October 03, 2015

ミャンマー個人旅行10日間

もはや10か月も前のことですが・・・、年末年始にミャンマーを旅しました。
帰国直後、すぐにこのメモを書いておきましたが今更UPします。


ミャンマーを個人旅行される方はプランニングにそれなりに時間を割かれることとなると思いますが、よかったらご参考にどうぞ!



スケジュールと宿情報
ミャンマーへ短期間で個人で行こうとすると、下調べや予約等で手こずるかもしれません。私は、ビザも航空券も押さえた後になって、旅行をキャンセルしてもいいかなと思ってしまったほどでした。出発までの日にちがあまりなかったために、ホテル予約サイトで空きホテルを探すのに苦労をし、その他の下調べや準備にも手間がかかり、行く前から疲労感たっぷり。世界中の観光客がミャンマーに押し寄せているため、オンシーズンは特に、バガン、インレー、マンダレーの宿泊予約には時間的余裕があると良いかと思います。

私のミャンマー旅行は、ガンガン予定詰め込みまくりのタイトスケジュールでいきました。疲労は感じますが、短期で内容濃くいくのも、たまにはいいものです。楽しめました。


12/26(1日目)
タイ航空利用
10:05発 羽田空港
15:45着 バンコク
17:25発 バンコク
18:50着 ヤンゴン
18:50 ヤンゴン到着後、入国手続(行列、やや時間かかる)、両替   
19:30 予約済みの宿(空港より約3辧砲泙婆砧疏迎


「The Rock Villa」宿泊。朝食付き。
agodaで予約。US$38.78 (=当時のレートでJPY 4,637)
翌朝6時発の飛行機に乗るため、空港より3辧¬砧疏迎有りという理由で予約。部屋のクオリティと値段は全く合っていないですが、空港往復無料送迎と朝食、空港までの近距離を考えると許容。若いスタッフさんたちが細やかに働いていました。(空港から3キロで近い!なんて思ったら大間違いな住宅街の中の中・・みたいな、一人ではたどり着けそうにない場所にあったので、必ず無料送迎お願いした方がいいです。)
       


12/27 (2日目)
03:40 朝食(早い!!)
04:10 ホテル発 空港まで無料送迎
06:00 ゴールデンミャンマー航空でヤンゴン→マンダレーへ移動
07:00 マンダレー着
07:55 ゴールデンミャンマーの無料送迎バスで市内へ移動
08:50 市内到着

マンダレー市内観光
・ゼーヂョーマーケット散策(宿より徒歩) 
・サンダムニ・パヤー、クドードォ・パヤー(ゼーヂョーマーケット付近のマンダレーヒル行の乗合トラック停留所より移動。500チャット)
・マンダレーヒル(徒歩で階段を上る)
・旧王宮(マンダレーヒルからミャンマー人家族が車に乗せてくれて無料移動。マンダレー入域料支払US$10)
・マハムニ・パヤー(旧王宮→マハムニ・パヤー→滞在ホテルまでのルートでバイクタクシー2500チャット)


「HOTEL MOE THEE」宿泊 (読み方は「ホテルモディー」と言うと通じる)。
朝食付き。agodaで予約。シングルUS$30。
新しく清潔な中国系ホテル。朝食はしっかりした中華バイキングor簡単な洋食。食堂からの眺め良し。安宿なんて呼べない普通に綺麗なホテル。テレビは中国系番組のみ。部屋の音はかなり漏れるのか音がやや筒抜け感(ミャンマーのほとんどのGHも同じ)。中国の団体らしきお客さんたちも宿泊。立地やや微妙。中心街に遠く、観光にやや不便。近所に大きなスーパーあり。ナイトマーケット徒歩圏内。フロント係の若者君の旅情報はアテにならなかった・・。ミングォン行の船について確信しながら誤情報をくれたり、インレー行の夜行バスの手配をお願いしたところ、情報全くなしで問合せ等しながらで時間がかかった。英語力が若干不安定なところも。別の若いスタッフさんは、ロビーに中国人がいないことを確認してから、イタリア人客に中国人についてボロクソ話していたり、フロントお兄さんは私がホテルを出る時に「アゴダに高評価入れておいてね!」と走ってきてまでアピールしたり・・、何だかなあ・・と思う部分も。私が宿泊した部屋からは朝日が見れました。



12/28(3日目)
08:15 チェックアウト。ホテル→ミングォン行船着き場へ移動(バイクタクシー2000チャット)
09:00〜09:45 船移動(往復5000チャット、パスポート要持参)
09:45〜13:00 ミングォン滞在
13:00〜13:45 船移動
13:50〜18:00頃 サガイン、アマラプラ観光(バイクタクシー15000チャット)
20:45〜21:00 ホテル→長距離バスターミナルへ移動(バイクタクシー2500チャット)
22:00 夜行バスでニャウンシュエへ(JJ社、3列シート、11,000チャット)        



12/29(4日目)
05:00頃 ニャウンシュエ市内のJJバスオフィス到着(入域料US$10支払)
05:20 宿到着(乗合トラック1000チャット)
09:15 自転車1日レンタル(1500チャット)
10:30〜11:30 温泉(US$10)
11:45〜12時過 対岸へ自転車と共に船移動(船代8000チャット)
13:30頃 ワイナリーで昼食
15時過 ニャウンシュエ市内へ戻る

市内の市場そばの商店内で両替(レートは空港と同じでなかなか良し)
※※銀行は15時まで!!

