部分はいくつかありますが、ゲーム的な要素といえばその程度なのです。

ただただ自動車を動かしては、それらしい作業を繰り返すというこの作品は、ゲームというより、車のごっこ遊びに近いものと考えるべきなのでしょう。車のミニチュアで遊ぶようなことを、コンピュータの画面で行っているわけで、つまりは幼児向けのプログラムということになります。本作には、おもちゃ会社のマテルもクレジットされていますが、企画自体がマテルによるものだったのかもしれません。

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一方で、大人の目で見ても、面白く思えるところもあります。たとえば、昔の外車ってこうだったな、という描写があったりするのです。(まあ、日本人限定ですが)

たとえばオイル交換をするところですが、ジャッキで持ち上げられた車体から、オイルが盛大に漏れています。


(このプレイ動画では、7分あたりでオイル交換が始まります)

アメ車といえばオイル漏れというくらいで、以前はアメリカの駐車場などオイルだまりがあちこちにあるのが普通でした。このあたり、アメリカ人は実に無頓着で、オイルが漏れるのは当たり前という感覚があったわけです。もっとも、事故につながる可能性もあるので、あんまり軽々しく考えるのもどうかと思いますが。

これがたとえば日本なら、立体駐車場でオイル漏れなど起こしたら相当な顰蹙ものでしょう。(ただし、ここ20年ほどでアメ車でもオイル漏れの問題はかなり改善されたと聞きます)

それにしても、本作のようなものは説明に困ります。環境ソフトウェアと違って、プレイヤーが常に操作しなければならないため、ただ何の気なしに接することも出来ません。やはり「幼児向けのごっこ遊び」ソフトウェアというべきものでしょう。

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正直いって、本作は大人が遊ぶにはあまりにも退屈ですが、幼児向けと考えれば、よく出来ているのではないでしょうか。またコモドール64ならではのサウンドも素晴らしい出来になっています。

このところ、堅い内容のものが続いていたので、気楽なものをということで本作を取り上げてみました。

コモドール64ならではの音楽がふんだんに楽しめるホラー風シューティング 「フォービドゥン・フォレスト」(禁断の森)

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コモドール64の特徴といえば、何といっても音楽機能でしょう。8ビットのゲームPCとしてはアタリ800も優れていましたが、こと音楽に関しては後続のコモドールにはかないませんでした。その印象的なサウンドは今なお根強い人気をもち、C64の音色をあえて使うミュージシャンも少なくありません。

当然のことながら、C64では音楽に重点を置いたゲームが数多く作られました。ここではその中から「フォービドゥン・フォレスト」(禁断の森)という、1983年にイギリスで発売されたゲームを取り上げたいと思います。

このゲーム、ジャンルとしてはいわゆるシューティングであり、森にいる生物を弓矢で射抜くというものですが、とにかく音楽が素晴らしいのです。



この動画では、映画のようなオープニングに続いて、ゲーム本編につないであります。これをご覧いただければお分かりいただけるかと思いますが、音楽の使い方がきわめて工夫されているのです。

重厚なテーマ曲に続いて、ゲームのBGMが次々と切り替わるほか、蜂やカエルの登場場面ではBGMを切るなど、状況に応じて音楽の使い分けをしているのですが、どれも実に効果的です。とりわけ、状況にあわせて音楽を変える手法を駆使しているようなゲームは、当時はほとんど無かったように思います。もちろん、個々の曲や効果音がすぐれた出来であるからこそ実現できたことなのですが。

また、グラフィック面も横スクロールと擬似3Dをうまく組み合わせており、それがゲームプレイに幅を持たせています。画面上の木をよく見ると、いくつかの層に分かれており、スクロールでも別々に動いているのが分かります。敵キャラも、画面の奥から次第に近づいてくるように演出されています。ローレゾ画面だからこそ通用する手法ではありますが、効果的であることは確かです。

また全体の雰囲気がひたすら恐怖をあおる方向で作られており、その要素においては実に徹底しています。当時はまだホラー風のゲームは少なかったため、これも大きな個性となりました。

