年末年始

July 18, 2015

長らく放置していました、インド記もう少し。



ところで、インド人の老け方は日本人にはだいぶ驚きだと思います。
過去に母親と一緒にインドを旅行した時も、このネタはよくインド人との間で持ち上がりました。

両国の50~60代の見た目年齢を比較すると、日本人は実年齢より−10歳、インド人は+10歳というところでしょうか。


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↑思わず目を取られたおじさんの後ろ姿。。肉!!
(手前に落ちている茶色の物体は牛の糞)


7年前、インドの商店のおじさんらが、私の隣にいた母親によく「お母さん、何歳?」と聞いてくるので、答えるとたびたび大きく驚かれた。

次に私たちが彼らの年齢を聞き返すと、プラス10歳は老けて見えていて今度は私たちが大きく驚く・・・という具合。


インド人のおじさんらは「厳しい気候(暑さ)が原因かな」と答える人が多かったけれど、私が思うに、それに加えインド人の1日5食、特に夜10時頃に食べるけっこうな量のカレーの夕食や揚げ物ばかりの軽食、激甘チャイにスイーツとその辺も大きな原因じゃなかろうか。インドの糖尿病患者の多さは有名な話。



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↑バラナシの典型的な野良犬。
昼間はこんなふうに平和に寝てる犬も、忘れちゃいけない犬の夜行性。

夜中に外を歩くと執拗に吠えられ、たまに追いかけてこようとする犬がいたりします。インドに長く滞在するとどこかの地域で必ず「犬が恐怖」っていう経験をするような気がします。



中年世代のみならず、若年世代でも老け方は負けてなかったりするかもしれない。。。


2000年にインドを旅した時、デリーの某ゲストハウスの受付に美しすぎるお兄さんがいました。


2007年にその彼を再び目にした時の私の衝撃は・・・・言葉にならないものでした。。。。

「なんで?」って言葉が頭の中でこだましました。
(なんで?なんで?なんで?なんで?なんで・・・・・)
7年の経過にもかかわらず、15歳は老けたんじゃない?と思わせたくらいの変貌っぷり。。。


容姿変化の内容は、
・体重増加ででっぷりと体が太く
・目の下のくぼみとクマが一層際立ち(インドの人は目が大きいからかな)
・体重増加と老化による頬の明らかなたるみ・・

一度は恋をしそうになるかと思ったその美貌は完全に消えてなくなっているではありませんか!最初の美貌に惚れて恋に落ちてたら

「アンタ!詐欺ダヨ!」

って叫んでやりたくなる種の変化です。
「見た目で恋をしてはなりません・・・」ということを教えてくれる良い例そのまんまです。


バラナシのタブラ師匠宅には当時18歳の師匠の姪御さんがいました。今回7年ぶりに再会すると、やはり・・・。彼女も18歳がピークでした(たぶん)。全てのインド人がそうではないですが、日本人の目からすると老け方が圧倒的に速いように思えます。



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↑たしか、「旅猿」でも出てたバラナシのベジレストランにて。

このターリー、量はこじんまり。味はごく普通。たしか250ルピーくらい。店員さんに案内された時、「メニューにはチップは含まれていないよ!」とまで言われたので、一応わずかにチップを置いてみた。この夜、このカレーが原因なのか何なのか、お腹が緩くなってしまった。


タブラ師匠に「ターリーが250ルピーだった。」と伝えると、師匠はその価格に驚きすぎて興奮して、もう騒ぎまくることとなってしまいました。地元のごく普通の庶民にとって250ルピーのターリーというのはどう考えてもあり得ないようです。


師匠にはあまりに理解を越えた金額だったせいで、すごい剣幕で私にこう訴えます。「マドラスってレストランあるだろ?!あそこでならターリーは40ルピーだぞ!!40ルピーでもな、本当にうまいんだよ!!ハ?250?250も出してお前は下痢してんだろ?笑っちまうよ、ふざんけんじゃねえ!」みたいな調子です。。。。


私は、「はあー、すいません。ガイドブックにあったので行ってみてしまいました。でも何事も経験ですから。まずは行ってみないと何もわからないですから。」とか答えたものの、やっぱ高かったかなんて思いながら、その日の夕食は師匠が言うマドラスで40ルピーくらいのターリーを食べてみました。正直、日本人の味覚からすると、やや油っぽく、やたらじゃがいも芋が多く、それほどおいしいと言い切れる味ではなかったですが、立地のせいもあり、巡礼者ひっきりなしの、常に満席のお店です。カレーのスパイス作用で体は熱くなって発汗し、食後はすっきり元気が出たような。インドではカレーが医食同源なんだなあと実感したりして。