「Blissful Inn」宿泊。客引きによる紹介。ツインUS$15。朝食なし。
ニャウンシュエに早朝到着後、予約なしでリメンバーインを訪れフル。乗合タクシー運転手さんが程近くにあるこのGHに連れて行ってくれました。博物館の裏手にあり、『地球の歩き方』掲載の地図圏外。船着き場からも遠い。明るい時間に一人で帰ろうとしても場所がわかりずらく迷った。近隣住民に尋ねてもほとんどが「知らない」の答え。町の中心に遠く不便だが、部屋は新しく清潔。レンタチャリ1日1500チャット。与えられている毛布が薄すぎるフリース1枚で、これでこの寒い夜を越せと?!と正直怒りを感じた(絶対自分たちはあんな薄い布じゃないはず)。ツイン部屋だったため余った毛布を使用し、更に1枚もらうも、それでも寒すぎ。ダウンも着込んでホッカイロを貼りなんとかしのいだ。問題なのは、フロントにいる一人のお姉さん以外全く英語が通じない。しかもお姉さんもずーっとそこに常駐していない。宿は清潔だったけれど、他をちゃんと予約すればよかったと思った。噂通り、インレーの宿は供給不足で、この時期、どこもかしこもフルらしかった。



12/30(5日目)
06:50 旅行代理店で1日ボートツアー申込(indain行を含めて20,000チャット)
07:40〜17:45 ボートツアー
記憶している限り、ゝ師見物⊆鹹溝欧離轡襯弌璽▲セサリーのお店indainマーケットとお寺見学ぅ轡襯弌偲后|訖 イ寺水上住宅街を見学Э緇綰精酳作りを見学、その他立ち寄り場所:鍛冶屋、木材&たばこ店、シルク店等々、ガーペー僧院、いくつかのお寺、夕日)
18:30 バス会社の無料ピックアップ
19:30頃 夜行バスでバガンへ(会社名不明、4列シート、12,500チャット)



12/31(6日目)
04:00頃 バガン到着(入域料US$15または16,000チャット支払)
(長距離バスターミナルより3人でタクシーシェア1人5000チャット。1台15000チャットのタクシー・・高かったらしい。お客の争奪戦が繰り広げられていた。)
04:15頃 ピンサルパGH到着
05:30 Bulethiへ日の出ツアー(6人でタクシーシェア、1人往復3000チャット)
09:00頃 ポッパ山ツアー(9人でタクシーシェア、1人往復9000チャット)
13時過  ニャウンウーへ戻る      
15:00〜18:00頃 オールドバガン観光(自転車レンタル1日1500チャット)
   

「ピンサルパゲストハウス」に宿泊。新館ツインでUS$25。朝食付き。
なにせ日本人宿(いや欧米人も半分くらいいた)、旅人との交流目的で宿泊。予約なしでは厳しいことになる可能性も。空き部屋が出なかった時は、最悪1階の広間の床にマット寝という選択肢もあるよう。本館1階の部屋を先に案内されるも、見た目厳しい水回りや古さが気になり、少し値段の高い新館にしてもらった。新館はお湯が出るそうだが、お湯が出るまでには10分ほど蛇口を開いて待っていなければならないそう。知らなかった私は出ないな〜と2度も水シャワー浴び。正直、新館の部屋でも、通気性が少し悪く、明かりが弱かったりで陰気くささを感じ、本当は、もうちょっときれいなところに泊まりたいなと思った。裏手の家の地元ミャンマー人さんたちの声がうるさい。でもここに泊まったおかげでいろんな人との交流ができたので良し。




1/1(7日目)
05:00  ニャウンウーを出発、シュエサンドー寺院で初日の出(自転車レンタル1500チャット)
日中:オールドバガン観光、ミィンカバー村方面観光
20:00過 バス会社の無料ピックアップ
20:30  夜行バスでヤンゴンへ(Elite社、4列シート、15,200チャット)




1/2(8日目)
05:30頃 ヤンゴン着。市内へ移動(タクシー1人4000チャット、4人でシェア)
06:30 ゴールデンロックツアーへ出発(タクシー1台US$140、4人でシェア=1人$35、バスで行くと1人片道8000チャットだそう)
10:00 山の麓に到着
10:30 山上へ移動(バス片道2500チャット、1時間)
11:30〜14:30 ゴールデンロック見物
14:30 山の麓へ下山(バス片道2500チャット)
15:30 ヤンゴンへ移動 
19:30 ヤンゴン着


「オキナワゲストハウス」宿泊。ドミトリーUS$10 朝食付き。
歩き方には写真が載っていなかったけれど、木造の雰囲気あるお家。3階の大きな屋根裏部屋全体をドミトリー(2段ベッドではなく、ベッドは一つずつマットレスを床に直置き)にしていて、その素敵な雰囲気に驚いた。オキナワという名だけれど日本人客ではなく外国人客の方が多い。10ドルなのに朝食が立派。宿のすぐそばには他に2軒の安宿もあり、泊まれなかったらそちらにも行けるので動きやすい。インド人街、中国人街にも徒歩圏内。スーレーパーヤーが目の前なので出かけても迷わず帰ってこれる。宿のすぐ隣にレストランがあり便利で、屋外にもテーブルが出されていて、生ビール50円ほど。ドミのベッドには蚊帳は用意されているが、水回りの共用部分に異常に蚊が多い。私はこの宿と隣のレストランで過ごした間に右足首だけで15か所蚊にさされた。左足首もほぼ同じ。




1/3(9日目)  
ヤンゴン市内観光の日
08:00〜12:00  宿→インド人街&中国人街(徒歩10〜15分)→ボージョアウンサンマーケット(徒歩約10分)→国立博物館(徒歩20分位、途中スーパーマーケット3軒立寄り)
12:00~14:30 国立博物館見学
15:00 シュエダグォン・パヤー到着(国立博物館より徒歩20分)
18:00 シュエダグォン・パヤー→スーレーパーヤーまで移動(バス100チャット)

「オキナワゲストハウス」宿泊。ドミUS$10



1/4(10日目)
07:00 空港へ移動(タクシー8000チャット)
07:30 空港着
09:50発 ヤンゴン→バンコク(タイ航空)
14:50発 バンコク→羽田(タイ航空)
22:50 羽田空港着
 

   
※2014年12月末〜2015年1月初旬情報








traveler24 at 01:33コメント(2)トラックバック(0)【帰国後】ミャンマー MYANMAR 

September 04, 2015

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風にたなびくタルチョ。デリーにあるチベタン寺院にやってきました。