このように、きわめて優れていた作品であったため、この作品はイギリスで100万本を売るという大きなヒットになったのです。

このゲームを作ったのはポール・ノーマンという人物でした。彼はもともとミュージシャンで、ロックバンドで長いことギターを弾いていました。その後、ゲーム作家に転進し、いくつかの作品を手がけたのですが、その彼の代表作が「フォービドゥン・フォレスト」なのです。

大きなヒットになったということで、作者は続編に取りかかりました。それが1985年に発表された「ビヨンド・ザ・フォービドゥン・フォレスト」(続・禁断の森)です。



オープニングでの映画風の演出に、さらに磨きがかかっています。大きな変更としては、前作では横方向にしか動けなかったプレイヤーキャラクタが、前後にも移動できるようになりました。続編ということで、基本的には前作の延長なのですが、音楽やグラフィックはさらに手の込んだものになっています。

とりわけ目立つのが、プレイヤーキャラクタの死ぬ場面で、いくつものパターンが用意されています。



この続編も好評で、なかなかのヒットになったようです。

ただし、残念ながら、作者のポール・ノーマンは80年代末にゲーム作りをやめてしまいます。90年代はCD-ROMのソフトを手がけ、今はインターネット関係の仕事をしているそうです。

その一方で、実は97年に「フォービドゥン・プラネット」を3D化したゲームを発売しているのですが、これはかなり苦しい出来で、かつてのファンからも受け入れられませんでした。(動画もありますが、ここではあえてご紹介しません)

なお、本作にはアタリ800の移植版もあります。



ご覧いただいたように、かなり残念な出来です。特にサウンドが物足りません。アタリ800のサウンド機能はこの程度のものではないはずなのですが。

以下に、音楽を中心にした動画をいくつかご紹介します。





この他、ポール・ノーマンは80年代半ばに一連のホラー風ゲームを出しており、いずれも個性的な作品ですので、そちらの方もいずれまたご紹介できればと思います。

まさに執念の移植~コモドール64版「プリンス・オブ・ペルシャ」



「プリンス・オブ・ペルシャ」は1989年に発売されたアップルⅡ版がオリジナルです。そして、メジャーな8ビットPC向けのバージョンは公式にはこれが最後でした。YouTubeを見ると、さまざまな機種向けのものがありますが、すべてユーザー側が自作した、いわゆる未許諾の勝手移植です。

ただし、その中でもコモドール64向けのものは相当な完成度で、公式の移植といわれても違和感がないほどの仕上がりになっています。ですが、実はこのコモドール版も、あるユーザーが長年の努力のすえに完成させたものなのです。

幸いにも、作者自身が詳細な日誌をブログという形で公開しているので、実際の作業をたどることができますが、それを見ても、苦難の連続だったようで、苦労が偲ばれます。

そもそも、どうしてこのような難業に取り組んだのか不思議なところですが、作者自身は、ただプログラミングの腕試しをしたかったのが動機だと語っています。コモドールのプログラミング自体からも15年以上遠ざかっていたのが、ある時レトロコンピュータ関係のイベントに参加し、その熱気にあおられる形で、自分でも何かやらなければと発奮したのだとか。そのための目標を探していて、行き当たったのが「プリンス・オブ・ペルシャ」の移植という取り組みだったわけです。

作者はまず、既存の「プリンス・オブ・ペルシャ」を解析するプロジェクトを調査しました。その過程で、さまざまなオープンソース型のプロジェクトがあることを知ったわけですが、大きかったのは、MS-DOS版から抽出したグラフィック・データを入手できたことでした。これを元に、コモドールに合うよう加工すれば、少なくともグラフィックの問題は解決できます。

とはいえ、プログラム本体は自分で何とかするしかありません。移植といっても、オリジナルであるアップルⅡ版のソースコードを手に入れるのは不可能ですから、プログラム自体を逆アセンブルして、解析するわけです。逆アセンブルは、それ自体が実に大変な作業です。ウィキぺディアのエントリから引用すると、

