僕がシーナを好きな理由

ある強い決意を持って京大に入学した潤。しかし想いとは裏腹、椎名に巻き込まれ、テニスサークル「アトランタ」に入会させられてしまった事が運の尽き。分からぬ女心、小悪魔、四角関係、深夜のビンタ。京都大学を爆心地とした恋のトラブルに次々巻き込まれていく。

久しぶりに日中、外に出た気がする。最近は最も暑い時間帯というものは快適なコンビニでバイトをしているか、クーラーを効かせた自分の部屋の中でゲームをしていたのだ。


練習用のTシャツにハーフパンツ、クロックスを履いた僕は、今にも溶けそうな自転車のハンドルを握りながら信号を待っている。対角線に見える、車道用の信号が黄色から赤へ変わり、目の前の歩道用信号が青に変わった瞬間、ハーフパンツのポケットから振動を感じた。携帯を見るとメッセージが着ている。


「潤くん、何回もごめんなさい。でも、どうしても会って話したいことがあって・・。時間も、場所も、潤くんの都合のいいとろこで構わないから、少しだけ時間をください。なお子」


誤解があってはいけないなので、この際ハッキリ言っておくが、僕となお子ちゃんの間には大人の関係はない。確かにキスはしたし、それ以上のことも少しだけした。しかし好きだという感情とは少し違う。なんと言っていいかは分からないが、とにかく都合のいい関係だけにはなってはいけないと思い、あれから何度か着たメッセージを無視していたのだ。


御所グラウンドに着くと、すでに30人程度が練習をしていた。小気味いいサービスを打つ音が鳴り響いている。


「おーい。久しぶりやな、潤!」


ニコニコしながら近づいてくる男がいる。上田さんである。上田さんは僕に近づくと、テスト期間終了と共に訪れた夏休みによって、練習に23週間参加していないメンバーも何人かいるので、別に気にしないでいいという事と、あることを小声で僕に伝えた。


「あとな、潤。なお子ちゃん、今日練習来ててな、一番奥のコートにいるから、まぁ・・それだけ」


おいおいおいおい。何を知ってるんだよ、僕となお子ちゃんの関係について知っているのは、あくまでも当人同士だけのはずだが、なぜこの関西人はこんな進言をするのか。


「上田さん、なんか知ってるんですか。なんでそんな情報、今僕に言うんです」


上田さんはやってしまったという顔をして、苦笑いをしている。そして、今度は目一杯に僕の耳に顔を近づけて囁いたのだ。


「・・・対抗戦の打ち上げでな、2次会カラオケ行ったやん?その時な、磯崎が酔いすぎて、潤となお子ちゃんがおらんって騒いでなぁ・・潤がお持ち帰りしたって言い出してん」


その情報は正確に言うと間違っているのだが、では、いえいえそれは違います、僕のアパートで二人、一緒に寝ただけです、と説明しても誤解部分を払拭出来る物ではなかったし、更に要らぬ燃料の投下になってしまう恐れしか無かった。しかし不幸中の幸いである。磯崎がそれをバラしたのは、2次会の終盤戦、女子大の子達に帰られ、夢も希望も無くなり、多賀谷と宇野、そして、上田さんとあと一人、長老と呼ばれる人物だけで飲んでいた時だったそうだ。


「すいません・・長老って誰ですか」

僕がそう言うと、上田さんは、小声で「・・後ろ」とだけ呟き、コートへと走っていった。僕の後ろには、能登さんが立っている。相変わらず美人で、うっとりしてしまう。しかし待てよ、もしかして長老というのは、能登さんのことなのか?下鴨神社から自転車で闇夜に消えていった能登さんが、あのあとカラオケ「L」に行ったという可能性は否定出来ない。しかし、長老などと言う別称が付けられるだろうか。


「潤くん、ひさしぶりだね」


そう言った後、少し唇を噛み締めたのを、僕は見逃さなかった。能登さんは仮にも純粋な乙女なのだ。それが、勢い余って、1度に2発もの平手打ちを男の顔面に浴びせたわけだから、さぞ気に病んでいたことだろう。