このインド旅行の裏目的は、「メンツェーカン」でチベット医による診察を受けに行くことでした。当初、インド行を考える理由としては、実は、こちらの方が優位にあったかもしれません。


2006年の夏、インドのマナリに滞在していた私は、暇だったので宿にいた日本人のお姉さんに連れられて、チベット医の診察を受けてみたことがありました。


そのお姉さんによると、日本でも原因不明だった婦人科系の不調があった日本人女性が、チベット医の診察で見事に治った話や、過去に背中の辺りを悪くして手術をしたことのある知り合いのインド人が、医師が脈診等だけで背中を悪くしていたことを言い当てた話や、地元でも頼りにされていて診察に来る人が多いとかで、私も興味が湧いて訪れてみることに。


当時の私は、特に身体に問題はなく、しいて言えば、マナリに来てからなぜか下痢続きでした。私の番がやってくると、先生がまずは指で私の脈を取ります。静かに待ったあと、先生は脈診だけでなぜか私の下痢を言い当てた!「辛いもの、油っぽいもの、酸っぱいもの、甘いもの、塩辛いものは食べないように。」との指示。そして、私の症状に合うチベット薬をくれました。薬は直径1センチほどの茶色の球体。一度に5個ほど奥歯で噛み砕いて摂取というもので、あまりに苦すぎ、まずすぎで途中から放棄してしまいましたが・・・。


お見事な脈診の記憶で、今回も診察が可能であれば訪れたいなと、首都のデリーにだってチベット医がいてもおかしくないと思い、ネットで調べてみました。デリーにはチベット人街がいくつかあり、そちらにもメンツェーカンがあるらしいことがわかったので、インド滞在最終日にふらりと行ってみました。


今回の訪問先は、デリーのメトロの駅の「カシミールゲート」から徒歩10分ほどの場所にあるチベット寺院内の診療所。駅からは徒歩でも行ける距離ですが、周囲は何車線もあるような大通り。車がビュンビュン走っており、運転も荒く、周辺を歩いている人は少なく、オートリキシャを利用した方が安全です。

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寺院に近づくと、看板が見えてきた。


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マニ車だ!!


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門をくぐります。


漂うチベットのお香。
途端に、チベット旅行が思い出されました。
地元チベット人の方と同様に、私もお寺の中に入ってお祈り。
ダライ・ラマ法王の写真も飾られていたっけな。

このお寺に来てから、なぜだか気持ちがすーっとしてきた。
懐かしい香りに、日本人には親しみのある仏教寺院、
インドの喧騒から逃れられたような異空間、
自分と似たような顔のチベットの人々を見ると、「近さ」を感じて、
なんとなく安心するような感覚も手伝って、ということだったのかもしれません。



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周囲には、チベタンレストラン、市場もあります。
カレー生活を続けていたので、ここで久々に麺料理の「トゥクパ」。


日本に戻って、しばらくもらった薬を飲みました。私がもらった薬の内容は、おそらく代謝を良くし、体の循環を整える的な目的もあったのか、毎日便通作用が起き・・・、その頃、若干、痔気味で困っていたので、一旦服用は中止。薬の効果のほどは・・、正直よくわからなかったかもしれない。味はカレーのスパイス的な味のものもありました。日本の薬と違い、薬の保管環境や衛生面でも謎な部分があるであろうことは推測できるので、摂取は自己責任です。

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これが1カ月分の薬。

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今回は、ちゃんと薬をすりつぶすための器具も買いました。これ使うと超簡単!



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目に良いお茶、頭痛の時に飲むお茶、暑い季節に飲むお茶も購入。


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チベットのお香。
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これもチベットのお香。小皿に直置き用。
自宅で焚くと、即チベットへ脳内トリップ的。。
香りってば、記憶と結びつくなあと実感。

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なんだか妖しそうなマッサージオイルも買ってみた。

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焦点ブレブレな写真ですが、これはチベット医学による食材本。

どんなことが書いてるの?と受付のチベタンお姉さんに尋ねると、「例えば、唐辛子は体が熱くなるから体を温めるように思うかもしれないけど、本当は冷やすものですよ。」と、そんな基本的なことがこの本には書かれているとのことで、興味を持ち購入。




現地のチベット人の方々もひっきりなしに後から診察に来ていました。日々の不調程度にならば、こんなふうに日本でも漢方を取り入れたらいいのになと思いますが、日本では、さっさと治さないといけないので内科へ行き、薬をもらい、、、とならざるを得ない・・んでしょう。






traveler24 at 22:04コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

July 18, 2015

長らく放置していました、インド記もう少し。



ところで、インド人の老け方は日本人にはだいぶ驚きだと思います。
過去に、母親と一緒にインドを旅行した時も、このネタはよくインド人との間で持ち上がりました。

両国の50~60代の見た目年齢を比較すると、日本人は実年齢より−10歳、インド人は+10歳というところでしょうか。


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↑思わず目を取られたおじさんの後ろ姿。。肉!!
(手前に落ちている茶色の物体は牛の糞)


7年前、インドの商店のおじさんらが、私の隣にいた母親によく「お母さん、何歳?」と聞いてくるので、答えると、たびたび大きく驚かれた。次に私たちが彼らの年齢を聞き返すと、プラス10歳は老けて見えていて、今度は私たちが大きく驚く・・・という具合。


インド人のおじさんらは「厳しい気候(暑さ)が原因かな」と答える人が多かったけれど、私が思うに、それに加え、インド人の1日5食、特に夜10時頃に食べるけっこうな量のカレーの夕食や、揚げ物ばかりの軽食、激甘チャイにスイーツと、その辺も大きな原因じゃなかろうか。インドの糖尿病患者の多さは有名な話。



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↑バラナシの典型的な野良犬。
昼間はこんなふうに平和に寝てる犬も、忘れちゃいけない犬の夜行性。夜中に外を歩くと執拗に吠えられ、たまに追いかけてこようとする犬がいたりします。インドに長くいると、どこかの地域で必ず、「犬が恐怖」っていう経験をするような気がします。



