今からちょうど7年前。

2011年3月11日


当時、まだ私はサラリーマン。


いつものように遅い昼食を済ませ、
午後からの仕事に取りかかりました。


「明日は家族でどこに行こうかな?」


あと5日で1歳の誕生日を迎える長男のために、
週末の予定を楽しみにしていました。


14時46分18秒 

大地震発生!


グラグラという大きな揺れとともに、
ものすごい音がしました。


12階建てのビルの5階で働いていた私は、
すごい揺れで倒れそうになるデスクトップPCを、
必死で手で抑えながら地震をやり過ごしました。


全面ガラス張りのビルです。

ビルのガラスの数枚が割れて、
悲鳴も上がっていました。


しばらくして地震がおさまると、
急いでネットを見たり、スマホを見て、
情報収集をしました。


幼い長男と一緒に家にいる妻の無事を確認し、
「急いで帰らなければ」という早る気持ちを抑え、
会社からのアナウンスを待ちます。


しかし、待てど暮せど、
「帰宅」とも「待機」とも、
会社からのアナウンスはありません。

上司もオロオロするばかり。


他のビルからは社員が一斉に帰宅する様子が、
窓越しに見えます。


そうこうするうちに、
各地の惨状などが入ってくるようになり、
気持ちは焦るばかりです。


案の定、電車はすべてストップ。

歩いてでも帰る覚悟を決めます。


まだ会社からの指示はありません。


ようやく「帰っても良い」という指示が出たのは、
とっくに定時の17時15分を回っていました。


そこからは、途中で電車が動き出すまで、
約6時間の道のりを歩いて帰りました。



それから3日後の月曜日の早朝。

会社の上司から1通のメールがありました。

「出社せよ」


その指示メールを読み、
私は愕然としました。


まだ余震が続いている中、
不安がる幼い長男と妻とを残して、
仕事に行くことにものすごい違和感を感じました。


駅では、同じように出社しようとするサラリーマンで、
長蛇の列ができていました。


4時間ぐらいかけてようやうく出社すると、
他の部署の人間は誰もいません。


出社していたのは、
私の所属する部署のメンバーと役員だけでした。


よくよく聞くと、私の部署の上司が、
役員にアピールするために、
出社を指示したということがわかりました。


その後、地震から数週間は、

「今が絶好のビジネスチャンスだ!」

「役員にアピールするチャンスだ!」

とばかりに、残業の毎日。


1歳になったばかりの息子の顔を見るのは、
毎日寝顔だけ。


「何のために働くのだろう・・・」

私は会社を辞める決心をしました。


その時すでに、
家賃収入は給与収入を超えていましたが、

最後に住宅ローンを使って賃貸併用住宅を購入し、
独立する準備を急ぎました。


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そして、地震から約1年。


2012年9月30日

とうとう会社をやめました。


あれから7年。

毎年3月11日になると、
今でも当時のことを思い出します。


東日本大震災は、多くの人の人生に、
大きな影響を与えた地震でした。


このブログを読んでくださっている方の中には、
大切な家族や友人を失った方もいるかもしれません。


そして、私にとっても、あの地震は、
その後の人生にものすごい影響を与えた、
地震となりました。