ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』 (菅野盾樹訳 2008 ちくま学芸文庫 ク 15-1)


グッドマンNelson Goodman(1906-1998)で読んだものいえば、これまで共著論文一本だけだった。この本が文庫化されたときは、わりあいすぐに購入した。しかし積ん読だった。思い返して手に取ってみた。すると、
世界がなくても言葉は存在できるが、言葉なり他の記号なりを欠けば世界は存在できない(上記邦訳p.26)

何という過激な発言。まるでバークリの言語版。ここまで思い切った唯名論のスローガンをどうやって展開し、擁護していくのだろう。これは続きが気になる。

気にしていたら、連休をすっかりこの本に献上することになった。おや?

【感想】
グッドマンの「記号による世界制作」というフレーズはかなりラディカルな印象を受けたが、これを「記号による芸術作品の制作」と言ってみると一挙に常識的な印象にかわる。そして実際グッドマンは虚構、絵画、音楽などが一つの世界を構成するということを科学的言明が世界を構成するのと同様に語っている。ここには、人工物と自然種の存在論的な身分差など介入する余地もなさそうだ。当然物理主義とは真っ向から対立している。ただ、還元主義の主張はそれ自体不明瞭といわれても何だか煙に巻かれた感じばかりが残ってしまった。

それにしても美学的問題に対するグッドマンの配慮は余技のレベルを超えている。美学の人たちがよく読んでいるのもわかる。美学的には私の抱く芸術に対する素朴な印象をそのまま救い出し、くわえて結構華麗な解決策を与えてくれた。曰く、セルバンテスの『ドン・キホーテ』は一つの世界を構成している。抽象画は具象画と違い外延指示denotationを行わないが、ある感じfeelingを表出する。言語の構造と類比的に絵画を理解しようとしても不十分である。何が芸術であるかは、われわれが注目するものごとの状況によって定められる。などなど。そしてなにより
虚構はノンフィクションとほとんど同じように現実世界のうちで働くのである、セルバンテスやボスやゴヤは、ボズウェルやニュートンやダーウィンに劣らずなじみの世界をとらえ、質を変え、作り直し、取り戻し、それらを注目すべき、ときに難解な、しかし結局は首肯しうる--すなわち再認識しうる--仕方で鋳直すのである。(p.188)

憎いことを言う。唯名論者にときめいてしまったじゃないか。
芸術作品が(鑑賞者に)文字通り一つの世界像を提示し新たな知見与えてくれると言えるのは悪い気がしない。
グッドマンの形而上学を受け入れなくても似たような話ができれば、一番いいが。


【メモ】まとまらない。この本の段取りはだいたい次の通り。
・グッドマンの哲学体系(唯名論と相対主義)に関する章
[主題]■第一章 言葉、作品、世界
*さまざまな記号(科学的言明、虚構、具象画、抽象画、音楽、舞踏)によって世界は制作される。この現実には独立した正しい世界が多数あり、一つの実在する世界をさまざまな体系によって解釈しているのではないし、特定の世界に別の世界が還元されるのでもない。仮にそのような「世界そのもの」を措定したところで、極めて貧弱な内容しかもたない。

[展開]■第六章 事実の作製
*主に第一章の展開。世界を制作するといってもまったくでたらめに記号を寄せ集めているのではない。真または正しい世界/ヴァージョンだけが現実世界として許容される。

[展開]■第七章 レンダリングの正しさについて
*では真理や妥当性はどのようにして説明されるのか。ある種の整合説が採用される。真理はさまざまな検証によって判定されるものである、そして検証というのはものごとの間に相関関係があるということを正当な理由に基づいてわれわれが確信できるということに尽きる。
言明はそれが適合する世界に対して真であり、記述または代表は、それが適合する世界に対して正しい。…記述の正しさや代表の正しさを真理のもとに包摂しようと試みるよりも、真理をこれらと共に、適合の正しさという一般観念のもとに包摂したほうがよいと私は思う。(p.232)


・特定の問題領域で個別的なテーマを扱っている章

*様式を定義。主題とは語られたものであり、様式とはその語り方であると言われるが、この定式化には欠陥がある。音楽や建築には様式があっても普通主題はない。また語られたものがそのまま語り方になっているケースもある。芸術に焦点を定めて語る場合と、戦争について語る場合、これらはルネサンスについて語られることと同時にその語り方においても異なっている。では、作品の性質のうち様式を構成するものは何か。その性質や、表出された感じが作品を特定の芸術家、時代、地域、流派に結びつける場合にのみ、それは様式を構成するのである。

[美学、言語哲学]*第三章 引用にかんするいくつかの問題
*言語における直接引用/関節引用の構造を提示した上で、絵画や音楽においても引用が可能なのかを試している。それをもとにして、絵画や音楽がそれぞれ記号の作用として言語と共通する部分、重ならない部分を提示。

[美学]*第四章 いつ藝術なのか
*芸術とはもののクラスを意味しているのではない。そうではなく、いかなるものもある状況の下にあるときは芸術になるのだし、そこから外れればもはや芸術ではなくなる。たとえば、道に転がる石であっても、美術館に飾られればその色、形、肌理など鑑賞の対象となるものを例示する。またレンブラントの絵画であっても、壁の穴をふさぐために用いられた場合にはもはや芸術とはみなされない。だから問うべきなのは「何が芸術なのか」ではなく「いつ芸術になるのか」である。

[認識論]*第五章 知覚にかんするある当惑
*存在しないものを知覚する事例をとありげる。仮現運動(実際には対象の変化が生じていないにもかかわらずひとが運動を知覚してしまうこと)に関する心理学実験をもとにして、<現実の運動>と<見かけの運動>にかならずしも因果関係がないことを説得。類似性の説明の困難さ、形や大きさ(第一性質)の変化を知覚する場合と、色(第二性質)の変化を知覚するときの相違などが登場する。