しかし、中年世代のみならず、若年世代でも老け方は負けてなかったりするかもしれない。2000年にインドを旅した時、デリーの某ゲストハウスの受付に、美しすぎるお兄さんがいました。2007年にその彼を再び目にした時の私の衝撃は・・・・言葉にならないものでした。。。。「なんで?」って言葉が頭の中でこだましました。(なんで?なんで?なんで?なんで?なんで・・・・・)7年の経過にもかかわらず、15歳は老けたんじゃない?と思わせたくらいの変貌っぷりでした。


見た目変化の内容は、
・体重増加ででっぷりと体が太く
・目の下のくぼみとクマが一層際立ち(インドの人は目が大きいからかな)
・体重増加と老化で頬がたるみ・・

一度は恋をしそうになるかと思ったその美貌は完全に消えてなくなっているではありませんか!最初の美貌に惚れて恋に落ちてたら「アンタ!詐欺ダヨ!」って叫んでやりたくなる種の変化です。「見た目で恋をしてはなりません・・・」ということを教えてくれる良い例、そのまんまです。


バラナシのタブラ師匠宅には当時18歳の師匠の姪御さんがいました。今回7年ぶりに再会すると、やはり・・・。彼女も18歳がピークでした(たぶん)。全てのインド人がそうではないですが、日本人の目からすると老け方が圧倒的に速いように思えます。



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↑たしか、「旅猿」でも出てたバラナシのベジレストランにて。

このターリー、量はこじんまり。味はごく普通。たしか250ルピーくらい。店員さんに案内された時、「メニューにはチップは含まれていないよ!」とまで言われたので、一応わずかにチップを置いてみた。この夜、このカレーが原因なのか何なのか、お腹が緩くなってしまった。

タブラ師匠に、「ターリーが250ルピーだった。」と伝えたら、師匠はその価格に驚きすぎて興奮して、もう騒ぎまくることとなってしまいました。地元のごく普通の庶民にとって、250ルピーのターリーというのはどう考えてもあり得ないようです。

師匠には理解を越えた金額だったせいで、すごい剣幕で私にこう訴えます。「マドラスってレストランあるだろ?!あそこでならターリーは40ルピーだぞ!!40ルピーでもな、本当にうまいんだよ!!ハ?250?250も出してお前は下痢してんだろ?笑っちまうよ、ふざんけんじゃねえ!」みたいな調子です。。。。

私は、「はあー、すいません。ガイドブックにあったので行ってみてしまいました。でも何事も経験ですから。まずは行ってみないと何もわからないですから。」とか答えて、やっぱ高かったか、なんて思いながら、その日の夕食は師匠が言うマドラスで40ルピーくらいのターリーを食べてみました。正直、日本人の味覚からすると、やや油っぽく、やたらじゃがいも芋が多く、それほどおいしいと言い切れる味ではなかったですが、立地のせいもあって、巡礼者もひっきりなしの、常に満席のお店です。カレーのスパイス作用で体は熱くなって発汗して、食べた後はすっきり元気が出たような。インドではカレーが医食同源なんだなあと実感したりして。

短期旅行なので、価格は気にせず、とにかく滞在中はカレー三昧やってみました。


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↑バラナシのガート歩いてて、「あ〜汚いな〜もう!」とか思ってたら、目の前で掃除をしていたお兄さん発見。なんでもかんでも汚い汚い言ってすいませんと、心の中で謝りました。



traveler24 at 13:19コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

February 26, 2015

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バラナシに来た目的は、私は7年前ここバラナシでタブラ(太鼓)教室に通っていたことがあり、その当時のインド人師匠宅を訪れよう!というものです。それだけの理由でハルドワールから大移動です。


「次またインドに来ることあるかな?もしあるならいつだろう?」と、ふとハルドワールで考えた時、「今行かなかったら一体いつだ?!」ともう一人の自分がささやき始め、急きょ決断です。


7年前、バラナシを去る直前、最後のお別れをしにタブラ師匠宅を訪れたのですが、長期旅行の後半でバックパックから荷物がほぼ溢れ返っていた私は、アルゼンチンで買ったテントを先生のお宅に置いてきたのです。


一度は、先生が郵便局からそのテントを日本の私の家に宛てて発送したそうな。でもなぜか先生の家に戻ってきちゃったんだとか。二度目は、同じ教室に通ってた別の日本人生徒さんが持ち帰ってくれることになったところ、後になってその彼は先生のところに再び戻ってきて私がいつか再び取りに来るようにとまた置いていってしまったそう。そんなこんなで、テントのピックアップがインド行のネタにもなっていたほどでした。ようやくここで実現です。


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何の連絡もなしに、突然の訪問。
しかも元日明けの1月2日。
いきなりドアをたたいて誰かが出てきてくれるのか、、、
ドキドキしながらドアが開くのを待っていました。


師匠現れました。目が真ん丸です。
私:「Do you remember me?」
師匠:「Of course!!」
で、思わずハグです。


「7年」という時を感じずにはいられませんでした。師匠の容貌には大きな変化があり(おそらく日本人よりも容貌の変化が激しい)、ただ、時が経ってしまったんだな・・・・・と、「悲しい」でも「嬉しい」でもない、なんだかよくわからない感情のうねりが私を突き動かし、号泣です。しばらく涙が止まりません。こういう「再会もの」で自分が泣くような人間とは思っていなかったので、自分自身にも動揺です。一体なんなんだ、これは。何に対して涙が出ているのか。そしてなぜ涙は止まらないのか。



師匠も「7年は長いよ。」とポツリ。
互いのそれからの7年間を話し始めました。一体私は7年で何か変わったのかな?何をしていたのかな?とグルグルグルグル思考が大発動し始め、もう、何が何だかわかりません。

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↑これが7年ぶりに回収された私のテント。大したものでもなんでもなく、アルゼンチンのスーパーで確か20ドル程で買った安物です。7年分の埃の積み重なりと汚れがとんでもありませんでした。



