ご近所のおじいちゃんとおばあちゃんが事故に遭われ車の運転をやめられました。

昨年、左折する為に止まっていた大型トラックに突っ込まれました。スピードを出されていなかったのとトラックの下に潜り込めたのとで、おじいちゃんは軽いむち打ち、おばあちゃんは肋骨にヒビが入ったくらいですみました。

おじいちゃんは今年の夏に90歳になられます。大型のトラックに気づかないほど視力が落ちておられていたとは驚きました。公共の交通機関が無い田舎なので車が必須なのですが、免許は視力検査に通ってからということで、しばらく運転は見合わされることになりました。

お子さんは3人おられるのですが、一番近くに住んでいる娘さんでも片道車で2時間の距離です。必然的に近所の私達がお手伝いすることになりました。視力検査に通るまでの短期間だと思っていましたが、結果的にお子さん達が車を廃棄処分し運転をやめるようにもっていってしまいました。

パンを買いにいったり、買い物や週に一度のマルシェ(市場)に連れていってあげます。病院の付き添いもするようになりました。更に、ここ数ヶ月でおばあちゃんが体調を崩され、大学病院の検査やら、入院やら、その間のおじいちゃんのご飯やら、おじいちゃんの病院やらで段々私達が振り回されるようになってきました。

フランスは、このような状態の場合、国民健康保険や家族手当から費用が出て、買い物や病院の付き添いなど低料金もしくは無料で受けれます。おばあちゃん家も週に2度看護士さん、掃除の人がこられます。当然、病院の付き添い、買い物の付き添いも頼むことができるのですが頼んでおられません。

頼みごとも段々エスカレートして、「子供達が週末に来るから、それまでに庭の木の枝を切って欲しい。」とか「ゼラニウムの鉢を倉庫から出して欲しい。」とかになってきて、どうして自分の子供に頼まないのかと思ってしまいます。わたしとすれば旦那ももう若くは無いので、木から落ちたらどうしょうとか、腰を痛めているのに重い鉢を持って大丈夫なのかとつい口を出し、「僕は年寄りじゃない。僕のことは僕が決める。君は意地悪だな。」と言われます。

旦那は仕事の合間を見ての手助けですし旦那ができない時は私が代わりにします。わたしとしては何だかここまで助けるのは腑に落ちません。旦那に言わせると、「困っている人を助けるのは当たり前のことだよ。僕は彼らが好きだから助けたいだけ。」だそうなんです。

彼らの子供達は別に私達を利用しているとかでもないのです。つまり、彼らの意識は、私達が”やりたいからしている””できるからしている”ということなのです。これは実にフランス的な考えで、例えば逆に私達がずっと親しくしていたのに今回全く手伝ってあげなくても非難される事はないのです。おじいちゃんとおばあちゃんと私達の関係がさせているということで、子供は全く関与しないのです。

東日本大震災が起こったとき、私のフランス人の同僚から「僕の家に部屋がいっぱい余っているから被害に遭われた方に貸してあげたい。どうしたらいいだろう。」と言われました。会社に色んな方から物品搬送の相談の電話もありました。

フランスのアルプス山脈にパイロットが故意に墜落させたジャーマンウイングス事件のときも地元の人たちは遺族の方々に自分の家の部屋を提供していました。

何か困ったことが起きたときに、助けることが出来る人が助けるということで、助けられている人も負い目を感じることが全くありません。

おじいちゃんおばあちゃんも、私達が「もう出来ない。」と言えば「そうか。」と納得されると思います。私の心が狭いんだろうなぁ。。。。。

先日、ここから車で7時間ほどの南のラングドック地方に住む娘さんが来られました。ずっとお手伝いし続けて初めてもらったお土産です。ガトー ア ラ ブロッシュというお菓子で日本ではバームクーヘンに似ていると評されているようですが、

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やっぱり私、意地悪だわぁ~。


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