秘匿されている、紛失したなどの理由によりソースコードが入手できないプログラムの動作を知りたい場合、プログラムの機械語を人間が直接理解することは困難であるため、より人間に理解しやすいニーモニックに変換して解析の手助けとするために逆アセンブラを利用する。

人間に理解しやすいといっても、それはあくまでも機械語と比べて、という意味である。逆アセンブル結果からプログラムの内部動作を知り元のソースコードを推定するまでの作業は一種の暗号解読のような困難な作業であり、非常に高度な技能を持つ技術者が膨大な手間と労力をかけて初めて達成されるものである。

こうまで書かれるほどの作業なのですから、確かに腕試しにはうってつけでしょう。

幸いにも、「プリンス・オブ・ペルシャ」の作者、ジョーダン・メックナーは、自身のサイトでソースコードに関する情報を公開していました。完全なソースコードではないものの、これは大きな手がかりでした。しかもそれはオリジナル版のソースであり、つまり(アップルⅡのCPUである)6502で動作するものでした。これもまたありがたいことでした。コモドール64のCPUは6510という、6502の派生品であり、両者はほぼ同じものだったからです。これがたとえば、MS-DOS版のソースだったとしたら、さして参考にはならなかったでしょう。

しかしアップルⅡ版「プリンス・オブ・ペルシャ」のデータ量は、128Kに及ぶ(8ビット機としては)巨大なものです。その中身はコードとデータが混在しており、ひとまずはそのすべてを仕分けなければなりません。それ自体が気の遠くなる作業ではありましたが、作者はひとまず着手することにしました。

作業に使用したツールはVirtual IIというマックOS用のアップルⅡエミュレータでした。実際にゲームを動かしつつ、プログラムの挙動をメモリ・インスペクタで監視し、内部の細かい変化を探っていくわけです。

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また、取得したデータは6502の逆アセンブラで解析します。アップルⅡ版のコードとMS-DOS版のexeファイルを照合し、一致する点を探したりもしました。とにかく、手がかりになりそうなものは片っ端から試してみたのです。

pop64_deassemblar

それでも作業を地道に進め、ようやくプロトタイプが出来上がった頃に、もうひとつ難題が持ち上がりました。コモドール64関連の掲示板で、別のグループが「プリンス・オブ・ペルシャ」の移植プロジェクトを始めたことを知ったのです。先方はまださほど作業は進んでいないようでしたが、このまま放置しておけば、自分がすでにクリアした課題をまた新たに取り組むことになるわけで、これは単純に考えて労力のムダにしかなりません。作者は悩んだすえ、自分が以前から同じ作業に着手していることを公表します。反発されるのではと心配もしましたが、幸いにもそのようなことはなく、むしろ励ましの言葉を受けるほどでした。

むしろ、問題は作者の側にありました。この時点で、作業開始から半年が経過していましたが、もはや作業を続ける根気がなくなっていたのです。他に興味の対象が出来てしまったことと、解析作業に行き詰まっていたのがその原因でした。結局、作者は移植プロジェクトを中断することにしました。いずれ再開するつもりはあったものの、実際に作業に復帰するまで、1年半もの歳月を要したのです。

再開のきっかけとなったのは、コモドール64のROMカートリッジを使う方法を思いついたことでした。巨大なグラフィックデータをROMに移せば、それだけRAMの容量に余裕ができることになります。この思いつきによって、移植プロジェクトは大きく前進することになりました。

そうして一旦ブレイクスルーを達成させたものの、いよいよ作業に終わりが見えてくると、またもやモチベーションを保つのに苦心することになります。ロジック面での課題を解決し、残った作業の大半が単純作業だったのも飽きがきた一因でした。作者はこの問題を、ToDoリストを作り、ひとつずつ課題をつぶすことで乗り越えます。

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(C64用に最適化された画像。このような画像にも細かい修正がなされていました)

こうして2011年夏、ついにコモドール64版が完成しました。途中の中断があったとはいえ、構想から3年近い歳月を経て、ようやく目標が達成されたのです。これはまさしく快挙であり、世界中のコモドールユーザーに驚きをもって迎えられました。