午前中に訪れ、昼頃には一度さようならをし、もう心身共にぐったり。ものすごいエネルギーの動きがあった感。過去に長期旅行をしても、その土地で再会できるような現地の人物というのは多くはないですが、「少し知ってる」とか「少しお世話になった」という程度を越えてしまう交流があった人とは、こういうことになるんだな、、と身を持って知りました。ま、一種の「ウルルン滞在記」です。友人でも家族というカテゴリーでもない人でもウルルンは来るらしい。「表面上その場でさらり」の交流で終わるのではなくて、本当は旅先でもこういった交流が多いと、旅の味わいも深くなるのかもしれません。



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師匠宅で大きなエネルギー消耗を感じた後、ベンガリートラの小道を行くと、巨体牛が道を占拠中。今回気がついたのは、地元の人も意外に大きな牛のことを怖がっていたということ。女性のみなさん、少し怖がりながら刺激をしないように牛が動くのを静かに待っていますが、なかなか動かない牛さん。そこへ飛び跳ねてやってきた小僧が巨体牛を「ベシっ!」とぶったたき始めます。でも動じない牛さん。今度は地元のおじさんが「ハーっ!!!!」とか言いながらまたもや胴体を手の平でたたきます。ようやっと向きを変えてくれた牛さん。あらゆる動物がほぼ苦手なわたくしも、これで安心して通行できました。

もう一つ気がついたのは、リシケシの牛よりバラナシの牛の方が、数も多いし巨体率が高すぎ!ということ。リシケシの牛より10倍くらい大きくない?と思いました。動物苦手派にとっては時々きつい。2000年にこの町に滞在中、ベンガリートラで子牛と思いっきり目が合いました。動物苦手な私は、「げっ、やばい」と思い、ササッとその場を立ち去ろうとしたら、子牛が後ろから私の太ももにパクついてきたではありませんか!!幸運にも太ももに歯は入りませんでした。無意識の動物に対する恐怖オーラが子牛を警戒させた模様です。昔、ゴアでも牛の集団が私を警戒して一斉に寄ってきたことがあったかも・・・・・


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↑こっちはやせこけた牛。

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↑こっちは水牛(だっけ?)


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師匠宅を出て向かった先は、アッシーガートの「ピッツェリア」。ここは7年前もおいしいと評判だった窯焼きピザ屋さん。今回も変わらぬ味でインドとは思えないおいしいピザです。デザートにはアップルパイwithアイスクリームが人気で、こちらも変わらず美味。パイは窯で温められて温かく、その上には冷たいアイスがのせられ、素晴らしいコンビネーションです!ただし、屋外なのでハエは本当にブンブン・・・







traveler24 at 22:12コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

January 26, 2015

このインド記も1年前のことに・・・さくっと更新します!

駅に到着し、さっそく人力車と交渉です。
バラナシ鉄道駅→ゴードリヤー交差点まで言い値100ルピー⇒30ルピーで乗車。


(ゴードリヤー交差点でGH客引きのインド人の人もウロウロしてます。「インド何回目?」と聞かれ、「4回目」と返答。「どこ泊まってたの?」と聞かれ、「ヴィシュヌレストハウス」って答えたら、「OK」と言われ、静かに私から離れていきました・・・・。インド初めての人をつかまえて「どこもフル!」とか言い放って、1泊1000ルピー以上位払ってくれそうなお客さんを探していると思われる。)



前よりも一層の混雑っぷりと大気汚染。もう、大大大渋滞。
事故とか本当大丈夫かなって心配になってしまう。



元日の1月1日に到着。
いつものベンガリートラを歩いてみると、けっこうシャッター閉まってました。
インドの人もホリデーということで大体家族と過ごしているそうです。

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↑夜に到着したので、まずはガートへ。変わらぬ雰囲気。


何度か過去にお世話になった「ヴィシュヌレストハウス」のドミトリーもインフレで値上がりしており、7年前50ルピーが120ルピーへ。短期旅行でドミトリーっていうのもややキツイので、近所の「Yogini Rest House」の個室に決めました。ガンガーも見える最上階でホットシャワーのバス付の良心的な値段の300ルピー。


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↑バラナシでもすきま風が厳しかった。
持ってる服を着込んで寝るものの、頭にすきま風直撃→見事に風邪。



7年前より韓国の人が2倍くらい多いです。小さな子供もお年寄りも来ているような印象です。なんなんでしょう、「一生に一度はガンジス川に行っとけ」みたいな動きがあるんでしょうか?日本人旅行者はほーーんのわずかしかいません。インド人の人たちも「日本人が減った」と言っています(7年前もそう言ってた)。それと最近は、以前よりももっとアッシーガートに滞在する旅行者が増えたそうです。7年前もアッシーガートに滞在する人は確かにそれなりにいました。


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ガートでプージャーが始まりました。
インド人も年末年始のホリデーのせいか、より一層多いようでした。



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右も・・・・



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左も・・・・
人でごっちゃり。


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このプージャー、5人の青年が行っていますが、
「誰が最もイケメンか」とかいうので女子は盛り上がったりします。


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2000年に訪れたときはこんな大きなプージャーは全くなく、本当のサドゥーらしき人物がただ河に向かって鐘を持ち、お経を唱えていた記憶です。質素だったそれは信仰心なくともなぜか見入ってしまう種の祈りの様子でしたが、バラナシは今後もより一層の観光地化を目標にする予定とかいうのを以前に日本の新聞で読んだので、このプージャーもその一つに取り込まれると思われます。もっともっと派手になっていくのかしら。2007年→2014年の7年間では若干派手になったなという印象です。


バラナシまだ続きます。







traveler24 at 22:58コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

December 26, 2014

ハリドワールからバラナシへの列車が遅延だったので、そばにいたインド人青年と話をしてみたら、今まで長期旅行をしていても知らなかったインドの鉄道事情。



インド人青年がインドの列車について意見をくれた。私のチケットは「2等sleeper」(暖房なし、ただのビニールベッド)だったわけですが、彼のは1等3段ベッド(暖房(AC)・ベッドシーツ付)。私は長期旅行中は基本2等sleeperのみの利用で、今回も突然の予約で2等sleeperしかなかったのでそうしましたが、インド人青年的には、

