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Illusions

『かもめのジョナサン』、“The New Complete Edition”は“完成版”でいいの!?


リチャード・バック、『イリュージョン』についてはこのブログでいろいろ書いていますが、
一般的には『かもめのジョナサン』の方が有名かと。

その『かもめのジョナサン』ですが、40年の時を越え、“完成版”が出ました。


“完成版”って??
今まで私たちが読んでたのは“未完成”のバージョンだったってこと??

…と思って原書を確認すると、“The New Complete Edition”になってますね。

(kindle版のみのようです)

“完成版”ではなくて“完全版”なのでは?

これまでのバージョンは、音楽で言うシングル・バージョンのようなものなのでは?
(映画で言ったら、ディレクターズ・カットに対する劇場公開版のようなものなのでは?)

私には、「alternative version」に思えました。
音楽で言ったら、テイクやミックスが違うようなバージョン、
「(時代が違えば)こういう形で出てたかもしれないバージョン」だと。

実際に、従来のバージョンは未完成だったわけではなく、あえて最終章を削っていたようですし。

 # そういえば、以前にも洋書の邦題に噛みついたことがありましたね (^ー^;)

実際に新たな最終章(Part Four)を読んだ感想ですが、
私は、死後に急に祀り上げられるロックスターやポップスターを連想しました。

『イリュージョン』からも同様のメッセージは伝わっていたので、
目新しさや新鮮さは感じなかった…というのが私の正直な感想です。

「完成版」「奇蹟の最終章」「驚愕の内容」などという言葉で売ろうとすることが
この本のメッセージに沿っていない気がして心配になるのは私だけでしょうか…?

リチャード・バックの本を『かもめのジョナサン』しか読んだことがなくて、
「読んだけどよくわからんかった」という方には、今回のバージョン、オススメかも。
こっちの方が、いろいろと腑に落ちるかもしれません。

なにはともあれ、自家用の飛行機で事故って重傷だったというリチャードが頻繁にブログを更新してたりするのを見るとホッとします。

…と公式サイトを見てたら、『Illusions II』ってのが出てる!

これ、どんなのだろう? めっちゃ気になる!
(調べてまた書きます)







『イリュージョン』と『69』


イリュージョン』の一人読書会、続いてます (^ー^;)

気になる点を前回前々回に書きましたが、「もしも村上龍さんの訳じゃなかったら、自分にとってこんなに大事な本になってないかも…」という思いは変わりません。
むしろ、確信に変わりつつあります。

1つだけ例を挙げてみます。
原書のP.172にあるこのフレーズ。
In order to live free and happily, you must sacrifice boredom.
It is not always an easy sacrifice. 

佐宗鈴夫さんの訳は忠実です(ページナンバーまで同じでP.172)。
自由に、幸せに
生きるためには、
退屈を
生贄としてささげなければならない。
それはかならずしも簡単なことではない。

村上龍さんの手にかかるとこうなります(P.182)。
自由に生きるためには
退屈と戦う必要がある。
退屈を殺し灰にしてしまうか、
退屈に殺されて家具になるか、
激しく根気のいる戦いである。

「“家具”とか原文に出てきてないし!! いいの?」と問われれば、「いいんです!」と川平慈英ばりに答えたい (^ー^)
翻訳の講座でこう訳したら「やりすぎ」って言われると思いますが (^ー^;)


「退屈」で思い出されるのは、村上龍さんの小説『69 sixty nine』のあとがき。
ちょっと長くなりますが引用させてください。
楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。
そんな状況は、今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。





『イリュージョン』の第6章


前回に続いて、『イリュージョン』の一人読書会です (^ー^;)

村上龍さんによる訳のP.92。
家族の絆は血ではない。
一個の家族が
一つ屋根の下で成長し合うことは
ほとんどない。

なんだかちょっと引っかかるものを感じて原文を見てみました(P.84)。
The bond that links your true family is not one of blood, but of respect and joy in each other's life.
Rarely do members of one family grow up under the same roof.
村上龍さんによる訳には、「but of respect and joy in each other's life」に対応する箇所がない??

ちなみに、佐宗鈴夫さんの訳はこちら(P.82)。
家族をつなぐ絆は
血ではない。
おたがいの人生にたいする
尊敬と喜びである。

同じ屋根の下にいて、
家族が成長しあうことは
稀である。




『イリュージョン』の第19章


イリュージョン』で気になった箇所があり、原書を確認してみました。

原文がこちら(P.177)。
The mark of your ignorance is the depth of your belief in injustice and tragedy.
What the caterpillar calls the end of the world, the master calls a butterfly.

村上龍さんによる訳はこちら(P.187)。
二つは比例する
君達の知力と、
君達が悲劇の存在を認める度合、

毛虫が終末と思う、その形態
救世主は蝶と名付けた。
これを読んで、「知力が高いと、悲劇の存在を認める度合も高い」って意味かと思ってましたが、原文を読むとそういう意味じゃないような気がします。
「比例」じゃなくて「反比例」にならないのかな??
「度合」の後ろが「。」じゃなくて「、」になってるのは意味があるんだろうか??

ちなみに、佐宗鈴夫さんの訳はこちら(P.177)。
無知のしるしは
不正や悲劇を心の底から信じこんでいることだ。
毛虫が世の終わりと考えるものを、
救世主は蝶と名づける。
この箇所の1文目に関しては、こちらの訳の方が腑に落ちるような...





BOTを作ってみた話


ためしにツイッターのBOTを作ってみました。

あっという間にできてしまって拍子抜けしたくらい簡単なので、活用方法のいいアイデアがある人は作ってみてはいかがでしょうか (^ー^)
(ちなみに、私が使ったのは「MAKEBOT」という無料の作成サービスです)

私がためしに作ったBOTは、『イリュージョン』からの引用のBOT(こちら)。
この小説には、ちょうどいい長さのフレーズがいくつかあるので。

巻末の「解説」(訳者である村上龍さんが書いてる)にもすごくいい言葉があるんですが、こちらの方は140文字にうまく分けたり縮めたりすることができませんでした。
…というわけで、ここで引用しておきます(^ー^;)

(リチャード・バックの言葉です)

「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールド(現実の、悪意に充ちた世界)なわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはその三十億プラス一の余り者にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ。
 どうやってそれに対抗するかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。
 もちろん、ドラゴン・ワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ。」





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