「プリンス・オブ・ペルシャ」の作者であるジョーダン・メックナーも、この移植版の完成度に驚き、この偉業を褒め称えるとともに、いささか移植版の作者に対して複雑な心境を見せてもいました。それももっともなことで、オリジナルのソースコードをすべて公開していれば、そもそも解析などする必要もなく、移植にかかる労力の大半が解消されていたはずだからです。(なお、後にメックナー氏はソースコードを公開しています)

いずれにしても、音楽やグラフィック面でさまざまな人の助けがあったとはいえ、プログラミングにおいてはほぼ独力でなしとげた移植であり、改めて海外のレトロコンピュータ界の奥深さを感じさせられた出来事でした。

Prince of Persia C64 - Development Blog - Part One - Why the hell would anyone want to do that?

高難易度に広大なマップ、奇怪な日本趣味~80年代RPGの知られざる傑作 「デスロード」(Deathlord)

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1987年にアップルⅡとコモドール64向けに発売された「デスロード」(Deathlord)というRPGがあります。発売元はエレクトロニック・アーツで、EAのような大手から出たからには、それなりに宣伝もされたはずなのですが、残念ながらあまり注目されないまま消えてしまいました。ところがこの作品、今なお根強いファンが存在する隠れた人気作なのです。

このゲーム、手短に説明すると、3、4の頃の「ウルティマ」をベースにしたRPG、ということになります。画面写真を見れば、そのことがよくお分かりいただけると思います。

Deathlord-screenpng
(屋外を移動中のようす。いかにもウルティマという感じです)

一方で、画面からは読み取れない特徴もありました。作中に不自然なまでに日本語が用いられているのです。主に職業や地名などで日本語由来のものが登場するのですが、たとえばクラス(階級、職業)を挙げてみましょう。

Senshi, Kishi, Ryoshi, Yabanjin, Samurai, Ronin, Ansatsusha, Ninja, Shukenja, Shisai, Shizen, Mahotsukai, Genkai, Kosaku

Shizenって何だろうと思ったのですが、「隠者であり屋外を好む」人々だそうですので、おそらく「自然」のことでしょう(というより、それ以外ないと思いますが)。ちなみにKosakuはいわゆるuntouchables、不可触賤民なのだそうです。作り手側には、日本語の知識がほとんどないことがよく分かります。

実のところ、日本的要素は、本作においては表面的なものに過ぎません。単に固有名詞が日本語というだけで、別にクラス名がWarriorでもAssassinでも、何の不都合もないのです。ゲーム自体も、まるっきり西洋式の「剣と魔法」の世界です。

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(コモドール64版のタイトル画面。戦国時代をイメージしたのでしょうか)

正直いって、このゲームに限っていえば、日本的な要素は単にとっつきにくさを助長しただけという気がします。それに加えて、他にもいろいろ悪評の高い要素を抱えています。

要するに、マップが恐ろしく広く、そして、すさまじく難しいのです。

マップが広いといっても、どれくらいなのか、なかなか表現しにくいのですが、ゲーム内には16ほどの大陸があり、その1つ1つがゆうに1本のゲームに相当するほどの規模なのだそうです(こちらもクリアしたわけではないので、伝聞になりますが)。アップルⅡやコモドール64のゲームで、マップの広さにおいては、おそらく本作を超えるものはないともいわれています。

そして、このゲームに関して必ずといっていいほどに言及されるのが、その難易度の高さです。

アメリカ人は難易度の高いRPGが大好きです。日本人からすれば、どうかしていると思うようなものが平気で商品として流通しています。国産機への移植では、難易度が下げられることもたびたびありました。その彼らが口々に難しい、正気の沙汰じゃないほどにキツい、と語っているといえば、このゲームの難易度がどれほどのものなのか、何となくお分かりいただけるのではないでしょうか。