「2等はさ、general guyが入ってくるからマジでやめた方がいいよ!」とか言います。
まず「general guy」って意味がわからない。「へー?general guyってなんですか?」です。すると、青年「あー、そっか、YOUはgeneral guyを知らないのね」ということで説明をしてくれました。


聞いてみると、インドの列車は外国人は比較的まだ取れやすいですが、人口の多いインドでインド人用の普通枠(軍人枠、女性枠、障害者枠…等々の特別枠を除いた普通枠)、は押さえるだけでもそれなりに苦労するわけで、そうなると、座席無しでも移動せざるを得ない人々というのが、2等列車に乗り込むことになり、席にあぶれた人々が床やそこら辺にいる状況です(自分もかつて経験済み)。それでも彼らもお金を払って乗り込んでいるわけで、自分がベッドを確保できても下段だったりするとなぜかベッドの隅っこに知らない人が座っていたり床に人々が座っている状況というのがあります。そういった人々は2等sleeper車両に乗ることは許されていても1等車両に侵入することはできないので、安全面からもやめた方がいいという彼の意見でした。

聞きながら「ふ〜ん、確かに。」と思う私でしたが、遅れた列車がとうとうやってきて自分のベッドにたどりつくと、インド人青年の話す意味がよーくわかりました。私のベッドは今回「女性枠」で予約しましたが、インド人夫婦の夫が座席確保ができなかったため、レディースゾーンなのになぜか男が紛れ込む状況となりました。私は3段ベッドの真ん中で、この夜風邪気味な体調だったので即寝たいところ、ベッドを設定すると、下の段にいる座席にあぶれた夫が普通に座れない体勢になるのが目に見えるのでしばらく気を使ってあげましたが、見ず知らずのただの男だったらそのゾーンには入れなかっただろうに、一応「夫」ということで許可されたようです。夫婦は小さなベッドに二人で横たわったようです(夫が大きい人だったので、相当狭い)。

乗り込む前にそんなことを言われてしまったので、2等列車内を見る目が以前とはやや変わってしまい、自分自身としても、もっと若かった頃の、いろんなことおかいまし、何でもへっちゃらというような体力もエネルギーもやや失われているためか、その上、短期旅行でもあるせいか、インド人青年の意見が今回はすんなり入ってしまいました。できれば1等の方が良かったかなーなんて。

そうこうしているうちに、この車両で何よりも大問題だったのが、ここでもやはり「すきま風」です。そう来るか!!想定外すぎるよ、ガイドブックにも書いてないよ!!「インドの冬はすきま風に気をつけろ!」なんて知る由もないよ!と言いたいところです。2等sleeperの窓のカギの立てつけが悪く、ずりずりずりずりと窓が上に持ち上がり、下げても下げてもずり上がる。もう、極寒です。

周りのインド人のみなさんは、かなり厚手の毛布やら枕やらしっかりと持ち込んでいるではありませんか(ここまでやっているのは初めて見た)。意外だったのは、みなさんちゃんとシーツも用意している。私は長期旅行中も一度もシーツなんて敷いたこともなく、ビニールベッドに直寝が当たり前で、インド人もそういうものだと思っていたので今更カルチャーショック状態です。

これまでは、明らかにお金持ちインド人以外の多くのインドの人は、もう何もかもめちゃくちゃで、いろんなことなーんも気にしないように見えていた若かりし頃でしたが、今回は短期なのに小出しにいろんなことに気が付く面白さ。次回インドに行ったらまた何に気がつくんでしょう。



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December 22, 2014

インド旅行の目的だったヨガは、リシケシでたったの2クラスのみの参加となってしまいました。

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↑7年前にはなかった大きなハヌマーンのオブジェ。


参加したクラスは下の二つ。
.▲轡絅織鵐ヨガの「Tattvaa Yogashala Rishikesh 」のビギナーコース。
◆慂發方』に載っているという「YOGA VINI」。(こちらは現地で日本人の旅行者に教えてもらいました)


,離▲轡絅織鵐ヨガクラスの先生はまだ20代前半みたいな風貌の小柄な体操の先生的なお兄さんでした。筋肉もりもり。日本とは違い、がーんがん、ぐいぐい伸ばしにかかってきますが、なぜかこれが嫌な種類のアジャストでなく、こちらの体もよく伸びてくれて爽快に。毎日ここに通ってたら体の変化も早いかも。終わる頃には心も体もけっこう元気になってました。


△痢屮茱ビニ」は神妙な、妖しさすら漂う若い先生。ハタヨガで、ものすんごい微細なアライメントを求める内容で、最近のリシケシのヨガはこの手の方向なのかな?7年前、ヨガニケタンに滞在した私ですが、その時もハタヨガだったけれど、こんな細かな指示は基本一つもなかったので、ヨガブームと共にインドのヨガ教室の指導方法も変わってきているんだろうと思います。一緒に参加した女の子と後に、こちらの教室を「エロビニ」とふざけて呼ぶようになってしまいました。先生の雰囲気というか、なんとなくエロさ漂うかんじがあります。参加されるとおそらくわかります(笑)最後の足マッサとかややエロいんではないか。


かつてシバナンダアシュラムにいらした日本人の女性の先生はもうこちらにはいないそうです。ガーン。。。。楽しみにしていたのに。7年前、ヨガニケタンで体育教師的な先生のクラスにやや嫌気を感じ、ここの先生のクラスに参加したら非常によかった(菅野美穂のヨガ旅のDVDにも映っている先生)。


そんなこんなでリ当初リシケシに1週間居ようと思ったのに、2泊3日で出ることに。でも、7年前初めてリシケシを訪れた時も、私はそれほどリシケシ派な人ではなく、特別しっくりくる土地には感じられなかったことを思い出しました。こういう理由なきフィーリングの部分って、時を経てもあまり大きく変わらないものだなあ。