「ごめんね。痛かったでしょう、ほっぺ・・」


「そんなことなかったよ、大丈夫。生まれて初めて女の子に平手打ちされたから、びっくりしてただけだよ」


僕がそう言うと、能登さんは僕に携帯電話を貸せと言い、僕の携帯電話でどこかに電話をしだしたのである。そして、どこかへ繋がった瞬間に電話を切り、僕に携帯電話を返した。すると彼女は、すぐさまベンチに置いてある自分のテニスバッグの小さなポケットからiphoneを取り出し、どこかに電話をしだした。そう、僕宛てにである。呆然としている僕に近づいてきて、少し小声で彼女は言った。


「今日その番号から電話がかかってくるから出て。それは、その、私の携帯電話の番号で・・。少し話したいことがあるから・・じゃあ」


少しはにかんだ笑顔を見せると、何時にかけてくるのかさえも言わず、彼女はコートへ戻っていった。同時に、僕はその番号を、すぐさま電話帳登録したのだが、とてつもない違和感に襲われたのである。何か引っかかるその「090-xxxx・・・・」の番号を10秒ほど眺めたあと、僕は画面を着信履歴一覧にしていた。そこには、過去50件の着信履歴が残っているが、僕の1ヶ月の着信など、よくいっても20件程度なものである。つまり、過去2ヶ月の着信履歴は軽く残っている計算になるのだ。


さて、結論から言おう。


「椎名は11桁の暗記が出来る、とても記憶力のいいバカ」だったのである。さらに、あんなどこの馬の骨とも分からないやつに、道端で自分の携帯電話を貸し、通話させてやった人間もいたのだ。末恐ろしい話である。



夏休みというものは、学生にのみ与えられる、長期の休暇のことである。82日のテストが終われば101日まで休みだ。その長さは実に約2ヶ月にも及び、あるものは勉学に励み、あるものは海外へ、そしてまたあるものは実家に帰りもせず、だらだらと過ごす。


しかし深夜のコンビニほどヒマなものは無い。お盆はとっくに過ぎており、レジのディスプレイには830146分が表示されている。僕はバイトを一層頑張るようになっており、週5日をコンビニに捧げ、そのうちの2日はこのように深夜に働くようになっていたのだ。


それにしてもここの店舗は緩い。普通のTシャツに制服の上着を着ると勤務開始だ。来る客も70%程度が京都大学か京都造形大学というところの学生ばかりで、気が楽である。


まず、上田さんが椎名のことを気に入っていたのも当然だ。椎名は入学式当日に摘み出されるような面白いやつでありながら、その足で向かった女子大でいきなり2人の新入生を口説き落とすほどの半端ではないコミュニケーション能力を誇っているのだ。


そして花見の当日、僕が落ち着かない様子であれやこれやと憂慮していた行きの車中で、何も考えずにこいつがぐっすり寝ていたのは「行き先を知っていた」からである。


時計の針が4時を過ぎたころ、椎名が本当に奢ってくれたので、お返しに、せめて椎名が住んでいる茶山駅周辺まで送ってやることにした。あと1時間もすれば夜があけそうな東大路通りを久しぶりに二人でふらふら歩く。


「なぁ、黙って俺の話を聞いてくれ。一方的に話すから。返事もしなくていい。黙って聞いてくれ」


返事をしようとする僕を遮って、椎名は真っ直ぐ前を見て話し始めた。


「なお子ちゃんと、唯ちゃんとのことは、もう何も無いから気にしないで欲しい。あと、実はそういう軽い感じで関係を持ってしまったことを、潤に話したくなかった。お前は真面目なところがあるし、もしかしたら嫌われるかもしれないって考えてたからな。」


安心しろ、僕もなお子ちゃんとはキス+αの関係ではある、と言いそうになったが、黙ってうつむいて聞いていた。


「あと、さっきも言ったけど、俺と能登は付き合ってもないし、そういう関係も一切ない。むしろ嫌われていると言ったほうが正しい。その理由としては、能登はお前よりももっと前に、俺となお子ちゃん及び唯ちゃんとの関係について知ってたからだ」