このプレイ動画に付けられたコメントに、こういうものがありました。

このゲームは難しい。野蛮なまでに難しい。このゲームをプレイしている時は、ドライブのフタを半分開けた状態にしていたものだった。そうしておけば、自分のキャラが殺されても、ディスクに上書きされないからね。

ひたすら戦闘を繰り返して、やっと大陸を1つ制覇したと思ったら、同じような大陸がさらに10いくつもあったりする。そこには恐ろしく強いモンスターがうようよしていて、ダンジョンには強力なワナが大量に仕掛けられているんだ。

それなのに彼らは、すばらしい、というのです。

一見上は単なるウルティマのクローン、訳の分からない外国語が頻出し、それでいて恐ろしく難しい。

それでは、どうしてこのゲームが、今に至るまで根強い支持を得ているのでしょうか。

それはひとえに、ゲームプレイが格段に優れているためなのです。本家「ウルティマ」と違って、物語的な要素は皆無なのですが、それを補って余りあるほどに、ゲームとしての魅力に満ちているのです。

ゲームは6人までのパーティで進行しますが、キャラクター設定において種族が8種類、クラスが16種類と、数多くの選択肢が用意されており、それによって多様なパーティを組むことができます。マップの難しい部分も、各キャラクターの特性を考慮したパーティを組むことで、容易にクリアできたりします。

ダンジョンは1階あたり32×32の広さで、最大16階まであります。いずれもよく考えて作られており、マップを完成させて初めて分かるような趣向があったりします。ただし、テレポートや落とし穴、複数の階段など、プレイヤーを惑わすよう仕掛けも多々あります。とりわけ強力なのが、マップを作っている最中に、こちらが気付かないまま、いつの間にか別のダンジョンにテレポートされているという展開で、これなど相当に忍耐力を試されるそうです。

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(ファンサイトに掲載されていたダンジョンのマップ)

このゲームがとりわけ評価されているのが、どこまでいっても遊びつくすことができないという点です。広大なマップに、仕掛けられた数々の謎、150種類という多彩なモンスター、自由度の高いキャラクター編成と、とうてい把握しきれないほどの要素に満ちているのです。一度クリアしたと思っても(それ自体大変なことですが)、それですべての内容を知りつくすことはまず不可能であり、別のパーティでリプレイすると、それまでには気付かなかった要素が出てきたりします。

こうした特性を考えると、発売当時にこのゲームがさほど評価されなかったのも分かる気がします。要するに、ほんの少し遊んだだけでは、その良さが分かりにくいタイプのゲームなのです。

それでも、時間は味方しました。商業的な成功を得るにはいささか手遅れではあったのですが、次第にゲーマーの間でその真価が認められ、傑作であるという現在の評価に至ったわけです。

ただし、今から「デスロード」をプレイするのは、いささか覚悟が必要かもしれません。以前なら充実したファンサイトがあり、マップなども入手できたのですが、いつの間にか消えてしまいました。ミラーサイトは現存しますが、一部アクセスできないページがあるようで、残念なところです。

この作品に限らず、87~89年ごろの8ビット機向けゲームには、極めてすぐれた出来でありながら、埋もれたままのものが少なくありません。時期的には、いよいよハードの研究が進み、マシンの特性を極限にまで駆使したゲームが登場していたのですが、残念ながらこの頃には16ビット機、特にアミーガやIBM-PCの存在が圧倒的で、せっかくの秀作も8ビットPC向けであるために顧みられず、商業的にはまったく報われないというケースが多くなっていました。

ハードの末期にこそ技術的に優れた作品が出てくるというのは、ゲーム専用機の世界ではよく指摘されることですが、同じことは8ビット時代のPCにも当てはまるわけです。

他にもこうした、8ビット期PCの知られざる作品について、また機会があれば改めて取り上げてみたいと思います。

コモドール64をアップルⅡ互換機にしてしまう外部機器 「スパルタン」

日本もアメリカも、今のようにコンピュータがウィンドウズとマッキントッシュのふたつにまとまる前には、さまざまな独自規格のコンピュータが乱立していたわけですが、そうした機種間には互換性はないのが普通でした。