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アシュタンガヨガ後に食べたターリー。今回のインド旅行ではこれでもか!!というくらい毎食ターリーを食べてみました。微妙なツーリスト向けの店で微妙な欧米食を食べるより、短期旅行なのでカレー漬けもいい。


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↑乾季ってば、こんなにも水量が違うんだ!と驚きます。砂利が見えるなんて!雨季はゴーゴーと溢れんばかりに流れています。



デリーあたりから裕福そうな見た目の若者がグループで大挙してます。目的はラフティング。前回は雨季だったので、そんなアクティヴィティーがリシケシにあるともつゆ知らず。


こうして、2014年12月31日から2015年1月1日にかけて、夜行列車内で過ごしてしまうこととなりました。ちなみに、ホームで他に外国人はいるのかどうか見渡したところ、他にたったの5人ほどしかおりませんでした・・・!




traveler24 at 21:42コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

December 10, 2014


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7日間まるまる滞在しようと思っていたリシケシでしたが、現地で2泊3日プランに急きょ変更いたしました。





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↑ガンジス河。橋の上から。川幅非常に広し。
7年前も今も変わらず、この大きさには驚かされます。



リシケシを7年ぶりに訪れると・・・・町はだいぶ変わってた・・・

ほぼどのインド人も見事に私に賛同するほど。彼らですら「big change‼!!」って言うくらいなので。現地人がそう認めるくらいの変化なんだから、外から7年ぶりにやってきた私なんてもう、何がなんだかさっぱりわけがわかりませんでした。



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↑ハリドワールからリシケシまではローカルバスで1時間。
こんなに揺れたっけ・・・。こんなにノロかったっけ・・・。バス汚い・・・。
(汚い部分は写真に収めておりません。。車内の床には「おこし」みたいなお菓子の大量の米粒みたいのやゴミやら、ぶちゃーーっと散らかり放題)

同じバス車内にいたセルビア人の子とトゥクトゥクをシェアし(二人で100Rs)
リシケシ→ラクシュマンジュラまで移動。




ラクシュマンジュラに降りてみると、
頭の中に「?」マークが次から次へと浮かんできます。


建物の階数が増えていて、「アシュラム」と名の付く施設が激増していて、同じ土地なのかどうなのか、違うエリアに私はいるのか、どうにもこうにも私の頭の中の過去の地図と、現在の地図が全然一致してくれません。


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↑こんなの7年前にあったけ?なラムジュラエリアの彫像物。



自分が地図のどこにいるのかもつかめずウロウロしていると、
ゲストハウスの人が客引きで声をかけてきた。



「今朝、橋の向こうで地元の大物政治家が自殺した。
今日はあちら側ではすべての店がクローズだよ。」


とか言ってきたので、


「でたー、おきまりのデマ情報流してツーリストを釣ろうとしてんのか、このおっさんは。」とか思った私。



大げさだけどありがちな作り話かなとか思い、聞く耳持たず、橋を越えてのラクシュマンジュラエリアにたどり着いた。




そしたら、本当に大物政治家が自殺したらしく、全商店、レストランも閉まっていて殺伐とした空気が流れている。なに、このタイミング。

これじゃ、今日ここに泊まってもなあ・・・、でもどこにしよ・・・、ここからラムジュラーまで歩いたらまた15分・・・、あー・・・微妙。


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↑白人のお兄さんがこの辺で瞑想してた。ロケーションgood。



7年ぶりに目にしたリシケシの見た目俗っぽい大変化、ラクシュマンジュラエリアのシャッターの閉まりっぷり、あのしーんとした空気を前に、肩に食い込む荷物の重さも手伝い、テンションが少しづつ下降。



ラムジュラー、ラクシュマンジュラー、タパボンの3エリアは各エリア間に若干距離があり、一旦宿を決めると宿替えがやや面倒です。

結局、『歩き方』に載っていたタパボンの「黄色い家」に泊まってみました。清潔です。ただ、年末年始時期のリシケシは、夜はもちろん寒くて、窓からすきま風がかなり入りこみ、カーテンはそのすきま風で普通にふわふわとなびいています。(過去に長旅をしていても、インドのすきま風事情は全く知らん・・)

夜に洗髪し、ドライヤー無しで自然乾燥で寝ると、その濡れた頭をすきま風が直撃する構図です。私はこの旅でこれを繰り返し、旅の後半、見事に風邪っぽくなりました。


タパボンはここのところ大型リゾート施設の開発中で、基本は、宿泊施設だけがあるようなエリアなのでお店も少なくとても静か。夜に「黄色い家」に戻る時は、人気もなく真っ暗で怖いので、そこだけ注意です。私はダッシュで帰ったりしていました。あとは静かで穏やかに過ごせるナイスな場所です。空気も良し。



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December 05, 2014

短期旅行でもインドを感じる瞬間。


今回、直行便で入国して、空港からの移動だってあんな快適列車に乗せちゃってくれるインド、そしてハルドワールまでの移動だって金かけまくりの1等列車とか乗っちゃった自分は、貧乏旅行時とは違って、今回インド特有のゴタゴタもなく、このままトラブルなしでキレイに進むのかしら〜?と思ったところにやってきた「やっぱりインド」。




ハルドワール駅からガンガーまで往復サイクルリキシャーに乗ったところ、帰りのリキシャのおっさんともめました。キター!インド人との言い争い(第1発目)。


互いに了承した金額を私が到着地で払おうとすると、おっさん、突然ギャーギャー騒ぎ出し、上乗せ金額を言いだし、受取らず。相手が騒ぐのでこっちも大騒ぎすることとなりましたが、なかなか収束しませんでした。


現地の人々によると、2013年12月時点では、ハリドワール駅⇔ガンガーのサイクルリキシャの値段は15ルピー位だそう。私は行きは15で乗り、帰りは20でOKして乗ったところ、おっさんとこのような喧嘩が勃発。なんで?