短期旅行なので、価格は気にせず、とにかく滞在中はカレー三昧やってみました。


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↑バラナシのガート歩いてて、
「あ〜汚いな〜もう!」
とか思ってたら、目の前で掃除をしていたお兄さん発見。
なんでもかんでも汚い汚い言ってすいませんと、心の中で謝りました。



traveler24 at 13:19コメント(0) 

February 26, 2015

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バラナシを訪れた目的は、私は7年前ここバラナシでタブラ(太鼓)教室に通っていたことがあり、その当時のタブラ教室のインド人師匠宅を訪れよう!というものでした。それだけの理由でハルドワールから大移動です。


「次またインドに来ることあるかな?もしあるならいつだろう?」
と、ふとハルドワールで考えた時、
「今行かなかったら一体いつだ?!」
ともう一人の自分がささやき始め、急きょ決断です。


7年前、バラナシを去る直前、最後のお別れをしようとタブラ師匠宅を訪問した際、長期旅行の後半でバックパックから荷物がほぼ溢れ返っていた私は、アルゼンチンで購入した安テントを先生のお宅に置いてきたのです。


一度は先生がそのテントを郵便局から日本の私の家に宛てて発送したそうな。でもなぜか先生の家に戻ってきちゃったんだとか。二度目は同じ教室に通ってた別の日本人生徒さんが持ち帰ってくれることになったところ、後になってその彼は先生のところに再び戻ってきて私がいつか再び取りに来るようにとまた置いていってしまったそう。そんなこんなで、テントのピックアップがインド行のネタにもなっていたほどでした。ようやくここで実現です。


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何の連絡もなしに、突然の訪問。
しかも元日明けの1月2日。
いきなりドアをたたいて誰かが出てきてくれるのか、、、
ドキドキしながらドアが開くのを待っていました。


師匠現れました。目が真ん丸です。
私:「Do you remember me?」
師匠:「Off course!!」
で、思わずハグです。


「7年」という時を感じずにはいられませんでした。師匠の容貌には大きな変化があり(おそらく日本人よりも容貌の変化が激しい)、ただ、時が経ってしまったんだな・・・・・と、「悲しい」でも「嬉しい」でもない、なんだかよくわからない感情のうねりが私を突き動かし号泣です。

しばらく涙が止まりません。こういう「再会もの」で自分が泣くような人間とは思っていなかったので、自分自身にも動揺です。一体なんなんだこれは。何に対して涙が出ているのか。そしてなぜ涙は止まらないのか。



師匠も「7年は長いよ。」とポツリ。
互いのそれからの7年間を話し始めました。一体私は7年で何か変わったのかな?何をしていたのかな?とグルグルグルグル思考が大発動し始め、もう何が何だかわかりません。

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↑これが7年ぶりに回収された私のテント。アルゼンチンのスーパーで確か20ドル程で買った安物。7年分の埃の積み重なりと汚れがとんでもなかった。



午前中に訪れ、昼頃には一度さようならをし、もう心身共にぐったり。ものすごいエネルギーの動きがあった感。過去に長期旅行をしても、その土地で再会できるような現地の人物というのは多くはないですが、「少し知ってる」とか「少しお世話になった」という程度を越えてしまう交流があった人とはこういうことになるんだな、、と身を持って知りました。一種の「ウルルン滞在記」です。友人でも家族というカテゴリーでもない人でもウルルンは来るらしい。「表面上その場でさらり」の交流で終わるのではなく、本当は旅先でもこういった交流が多いと旅の味わいも深くなるのかもしれません。



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師匠宅で大きなエネルギー消耗を感じた後、ベンガリートラの小道を行くと、巨体牛が道を占拠中。今回気がついたのは地元の人も意外に大きな牛のことを怖がっていたということ。

女性のみなさん、少し怖がりながら刺激をしないように牛が動くのを静かに待っていますが、なかなか動かない牛さん。そこへ飛び跳ねてやってきた小僧が巨体牛を「ベシっ!」とぶったたき始めます。

でも動じない牛さん。今度は地元のおじさんが「ハーっ!!!!」とか言いながらまたもや胴体を手の平でたたきます。ようやっと向きを変えてくれた牛さん。あらゆる動物がほぼ苦手なわたくしも、これで安心して通行できました。



もう一つ気がついたのは、リシケシの牛よりバラナシの牛の方が、数も多いし巨体率が高すぎ!ということ。リシケシの牛より10倍くらい大きいんでは。。動物苦手派にとっては時々きつい。

2000年にこの町に滞在中、ベンガリートラで子牛と思いっきり目が合いました。動物苦手な私は、「げっ、やばい」と思い、ササッとその場を立ち去ろうとしたら、子牛が後ろからついてきて私の太ももにパクついてきたではありませんか!!ギャ〜!!!幸運にも太ももに歯は入りませんでした。無意識の動物に対する恐怖オーラが子牛を警戒させた模様です。昔、ゴアでも牛の集団が私を警戒して一斉に寄ってきたことがあったかも・・・・・


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↑こっちはやせこけた牛。

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↑こっちは水牛(だっけ?)