ただし、その中にも例外はあって、本来は対応していないはずのソフトウェアを使えるようにする方法もありました。たとえばPC-98シリーズなどの国産機でも、CP/Mを導入することで、CP/M向けのソフトウェア(の一部)を動かせました。ゲームはどうしてもハードウェアの特性に依存することが多いので、この方法で動くソフトはさほどありませんでしたが、そうではない作品、たとえばインフォコムのテキストアドベンチャーなら、この方法が有効だったのです。

一方で、ハードウェア的に、ある意味強引なかたちで互換性を確保しようとするものもありました。アップルⅡでMS-DOSを動かすための8086カードなどがこれに当たります。

この手の機器は、接続するPCにある程度の拡張性が必要になるため、ある程度のクラス以上の機種を対象にするのが普通です。つまり、ゲームが主な用途となるような低価格マシンではまずありえない。ところが、その例外となるのがここで紹介する「スパルタン」なのです。

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これは、コモドール64向けのアップルⅡ互換ボードです。モノ自体はコモドールより少し大きい箱型の筐体で、コモドール本体の後ろ側に接続するようになっており、上にモニタを載せることもできます。これを接続することで、C64とアップルⅡ両方のソフトを走らせることができる、というのがセールスポイントでした。

この機器を手がけたのはカナダの「ミミック・システムズ」という会社でした。ちなみにミミックとは「物まね」という意味で、なかなかに含蓄のある名前といえます。

「スパルタン」は一種の拡張機器でもあり、たとえばROMカートリッジのスロットが3つ備わっていました。アップルⅡにはそのようなものはないので、これはコモドールの規格ですが、C64のROMカートリッジにはゲームだけでなくユーティリティなども出ていたので、よく使うものについては常時挿したままの状態にできたのです。(各スロットはオン、オフの切替え式でした)

また、ゲームポート(いわゆるジョイスティック端子)も付いていましたが、こちらはアップルⅡ互換です。アップルⅡのジョイスティックはアナログですが、C64のジョイスティックはデジタルでした。つまり、ゲームに応じてアナログ、デジタルのジョイスティックを使い分けることができたのです。どちらもゲームによって向き不向きがあるため、このように使い分けできるのは便利ではありました。

「スパルタン」の規格はアップルⅡプラス互換で、64kのRAMが搭載されており、内部の拡張スロットも9つ備わっていました。それ自体がほとんど独立したコンピュータだったのですが、実際に、キーボードを接続してジャンパを設定すれば、アップルⅡ互換機として使うことも可能でした。

宣伝もわりと積極的に行っていたようで、たとえば次のような広告をパソコン雑誌に載せていました。

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(ピエロを使った、挑戦的というか、なかなかに人を喰った感じの広告です)

それでこの「スパルタン」、成功したのかというと、残念ながらそうはならなかったのです。価格は599ドルと、アップルⅡのコンパチ機より少し安い程度だったのですが、いかんせん時期が遅すぎました。発売されたのは1985年末だったのですが、この頃にはコモドール64のソフトウェア資産は相当な規模になっており、とりわけゲームにおいてはアップルⅡを遥かに凌いでいました。平均的なコモドール・ユーザーにとっては、いまさらアップルのゲームが走ろうがどうだろうが興味ない、というのが大方のところだったのでしょう。せめて発売がもう数年早ければよかったのですが。

実際のところ、開発元も、この製品にはかなり早くから着手していたのが、開発に手間取っているうちに時期を逃してしまったのです。また動作もけして安定していたわけではなかったようです。

そんなわけで、やがて消えていった「スパルタン」なのですが、今でもたまにイーベイなどに出品されるとけっこうな値段が付いていたりします。製品のコンセプトが強烈だったせいか、あるいは例の広告が印象的だったためか、いまだに根強い人気があるようです。確かに、この製品に限らず、動くはずのないものを動かすというコンパチボードの性質には、ある種の痛快さが感じられるところもあり、そうしたところが人気の理由なのかもしれません。

The Spartans Invade Cupertino - resetvector.com
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