おっさん、そのうちに周りの関係ないインド人も巻き込んで主張し始め、そうするとこういう状況ではヒンディー語でいいように周りの人に訴えているに違いないので、周りのインド人も私に対し、「払いなよ」という形勢になってしまい、余計に面倒な展開に。



こういうところがインドの面倒くささではあると同時にインドらしさでもあり、また、インドの下痢に次ぐ通過儀礼みたいなものでもあり、「ああ、インドっぽい・・・・」とか久しぶりに感じてしまうのでしたが、


でも、歳取るとだんだんこの手のやりとりが本当に面倒で、できればスルーしたいし、エネルギーも消耗されるのがわかります。


短期旅行で時間もないし、所詮と言っては失礼ですがルピーなので、もうバラマキでもいいような気もしてきていましたが、まあでも、これこそまさにインドっぽいので応戦しておきました。



リキシャのおじさんは顔と体で選びたいところ(というと変ですが)。寡黙そう、やせ形、いかにも汗水流して働いている姿なこちらが申し訳なさすら感じるお父さんタイプだと、スピードは遅いけれどまあ安心。ややふくよかになってくると、こちらもやや警戒という具合に私はなります。このおじさんはいけると思ったのに。



日本で、あかの他人と言い争いする場面は、満員電車でのトラブルとか酔っぱらってトラブルとか、そんなでしょうか。でも、改めて考えると、インドで観光客に対するぼったくりや詐欺やインドの不潔っぷりに対するストレスより、日本での満員電車での我慢の方がストレス度としては高いかも・・・・ストレスの質と種類が違うんだな。



次回ようやっとリシケシ記にいけたらいきます



〈ハルドワールでのスケジュール〉↓

・早朝ニューデリー発→昼頃ハルドワール着
・午後3~4時頃までハルドワールをぶらぶら(ロープウェイにも乗って)
・ローカルバスでリシケシへ移動(夕方着)
・夜のプージャーは、再びリシケシ→ハルドワールへと戻った日に、夜行列車でハルドワール→バラナシに移動することとなっていたので、ハリドワール駅に荷物を預け、川まで移動してプージャーを立ち見。

traveler24 at 21:47コメント(0)トラックバック(0)【帰国後】インド INDIA 

November 29, 2014

しばし放置されているインド記の続き・・・


DSCF1314

↑ハルドワールのプージャー。

ハルドワールの夜のプージャーはとてもGOODです!
プージャーの頃になると外国人はすこーしいます。

バラナシの、いつの間にか観光客用のイベントのように
なってしまった派手なプージャーに比べると、
こちらの方がより儀式っぽく、圧倒的にインド人ばかりが
たくさんいるのもいい。鐘の音や流れているお祈りの曲もいい。


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日が沈む時間にかけて行われるので、終わった頃の夜の光景もなかなか好きでした。

バラナシのプージャーを見ていて祈りの気持ちが
起きたことは全然なかったけれど、ハルドワールの方は
自然と祈りの気持ちが起きました。
不思議です。感動的だったな。


DSCF1323







DSCF1329

↑あとは駅で約5時間ほど夜行列車を待つことに・・・。
ちなみにこれでも1等車両乗客用の待合室で、お手洗いの不潔度がやばい。
2等車両乗客用の待合室はハルドワール駅にはないため、人が駅にあふれかえることに。



DSCF1333

↑聖地なのでサドゥーも駅に多し。


ハルドワール駅だけではないですが、
ニューデリー駅もどこでもですが、
ハルドワール駅、、、大変に汚い・・・・・!!と思いました。


リシケシ行のバス停に歩いて行こうとしたら、
泥んこ豚が駆け巡ってるのまで見ました・・・・・。
どうなってるんだ・・・この駅と。
駅前は生ゴミ臭が漂っています。


久々のインドだと、10分に1回くらい
「なんで掃除しないんだろう」
とか心の中で思ってしまっていました。

そんなことは長期旅行中思ったこともありません。
汚さに慣れてしまって、それが当たり前だと思っていたからです。
でも、短期で突然日本から飛んでくると、全然理解できません。


そこで、ちょいちょい観察をしてみた。
「なんで掃除しないんだろう」と思うとすぐそこで、
一応、箒を持って掃除をしている姿なんかが見かけられたので(!!!)
掃除をしていないわけではないようです。(インド人の名誉のためにもなるな)


その掃除をする人物はというと、20歳前後位の青年であることが多かったような。
ゴミを集めて、ゴミ捨て場らしき場所にそのゴミを捨てますが、
そのゴミ捨て場らしき場所は、規定の場所でもなんでもなく、
「なんとなくゴミが集められている場所」な雰囲気。
その先それがどこに行くのか、処理されているのかは不明。


日本とは気候も違うので、箒ひとはきで、砂埃がぶわーーっと巻き上がり、
さらには、インドの人はゴミをすぐに地面に捨てるので
掃除をしてもしても間に合いません、というサイクルのよう。。。


おそらく、「掃除をする人間」というのが、カースト制度の下の下の下・・
みたいな位置の人ということのためなのか、
地位や身分に関係なく、どんな人でもが積極的に掃除を
するなんてことにはならないんだろうなと思いました。


日本人が会社に出社直後に会社回りを掃除するとか、
会社によってはトイレ掃除までするなんてことは、
インドでは100年経ってもあり得ないのかもしれません。


むかし、エアインディアに旦那さんが務めているというお金持ちインド人夫妻の家を訪問&宿泊する機会がありました。日本でいうマンションらしき建物に住まいがあり、もちろんお手伝いさんがいて、トイレ掃除なんかは絶対にお手伝いさんの仕事のようで、ご本人らは掃除したことすらないんじゃないかと思われました。

私たちの目の前で、偉そうに10代の若い女の子(お手伝いさん)にきつく言いつけながら、プンプン&イライラしていたインド人奥様、、、、そこに人としての尊敬のある接し方があるようには見えず、日本で育った私には到底計り知れないカースト制度によるものらしいことはなんとなく見て取れました。

しかし、お手伝いさんの女の子も全く平然としていたような(?)
身分も違うのでそういうものだと思っているのかどうかわかりませんが、インドはこうしてこれまでやってきたというところでしょうか。う〜ん。




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