なるほど。チキン南蛮を食べる椎名を、生ゴミを見るような目で見ていたのはそういった理由があったのだな。合点がいった。


「最後に」


と言って、交差点にあるミスタードーナツの前で止まってこちらを見た椎名は、真剣な顔をして、1分ほど僕の足元を見ていた。真夏なのに、ひんやりとした風が吹いており、3車線の道路からは時折、車が走り去っていく音がする。永遠に続くかのように思えた重苦しい時間を、椎名が切り裂いた。


「能登の為にも、なお子ちゃんと会うのはもうやめろ」


そういい残すと、椎名は車1台なくなった道路を足早に渡っていった。


翌日、昼過ぎに目覚めると「明日の練習は昼2時から、御所グラウンド。お前は実家に帰ってて忙しかったことになってるから、何食わぬ顔で行け。俺は家庭教師のバイトの後に遅れて夕方に行く」とだけ携帯にメッセージが着ていた。明日とはすなわち、今日のことであろう。


外は相変わらず、セミが強烈に鳴いている。季節は確り夏だった。



外を見ると真っ暗闇の中に青白い光を放つ虫取り機が見える。あの虫がぶつかるとバチバチいうやつだ。あれを見ているだけでも3時間は時間をつぶすことが出来た。


こうなるともう人間というのは終わりなのである。



「いらっしゃいま・・・・」


言いかけて途中でやめた。久しぶりに来店した客は、ゆるゆるのTシャツにハーフパンツで、小汚いサンダルをはいている男だ。


「ねぇ。いい加減サークル来いよ」


レジの前で何も買わず、その男は話始めた。僕はあれからまだこいつとちゃんと話していないし、目を合わせるのも久しぶりだった。そう、目の前には僕を神社の入り口でぶん殴った椎名が突っ立っていたのである。



910日からは合宿だしさ。もちろん上田さんにも話は通してるし、申し込みは要らないから、当日そのまま来るだけいいし・・」


僕はそれだけを聞くと、レジの清算を始めた。最後に清算をしたのは0時なのだが、自分がバイトを上がるときにはかならず清算をする決まりだったのである。差異が無いことを確認すると、店内掃除をしていた留学生のリー君に帰ることを伝え、奥で眠るバイトの志賀さんを起こした後、制服をロッカーに叩き込んだ。店内の防犯カメラを見ると、まだ椎名がいる。何か立ち読みしているようだが、おそらくあのコーナーはエロ本だろう。本当にどうしようもないやつだ。


そそくさと店を出ようとすると、ニヤニヤした椎名が横から付いてくる。そして5歩も歩かないうちに、開口一番、「飲みに行こう」と言い出した。よくもまぁ、このバカ野郎は1ヶ月前ぶん殴った人間にニヤニヤ出来るなと感心していたのだが、それに加えて飲みに行こうだなんてよく言えたもんだ。

そうこうしているうちに、3杯目の生ビールが運ばれてきた。


机の上はグチャグチャになっており、酒のアテはカラアゲばかりだ。いつきても赤天狗はバカみたいな学生が集まってきて、朝まで騒いでいるような気がする。そして、ちょうど一ヶ月前になお子ちゃんとキスをした座敷を遠巻きに見ながら、グラスを机に置いた。


「言っとくけど本当に今、俺お金持ってないぞ」


「大丈夫、大丈夫!俺の給料知らないだろ!15万だぞ。任せとけって」


椎名も僕と同じように朝から晩までバイトに明け暮れ、盆に実家へ帰った以外はずっと京都にいたらしい。冷酒をどんどん飲み干していく椎名は、日を追うごとにうわばみのように酒を飲むようになっている気がする。僕は久しぶりの椎名との会話が嬉しかったが、はっきりさせなければいけないことがいくつかあった。


「俺、付き合ってないから」


空気を察したのか、僕が言い出す前に、椎名が一瞬だけ真剣な顔をして言った。


「なんのこと言ってるんだよ。目的語はどこへ行ったんだよ」


と返すと、それから椎名は、またニヤニヤして色々と話し始め、結局、朝の4時頃まで続いた話は衝撃的なものであった。それは、現在の複雑な人間関係を明らかにするために有用なものであった。