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師匠宅を出て向かった先は、アッシーガートの「ピッツェリア」。
ここは7年前もおいしいと評判だった窯焼きピザ屋さん。今回も変わらぬ味でインドとは思えないおいしいピザです。

デザートにはアップルパイwithアイスクリームが人気で、こちらも変わらず美味。パイは窯で温められて温かく、その上には冷たいアイスがのせられ、素晴らしいコンビネーションです!ただし、インドなので、、屋外なので、、ハエは本当にブンブン・・・







traveler24 at 22:12コメント(0) 

September 16, 2014

沐浴ガート「ハリ・キ・パイリー・ガート」に到着。

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↑7年前の記憶では、早朝の巡礼客でごった返していて撮った写真も色とりどり。雨季だったため水量も本当に多くて霧がかり神秘的な絵でしたが、乾季はまたそれとは違ってカラッと穏やか。


写真の右後ろに小さく背中を向けて写っている石像はシバ神です。
(といっても、無理がある写真か。。)


実物はかなり大きく筋肉ムキムキ&スタイル抜群な青年像といったかんじ。できれば正面から見たいところですが、リシケシ行のバスではこのシバ神の正面を通過しないので、正面から見たい場合はトゥクトゥクでアクセスとなります。



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川を挟んで両岸で沐浴。

お寺や着替え場所があるサイドでは裸足になっていないと靴を脱ぐよう注意されます。



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↑現地のみなさん、沐浴中

確か、身内の人が亡くなると、全てのヒンズー教徒に共通ではなさそうですが、家族皆で髪の毛を剃るんだそう。女性でも坊主となってしまいます。

インド滞在中に、丸坊主でなくて、豚のしっぽみたいなくるりんちょび毛だけを頭の高い位置に残したヘアスタイルも見かけるかもしれません。そちらも確か身内の不幸系だったっけ・・・(不確か)



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↑バラナシのガンガーと比べると、驚くほどきれい。一見、海っぽいような透き通り具合。


しかーし!
7年前にここで沐浴したとき、「まあまあきれいだな」なんて思ってそれほど抵抗なく沐浴しましたが、着ていた服を洗濯すると、しつこくしつこく茶色の汚れが出てきて、においもくっついてしまっていました(どぶ臭・・・・)
でも、その時は雨季だったので乾季とも違うのかもしれません。


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↑一応流されないように、鎖があります。
雨季の記憶ではちょっと怖いって思った記憶あります。雨季はかなりゴーゴーと流れてます。





ハルドワールのガンガーでは昼でも夜でも、
寄付金を回収(徴収?)する職員が数人います。
外人を見つけると、遠くからでも


「ハローーーーーー!!マダム!!!」



と、強烈な、どでかい声で叫ばれます。
インド人にはこんな叫び方しません。ひどい。




ここでも、1等車両列車の掃除ボーイのように、「外人=金」みたいなとらえ方、ほんとにやめてほしいところですが、私は全くもって自分に投げかけられた声と思わないことにして、1ミリも目を合わせず、しらーーーーと通り過ぎるだけにしました。

背中に叫ばれる声をビシバシ感じながら、振り向かずにただ通り過ぎました。


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↑こんなところを歩いていても、叫ばれます。

ウロウロしながら回収する職員、
机と椅子まで用意して通行料か!!ってくらいに待機している職員と、複数います。



外人だからといって見た瞬間に叫ばれるだけで不愉快だし、一方でインド人には外人ほど言っていないし、寄付なんて自発的に行うもんじゃあないか、ということで、


「賽銭箱でも置いておけばいいじゃん」
と心の中で思ったものの、
  ↓
「賽銭箱は持っていかれちゃうからダメかー・・・(日本じゃないんだし)」
と思い直しました。


だから日本とは違って職員がいるらしいとはわかりましたが、「払え」と言われると余計に払いたくなくなる人の心理でありました。




もうちょいハルドワール続きます。





traveler24 at 22:39コメント(0) 

July 11, 2014

成田空港→インディラガンジー空港→ニューデリーのパハールガンジまでの移動編。



今回インドでしたいことは、ただただ、

「カレーを毎食食べたい」「ヨガしよう」

それだけでした。


もはや日本の地方都市よりインドの方が慣れてしまった感もあったりして、観光地は既に大体周っているので滞在型にするつもりでした。旅行前の下調べが不要というのはこれはこれは素晴らしいこと!