僕はもう少しでぶん殴りそうになったが我慢して最後まで聞いた内容はこうである。


まず、唯ちゃんこと、矢野唯さんと椎名は新歓コンパのすぐあとから大人の関係らしい。そして驚くべきことに、なお子ちゃんとも同じような関係になっているとのことなのである。それを聞いたときはさすがにいくばくかの殺意が芽生えたが、まだ聞くことが残っていた僕は、唇を噛み締め、我慢したのである。さらに、この二人の女子大生を花見へ誘ったのは、何を隠そう、椎名なのである。


椎名は「みやこめっせ」で行われた入学式で二度に渡る椅子からの転落と後ろの席に座っていた新入生の可憐な女子に抱きついてしまうという行為により、退場させられていたのだが、そのあと、勝手に家に帰り、着替えたあとに中華料理屋「リンリン」で食事をしていたらしい。


そこに、新入生オリエンテーションというものが行われているという京都女子大へ行って、門の前でサークル勧誘のビラを撒こうとしている上田さんたちがやってきたのだ。話の内容を盗み聞きしていた椎名は、酢豚をつつきながら、自分は京都大学経済学部の新入生だが、摘み出されてしまったということを話すと、おもしろがった上田さんが一緒に京都女子大まで連れていったというのだ。


そして、大学の正門前で、なお子ちゃんと唯ちゃんを同時に一人で口説き落とし、花見への参加を決めさせたのである。そうすると、どんどん点と点が繋がっていく。

今度は能登さんが泣いている。


あの清廉潔白でありながら、とてもしっかりした芯を持った女性である、能登さんがである。あるときはやさしい聖母のようなまなざしで、あるときはユニオンの支部長のような鋭いまなざしで、そしてまたあるときは無邪気な子供のようなまなざしで僕を見ていてくれた能登さんが、ぐちゃぐちゃになるほど泣いている。


そして能登さんは何も言わずに、神社の入り口に置いていた自転車に乗って、闇夜の中に消えていった。そして椎名といえば、また森の中に消えていった。


僕はといえば、なお子ちゃんと二人きりだ。カラオケに戻るような気分でもないが、なお子ちゃんが下宿している七条の三十三間堂というところまでは結構な距離があり、タクシーで帰るととんでもないお金の無駄になる。僕は心を鉄にし、再び、バカ騒ぎに巻き込まれるであろうカラオケ「L」へと歩みを進めた。


つもりだった。


結論から言おう、今、僕となお子ちゃんは、僕のアパートにいる。そして、とんでもなく暑かったのでシャワーを浴びて、お互いすっきりしたという状態なのである。


確かに外皮はすっきりした。しかし、この状況はとんでもなくまずい状況だ。


時間はすでに25時を回っている。外からの風でカーテンがたなびく度に、僕がいつも使う枕を抱きしめて、ベッドに寝転がるタンクトップ一枚のなお子ちゃんが見える。僕は体にフィットするソファ(15,750円)にうずまりながら、様々な事案に考えを巡らせていた。


まず先程のことを少し思い出してみよう。


厳かな雰囲気をかもし出す、下鴨神社の入り口で、能登さんとなお子ちゃんは、お互いに意見が収束することもなく、さらに横では後からやって来た椎名と僕が言い合いを始めてしまうというかなりカオスな状態に陥っていた。そして最終的に、椎名と能登さんが付き合っているということを理解した僕は、ただの嫉妬に駆られてしまった自分を恥ずかしく思い、その恋を応援すると言って、能登さんから2発目のビンタを食らったのである。


ここについてはどういう風に考えても答えが導きだせないので飛ばすことにしよう。分からない問題は飛ばすのがいい。


そして、次に疑問だったことは、なぜタイミングよく、能登さんと椎名のセットに出くわしたのかという点だ。これについては、さすがに僕もバカではない。そして、能登さんとなお子ちゃんの言い合いの時に耳に入ったいくつかの言葉から推測することも出来た。


そうなのである、これは孔明の罠であったのだ。

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