エアインディアの搭乗は2000年のインド旅行以来。どうやら機体は当時と変わることもなく、相変わらず古いままらしい。これはー、ドキドキせざるを得ない。。。


私がウェブで指定した座席は、乗客が乗り込む入口のまさにすぐそばだったようで、緊急事態の時は緊急ゲートとしても使われるだとか何だとか。そんな話を搭乗してから聞かされる羽目に。本来この座席って他の航空会社では乗務員のシートなはずなのに、ここは乗客用なよう。。。


足伸ばし放題〜やっほ〜い!とか思ったのも束の間、ドアが閉まると妙に大きなでっぱりが私の足元にやってきた。

折りたたまれて身動き取れない左足。
あ〜〜これで10時間(泣)
私の左ひざはだんだんと感覚がおかしくなってきた。



それよりもびっくりしたのが、離陸直前、向かい合わせに座った乗務員さんが「緊急事態の時は、君らにも手伝ってもらうのでよろしく」と突然いろんな説明をし始め、


「機体に何かが侵入したらここは開けるな」
「自分が負傷したら指示に従って操作して」

だとか、、緊急ドアのそばにたまたま座ってしまっただけなのに、おっそろしすぎる忠告を繰り広げる男性乗務員さん。記憶できるわけもない私。


完全に目が点状態な私に、乗務員さん再び、
「いや、もし自分が負傷したらの話だからさ」
とか強調しますが、こんなに説明されてる時点でもうありえない。。



2000年にデリーINしたときも、長期旅行中の2007年にデリーの空港に日本からやってきた母親を迎えに行ったときも、小さくてお店もない超ショボショボの建物だった空港は、驚くほどの超巨大空港に大変身をとげていました。

もう、ほんとここだけ時代が50年進んでるから・・・・・(/TДT)/


空港を出ると目がギラギラの詐欺師インド人たちがうじゃうじゃ待機していて腕をつかもうなんて光景はもちろんもうありません。

あのピカピカ空港を見ると、かつてのインドが消えてしまったようで少し寂しいような気もしました・・。


ま、でもそのおかげで、夜中に日本人旅行者が空港から変な場所に連行されて強盗窃盗されたり、高級ツアーに申込をされられた、とか睡眠薬飲まされたとかの腹立たしい話が過去のことになったんならそれは結構なこと。2007年時点でもこの手のトラブルに実際にあった人にたーーーくさん会いました。



「空港メトロ」なるものが出来上がっているそうなので、乗ってみた。

150ルピー。ニューデリー駅まで20分。
日本の電車以上に快適じゃないか。
ここもまた50年分進んじゃったような電車。
「超」がつくほどの快適さ。



2007年の頃、私は「空港バス」を50ルピーで利用していましたが、それは「空港バス」という名のただの超絶ローカルオンボロバスでした。

母親がそのオンボロバスを見ると、
「タクシー乗ろうよ」「なんで乗らないの?」
とかすっとぼけたことを言うのをふりはらって
(デリーの空港でのタクシー詐欺、窃盗、強盗を知らない母親)

「バスに乗るから!」なんてことやってた時代が嘘みたいです。



空港周りは大絶賛に値します。
が、しかーし、ニューデリー駅に到着し外へ一歩出ると、相変わらずの「世界最高レベルの汚さ」が待っていました。その辺は全然変わっていない。



前よりも空気が汚く感じたのは、私が突然日本から飛んできたから余計にそう感じるのか、それともインドの発展に伴って、バイクや車が増えたせいなのか、電力事情によるものなのか。思わず鼻と口をふさいで歩きました。PM2.5なんて余裕そう。



出発前日にパハールガンジのシゲタトラベルに鉄道予約の手配をお願いしていたので、まずはそちらに向かい切符を受け取り、日本円で支払、両替もしておきました。

長期旅行中は一度も旅行代理店に切符手配なんてお願いしたこともなかったけれど、さすがの超短期旅行なので、さっさとお金で処理していくような部分がありました。



宿は、過去に泊まったことのある2か所を訪れ、中を見させてもらったところ、どちらも7年で驚くほどの老朽化・・・。

理解を超える変貌で、正直もう意味が分からない。
雨や湿気や高温等で厳しい気候なのはわかるけれど、それにしてもやはり、丁寧な掃除が全く欠けているんだろうと思います。もったいない。


いつからなのかわかりませんが、安ゲストハウスでも宿泊客はパスポートコピーを必ず宿に渡すことになったようです。

スキャナがあるGHはGHの人が画像で取り込んでくれて、スキャナがないGHでは、客がコピー屋に行って1枚コピー取ってきて後で渡すといったかたちです。


この日は老朽化したGHで1泊だけし、
翌朝にハリドワールへ向かいました。




traveler24 at 22:06コメント(0) 
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